5月7日説教「ダマスコで宣教したパウロ」

2023年5月7日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:エレミヤ書18章1~10節

    使徒言行録9章19b~25節

説教題:「ダマスコで宣教したパウロ」

 キリスト教会の迫害者であったサウロ、のちのパウロは、ユダヤ教の大祭司からの委任状を携えて、エルサレムから北へ200キロメートルも離れているシリア州ダマスコへ向かいました。その町に住むキリスト者を捕らえて、エルサレムへ連行するためでした。ところが、ダマスコの町の入口で、突然天からの強い光に照らされたパウロは地に倒れ、復活された主イエスのみ声を聞きました。これが、迫害者パウロと迫害されていた主イエスとの劇的な出会いでした。この時から、パウロはキリスト教会の迫害者からキリスト教会の宣教者、使徒パウロに変えられたのです。わたしたちの罪のための十字架に付けられ、三日目に復活されて、罪と死とに勝利された主イエス・キリストが、古いユダヤ教の律法に生きていたパウロをひとたび滅ぼし、死なせ、新しく主キリストの福音によって生きるパウロとして、再び生き返らせてくださったのです。ユダヤ教の律法の奴隷であったパウロを、主キリストの福音によって開放し、自由と喜びをもって主キリストの福音を宣べ伝える宣教者、使徒としてくださったのです。

 使徒言行録9章19節後半から20節にはこのように書かれています。【19節b~20節】。19節から30節によれば、パウロは復活の主イエスと出会って使徒となってからしばらくの間、ダマスコにとどまり、主イエスの福音を語り伝え、そののち、その町でユダヤ人によって命を狙われるようになり、ダマスコを脱出してエルサレムに向かい、それからカイサリアで船に乗り、パウロの故郷である小アジア地方タルソスへ行ったと書かれています。

 ところが、ガラテヤの信徒への手紙1章13節以下では、ダマスコで復活の主イエスによって異邦人のための宣教者とされた時、パウロはすぐにアラビヤへ行き、それからダマスコに戻ってきて、その後3年してからエルサレムの使徒たちに会ったと彼自身が書いています。

 使徒言行録とガラテヤの信徒への手紙には調整することができない違いがありますが、この違いはそれぞれの強調点の違いと見ることができると思います。使徒言行録では、キリスト教会の迫害者であったパウロが、突然に180度方向転換をしてキリスト教の宣教者となり、ユダヤ人キリスト者を迫害するために行った町で、すぐに主イエス・キリストの福音をその町にいるユダヤ人に宣べ伝えたということが強調されています。それに対して、ガラテヤの信徒への手紙では、ユダヤ人以外の異邦人のための使徒として召されたパウロが、主イエスご命令を受けてすぐに異邦人の地アラビヤにでかけて行き、そこで福音を宣教したということが強調されています。

 では、使徒言行録で強調されている迫害者パウロが迫害されるパウロに変わっていった次第について学んでいきましょう。19節に、「ダマスコの弟子たち」とあることから明らかなように、この町はシリア州にあり、イスラエルの外の異邦人の地ですが、そこにはかなりのキリスト者がいたことが分ります。8章1節に書かれていたエルサレム教会に起こった大迫害で、エルサレム市内から追放されたキリスト者もその中にはいたと推測されます。もっとも、よく考えてみますと、パウロはそのキリスト者を迫害するためにダマスコに来たわけですから、それは当然と言えば当然なのですが、さらに続けて、パウロは彼らと「一緒にいて」と書かれていることは、実は驚くべき情況であることに気づかされます。迫害しようとしていた人と迫害されるべきであった人たちが、今や一緒にいるからです。共に主イエス・キリストの福音を宣べ伝えているからです。主イエスの福音が敵対していた人間たちを一つに結びつけ、共に福音のために仕える同労者とするという実例を、ここで確認することができます。

 20節の「会堂」(ギリシャ語ではシュナゴーゲー、シナゴーグですが)はキリスト者の集会を指す場合もありますが、ここではユダヤ教の会堂と理解すべきです。ダマスコには離散のユダヤ人(デアスポラ)がたくさん住んでいて、ユダヤ教の会堂がいくつもあったことが分ります。パウロはまずそこで主キリストの福音を語りました。それは、13章以下で、パウロが計3回の世界伝道旅行にでかけて、町々で宣教活動を開始する際と同じやり方です。世界の至る地域にデアスポラのユダヤ人がいましたから、パウロは新しい町に入ると、まずユダヤ人会堂を探して、そこで福音を語りました。

 パウロは異邦人伝道の使徒として召されたという強い自覚をもっていました。また、それが復活の主イエスと出会った時の主のご命令であったということが15節に書かれていました。そうであるにもかかわらず、彼がまずユダヤ人に主キリストの福音を語ったことには理由がありました。それは、神がまず全世界の中からイスラエルの民ユダヤ人をお選びになり、ご自身の契約の民とされたからです。パウロは神のこのような救いの秩序、救いのご計画を重んじました。先に選ばれたユダヤ人をとおして,あるいは、彼らのつまずきをとおして、神はさらにユダヤ人以外の異邦人へと救いのみ手を広げられたのです。そして今や、主イエス・キリストの十字架の福音によって、全世界のすべての人が救いへと招かれているのです。

 「この人こそ神の子である」。これがダマスコでの、キリスト者となって最初のパウロの宣教の中心的メッセージでした。これはパウロの最初の信仰告白であると言えます。ナザレで生まれ育ち、ガリラヤで神の国の福音を説教し、エルサレムで捕らえられ、十字架で裁かれ、死んで葬られ、三日目に復活された主イエス、この方こそが神のみ子であり、神の救いのご計画を成就された方であるという告白です。これまで、ユダヤ教ファリサイ派の指導者として、律法に生きてきたパウロが、今や「主イエスこそが神のみ子である」という信仰告白によって生きるキリスト者とされているのです。

22節には、「イエスがメシアである」という信仰告白があります。これらの告白と共に、「イエスは主である」という告白が、パウロと初代教会の信仰告白の中心、骨格を形成しています。「イエスは主である」。「イエスは神の子である」。「イエスはメシアである」。これらの告白を土台にして、のちに『使徒信条』が形成され、また『日本キリスト教会信仰の告白』が作成されています。

次に、【21節】。人々の驚きは、まさに神の奇跡を見た驚きであると言ってよいでしょう。神は、十字架に付けられ、復活された主イエスによって、教会の迫害者であったパウロを、教会の宣教者パウロへと造り替えてくださったのです。さらにはまた、ユダヤ教の律法に違反し、エルサレム神殿を汚し、神を冒涜した罪で裁かれた主イエスを、その裁いた側に立っていたパウロによって、神のみ心を行う神のみ子であると告白されていることへの驚きでもありました。それは、主イエスを十字架につけて裁こうとしたユダヤ人指導者たちの行動が間違っていたことを暗示するものでもありました。

「この名を呼び求める者たち」とはキリスト者たち、クリスチャンの別名です。キリスト者以外のユダヤ人は、イエスとかキリストというお名前を口に出すことを恐れて、「この名」と表現しました。うっかり、イエスとかキリストというお名前を口にしたら、その方の力が自分に及んでくるかもしれないと考えたからです。主イエス・キリストというお名前にはそのような偉大な神の力が働いていると考えられていました。主イエスを信じないユダヤ人はそのことを恐れていました。けれども、わたしたちキリスト者はこの方のお名前が持つ救いの力を信じ、この方のお名前によって洗礼を授けられました。

 【22節】。パウロはユダヤ人の不信仰と批判や攻撃を少しも恐れません。それによって、福音を語ることをやめることは決してありません。むしろ、彼は日々に新たな力を与えられて、主イエス・キリストの福音を語り続けました。神のみ言葉は、この世のどのような鎖によっても決してつながれることはないからです。

 「イエスはメシアである」という告白についてもう少し詳しく見ていきましょう。メシアとは、以前にもお話ししましたように「油注がれた者」という意味のヘブライ語です。キリストはそのギリシャ語訳です。日本語では「救い主」と訳されます。旧約聖書の民イスラエルは,長い苦難と迫害の歴史の中で、神は終わりの日に、イスラエルと全世界のすべての民のためのまことの救い主をこの世にお遣わしくださるであろうということを信じ、待ち望んでいました。その救い主を、まことの、永遠の預言者であり、まことの、永遠の祭司であり、そして、まことの、永遠の王である「油注がれた者」・メシアと呼びました。主イエスこそが旧約聖書で預言されたそのメシアであるという信仰告白です。このメシア・キリスト・救い主によって、神の永遠の救いのご計画が成就されたのです。このメシア・キリスト・救い主に、すべての人の、わたしの救いがあるのです。

 パウロはこれまで熱心なユダヤ教徒そして、ファリサイ派律法学者として、神の律法を一つ一つ守り行うことによって救われる、神の国に入ることができると考えていました。そのために努力してきました。けれども、そうではない。わたしがわたしの力や知恵や努力によってわたしの救いを手に入れるのではない。わたしの救いのために、わたしに代わって、十字架で死んでくださり、ご自身の尊い命をわたしのためにささげつくされた主イエス・キリストによってこそ、またこの主イエス・キリストによってのみ、わたしは罪ゆるされ、神の国での永遠の命の保証が与えられている、この信仰こそがわたしの確かな、そして唯一の救いなのです。

 【23~25節】。サウロ、のちのパウロはユダヤ人にとっては裏切り者のように映ったに違いありません。もしこの時に、彼の周囲のキリスト者たちが知恵を働かせ、勇気をもってパウロを助け出さなければ、ステファノに続いて二人目の殉教者を出すことになっていたかもしれません。もしそうなれば、それは初代教会にとってのみならず、のちの世界の教会にとってどんなにか大きな損失になったことでしょうか。しかし、神はそれをお許しにはなりませんでした。神はパウロを死の危険から救い出されました。

 そのようにして、かつて熱心なユダヤ教ファリサイ派の一人としてキリスト者の命を奪おうと迫害の息をはずませていたパウロが、今や熱心なキリスト者となり、ユダヤ人から命を狙われる者となりました。16節で復活の主イエスが言われたように、「わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示そう」、このみ言葉が、早くも成就し、実現することとなったのです。神は神にお仕えする使徒パウロを、その生涯にわたってみ心のままに導かれ、彼の多くの苦難、試練、迫害をとおして、ご自身の救いのみわざを前進させられたのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、かつて初代教会の使徒たちが主キリストの福音を宣べ伝えるために、すべての苦難や試練を喜んで耐え忍んだように、わたしたちをも喜んで福音にお仕えする一人一人としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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