7月10日説教「長子の特権を奪い取ったヤコブ」

2022年7月10日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記27章1~17節

    ヘブライ人への手紙12章14~17節

説教題:「長子の特権を奪い取ったヤコブ」

 創世記27章には、年老いたイサクの家庭の中で起こっている一連の出来事が記されています。ある聖書注解者はこれを「聖なる悲劇」と名づけています。確かに、これは悲劇と言えます。年老いた父イサクから受け継ぐべき祝福を奪い取るために、母リベカと弟息子のヤコブが結託して、父を欺き、兄を出し抜く。祝福を手に入れはしたが、兄エサウの憎しみを買って命をねらわれるようになり、ついにヤコブは家を出ることになる。家族が分断されるという結末に至る。これは家庭内で繰り広げられた悲劇であることは確かです。

 でも、これには「聖なる」というもう一つの言葉が付け加えられています。どこの家庭でも起こりえる悲劇であり、家族の分断という出来事であるのですが、しかし、そうであるにもかかわらず、これらすべての出来事の背後には主なる神がおられ、隠された神のみ手がこの家庭を導いておられる。これは神の救いの歴史、救済史の中の出来事であり、これによって神とアブラハムとの契約が継続され、神の永遠の救いのご計画が前進していくのだということを、わたしたちはあらかじめ確認しておきたいと思います。

神がアブラハムと結ばれた契約、これをアブラハム契約と言いますが、すなわち、神はアブラハムをすべて信じる人たちの祝福の源とし、彼の子孫を夜空の星の数、海の砂の数ほどに増やし、永遠にその祝福を受け継がせるであろうというアブラハム契約が、その子イサクに受け継がれ、その子ヤコブに受け継がれ、ヤコブの12人の子どもたちからなるイスラエルの民に受け継がれ、ついには、主イエス・キリストによって、全世界の主キリストを信じる教会の民へと受け継がれていくことになる、その永遠なる神の救いの歴史が、ここに描かれている家庭の悲劇をとおして、成就されていくのだということを、わたしたちはここで教えられます。神はこの家庭内の悲劇をとおして、それをお用いになって、ご自身の救いを前進されます。そして、その救いの歴史は、今日の教会の救い、わたしたち一人一人の救いと直結しているということにも気づくのです。

 27章を「聖なる悲劇」と名づけた神学者は、それによっておそらくは、こののちに起こるであろう、さらに大きな、偉大なる「聖なる悲劇」を暗示しようとしていると思われます。すなわち、アブラハム・イサク・ヤコブという族長時代から千数百年年後のエルサレムで起こった大いなる、偉大なる「聖なる悲劇」のことです。罪なき神のみ子が罪びとたちの手に渡され、十字架につけられ、殺されるというあの悲劇です。アブラハム契約の最終的な成就として神がイスラエルにお遣わしになられたメシア・キリスト・救い主を、彼らイスラエルの民は愚弄し、拒絶し、最も呪われた刑罰であった十字架刑で葬り去ろうとしたのです。

 しかし、神はこの大いなる悲劇を、「聖なる悲劇」に変えてくださいました。神はイスラエルの民の罪と背きをもお用いになられ、すべての人間たちの罪の結集であった神のみ子の十字架の死を、神はすべての国民の救いのみわざとされたのです。主イエス・キリストの十字架の福音を信じるすべての人を罪から救い、神の永遠の祝福へと、あのアブラハムに最初に約束された祝福へと招き入れると言われたアブラハム契約の成就とされたのです。主イエス・キリストの十字架の死という大いなる「聖なる悲劇」を、神はすべての信仰者の救いという大いなる福音となしたもうたのです。きょうの創世記27章のみ言葉は、そのことをわたしたちに教えています。

 箴言19章21節にこう書かれています。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」。また、詩編33編11節には、「主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く」とあります。神の永遠の救いのご計画は、人間たちの罪と反逆の中でも、世界の変化の中でも、変わることなく前進していくのです。

 では、イサクの家庭内での悲劇について、その内容を見ていきましょう。ここには一つの家族、4人の人物が登場します。イサクは年老いて、目がかすんできました。それでも、父アブラハムから受け継いだ神の祝福を自分の長男に受け継がせるという、人生最後の最も大切な務めを彼は忘れてはいません。そのこともあってかどうかははっきりしませんが、いやもしかしたら彼の単なる好みからかもしれませんが、イサクは死ぬ前に長男エサウが捕らえた獲物で、おいしい肉料理が食べたい、それを食べて、長男への祝福を与えたいと願っています。【4節】。

 次は、イサクの妻リベカです。イサクが長男エサウを愛していたのに対して、リベカはずっとエサウの弟ヤコブを愛していました。物静かで、賢く、いつも家にいて自分のそばから離れないヤコブが彼女のお気に入りであり、ヤコブをずっとこれからも自分のそばに置いておくためには、長男の特権をヤコブに受け継がせたいと願っていました。

 あとは二人の子ども、兄のエサウと弟のヤコブです。兄は活動的で、野原で狩りをするのが好きでした。でも、少し、軽はずみで、思慮が浅いところがありました。ヤコブは、生まれた時からその強い性格が現れ、双子として先に生まれた兄エサウのかかとをつかんで生まれ、兄エサウを出し抜いて長男の権利を手に入れようとしたことがこれまでにもありました。

 この4人が一つの家族を形成していました。ところが、27章で描かれているそれぞれの場面を見てみると、家族4人が一緒に対話している場面は全くないことに気づきます。すべての場面が二人だけの対話で進められています。1~4節は、父イサクと長男エサウとの対話です。死期が近づいてことを悟った父と、父の死後に長男として父からの祝福を受け継ぎ、家の財産をも相続するはずになっているエサウとの静かな対話、しかしまた深刻さを含んだ対話です。

 次の5~17節は、母リベカと弟息子イサクとの対話です。リベカはイサクとエサウとの対話を盗み聞きしていました。そうさせてはならないと、自分が愛する弟息子のヤコブに長男の権利を横取りするための相談をしています。それは、恐ろしい計略です。夫であるイサクをだまして、弟ヤコブに変装させ、兄エサウととり違いさせようとする計略です。それは当時の慣習や、それだけでなく神の選びの順序をすらも、自分の願いどおりに変えてしまおうとする悪しき策略です。11~13節の二人の対話を読んでみましょう。【11~13節】。リベカの計略は目がかすんできた夫イサクを欺くだけでなく、神をも欺くことであると、彼女は気づいているかのようです。

 18~29節の場面は、父イサクと弟息子ヤコブとの対話です。これは実際に父を欺く対話です。ヤコブは、兄エサウが獲物をとって帰るよりの先に、母リベカが調理した肉料理を持ち、兄のにおいが染みついた兄の晴れ着を着て、体には兄エサウの毛深さを偽装するための子ヤギの毛皮を巻きつけて、父の枕辺に近づきます。この偽装計画を立てたのは母リベカですが、ヤコブ自身もそれに主体的にかかわっています。【20節】。ヤコブはだました父を説得させるために神を利用しています。ついに、父はそれが兄のエサウだと勘違いして、あるいはだまされてと言うべきでしょうが、弟のイサクを祝福します。

人間たちの欺きと偽りが、彼らの計画どおりに進んでいきます。27節以下の祝福の言葉を読んでみましょう。【27~29節】。祝福すべき相手が違っていることを知っているわたしたちには、この祝福の言葉は何か空々しいと思えるかもしれませんが、しかしこれは父が神の権威のもとで、神の契約の言葉として語っている祝福の言葉であることは確かです。人間たちの欺きとだまし合いの中でも、神の祝福は失われることはありません。神の祝福は人間たちの罪の中でも、確かに語られ、受け継がれていくのです。

 30~40節は、狩りから帰ったエサウと父イサクとの対話です。エサウは父の好きな肉料理を作って、父のところに運びます。けれども、父はすでに長男に与えるべき祝福を弟のヤコブに与えてしまったことを知らせます。34節からは、そのことを知ったエサウの悲痛な叫びが書かれています。【34~37節】。エサウには神の祝福はもはや残されてはいません。彼は神の契約の民としての祝福を失ってしまいました。36章によれば、エサウはその後、神の約束の地から離れ、パレスチナ南部のセイルの山地に住むエドム人の先祖になったと伝えられています。

 41~46節は、再びリベカとヤコブの対話です。夫であり父であるイサクを欺き、偽って長男の祝福を奪い取るために共謀したリベカとヤコブ。そのことには成功したが、その結果として自分たちの罪を刈り取らなければならなくなり、現実から逃避して、家族が引き裂かれる結果とならざるを得なくされたリベカとヤコブ。しかし、ここではもはや二人の対話は成り立たなくなっています。母だけが一方的に語ります。【42~45節】。母リベカは自分が仕組んだ偽装と欺きによる行為によって、二人の息子を同時に失ってしまうかもしれないという危機感を抱いています。それを回避するためには、しばらくイサクを遠くの地に逃亡させるほかにないと考えました。44節に「しばらく」、45節には「そのうちに」と書かれていますが、リベカは数年もすればその時が来るであろうと思っていたのかもしれませんが、実際にはヤコブの逃亡期間は20年となり、母は愛する息子ヤコブの顔を二度と見ることができなくなるということは、この時点ではまだだれも気づいてはいませんでした。

 以上のように、それぞれの場面は4人のうち2人の対話で進められていくのですが、家族みんなでの話し合いは一度もありません。自分の利益のことしか考えない人間たちの集団は、家族であれ、親しいグループであれ、国家であれ、そこには群れ全体を結びつける真理はなく、分断と偽り、欺きがあるだけです。それが罪に支配されている人間集団、この世界の現実です。

 けれども、神はこの罪の世界を決してお見捨てにはなりません。その中で、ご自身の救いのご計画を進めてくださいます。神の選びは、人間たちの偽りや妬みや争いの中でも、確かに行われていきます。その確かな選びによって、神はご自身の救いのご計画を確実に進めておられます。どんな人間たちの罪や偽りや欺きによっても、神の契約は神ご自身によって固く守られ、神の救いのご計画は確実におし進められていくのです。わたしたちはそのことを信じ、どんな困難な時にも、どんなに人間たちの罪が世界を暗闇で覆いつくしても、なおも神の真理と救いのみ心を信じ、その神にお仕えしていくことができるのです。神は主イエス・キリストの福音によって、必ずや人間たちの罪に勝利され、分断と争いを取り去り、ついには世界を一つの救われた民としてくださることを信じつつ。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの永遠に変わらない真理と救いのみ心をすべての人たちに知らせてください。わたしたちの中にある傲慢やうそ偽り、憎しみや争いを、主イエス・キリストの福音によって取り除いてください。世界にまことの平和と共存をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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