11月6日説教「ヤコブの帰郷」

2022年11月6日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記31章1~21節

    ヘブライ人への手紙13章1~6節

説教題:「ヤコブの帰郷」

 創世記31章3節にこのように書かれています。【3節】。ヤコブは伯父ラバンの家での20年間の生活を終えて、故郷のカナンの地へ帰るようにとの神の命令を聞きました。この章には、1~22節までは、ヤコブがラバンの家から逃げ出すようにして旅立っていく時の様子と、23~42節までは、ヤコブが家族みんなを引き連れて家を出て行ったことを知ったラバンが三日後にヤコブの後を追って行き、追いついてからの二人のやり取りについて、そして43~54節までは、ヤコブとラバンが平和的に分かれることになったことを記念して二人が結んだ契約について描かれています。長い1章なので、朗読は21節までにしました。

 この章に描かれている内容の多くは、ヤコブとラバン、どちらも計算高く、悪賢く、自分の利益のために相手を欺くことしか考えないような、二人の男性の人間的で世俗的な会話と物語ですが、しかし聖書はそのような人間たちをお用いになって、ご自身の永遠の救いのみわざを成し遂げられる主なる神について語っています。わたしたちはこの章からも、アブラハム、イサク、ヤコブをお選びになってご自身の救いのみわざをお始めになった主なる神が、やがてヤコブの12人の子どもたちからなるイスラエルの民をとおして、そのみわざを前進させ、そしてついに、イスラエルの民の死にかけた切り株から出たメシア・救い主・イエス・キリストによってその救いのみわざを成就されるに至るまでの、永遠なる神の救いのみわざを、この31章からもわたしたちは読み取っていくことができます。

 今読んだ31章3節こそが、まず最初にそのことを語っています。ヤコブに故郷へ帰るようにとお命じになったのは神です。ヤコブ自身も、自分はもう十分に伯父ラバンのために働いたし、父イサクの家を出てから長い年月が過ぎたので、そろそろ故郷へ帰りたいと願ってはいました。しかし、それをお命じになるのは神ご自身です。

ヤコブはラバンの家で、愛する妻ラケルとの結婚のために7年間、働きました。けれども、ラバンに欺かれて、妹のレアと結婚させられ、ラケルを正式な妻とするために、さらに7年間働くことになりました。それから、30章25~43節に書かれているように、ラバンの家畜を養うためにもう6年間、計20年間、ラバンの家で、ラバンのために働かなければなりませんでした。そのようにして、ラバンのもとで、その家の主人のために、誠実に働き、ラバンのたび重なる欺きをも忍耐し、人生と信仰の訓練を積み重ね、そのようにして今、故郷に帰れとの神のご命令をヤコブは聞いたのです。彼はこの時が満ちるまで待たなければなりませんでした。いつも、どのような時にもヤコブと共にいてくださる神が、その時を満たしたくださるからです。

 30章25節以下に書かれているヤコブの6年間の働きのことを少し振り返ってみたます。25~26節で、ヤコブはラバンにこのように言います。【25~26節】。ところが、この時にはまだ神がお定めになった時は満ちていませんでした。故郷へ帰るのはヤコブの願いではなく、神のみ心です。ヤコブが独り立ちするためではなく、神がアブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約を実行されるためです。

 ラバンはヤコブが故郷に帰りたい希望を持っていることを知り、ヤコブに報酬を支払いたいからと言って、さらに6年間、自分の家畜の群れを養うという約束を結ばせました。これもラバンの策略でした。ヤコブが彼自身の家畜を財産として持ち帰ることができるまで、なおしばらく家畜の世話をしなければならなくなり、その間自分の家畜の世話をもしてもらえるとラバンは考えました。

 ところが、賢さにおいては、ヤコブが一枚も二枚も上でした。ヤコブは、羊と山羊の中で、白い毛の中に黒い毛がぶちやまだらになっているものだけを自分の財産として持ち帰らせてくださいとラバンにお願いします。羊も山羊もほとんどは白く、ぶちやまだらはごくわずかなので、ラバンはすぐに承知しました。次にヤコブは、家畜の水飲み場に、ポプラなどの若枝の皮を一部はぎ、縞模様を造ってそれを置き、家畜が水を飲みに来てそこで交尾をする特に、その縞模様を見ると、生まれてくる子羊、子ヤギがみなぶちやまだらになり、ヤコブの家畜だけが増えたので、ヤコブは6年間で多くの家畜や財産を持つようになったと、

30章の終わりに書かれています。

 古代社会では、人間も家畜も妊娠した初期に見たものが生まれてくる子どもの性格や外見に影響を与えるという考えがあったようです。今日でも、いわゆる「胎教」というような形でその考えが受け継がれていると言われます。ヤコブの賢さがラバンに勝りました。きょう読んだ箇所で、ヤコブは二人の妻ラケルとレアを呼んで、にこのように言っています。【5~9節】。ヤコブは自分の家畜が増えたのは、神が自分と共にいてくださり、神がラバンから取り上げてわたしにお与えになったからだと言っています。ヤコブの知恵は神から与えられた知恵なのだと聖書は言っているように思われます。【11~13節】。

 ヤコブが二人の妻を自分のもとに呼んで、しかも彼女たちの父ラバンには気づかれないようにして、このような話をしていることには理由がありました。ヤコブはラバンには内緒にして家を出て行こうとしています。もし、家を出ると言えば、また引き止められるかもしれず、また自分が増やした財産を置いて行けと言われるかもしれないからです。それ以上に不安なのが、ラバンが二人の娘ラケルとレアを自分と一緒に出て行くことをゆるしてくれるかどうか、いやそもそもラケルとレア自身がそう願っているかどうかが分からなかったからです。ヤコブもラケルとレアも、大きな家族であるラバンの家に属しています。本来ならば、ラケルの同意なしには家を出て行くことはできないと、当時の社会では考えられていました。

 二人の妻ラケルとレアに対するヤコブの不安はすぐに解消されました。二人は父であるラバンが自分たちの夫であるヤコブにつらく当たっていたのを見ていました。ヤコブが誠実に父の家で働く姿も見ていました。彼女たちは父に内緒で夫ヤコブと共にラバンの家を出ることに賛成します。その時、ラケルはラバンの家の守り神である像を盗んで持ち帰りました。

 22節から、ヤコブ一家が家を出て行ったことに気づいたラバンの追跡が始まります。三日目にそれに気づいたラバンは、七日かけてヤコブに追いつきました。その前の日の夜、神が夢でラバンに語りました。【24節】。そのことが、ラバン自身の口からも語られます。【29~30節】。ラバンは自分に告げずに家を出て行ったヤコブに何らかの罰を加えることもできたのに、それをしないのはアブラハム・イサク・ヤコブの神が自分にそのように命じられたからだと言っています。ラバンもまたアブラハム・イサク・ヤコブの神のご支配のもとにあることを、そしてイサクがこの神の導きのもとにあることを知らされました。ヤコブの20年間の逃亡生活の中で、すべてを支配し、導いておられたのが主なる神であり、家の主人であるラバンではなかったということが、ラバン自身にも、また聖書を読んでいるわたしたちにも、はっきりと知らされたのです。

 ここで、ラケルが持ち帰った家の守り神の像のことが取り上げられています。ラバンは必死になってそれを見つけようとしますが、ラケルの機転によって、彼女がその像をラクダの鞍の下に隠し、その上に自分が座っていたので、ラバンに発見されずに済みました。このことを契機に、自分が家の像を盗んだと非難されたヤコブが、ラバンに対して反撃攻勢をかけ、彼に抗議します。

 【36~42節】。ここには、遠くハランの地の伯父ラバンのもとで逃亡生活をしたヤコブの20年間の意味は何であったのか、その目的は何であったのか、そのすべては神が備えられたものですが、それが明らかにされています。神はヤコブにこのことを悟らせるために、この20年間の信仰の訓練の時を、試練と忍耐の時を備えられたのです。ヤコブの傲慢で人を欺く悪しき知恵を打ち砕くため、自己中心的で、他者の権利を奪い取ってでも自分のものにしようとする彼の自我を打ち砕くために、神はヤコブにこの20年間を備えたもうたのです。

 43節からは、ヤコブとラバンが和解したことを確かな証拠として残す契約の儀式のことが描かれています。この儀式には、古代の近東地方の契約の儀式の慣習がいくつか見ることができます。また、その形式はのちのイスラエルの礼拝に受け継がれ、さらには今日の教会の礼拝にも受け継がれています。その特徴のいくつかを挙げてみましょう。

 一つは、神がその契約の証人となるということです。49節、50節でラバンはこう言います。【49~50節】。ラバンはここでヤコブの神をのちモーセの時代に名づけられる「主」というお名前で呼んでいます。53節でもラバンとヤコブが共にそれぞれの神を契約の証人とすることが語られています。【53節】。永遠なる神、真実なる神のみ前にあって、人間と人間との間の契約の真実性が保証されます。イスラエルの礼拝において、またわたしたちの礼拝において、永遠なる神、真実なる神のみ言葉が語られ、そのみ言葉が神による罪のゆるしを与え、その罪のゆるしの確かさを保証するのです。

 第二には、動物のいけにえがささげられることです。【54節】。ここには詳しくは書かれていませんが、おそらく動物の血が両者の間の契約の確かさを保証していたと考えられます。さらには、そのささげられた犠牲の動物の肉を共に食することによって、契約当事者間の交わり、和解が確かめられます。46節にも共同の食事のことが語られています。これらの形式は、イスラエルの礼拝の形式として受け継がれ、主イエス・キリストによって、わたしたちの教会の礼拝のために成就されたということをわたしたちは知っています。

 第三に、契約の記念として石塚や記念碑が建てられ、それが契約の目に見えるしるしとされるということです。それが、その地の名称の由来にもなっています。

 このようにして、ヤコブとラバンは平和的に20年間の共同生活を終えて、ヤコブは故郷の地、カナンへと帰ることがゆるされました。そして、ヤコブとエサウとの再会、ゆるし合いへと続きます。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたは和解の主、平和の主、すべてのものを一つに結びつける主であられます。あなたは、あなたとわたしたち人間との間にあった罪という厚い壁を打ち破って、わたしたち人間と和解してくださいました。その和解のために、あなたの御独り子の血を犠牲としておささげくださいました。それによって、わたしたちはあなたとの永遠の和解を与えられ、あなたの民としてみ国へと招き入れられておりますことを覚え、心から感謝いたします。

○主なる神よ、どうかわたしたち全人類に真実の和解と一致をお与えください。この世界から争いや憎しみ、分断や差別を取り除いてくださり、互いに仕え合い、互いに重荷を負い合い、互いに痛みを分かち合う真実の交わりと共に生きる道をお備えくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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