5月14日説教「聖霊なる神」

2023年5月14日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(23回)

聖 書:イザヤ書44章1~5節

    ヨハネによる福音書14章16~31節

説教題:「聖霊なる神」

 『日本キリスト教会信仰の告白』は古代教会の信仰告白である『使徒信条』に前文を付けた「簡単信条」と言われるものであり、短い文章の中に豊かな内容のキリスト教教理、聖書の教えが凝縮されています。これまで学んできましたように、わたしたちの教会の『信仰告白』は、使徒たちの信仰を受け継いだ古代教会(あるいは初代教会)の正統的な信仰を土台にして、16世紀の宗教改革時代、特にカルヴァンの神学を柱に、その後の改革教会の神学を中心に据えた信仰を言い表しています。わたしたちの教会は「神の言葉によって、絶えず改革され続けていく教会」をこの日本の地に建てること目指してきました。

 座席前のポケットに備えられている印刷物では、2段落の2行目、「また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行なわせてくださいます」。きょうから数回にわたってこの箇所を学んでいくことにします。ここでは、聖霊なる神が、父なる神、子なる神と同じく神であるということと、その聖霊なる神のお働きについて告白されています。

 まず、「父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は」という文章は、古代信条の一つである『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』に由来していることを確認しておきたいと思います。古代教会では、様々な異端的な教えが広がったために、紀元325年に、小アジア地方、現在のトルコにあるニカイアという町で第1回世界教会会議を開催しました。その会議で、アリウス派などの間違った教えを排除し、正統的なキリスト教の教えとして『ニカイア信条』を採択しました。続いて、紀元381年にコンスタンティノポリスで開催された世界教会会議では、『ニカイア信条』に聖霊なる神の項目が付け加えられて、『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』が採択されました。

 その中で、聖霊なる神についてこのように告白されています。「わたしは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、また預言者をとおして語られました」。この告白の中の「父と子とともに礼拝され、あがめられ」がそのまま(「礼拝され」と「あがめられ」の順序が反対になっていますが)『日本キリスト教会信仰の告白』に取り入れられています。

 そこで今回は、『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』を参照しながら、聖霊なる神について告白されている内容について、ここでは何が教えられ、何が強調されているのかを学んでいくことにします。

 第一の重要なポイントは、聖霊は、天地の創造主である父なる神と、わたしたちの唯一の救い主である神の御独り子、主イエス・キリストとまったく同様に、神であることが告白されています。またその聖霊は、わたしたちが信じ、礼拝し、あがめ、賛美し、服従すべき神であるということが強調されています。

 と言うのは、古代教会の時代から、今もなおそうですが、聖霊を神とは考えなかったり、あるいは父なる神、子なる神から一段低い神のように考える誤った理解があるからです。たとえば、聖霊を人間の感情とか意志とか、あるいは霊魂と同じに考え、聖霊が神であることを否定して、人間の感情や意志を重んじる人々、古代教会ではアリウス主義という異端、今日ではエホバの証人(ものみの塔)や統一協会などの異端的な教派も、そのような考えに基づいて聖霊が神であることを否定し、また三位一体論をも否定しています。

 聖霊が神であることを否定し、人間の感情や意志、努力、また行為を強調する異端的キリスト教からは、必然的に主イエス・キリストの救いのみわざを不完全なものにするという結論が生じます。そして、主イエスの救いのみわざの不完全な部分を人間が補うという考えに発展していきます。それが、信者の霊的な働きとか、強い意志とか、熱心な活動によってなされていくようになります。異端的なキリスト教会が献金や布教活動に異常なまでに熱心になるのはそのためです。

 けれども、そのような考え方は、わたしたちがこれまで学んできたことに照らし合わせてみるならば、間違った信仰の理解であることが直ちに明らかになります。すなわち、神の主導的な選びの教えと信仰義認の教えとは矛盾することが分ります。神はわたしたち人間の意志とか努力とかに先立って、このわたしを選ばれ、わたしを救いの道へとお招きくださいました。わたしは罪びとの仲間であり、何一つ神のみ心を行うことができないにもかかわらず、み子主イエス・キリストがわたしのためになしてくださった救いのみわざによって、神はわたしを義と認め、わたしの罪をゆるしてくださいました。わたしの救いは、100パーセント神のみわざによるのであり、人間のあらゆる意志や行動に先立つ、神の側からの一方的な恵み、恩恵によってわたしは救われているのです。そこには、人間の感情とか意志、あるいは熱心さとかは全く入り込む余地がないことが明らかです。

 いや、それだけでなく、わたしたちが聖霊なる神を信じ、告白することによって、聖霊なる神もまた、父なる神、み子なる神と共に、わたしたち人間の救いのために、先行的に、主導的に働いてくださるということを知らされます。神は、父なる神として、み子なる神として、そして聖霊なる神として、神ご自身の全ご人格によって、わたしたちの救いのためにお働きくださいます。神の全存在、神のすべての力、恵み、知恵、愛、それらをお用いになって、わたしたちのための救いのみわざを完全になしてくださいます。神の救いのみわざは完全であり、永遠であり、人間や他の何ものかによって補われなければならないことは全くありません。

 ここで、古代から中世にかけて教会で論争されてきた聖霊発出論争について簡単に触れておきたいと思います。『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』では「聖霊は父と子とから出る」と告白されていました。ところが、聖霊が父なる神と子なる神の両方から出るのか、それとも父なる神からのみ出るのかをめぐって西方教会と東方教会がその後も長く論争を続けました。西方教会(ローマ教会)は「聖霊は父と子から発出する」という説をとり、東方教会(ギリシャ教会、日本ではハリストス正教会)は「父から」(のみ)という説を主張し、この違いが東西教会の分裂の大きな原因となったと言われます。

 では、聖書ではどのように教えられているでしょうか。ヨハネによる福音書14章16、17節を読んでみましょう。【16~17節a】(197ページ)。ここでは、聖霊は父なる神が遣わすと言われています。次に、ヨハネ福音書15章26節では、【26節】。ここでは、わたし(主イエス)が聖霊をあなたがたに遣わすと言われていると理解できます。これらのみ言葉から、わたしたちプロテスタント教会は正方教会(ローマ教会)と同じく、聖霊は「父と子とから出る」と告白しています。

 では、聖霊なる神とはどのような神なのか、どのようなお働きをするのかを見ていきましょう。聖霊なる神のお働きは、旧約聖書でも新約聖書でも数多く語られています。『ニカイア・コンスタンティノス信条』では、「聖霊は預言者をとおして語られた」と告白されていました。旧約聖書の天地創造の時から、聖霊は永遠なる神として存在しておられましたが、特に預言者たちの活動をとおして、彼らが語った神のみ言葉の説教と共に聖霊は働かれ、イスラエルの民の信仰を導かれました。

新約聖書から、ヨハネ福音書と使徒言行録のみ言葉を取り上げます。先ほど読んだヨハネ福音書14章16節でも15章26節でも、聖霊は「弁護者」と呼ばれています。元来の意味は「かたわらに呼び出された人」であり、日本語では弁護者、助け主、慰め主とも訳されます。

 主イエスが十字架につけられ、死んで葬られ、40日目に天に昇られたあとに、主イエスは弟子たちを決して孤児のようにはさせないと約束されました。そして、天に昇られてから父なる神と共に、聖霊をこの世に、弟子たちの上に、またわたしたちの上に派遣してくださいました。聖霊はいつでも、どこでも、常に弟子たち、またわたしたち信仰者と共にいてくださる神です。わたしたちを罪の攻撃や誘惑から守り、助け、弁護し、時に信仰の戦いに疲れるわたしたちを慰め、励まし、わたしたちの信仰を終わりの日の完成の時まで導かれる神、それが聖霊です。

 また、ヨハネ福音書14章26節では、聖霊が弟子たちに、主イエスが語られた神の国の福音が生ける神のみ言葉であることを思い起こさせるであろうと言われています。聖霊は主イエスがお語りになった神の国の福音がすべての人を救う命と力とを持っていることを信じさせ、弟子たちを、またわたしたちを救いへと導き入れる働きをされます。聖霊が働く時、聖書のみ言葉とその解き明かしがわたしの救いとなってわたしに響き、わたしを救いへと導くのです。

 同じヨハネ福音書15章26節では、聖霊は「真理の霊」とも呼ばれ、主イエスについて証しをするであろうと言われています。聖霊は教会の福音宣教を導く神でもあられます。聖霊は神の真理をこの世に対して証しをし、主イエスの十字架の福音をこの世に宣べ伝える教会の務めを導きます。

 その教会の使命を果たすために、神はペンテコステの日に聖霊を弟子たちの上に豊かに注ぎ、エルサレムに世界最初の教会をお建てくださいました。使徒言行録2章に書かれているとおりです。主イエスは天に挙げられる直前に弟子たちにこのように約束されました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1章8節)。その約束が10日後のペンテコステの日に成就したのです。

 聖霊は今や全世界のあらゆる町々村々に教会を建て、その教会をとおして今も働いておられ、すべての人を主キリストの福音へと招いておられます。わたしたちの福音宣教の務めと奉仕を支え、導いておられます。また、わたしたち一人一人の信仰の歩みを導いておられます。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちの教会の上に、またわたしたち一人一人の上にも、聖霊を豊かに注いでください。わたしたちを聖霊の器としてお用いくださり、主イエス・キリストの体なる教会を建てるために、また全世界のすべての人々に主キリストの福音を宣べ伝えるために、わたしたちをお用いください。

○主なる神よ、どうかこの世界を顧みてください。戦争や紛争が絶えない地域、不正義と不平等によって略奪や飢餓に苦しむ弱い人たち、差別や格差の中で取り残されている孤独で病んでいる人たち、いま世界は主なる神であるあなたからの和解と平和、癒しと希望を切望しています。どうかこの世界に救いを与えてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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