9月13日説教「神の祝福と契約」

2020年9月13日(日)午前10時30分 秋田教会主日礼拝説教

聖 書:創世記9章1~17節

    ローマの信徒への手紙3章21~26節

説教題:「神の祝福と契約」

 創世記8章の終わりに書かれていたように、大洪水のあと地が乾いた時、神はノアに箱舟から出るように命じました。ノアは神に命じられたとおりに、彼の家族、動物たちと一緒に箱舟を出ました。大洪水のあと、新しい世界に住むノアとその子孫との第一歩は、神の言葉によって始められました。創世記6章から9章に描かれている大洪水物語りの中でノアの態度で一貫していること、すなわちノアは一言も言葉を発せず、ただ主なる神だけが語り、ノアは黙々として神の言葉に聞き従う、このノアの姿勢は、当然洪水以後も貫かれます。そのノアが、箱舟から出てまず最初にしたことは、祭壇を築いて神を礼拝することでした。神礼拝こそが、新しい世界で生きるノアとその子孫の生きる基本であると聖書は教えています。きょうの主の日に、わたしたちが教会に集い、神を礼拝することから新しい一週の歩みを開始するということは、この聖書の教えに従うことなのです。

 ではさらに、大洪水以後の新しい世界に住んでいるわたしたちがどのように生きるべきなのかを9章のみ言葉から聞いていきましょう。【1節】。これは創世記1章28節のみ言葉とほとんど同じです。神が最初に人間を創造された時、人間アダムに祝福のみ言葉を語られたように、大洪水以後の新しい世界においても、ノアとその家族に同じように祝福の言葉をお語りになります。人間に対する神の祝福の言葉は、神の厳しい裁きのあとでもなおも失われることありません。神は大洪水以後も、人間が生み、増え、地に広がることを望んでおられます。神は大洪水以後も人間の命の主であられます。ノアの大洪水以後のすべての人間の命には、この神の祝福と恵みがあります。あるいはこう言うこともできるでしょう。人間はこの神の祝福がなければ、その命をながらえることも、増やすこともできないのだと。

 次の2節も1章28節で語られていた内容と一致します。【2節】。人間は大洪水以後も、神が創られたすべての生き物と被造世界全体を造り主なる神のみ心に従って治め、管理する務めを神から託されています。人間はここでもすべての被造物のかしらであり頂点であるという、その立場は失っていません。

 ただ、ここでは新しい内容が付け加えられています。【3節】。大洪水前の人間は1章29節に書かれていたように、穀物や果実が食物として与えられていましたが、洪水後は動物の肉が新たな食物として与えられました。なぜこのような変更がなされたのかについては書かれていませんが、ただはっきりしていることは、これは神の許可であり、神から与えられた恵みだということです。人間は自分の欲望のままに動物の命を奪ってよいということではなく、動物の肉を食べてよいということではありません。それは神から与えられた許可なのであり、賜物なのです。すべての生き物の命の主は神のみであるということを決して忘れてはなりません。

したがって、全く無条件で人間が肉を食べてもよいとされているわけではありません。神は制限を設けられます。【4節】。血には命があると考えられていました。命はすべて神のものであり、神にお返ししなければなりません。それゆえに、人間は肉を血を含んだままで食べてはならないと命じられています。人間は動物の肉を食べることは許されていますが、その場合でもすべての命が本来神に属するものであるということを忘れてはなりません。

そのことは、ことさら人間の命に当てはまります。【5~7節】。神はここで人間の命が特別に神のものであるということを強調しています。すべての生き物の命がそうであるように、いやそれ以上に、人間の命は神の所有であり、神のみ手の中にあるのです。神は人間の命をご自身のみ手をもって守られます。もし人間の命を奪うものがあれば、神ご自身が報復されると言われています。

人間の命の尊厳性とか、不可侵性というのは、人間自身の中にその理由があるのではなく、神にあります。神が人間に命を与え、しかも人間をご自身のかたちに似せて創造されたゆえに、人間の命は限りなく尊く、重く、だれもそれを侵害してはならないのです。

ここでは、人間の命はただ人間の命だけによって賠償され、償われ、支払われるということが強調されています。これは、人間の命は他のいかなるものによっても代用されない、取り変えられないほどに尊く、値が高く、かけがえのないものであるということを強調しているのです。人間の命は、例えば何か経済的な価値観で測られたり、商取引の対象にされたり、他の何かと取り換えることは決してできません。人間の命はそれ自体で人間の命ほどに尊く、他と比べ物にならないほどに値が高いということです。

問題となるのは6節のみ言葉です。【6節a】。これを、殺人者には人間の手によってその人を殺してもよいという神からの委託と理解し、後の死刑制度を容認するものと単純にとらえてよいかどうか議論されています。あるいは、この個所からもっと積極的な意味を読み取って、わたしたち人間が他者の命をかけがえのない尊いものとして守り、保護すべきであり、もし他者の命が奪われるような時には、それに抵抗し、その命を取り戻すために努めるべきことを教えていると理解する人もいます。いずれにせよ、このみ言葉から、人間が人間の命を自由に操作することができるという結論を読み取ることはすべきではありません。ここで言われている中心的なことは、神はすべての人間の命をみ手に握っておられ、見守っておられるということです。

わたしたちはここで、さらにこう付け加えなければなりません。人間の命は神のみ子主イエス・キリストの十字架の血によって贖い取られた命であるゆえに、その命はより一層限りなく尊く、重いものであるのだと。主イエスはご自身の神のみ子としての汚れなき尊き御血をもって、わたしたちを罪の奴隷から買い戻してくださいました。それゆえに、わたしたちは人間の命を、自分の命をも他人の命をも、他の何ものにも勝って尊く、重いものとして、それを守り、助け、支え、養うべきであり、もしそれを軽視したり傷つけたり、奪い取ったりするならば、それは神ご自身に対する重大な罪なのだということを忘れてはなりません。

8節からは、神がノアとのちの子孫、全人類と結ばれた契約のことが語られています。これはノアの契約と呼ばれています。ノアの契約は、聖書の中に書かれている神が人間と結ばれた最初の契約です。このあとの主な契約を挙げてみましょう。創世記12章以下には神が族長アブラハムと結ばれた契約、すなわち、神はアブラハムとその子孫とを祝福され、その子孫を増やすという契約、これをアブラハム契約と言います。次には、出エジプト記20章以下で神がシナイ山でモーセを通してイスラエルの民と結ばれた契約、すなわち、神はイスラエルの民を選ばれ、この民をご自身の民とされるという契約、これをシナイ契約と言います。さらには、サムエル記上7章で神が預言者ナタンを通してダビデと結ばれた契約、すなわち、神はダビデの王位をその子孫に継がせ、ダビデの王座は永遠に続くであろうという契約、これをダビデ契約と言います。これらの旧約聖書のすべての契約は、やがて主イエス・キリストによってすべてが完全に成就され、新しい契約、すなわち新約聖書の名前のもとになった新約となりました。すなわち、神がご自身のみ子なる主イエス・キリストの十字架の血によって全人類と結んでくださった救いの契約です。創世記9章のノアの契約もこの主イエス・キリストの十字架による契約を目指しているのです。

では、ノアの契約の内容を見ていきましょう。まず、神とノアとの契約は神が立てる契約であるということが何度も強調されている点に注目したいと思います。9節「わたしはあなたたちと契約を立てる」、10節も主語は神です。「わたしが地のすべての獣と契約を立てる」。11節「わたしがあなたたちと契約を立てたならば」、12節「わたしが立てる契約のしるしは」、14節、16節、17節でも、すべて神が主語、神が契約を立てると言われています。

一般的に契約とは、AとBとが相互に約束事を決め、相互にその約束を守り、実行することを誓い合うのですが、神の契約の場合には、最初のノアの契約もそうですが、アブラハム契約もダビデ契約もシナイ契約も、そしてまた新しい契約でも、すべて神が立て、神が締結され、神がその約束を守られ、そして実行されるという点に大きな特徴があります。ノアとその家族は、またわたしたちすべての人間はその神の契約に招きいれられていると言うべきでしょう。ここに、神がお立てくださった契約の最も大きな恵みがあるのです。たとえ人間たちがその契約を忘れたり、それに違反したりすることがあっても、神は常にこれをみ心に留められ、思い起こされ、契約を実行するために人間たちを呼び求め続けられるのです。

ノアの契約の中心は11節と15節に繰り返されています。【11節、15節】。神はノアの時代に起こしたような大洪水によっては、地とそこに住む生き物をことごとく滅ぼすようなことは二度と決してなさらないと言われます。それは神の固い決意です。洪水後も、人間は生まれながらにして罪と悪に染まっていると、8章21節に書かれていました。しかしながら、どれほどに人間の罪が地に満ちても、再び大洪水を超すことはなさらないと言われます。神は忍耐をもって罪と悪に満ちたこの世が滅びることがないように支え、見守っていてくださるのです。

ノアの契約のもう一つの特徴は、これが永遠の契約であるということです。12節には「代々とこしえにわたしが立てる契約である」と言われ、16節では「永遠の契約」と言われています。この契約は現代のわたしたちにも有効です。終わりの日に神の国が完成される時まで有効です。

ノアの契約にはしるしが伴っています。【13~15節a】。ノアの契約のしるしは虹です。虹は人間にとっての目に見えるしるしであり、神の契約の保証であるとともに、それはまた神ご自身の決意の固さ、神の決断と神の強い意志のしるしでもあります。神は二度と地を滅ぼすことはなさらないという約束をお忘れにならないためのしるしでもあるのです。大雨はいつまでも降り続くことはありません。雨の後には必ず太陽が昇り、虹が出ます。神は終わりの日に神の国が完成される日まで、この地とこの地に住むすべての生き物たちを、み手をもって守っておられます。

(執り成しの祈り)

〇主なる神様、あなたがみ子の十字架によってわたしたちと結んでくださった救いの契約に、どうかわたしたちがいつまでもとどまり続けますように。そして、多くの人々がこの契約の中に招きいれられますように。

〇天の神よ、この地にあなたのみ心が行われますように。すべての人が主なる神

であるあなたを恐れ、あなたのみ前にひれ伏すものとなりますように。あなたから離れて、この世界が滅びへと向かうことが決してありませんように。

〇願はくは、主よ、日本と、アジアと、世界に、まことの平和を与えてください。争いではなく共存を、奪い合いではなく分かち合いを、憎しみや怒りではなく愛とゆるしをお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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