7月5日説教「神の命令に従ったノア」

2020年7月5日(日) 秋田教会主日礼拝説教

聖 書:創世記6章1~22節

    ヘブライ人への手紙11章4~7節

説教題:「神の命令に従ったノア」

 創世記6章から9章には、「ノアの箱舟」あるいは「大洪水」と言われる長い物語が記されています。大洪水物語はさまざまな形で世界のいたる地域にもあったということが、今日知られています。古代オリエント、ギリシャ、インドその他の諸地域や諸部族で、古くから大洪水物語が語り伝えられてきました。古代の人々は、大洪水によって古い、悪に染まった世界が一掃され、洗い流されて、新しい大地が自分たちに与えられたということを、彼等の神々に感謝し、また、大水や洪水の恐ろしさを子孫に語り伝えてきたのだと思われます。

 それらの伝説の中で、19世紀末に古代バビロニア時代のニネベの図書館跡から発見された12枚の粘土板に刻まれた「ギルガメシュ叙事詩」に描かれていた大洪水物語は創世記のノアの洪水と非常によく似ていることが注目されました。また、20世紀になってから聖書考古学が盛んになり、バビロニアのチグリス・ユーフラテス川流域の発掘がなされた結果、紀元前4千年ころの古い地層から、この地域一帯を襲った大洪水の跡と思われる痕跡が発掘されました。

 これらの研究によって、創世記の大洪水物語が、神話や作り話ではなく、わたしたちにとって身近な史実性のあるものとなってきました。しかし、もちろんわたしたち信仰者にとって重要なことは、聖書を歴史や考古学のテキストとして読むことではなく、信仰の書として、神のみ言葉として読むことですから、神が今わたしたちに何を語りかけておられるのかをここから聞き取り、わたしたちがこのみ言葉にどう応答していくのか、そのことが問われ、求められているということは言うまでもありません。神が終わりの日に全世界をお裁きになられる時、主イエス・キリストが再臨される日、その終わりの日の神の国が完成される時を待ちつつ、急ぎつつあるわたしたちに対して神から与えられている時のしるしとして、神の語りかけとして読むことが、何よりも重要です。

 そこでわたしたちは、創世記の大洪水物語を読むにあたって、あらかじめ主イエスのみ言葉に耳を傾ける必要があります。【マタイ福音書24章35~39節】(48ページ)。わたしたちもまた、ノアのように目覚めて、人の子・主イエス・キリストの再臨の時に備えたいと願います。

 さて、創世記6章から9章の大洪水物語の主人公はだれかと言えば、当然、それはノアですと答えるでしょう。ノアという名前は、ヘブライ語で「休息する、安らぐ」という意味を持っています。5章29節ではこのように説明されています。【5章29節】(7ページ)。ノアは、地上に悪と暴虐が満ちた世にあって、ただ一人神に服従し、大洪水から救われ、洪水のあと、神と永遠の契約を結び、新しくされた世界の最初の人となって、のちの全人類に対して平和をもたらし、すべての人を慰める人となったのです。

 しかし、主人公であるノアは、実は、大洪水物語の中では、ただの一言も発言していないということをわたしたちは知らされます。6章から9章の中に、ノア自身が語る言葉を、わたしたちは一つも見いだすことはできません。ここでは、ただ神だけが語っておられます。神がみ言葉をお語りになり、神がすべてのことを計画され、すべてのことを実行されます。まず【3節】、次に【5~7節】。三度目もまた神がお語りになります。【13節】。ここから21節までは、神が語られるみ言葉が続きます。

 ノアは、ここでは、セリフを持たない無言の主人公です。ノアについて語っているみ言葉を読むと、まず【8節】、続いて【9~10節】。そして【22節】。ノアは神がお語りになるみ言葉を聞き、それに黙々と服従するだけです。これが、神に選ばれ、ただ一人神の好意を得、神に従う無垢な信仰者の姿です。

 ノアの大洪水物語がわたしたちに語る第一のことは、このことなのです。人の子主イエス・キリストの再臨を待ち望み、それに備えるためにわたしたち信仰者がなすべき第一のことはこのことなのです。寡黙にして、ただ神のみ言葉に聞き、それに服従して生きる。「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」。そのように、わたしたちも神のみ言葉に聞き従う。それが、わたしたちがなすべき第一のことです。

 では、神が言われる3節のみ言葉から聞いていきましょう。【3節】。これは、罪の人間に対する神の嘆きと裁きのみ言葉です。創世記5章のアダムの系図では、人の一生は千年に少し足りないほどでしたが、ここでは大きく制限され120年となっています。ここには、人間の寿命の短さは神の裁きの結果であるという考えがあるように思われます。罪ある人間は肉なるものに過ぎません。しかも、甚だしく腐敗した肉です。それゆえに、肉なる人間は長く生き続けることがゆるされません。

 聖書では「肉なる者」とは、神の霊によって生きていない人、自分の欲望のままに、自分の知恵や力だけを頼んで生きている人間を言います。使徒パウロはローマの信徒への手紙8章で、肉によって生きる人と神の霊によって生きる人を対比してこのように言います。「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和です」(ローマの信徒への手紙8章5~6節)。したがって、肉にあって死すべきである人間は、主イエス・キリストを死人の中からよみがえらせた神の霊、聖霊によって再び命によみがえり、「生ける人、霊の人」とされる必要があるのです。

 2節の「神の子ら」、4節の「ネフィリム」は古くからの伝説に基づいています。天の父なる神のもとで仕えるべきである天使たちの一部が堕落して地上に降りて来て人間の娘たちと交わり、ネフィリムと呼ばれる巨人が誕生したという伝説です。人間の罪が天の領域にまで達して、天使たちをも巻き込むほどに拡大していることが語られています。

 そのような人間のはなはだしく邪悪で不法な罪を神は天からご覧になり、それを嘆き、悔いておられるということが、5~7節と11~12節に繰り返されています。特に11節、12節では、神のみ前でのこの地の不法と人間の堕落が何度も強調されています。地上には神を求める人はだれ一人もいません。すべての人間が、内も外も全部が病んでいます。そこで、7節には、神は人間を造られたことを後悔されたとあり、また13節ではこのように言われます。【13節】。

 そもそも、神はご自分がなさったみわざを後悔されて、そのみわざを取り消されるということなど、あり得るのでしょうか。神は全知全能であり、そのみわざはすべて正しいとわたしたちは信じ、告白しているのではないでしょうか。たとえ、この世界とそこに住む人間とが、どれほどに堕落し不法と不義に満ちているとしても、神はそれには動揺せずに、悠然として、それを天から見下ろしておられるべきではないでしょうか。

 いや、聖書の神はそうではありません。むしろ、わたしたちはこう言うべきです。神はここでただお一人、この世界と人間の罪に対してみ心を痛めておられ、嘆いておられるのだと。だれも自らの罪に気づかず、だれも自らの滅びの運命に心を痛めることもない、愚かで、かたくなで、傲慢不遜な人間たちの中で、ただお一人、神だけが人間の罪のためにこれほどまでに嘆いておられるのだと。

 わたしたちはここで、わたしたちの罪のために、ご自身が罪のない神のみ子であられた主イエス・キリストだけが、ただお一人、罪と戦われ、そのために十字架で清い血を流されたということを思い起こします。わたしたち罪びとのだれもが、おのれの罪に気づかず、罪と取り組んで戦うことをしなかった時に、主イエス・キリストただお一人が、わたしたちの罪のために苦難をお受けになり、それによって罪に勝利されたのです。

 「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう」と神は言われます。ご自身が創造された人間、しかもご自身に似せて、最も深い愛を注いで創造された人間をことごとく滅ぼさなければならない、その神のみ心の痛みをだれが知るでしょうか。そして、ひとり子を十字架に引き渡した神の痛みと愛とをだれが知るでしょうか。

 ノアの大洪水、それはまさに人間の罪の大洪水が引き起こしたものにほかなりません。人間の罪と暴虐が全地にみなぎっているからです。しかし、この大洪水によって人間の罪が勝利するのではありません。神が人間の罪を一掃するために、深いみ心によって引き起こされたものです。今はまだ隠されてはいますが、神の愛と恵みの大洪水なのです。神は罪に満ちた全地をとそこに住む人間たちを裁く決断をされました。それは神の聖なる決断です。それは、義なる神の厳しい裁きであると同時に、愛と恵みに満ちた決断でもあるのです。人間の罪が全地を覆いつくして、それによって全地が滅びてしまうことを神はおゆるしになりません。神はみ心によって人間の罪を一掃されます。古い罪の世界を洗い清められます。

 ノアは人間たちの中からただ一人選ばれて、神の好意を受けました。ノアが選ばれたのは、9節に書かれているように、神に従う人であったから、神と共に歩んだからです。ノアは、神の裁きのただ中で、神のみ言葉を聞き、それに従いました。【14~21節】。

 箱舟の設計者は神ご自身です。1アンマはおよそ45センチメートル。箱舟の長さは135メートル、幅は22・5メートル、高さは13.5メートル、上の方に明り取りの窓があり、側面に出入りする戸口がある3階建て、それに彼の家族とすべての生き物から雄と雌とを1つがい、その箱舟に入れと神は命じられました。説教の冒頭でも確認したように、ノアの箱舟物語ではすべて神がみ言葉を語られ、神が計画され、神が命じられます。

 それは何のためでしょうか。18節にあるように、神がノアと契約を結ばれるため、19節にあるように、ノアが箱舟に入った家族や生き物たちと共に生き延びるためです。

 【22節】。ノアはすべて神のみ言葉のとおりに実行しました。神のみ心に服従しました。主イエスがマタイ福音書24章で言われたように、人々が食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたその中で、ただ一人神のみ言葉に聞きつつ、来るべき裁きの時、来るべき救いの完成の時を待ち望み、その時に備えつつ、箱舟を造り、その中に入りました。

 ここに、わたしたち教会の民の原型があります。わたしたちも目覚めて、主キリストの再臨の時に備えましょう。

(執り成しの祈り)

○主なる神よ、聖霊によってわたしたちをあなたのみ言葉につなぎとめてくだ

 さい。信仰によって、わたしたちがいつも目覚めていることができますように、お導きください。

○全世界があなたの憐れみを求めて、祈っています。どうぞ、世界の人々に愛と

分かち合いの心をお与えください。特に、住む家や食料、医療で困窮している

人々を助けてください。

○世界の為政者たちが主なる神であるあなたを恐れ、あなたの義と真実と平和

を実現することができるように、あなたからの知恵と力とをお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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