11月24日説教「主イエスが制定された聖礼典(一)」

2024年11月24日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(37)

聖 書:イザヤ書42章1~9節

    マタイよる福音書3章13~17節

説教題:「主イエスが制定された聖礼典(一)」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の4段落目の文章、「教会は」から始まる文章では、キリスト教教理で「教会論」と言われる教理が告白されていますが、その後半の部分、「主の委託により正しく御言(みことば)を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し」という個所では、教会の務め、使命について3つが挙げられています。一つは、「み言を宣べ伝えること」、二つには「聖礼典を行うこと」、三つめは「信徒を訓練すること」です。

 宗教改革者ルターとカルヴァンは前者の二つを、真実の教会であることの目印と規定しました。つまり、神のみ言葉である聖書が正しく解き明かされ、説教され、聞かれている教会、また同時に、聖礼典が、プロテスタント教会では洗礼と聖餐ですが、その二つが主イエスの制定のごとくに、聖書のみ言葉に従って正しく執行されている教会、そのような教会であれば、どこの国に立てられた教会であれ、どのような民族、人種、階級によって構成された教会であれ、規模の大小や経済力の違いや礼拝堂があるなしにかかわらず、そこに真実の教会が存在すると宗教改革者たちは規定しました。のちになって、改革教会はそれに三つめの「信徒の訓練」をも教会の目印として加えました。

 きょうの礼拝では「聖礼典を行い」という告白について、二つの聖礼典のう

ちの洗礼について、聖書のみ言葉に導かれながら学んでいくことにします。前回にも確認したことですが、「主の委託により」という言葉は、そのあとに続いている三つの教会の務めのすべてにかかっていると理解することが、非常に重要です。と言うのは、特に二つめの「聖礼典を行い」に関して、ローマ・カトリック教会は主イエスによって定められたとは考えられない他の儀式をも、彼らが言う「秘跡」に加えているからです。

 まず、このことについて少しふれておきたいと思います。ローマ・カトリック教会は、宗教改革の時代も今日も変わりませんが、7つの秘跡を定めています。しかし、宗教改革者たちはそれを二つに限定しました。その基準は、主イエスご自身がそれを制定されたかどうかにありました。洗礼と聖餐、カトリック教会では聖餐を「聖体」(あるいはミサ)と言いますが、この二つは、その意味と執行の仕方には違う点もありますが、主イエスがそれらを制定されたという点ではプロテスタント教会とカトリック教会は一致しています。しかし、他の5つの秘跡については、主イエスご自身が制定されたという聖書の記述は見いだすことはできないとわたしたちは考えます。たとえば、「堅信」ですが、これは幼児のときに洗礼を受けた信者が青年になって自分で信仰を言い表す儀式です。これについて主イエスが聖書のどこかで定められたという記録はありません。プロテスタント教会では信仰告白と一般に言いますが、主イエスが定められたのではありませんから、これは聖礼典には数えてはいません。

 「告解」とは、信者が告解室に入って司祭に自分が犯した罪を告白して、その罪の償いをするという制度ですが、その制度があの悪名高い「免償符」(「免罪符」)の販売へとつながっていくのですが、主イエスがそのような制度を制定されたという聖書の記述もどこにもありません。そもそも、罪をゆるしたり罰したりするのは、主なる神おひとりがなさることであり、人は主イエスの十字架の福音を信じる信仰によってのみ罪ゆるされ、教会の民、神の国の民に加えられるのですから、わたしたちプロテスタント教会は「告解」そのものを認めていません。その他に、カトリック教会は「終油」「叙階」「婚姻」を加えていますが、これらも主イエスが定められたという聖書は見あたりませんから、わたしたちは聖礼典とは認めていません。

 では次に、「洗礼」について、主イエスがどのように定められたか、またその意味は何かを学んでいきましょう。日本キリスト教会の『式文』では、洗礼式の「制定語」として、マタイによる福音書28章18~20節を挙げていますから、まずその箇所を読んでみましょう。【18~20節】(60ページ)。マルコ福音書16章15~16節でも同様に主イエスは弟子たちにこのようにお命じになりました。「それからイエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける』」。

 この二つの聖書の箇所に共通している重要な点は、洗礼を授けることと福音を宣べ伝えることが結びついていることです。この二つのことは、父なる神から天と地の一切の権能を授かっておられる主イエスの命令であり、また委託です。弟子たちは、またのちの教会の民であるわたしたちは、主イエスを通して、全能の父なる神から与えられるこの権能を授かっているのです。委託されているのです。わたしたちは大きな恐れと感謝とをもって、主イエスから委託されたこの権能を行使するのです。

父なる神は、わたしたち罪びとたちのために、ご受難と十字架の道を歩まれた主イエスによって、罪の贖いを成し遂げてくださいました。そして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた主イエスに、罪と死に対する勝利を賜り、三日目に復活させられました。わたしたち教会の民は、その主イエスの罪と死に対する勝利を、洗礼と福音宣教によって、全世界のすべての人々に継承していく使命を託されているのです。教会は主イエスから授かっている権能によって、信仰を告白し、悔い改める受洗志願者に罪のゆるしの宣言をし、神の国の民と永遠の命の保証を与え、洗礼を授けます。それは、教会が何かの権限をもってなすことではなく、まただれかが何かの能力を発揮してなすのでもなく、ただ主イエスから託された権能と主イエスご自身の十字架と復活のみわざによってなしうることです。

また、洗礼と世界宣教の使命は固く結びついています。今からおよそ2千年前のペンテコステの日に、聖霊を受けた3千人ほどの人が洗礼を受け、最初の教会、エルサレム教会が誕生しました。それ以後の初代教会の目覚ましい成長と発展については、わたしたちが使徒言行録から学んできました。教会の世界宣教の使命は、世界をキリスト教化することによって成し遂げられるのではありません。キリスト教の文化や慣習を広めることでもありません。教会が政治的指導者となって世界を支配することでもありません。洗礼によって一人の信仰者が誕生することが世界宣教の始まりです。自分の罪を告白し、悔い改め、洗礼を志願する人が一人誕生すること、そして洗礼式が執行され、教会の民、神の国の民が一人誕生すること、そこから世界宣教の使命が始まるのです。

洗礼は復活された主イエスから教会に託された務めですが、実は、それ以前に主イエスご自身がわたしたちに先立って洗礼をお受けになり、わたしたちのために洗礼の道をあらかじめ開いておられたということを、マタイ福音書3章は語っています。【13~17節】(4ページ)。主イエスが洗礼をお受けになったことは、マルコ福音書1章9節以下とルカ福音書3章21節以下にも、多少違った表現で書かれています。共観福音書が一致して語っている主イエスの受洗を、わたしたちはどのように理解すべきでしょうか。

そもそも洗礼は、罪びとであるわたしたちが、自らの罪を告白し、主イエスがなしてくださった十字架と復活のみわざをわたしのための救いのみわざと信じ、告白して、わたしの罪がゆるされていることのしるしとして洗礼を授けられるのですが、主イエスは罪をゆるされなければならなかったというのでしょうか。いや、そうではありません。洗礼者ヨハネ自身が、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのです」と、自らの告白しているように、ヨハネは罪びとですが、主イエスは神のみ子であり、罪も汚れもない聖なるお方です。洗礼をお受けになる必要は全くなかったはずです。そうであるのに、主イエスは「今は、そうするのが正しいことだ」と言われました。それが、父なる神、義なる神のみ心であるという意味です。

ここにすでに主イエスの十字架への道が備えられていたということを、わたしたちは知らされます。主イエスの宣教の開始と受洗のこの時から、神はご自身のみ子を罪びとたちの一人としてこの世へと派遣され、自ら罪びとの一人に数えられるほどに、わたしたち罪びとと歩みを共にされることを計画しておられたのです。それが父なる神の義なるみ心だということを、主イエスご自身もまた知っておられ、全き服従をもって十字架への道をお進みになられたのです。そのようにして、主イエスはわたしたちのために洗礼の道を開いてくださいました。

使徒パウロはしばしば洗礼について、主イエスの死と復活との関連で語っています。ローマの信徒への手紙6章3節以下を読んでみましょう。【3~11節】(280ページ)。ここでパウロが強調していることは、主イエスの十字架の死と復活が、わたしたちが受ける洗礼の意味と非常によく似ているという、いわば比ゆ的、象徴的な意味のことではありません。そうではなく、それは信仰の事実として、確実に、現実的に、主イエスの死と復活の出来事がわたし自身の出来事として起こるのだということなのです。洗礼において、主イエスの十字架の死と復活がわたし自身の死と復活の出来事として起こるのだということです。主イエスの十字架の死と復活それ自体が持っている偉大な力、永遠の救いの恵みの大きさ、豊かさが強調されているのです。洗礼において、古い罪のわたしが主イエスと共に十字架につけられて死ぬという出来事がわたしの身に起こり、また、主イエスの復活の命が新しくされたわたしの命としてわたしに与えられ、わたしが主イエスと共に生きる者とされるという出来事がわたしの身に起こるのです。

洗礼の時に起こるこの救いの出来事は、わたしたちが主の日ごとに礼拝をささげるこの時にも、わたしたち一人一人に起こっているのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、罪の中にあって死すべき者であったわたしたちを、あなたがみ子主イエス・キリストの十字架と復活によって救い出してくださり、あなたから与えられる新しい命に生きる者とされておりますことを、心から感謝いたします。どうか、わたしたちをあなたの救いのみわざのための働き人としてお用いください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に与えられますように。この世界のすべての国々が、剣を鋤に変え、槍を鎌に変えて、もはや戦いを学ばない平和の民とされますように。 主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

11月17日説教「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」

2024年11月17日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    逝去者記念礼拝

聖 書:出エジプト記3章4~6節

    マルコによる福音書12章18~27節

説教題:「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」

 きょうの逝去者記念礼拝で朗読されたマルコによる福音書12章18節以下には、サドカイ派の人々と主イエスとの復活に関する論争が記されています。サドカイ派とは、当時のユダヤ教の一派で、ファリサイ派と勢力を競い合っていました。この両派は同じユダヤ教で、同じ旧約聖書を聖典にしていますが、考え方はずいぶん違っていました。復活に関しては、ファリサイは復活はあると信じていました。神を信じて、死に至るまで信じぬいて、神に自分の命をささげた殉教者や働き人を、神は決してお見捨てになることはない、必ずや終わりの時には復活の命を与えてくださるとファリサイ派は信じていました。

 他方、サドカイ派は復活はないと主張しました。彼らはどちらかと言えば現実主義者であり、生きている今の時が重要だ、今神を信じ、神に仕え、この現実の中で信仰を貫くことを神はお喜びになるのであると考え、死後のことには関心を示しませんでした。

 けれども、福音書を読むと、不思議なことに、サドカイ派もファリサイ派も共に主イエスに反対し、主イエスを十字架につけることでは一致していたということを、わたしたちは知ることができます。たとえ、人間の考え方や思想信条が違ってはいても、人間はすべて罪びとであり、主イエスの十字架の福音によって罪ゆるされなければならないという点では、人間はみな一致しているのであり、当時のサドカイ派とファリサイ派の人々も同じだということを、聖書は語っているのです。

 ところで、わたしたちは復活についてどのように考えるでしょうか。クリスチャンであっても、復活について、特に自分自身の復活については、常日頃から深く考えたり、信じたりしている人は少ないのかもしれません。主イエスの復活については、わたしたちは礼拝のたびごとに、『使徒信条』を告白し、「主イエスは……三日目に死者のうちから復活し」と告白していて、主イエスが死の墓から復活されたことは聖書に何度も書いてありますから、信じることができるとしても、自分自身の復活については、同じ『使徒信条』で、「わたしは……体の復活、永遠のいのちを信じます」と告白していても、それが自分自身の復活とは直接にはなかなか結びつかないというのが実感ではないでしょうか。おそらくそれは、わたし自身がまだわたしの死を経験していないからだと思われます。死の経験がなければ、復活の信仰も、いわば架空のものとしかとらえられないからなのでしょう。

 でも、きょうわたしたちは家族や教会員という身近な人たちの死を思い起こしながら礼拝しています。このような機会に、彼らすでにこの世を去った信仰の先輩たちの死と復活を覚えるとともに、わたし自身の死というものをより身近に覚えながら、わたし自身に約束されている体の復活について、わたし自身の死と復活を深く考え、またそれを信じる信仰へと導かれることを願いながら、今日の聖書のみ言葉を聞いていきたいと願います。

 復活を否定していたサドカイ派の人たちがここで持ち出している例は、イスラエルの古くからの慣習が背景になっています。申命記25章5節以下に規定されている結婚の制度で、今日それをレビラート婚と呼んでいます。長男が結婚して子どもがいない場合、その弟が長男の嫁であった人と結婚して子どもをもうけなさいという規定です。この制度は、その家の名前を絶やすことなく長く受け継ぐという目的とともに、イスラエルの民が神から賜った土地と家・財産、またその家の祝福を絶えることなく受け継ぐための制度でした。あるいはまた、神が約束されたメシア・救い主がイスラエルの家から、つまり自分の家から生まれるというかすかな可能性を担う意味もありました。

 サドカイ派が問題にしたのは、7人の兄弟が次々に子どもを残さないで死んだ場合、復活したときに彼女はだれの妻になるのか、7人の夫がいたのだから、そのうちのだれと結婚することになるのか。だれと結婚するにしても、それは不合理であり、不公平であるから、死後の復活はありえない、というのがサドカイ派の結論でした。

 ちなみに、復活を信じていたファリサイ派は、復活後には最初の夫と結婚すると考えていましたが、それに対して、サドカイ派は、復活の時には着物を着て復活するのか、その服装は死んだときに着ていたものか、本人が最も気に入っていた服装か。あるいはまた、生きていたときに悩んだり、矛盾を抱えたりしていた人は、復活のときにもそれをそのまま持って復活するのか。そうだとすれば、復活によっても、現世の問題は何も解決されないではないか。そうであれば、現世をありのまま受け入れて、それに適応して生きていくのが最も良いのではないか。サドカイ派はそのように考えて、徹底して現実主義で、今を精いっぱい生きていればそれでよい、という考えに貫かれていました。

 今日でも、そのような人生観を持っている人が少なくないと思います。キリスト者の中にもそのような考えに近い人がいるのではないでしょうか。復活ということを真剣に考える機会が少なく、自分自身のこととしてとらえることができないのは、そのあたりにも原因があるのではないでしょうか。

 しかし、わたしたちはここで、サドカイ派の人たちが自ら語っている内容に、実は深刻な課題が隠されていることに気づかなければなりません。19節で、「兄が死に」、20節でも、「死にました」、21節でも、「死に」、22節では、「最後にその女も死にました」と、何回も、「死んだ」「死んだ」と繰り返されているのです。たとえ現実主義者のサドカイ派にとっても、人間の死の現実と死の重さは変わりません。家族や親しい人の死は、大きな悲しみであり、痛みであり、喪失であることには変わりないでしょう。死の厳粛さと言うか、いやむしろ、死の恐ろしさ、残酷さ、残忍さ、だれもそれに抵抗できない死の恐るべき悪魔的な力、それはサドカイ派にとっても、もちろんわたしたちにとっても、避けて通ることができない厳しい現実なのではないでしょうか。その死の現実を、目をそらさずにしっかりと見ることがなければ、生とか、生きることとかを正しく考えることはできないのではないでしょうか。

 わたしたちはここで、きょうの聖書の主イエスとサドカイ派の論争の結末を読む前に、主イエスご自身に目を向けたいと思います。復活を考える場合、主イエスのご自身の復活から始めなければ、正しい結論を望めないからです。この世界に存在するものはすべて、人間も、自然も、宇宙も、時と共に移り変わり、消え去り行くものであり、すべて死と滅びに支配されているからです。

 では、主イエスの死はどうだったでしょうか。主イエスは神のみ子であり、罪も汚れもなく、それゆえに永遠なる存在でしたが、父なる神によって、罪のこの世に派遣されました。罪びとたちと共に歩まれ、神の国の福音を語られ、そしてついには、自ら神のみ子であることを投げ捨てて、ご自身が罪びとの一人に数えられるほどに、わたしたち罪びとの罪と死とをご自身に担われたのです。そして、ご受難と十字架の死を経験されました。十字架の上で、「父よ、なぜわたしをお見捨てになられたのですか」と叫ばれるほどに、神から見捨てられて死ぬほかにないわたしたち罪びとの死を、わたしたちに代わって、わたしたちを代表して、十字架の激しい痛みの中で、死んでくださったのでした。

 父なる神は、このようにして死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順に神に従われた主イエスを、死から引き上げられ、天にあるご自身の右の座に着かせ給うたのです。主イエスの復活は、父なる神の厳しい裁きをくぐりぬけてきた復活です。

 そして、主イエスの復活はすべての信じる者たちの初穂としての復活であると聖書に書かれています。主イエスの十字架の福音を信じる信仰者を、神はその罪をおゆるしになり、死と滅びから救ってくださいます。主イエスの復活は、主イエスを救い主と信じる信仰者の初穂なのです。最初に収穫する初穂には次の収穫が続きます。主イエスを信じる信仰者には復活の命が約束されているのです。すでにこの世を去って、天にある勝利の教会に移されたわたしたちの信仰の先輩たちもこの約束を信じて天に召されました。そのことは、この礼拝に招かれているわたしたちにとっての大きな保障です。

 きょうの聖書の結論部分を読んでみましょう。【24~27節】。まずわたしたちはここで、復活とは過去の、古い、そのままのわたしに復活するのではなく、この世界に生きていたわたしとは全く違った、新しい命に復活するのだということを確認しておきましょう。聖書が永遠の命と言う場合にも同様です。永遠の命とは今の命がいつまでも延長して続くというのではなく、神から与えられるまったく新しい命のことであり、もはや再び朽ちることのない命のことです。

復活もそうです。かつてのわたしと同じ体の復活ではありません。「もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない」(ヨハネの黙示録21章4節)、いつも永遠に神が共にいてくださる新しい天と新しい地における復活です。25節で、主イエスは「天使のようになるのだ」と言っておられます。聖書には「霊の体」という表現もあります。全能の父なる神は天地万物と人間を、無から有を呼び出だすように創造されました。死から命を生み出すように、わたしたちの朽ちる体から復活の永遠の命を生み出されます。

神の国が完成されるときにわたしたちに与えられる復活の命は、わたしたちを一つの神の家族に結びつけます。肉にある親と子や兄弟の関係よりもはるかに固く豊かな交わりを持った主にある兄弟姉妹とされます。その関係は何ものによっても壊されることはありません。一人の父なる神と一人の救い主イエス・キリストによって結ばれた一つの霊にある関係だからです。

神は族長アブラハムの父なる神であられます。彼の死後もそうであり続けてくださいます。その子イサクにとっても、その子ヤコブにとってもそうであり続けます。アブラハムへの約束のみ言葉は彼の死後も有効です。イサク、ヤコブへと、神の約束は受け継がれます。神のみ言葉、神の救いの恵みは、その人の死後にもその人から取り去られることなく、最後の成就を目指して進んでいきます。神の約束のみ言葉は信仰者の死後も変わりません。神の命のみ言葉は信仰者の死後もその人と固く結びついています。神の命のみ言葉は人間の死よりも強く、人間の死を超えて約束の成就へと進んでいきます。そのようにして、神はいつも生きている人の神であり続けられ、また死んだ者をも生かす神であり続けます。

 

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの命のみ言葉を信じる者にしてください。そのみ言葉によって生きる者としてください。朽ち果て、移り行くものに心と目とを奪われることなく、永遠なるあなたのみ言葉を信じる者としてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和をこの世界にお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

11月3日説教「キプロス島での宣教活動」

2024年11月3日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:ホセア書14章2~10節

    使徒言行録13章4~12節

説教題:「キプロス島での宣教活動」

 バルナバとサウロ(すなわちパウロ)、それにヨハネ・マルコの一行が、アンティオキア教会から送り出されて第1回世界伝道旅行に出発したのは、紀元47年か48年ころであろうと推測されています。主イエスの十字架の死と復活が紀元30年ころとすれば、同じ年のペンテコステの時期、5~6月に最初の教会であるエルサレム教会が誕生して、わずか十数年でこのような世界規模での宣教活動が行われるように成長した教会の力の源はどこにあったのでしょうか。使徒言行録13章4節の冒頭に、「聖霊によって送り出された」と書かれています。教会のすべての命と力の源は聖霊なる神です。聖霊が、主イエスの十字架から逃げ去った弟子たちを再び呼び集めました。聖霊が彼らに主イエスの福音を語らせ、聖霊がそれを信じる教会の民を誕生させました。聖霊が教会の迫害者であったパウロを、主イエスの福音を宣べ伝える宣教者に変えました。聖霊がこの地アンティオキアにユダヤ人とギリシャ人とが共に主なる神を礼拝する教会をお建てになりました。聖霊がこの教会の祈りを導き、世界宣教の幻を彼らにお与えくださいました。そして今、聖霊が彼らを送り出して、世界伝道へと派遣されたのです。すべては聖霊なる神のお働きであり、ご計画なのです。

 【4~5節】。バルナバがサウロよりも前に名前が挙げられているのは、バルナバの方が年上だったからではないかと考えられています。ヨハネ・マルコは二人の助手としてしばらく手伝いますが、途中でエルサレムに戻ることになったと13章13節に書かれています。セレウキアは地中海に面した港町です。アンティオキアからはオロンテス川を下って30キロほどの距離です。そこから、彼らは地中海に船出してキプロス島に向かいました。この島が最初の宣教の地となりました。

 キプロス島はセレウキアの港から西に200キロメートル、地中海に浮かぶ大きな島で、クレテ島と並んで地中海の交通の要所でした。この島はバルナバの生まれ故郷であると4章36節で紹介されていました。この島にはすでに、エルサレム教会の大迫害で散らされたキリスト者によって主キリストの福音が宣べ伝えられていたということが11章19節に書かれていましたが、きょうの箇所ではそれとの関連については何も触れられてはいません。

 キプロス島の東海岸の町サラミスに着いて、彼らはすぐにユダヤ人の会堂で神の言葉を告げ知らせました。ここから、彼らの世界伝道旅行の特徴を見ることができます。それは、彼らの伝道旅行の目的がユダヤ人の会堂で神の言葉を宣べ伝えることであったということです。キプロス島はバルナバの生まれ故郷でしたから、親せきや知り合いの人たちが何人かはいたはずです。あるいは、すでに主キリストの福音が宣べ伝えられていましたから、何人かの信者がいたかもしれません。まず、その人たちを頼って、あいさつ代わりにというか、その人たちを集めて集会を持つということが考えられたかもしれません。その方が簡単だし、また有効な手段でもあると言えるのかもしれませんが、バルナバとパウロはそうしませんでした。彼らはユダヤ人の会堂に入り、そこで神の言葉を語りました。なぜならば、旧約聖書において、神が初めにイスラエルの民・ユダヤ人をお選びになり、この民と契約を結ばれたからです。主イエス・キリストの福音はまず第一に彼らにこそ語られなければならないからです。

 実は、この宣教方法はこの後のパウロたちの活動に受け継がれていきます。次の伝道地であるピシディア州のアンティオキアでも、14節に「安息日に会堂に入って」と書かれています。14章1節の、イコニオンでの宣教活動も、まずユダヤ人の会堂から始まっています。パウロはこの神の救いの秩序、順序というものを重要視しました。のちに彼が異邦人・ギリシャ人の宣教者と言われるようになるのは、ユダヤ人が主キリストの福音を拒んだからでした。

「神の言(ことば)を告げ知らせた」とありますが、これは主イエス・キリ

ストの十字架の福音を語り伝えることを言い表す決まった言い方です。使徒言行録でこれまでに語られていた使徒ぺトロの説教、最初の殉教者ステファノの説教、そしてこの後に書かれている使徒パウロの説教、それらのすべての説教の中心は、神が全人類を罪から救うためにこの世にお遣わしになった主イエス・キリストの十字架と復活の福音です。この福音を聞いて信じる人に神の救いが無償で与えられるという神の大きな恵みです。2千年の教会の説教は、あるいはこののち数千年の教会の説教も、この点においては全く変更されることはありません。

 キプロス島にはかなりの数のユダヤ人がいたと推測されます。彼らは離散のユダヤ人(ディアスポラ)と呼ばれていました。次に6節以下で登場してくるバルイエスという魔術師もユダヤ人で、偽預言者であったと紹介されています。【6~8節】。パフォスはキプロス島の西側に位置し、ここにはローマ帝国の行政府が置かれ、地方総督が常駐していました。ここでもわたしたちは使徒パウロが計3回の世界伝道旅行で最終的に目指した福音宣教の対象が何であったのか、その片鱗をうかがい知ることができます。当時世界を支配していたローマ帝国とその最高位の権力を誇っていたローマ皇帝に対して、「彼は決して神ではないし、主ではない、彼の国は決して神の国でもない。わたしたちの罪のために十字架で死なれ、三日目に復活された主イエス・キリストこそが、全世界の唯一の救い主であり、すべての人がそのみ前にひれ伏して礼拝し、信じ、従うべき唯一の主である」という福音を、ローマ皇帝の前で、ローマ皇帝に支配されている帝国の人々に語ること、これがパウロの世界宣教の最大の目標であったのです。キプロス島でローマ地方総督セルギウス・パウルスと出会ったということは、まさにその福音宣教の最前線に今パウロは立っているということを意味しています。

 バルイエスという名前はユダヤ名で「イエスの息子」という意味です。彼にはもう一つの名前がありました。それは8節で紹介されていますが、エルマ、ギリシャ語で魔術師を意味します。彼には、ユダヤ人としての伝統と、ギリシャ社会の異教の宗教・文化とが混ざり合っていました。「エルマ・魔術師」という名前は彼が得意とする仕事の内容からつけられた名前であることは分かりますが、「バルイエス・イエスの息子」という名前にどのような意味が込められていたのかはよく分かりません。もしかしたら彼は自分が主イエスの再来だと主張していたのかもしれません。あるいは、イエスという名前は「神は救いである」という意味を持つ、ありふれたユダヤ人の名前でしたから、主イエスとは直接には結びついていないのかもしれません。

 いずれにしても、ここで重要なことは、イスラエルにおいては旧約聖書で命じられているように、魔術は厳しく禁じられていたということです。また、偽預言者は神を欺く者としてこれもまた厳しく処罰されました。イスラエルの民はただ主なる神のみ言葉に聞き従うべきであり、主なる神は彼らの救いに必要なすべてのみ言葉を語ってくださるので、他のいかなるものをも信頼すべきではなく、他のいかなる言葉にも耳を傾けるべきではないと命じられていました。パウロが10節以下で厳しい言葉で魔術師エルマを断罪しているのはその理由によるのです。

 総督セルギウス・パウルスはバルナバとパウロとを招いて主イエスの福音を聞きたいと願っていました。しかし、魔術師エルマはそれを妨げようとしていたことが8節に書かれています。総督は高い地位にありましたが、神の真理に真摯に耳を傾けようとする求道の心を持っていました。それに対して、魔術師エルマは、おそらく総督のそばに付きまとい、総督に都合の良い魔術を行ったり、預言したりしていたように推測されます。もし、総督がパウロたちの福音を信じるようになれば、自分の偽りが暴かれ、収入減が絶たれることになることをも恐れたのに違いありません。それで、何とか総督をパウロたちから遠ざけようとしていました。エルマは二重にも三重にも、神の救いのみわざに反抗していたのです。

9節以下を読みましょう。【9~12節】。ここで初めてパウロという名前が現れます。そして、これ以降は使徒言行録では一貫してパウロという名前になり、またバルナバの名前の前に挙げられます。なぜ、ここでサウロからパウロに変更されたのかについては何も説明されていませんが、キプロス島で世界伝道の最初のキリスト者となったセルギオ・パウルスの名前にちなんで、ヘブライ語のサウロからラテン語のパウロに変更したのではないかと考えられています。

パウロはここで、神から与えられている権威によって、魔術師・偽預言者の偽りと邪悪に対決し、それに勝利しています。魔術師・偽預言者は、主なる神のまっすぐな道をねじ曲げる者であり、主なる神のみ力に対抗しようとする者であり、神の救いの道を妨げる者であるゆえに、神からの厳しい裁きを受けなければならないと宣言するのです。

わたしたちはここでもまた、神の言葉は決してつながれないというテモテへの第二の手紙2章9節の言葉を思い起こします。神の言葉は、どのような迫害や試練の中でも決してつながれることがないように、どのような異教の神々の妨害の中でも、決してつながれることはないのです。

「目が見えなくなる」という神からの罰は、迫害者であったパウロ自身も受けたものでした(使徒言行録9章)。これは永遠の裁きではありません。パウロは三日目に回心してキリスト者となったときに、再び目が見えるようになりました。魔術師エリマの場合も同じです。彼にも回心の可能性が残されており、再び目が見えるようになる可能性が残されています。パウロはここで神の厳しい裁きを語るだけでなく、神の憐れみと信仰への招きをも語っています。

総督はパウロが語った主イエス・キリストの福音を聞き、またパウロが語った神の言葉によって起こった奇跡の出来事を見て、主イエスを信じ、主イエスを救い主として受け入れました。「主の教えに非常に驚き、信仰に入った」と書かれているように、パウロが語った言葉は人間の言葉ではなく、全能の主なる神の力の言葉であり、全人類の唯一の救い主、主イエス・キリストの救いの言葉なのです。その主の言葉が人間を支配していた罪と死と滅びに勝利し、わたしたち信じる人すべてをまことの命によって生かすのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの命のみ言葉は死んでいたわたしたちに新たな命を注ぎ込み、罪に支配されていたわたしたちを罪の奴隷から解放し、まことの命に生かす命のみ言葉です。どうかあなたのみ言葉によって、わたしたちをすべての迷信や偶像崇拝から解放してください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に行われますように。すべての人間が主なるあなたを恐れる者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。