9月19日説教「ソドムとゴモラの滅亡とロトの救い」

2021年9月19日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記19章1~29節

    マタイによる福音書24章15~22節

説教題:「ソドムとゴモラの滅亡とロトの救い」

 創世記9章にはイスラエルの塩の海・死海の底に沈んだと考えられている邪悪な町ソドムとゴモラの滅亡のことが描かれています。伝説では、大きな地殻変動と火山活動が起こって、ソドム・ゴモラの町々は死海の底に沈んだとされています。この異常な出来事は人間の罪と悔い改めることをしなかったかたくなさに対する神の厳しい裁きの実例として、旧約聖書と新約聖書の中で何度も繰り返し語り伝えられていくことになりました。申命記29章22節では、イスラエルが神の約束の地カナンに入ってから、もし彼らが神との契約を破り、神の律法に背くことを行うならば、神の裁きを受けるであろうと言われ、こう書かれています。「全土は硫黄と塩で焼けただれ、種は撒かれず、芽は出ず、草一本生えず、主が激しく怒って覆されたソドム、ゴモラ、アドマ、ツェポイムの惨状と同じになるであろう」と。また、預言者たちもしばしばこの出来事について言及しました。【イザヤ書1章7~10節】(1061ページ)。新約聖書ではルカによる福音書17章28節以下にこのように書かれています。【28~30節】(143ページ)。

 このように、聖書ではソドムとゴモラの町々に起こったことが、罪を悔い改めることをしない人間のかたくなさや邪悪さに対する神の厳しい裁きの実例として代々に覚えられ、戒めとして繰り返して語られてきました。それによって、わたしたちが自分の罪の姿に目をつぶることなく、直ちに罪を悔い改めて神に立ち返ることを勧めているのです。また、わたしたちが主キリストの再臨と終わりの日の神の最後の審判に備えて、いつも目覚めているべきこと、そして神の救いへの招きのみ言葉に耳を傾けているようにと勧めています。

Remenber Sodom!(ソドムのことを忘れるな)とのみ言葉を、わたしたちは繰り返し聞かなければなりません。それと同時に、Remenber Jesus Christ! 「主イエス・キリストの救いの恵みを忘れるな」とのみ言葉を、絶えず、繰り返して、聞き続けなければなりません。

 19章1節に、「二人の御使いが」とありますが、18章2節でアブラハムのテントを訪れた三人の旅人のうちの一人は、18章16節以下によれば、アブラハムと話していましたので、あとの二人が先にソドムについたということのようです。この三人は神から遣わされた神の使い、神ご自身のことです。彼らはソドムとゴモラの罪がはなはだ重いので、その現状を実際に調査するためにやって来ました。

 ロトはアブラハムから分かれてソドムに移り住んだことが13章に書かれていました。彼はすでにこの町の住民の一人になって、町の門の入口に座っていたとあります。古代の町は敵の攻撃を防ぐために城壁で取り囲まれていました。門の前は広場になっており、そこでは商売や集会などが行われていました。ロトはそこで二人の旅人を出迎え、彼らをあつくもてなしたことが1~3節に書かれています。

 ロトはアブラハムと別れてこの地に移住してきましたが、アブラハムと同様に神に選ばれた約束の民の一人であったことをまだ忘れてはいなかったようです。罪と悪に染まっていたソドムの町の住民に囲まれながらも、彼はアブラハムと同じように旅人を親切にもてなす愛を忘れてはいませんでした。ロトはこの時点では二人の旅人が神のみ使いだとは気づいていなかったようですが、彼らが門の広場で野宿するからとロトの招きを断った時、彼らに危害が及ぶことを察して、強いて彼らを自分の家の中に招きいれています。旅人を大切な客人としてもてなす礼儀を忘れず、また彼らをあらゆる危害から守ろうとする強い思いがロトにはありました。旅人に対するこのような愛の思いは、このあとロト自身の身に危険が及びそうになっても決して変わりませんでした。

 次に4~8節を読んでみましょう。【4~8節】。5節で「なぶりものにしてやる」と訳されている言葉は、本来「知る」という意味です。知るとは性的な関係をも意味します。「アダムは妻エバを知った、彼女は身ごもりカインを産んだ」と創世記4章1節に書かれています。ソドムの男たちが旅人を知るとは、男色のことです。この町の男たちは若い人も年寄りもみな男性の同性愛者であったのです。そして、彼らは町にやってきた男の客人を見ると、みんなで寄ってたかって襲おうとしているのです。これがこの町の最も邪悪な罪の現状であったのでした。のちに、英語の男色を意味するsodomyという言葉はこの町の名前から造られました。

 ロトは性的な危害から旅人たちを必死で守ろうとしています。それは、信仰的な行為であったと言えますが、そのために自分の娘を犠牲にして町の男たちに差し出すということがゆるされるかどうかは疑問です。でも、このことについてはこれ以上論じる必要はないと思われます。というのは、あとで神ご自身が解決の道を備えてくださることになるからです。

ロトには旅人を危害から守る義務があります。しかしまた、自分の娘たちに対する愛がなかったということもあり得ません。ロトは試練に立たされています。アブラハムと別れて、肥沃な低地であったこの地を選んだロトが、邪悪に染まっているこの地にあって苦悩しています。それは、ロトが自分で選んだ道であり、いわば自業自得だとわたしたちは言うべきでしょうか。

 ところが、ロトにとって思いもかけない驚くべき事態が起こりました。ロトが必至になって旅人たちを守ろうとし、そのために自分の娘を犠牲にしなければならないと決断したその時に、彼と娘たちは逆に旅人たちによって守られることになるのです。

 【10~13節】。13節で、初めてロトは二人の旅人が神の使いであったことを、また彼らがなぜこの町を訪れたのか、その目的を知らされました。ロトは神の使いだとは知らずに、彼らをもてなし、彼らを危害から守り、神にお仕えしていたのでした。そして、今度は神によって邪悪なソドムの男たちから守られることになったのです。ロトは彼自身と彼の家族を自分の力で守らなければならないのではありません。主なる神こそがロトと彼の家族の唯一の救い主であられます。主なる神がこの町の大きな悪と罪の叫びを聞かれ、この町を滅ぼされます。そして、主なる神がこの町の滅びの中からロトを救い出されます。ロトはその神のみ言葉を聞かなければなりません。神の招きのみ言葉に聞き従わないで、住み慣れたこの町の市民権を選ぶのか、それとも神のみ言葉に聞き従い、この町を捨てて神の国の市民権を選び取るのか、決断しなければなりません。

 けれども、ロトは自分ではそのいずれを選び取るかの決断をすることができませんでした。【15~17節】。ロトはこの町から離れることをためらっていました。彼はソドムの肥沃な土地を選び、この町の住民となり、家を建て、家族を養い、財産を増やしてきました。二人の娘たちもこの町で結婚しています。今この町を捨てて、神のみ言葉に聞き従うべきか、彼は迷っています。彼はこの世のものに縛りつけられています。それが滅びに至る道であると告げられても、それらを捨て去ることをためらっています。

 しかしまたここでも不思議なことが起こります。決断できずにためらっているロトと妻と二人の娘を、神ご自身が二人の旅人によって町の外に連れ出させたのです。神による強行手段です。神は弱く迷っているロトを救うためにこのような大きな力を発揮されます。

 16節に、「主は憐れんで」と書かれています。ソドムとゴモラに対する神の厳しい裁きとその滅びの中からロトが救い出されたのは、ただ神の憐れみによることです。迷っているロトの手を直接つかみ、いわば力づくで、その強いみ手の力で、神はロトを救われました。神の憐れみはこのような強い力となって働くのです。

 ロトに対する神の憐れみはなおも続きます。「滅びから救われるために山へ逃れなさい」と命じた神に対して、ロトは山まではたどり着くことができないので、近くの小さな町へ逃れさせてくださいと懇願します。神はこのロトの願いをも聞き入れられ、近くの町ツォアルに着くまではこの地を滅ぼすことはなさらないと約束されます。

【21~26節】。ロトがソドムとゴモラの滅びから救い出されるためには、この地との別れが必要でした。神のみ言葉に聞き従い救われるためには、それまでに頼っていたものを棄てなければなりません。ロトはこの地で築き上げてきたすべての財産、生活の基盤、ソドムから出ることを好まなかった嫁いだ娘たちとその夫、それらのすべてと別れなければなりませんでした。これからは、神のみ言葉の導きによって生きるようになるためです。しかし、神の約束を途中で疑った妻は後ろを振り返り、残してきた地上のものに心を奪われたために、塩の柱となりました。ロトは長く連れ添ってきた妻とも別れなければなりませんでした。

でも、わたしたちはここでもう一つの神の恵みをも知らされます。ロトが二人の旅人を危害から守るために犠牲として差し出そうとした未婚の二人の娘たちはロトと一緒にこの滅びから救い出されています。そして、30節以下では、彼女たちはイスラエルの周辺地域に住むモアブ人とアンモン人の先祖になったと書かれています。ロトと二人の娘たちは神に選ばれた民からは外れることになりましたが、なおも神によって用いられたと言えるでしょう。

最後に、わたしたちはもう一度このように声を合わせたいと思います。Remenber Sodom! そして、Remenber Jesus Christ! わたしたちは神の厳しい裁きを忘れてはなりません。自らの罪を悔い改めて、神に立ち返ることをためらってはなりません。この世のことに心を奪われて、後ろを振り返ってはなりません。常に、絶えず、主イエス・キリストを見上げ、その救いの恵みに心からの感謝をささげて礼拝を続け、主キリストが天に備えてくださる朽ちることのない勝利の冠を目指して走り続けるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、迷いとつまずきの多いわたしたちの信仰の道を、あなたが絶えず真理のみ言葉をもって導き、終わりの日に至るまで忠実に信仰の道を全うさせてください。

〇天の神よ、この世界と全人類とを滅びからお救いください。あなたが全地のすべての国民を憐れんでくださり、地のすべての王たち、支配者たちがあなたを恐れて、あなたのみ前に謙遜な僕たちとなりますように、お導きください。

〇神よ、世界にまことの平和をお与えください。互いに分かち合い、与え合い、支え合う世界にしてください。生まれた土地を追われ、住む家を焼かれ、愛する家族と引き裂かれた人々、食料や衣料を十分に受けられず、貧困と飢餓に苦しむ人々、恐れと不安と孤独の中で生きる希望を失っている人々、その一人一人に必要な助けが与えられ、あなたからの慰めと励ましとが与えられますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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