12月29日説教「主イエスが制定された聖礼典(二)」

2024年12月29日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(38)

聖 書:出エジプト記12章21~28節

    コリントの信徒への手紙一11章23~26節

説教題:「主イエスが制定された聖礼典(二)」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の4段落目の文章、「教会は」から始まる文章では、キリスト教教理で「教会論」と言われる教理が告白されていますが、その後半の部分、「主の委託により正しく御言(みことば)を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し」という個所では、教会の務め、使命について3つが挙げられています。きょうはその第二の「聖礼典を行い」についての二つめ、聖餐について学びます。

 宗教改革者ルターとカルヴァンは、真実の教会であることの目印として、神のみ言葉である聖書が正しく解き明かされ、説教され、聞かれていること、また同時に、聖礼典が主イエスの制定のごとくに、聖書のみ言葉に従って正しく執行されていること、この二つを真実の教会であることの目印として挙げました。そしてまた、彼ら宗教改革者たちは、ローマ・カトリック教会が7つの秘跡を行っていたのに対して、洗礼と聖餐、この二つだけを聖礼典(サクラメント)と定めました。その基準は、主イエスご自身が制定されたことがはっきりと確認できるかどうかにあります。洗礼と聖餐、この二つは主イエスご自身が制定されたという聖書の記録が確かに確認されますが、ローマ・カトリック教会が挙げている他の5つの秘跡、堅信、告解、終油、叙階はいずれも、のちになって教会が考え出したものであるので、わたしたちプロテスタント教会は聖礼典には数えていません。

 主イエスが洗礼を聖礼典として制定された聖書の根拠は、前回わたしたちが学んだように、まず主イエスご自身がヨルダン川で洗礼を受けられことにあります。主イエスは罪のない聖なる神のみ子であられたにもかかわらず、わたしたち罪びとの中に入ってきてくださり、罪びとと同じ洗礼を受けられ、罪びとの一人に数えられて十字架で死んでくださった、ここにその根拠があります。

もう一つは、復活された主イエスがマタイ福音書28章19節で、弟子たちにこのようにお命じになったことにあります。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」。このように、洗礼を授けて新しい信仰者を生み出し、新しい信仰の民を増し加えていく務め、使命、そして権能を、教会は主イエスから託されたのです。

 では次に、聖餐についての聖書の証言を見ていきましょう。きょう朗読されたコリントの信徒への手紙一11章では、聖餐は「主の晩餐」と言われています。11章20節にその言葉が出てきます。これは今日の聖餐式のことです。わたしたちの教会での聖餐式では、小さなパンと小さなコップのぶどう液が用いられますが、初代教会では普通の夕食のような共同の食事を伴った式であったので、「主の晩餐」と言われました。

 『日本キリスト教会式文』では、11章23節以下のみ言葉が、聖餐式の「制定語」として読まれます。その制定語で、使徒パウロは「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」と語り、聖餐=主の晩餐が主イエスご自身によって制定されたものであることを明らかにしています。主イエスご自身が制定された聖餐とは、言うまでもなく、弟子たちと共に食べた最後の夕食のことです。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書(共観福音書)にほぼ同じ言葉で記されています。主の晩餐=聖餐はこの最後の晩餐を受け継いだものです。

 主イエスと弟子たちの最後の晩餐は、さらにさかのぼれば、旧約聖書の出エジプトの時代にその起源があります。エジプトの地で長く奴隷として苦しめられていたイスラエルの民を救うために、神はイスラエルの家の門とかもいに子羊の血を塗るようにお命じになりました。その血をご覧になって、神はイスラエルの家の前を過ぎ越され、災いから守られました。エジプトの家々では、人間の長男も家畜の初子もみな滅ぼされて、国中が大混乱になっている間に、イスラエルの民はエジプトの奴隷の家から脱出することができました。

 これを記念して、イスラエルではその後毎年、過ぎ越しの祭りを祝い、ニサンの月の14日の夕方には、家族ごとに過ぎ越しの食事をする習わしになりました。主イエスが十字架につけられる前日に弟子たちと一緒に囲んだ夕食が、この過ぎ越しの食事でした。

 過ぎ越しの食卓では、家の主人はこの日の特別な食事の意味を家族に説明します。「この子羊は、神がわたしたちの家を過ぎ越して、わたしたちを奴隷の家エジプトから救い出されたしるしである」。「この苦菜は、エジプトでのわたしたちの苦しみのしるしであり、またその苦しみから主なる神が救い出されたしるしである」と。ところが、主イエスは弟子たちとの最後の晩餐の席で、その過ぎ越しの食事に新しい意味を付け加えられました。「このパンは、あなたがたのためのわたしの体である」。「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である」と。

 主イエスは、ご自身の十字架の死によって成就されるであろう全人類の罪のゆるしと救いの約束としるしを、十字架の死の前に、あらかじめ弟子たちとのちの教会の民のために制定されたのです。共観福音書で語られている主イエスご自身の聖餐=主の晩餐の制定の言葉が、初代教会に受け継がれ、パウロはおそらくそれをアンティオキア教会で受け取り、コリントの教会へと受け渡しているのです。

 聖餐=主の晩餐は、主イエスの十字架の死によってわたしたちに与えられた罪のゆるしと救いの恵みを、わたしの目で見て、口で味わって、わたしの体全体で経験するしるしです。中世の神学者アウグスティヌスは「見えない神の恩寵の目に見えるしるしである」と説明しました。また、宗教改革者たちが、「聖礼典は、聖書のみ言葉に従って正しく執行されることが重要である」ことを強調しました。聖礼典が人間の動作や儀式だけになってしまうと、それは魔術化し、真の意味がゆがめられていきます。聖礼典は神の言葉である聖書のみ言葉と密接に結びついて執行されなければなりません。聖書のみ言葉の解き明かしである説教と固く結びついて執行されなければなりません。聖餐式だけが執行されるということはあり得ません。説教で語られた主イエス・キリストの十字架と復活の福音が目に目えるしるしとして執行され、差し出されるのが聖餐式です。ローマ・カトリック教会のように、説教を伴わないミサだけが行われる礼拝に対しては、わたしたちは異議を唱えなければなりません。また、ことさらに聖餐式をありがたがるような考えも改めなければなりません。

 宗教改革以降、聖餐についての議論、聖餐論と言いますが、これがカトリック教会とプロテスタント教会、またプロテスタント教会の諸教派間で激しく議論されてきました。わたしたちの教会、改革教会の聖餐論を深く理解するうえで、他の考えをも知っておくことは助けになるでしょう。大きく4つのパターンに分けて、簡単に分類してみましょう。一つは、ローマ・カトリック教会の説です。それによれば、司祭が「これはわたしの体である」と言えば、パンが実質的に主イエスの体に変化するという説です。これを「実体変化説」あるいは「化体説」と言います。実際に目撃したことはありませんが、映像で見ると、司祭の言葉と共に鐘かベルのような音が響いていて、それとともにパンの実体が主イエスの体に変化するのだそうです。もちろん、わたしたちはそうは考えません。パンはいつまでもパンであり、ぶどう酒、ぶどう液もいつまでもそれが何かに変化することはありません。

 二つめは、「共在説」と言われ、これはマルチン・ルターの説で、今でも主にルター派教会などで言われている節です。これは、パンとぶどう酒の実体は変わらないが、そのかたわらに主イエスの体と血の実体が共に存在しているという考えです。

 三つめには、フリードリッヒ・ツヴィングリが唱えた「象徴説」です。パンとぶどう酒はそれぞれ主イエスの体と血とを象徴している記号であるという考えです。

 実は、わたしたち日本キリスト教会の理解はこの「象徴説」であると言われることがあるのですが、それは間違いです。「象徴説」では、そこには信仰も聖霊のお働きも、必要なくなってしまうからです。聖餐式が単なる目に見える儀式、お芝居のようになってしまうからです。

 カルヴァンはツヴィングリの「象徴説」に対しては激しく反対しました。そこでは信仰が何も養われることがないからです。カルヴァンは聖餐においての聖霊のお働きと、それを信仰をもって受け取ることの重要性を強調しました。パンはパンのままであり、ぶどう酒もぶどう酒のままで変化することはありませんが、それをわたしたちが主イエスの制定のみ言葉を聞きつつ、信仰をもってそれを食し、それを飲み、味わうときに、そこに聖霊が働き、説教で聞いた救いの恵みをわたしの目と口を通して体全体で受け止め、わたしの信仰をより強め、確かにするのだと、カルヴァンは教えました。

 『日本キリスト教会式文』では、このように言われています。「栄光の主は、聖霊において、わたしたちの食卓にともにいまし、信仰をもってこれにあずかる者のうちに働き、交わりを新たにし、罪の赦しと、永遠の生命の約束を堅くし、教会の一致を保たせてくださいます」。

最後に、聖餐の終末論的な意味を確認しておきましょう。きょうの聖書の26節に「主が来られるときまで」と書かれています。共観福音書では「神の国で新たに飲むその日まで」(マルコ福音書14章25節)と言われています。聖餐は終わりの日の神の国での大宴会の日まで続けられます。その終わりの日の祝宴を先取りして行われます。わたしたちの目から涙が全くぬぐい取られ、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(ヨハネの黙示録21章4節)、全く新しくされた神の国での祝宴を待ち望みながら、またその祝宴を先取りするように、聖餐は行われます。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたがこの一年、わたしたちの教会とわたしたち一人一人と、いつも共にいてくださり、すべての必要なものを備えてくださり、わたしたちの信仰の道を守り、導いてくださいましたことを覚え、心から感謝をささげます。わたしたちの不信仰や多くの欠けや破れにもかかわらず、あなたの恵みが多くあったことを覚え、今深い悔い改めとともに、大きな喜びを覚え、あなたのみ名をほめたたえます。

〇願わくは、あなたの義と平和が全世界のすべての国民、すべての地域、すべての人々の上に与えられますように、切に祈ります。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

12月22日説教「貧しいお姿になられた神」

2024年12月22日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

               (クリスマス礼拝)

聖 書:詩編148編1~14節

    ルカによる福音書2章8~20節

説教題:「貧しいお姿になられた神」

 主イエスが誕生されたクリスマスの出来事は、マタイによる福音書1章とルカによる福音書2章の2か所に書かれています。両者を読み比べてみると、それぞれの強調点は違ってはいますが、大筋では共通しています。主イエス誕生の舞台は、イスラエルの北部、ガリラヤ地方にある町ナザレ。主イエスの両親となったのは、まだ正式に結婚していない婚約中のヨセフとマリア。そのマリアとヨセフに神のみ使い、天使が現れて、「マリアの胎内の子は聖霊による子であり、聖なる神のみ子である。生まれてくる子をイエスと名付けなさい」と告げる。ここまでは、マタイとルカの二つの福音書は共通しています。

 ルカ福音書ではさらに、ヨセフは身重のマリアと一緒に住民登録をするために、南に100キロ以上も離れたエルサレム近郊のベツレヘムまで旅をする。そのころ、羊の群れの番をしていた羊飼いたちに天使が現れて、「きょうダビデの町で、あなたがたのための救い主がお生まれになった」とのみ告げを聞く。彼らは急いでベツレヘムへ出かけ、そこで幼子主イエスを探し当てる。これがルカ福音書だけにある記録です。

 この二つの福音書を、内容的にもっと深く読み比べてみると、両者に共通している一つのことに気づきます。それは、全体的にみて、非常に地味で、小さな、目立たない要素に貫かれているということです。神のみ子の誕生、全世界の救い主の到来、ということを描く聖書としては、その舞台も、そこに登場する人物も、その内容も、むしろ貧しく、貧弱で、目立たないものばかりである、ということに少し不思議さを思えます。

 クリスマスと言えば、世界中のあらゆる場所で、あらゆる分野で、一年中で最もにぎやかな、華やかで、大きく、目立った景色を競い合う時期です。きらびやかなイルミネーションが町を飾り、みんなが高いアドバルーンを上げ、大きな音量で叫び声をあげます。みんなに自分たちの存在を知ってほしい、自分たちの価値を認めてほしいと願っているからです。

 でも、聖書のクリスマスはそうではありません。神はむしろ、目立たない方法で、小さな人や貧しい出来事によって、クリスマスのことをわたしたちに知らせようとしておられるように思われます。

 救い主・主イエスの両親となるのは、ガリラヤ地方ナザレに住む若いヨセフとマリアです。ヨセフは大工の息子でした。マリアは普通の娘でした。当時世界を支配していたローマ帝国の皇帝がローマにいましたし、ユダヤのヘロデ王家がエルサレムの宮殿に住んでいました。そうであるのに、彼らのだれ一人として、クリスマスの出来事の主人公ではありませんし、ローマもエルサレムもクリスマスの中心的な舞台ではありません。

 ここには、不思議な神の選びがあるのです。神は大きなものや強いもの、高いものや高価なものをお選びになるのではなく、むしろ貧しく、小さく、みすぼらしいもの、無価値なもの、見捨てられているようなものを、あえてお選びになるのです。そこには、神の側からの一方的な愛があるからです。選ばれる側には何らの誇り得るものはありません。神から差し出される大きな愛と恵みを感謝するだけです。その神からの愛と恵みを受け取るためにわたしたちに必要なのは、ただ信仰だけです。信仰をもって、神に向かう人にだけ、クリスマスの大きな、豊かな恵みと祝福が与えられるのです。

 では、きょうの聖書の中から、クリスマスのしるしの中で小さな、目立たないものを、ひとつ取り上げてみましょう。【ルカ福音書2章12節】(103ページ)。「布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子」がクリスマスのしるしであると言われています。9節に書かれているような羊飼いたちが見たまばゆいばかりの天からの主の栄光と、10節に書かれている全世界に伝えられる大きな喜びの知らせ、そして11節に書かれているすべての人の罪をゆるす救い主の誕生、その偉大なるクリスマスの出来事の目に見えるしるしが、「布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子」だと言われているので

す。

 なぜそのようになったのかについては、少し前の6節、7節に目を向ける必要があります。ヨセフとマリアは皇帝アウグストゥスの命令に従って、住民登録をするためにベツレヘムに行きました。けれども、宿屋はみな満杯で二人が泊まれる部屋はありません。身重のマリアにさえ、あたたかくやわらかな布団がありませんでした。二人は家畜小屋の中で、赤ちゃんを産むほかなかったのでした。だから、生まれてきた赤ちゃんは「布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている」ほかになかったのです。それが、クリスマスのしるしとなったのです。それは一体どういうことなのでしょうか。

 ここにも、神の不思議な選びがあるのです。しかし、それは神がだれかを選ばれたとか、神が何かを選ばれたというのではありません。神ご自身が、このようなみすぼらしい、貧弱な、いと小さな者となることを選ばれたということなのです。すなわち、神ご自身が家畜小屋の、薄暗い、じめじめした、人間が寝泊まりできそうもない、だれもがそこには目を向けず、だれもがむしろそこからは目をそむけたくなるような、そのような場所でお生まれになるという、神ご自身の選びがあるのです。そのように、神がご自身を貧しく、低く、いと小さなお姿でこの世においでになるという、神の自己卑下がここにはあるのです。神はこのクリスマスの日に、そのような貧しく低く、いと小さなお姿でわたしたちに出会ってくださったのです。それは何と大きな神の愛であることでしょうか。それは何と大きな神の恵みであることでしょうか。わたしたちはこのような貧しいお姿の神に出会うのです。わたしたちは神を求めて、天に至るまでの高い塔を積み上げる必要はありません。天にまで登ろうと努力を積み重ねる必要はありません。否、そうすべきではありません。神がわたしたちの低き所にまで下りてきてくださっておられるからです。神はわたしたちの罪の世界に人の子としておいでくださったのです。

 ご自身を徹底的に低く貧しくされた神、クリスマスの日にそのようにして全人類への大きな愛を示された神は、この日に誕生されたご自身のみ子・主イエスを、わたしたちの罪の贖いとして十字架の死へと引き渡されたということを、わたしたちは福音書の終わりで知らされます。クリスマスの時の神の偉大なる愛と恵みは、主イエスの十字架と復活にまで続いています。そこにおいて、ご自身を貧しくされた神の愛と恵みは、その頂点に達したのです。クリスマスの日にご自身を貧しくされ、低く小さくされた神は、み子・主イエス・キリストの十字架において、ご自身のすべてをわたしたち罪びとの救いのためにささげ尽くしてくださったのです。

 パウロはローマの信徒への手紙8章32節でこう言っています。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子のみならず、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」。そして、どんなものであれ、「わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(39節)と。

 クリスマスの日に貧しいお姿で、人となられてこの世においでくださった神の愛は、ご自身の一人子を十字架の死に引き渡されるほどにわたしたち罪びとを愛される偉大なる愛となって結晶したのです。その神の偉大なる愛によって、わたしたちは神と固く結ばれています。その神の偉大なる愛は、分断されているこの世界と孤立化している人間たちを固く一つに結ぶ力となります。

ねがわくは、全世界のすべての人々の上に、この神の偉大な愛が注がれますように。そして、すべての人たちがこの神の偉大な愛によって一つに結びつけられますように。

 

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、争いや分断、戦争や破壊が続くこの世界を顧みてください。住む家を失い、貧困に苦しむ人々、語り合える隣人を持たず、あすに希望を見いだせないでいる人々、重荷を負い、道に悩んでいる人々、すべてあなたの助けと導きとを必要としている人々に、どうかあなたが近くにいてくださり、慰めと励まし、希望をお与えくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

12月15日説教「アンティオキアでのパウロの説教」

2024年12月15日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:サムエル記下7章8~17節

    使徒言行録13章13~25節

説教題:「アンティオキアでのパウロの説教」

 パウロとバルナバによる第一回世界伝道旅行の記録が使徒言行録13~14章に書かれています。紀元47年か48年ころのことと考えられています。二人はシリア州のアンティオキア教会から出発して、まず地中海のキプロス島で伝道活動を行い、それから小アジア地方のパンフィリア州ペルゲに上陸します。これから小アジア地方(今のトルコ)での伝道活動が展開されます。

 13節の冒頭に、「パウロとその一行は」とあり、ここからはパウロの名前がバルナバの前に書かれます。4節ではバルナバが先でしたが、それはたぶんバルナバの方が年上だったからと推測されていますが、キプロス島での伝道活動以後は、サウロがパウロになり、パウロの名前がバルナバの前に書かれるようになります。実質的にも、パウロが一行のリーダーになります。

 ペルゲに上陸してすぐにマルコはエルサレムに引き返すことになりました。その理由は書かれていません。体調が悪くなったのか、あるいはホームシックか、年若いマルコにとっての初めての遠い地への伝道旅行は、負担が大きかったことは想像がつきます。でも、パウロとバルナバはさらに小アジアの奥地へと進んでいきます。

 【14~15節】。地中海沿岸のペルゲからピシディア州のアンティキアまでの道のりは、北の内陸部へ、標高1200メートルの山脈を超える150キロメートル以上の険しく困難な山道でした。でも、使徒言行録はその困難な道のりを、「ペルゲから進んで」と表現しています。この「進んで」という言葉にはいくつかの意味が込められているように思われます。ペルゲに上陸してすぐに、同行していたマルコが引き返すという残念なことがあり、パウロもバルナバも落胆していたと想像できます。しかし、そうであっても、彼らの福音宣教の歩みはそこでとどまることはありません。さらに先に進められていきます。彼らの歩みを導かれるのは、聖霊なる神だからです。

 もう一つの意味は、これから彼らの歩みは険しく困難な山岳地帯へと向かいます。しかし、そうであっても、彼らの歩みはさらに力強く前進していきます。彼らが持ち運んでいるのが主イエス・キリストの福音だからです。主イエス・キリストの福音を持ち運ぶ伝道者の足は、力強く、軽やかで、たくましく、喜びに満ちているからです。その道がどれほどに困難で険しく、また危険に満ちていても、伝道者の足は彼らが持ち運んでいる福音の力と命によって支えられ、導かれているからです。わたしたちは、これからのち、使徒パウロの計3回の世界伝道旅行の記録を読んでいく中で、何回もそのことを確認することになるでしょう。

 ピシディァ州のアンティオキアは、シリア州のアンティオキア(パウロたちを派遣した教会が建てられていた町)と同じ名前の都市ですが、いずれも紀元前3世紀のギリシャ・セレウコス王朝のアンティオコス大王の後継者が建設した都市で、大王の名にちなんでそのように呼ばれていました。

パウロたちはキプロス島での伝道活動でも、5節に「ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた」と書かれていたように、小アジアのこの町でも「安息日に会堂に入って」と14節に書かれています。この町にもディアスポラと呼ばれていた離散のユダヤ人が多く住んでいたようです。パウロたちはまず彼らに福音を語ります。

14、15節には当時のユダヤ人会堂での礼拝の様子が描かれていますので、それを整理してみましょう。「安息日」とはユダヤ人の安息日、土曜日のことです。「会堂」はシナゴーグと呼ばれる集会所のことです。ユダヤ教では、紀元前621年に行われたヨシヤ王の宗教改革以来、動物を犠牲としてささげる礼拝はエルサレム神殿だけに限定されることになり、地方の会堂では動物犠牲を伴わない礼拝が安息日ごとに行われていました。パウロたちはそれに出席しました。大きな会堂では会堂長(会堂司)が複数人いて、礼拝の役目を分担していました。

安息日礼拝では、まず「シェマー」と言われる信仰告白が会堂長によって宣言されます。「シェマー」とは、ヘブライ語で「聞け」と言う意味で、申命記6章4節の冒頭の言葉です。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」とのみ言葉が宣言されます。祈禱がささげられたあとで、旧約聖書のモーセ五書(律法)と預言書の中から、聖書日課に従って、その日定められている聖書の箇所が朗読されます。それから、説教が行われます。説教者はあらかじめ決められた町の長老が立てられるのが一般ですが、会衆の中から選ばれることもありました。ルカ福音書4章に書かれている、主イエスが生まれ故郷ナザレの会堂で、朗読されたイザヤ書のみ言葉を解き明かされたのは、その場で指名されたのであろうと推測されています。きょうの箇所でも、旅行者であるパウロとバルナバが指名され、パウロが説教をするために立ち上がりました。そのパウロの説教が16~41節まで続きます。これは、使徒言行録に記されているいくつかのパウロの説教の最初のものです。また、この後のパウロの説教は主にギリシャ人・異邦人に対して語られたものですが、この箇所がユダヤ人に語られた唯一の説教です。

 このパウロの説教は、わたしたちがこれまで読んできたペトロのペンテコステの日の説教(2章14節以下)や、最初の殉教者となったステファノの説教(7章1節以下)と、その構造、内容ともに非常によく似ています。パウロの説教の前半17~23節では、イスラエルの民が神に選ばれ、神の救いの恵みによって導かれてきたことが語られ、それに続いて、24節からは、神の救いの歴史が主イエス・キリストによって最後の成就と完成に向かっていくこと、そして主イエス・キリストを信じる人はみな罪のゆるしを与えられ、救われるということが語られます。ペトロの説教でも、ステファノの説教でもほぼ同じです。

 では、次にパウロの説教の内容について学んでいきましょう。【16~18節】。パウロが初めに呼びかけている「イスラエルの人たち」とは、世界に散らされているイスラエルの民・ユダヤ人のことです。イスラエルの民は紀元前721年には、北王国イスラエルがシリアによって滅ぼされ、ユダヤ人はパレスチナ地域から全世界に散らされていきました。そして、587年には、南王国ユダもバビロンによって滅ぼされ、多くの民がバビロンの地に連れ去られました。一時、バビロンから帰還しましたが、その後も、たび重なる外国からの攻撃によって、ユダヤ人は全世界に散らされていったのです。

 でも、彼らは、神から与えられた神の言葉である律法を守り、神に選ばれた契約の民であることを忘れることなく、各地に会堂を建て、そこで安息日の礼拝を守り、信仰を持ち続けました。イスラエルの民の長い苦難と試練の歴史の中でも、神は彼らをお見捨てにならず、神が彼らによってお始めになった救いのみわざを、やがてその最終目的へと至らせるために、神はメシアなる救い主・主イエス・キリストを彼らにお送りくださったのです。パウロはそのメシア・救い主について語るために、まず、神に選ばれた契約の民イスラエルの人たちに呼びかけているのです。

 「神を畏れる方々」とは、今までにも出てきましたが、イスラエルの民・ユダヤ人ではないが、ユダヤ人の神、聖書の神の真理と救いを求めて、ユダヤ教の信奉者となっているギリシャ人・異邦人のことです。実は彼らにもまた、主イエス・キリストの福音によって、信じて神の民とされる道が開かれています。ユダヤ人であれ、ギリシャ人であれ、だれであれ、主イエス・キリストを救い主と信じて、罪を悔い改め、洗礼を受けるならば、すべての人が罪ゆるされ、救われ、神の国での永遠の命を約束されるのです。

 説教の冒頭で、パウロは神の選びについて語ります。「この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し」と語りだします。信仰の民イスラエルの誕生は神の選びによります。イスラエルの選びに始まり、すべての信仰者の誕生は神の選びによります。わたしたちがひとりの信仰者として誕生するのもそれ以外ではありません。神がこのわたしを、取るに足りないわたしを、欠けや破れがあり、罪多きわたしを、この世から選び分かち、教会に招いてくださり、信仰告白と受洗へと導いてくださることによって、わたしは信仰者とされ、神の国の民に属する一人とされたのです。

 神がイスラエルを選ばれたことについて、申命記7章6節以下ではこのように言われています。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。……救い出されたのである」(申命記7章6~8節、292ページ)。

 神の選びは、イスラエルの選びがそうであったように、神の側からの一方的な愛の主導権によって、神に選ばれるに値しないと思われているもっとも小さなもの、無価値なものを、神はあえてお選びになるのです。それによって、神の無限の愛と恵みがいよいよ明らかにされるのです。

 イスラエルの選びは、具体的には族長アブラハムから始まりました。その子イサク、その子ヤコブへと神の選びは受け継がれました。そして、ヤコブの子孫はひとたび神の約束の地カナンを離れてエジプトに移住しました。けれども、神はエジプトの地にあるヤコブ・イスラエルの子孫の400年間の歩みを決してお見捨てにならず、かえって、エジプトの異教の地にある彼らを増やし、強大な民に成長させ、ついにご自身の強いみ手をもって、エジプトの奴隷の家からイスラエルの民を導き出されたのでした。神のイスラエルに対する選びの愛は、族長時代の200年間も、エジプト時代の400年間も、その後の荒れ野の旅の40年間、約束のカナンに入ってからのイスラエルの激動の千年間にも、全く変わることはありませんでした。そしてついには、主イエス・キリストによって、神は新しい教会の民を選んでくださったのです。

 主イエスは弟子たちとわたしたちの選びつついて、ヨハネ福音書15章16節でこのように言われます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなた方を選んだ。……任命したのである」(16節、199ページ)。

 わたしの選びや、わたしの信仰、わたしの決意よりも、はるかに大きく、強く、確かである主イエスご自身の選びの愛があるからこそ、わたしたちは固く立つことができ、また神のみ心にかなった豊かな実りを結ぶことができるという約束と希望に生きることができるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの永遠の選びこそがわたしたちを固く立たせます。どのような試練の日々であろうとも、どのような困難で暗い道であろうとも、あなたの選びを信じて歩ませてください。

〇この地に、あなたの義と平和をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

12月8日説教「神のみ名が崇められますように」

2024年12月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編145編1~9節

    ルカによる福音書11章1~4節

説教題:「神のみ名が崇められますように」

 主イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」の原型はルカ福音書11章とマタイ福音書6章の2か所に記録されています。わたしたちが礼拝などで祈っている「主の祈り」はマタイ福音書がテキストになっています。二つを比較してみると、マタイ福音書よりもルカ福音書の方が全体的に簡潔で、短くなっています。なぜこのような違いが生じたのかについては、詳細は分かっていませんが、おそらくは主イエスの祈りがのちの時代に伝承されていく過程で、それぞれに地域や教会で違って受け継がれていったからであろうと推測されます。ちなみに、主イエスが実際に弟子たちに教えられたのがおよそ紀元30年ころ、マタイとルカ福音書が書かれたのがおよそ紀元70年代とすれば、紙などの記録手段が乏しかった時代背景を考えれば、その間40年の間に主の祈りの内容に違いが生じることはありうると言えます。わたしたちはこれからルカ福音書をテキストにして「主の祈り」を学んでいきますが、その中で両者の違いについても触れたいと思います。

 まず、主の祈りの全体的な構造についてみていきましょう。マタイ福音書では、前半の三つの祈り(祈願)は「御名」「御国」「御心」についての祈りで、「御」とは原文のギリシャ語では「あなた」、つまり神のことです。ルカ福音書では「御名」「御国」の二つの祈願になっていますが、いずれも祈りの前半では、まず神についての祈りがなされます。主イエスが教えられた「主の祈り」では、この点が第一に重要です。主イエスはまず第一に、あなたの神について、神のことを祈りなさい、神が正しく神であるように祈りなさい、あるいは、神があなたにとってどのような方であるのかを正しく知ることが重要なのだと教えておられるのです。

 祈りとは、人間が自分の願いを神に聞いていただくことだから、まず神に自分のことを知ってもらうことが重要だと考えるかもしれません。だから、できるだけ言葉を尽くして自分を神に訴えることが重要だと考えるかもしれません。しかし、主イエスが教えられた主の祈りはそうではありません。なぜならば、主イエスは言われるのです。「あなたのことは、あなた自身よりも、主なる神の方がもっとよく、もっと深く、あなたのことをご存じなのだ。あなたに今何が最も必要なのか、あなたに欠けているものは何か、あなたが何を求めるべきかを、神ご自身が最もよく知っておられるのだ」と。だから、あなたのことを最もよく知っておられ、あなたの最も奥深いところまでをも知っておられる神のことをまず祈りなさい、と主イエスはお命じになるのです。

 次に、神への呼びかけについてです。ルカ福音書では、単純に「父よ」ですが、マタイ福音書6章9節では「天におられるわたしたちの父よ」となっています。どうしてこのような違いが生じたのかについてはよく分かりませんが、両者に共通していることは、ルカもマタイも神を「父」と呼んでいることです。

 実は、神を父と呼ぶのはイスラエルにおいては非常に珍しいことです。旧約聖書で、神を父と表現している個所はわずか数か所だけで、しかも直接に神に向かって「父よ」と呼びかけている例は全くありません。彼らにとって神は、いと高き天におられる聖なる存在であり、人間が近寄りがたい恐るべき存在であったからです。その神を人間の親子の関係のように親しく「父よ」と呼ぶことは、神を冒涜することになりかねないからです。

 では、なぜ主イエスは神を父と呼ぶように教えられたのでしょうか。その理由はわたしたちにも推測できます。すなわち、主イエスこそが父なる神の御一人子としてこの世に誕生されたからです。主イエスにとっては、まさに神は父であられ、「わたしの父」であられるからです。主イエスはしばしば神に向かって「父よ」と呼びかけられました。最も印象深い場面を取り上げてみましょう。主イエスの十字架の場面で、ルカ福音書23章34節では、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られました。46節では、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われて息を引き取られました。父と子の関係が今まさに断ち切られようとしている死の間際の、痛みと苦悩の極みにあって、主イエスは神を「父よ」と呼ばれ、父なる神のみ心に従順に服従されたのです。

 主イエスがわたしたちに、神に対して「父よ」と呼びかけるように教えられたのは、まさに主イエスがそのことを可能にされたからです。主イエスご自身が、神とわたしたち人間との間にあった罪を取り除いてくださって、神をわたしたちとを霊による親と子という、親密で、永遠に消え去ることがない固い交わりの中へと招き入れてくださっておられる、そのような主イエスの十字架による救いのみわざによって、わたしたちは神を「父よ」と呼びかけることができるようにされているのだということが分かります。

 ヨハネの第一の手紙3章1、2節にこう書かれています。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。……わたしたちは、今すでに神の子なのです……」。わたしたちが、祈りにおいて神に向かって「父よ」と呼びかけることがゆるされている、それは何という大きな神の愛であり恵みであることでしょうか。

 祈る際に、最初に神への呼びかけをするということを、初心者は覚えておくのがよいと思います。祈り心はだれにでもあると言われますが、しかし実際に声に出して祈ってみなさいと言われると、何をどう祈ってよいのか、口ごもってしまいます。とにかく、まず「父よ」とか、「天におられる父なる神よ」と声を出して呼びかけてみると、次の祈りが言葉になりやすくなります。わたしの近くにいてくださり、わたしのすべてを知っていてくださる父なる神が、何をどう祈るべきかを聖霊によって教えてくださいます。そして、終わりの結びに、「この祈りを主イエス・キリストのお名前をとおして、み前におささげします。アーメン」と祈れば、だれでも戸惑うことなく、恥ずかしがることなく、人前でも一人でも、すぐに祈ることができるようになります。どうぞ皆さま、日々の祈りの生活を続けてください。

 次は、第一の祈願です。マタイ福音書もルカ福音書も「御名が崇められますように」と、全く同じです。「御」とは、最初に説明しましたように、原文では「あなた」、すなわち神のことです。神のお名前のことが、第一に祈られているということに改めて注目したいと思います。わたしの名前のことではなく、だれかの名前でもなく、神のお名前こそが、この世界のどんな名前よりも、最も崇められますようにとの祈りです。

 宗教改革者のルターは、この第一の祈願について、「わたしたちは深い罪の自覚と悔い改めなしには、この祈りを祈ることはできない」と書いています。と言うのは、わたしたちの日常生活の中で、またしばしばわたしの祈りの中でも、神のお名前よりは自分自身の名前の方がより重要な意味を持っていることが多いからです。神のお名前が崇められることのために生きているのではなく、自分の名前や、他のだれかの名前のために生きているのがほとんどです。それによって、神のお名前が無視され、軽んじられ、あるいは踏みにじられ、卑しめられたりしている、そのような生活をわたしたちは認めざるを得ないのでないでしょうか。そのことに気づかされ、そのような罪を告白し、悔い改めることなしには、だれもこの祈りをすることができない、とルターは言うのです。

 わたしたちは自分の名誉が傷つけられることを嫌います。時には、肉体的な傷を負わされるよりも、自分の権利や誇りや名誉が侵害されることの方が、より大きな苦痛を感じることがあります。わたしたちの生活はいつでも自分の名前が中心になっていて、自分の名前が一番大切な位置を占めています。信仰生活の中でもしばしばそういうことが起こり得ます。教会で奉仕するとき、愛の業に励むとき、捧げものをするとき、また祈るときにも、神のお名前が崇められることを願うよりも、自分の名前が高められることのためであったり、だれかの名前のためであったりすることがあります。わたしたちは深い罪の自覚と悔い改めなしには、この祈りを祈ることはできません。そのことを第一に告白しなければなりません。

 では、神のお名前を崇めるとはどういうことでしょうか。名前は、その人を他から区別するための単なる記号ではありません。その人の名前には、その人の存在、人格、あるいは名誉や権利のすべてが結びついています。古代社会においては、また特に聖書の世界においては、今日のわたしたちが考えるよりもはるかに強く、名前とその人の人格、存在、またその人の言葉、行動、考えのすべてが固く結びついていました。

 創世記1章、2章の、神が天地万物を創造された箇所で、神が創造されたものを、「神は光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」(1章5節)。「神は大空を天と呼ばれた」(8節)と繰り返されていますが、神が創造されたものに名前を付け、その名前を呼ばれるということは、神がそのものをご自身の所有として永遠に支配されるという意味が込められています。名前を付ける、あるいは名前を呼ぶということは、その名前を持つ人との深い関係、交わり、時に支配、服従、時に導き、守りというような意味を含んでいるのです。

 モーセの十戒の第三の戒めで、「あなたの神、主のみ名をみだりに唱えてはならない」と命じられているのも、それに関係しています。神のお名前は、天におられる聖なる神、全能の父なる神の存在、そのお働き、その尊厳と密接に結びついています。人がそのお名前を自分勝手な目的のために用いることは、神の尊厳性、神の永遠性を損なうことになることを恐れ、神のお名前を口に出すことを戒めたのです。旧約聖書の民は、その戒めを厳格に守ったために、やがて神のお名前をどう発音するのかを忘れたほどでした。

 「崇められますように」との祈りも、そのことと関連しています。「崇める」という言葉は本来「聖とする」という意味を持ちます。神のお名前を他のすべての名前から区別し、それらと混同しないように、ただ神のお名前だけに、そのお名前にふさわしい尊厳、栄光、名誉を帰しなさいという命令です。主なる神を、他のいかなる偶像の神々とも混同しないように、あるいは人間や他の被造物とも混同しないように、ただ主なる神だけを全世界の唯一の神とし、わたしの唯一の主なる神としなさいという命令です。主イエス・キリストによってわたしたちを愛され、罪から救われた主なる神だけに仕え、従うときに、神はわたしの祈りのすべてをお聞きくださり、わたしに最も必要な恵みをお与えくださいます。

 

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちを常に祈る者としてください。あなたはわたしたちの願いにはるかにまさった豊かな恵みをもって応えてくださる方であることを固く信じて、たゆまずに、熱心に祈る者としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

12月1日説教「モーセが手に持つ神の杖」

2024年12月1日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記4章1~17節

    マタイによる福音書10章16~23節

説教題:「モーセが手に持つ神の杖」

 きょうの主の日から、待降節(アドヴェント)に入ります。主イエス・キリストのご降誕を待ち望む期間です。わたしたちは特にこの期間、戦争や分断、対立が絶えないこの世界に、神がまことの和解と平和をお与えくださるように、また、多くの困難を抱え、道に迷い、生活の困窮を覚え、重荷にあえいでいる人々に、神が主イエス・キリストによってまことの命と恵みとをお与えくださり、慰めと希望のあすを迎えさせてくださるようにとの、切なる祈りを持ちつつ、主イエス・キリストのご降誕を待ち望みたいと願います。

 きょうの礼拝では、出エジプト記4章のみ言葉から、エジプトの奴隷の家からイスラエルの民を導き出すための指導者として召されたモーセの召命と使命について、学んでいきたいと思います。モーセの召命の記事は、3章4節から始まっています。主なる神が「モーセよ、モーセよ」と呼びかけ、モーセがそれに対して「はい、ここにわたしがおります」と答え、それから神とモーセの対話が始まり、神がモーセに一つの使命を与えます。その神とモーセとの対話が4章の終わりまで続きます。神がこのように一人の人を相手に長く対話をされる場面は、聖書の中では非常に珍しいと言えます。

 なぜ、これほど長い対話になったのかには、理由がありました。それは、モーセが何度も神の招きを拒んだからです。3章11節で、モーセは神にこのように反論します。【3章11節】。また、きょうの箇所でも、【4章1節】。さらに10節でも、【10節】、また13節でも【13節】。このように、モーセが何度も何度も神の招きを拒否しています。ある時には自分の無力さや貧しさを嘆きながら、またある時には確かなしるしや保証を求めながら、ある時には口下手を口実にして、そしてしまいには、何の理由もなく、多少とも自暴自棄になって、神の招きに抵抗し、抗議し、神から与えられた務めから何とかして逃れようとしています。それが、神とモーセとの対話が長引いた理由でした。

 しかし、そこにはもう一つの理由がありました。それは、モーセの繰り返しの拒否や抗議に対して、神が何度も何度も耳を傾けられ、それをお聞きになり、なおも愛と憐れみをもって、また忍耐をもって、モーセの疑いや迷いや不安を取り除くために、数々の約束のみ言葉を語られ、確かなしるしと約束とをお与えくださったから、その神の限りなく大きな愛と忍耐こそが、もう一つの理由であった、いやこれこそが主たる理由であったのだというべきでしょう。

 神は、不信仰でかたくななモーセを、またあれこれと理由を探してはその務めから逃れようとするモーセを、それにもかかわらず、お見捨てになることなく、あきらめることなく、繰り返してお招きになられ、彼に語りかけられました。数えてみると、三たびどころか、五たびもです。神は、あるいは途中であきらめて、モーセを捨てて、他の人を選びなおしてもよかったはずなのに。五度目に、14節で、「主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた」と書かれています。この時には、完全にモーセを見限ってもよかったはずなのに。しかし、神はそうなさらずに、それでもなおも、神は大きな限りない愛と忍耐とをモーセに注がれ、モーセを見放すことはなさらず、ご自身の救いのみわざに仕える務めへとお招きになられたのでした。

 そして、ついに4章の終わりに至って、神の召しに応える従順な信仰者とされたモーセの姿を、わたしたちは見るのです。【20節】。また【28~29】。神はこのようにして、不信仰でかたくなな人間を、信じて応答する人間へと造り変えられます。不安や疑いのためにしり込みしている人間を、勇気をもって、喜んで神にお仕えする人間へと造り変えてくださるのです。神はそのようにして、きょうの礼拝においても、わたしたち一人一人をそのような信仰者として造り変えてくださいます。

 では、4章でモーセの神に対する拒否と応答がどのようになされていったのか、すなわち神の愛と忍耐がどのようにモーセを変えていったのかを、もう少し詳しくみていくことにしましょう。

 モーセは1節で、エジプトで苦しむヘブライ人たちが自分の言うことを信じないかもしれない、わたしの言葉に聞き従わないかもしれないという不安を神に投げかけていますが、これまでの神とモーセのやり取りを見てきたわたしたちには、これは実は、モーセが神のみ言葉を信じていないからであり、彼が神の約束を信頼していないから、このような不安を抱いているに過ぎないということが、わたしたちには分かっています。ヘブライ人たちが不信仰で疑い深いのではなく、モーセ自身が不信仰で疑い深いのだということです。神はこのあとで、モーセに対して3つのしるしをお与えになりますが、それらのしるしはヘブライ人たちが信じるようになるためのしるしであるというよりは、モーセが信じる者になるためのしるしであり、またそれは、のちにはヘブライ人たちの解放を拒んだエジプトの王ファラオに対するしるしにもなります。

 モーセに与えられた最初のしるしは、彼が持っていた杖が蛇になり、またそれが彼の手に戻ると再び杖に変わったというしるしです。モーセはミディアンの祭司エテロの羊の群れを飼う羊飼でしたから、羊を導く杖を持っていました。神はモーセが持っていた杖をお用いになって、大いなる奇跡のみわざをなさいます。20節では、モーセが持っていた杖は「神の杖」と言われています。神はモーセの手の中にあった1本の木の棒を、ご自身の偉大なる力と恵みとを表す道具としてお用いになります。

そのようにして神は、わたしたちが持っている小さなもの、わずかなものをもお用いになります。それが神によって用いられるとき、それは神の偉大な力と恵みとを証しするものとなるのです。神は土の器に過ぎないわたしたちをも、ご自身の尊い救いのみわざのためにお用いになります。使徒パウロはそのことについてコリントの信徒への手紙二4章7節でこのように語っています。「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」。神はいと小さく貧しい器であるわたしたち一人一人をもお用いになります。その貧しい器の中に、主イエス・キリストの福音という宝を入れてくださいました。この尊い宝を持ち運ぶ器として、わたしたち一人一人をお用いになります。

モーセが杖を地に投げると蛇になり、もう一度それを手につかむと杖に変わったという奇跡は、暗示深いものがあります。創世記3章以来、聖書では蛇はサタン(悪魔)の象徴として用いられています。人間を神から引き離し、罪の中に引きずり込む誘惑者、悪しき力、罪の力の象徴とされています。モーセは今その蛇を支配する力を神から与えられているのです。

 また、17節にはこのように書かれています。【17節】。今、モーセに新たに授けられた「神の杖」は、こののちには、神の民ヘブライ人たちをエジプトの奴隷の家から解放するための杖として、また彼らを約束の地カナンへと導くための杖として、数々の奇跡をおこなう杖として用いられることになるということを、こののちの出エジプト記で語られていきます。モーセはその杖でエジプト王ファラオの前で奇跡を行い(7章1節以下)、ナイル川を打って水を赤い血に変えるという奇跡を行います(7章14節以下)。また、紅海の海の水を打って二つに分け(14章16節以下)、岩を打ってその間から水を湧き出させる(17章5節以下)、そのような杖として用いられるのです。

 そして、創世記3章15節に、「女のすえは蛇の頭を砕くであろう」と預言されていたように、女のすえである人となられた神のみ子主イエス・キリストは、十字架の死と復活によって、蛇の力、サタンと罪の力を最終的に打ち砕かれ、それに勝利されたのだということを、新約聖書は語っているのです。

 モーセに与えられた第二のしるしは、6~8節に書かれています。重い皮膚病にかかった手が雪のように白く清められたという奇跡も暗示深いものを含んでいます。それは、罪の汚れからの清め、罪のゆるしを意味しています。この奇跡はモーセ自身とヘブライ人の罪のゆるしを暗示しています。神がヘブライ人をエジプトの奴隷の家から解放し、その苦難から救い出されるのは、ただ彼らの苦しみを取り除いて、政治的な支配から自由にするということではなく、彼らを罪の奴隷から解放することであり、神との新たな交わりの中に招き入れられるということです。罪をゆるされた神の民とされるということなのです。

 人間はだれもみな神に背いている罪びとです。神のみ前では正しい人はだれ一人いません。主イエス・キリストの十字架の血によって罪の奴隷から解放されない限り、人間は罪から自由になって生きることはできません。主イエス・キリストの復活によって新しい命を与えられない限り、だれもまことの命を生きることはできません。

第三のしるしは、エジプト・ナイル川の水が地面に撒かれると、それが血に変わるという奇跡です。この奇跡が実際に起こるのは、7章17節に書かれているように、エジプトの王ファラオに対する10の災いの最初のものとしてです。ナイル川はエジプトの聖なる川であり、命の水であり、オシリスの神と考えられていました。その川の水が赤い血に変わり、飲めなくなり、川に住むすべての生き物が死ぬということは、エジプトの王とエジプトの神々に対する審判を意味していました。また、ヘブライ人の神、主なる神の勝利を表しています。

 神の杖を手にしたモーセは、もはやエジプトの権力をも神々をも恐れる必要はありません。また、自分自身とヘブライ人の罪とかたくなさとを嘆くこともありません。神ご自身がモーセに代わってそれらと戦ってくださり、それらに勝利してくださるからです。そして、モーセとヘブライ人の不信仰を信仰に変えてくださるからです。神は5節でこのように言われます。【5節】。また、8節でもこういわれます。【8節】。神は人間たちのあらゆる不信仰、不従順、反逆をも取り除いてくださり、ついにはご自身に従う信仰の民を生み出してくださるのです。

 

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、不信仰であり不従順であるわたしたちの罪をおゆるしください。あなたの招きのみ言葉を聞いたなら、従順に聞き従う信仰をお与えください。そして、あなたの救いのみわざのために仕える奉仕者として、わたしたちをお用いください。

〇主なる神よ、この世界を顧みてください。争いや分断があり、殺戮や奪い合いがあり、貧困や飢餓、自然破壊が多くの人々を苦しめている、この病んだ世界を顧みてください。あなたのみ心を行ってください。あなたの義と平和とを実現させてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。