10月23日説教「エルサレムの教会に対する大迫害と教会の成長」

2022年10月23日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記1章6~14節

    使徒言行録1~8節

説教題:「エルサレム教会に対する大迫害と教会の成長」

 キリスト教会最初の殉教者となったステファノの死は、誕生して間もないエルサレム教会にとって、どんなにか大きな衝撃であり、試練であったことでしょうか。教会はこれまでも二度の迫害を経験していました。一度目は、4章1節以下、ペトロとヨハネが捕らえられ、裁判にかけられました。二度目は、5章17節以下、12人の使徒たち全員が逮捕され、迫害が広げられました。そして今回は、エルサレム教会で選ばれた7人の奉仕者たちの一人ステファノが石打の刑で処刑され、教会員の血が流されるという、より深刻で、衝撃的な迫害となったのです。

 しかし、初代教会が受けた迫害はこれにとどまりませんでした。8章1節にこのように書かれています。【1節】。最初の殉教者ステファノの死は、同じ日に起こったエルサレム教会に対する大迫害の合図となったのです。使徒言行録では、この個所で初めて「迫害」という言葉が用いられます。しかも、それに「大」を付けて「大迫害が起こった」と書かれています。ステファノの死と教会員のエルサレム市内からの追放という二重の大きな試練が、エルサレム教会を襲ったのです。教会はこの試練にどのように立ち向かったのでしょうか。教会はこの試練の中で、どのようにしてなお生き延びることができるのでしょうか。使徒言行録を読むこんにちのわたしたちにも、大きな緊張感が走ります。

 「使徒たちのほかは皆」と書かれています。使徒たちとは主イエスの弟子であった12人を指しますが、彼らはエルサレムに留まることがゆるされたけれども、それ以外の教会員は、おそらくこのころは少なくとも5千人の教会員はいたと推測されますが、その全部がエルサレム市内から追放されたということを言うのか。そうなれば、エルサレム教会の存続そのものが不可能になるのではないかと思われます。ところが、このあとの使徒言行録にはエルサレム教会にある程度の教会員が残っていたと思われる記述がいくつかありますので、「ほかは皆」という表現は「ある特定のグループは皆」という意味ではないかと多くの研究者は考えています。

 エルサレム教会には、生まれた時からエルサレムを離れずに住んでいたユダヤ人、彼らはヘブライ語を話していたのですが、その人たちをヘブライストと一般的に呼びます。彼らのほかに、一度エルサレムから諸外国に出て行き、最近になってエルサレムに戻って来た、ギリシャ語を話すヘレニストと言われるユダヤ人とが住んでいて、エルサレム教会の中でもやもめたちの日々の分配のことでその両者に多少の争いがあったということが6章に書かれていました。その問題解決のために選ばれた7人の奉仕者の一人がステファノでした。当時のこのようないきさつから推測して、エルサレム市内の住民の間でも、もとからこの町に住んでいたヘブライストと諸外国から戻って来たヘレニストとの間にある種の軋轢があったのではないか。それが、今回のステファノの死刑判決と殉教がきっかけとなり、ステファノはヘレニストだったと思われますので、エルサレム教会のギリシャ語を話すヘレニストと言われる教会員の追放になったのではないか。しかし、ヘブライ語を話すヘブライスト、12人の使徒たちもそうですが、彼らはエルサレム市内に留まることをゆるされた、というのが実態ではないかと、多くの研究者は推測しています。

 しかし、そうであるとしても、この大迫害がエルサレム教会に与えた打撃は限りなく大きいものでした。教会の有能な働き人であったステファノを失いました。他の6人の奉仕者も、その名前から推測してみなヘレニストでしたから、ギリシャ語を話すヘレニストの教会員と一緒に追放されました。少しずつ整えられつつあった教会の体制は、一気に崩されてしまいました。教会はこの危機をどのようにして乗り越えていくのでしょうか。

 【2節】。「信仰深い人たち」については二つの理解ができます。一つは、ユダヤ教の信者たちで、信仰深い人々。もう一つは、エルサレムに残っているキリスト教の信者たち。いずれにしても、ここで強調されていることは、ステファノの殉教の最後の姿に真実な信仰を見た人たちが多くいたということです。主イエスの十字架の死の場面を見たローマ軍の百人隊長が、「本当にこの人は神の子だった」と告白したように(マルコ福音書15章39節)、石打の刑で処刑されながら徹底して神への信仰を貫き通し、それのみか自分を裁いているユダヤ人指導者たちの罪のゆるしを祈っているステファノの姿は、多くの人の心を打ち、彼の遺体を手厚く葬るという行動へと至らせたのです。処刑された犯罪人に対しては、公然と葬儀を行ったり、死者への悲しみを面に出したりすることは禁じられていたにもかかわらず、彼らはステファノを処刑したユダヤ人指導者者たちへの抗議でもあるかのように、彼の死を悲しんだということがここには言い表されています。

 誕生して間もない若い教会は、この世からの迫害に対抗して身を守る術を何も持っていません。反撃したり、抗議したりする力もありません。教会は弱く、貧しく、無力であるように見えます。迫害の血を流し、この世から追放されるほかにない、憐れな群れであるかのように見えます。けれども、教会は迫害によってもこの世界から撤退することはなく、消え去ってしまうこともありません。むしろ、人間的な弱さの中にこそ、教会の本当の力と命が、それは天の父なる神から与えられるのですが、その力と命が現れ出るのです。

 次に、【4節】。大迫害によりエルサレム市内と教会から追い出された信仰者たちは、決して信仰そのものを失ってしまったのではありませんでした。信仰を捨てて、再びこの世の朽ち果てるものを追い求める生活へと戻っていったのでもありませんでした。彼らは神のみ言葉を捨てたのではありません。主イエス・キリストの福音を語る口を閉ざしたのではありません。いや、むしろ、散らされた信仰者たちによって、主イエス・キリストの福音の種がより広い地域へ蒔かれることになったのです。

 宗教改革者カルヴァンは注解書の中でこのように書いています。「このように、彼らの神はやみの中から光を、死から命を引き出すのを常となさった。というのは、一つの場所でしか聞かれなかった福音の声が、今や至る所で鳴り響くからである」。主キリストの福音がエルサレムからパレスチナ全域へと、さらには全世界へと拡大されていくきっかけが、実にエルサレム教会が経験した大迫害だったのだということを、わたしたちは知らされるのです。

 彼らは必ずしも自ら進んで福音の種をまくために出て行ったのでありませんでした。エルサレムからの強制退去によって、いわば外からの圧力に強いられて出て行ったのでした。また、追い出された彼らは、次の迫害を恐れてどこかに身を隠したり、この世から姿を消して部屋の中に閉じこもっていたのでもありませんでした。彼らは神のみ言葉を宣べ伝えながら、巡り歩いたと書かれています。大迫害を経験した彼らにとっても、神の言葉は決してこの世の鎖につながれてはいませんでした。この世からの圧力によってもその力と命を失ってはいませんでした。人間の弱さ、教会の弱さの中でこそ、神のみ言葉はその偉大な力と命を発揮するのです。神のみ言葉はエルサレムだけにとどまらず、ユダヤ全域に、北の異邦人の地サマリアへ、さらにはパレスチナ全域を行きめぐり、小アジアからヨーロッパへと拡大されていくのです。

 このようにして、1章8節で、復活された主イエスが弟子たちにお命じになったみ言葉、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」との約束のみ言葉が、エルサレム教会を襲った大迫害をとおして成就されていくのです。これはまさに神の奇跡のみわざです。

 8章1節と4節に「散って行った」という言葉がありますが、これは元のギリシャ語は文法的には受動態で「散らされていった」という意味です。意味上の主語は何かと考えるなら、教会を迫害したユダヤ人指導者たちが挙げられるかもしれませんが、以前にもお話したように、聖書では受動態で意味上の主語がはっきり語られない場合の多くは神が主語と考えられています。ここでもそのように理解すべきです。信仰者たちをユダヤ、サマリアとパレスチナ全域へ、さらには全世界へと散らし、その散らされた地で神のみ言葉を宣べ伝えさせ、主キリストの福音を語らせたのは、神ご自身なのです。彼らを導かれたのは聖霊なる神なのです。1章8節で、主イエスが「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、……地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われたのは、そのことであったのです。たとえ、人間的な弱さと教会の無力さの中にあっても、否むしろ、そのような時にこそ、神はその偉大な力と命とを発揮なさいます。

 きょうの聖書の個所で、もう一つ目を引くことがあります。それは、ここにサウロという名前が何度も出てくるということです。ステファノの処刑の時、7章58節で、8章1節と3節、計3回もサウロの名前が挙げられています。もちろん、サウロはのちの使徒パウロのことです。エルサレム教会が経験した最初の殉教者と大迫害のこの場面にパウロの名前がたびたび出てくる。7章58節ではステファノの石打ちの刑のわき役として、8章1節ではステファノ殺害に責任を持つ一人として、そして8章3節では、教会迫害の張本人として、それどころか迫害運動の首謀者として、その名前が挙げられています。

 使徒パウロのその後の活動をよく知っているわたしたちは、ここに登場してくる教会の迫害者であったサウロ・パウロがやがて人間の目には図り知ることのできない神の深いみ心と、永遠の救いのご計画によって、教会の偉大な宣教者とされるという、神の大きな奇跡のみわざを思い知らされるのです。パウロは使徒言行録22章19節以下で、ダマスコで復活の主イエス・キリストに出会い、回心した時のことを回想しています。【22章19~21節】(259ページ)。

 神はエルサレム教会が経験した最初の殉教者の血と大迫害をお用いになって、主イエス・キリストの福音と教会を全世界へと拡大していくきっかけをお与えになったように、神はまた、教会の迫害者パウロをもお用いになって、主イエス・キリストの福音と教会とを全世界へと拡大していく具体的な道をお備えになったのです。カルヴァンが言ったように、神は闇から光を創造され、死から命を生み出され、無から有を呼び出だされたのです。

 わたしたちもまたこの神を信じる信仰へと招かれています。主イエス・キリストの十字架の死と三日目の復活によって、わたしたちを罪から救い、罪によって死すべきわたしたちを永遠の命に生かしてくださる神を信じる信仰へと招かれています。そして、この主キリストの福音を全世界に宣べ伝える宣教の務めへと招かれているのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたがみ子の血によって贖い取ってくださったあなたの教会の民を、どうかみ国の完成の時まで守り、導いてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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