9月29日説教「アンティオキア教会から世界伝道へ」

2024年9月29日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書61章1~4節

    使徒言行録13章1~3節

説教題:「アンティオキア教会から世界伝道へ」

 アンティオキア教会は、ユダヤ人以外の異邦人に対して初めて組織的に伝道活動をして誕生した、ユダヤ人と異邦人が混合した教会でした。その誕生の次第については使徒言行録11章19節以下に書かれていました。改めてそのことを確認しますと、その誕生のきっかけとなったのが、8章1節以下に書かれていた、エルサレム教会が経験した大迫害であったということを思い起こします。エルサレム市内から追放されたユダヤ人キリスト者たちが、アンティオキアでギリシャ語を話す人たちに主イエス・キリストの福音を語り、多くのギリシャ人が福音を信じて教会に加えられ、ここにユダヤ人とギリシャ人とが共に礼拝をささげる教会が形成されていったのでした。アンティオキア教会の誕生の次第がまさに世界的広がりを持っていたように、やがてこの教会から、全世界へと主キリストの福音が拡大されていくことになったのです。

 アンティオキアの町はローマ帝国時代のシリア州の中心都市であり、現在のトルコの南東部に当たります。大きな川によって地中海とつながっており、キプロス島から地中海を渡ってギリシャ、ローマ、ヨーロッパへと続く海路の出発地点となっています。陸のシルクロードの一つの拠点でもあったと考えられているようです。使徒パウロはこのアンティオキア教会を拠点として、計3回の世界伝道旅行へと出かけ、主キリストの福音をギリシャ・ヨーロッパへと広めるために仕えました。

 アンティオキア教会には、まずバルナバがエルサレム教会から派遣されました。バルナバは故郷タルソスにいたサウロ(パウロ)を呼び寄せて、一緒に伝道と教会形成に励んでいました。12章25節によれば、バルナバとパウロはエルサレム教会からさらにヨハネ・マルコを連れて帰ったと書かれています。このようにして、アンティオキア教会はいよいよ強められていきました。

 13章1節には、アンティオキア教会の何人かの中心的なメンバーが紹介されています。バルナバが先頭に上げられていますから、彼がこの教会のリーダー的存在だったと思われます。サウロ・パウロは最後に挙げられていますから、バルナバよりは年下であったと考えられます。「ニゲルと呼ばれるシメオン」、ニゲルはラテン語で黒人を意味します。3人目は「キレネ人のルキオ」、キレネはアフリカ大陸の都市です。シメオン、ルキオの二人は世界に離散していたディアスポオラと呼ばれていた離散のユダヤ人であったと推測されます。4人目の「領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」、領主ヘロデはガリラヤ地方とヨルダン川東のペレア地方の領主であったヘロデ・アンティパスのことで、彼と一緒に王宮で育ったマナエン(その名の意味は「慰める人」)は、ある程度社会的地位があった人と思われます。そして、最後にサウロ・パウロの名が挙げられています。

 このように、アンティオキア教会はエルサレム教会の迫害をきっかけとして誕生し、また世界各地からの多種多様な賜物を持った信仰者たちが集まっていたことが分かります。まさに、主キリストの教会は、迫害と殉教が生み出した実りであり、神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはないという真理の証しなのだということを、わたしたちはここでもまた再確認するのです。

 1節の終わりでは、彼らは「預言する者や教師たち」であると言われています。初代教会ではまだ預言者の活動が行われていました。けれども、旧約聖書時代と新約聖書時代の預言者の働きは根本的に違っていました。旧約聖書の預言者は、神がやがてイスラエルと全世界の救い主・メシアをこの世にお遣わしになることを預言し、その時を待望するように民に呼びかけました。それに対して、新約聖書の預言者はすでに来られたメシアなる主イエス・キリストの十字架と復活の福音を告げ、神が終わりの日に完成される神の国を待ち望むようにと呼びかけます。彼らはやがて説教者と呼ばれるようになります。

 次の2節を読みましょう。【2節】。ここで、まずわたしたちは紀元1世紀中ごろのアンティオキア教会の活動の様子を垣間見ることができます。教会では礼拝がささげられ、断食と祈りとが定期的に行われていました。礼拝がユダヤ人の習慣にならって土曜日に行われていたのか、あるいはすでにアンティオキア教会では主イエスの復活を記念する日曜日に変更されていたのかについては、確定できません。断食と祈りは明らかにユダヤ人の習慣を受けついています。断食は、人間の欲望の一つである食欲を断つことによって、心を神に集中させることを目的としました。断食は礼拝と結びつき、また祈りと結びついて、信仰者をこの世から聖別し、神に向かって心を開き、信仰者の心と体全体を神に集中させる役割を果たしていました。

 そのようは断食と祈りとに結びついた礼拝において、聖霊なる神がお働きになりました。聖霊なる神ご自身が、世界宣教の計画者であられ、その発動者となられたということを、わたしたちはここで聞きます。世界宣教は、聖霊なる神のみわざであるということを、わたしたちはここで改めて知らされるのです。世界宣教は、教会員や教会の指導者のだれかの発案によるのではなく、あるいは教会の決議によって始められたのでありません。世界宣教は天地創造の始めからの神ご自身のご計画であり、神ご自身のご命令であり、また徹底して神ご自身のみわざなのです。教会はその神の宣教計画にお仕えしていくのです。

 使徒言行録は、口語訳聖書では使徒行伝と名付けられていましたが、本来は聖霊行伝であると言われます。この書は主イエス・キリストの使徒たちの働きを記録していますが、その本来の主体は聖霊なる神であり、聖霊なる神が使徒たちをお用いになって、世界宣教のお働きをなされたという意味で、聖霊行伝と呼ぶべきだというのです。すぐ続けて4節には、「聖霊に送り出されたバルナバとサウロは」とあり、9節にも「サウロは聖霊に満たされて」と書かれているとおりです。今日においても、わたしたちの宣教・伝道活動および教会形成の働きを導いておられるのは聖霊なる神です。わたしたちは聖霊のお導きとお働きに信頼し、喜んでそのみわざのためにお仕えするのです。

 主なる神ご自身が、福音を全世界に宣べ伝える世界宣教の主体であるということは、旧約聖書でも新約聖書でも同様です。イザヤ書52章では、神の良き音ずれがエルサレムを超えて全世界のすべての人々に語り伝えられるべきことが語られています。【7~10節】(1148ページ)。また、マルコ福音書16章15節で、復活された主イエスは天に挙げられる前に弟子たちにこのようにお命じになりました。【15~16節】(98ページ)。神の喜ばしい訪れ、福音を全世界のすべての人々に宣べ伝えるという世界宣教の働きは、主なる神が計画され、主イエス・キリストが始められ、聖霊なる神が導かれる、神ご自身のみわざなのです。パウロとバルナバ、そしてまたわたしたち一人一人は、その神のみわざのために用いられる器として選ばれた者たちなのです。

 聖霊なる神は「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい」と言われます。「わたしのために選び出す」とは、何か選挙とかくじによって選出するという意味ではなく、「神のために聖別する」という意味です。二人は神にささげられたもの、神のみわざ、神のお働きのために聖別された者たちです。ここでは、二人をとおして働かれる聖霊なる神のみ心、またその力と導きが強調されています。バルナバとパウロは自分たちの力や知恵でこの託された務めを果たすのではなく、聖霊なる神ご自身が彼らをお用いになって、その務めを果たさせてくださいます。二人は常にその聖霊の導きに従うのです。

 次に、3節を読みましょう。【3節】。神がお始めになる世界宣教のお働きのために仕えるアンティオキア教会がなすべきことは、断食と祈りです。心と思い、そして体の全体を、主なる神に向けて集中させ、人間の思いや不安、恐れのすべてを主なる神にお委ねし、神のみ旨とご計画を信じ、神に服従すること、教会全体がそのために断食と祈りとをして、バルナバとパウロの奉仕に参加しているのです。

 「二人の上に手を置く」とは、按手のことだと考えられますが、これは聖霊なる神が聖別して、その務めにつかせたことを、教会全体が確認することであり、その務めを遂行するために聖霊の注ぎを祈り求めることでもあります。それは聖霊なる神に対する教会の服従を言い表す行為でもあります。バルナバとパウロは、聖霊なる神の恵みに支えられ、導かれて、また全教会の祈りに支えられて、第1回の世界伝道旅行へと出かけました。

彼らがどのような旅支度をして、どのような世界地図を用意して、どれくらいの旅行費用を持参したのか、というようなことについては、聖書は何も記していません。今からから2千年も前の、誕生したばかりの小さな教会が、どのようにしてこの偉大な世界伝道をなしえたのか、わたしたちには想像もつきません。どんな困難や試練が待ち構えているのかもだれにも分かりません。けれども、聖書はそのようなことについては全く語りません。彼らはただ一つ、主イエス・キリストの福音だけを携えています。ただ主なる神のご命令だけを聞いて、ただひたすらに聖霊のお導きを信じて、旅立ちました。そして、宣教活動を続けました。

今日のわたしたちの教会もまた、そのようにして歩み続けていくほかありません。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの永遠なる救いのご計画によって、今日、全世界の主キリストの教会が建てられておりますことを覚え、あなたの尊いみわざに心からの感謝をささげます。今なお、教会の歩みは遅く、またたどたどしく、迷いと弱さの中にあります。主よ、どうぞわたしたちの福音宣教の働きをあなたが強めてください。前進させてください。また、主キリストの福音を聞いていない多くの人たちがいます。道に迷い、不安や恐れの中にあって生きる希望を失いかけている人たちがいます。戦争や政治的混乱によって住む国と家とを追われてしまった人たちが多くおります。主なる神よ、彼ら一人一人の痛みと重荷を教会が担い、共に支え合い、分かち合い、支え合う世界となりますように。そのための教会の働きを強めてください。

〇神よ、施設に入所している教会員が多くおられます。家族や教会員から離れて生活しておられる一人一人と、あなたが常に共にいてくださいますように。一緒にこの礼拝堂に集まることはできませんが、一つの礼拝の群れに連なっていることを覚えさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

9月22日「必要なことはただ一つだけ」

2024年9月22日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編27編1~14節

    ルカによる福音書10章38~42節

説教題:「必要なことはただ一つだけ」

 ルカによる福音書10章38節以下の、マルタとマリアの家を主イエスが訪問されたときの出来事は、29節以下の親切なサマリア人のたとえと同様に、ルカ福音書にしか書かれていない、ルカ特有の記録です。ここには、ルカ福音書の特徴がよく表れています。その一つが、主イエスの福音がユダヤ人、イスラエル民族の宗教を超えて、全世界の、全人類のための福音であるということが、ここにすでに暗示されていることです。もう一つには、ルカ福音書では婦人たちがよく活躍するということです。ルカ福音書を「婦人の書」と名付ける人もいます。婦人が社会活動の表に出ることが少なかったこの時代にあって、主イエスの福音は婦人たちによって証しされているのです。ルカ福音書の大きな特徴です。

 わたしたちはまず初めに、きょうのテキストの主題について、前の29節以下の親切なサマリア人のたとえとの関連で、あらかじめ確認しておきたいと思います。それは、ルカ福音書がこの二つの記事をここに並べて置いた理由でもありますが、この二つの箇所で扱われているテーマは、29節以下では「あなたの隣人を愛しなさい」という戒めについて教えられており、38節以下では「あなたの主なる神を愛しなさい」という戒めについて教えられているということです。

 25~28節の、主イエスとある律法の専門家との対話は、その二つのテーマの導入に役割を果たしているのです。この律法の専門家は、旧約聖書の戒め・律法全体を、神を愛することと隣人を愛することの「愛の二重の戒め」にまとめています。【27】。主イエスご自身も、マルコ福音書12章29節以下で同じように教えておられます。そして、律法の専門家が「わたしの隣人とはだれですか」と質問したのに対して、主イエスは「親切なサマリア人のたとえ」を、隣人を愛することの実例としてお話になりました。そして、きょうの箇所で、全身全霊を傾けて主なる神を愛することの実例をお話になっておられるのです。

 では、38節から読んでいきましょう。【38節】。主イエスと弟子たち一行は旅を続けて、ある村に入られました。主イエスの旅は、エルサレムに向かう旅であることが、すでに9章51節で明らかにされていました。「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」と書かれていました。主イエスのエルサレムでのご受難の旅、十字架の死と復活と昇天に至る旅が続けられています。その旅の途中で、主イエスはマルタの家を訪問されたのです。

 ある村とは、エルサレム近郊のベタニヤにあったと推測されます。ヨハネ福音書11章によれば、マルタとマリアの姉妹にはラザロという弟がおり、彼が死んで葬儀をしているときに主イエスがこの家をお訪ねし、ラザロを生き返らせたという奇跡が記されています。主イエスの一行はエルサレムに旅をされた際には、この姉妹の家をしばしば訪れ、宿にしていたのであろうと思われます。

ここにはラザロは登場しませんが、マルタが主イエスを家に迎え入れたとありますので、マルタが一番年上の姉で、この家の主人のような立場にいたと考えられます。実は、マルタという名前は「女主人」という意味を持っています。

 マルタはその名にふさわしく、主イエスを「家に迎え入れ」ました。主イエスを自分の家に迎え入れるということは、友人とか知り合いを家に招くこととはまったく違って、そこには大きな意味があり、その家にとっての大きな出来事であると言ってよいでしょう。マルタは女主人として、まさにその家の主人としての決断をもって、その家の主人として最もふさわしい、大切な務めを果たしたのだと言ってよいでしょう。なぜならば、主イエスがその家の客人として招かれるときにはいつも、主イエスのその家とその家族にとっての救い主として、その家に神の恵みと祝福をもたらす主としてお働きくださるからです。

 わたしたちもまた、主イエスをわが家の主としてお迎えすることの大切な意味を覚えたいと思います。主イエスは我が家の食卓の主です。日々の食卓を備えてくださり、日々のパンによってわたしたちの体を養ってくださいます。それゆえに、わたしたちは食事のたびごとに食前の祈りをささげるのです。主イエスはまた家族の交わりの主です。人間的な肉の思いによって、時に分断したり、争ったりすることがあっても、主イエスはわたしたちの肉の関係を超えて、聖霊によって一つの家族として結びつけてくださいます。それゆえに、わたしたちは祈るのです。主よ、どうか、わたしたちの家族を一つの霊によって結ばれた神の家族としてくださいと。わたしたちは食前の祈りとか、家庭礼拝とか、あるいは家庭集会のために家を提供するとか、家族伝道とか、あらゆる機会をとおして、主イエスをわが家の主としてお迎えしたいと願います。

 マルタの家では主イエスをどのようにお迎えしたのでしょうか。【38節b~40節】。マルタは家の主人として忙しく、てきぱきと行動しているように見えます。お客をもてなし、お客に喜んでもらうために一生懸命になって仕えているように見えます。一方、妹のマリアはマルタの手伝いもせずに、静かに座って、主イエスの話に聞き入っていたと書かれています。マルタはその妹のことを主イエスに訴えています。「妹にもわたしの手伝いをするように言ってください」と。マルタは妹マリアに対しても、この家の主人のような立場に立っています。

 けれども、マリアはここで主人としての正しい行動をしているでしょうか。他のお客を迎えた場合ならば、マルタの訴えには正当性があったかもしれません。しかし、主イエスがこの家のお客である場合には、果たしてどうでしょうか。マルタは主イエスをお迎えする家の主人としては、正しい行動をしていなかったことが、のちに主イエスご自身によって明らかにされます。

 その箇所を読む前に、二人の姉妹の性格の違いについて少し考えてみましょう。きょうの箇所でもそうですが、姉のマルタは行動的で、積極性があり、家の主人としての責任感もあるように見受けられます。ヨハネ福音書11章では、弟ラザロの死に際して、主イエスがベタニヤの村に入られると、マルタはすぐに主イエスを迎えに家の外に出ました。他方、妹のマリアは亡くなった弟ラザロのそばから離れようとせず、家の中で座っていました。マリアはどちらかと言えば、おとなしく、消極的な性格のように見えるのは、ヨハネ福音書でもルカ福音書でも同じです。

 しかし、もちろん、そのような二人の姉妹の性格的な違いがここで重要なのではありません。【41~42節】。マルタはこの家の主人として、お客である主イエスをもてなすために、あれこれと心を配り、忙しくしていました。そして、ちっとも自分の手伝いをしないマリアを非難しました。しかし、主イエスは「必要なことはただ一つだけである。そして、マリアはその良い方を選んだ」と言われました。すなわち、主イエスの足もとに座り、主イエスの話される言葉に聞き入っていたマリアの方こそが、正しい、良い道を選んだのだ。それこそが、選ぶべき唯一の道であり、最も良い道であると主イエスは言われました。

 他のお客をもてなすためならば、ほかの道もあるでしょう。いろいろと気を使わなければならないことも多くあるかもしれません。けれども、主イエスをお迎えするためには、ただ一つの道しかありません。他のすべてのことを差し置いても、主イエスのみ言葉を聞くこと、主イエスの説教にひたすらに耳を傾けること、これ以外にはありません。どのような理由によっても、マリアが選んだこの唯一の道を妨げることがあってはならないと主イエスは言われます。主イエスのみ言葉を聞くことによってこそ、その家の家族はまことの救いの道を、命への道を生きることができるのであり、またその家は神に祝福された家になるからです。

主イエスをお迎えする家にとっては、マルタがその家の主人であるのではありません。主イエスこそがその家の主人になるのです。主イエスがこの家全体の唯一の救い主となられ、生ける神のみ言葉をお語りくださる唯一の説教者となられるのです。

きょうの説教の初めに確認した二つのことを、今一度思い起こしてみましょう。一つは、主イエスの一行がエルサレム向かう道の途中にあったということでした。主イエスはエルサレムでの地上の最後の一週間のご受難と十字架の死、そして三日目の復活に向かって進んでおられます。マルタとマリアの家はその主イエスをお迎えしたのでした。わたしたちが自分の家にお迎えする主イエスもまた、ご受難と十字架の死、そして三日目に復活された主イエスです。この主イエスをわが家の唯一の主としてお迎えするならば、その家族みんなが救いにあずかり、その家が神の祝福を受けるでしょう。その家は唯一の無くてならないものによって満たされるでしょう。

もう一つは、この箇所では神を愛することが教えられているということです。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と命じられている旧約聖書の律法は、ひたすらに主イエス・キリストのみ言葉に耳を傾けること、主イエスの十字架と復活の福音を聞くことを第一とし、それこそがわたしが生きるために必要なただ一つの良いことであり、決してわたしから取り去ってはならないこととして、他の何を差し置いてでも、このことを第一とする、それによってこの律法は成就されるのだということです。

主なる神を愛すること、そして、わたしの隣人を愛すること、この二つの愛の戒めに生きるようにと、わたしたち一人一人も招かれているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの一人子を十字架に引き渡されるほどに、わたしたち罪びとたちを愛してくださいました。このあなたの大いなる愛に答えて、わたしたちも心からあなたにお仕えし、わたしたちの隣人を愛することができますように。あなたのわたしたちに対する愛が無限であり、限りがなく、終わりがないように、わたしたちのあなたに対する愛も、また隣人に対する愛も、惜しみなく、たゆむことなく、心から喜んでささげる愛でありますように。

〇全世界を支配しておられる主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界にまことの和解と共存とを創り出しますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れ、あなたのみ前に謙遜になり、共に平和共存を目指す世界となりますように。

〇わたしたちの救い主、贖い主である神よ、わたしたちが朽ちるパンによって生きるのではなく、あなたの口から出る命のみ言葉によって生きる者としてください。わたしたちが再び罪の奴隷となることがありませんように。乾いた鹿が谷川を慕いあえぐように、あなたのみ言葉を熱心に慕い求める者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

9月15日説教「わたしは、あってある者である」

2024年9月15日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記3章11~15節

    マタイによる福音書22章23~33節

説教題:「わたしは、あってある者である」

 使徒言行録7章のステファノの説教では、モーセの120年の生涯を、40年ずつに区切って語っています。誕生してからの40年間は、モーセはエジプト王宮で王ファラオの娘の子として育てられました。成人してから、彼は同胞のイスラエルの民がエジプトで奴隷扱いされ、過酷な強制労働で苦しんでいる姿を目撃しました。その時、モーセは虐げられていた同胞を守るために、エジプト人の監督を殺しました。しかし、そのことがファラオに知られ、モーセは命を狙われるようになったために、遠いアラビア半島ミディアンの地に逃れ、その地の祭司であったエトロのもとで、40年間を過ごしました。それがモーセの第二期です。モーセはそこで祭司エトロの娘と結婚し、子どもが生まれ、エトロの羊を飼って、エジプト王宮では経験することができなかった多くのことを学んだのでした。

 ミディアンの地での40年間の終わりに、モーセは神の山シナイ山のふもとで不思議な光景を目撃しました。砂漠に生えている柴が熱い太陽に焼かれて燃えているのに、いつまでも燃え尽きないという現象でした。その時、燃える柴の間から、主なる神の語りかけを聞きました。そして、モーセはエジプトの奴隷の家で苦しむイスラエルの民を救い出す神のみわざのために召し出されることになるのです。それが、モーセの生涯の第三期の始まりです。

 出エジプト記3章9節以下を読んでみましょう。【9~10節】。この神の召命を受けたモーセは、どう応答したのでしょうか。【11節】。このモーセの応答は、わたしたちには少し不可思議に思われるかもしれません。というのは、40年前のモーセが熱い同胞愛と強い正義感とによって、しいたげられていたヘブライ人を助けるためにエジプト人の監督を殺したことを知っているからです。あの時のモーセの民族愛と正義感があれば、神の召命に直ちに、喜んで従ったはずでした。

 でも、今回のモーセは違っていました。彼は自分が神の召命を受けるにふさわしくはないと告白しているのです。わたしたちはここからいくつかのことを教えられます。一つには、イスラエルの民をエジプトの奴隷の家から救い出すのは、モーセの民族愛とか正義感とかによるのではなく、それは主なる神の深いみ心によるのだということ。神が族長アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約をお忘れにはならず、その約束を実現なさるためであり、神が奴隷の民イスラエルをお選びくださり、この民を愛されたからなのであるということです。モーセの民族愛や正義感よりも、神の愛と選びがより大きいのです。

 もう一つには、モーセはミディアンの地での40年間に、神のみ前で謙遜になること、自らの無力を知ることを学んだということです。神の召命に答えて神にお仕えするということは、自分の願いや自分の力、能力によってなすことではなく、ただひたすらに神の招きと神から授かる恵みによる以外にないことを、モーセは学んだのです。モーセはこのことを学ぶために、人生の第二期の40年間を、ミディアンの地で、祭司エトロのもとで、羊を飼いながら過ごしたのでした。そして、時が満ちて、モーセは神の召命を受けたのです。

 神の招き、神の召命は、モーセの民族愛や正義感よりもはるかに大きく、またモーセの不安や恐れよりもはるかに大きいことが、次の神のみ言葉によっても明らかにされます。【12節】。これが、11節の「わたしは何者でしょう」というモーセの問いかけに対する神の答えです。「あなたは、わたしと共にいる者だ。わたし自身があなたを遣わすのだ」。これが神の側からの、モーセとは何者なのかという問いに対する答えです。モーセの側から言えば、「わたしは、神がいつもわたしと共にいてくださる者だ。わたしとは神の存在に支えられている者だ。わたしは神によって遣わされている者だ。神から託された使命に生きる者だ」ということになるでしょう。「神がいつもわたしと共にいる」。これがモーセの新しい存在です。モーセは今、神の召命を受けて、神に選ばれ、神に招かれて、この使命を託され、この務めを担う者とされているのです。神の招きのみ言葉に聞き従うとき、モーセは新しい人間に造り変えられるのです。

 12節ではもう一つ重要なことが語られています。イスラエルの民がエジプトの奴隷の家から導き出されるのは、最終的には、神を礼拝する民として生きるためであるということです。「この山」とは、1節の「神の山ホレブ」、またの名はシナイ山のことです。のちに、この山で神はモーセに十戒を授け、イスラエルの民と契約を結び、この山から彼らは約束の地へと旅立っていきます。それは、神を礼拝する民となるためでした。このことを確認しておくことは、出エジプト記を読むうえで、また旧約聖書全体を読むうえで、非常に重要なことです。

 神が、エジプトの地で奴隷として苦しめられていたイスラエルの民の叫びを聞いておられるということが、これまでに何度も書かれていました。2章23~25節、3章7節、9節などです。エジプト脱出は、その奴隷の苦しみからの解放であると同時に、いなそれ以上に、イスラエルの民が神の約束の地で神を礼拝する民となることこそが、その最終目的なのです。

 そのことは、新約聖書の民であるわたしたち教会にとっても同様です。わたしたちが主イエス・キリストの十字架と復活の福音によって罪ゆるされたのは、わたしたちが神を礼拝する新しい神の民となるためです。そして、終わりの日に、神の国が完成されるときに、全世界の、全世代の、すべての信仰者がみ国での一つの神を礼拝の民となるためなのです。

 神の召命を受けたモーセは、自分が神から派遣されたことの確かな証拠として、神の名前を知らせてほしいと願います。モーセは40年前に、民族愛と正義感に燃えてエジプトの監督を殺したことがありましたが、その時には同胞のヘブライ人には理解されず、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか」と非難されたことがあったと、2章14節に書かれていました。そのこともあって、モーセは自分が神から派遣された指導者であることを民に認めさせるために、神の名前を知る必要があると考えたようです。

 14節で、神はご自分のお名前を明らかにされますが、ここでわたしたちは古代の人々、特に旧約聖書の人々にとって名前が持つ意味について、あらかじめ理解を深めておく必要があります。古代の人々にとっては、名前とその本体、本人、あるいはその人の本質とは、密接に結びついていました。名前は単に本人と他の人を区別する記号であるのではなく、その人の存在、人格、その人の全体を意味していました。特に、神のお名前には、神の力や恵み、意志など、神の本質そのものが、そのお名前と結合していると考えられました。神がご自身のお名前を告げられるときには、神がご自身を啓示されること、神がご自身のみ心を行われることと同じでした。また、神のお名前が告げられた人は神との特別な関係の中に招き入れられることであり、また神のお名前を口にすることは、神の偉大なる力と恵みをその人が行使すること、神の偉大なる力と恵みを自分の思いどおりに操作し、行うことができると考えられていました。

 そこで、古代社会においては、神のお名前を使って誓ったり、呪ったりすることが日常的に行われていました。しかし、イスラエルにおいては、神のお名前をそのように人間の便利のために用いることは厳しく禁じられていました。モーセの十戒の第三戒で、「あなたの神、主のみ名をみだりに唱えてはならない」と命じられていたからです。イスラエルの人々はこの戒めを厳格に守りとおしたので、神のお名前を口にすることを避け、やがてそのお名前を忘れてしまうほどでした。したがって、神がここでモーセに告げているご自身のお名前は、神がモーセに対して語っておられる会話の中でのお名前であり、モーセが実際にイスラエルの民に伝えた時にどのように発音したのかについては、今日に至るまで、はっきりとはわかっていません。ただ、そのお名前の意味についてはここに説明されていますので、きょうはそれを学んでいきます。

 【14~15節】。「わたしはある」、これが神のお名前であり、そのあとの「わたしはあるという者だ」がその説明と考えられます。神がモーセにお告げになる際には、「わたしはある」ですが、モーセがそれをイスラエルの人々に告げる際には、おそらく「彼はある」と言ったであろうと考えられます。実際に、神のお名前を表すヘブライ語の子音4文字は、英語表記にするとYHWHであり、これは一人称単数、すなわち「わたしはある」ではなく、3人称単数の「彼はある」という意味のヘブライ語と推測されます。でも、子音は分かっていますが、それにつく母音が忘れられてしまったので、なんと発音するのかが分からなくなったということです。多くの学者は、「ヤーヴェ」と発音するのではないかと推測しています。

 さて、その意味ですが、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(口語訳聖書では、「わたしは、有って有る者」)、きょうはその一つの意味を取り上げます。日本語の訳では「わたしはある」という現在形ですが、ヘブライ語では広い意味の未完了形ですから、「わたしはあるであろう」と、未来形に訳することもできますし、また別の学者は、「わたしはなろうとする者になる」とか「わたしは存在するものを存在せしめる」と訳す人もいます。つまり、神は真の存在者であり、すべて存在するものの存在の根源であるということが第一の意味です。「わたしはある」と宣言ことができるのは、神以外にはありません。それ以外のものは、一時的に存在していても、やがて消え去るほかになく、そこにあると思われていても、実はそれは確かな存在ではなく、移ろいゆく、影のようなものでしかない。ただ、「わたしはある」と言われるお名前を持つ主なる神だけが、真の、変わることのない、永遠の存在者であるということです。

 旧約聖書で偶像を意味するヘブライ語は、「空しいもの、無きに等しいもの」という意味の言葉です。人間の手で造られた偶像は、人々が目で見て、手で触って、形を確認できても、中身がなく、命がなく、言葉を発することができず、行動することもできない、無なるものであるという意味です。そのようは偶像に頼る人もまた、無なる者でしかありません。

 「わたしはある」というお名前を持つ主なる神を信じる信仰者は、「わたしはある」と言われる神によってその存在を支えられ、真の命を注ぎ込まれて、豊かな実りを約束された信仰の道を進みゆくことができます。その神が、わたしたち罪びとたちを罪から救い出すために、ご自身の一人子を十字架に引き渡されるほどにわたしたちを愛してくださいました。その神が共にいてくださる信仰者は、「わたしもまた許されて、きょうあるを得ている」と告白することができるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、罪の中で滅びるべきであったわたしたちを、あなたがみ子の十字架の血によって買い戻してくださったことを、感謝いたします。どうか、あなたが永遠にわたしたちと共にいてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

9月8日説教「神に召された世々の聖徒の交わり」

2024年9月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(35)

聖 書:申命記7章6~8節

    コリントの信徒への手紙一1章1~3節

説教題:「神に召された世々の聖徒の交わり」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の4段落目の文章、「教会は、キリストの体、神に召された世々の聖徒の……待ち望みます」。

この箇所は、キリスト教教理では「教会論」と言われますが、ここでは教会とは何かについて二つの中心的なことが告白されています。一つには、前回学んだように、「教会は主キリストの体である」ということ、もう一つは、きょう学ぶ「教会は聖徒の交わりである」ということです。

「教会は主キリストの体である」という告白は、新約聖書のパウロ書簡の中に頻繁に用いられています。エフェソの信徒への手紙1章23節には、「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられる場です」とあります。同じ4章12節では、「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を作り上げてゆき」と書かれています。教会は、わたしたちのために十字架で死なれ、三日目に復活され、今は天に昇られ、父なる神の右に座しておられる主イエス・キリストのお体として、今も主キリストご自身がそこで救いのみわざをなしておられる場なのです。

もう一つの中心的なことは、「教会は聖徒の交わりである」という告白です。この言い方は、そのままでは聖書の中には見いだせません。これは、『信仰告白』の後半の『使徒信条』で用いられている表現です。『使徒信条』第3項目で、「わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり……を信じます」と告白されていますが、おそらくは、その『使徒信条』の「聖徒の交わり」という告白の前に、「神に召された世々の」という言葉をさらに付け加えて、わたしたちの教会の特徴を表現したのであろうと推測されます。

「主キリストの体」と「聖徒の交わり」、教会についてのこの二つの信仰告白は、教会とは何かを理解する上での、基本的な、また重要なポイントになります。わたしたちがそれぞれの群れである教会にお仕えし、健全な教会形成を目指すうえでも、この二つの視点を絶えず見失わずに考えていくことが重要になります。

まず初めに、「聖徒」という言葉を取り上げましょう。信仰者を、また教会員を「聖徒」と表現することは、使徒言行録やパウロ書簡などに数多く見出されます。「聖徒」とは、聖なる者たちという意味であり、もっと正確に言うならば、神によって聖別された者たちという意味です。そもそも聖書で、「聖」という言葉は、この世の世俗のものからは区別されたもの、神にささげられるために他のものから区別されたたもの、神に属するものという意味を持ち、それが動物や収穫物の場合には、聖なるいけにえ、聖なる供え物と言われ、それが人間の場合には、「聖なる者」「聖徒」と言われます。

「聖なる者たち」「聖徒たち」という言葉は、全世界の諸教会の信者たち、キリスト者たちを指す一般的な言い方として、新約聖書の中で数多く用いられています。ローマの信徒への手紙1章7節では、「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ」とあり、またコリントの信徒への手紙一1章2節にはこう書かれています。【2節】(299ページ)。

ここから分かることは、「聖なる者たち」とは、神の愛によって、また主キリストによって、神に召しだされ、聖とされた者たちを言います。もともとは彼らもまたこの世に属する者でしたが、神が一方的な愛によって彼らをこの世から選び分かち、神ご自身のものとしてくださったのです。主イエス・キリストの十字架の贖いによって、罪の奴隷から買い戻され、主キリストのもの、主キリストの僕(しもべ)とされているのです。

したがって、「聖徒」という言葉の中には、聖人君子というような道徳的に優れている人物とか、カトリック教会が言うような、功績を積んだ聖人というような意味は、本来全く含まれてはいません。「聖徒」「聖なる者」という言葉が意味する第一のことは、この世に属するのではなく、この世から選び分かたれて、神のものとされている、主キリストの僕であるということが最も重要な点です。したがって、この世の罪と死と滅びとに支配されている世界から贖いだされ、救い出され、解放されて、主なる神のものとされている、それゆえにまた、神の国を受け継ぐ約束を与えられ、神の救いの恵みと天からの祝福と平安へと招き入れられているという、このことが強調されているのです。そのすべては、神から差し出されている、一方的な神の恵みなのです。

パウロがコリントの教会にあてて書いた二つの手紙には、この教会の問題が数多く上げられ、パウロはその一つひとつに主キリストの福音による解決策を講じています。教会内の分派争い、不道徳や貧富の差からくる諸問題、偶像礼拝や異端的な教え、それらの諸問題は、とても主キリストの教会内で起こっていることとは思えないような、教会の命を脅かすほどに深刻な問題が多くありました。それでも、パウロはその手紙の冒頭で、先ほど読んだように、「コリントにある神の教会……キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々」と彼らに呼びかけているのです。コリント教会はどのようなときでも、「神の教会」でなくなることはありません。そこに集められている信者が「聖徒たち」でなくなるのでもありません。そのような深刻な問題に直面している教会であるからこそ、パウロはそのことを強調しているのです。

次に、教会は「聖徒の交わりである」と告白されています。「交わり」とは、ギリシャ語では「コイノーニア」です。交わり、交流、分かち合い、仕え合いという意味を持っている言葉です。教会が聖徒たちの団体とか、聖徒たちの集いと言われるだけでなく、「交わり」であると言われている点に注意を向けたいと思います。教会は信仰者たちがただ一緒に集まっているだけではありません。そこには、交わり、コイノーニアあるのです。

もちろん、聖徒の交わりと言われる場合、その基礎には、主キリスト、あるいは神と信仰者との交わりがなければならないのは、言うまでもありません。それが、信仰者たちだけの交わりであるならば、「聖徒の交わり」ではありません。神と主キリストによって聖なる者とされている、そのことを知っている、そのことを信じている信仰者たちの交わりであるということを忘れてはならないのです。したがって、「聖徒の交わり」とは、主キリストからいただいている救いの恵みに共にあずかっている、その恵みを共に分かち合っている、その恵みによって共に生かされている、そしてそのことを共に喜び合い、感謝し合っている、そのような交わりなのです。

それゆえにまた、教会の聖徒の交わりは、教会が主キリストのゆえに経験しなければならない迫害や試練、苦難をも、喜んで共に担い合う交わりでもあります。互いに重荷を負い合い、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く、そのような交わりでもあります。

次に、聖徒の交わりに付け加えられている「神に召された世々の」という告白について考えていきます。教会に集められている信仰者たち、聖徒たちは、自分の意志や願いによって集まってきたのではありません。多くの人は初めはそう思っていたかもしれませんが、のちになって知らされることは、自分がこの道を選び、この教会を選んできたというよりも、それよりもはるか以前に、神がわたしを選んでくださって、神がわたしを信仰の道へと導いてくださっていたのだということを、わたしたちはやがて知るようになるのです。

エレミヤ書1章5節にはこのように書かれています。「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」と。また、パウロもガラテヤの信徒への手紙1章16節で、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神」と言っています。神の召し、呼びかけ、それは神の選びもでありますが、それは神の永遠のご計画のうちにあって、神の方からの一方的な恵みとして、わたしに差し出されるものなのです。

新約聖書のギリシャ語で教会を意味するエクレーシアは、呼び出された人々という意味であることを、何度も学んできました。神に呼び出されたわたしの方には、何かのすぐれた点とか選ばれる資格があったからではなく、むしろ、神は小さな貧しい民であり、奴隷の民であったイスラエルを選んでご自分の宝の民とされたように、わたしたちもまた、人間的な知恵や能力、地位において、無に等しい、取るに足りないものであったにもかかわらず、神はあえてそのような貧しい者たちを教会の民としてお選びくださったのです。それは、わたしたちのだれも神のみ前で誇ることがないためです。ただ、主なる神をこそ誇るためです(コリントの信徒への手紙一1章26節以下参照)。

最後に、「世々の」という告白についてですが、これには二つの意味が含まれます。一つは、旧約聖書時代の古い教会の民であるイスラエルから2千年の教会の民の歴史、そのすべての時代のすべての国民、民族が、すべて一つの公同の教会に連なっている聖徒たちであるということ。もう一つには、今地上にある教会と、すでに地上での信仰の戦いを終えて天に移された教会、そしてまた、終わりの日に完成される神の国の民とが、一つの公同の教会に連なっている聖徒たちであるということ。わたしたち教会の民、聖徒たちは、時代と場所とを超えて、永遠普遍の一つの信仰の交わりのうちに招き入れられているのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたの救いのご計画は、天地創造の時から世の終わりまで、またみ国の完成の時に至るまで、永遠に続けられています。わたしたち秋田教会の群れと、ここに集められている一人一人もまた、あなたの永遠の救いのご計画の中にあって、導かれておりますことを覚え、心から感謝をささげます。どうか、この地で、この日本の国で、また世界各地において、主キリストのみ名によって立てられている一つ一つの教会が、託されている福音宣教の使命を力強く果たしていくことができますように、聖霊の導きと支えをお与えくださいますように。弱っている群れを、小さな群れを、厳しい信仰の戦いを強いられている群れを、あなたが顧みてくださり、励ましと希望とをお与えください。

〇主なる神よ、争いと混乱の中にある今日の世界を顧みてください。あなたから与えられる平和と共存によって、小さな命や傷つき弱っている命が守られ、重んじられる世界になりますように。

〇天の父なる神よ、不安と恐れの中で生きている人たち、重荷を負って苦しんでいる人たち、道に迷っている人たち、悲しんでいる人たちに、あなたからの助けのみ手が差し伸べられますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

9月1日説教「神に栄光を帰さなかったヘロデ王」

2024年9月1日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編96編1~12節

    使徒言行録12章18~25節

説教題:「神に栄光を帰さなかったヘロデ王」

 使徒言行録12章には、初代教会が経験した最初の国家権力による迫害のことが書かれています。迫害したのはユダヤ人の王ヘロデ・アグリッパ一世でした。彼の治世は紀元37~44年でしたから、彼が主イエスの12使徒のひとりヤコブを殺し、また初代教会の指導者ペトロを捕らえて処刑しようとしたのは、彼の死の直前、紀元44年ころのことと思われます。こののち、教会はローマ帝国からの迫害を受けることになります。紀元64年に、ローマ皇帝ネロは、ローマで発生した大火をキリスト者の放火によるとのデマを自ら流して、教会を迫害したのが、ローマ帝国による迫害の始まりでした。紀元80年代に入り、皇帝ドミティアヌスが強要した皇帝礼拝を拒否したキリスト者に対する迫害が、厳しさを増していきました。その後も、国家権力による教会迫害は世界中で、また日本でも、繰り返して起こりました。教会は殉教者たちの血によって建てられ、生きていると言ってもよいでしょう。わたしたちがこれまで使徒言行録を読んできて、何度も確認しましたように、神の言葉はこの世のいかなる鎖によってもつながれることはないし、また繰り返される迫害によっても、神の言葉は決して命を失うことはないのです。

 きょうは12章18節から読んでいきます。【18~19節】。ヘロデ・アグリッパ一世はペトロを収監していた牢を4人一組の兵士4組で、厳重に見張らせていたにもかかわらず、ペトロは神の奇跡によって、だれにも妨げられることも気づかれることもなく、安全に脱出して、祈る教会の群れに帰りました。

当時のローマの法律によれば、囚人を監視する牢の番人は、もしその囚人の逃走を許したならば、囚人が受けるべき刑罰を受けねばならないと定められていました。ヘロデ王は番人の兵士たちを死刑に処したと書かれていますが、4人一組のうちのどの組が処罰されたのか、それとも16人全員が処罰されたのかは分かりませんが、ここでは非常に奇妙なことと言うか、不思議なことが起こっています。つまり、迫害されていた教会では、神の奇跡によって一人の信仰者が死から救い出されたことを喜んでいるのに対して、迫害していた国家の側では、何ら非のない、その務めに忠実であった数人の、あるいは十数人の兵士たちの命が奪い取られているという奇妙な現象が起こっているのです。

わたしたちはここで次のことをはっきりと確認することができます。一方では、初めて経験する国家権力による迫害の中でも、牢に閉じ込められているペトロのために徹夜の祈りをし、その祈りが神に聞き届けられ、ペトロが神の奇跡によって解放され、群れへと戻ってきたことを喜んでいる教会と、その教会に与えられた大きな神の恵みを、わたしたちは見ることができます。そして他方では、神を見失い、神なき世界で、この世の権力を誇り、それにしがみつこうとしている国家が、自ら招いた罪と災い、それに対する神の恐るべき裁きとを、わたしたちはここに見るのです。主なる神は、神を見失って悪魔化していく国家がそのまま暴走することを決してお許しにはなりません。それゆえにまた、教会は国家が悪魔化していくときには、これに果敢に抵抗し、最後の勝利を信じて信仰の戦いをすることができるのです。

次に、20節からは、ヘロデ王の突然の死について書かれています。【20~23節】。19節に、ヘロデ王は「ユダヤからカイサリアに下って」行ったとありますが、これはおそらくエルサレムでの彼の評判が下がったので、そこにはいられなくなったからだろうと推測されています。2節に、ヤコブを殺したことがユダヤ人に喜ばれたので、ペトロをも捕らえたとありましたが、そのペトロが牢から脱出したことで、王の面目は丸つぶれになったのであろうと思われます。それで、エルサレムでの評判が落ちたので、北へ50キロの地中海沿岸の都市カイサリアに移ったのでしょう。ここにもまた、この世の民衆の評判だけを気にして、本来の王としての国を治める務めを果たしていないヘロデ王の弱さを見るように思います。

ティルスとシドンはカイサリアから北へ100キロ以上北の地中海沿岸フェニキア地方の都市です。イスラエルはソロモン王の時代からこの地方と貿易をしていた記録が聖書にもあり(列王記上5章15節以下参照)、イスラエルはティルスとシドンから木材を仕入れ、彼らに食料を提供していたと記録されています。その時代からの貿易が続いていたと思われますが、何らかのトラブルがあってヘロデ王の怒りにふれ、貿易がストップされていたようです。そこで、ティルスとシドンの人々がヘロデ王のご機嫌を伺い、和解をするためにカイサリアにやって来ました。そして定められた面会日に、ヘロデ王はその日が人生最後の日になるとは知らずに、礼服を身に着け、王座に座り、来客者たちに向かって演説を始めました。

ユダヤ人歴史家ヨセフスが紀元95年ころに書いた『ユダヤ古代史』には、この日の様子が詳しく描かれています。それによれば、ヘロデ王は全身金銀に飾られた衣装をまとい、明け方に会見場に入場した。すると、朝日がその服に当たり、まばゆく光り輝いた。それを見た人たちは、畏怖の念に襲われ、「あなたは人間以上のお方、神である」と叫び、王もその叫び声に酔いしれて、自らを神のように感じたのだと描かれています。

使徒言行録では衣服だけでなく、王が語った言葉が、「神の声だ」と人々が叫んだと書かれています。おそらくは、ヘロデ王はティルスとシドンの人々のために寛大なまでに譲歩して、彼らに食料を提供することを約束し、またその自分をあたかも神のようだと誇ったのであろうと思われます。人々が感謝の思いから「あなたは神のようだ」と言ったのに対して、ヘロデ王はそれを否定せず、また自らも神のようにふるまっていたのでしょう。

しかしながら、聖書はそのヘロデ王の態度を、「神に栄光を帰さなかった」と断罪し、彼が自らを神と等しいものとして、神を冒涜した罪だと断定し、それゆえに彼は、神の厳しい裁きによって、神が遣わした天使によって打ち倒され、死んだのだと言います。人間が自らを神と等しくすることは死に値すると旧約聖書で定められていたからです。

この出来事を、14章8節以下で語られている、パウロの第1回世界伝道旅行のリストラでのことと比較してみたいと思います。この町でパウロは、足の不自由な男の人に対して「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と命じると、その人は躍りあがって歩き出しました。【11~15節、18節】(241ページ)。

この時、パウロとバルナバは、自分たちが神としてあがめられることを断固として拒否しました。そうすることによって、ただ主なる神にのみ栄光を帰したのでした。なぜならば、足が不自由な人をいやし、立ち上がらせたのは、主イエス・キリストを死者のうちから復活させられた主なる神であったからです。パウロとバルナバはその神の僕(しもべ)、奉仕者であるにすぎません。

人間は神ではありません。どのようにしても、神にはなり得ません。人間は神によって創造された被造物です。けれども、人間は常に神のようになろうとする誘惑にかられます。それが人間の罪の源泉です。最初の人間アダムは、神のように善悪のすべてを知る者になりたいという欲望に負けて、禁じられていた木の実を食べ、罪を犯しました。また、創世記には自らを神のように高く名を上げようとして、高い塔を建てたという、バベルの塔の物語が記されています。アダム以来、自ら神のようになろうとする人間の罪の歴史が、全世界で繰り広げられてきました。けれども、神は自ら神のようになろうとする人間の企てをすべて中途で終わらせ、人間の傲慢をくじき、人間の罪がそれ以上に進まないようになさいます。それだけでなく、人間に悔い改めの思いを抱かせ、主イエス・キリストを信じる信仰の道、救いの道を備えてくださったのです。

では次に【24節】。使徒言行録の中で、これまでにも何回か同じようなまとめの言葉がありました。その2か所を読んでみましょう。【6章7節】(223ページ)。【9章31節】(231ページ)。教会は迫害や試練に遭遇するたびに、より成長を与えられ、強くされてきました。殉教者たちの血と、試練をくぐり抜けてきた信仰者たちの汗と涙が、より教会を熱心にし、新たな力と命とを与えられ、勇気と希望を増し加えられてきたのです。それは、教会に与えられている神の言葉の力であり、命です。教会はいついかなる時にも、常に神の言葉によって生きる群れです。神の言葉を聞き、神の言葉を信じて生きる教会とキリスト者は、この世のすべての束縛から解放され、たとえ死をもって脅かされても、神の言葉の証人として生き続けるのです。人間の言葉はやがて滅びます。この世にあるすべてのものはやがて消え去ります。けれども、神の言葉は永遠に残り、最後にはみ国を完成させるからです。

【25節】。「エルサレムのための任務」とは、11章27節以下に書かれていた、飢饉に苦しむエルサレム教会を援助するために、アンティオキア教会で集めた献金を届けることでした。

使徒言行録11章27節以下の、世界規模の大飢饉が起こったのは、他の歴史資料などから判断して紀元46、7年ころであろうと、多くの研究者は推測しています。12章の迫害は、ヘロデ・アグリッパ一世の死の直前、つまり紀元44年のことであることは、ほぼ間違いがないと言えますから、この両者には数年の時代的なずれが生じることになりますが、わたしたちが聖書を読む際には、そのずれは全く問題にはなりません。

この25節で注目すべきは、バルナバとサウロ、すなわちパウロの二人が集められ、さらにはヨハネ・マルコがエルサレム教会から加えられることになったということです。ヨハネ・マルコの家はエルサレム教会の家の教会の一つであったことが12章12節から分かります。また、コロサイの信徒への手紙4章10節によれば、ヨハネ・マルコはバルナバの甥にあたります。それ以来、この3人はアンティオキア教会の主要なメンバーとなります。そして、このアンティオキア教会の3人が中心となって、これから計3回にわたる世界伝道旅行が行われることになるのです。神は、なんとも有能でふさわしい働き人を、この異邦人の教会として最初に誕生したアンティオキア教会に集めてくださったことでしょうか。この教会から、そしてこの3人の働き人によって、世界伝道が始められていくことになるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの永遠なる救いのご計画は、すべての困難を超えて続けられていきます。今のこの時代は、さまざまな伝道の困難が、わたしたちが進むべき道を狭くしているように思われますが、しかし、あなたの言葉は決して力と命を失うことはありません。どうか、わたしたちの信仰を強くしてください。あなたに仕える熱意を大きくしてください。

〇主なる神よ、この世界はあなたのみ心から離れて、分裂と分断、戦争と破壊を繰り返しています。どうか、この世界を憐れみ、お救いください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。