4月11日説教「信仰告白によって建てられる教会」

2021年4月11日(日) 秋田教会主日礼拝説教(教会建設記念日)

聖 書:申命記26章1~11節

    コリントの信徒への手紙一15章1~11節

説教題:「信仰告白によって建てられる教会」

 秋田教会は1934年(昭和9年)4月15日に教会建設式を行い、自給独立の教会となりました。(旧)日本基督教会が秋田に初めて伝道を開始し、秋田講義所(今の伝道所に当たります)を開設したのが1892年(明治25年)、それから秋田伝道教会建設が1906年(明治39年)、その40数年間、秋田教会はアメリカ・ドイツ改革派教会ミッションという外国の教会からの経済的・人的支援を受けていましたが、教会建設によって自給独立の教会となったわけです。今年はそれから87年目になります。

 きょうの礼拝でもう一つ覚えたい記念日は、1951年(昭和26年)5月20日の秋田教会臨時総会で日本キリスト教会加入の決議をしたことです。第二次世界大戦中の1941年(昭16年)6月、日本のプロテスタント教会は当時の国策に従って日本基督教団に合同しましたが、この合同教会は諸教派の集まりであり、信仰告白を持たず、教会政治の在り方も定まっていませんでした。そこで、(旧)日本基督教会に属していた一部の教会が、一つの信仰告白を持った長老制の教会を建設しようとして、日本基督教団を離脱し、新しい日本キリスト教会を創設することになりました。秋田教会も東京中会の9教会の中に加わりました。

 新しく創設された日本キリスト教会は1953年10月に開催の第3回大会で『日本キリスト教会信仰の告白』を制定し、2007年10月の第57回大会ではその口語文を制定しました。わたしたちが礼拝で告白しているものです。きょうから月1回ほどの割合で『日本キリスト教会信仰の告白』を説教で取り上げ、その連続講解をする予定です。これによって、わたしたちの教会がこの日本の地に、この秋田の地に、どのような教会を建てようとしているのかを皆さんで再確認していきたいと願っています。

 第1回目のきょうは、聖書と信仰告白との関係について学んでいきましょう。信仰告白は聖書に書かれている神のみ言葉、主イエス・キリストの福音に対する信仰による応答です。またそれは聖書全体の要約、まとめでもあります。言うまでもなく、聖書が主であり、源泉であり、信仰告白は従であり、その下流です。したがって、わたしたちが『日本キリスト教会信仰の告白』を学ぶということは、その信仰告白を生み出した源泉である聖書を学ぶということにほかなりません。

 そのような聖書と信仰告白との関係を次のように言い表します。「聖書は規範づける規範であり、信仰告白は規範づけられた規範である」。つまり、聖書はわたしたちの信仰そのものの基準であり、それを導く手本であり、また信仰告白や教会の在り方、すべての信仰生活と教会の営みの基準、手本、規範であるということ。それに対して、信仰告白は神のみ言葉である聖書によって規範づけられたものであり、同時にそれはわたしたちの信仰の在り方や聖書の読み方、教会形成の在り方などを具体的に規範づける、第二の規範であるという意味です。

 たとえば、聖書を読む場合、信仰告白という規範がなければ、その人その人によって理解が大きく異なって、自分勝手な理解になり、聖書の本来の意図からそれてしまうことにもなりかねません。信仰告白は教会の長い歴史の中で、異端的な教えや間違った聖書理解との戦いの中でまとめられたものですから、わたしたちが聖書を正しく読むための助けになります。わたしたちは『日本キリスト教会信仰の告白』という第二の規範によって信仰の訓練を受けていますから、おのずとその信仰告白の助けと導きによって聖書を読むことができます。もちろん、わたくしの説教も『日本キリスト教会信仰の告白』に規範づけられています。

 では、聖書の中では信仰告白はどのようにして生み出されてきたのでしょうか。旧約聖書と新約聖書の中から、信仰告白の代表的な個所を読んでみましょう。旧約聖書は申命記26章5~9節です。【5~11節】(320ページ)。ここでは、族長アブラハムの時代からエジプト移住とそこでの苦難の生活、そして出エジプトと約束の地カナンでの土地取得に至るまでのイスラエルの民に対するの神の導きと救いの歴史について告白されています。このようなイスラエルの信仰告白は旧約聖書の至る所に見いだすことができます。彼らはこのような信仰告白を安息日の礼拝で、また特に季節ごとの大きな祭りで、繰り返し告白し、神の救いの恵みを感謝したのです。信仰告白によってイスラエルは信仰の民として強められていきました。

 ここから、信仰告白が持っている役割について三つのことを確認することができます。一つには、信仰告白は長い神の救いの歴史を、その中心的な内容を短くまとめ、礼拝で告白したり、信仰の教育と継承のために用いることができるようにしたものであるということです。二つ目は、その信仰告白を今この時代の信仰者が礼拝で告白することによって、かつての神の救いのみわざを今ここに生きているわたしたちのための救いのみわざとして再体験し、神への信仰と感謝とをより強くするということです。三つ目は、同じ信仰告白を礼拝で共に唱和することによって、一つの群れ、一つの信仰告白共同体が形成されていくということです。これらはみなわたしたちの信仰告白にも共通することです。

 新約聖書の時代になって、更に新しい信仰告白の役割が付け加えられました。そのことを教えるのがコリントの信徒への手紙15章1節以下です。【3節~5節】(320ページ)。これは初代教会時代の最も整った信仰告白と言えます。使徒パウロはこの信仰告白を彼自身が初代教会から受け取ったものだと言っています。パウロがこの手紙を書いたのは、エルサレムに世界最初の教会が誕生してからおよそ20年後の紀元51、2年です。わずか20年の間にこのような信仰告白が作成されていたということは驚きに値します。初代教会もイスラエルの民と同様に、信仰告白を生み出し、信仰告白によって生きる教会であったということが分かります。ちなみに、わたしたちが告白している『日本キリスト教会信仰の告白』の後半部分の『使徒信条』は紀元4、5世紀ころに完成されたと考えられていますが、この手紙に書かれている信仰告白がその原型となっていることは明らかです。

 パウロがここで初代教会の信仰告白を取り上げたことには理由がありました。それは、コリント教会の一部の人たちが主イエス・キリストの復活を正しく理解せず、それによってキリスト者の復活を否定するという誤った信仰へとそれていっていたからです。しかし、初代教会の信仰告白が主イエス・キリストの復活についてこれほどに明確に告白しているのだから、主イエスを信じる信仰者の体の復活がそれに続いていることは確かであると、パウロは15章全体で力説しています。

 このことからわたしたちは信仰告白のもう一つの重要な役割を見いだします。それは、信仰告白が間違った教えや異端的な教えとの戦いの中で生み出され、またその間違った教えと戦うための正統的な信仰の武具として、正しい信仰を守るための役割りを果たすということです。パウロ以後、5世紀ころまでのキリスト教会はさまざまな異端との戦いに明け暮れました、教会は何度も世界規模の教会会議を開催し、異端を退けてきました。今日、基本信条あるいは世界信条(信条とは信仰告白と同じ意味ですが)と呼ばれている『使徒信条』『ニカイア信条』『カルケドン信条』のほとんどは、異端との戦いの中で、世界教会会議によって制定された信仰告白です。

 初代教会・古代教会時代以後にも、宗教改革期、そして近代においても、さまざまな異端的な教えが現れ、教会はそれらとの戦いの中で新しい信仰告白を生み出し、またその信仰告白によって異端的教えと戦ってきました。人間はいつの時代にも、自分勝手に、自分の好みに合わせて、聖書を読もうとします。あるいは、聖書の理解がその時代に流行した思想、哲学などに影響されてきました。信仰告白は歴史の中で教会が勝ち取り、確定してきた正しい信仰を言い表したもので、わたしたちを間違った聖書の読み方や信仰理解から守り、正しい聖書理解を規範づけ、導くという役割を果たしています。

さらには、わたしたちを異教的な偶像礼拝やこの世的な世俗主義的な生き方から守る盾となり、またそれらと勇気を持って戦うための武具ともなるのです。

『日本キリスト教会教会員の生活』の中で、わたしたちの教会の特徴として三つ挙げられています。その第一が、信仰告白に生きる教会であるということ、第二には長老制の教会であるということ、第三には独立性と公同性とを重んじる教会であるということです。

信仰告白に生きる教会とは、信仰告白の源泉である聖書、神のみ言葉を重んじ、それによって生きる教会であるということです。聖書のみ言葉を聞いて信じること以外の何かによって生きるのではないということです。たとえば、教会の伝統とか伝承、人間の言い伝え、あるいは教会の制度や儀式、教会の社会的な活動、人間的な利益や利便性などによって生きるのではないということです。ただ神のみ言葉によって生きる教会であるということです。

信仰告白によって生きる教会とは、信仰告白が聖書のみ言葉に対する信仰の応答であるように、わたしたちがそれぞれの生きている時代の中で、それぞれの生活の現場で、神のみ言葉に積極的に応答して生きる、日々の信仰生活そのものが信仰告白として生きるということです。わたしたちの信仰は、何らかの思想とか知識とかではありません。わたしの生き方そのものが信仰告白によって変革されていく、信仰告白を証ししていく、それがわたしたちの信仰告白的生活です。

信仰告白によって生きる教会とは、信仰告白によって教会が一つの生ける群れとして建てられていくということです。教会は神のみ言葉への応答である信仰告白によってのみ真実に建てられていきます。組織や制度を強固にすることによって建てられていくのではありません。一人の強力なリーダーによって建てられるのでもありません。共に一つの信仰告白を告白し、その信仰告白によって一つに結び合わされ、主キリストの体なる教会が建てられていくのです。

わたしが一人の信仰者、キリスト者となるということは、具体的にはわたしが『日本キリスト教会信仰の告白』をわたしの信仰として受け入れ、すでに告白している告白共同体の中にわたしもまた加えられるということなのです。その告白共同体の中でわたしの信仰が守られ、導かれ、養われていくのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、一つの信仰告白のもとに集められている日本キリスト教会を、あなたのみ心にかなった教会として、この地にあって真実の主キリストの体なる教会として、託されている福音宣教の使命を果たしていくことができますように、お導きください。秋田の地に立てられているわたしたちの教会を祝福し、導いてください。群れに連なる一人一人をお守りください。また、全世界に立てられている主キリストの教会を強めてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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