8月14日説教「神の言葉によって結ばれた家族」

2022年8月14日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記6章4~9節

    ルカによる福音書8章19~21節

説教題:「神の言葉によって結ばれた家族」

 きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書8章19節のみ言葉から、主イエスが家族を持っておられたということを、わたしたちは改めて知らされます。

【19~20節】。主イエスは神のみ子、神の独り子ですが、いわば天から舞い降りてきた天使のように忽然とこの世に現れたのではありません。主イエスは地上で肉にある家族を持っておられました。母マリアと父ヨセフの長男としてこの世に誕生され、何人かの弟たち妹たちと一緒に、一つの家庭の中でお育ちになりました。マタイ福音書13章には、父の職業が大工であり、男兄弟にはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダがおり、妹たちもいたと書かれています。父ヨセフは主イエスが成人するころにはこの世を去っていたらしく、主イエスは父の職業を受け継ぎ、大工の仕事をして母マリアとその家族を支えていたと推測されています。

 このように、主イエスはわたしたちのだれもがそうであるように、家族を持ち、家族の一人として生きられました。職業を持ち、それによって家族を支えて生活されました。ヘブライ人への手紙が繰り返して書いているように、主イエスはわたしたち人間と同じお姿でこの世に来られ、罪をほかにしては、すべての点でわたしたち人間と同じになられ(ヘブライ人への手紙4章15節参照)ました。そのようにして、主イエスはわたしたち人間の中に入って来られ、わたしたちの家庭の中へ、わたしたちの職場の中へ、わたしたちの人生の中へと入って来られ、わたしたちと共に歩まれるメシア・救い主として、いわばわたしたちの罪のただ中へと入って来られ、罪の中にいたわたしたち一人一人を罪から救い出される救い主としてお働きになられたのです。

 ところで、ローマ・カトリック教会はマリアを崇拝する誤った信仰によって、マリアが永遠に処女であったという根拠のない説をとなえ、きょうの個所や他の福音書にも書かれている「兄弟たち」とはマリアが産んだ子ではなく、マリアの親戚の子であると説明しています。しかし、それは聖書には何の根拠もない作り話であるだけでなく、マリアを崇拝するあまり、主イエスがわたしたち人間と同じお姿でこの世においでになり、わたしたち一人一人と歩みを共にされた救い主であるという事実を薄めてしまい、主イエスの救いそのものの恵みの豊かさを小さくしていると言わなければなりません。わたしたちプロテスタント教会はマリア崇拝とそれにかかわる諸説に対しては反対しています。

 では、主イエスはそのような家族とのつながりの中で、どのように生きられたのでしょうか。また、わたしたちが今持っている家族とのつながりの中で、どのように生きるべきなのでしょうか。きょう与えられたみ言葉から聞き取っていきたいと思います。

 ルカ福音書のこの個所は、並行個所であるマタイ、マルコ福音書に比べると、半分ないしは3分の2ほどに短くなっています。マタイ福音書12章46~50節、マルコ福音書3章31~35節の方では状況がもう少し詳しく書かれていますので、それらを参考にして読んでいきましょう。

 19節で「母と兄弟たち」とあり、父ヨセフが出てきませんので、すでに世を去っていたと思われます。彼らが何のために主イエスに会いに来たのか、その理由は容易に推測できます。一家の大黒柱として働いてきた長男が、ある時に家を出て、宗教活動にのめりこみ、家に帰らなくなったとすれば、心配して家に連れ帰ろうとするのがこの世の親であり、家族でしょう。マリアと兄弟たちも同じような考えで主イエスを探しに来たのであろうと思われます。マルコ福音書3章21節には、「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」と書かれています。

母マリアをはじめ兄弟たちはこの時にはまだ主イエスが神から遣わされたメシア・救い主であるということに気づいてはおらず、信じてもいませんでしたので、この世の家族が考えるのと同じように主イエスを見ていたのでした。わたしたちがのちに知らされるように、母マリアや兄弟たちが主イエスを救い主と信じたのは、主イエスの十字架と復活のあとであったということが、使徒言行録や使徒パウロの書簡に書かれています。主イエスの兄弟ヤコブは初代エルサレム教会の中心人物として仕えたことが知られています。

 さて、母マリアと兄弟たちが主イエスを探しに来た時、主イエスは群衆に囲まれ、神の国の福音の説教をしておられました。19節後半に「群衆のために近づくことができなかった」と書かれていますが、彼らが主イエスの説教を聞くために近づこうとしていたのではなかったということは、次の20節からも明らかです。マタイとマルコ福音書では、最初から彼らは群衆の外に立って、人をやって主イエスを呼ばせたとはっきりと書いてありますので、彼らに主イエスの説教を聞く意志が全くなかったということがここからもはっきりします。主イエスの家族は主イエスから最も離れた位置に立っています。彼らはファリサイ派や律法学者のように主イエスと論争するために近づいて来るのではありませんが、徴税人や、病める人、罪びととして非難されている人々のように救いを求めて主イエスに近づくのでもありません。群衆のように主イエスを取り囲んで主イエスの説教を聞くのでもありません。群衆の外に立って、しかも自分たちは主イエスの家族であり、最も近い関係にあると思い込んでいます。そうであるゆえに、自分たちには主イエスの説教を中断させる権利があるとさえ考えているのです。

 しかし、実は彼らが主イエスに最も近い関係にあると思っていた家族の関係、肉にある関係こそが、彼らを主イエスから、主イエスのみ言葉の説教を聞くことから遠ざけていたということをわたしたちは知らされます。人間の肉にある関係の近さが、かえってわたしたちを主イエスの福音から遠ざけることになるということを、主イエスご自身が最もよく知っておられました。

それゆえに、主イエスはマタイ福音書10章34節以下で、大胆にもこのように言われたのです。【34~39節】(19ページ)。また、19章29節ではこう言われました。【29節】(38ページ)。主イエスは神の国の福音の妨げになる家族という肉にある関係をひとたび断ち切るためにこの世においでになられました。わたしたち人間がその中でぬくぬくと安住している偽りの平和を打ち砕くために、鋭い剣を地上に投げ込まれました。わたしたちが神の国を受け継ぎ、永遠の生命を与えられるために、家族という肉の関係を、財産というこの世の朽ちるものをひとたび捨てるようにとお命じになるのです。

それは、何と厳しいお言葉でしょうか。古くから家族という血や肉によるつながりを大切にしてきたわたしたち日本人にとって、それは非常に衝撃的で、また攻撃的な言葉でもあります。明治の初期に、プロテスタント信仰が初めて日本に入ってきたころ、多くの日本人が聖書のこのみ言葉を聞いて、キリスト教は家庭を破壊する邪教であると誤解したと伝えられていますが、同じような誤解は今でも起こり得ます。

 けれども、よく考えてみれば、それはある意味では誤解ではなく、真理を含んでいるのではないでしょうか。ただ、誤解だと言えるのは、キリスト教が家族関係を破壊することだけを目的としていると考えた点については誤解だと言わなければなりませんが、主イエスが最終的に目指しておられたのは、わたしたちの肉にある関係を破壊することによって、永遠の幸いに満ちた霊による関係を築くためなのであり、偽りの平和を打ち砕くのは、真の、永遠の平和をわたしたちの間に築くためなのであるという真理を、わたしたちはそこに見いだすことができるからです。

 きょうのみ言葉の最後、21節を読みましょう。【21節】。ここに、新しい家族関係があります。神のみ言葉を共に聞き、それに聞き従い、共に神のみ言葉に生きることによって結ばれた新しい家族があります。神の家族、主イエス・キリストによる、神のみ言葉と神の霊によって固く結ばれた新しい家族がここに築かれます。そしてここにこそ、救われた者たちの本当の喜びと平安と感謝に満たされた、共に生きる交わりの生活があります。

 肉にある家族という関係には本当の救いはありません。むしろ、それは主イエス・キリストの福音による救いを妨げます。わたしたちはその肉にある家族という関係から解放されなければなりません。否、主イエス・キリストの福音がわたしたちをすべての肉の関係から自由にするのです。そして、神のみ言葉を聞くことによって一つの群れに結びつけられ、主イエスの福音によって共に生きる新しい人間関係を可能にするのです。

 主イエスは十字架におつきになり、ご自身の肉の死によって人間のすべての肉なるものの関係とその力とを滅ぼされました。そして、復活して、すべての肉なるものの支配と力とに勝利されました。この主イエスの十字架の福音を信じ、主イエスの勝利にあずかる者にとっては、肉はもはや力を持ちません。霊による関係が肉による関係に勝利しているからです。

 そして、それまでは肉にあって対立していた者たちが、霊によって兄弟姉妹とされ、神の家族とされているのです。肉にあっては破れ、傷ついていた者たちは、再び破られることのない霊の関係によって一つの群れとされるのです。わたしたちが主の日の礼拝で神のみ言葉を共に聞くことは、そのような新しい霊による関係、神の家族としての関係の基礎であり。出発点なのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、なたが主イエス・キリストの十字架と復活によって築いてくださったわたしたちの霊の関係を、いよいよ固くし、強くしてください。さまざまに分裂しているこの世界にあって、あなたが一つの霊によって真実の和解と一致とを与えてください。全世界のすべての国民を、霊によって結ばれた一つの神の家族としてください。

○天の神よ、病んでいる人をいやしてください。弱っている人を励ましてください。苦しんでいる人の重荷を取り去ってください。暗闇で迷っている人をまことの光で照らしてください。そして、罪の中にあるすべての人を罪から救ってください。

○日本とアジアと全世界に、まことの平和を与えてください。わたしたち一人一人を平和を造り出す人たちとしてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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