12月22日(日)クリスマス礼拝説教

「世界史の中でのクリスマス、わたしの中でのクリスマス」

2019年12月22日(日) 秋田教会クリスマス礼拝説教

聖 書:イザヤ書9章1~6節

    ルカによる福音書2章1~14節

説教題:「世界史の中でのクリスマス、わたしの中でのクリスマス」

 ルカによる福音書2章では、主イエスの誕生を世界史との関連で伝えています。当時世界を支配していたローマ皇帝アウグストゥスの名前と、イスラエルが属していたシリア州の総督キリニウスの名前、そして、ローマ皇帝の命令に従って住民登録をするためにダビデの生まれ故郷ユダヤのベツレヘムに旅立ったヨセフとマリアのことが語られています。マリアはベツレヘムの滞在中に月が満ちて男の子を生みました。その子こそが、全世界の人たちがその誕生をお祝いしているクリスマスの主人公、全世界のすべての人の唯一の救い主であられる主イエス・キリストです。これが、ルカ福音書が伝えるクリスマスの出来事です。

 このように、主イエスの出来事を歴史との関連の中で語ることがルカ福音書の大きな特色です。3章1節では、最初のクリスマスからおよそ30年後、洗礼者ヨハネが荒れ野で救い主・主イエスの到来が近いことを宣べ伝え始めた時の歴史的背景が語られています。ルカ福音書はこのように主イエスの出来事を世界史の中に位置づけることによって、主イエスが歴史上の人物であり、福音書に書かれている主イエスの出来事、誕生とそのご生涯、そして十字架の死と三日目の復活、その救いのみわざのすべてが、架空の作り話ではなく、確かな歴史的な事実であることをわたしたちに強く訴えているのです。

 それだけではありません。聖書が主イエスの出来事を世界の歴史の中に位置づけて語るさらに重要な意味は、主イエスの誕生とその救いのみわざが世界の歴史に大きな影響を与えているからです。主イエスは世界の歴史の中に入って来られ、その歴史を動かし、歴史を支配され、全世界の王の王となられ、すべての人の救い主となられるということを聖書は語っているのです。

皆さんは西暦紀元という年の数え方が主イエスの誕生を基準にしていることをご存じと思います。紀元6世紀ころ、主イエスが誕生した年の翌年から紀元1年と数える方法が考えだされ、紀元15世紀ころにはその数え方が西洋諸国に広まったと言われています。紀元を英語でADと言い表しますが、これはラテン語のAnno Dominiの略です。Anno Dominiは「主の年」という意味です。主イエスが生まれた年から世界の年を数え始めたのです。主イエスの誕生によって世界の歴史が新しく始まったからです。主イエスの誕生によって神の救いの恵みが全世界のすべての人に接近してきたのです。神の救いの恵みが今やわたしたちの目の前に差し出されているのです。主イエスがこの世においでになったこの時こそが、神の恵みの時、神の救いの時なのです。

このクリスマスの時に、神は世界のただ中に入ってきてくださいます。わたしの目の前に、救いの恵みをもって立っておられます。世界の主としてこの世界においでくださった主イエスは、ほかでもないこのわたしの救い主として、クリスマスの豊かな恵みと祝福とをもって、わたしのところにもおいでくださいます。真実の悔い改めと信仰とをもって、主イエスをわたしの救い主として迎え入れましょう。それがわたしの中でのクリスマスです。世界の中で起こるクリスマスの出来事は確かにわたしの中でも起こります。

では、ルカ福音書が主イエスの誕生を世界史との関連で語っていることの意味について、3つの視点からさらに深く学んでいくことにしましょう。第一に、主イエスの誕生とそのご生涯の出来事が歴史上の事実であることを証明しているという点をすでにあげましたが、2章1、2節と3章1節とを比較してみますと世界とイスラエルの支配者の名前がみな違っていることに気づきます。2章は主イエスの誕生の時、3章はそれから30年後、主イエスが年およそ30歳で福音宣教のお働きを開始された時(3章23節参照)、その30年間に世界の支配者はみな変わりました。世界の支配者ローマ皇帝もイスラエルの国の指導者も変わっていきます。時代は変わり、この世の権力者たちも変わります。しかし、その中で、神の救いのご計画はいよいよ前進していくのだということをわたしたちはここから知らされます。主イエス誕生の時から、洗礼者ヨハネの登場へ、そして主イエスご自身の福音宣教の開始へと、神の救いのみわざは時代の変化の中でも確かに続けられ、前進していくのです。たとえ時代がどのように変化しようとも、この世の支配者が次々と立っては倒れていく中にあって、主イエス・キリストによる神の救いのみわざは決して変わることなく、滞ることなく、この世界の歴史を貫いて続けられていくのです。主イエス・キリストの救いのみわざは今もなお世界の教会を通して全世界の至る所で、この秋田の町で、続けられています。

次に、主イエスの誕生と救いのみわざは世界の歴史とどのように関連しているのでしょうか。ルカ福音書2章の少し先の個所を読んでみましょう。【10~11節】。この日にお生まれになった主メシアである主イエスは民全体に大きな喜びを与えると言われています。この民とは、旧約聖書の民イスラエルを指しています。旧約聖書は最初のクリスマス以前の、すなわち主イエスが誕生される前の神の救いのみわざについて記している書です。神は全世界の民の中からイスラエルをお選びになり、この民を通して救いのみわざをなさいました。そして、この民と契約を結ばれ、この民の中から全世界を罪から救い出されるメシア・救い主を遣わすと約束なさいました。イスラエルは2千年近くの間、神の約束の成就を待ち望み、メシア・救い主の到来を信仰をもって待ち続けてきました。

クリスマスはイスラエルの民のこの待望の時が終わり、神の約束が成就される時です。それゆえに、それは大きな喜びの時です。この世にあるどんな喜びよりもはるかに大きい、天の神から与えられる喜びです。永遠の喜びです。それゆえにまた、それはイスラエルの民だけでなく、全世界のすべての民にとっての大きな喜びでもあるのです。クリスマスにはこの大きな喜びが世界中に満ち溢れます。世界中の人々がさまざまなかたちでクリスマスをお祝いするのも、この天の神からの大きな、そして永遠の喜びの照り返しなのです。

クリスマスの日に誕生された主イエスは11節で「救い主」と呼ばれています。救い主とは、わたしたち人間を罪から救う唯一の主であるという意味です。人間は最初に創造されたアダムとエヴァ以来、すべての人間は神から離れ、神に背き、神なき世界で罪と死と滅びへと向かっていました。しかし今や、神はこの罪に覆われた暗闇の世界をまことの光で照らし、わたしたちを罪から救い出すために主イエス・キリストを世にお送りくださったのです。そして、主イエス・キリストの十字架の死によってわたしたちを罪の奴隷から贖いだし、救い出してくださったのです。主イエス・キリストによってわたしたちは神との命の交わりを回復され、神の子どもたちとされ、神の国の民とされています。これが全世界のすべての人々に与えられているクリスマスの大きな喜びの内容です。

第三に、ルカ福音書が世界史の中でのクリスマスを強調している意義の最も重要な点について、きょうのみ言葉から聞き取っていきましょう。きょうの聖書のみ言葉から受けるわたしたちの印象は、ここで歴史を支配し、人々を動かしているのはローマ皇帝アウグストゥスであるように見えます。彼は世界に勅令を発し、自分の権力と支配力を帝国内のあらゆる地にいきわたらせるために、また税金を効率よく取り立てるために、住民登録をするように命じます。人々は戸籍登録をしてある地まで赴き、手続きをしなければなりません。

ヨセフは妻マリアと共にガリラヤのナザレから120キロメートル余り南のエルサレム郊外のベツレヘムまで、登録するために旅立っていきました。ヨセフはダビデ家の家系に属していたので、ダビデの出身地ベツレヘムに戸籍があったからです。この時マリアは身重でした。二人にとってこの旅はどんなにか困難だったことでしょう。けれども、ローマ皇帝の命令に逆らうことはだれにもできません。世界の支配者であるローマ皇帝の前では、ヨセフとマリアは大海に浮かぶ木の葉のように、波間に漂うほかありません。

しかし、今クリスマスを祝っているわたしたちは知っています。そのようなごくごく小さな存在でしかないヨセフとマリアこそが、ここでは神の偉大なる約束の担い手をして選ばれているのであり、神の救いの歴史を全世界の中で新しくお始めになる救い主の両親となるべく定められているのだということを。取るに足りない貧しく年若い二人、歴史の中で翻弄されるしかないような二人、ヨセフとマリア、彼らこそが、全世界のすべての人々に伝えられるクリスマスの大きな喜びの源である主イエスの誕生を、自らの身に経験するために神に選ばれているのです。

神が今新たにお始めになる救いの歴史においては、ローマ皇帝アウグストゥスがその歴史の主なのではありません。クリスマスの主なのではありません。貧しく小さなヨセフとマリアからお生まれになり、家畜小屋で飼い葉おけの中に布にくるまれて寝かされている幼な子主イエスこそがクリスマスの主であられ、聖書全体の主であられ、全世界の救い主であられ、そしてわたしたち一人一人の救い主なのです。

ここでは、1章46節以下の「マリアの賛歌」で歌われていた大きな逆転が世界史の中で起こっています。その個所を読んでみましょう。【48~54節】。クリスマスにはこのような大きな逆転が世界の歴史の中で、またわたしたちの人生の中で起こるのです。この日に、貧しく、低く、みすぼらしいお姿で誕生された主イエス・キリストが全世界の救い主となられるからです。世界の歴史を動かし、それに意味を与えているのは、偉大な権力者ではなく、財を蓄えた富める者でもなく、知恵を誇る高慢な者でもありません。ヨセフとマリアのように、神の約束のみ言葉を聞きつつ、そのみ言葉の成就の時を待ち望みながら、従順に神が定められた道を歩む人たちこそが、世界の歴史の本当の担い手なのであり、そして彼らからお生まれになった主イエス・キリストこそが全世界の主、教会の主、そしてわたしの主なのです。

このクリスマスの福音を聞いたわたしの中でもあの大きな逆転が起こります。神がこの小さな取るに足りないわたしを顧みてくださり、わたしの罪のためにご自身のみ子・主イエス・キリストを十字架に引き渡されるほどにわたしを愛してくださったことを知らされ、わたしの罪と高慢と欲望とを打ち砕いてくださったゆえに、わたしがこれからは喜んで神と隣人とに仕える人に造り変えられ、この世の過ぎ去り朽ちていくものを追い求めるのではなく、天にある永遠なるものを求めて生きる人とされる、そのような大きな逆転がわたしの中にも起きるのです。

(執り成しの祈り)

〇主なる神よ、全世界のすべての人たちにクリスマスの大きな喜びと豊かな恵み、祝福が届けられますように。

〇神よ、この世界を顧みてください。あなたのみ心に背いて、滅びに向かうことがありませんように。どのように小さな命も、傷つき、病んでいる命も、あなたのみ子によって与えられた大きな愛から離れることがありませんように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和とが日本とアジアと全世界のすべての民に与えられますように。

 主イエス・キリストみ名によって。アーメン。

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