2月13日説教「サラの死と埋葬」

2022年2月13日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記23章1~20節

    ヨハネによる福音書19章38~42節

説教題:「サラの死と埋葬」

 創世記23章には、アブラハムの妻サラの死と、彼が妻を葬るためにヘブロンの地にあるマクペラの畑と洞穴を購入したことが描かれています。

 まず、1~2節を読みましょう。【1~2節】。創世記12章から始まる族長アブラハムの物語の中で、サラの127年の生涯を簡単に振り返ってみましょう。アブラハムが75歳、サラが65歳の時、二人は神の約束のみ言葉に導かれ、故郷を出て、カナンの地へとやって来ました。神の約束のみ言葉は直接にはアブラハムに語られていましたが、その約束を担うのはサラも一緒でした。彼らが一緒に旅立ったのは、夫婦であったからという理由によるだけではなく、共に神の約束を担っていくためでした。神の約束はこうです。「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたから生まれる子孫を星の数、砂の数ほどに増やす。あなたはこれらの国民の祝福の基となる。そしてまた、わたしはこのカナンの地をあなたとあなたの子孫に永遠の嗣業として受け継がせる」。この神の約束は二人が一緒でなければ成就されません。この時から、アブラハムとサラは共に神の約束の成就を待ち望む夫婦として、一緒に信仰の道を歩んできました。

 そして、アブラハムが100歳、サラが90歳の時、人間的には子どもが授かる可能性は全くなくなってから、神の奇跡によって長男イサクが与えられました。イサクが3歳ころになって乳離れしたあと、21章9節でサラについての言及があってからは、彼女はしばらくの間舞台から消えていました。きょう朗読された23章1節で、彼女が127歳で地上の歩みを終えるまでの30年以上の間、聖書は彼女について語りません。アブラハムの子イサクを産んで、神の約束のみ言葉が成就したことで、彼女の務めが終わったからでしょうか。彼女のその後の30数年間は、いわば御用済みの年月だったのでしょうか。

 いや、そうではありません。神は彼女に対する約束を成就された後にも、なおもその約束の成就を超えて、それに増し加えるようにして、祝福された30数年間を彼女にお与えになられたのだと、わたしたとは理解すべきです。なぜならば、その空白の30数年間ののちの彼女の死にもまた、神の尊いみ心があり、神の約束のみ言葉の成就があるということを、わたしたちはこの23章から読み取ることができるからです。神は彼女の死に至るまでの全生涯を導かれ、祝福されました。いや、彼女の死をも超えて、救いのご計画をお進めくださったのだということを、わたしたちはここから教えられるのです。

 そのことを学ぶ前に、わたしたちはサラの死そのものに目を向けたいと思います。死はその人にとって地上の歩みの終わりです。それだけでなく、サラの死はアブラハムにとって夫婦の関係の終わりでもあります。一緒に困難な地上の旅路を、文字どおりの旅人、寄留者として歩み続けてきた二人の共同生活の終わりでもあります。それはまた、二人で神の約束を担ってきた信仰共同体であるアブラハムとサラとの別離の時でもあります。アブラハムはサラの死の意味の大きさを思い、胸を打ち、嘆き悲しみました。

すべての信仰者にとっても、愛する者の死は大きな悲しみであり、痛みです。それは、創世記3章に書かれているように、罪を犯して神に背いたアダムとその子孫であるすべての人が神から受けなければならない厳しい裁きだからです。創世記3章19節にこのように書かれています。「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返る時まで。お前がそこから取れれた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」。すべての人はこの死という神の裁きから逃れることはできません。信仰の父アブラハムもまたこの厳粛な事実の前で、泣き崩れるほかにありません。

 けれども、彼はいつまでも泣き崩れているのではありません。3節に、「アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり」と書かれています。ここには、何か象徴的なというか、深い意味が含まれているように思われます。アブラハムは死とその悲しみの中から立ち上がります。死がどんなに冷酷であり、神の厳しい裁きであるとしても、アブラハムはその前で希望を失って、いつまでの嘆き悲しんでいるのではありません。死を恐れ、死の前で敗北してしまうのではありません。そこから立ち上がります。

死から新しい命を生み出される神が、ここで働いておられるのではないでしょうか。神がアブラハムに死の中から立ち上がる力と希望とをお与えになったのだと、わたしたちは大胆にそのように言ってもよいのではないでしょうか。アブラハムは、神がサラの死を超えてさらに救いのみわざを前進させてくださることを信じたのだと、大胆に推測してもよいのでないでしょうか。

神の約束を共に担ってきたアブラハムとサラにとって、サラの死がどのような意味を持つのかを考えてみると、そのように推測することが間違ってはいないことがより確かになると思われます。サラはすべての信仰の民の母であると17章16節で言われていました。アブラハムがすべての信仰者の信仰の父と言われるように、サラはのちの世のすべての信仰者の母です。なぜならば、サラはアブラハムと共に神の約束のみ言葉を担い、サラとアブラハムによって神の約束が成就されたからです。そのサラとアブラハムから生まれた子孫に神の祝福が受け継がれているからです。そのサラが死にました。では、サラの死によって、神の約束は無効になるのでしょうか。いやそうではありません。サラの死を超えて、神の約束は彼女の子孫に永遠に受け継がれていきます。神の祝福は信じる信仰の民に永遠に受け継がれていくのです。神は確かに死から新しい命を生み出される神であられます。

神の祝福がサラの死を超えて、サラの子孫に永遠に受け継がれていくだけではなく、神の約束の地もまた、サラの死を超えて、サラの子孫に永遠に受け継がれていくということを、わたしたちは続けて聞くことになるでしょう。アブラハムがサラの死の中から立ち上がって、ヘブロンの地に住むヘトの人々から、サラを葬るための墓として、その地の一角を購入したことによって、「わたしはこの地をあなたとあなたの子孫とに永遠の嗣業として受け継がせる」との神のもう一つ約束がここで成就されるということを、わたしたちはこのあとで聞くことになるのです。まだ、カナンの全地ではありませんが、ほんの一角ですが、アブラハムは神の約束の地を所有するようになるのです。妻サラの死によって、そのことが実現していくのです。

アブラハムが妻サラの墓を購入するためのヘトの人々との交渉は4~15節まで続いています。ここには、当時の土地売買の慣習があると言われています。土地を持たない、外国からの放浪の民である族長アブラハムが土地を手に入れることは、そんなに容易ではありません。土地の所有者とその地方の部族全体の承認を得なければなりません。またここには、土地を売る側と買う側の商売上の駆け引きがあり、両者のやり取りが生き生きとした会話として描かれています。

土地の所有者であるヘトの人々とその土地を実際に所有していたエフロンは、できるだけ高値で売ろうとしています。土地を買う側のアブラハムは、寄留者である自分には土地を所有する権利は全くありませんので、できるだけ頭を低くして、相手の機嫌を損なわないように、礼儀を尽くしつつ、エフロンが土地を売ってもよいと申し出るように、またエフロンの側からなるべく安い値をつけてくるのを待っています。

11節で、エフロンが自分の土地はただで差し上げますと言っているのは、本気でそう言っているのではなく、気前の良さを見せることによって、かえって相手に恩義を押し付けようとする当時の商売上の手法だと考えられています。エフロンはそう言いながら、最終的には銀400シェケルというかなりの高値でアブラハムに買わせることに成功しました。この交渉では、エフロンの方がアブラハムよりも上手だったと言えます。

次に、【16~20節】。ここには、アブラハムが妻サラを葬るために購入した墓の場所が「マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑とその洞穴」であったことと、その場所が正式な商取引によって、確かな法的手続きによって「アブラハムの所有」となったこととが、繰り返して語られています。また、19節では、その土地が「カナン地方」の地であり、神の約束の地であることが暗示されています。わたしたちはここで、確かに神の約束のみ言葉が成就していることを確認するのです。「わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える」(17章8節)との神の約束のみ言葉が、今ここで、アブラハムがサラの墓としてカナンの地の一角を所有したことによって成就したのです。まだ、ほんの成就の初めにすぎないけれども、確かな成就であるのをわたしたちは見るのです。

そして、その墓には、後になって25章9節に書かれているように、アブラハムもまた葬られ、35章29節ではアブラハムの子イサクが葬られ、49章31節ではイサクの妻リベカとヤコブの妻レアが葬られ、50章13節ではヤコブが葬られることになったのでした。

宗教改革者カルヴァンはこう言っています。「族長たち自身は無言になってしまったが、彼らが葬られた墓は声高く叫んでいる。約束の地を手に入れるのに、死は少しも妨げにならない」。わたしたちはさらにこう言ってよいでしょう。サラの死によってこそ、族長たちの死によってこそ、あるいは彼らの死を超えて、神の約束のみ言葉は成就するのだと。

ここでわたしたちは一人の人の死によって神の救いの約束が成就したということを強調して語るべきでしょう。神の約束は死によっても無効になることはありません。否むしろ、死を通してこそ神の約束は成就されていくのです。アブラハムはサラの死によって神の約束の地を受け継ぐ者となりました。神の約束は死を超えていきます。「わたしはあなたとあなたの子孫を永遠に祝福する。わたしたあなたとあなたの子孫とに約束の地を永遠に受け継がせる」。この神の約束のみ言葉は、サラの死を超えて、またアブラハムや他の族長たちの死を超えて、実現されていくのです。

そして、わたしたちは一人の人、主イエス・キリストの死と復活によって、すべての人のための救いが実現されたということを、最後に言わざるを得ません。主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、信じるすべての人たちに神の祝福が与えられ、罪のゆるしと、来るべき神の国の世継ぎとされるとの約束が与えられていのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたはみ子主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、全世界のすべての人たちのための救いを成就してくださいました。あなたの救いの恵みは、時を超え、場所を超え、この世のすべての山や谷を超えて、前進していきます。どうか、全世界のすべての人々があなたの救いの恵みに目が開かれ、その恵みにあずかることができますように。

〇憐れみに満ちておられる天の父よ、この世界を顧みてください。深く病んでいるこの世界、傷つき、痛みと困窮の中にある多くの人々を、どうかあなたが憐れんでくださり、救いといやしを、慰めと平安をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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