1月26日説教「信仰による信徒の訓練」

2025年1月26日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(39)

聖 書:レビ記20章22~26節

    マタイによる福音書18章15~20節

説教題:「信仰による信徒の訓練」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の4段落目の文章、「教会は」から始まる文章では、キリスト教教理で「教会論」と言われる教理が告白されていますが、その後半の部分、「主の委託により正しく御言(みことば)を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し」という個所では、教会の務め、使命について3つが挙げられています。宗教改革者ルターとカルヴァンは、一つ目の「正しくみ言葉を宣べ伝える」ことと二つ目の、「聖礼典を行うこと」を、真実の教会であることの目印、基準であると言いました。彼らから少しあとの時代の、改革教会の信仰告白では、その二つに、「信仰の訓練」、あるいは「教会の訓練」、わたしたちの教会の信仰告白では「信徒の訓練」ですが、これを三つ目の目印、基準として付け加えるようになりました。

 その代表的な二つを紹介します。1561年に制定された『ベルギー信仰告白』の第28条ではこのように告白されています。「まことの教会が認識されるしるしは、これである。すなわち、教会が福音を純粋に説教しているかどうか、キリストの訓令に従って正しくサクラメント(聖礼典)が執行されているかどうか、生活をただすために教会訓練を守っているかどうかである」。前年の1560年に制定された『スコットランド信仰告白』の第18条ではもう少し説明を加えています。「神の真の教会のしるしは、まず第一に神のみ言葉の真の説教であると、われわれは信じ、告白し、明言する。預言者と使徒の文書が明らかにしているように、神はそのみ言葉によってご自身をわれわれに啓示されたからである。第二は、キリスト・イエスの聖礼典の正しい執行である。聖礼典は、神のみ言葉と約束がわれわれの心に封印され、確実にされるように、それらに結合されていなければならない。最後は、神のみ言葉の規定に従って、正しく行われる教会規律である。それによって、悪徳が抑制され、善き行いが養われるのである。これらのしるしが認められ、常に継続しているところではどこでも、疑いなく真のキリストの教会が存在する」。

 秋田教会もまた、真実の、主キリストの体なる教会であり続けるために、この三つのしるしを常にみんなで確認し合いながら、歩んでいきたいと願っています。主イエスは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18章20節)と約束しておられます。

 では、きょうのテーマである「信徒の訓練」とは何を言うのかを学んでいきましょう。最初に確認しておくべきことは、この訓練は「信徒の」訓練、あるいは信仰の訓練とか、教会訓練と言われるように、すでに信仰を告白し、主イエス・キリストの十字架の福音によって罪ゆるされていることを信じているキリスト者が、その信仰をより確かにし、主キリストの教会のためにより正しく仕えていくための訓練であるということです。すなわち、その訓練によって、何か新しい信仰を生み出すとか、何か新たな悟りを開くとかいうのではなく、また主イエスの福音以外の何かを付け加えるための訓練、あるいは修練とかではないということです。むしろ、いよいよ主イエスの福音のみに集中し、主イエスの福音以外の何ものにも頼らない信仰者となるための訓練です。

 したがって、信徒の訓練、信仰の訓練、教会訓練は、徹底して聖書のみ言葉に基づいて行われなければなりませんし、主イエスの福音にふさわしくなされなければなりません。そしてまた、主イエスの体である教会を健全に建てるための訓練でなければなりません。

 そこで、あらためて注目したいことは、『信仰告白』の中で、「主の委託により」という文章が「正しくみ言葉を宣べ伝え」と「聖礼典を行い」とに続いて、三つ目の「信徒を訓練し」にも、直接的ではないにしても、ある程度関連していると理解すべきだということです。信仰の訓練は主イエスのみ心に従ってなされなければなりませんし、主イエスのみ言葉の宣教と聖礼典の正しい執行との関連でなされなければなりません。したがって、信仰の訓練は何よりもまず主の日の礼拝をとおしてなされなければなりません。礼拝で主なる神のみ言葉を、わたしをまことの命に生かす唯一の生ける神のみ言葉として聞き、主イエス・キリストの福音を、わたしを罪から救う唯一の命のみ言葉として聞くことから、信仰の訓練が始まっていくということです。そして、み言葉で語られた命と救いの恵みの、目に見えるしるしである聖礼典によって、わたしの信仰がより確かにされ、聖霊によってわたしの中に封印されていくのです。そのようにして、信仰の訓練が継続されていきます。さらには、神の祝福と派遣のみ言葉によってこの世へと派遣されていく信仰者は、この世にあって神のみ言葉を携え、神のみ言葉に導かれつつ、いまだ罪が支配しているこの世にあって、罪の誘惑と戦いながら、主イエス・キリストを証しして生きていきます。その全体が、信仰の訓練の時なのです。主イエス・キリストの体なる教会は、そのようにして、み言葉の説教と聖礼典と信徒の訓練とが固く結びあってなされることによって、健全に建てられていくのです。

 日本キリスト教会では一時期、信徒が良く学び、頻繁に修養会などを開催し、教会の青年会、婦人会などで読書会を開いたりして、勉強熱心であることが信仰の訓練であると言われていたことがありました。もちろん、そのようなことも信仰の訓練の一つではありますが、中心ではありません。他の宗教団体やスポーツクラブなどの、修練とか鍛錬と言われるものではありませんし、新たな悟りを開いたり、真理を見いだすためになされるものでもありません。「信徒の訓練」が教会論という大きな枠の中で告白されていることからもわかるように、真実の教会を形成していくためになされるものです。一人の信仰者の信仰の成長のためと言うよりは、教会という、健全な群れの形成のためになされる訓練です。宗教改革以後の信仰告白で、「教会訓練」「教会規律」と言われているのは、そのような意味を持っています。

 したがって、信仰の訓練は、信仰者一人一人に与えられている信仰の賜物を互いに分かち合うことによってなされます。あるいはまた、喜んで互いの重荷を担い合うことによってなされます。泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜びながらなされます。

 では次に、聖書に教えられている実例から学んでいきましょう。一つには、イスラエルの民がエジプトを脱出してからの荒れ野の40年間が、彼らを神が訓練された期間であったと旧約聖書で教えられています。申命記8章2節以下では、神がイスラエルの民を荒れ野に導いたのは、彼らの信仰を訓練するためであり、彼らが神の戒めを守るかどうかを試し、神のみ言葉だけが彼らが荒れ野で生きていくための糧であることを知るためであったと書かれています。神がイスラエルの民を荒れ野、すなわち砂漠地帯の何もない、食料も水もなく、住む家も商店街もない、そのような困難な状況の中に彼らを導かれたのは、その困難の中でただ主なる神の口から出る一つひとつのみ言葉をこそ信じ、それによって生きるべきことを学ぶためであったのです。それは、イスラエルが一つの礼拝の民として形成されていくための訓練の時であったと言ってよいでしょう。イスラエルの荒れ野の訓練は、一つの礼拝の群れを形成することを目指していたのです。

 そして、新約聖書でも至る箇所で、神は信仰者に信仰による訓練をお与えになり、その訓練によって、天にある永遠の宝をいよいよ強く追い求めるように導いてくださることが語られています。わたしたちの魂の父であられる天の父なる神は、地上の親が子どもを愛し、訓練するように、いな、それ以上の大きな愛と報いとをもって、わたしたち信仰者を訓練なさいます。それは、わたしたちが地上にある朽ちゆく命を養うためでなく、「朽ちず、汚れず、しぼまない」「天に蓄えられている財産を受け継ぐため」(ペトロの手紙一1章3節以下参照)だと教えられています。

 また、ペトロの手紙二3章16、17節にはこのように書かれています。「聖書はすべて神の霊によって書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」。わたしたちは主イエス・キリストの僕(しもべ)として、主イエスを証しし、主イエスの救いのみわざのために仕える務めを与えられています。聖書のみ言葉はそのための訓練をも導きます。

 信仰の訓練にはもう一つの側面があります。それは「戒規」と言われます。信仰の道からそれないための訓練のことです。主イエスはマタイ福音書18章15節以下でこのように教えておられます。【15~17節】(35ページ)。改革教会では、ここから「戒規」とか「訓練規程」という制度と規則を設けました。日本キリスト教会では規則第18条で「戒規」について定めています。

 戒規は、信仰者が主イエス・キリストの福音からそれて、罪の道へと進んでいくことを防ぎ、再び信仰の道へと連れ戻すための制度、規則であり、また教会を偽りの教えや不正義、混乱から守り、秩序ある群れとして整えることを目的とした制度、規則です。したがって、これは信仰者のあやまちを裁く法廷では決してありませんし、怠惰で不真面目な信仰者をむち打つ罰でもありません。迷った信仰者を主イエスのもとへと連れ戻すための福音であり、また罪を犯した信仰者を悔い改めへと導くための福音なのです。

 主イエスが教えておられるように、信仰の訓練とは、あるいは教会訓練、戒規、訓練規程とは、罪の中にあって傷つき、病んでいる兄弟姉妹を、その病の中から導き出し、悔い改めと信仰へと進ませ、そのようにして、失われつつあった兄弟姉妹を再び獲得することなのです。そのようにして、主イエス・キリストから教会に託されている、尊い神の国のカギの権能を、恐れをもって行使することなのです。そのすべては主イエス・キリストの福音によって行われるものなのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちは弱く、くずおれやすく、罪と悪の誘惑に対して抵抗する力を持ちません。どうか、あなたがみ言葉の力と命によって、わたしたちをすべての悪しき力からお守りくださいますように。日々に、わたしたちをみ言葉によって訓練し、養い、育て、あなたのみ心に従順に従う者としてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和とがこの世界を支配しますように。すべての人が唯一の主であり王であられるあなたを恐れる者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

1月19日説教「イスラエルの民を導かれた神」

2025年1月19日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記26章5~11節

    使徒言行録13章16~25節

説教題:「イスラエルの民を導かれた神」

 使徒パウロの第一回世界伝道旅行は、地中海のキプロス島から小アジア(今のトルコ)のパンフィリア州ペルゲに上陸し、そこから奥地への険しい山道を北上して、ピシディア州アンティオキアに到着しました。その町でのユダヤ人会堂でなされたパウロの説教が使徒言行録13章15節から記されています。前回はその初めの部分を学びましたので、きょうは18節あたりから読んでいくことにしましょう。

 この説教の初めで、パウロは神がイスラエルの民をお選びになり、エジプトの奴隷の家から導き出されたことを語っています。旧約聖書の出エジプト記に書かれていることです。モーセをリーダーにしたイスラエルの民は、エジプトを脱出したのち、荒れ野、砂漠地帯を40年間、旅することになります。

18節に、【18節】と書かれています。イスラエルの荒れ野の40年間は、神がイスラエルの人々の行いを忍耐された期間であったとパウロは理解しています。エジプトから約束の地カナンまでは、直線距離では400から500キロ程度ですから、ゆっくり旅しても1、2か月で着くことができたのに、神は彼らを荒れ野に40年間もさまよわせたのでした。それは、神の忍耐を彼らに示すためであったと、パウロは言うのです。この理解は、申命記で言われている内容と一致します。申命記8章2節以下を読んでみましょう。【2~6節】(294ページ)。荒れ野の40年間は、神がイスラエルの信仰を訓練する期間であり、彼らが神のみ言葉によってのみ生きるべきであり、また生きることができるのだということを学ぶ期間でもあり、彼らの神に対する不信仰や不従順を神が忍耐された期間であり、神の大いなる愛と憐れみが示された期間であったのです。

彼らは荒れ野で、のどが渇き、空腹に襲われたときに、モーセを非難してこう言いました。「あなたは我々をここで餓死させるために我々を荒れ野に連れてきたのではないのか。エジプトでは腹いっぱい肉鍋を食べ、飲み水に不自由したことはなかったのに」。彼らは何度もそのように言っては、神の救いのみわざを疑い、エジプトでの奴隷の生活を懐かしんだのでした。神はそのたびに彼らの不信仰を嘆かれ、怒られましたが、しかし、それにもかかわらず、神は彼らをお見捨てになることはなさらず、忍耐と憐れみとをもって、必要なすべてのものを彼らに備え、荒れ野の40年間を導かれたのでした。

それはなんのためであったのか。パウロは26節で、「この救いの言葉はわたしたちに送られました」と結論づけています。荒れ野の40年間のイスラエルの民の繰り返された神に対する罪と反抗、しかしそれにもかかわらず、絶えることがなかった神の忍耐と憐れみ、そして愛と慈しみに満ちた信仰の訓練の時、それは、主イエス・キリストの福音によって、今のわたしたちに与えられている救いの言葉なのだというのです。

荒れ野の40年間だけでなく、パウロが続いて語る土地の取得や、裁き司、士師の時代、イスラエル王朝の時代、ダビデ王への神の宣言、洗礼者ヨハネの登場、それらのすべてが、今のわたしたちに語られている神の救いの言葉なのだと、言うのです。パウロはこのようにして、旧約聖書で語られているイスラエルのすべての歴史、民の歩み、その中で示された主なる神の愛と憐れみ、慈しみが、主イエス・キリストによって成就している、今のわたしたちに差し出されている救いの言葉なのだということを語っているのです。

荒れ野の40年の後は、約束の地カナンの土地取得です。【19節】。最初に、族長アブラハムに与えられた約束の地カナンの取得は、アブラハムから数えると、族長時代200年間、エジプト移住時代400年間、荒れ野の40年間を合計すると、実に650年もの時を経て実現されたのです。

次の、預言者サムエルまでの士師の時代、神はイスラエルの民を神の言葉によって裁き、導く士師たちをお立てくださいました。12人の士師たちの働きについては、士師記に記されています。イスラエルが約束の地に長く住み慣れてくるにつれて、次第に神から離れ、偶像礼拝や神に背く罪を犯し、その結果として外国からの攻撃に悩まされ、国が危機に陥ったときに、神はデボラ、ギデオン、サムソンなどの士師たちをお立てになりました。彼ら士師たちはイスラエルの民に神の言葉を語り、再び神に立ち返らせるために仕えました。このような士師たちの働きは、のちの時代の王や預言者たちへと引き継がれていくことになります。

21節からは、王制の時代について語られています。【21~22節】。「人々が王を求めたので」と書かれています。この表現には、イスラエルの王制は神のみ心によって始まったというよりは、人々からの要請によるという、パウロ自身の理解があるように思われます。実は、旧約聖書の中には、その二つの理解が混同というか、共存というか、二つが並行してあると、今日の多くの聖書学者はみています。

この時代、紀元前11世紀ころの近東諸国は、エジプトをはじめとして多くは王制国家でした。一人の王の支配のもとで、国家がまとまり、一人の支配者によって強力な軍隊を持つ国家が、より安定した、また強力な国家になると考えられていたようでした。イスラエルの士師の時代には、何か国家の危機があったときにはひとりの士師が立てられ、イスラエルを治め、導いていましたが、国家が安定するとその士師の働きは終わり、部族ごとの緩やかな連合に戻るというのが、士師時代のイスラエルの政治形態だったのです。

でも、幾度も外国からの強い軍隊によって攻撃を受け続けたイスラエルには、永続的に国を治める王を立てることが、国の安定と強化を図るのに便利だという考えが起こってきました。それが、「人々が王を求めた」というパウロの表現になっていると思われます。

ところが、イスラエルにはもう一つの伝統的な考え方がありました。それが、イスラエルを治め、導くのは、ただお一人、主なる神だけである。神の言葉、神の律法だけが唯一の権威を持ち、イスラエルのすべての歩み、政治も市民生活をも、そして信仰をも導くのだから、地上の王を持つことは神に背くことになる。それゆえ、王制には反対だという考えです。サムエル記上8章以下に、そのような二つの考えがあったことが記されています。

イスラエルの初代の王サウルからダビデ、ソロモンへと王は移っていきますが、その間に、相対立したこの二つの考え方は次第に調整されていくことになりました。すなわち、地上の王は天の唯一の王であられる神のみ心を行うために神の委託によって立てられているのであるから、地上の王は民の上に君臨するよりも前に、神のみ前にへりくだり、神の僕(しもべ)として、神のみ心を行い、神とその民に仕える者であるべきだという考えです。

この考えのもとで、ダビデはイスラエルの理想的な王であると評価されるようになりました。そして、そのダビデに対して、神は重要な約束をお与えになりました。23節で、パウロはこのように言います。【23節】。これが、ダビデ契約と一般に言われるものです。サムエル記下7章に記されていますので、その個所を読んでみましょう。【12~16節】(490ページ)。神はダビデとこの契約を結び、彼の子孫から出る一人のメシア・油注がれた者、救い主をこの世に送ってくださる、その王国を固く据えると約束されたのです。

イザヤ書11章1節以下にはこう預言されています。「エッサイの株からひとつの芽が萌出いで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」。これが、エッサイ(ダビデの父親の名前)の子孫から出て、全世界を神の義と愛によって治めるメシア・救い主であられる主イエス・キリストの誕生を預言するみ言葉として、クリスマスの時に読まれるようになったのです。

 そして、マタイ福音書1章1節の主イエスの家系図では、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」として、主イエスの父親となるヨセフについては、16節で、「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と書かれています。ルカ福音書1章27節、32、33節でも、主イエスはダビデの子孫としてお生まれになったことが繰り返して語られています。【27節】。【32~33節】(100ページ)。

使徒パウロもまた。ローマの信徒への手紙1章3節で、「御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ」と言っています。旧約聖書のダビデ契約が、時満ちて、ダビデの遠い子孫であるヨセフを父としてお生まれになった主イエスによって成就したのだと、新約聖書は一致して語っているのです。

まさに、イスラエルの民に語られた神の救いの言葉が、今パウロの説教をとおしてアンティオキアのユダヤ人会堂に集っているユダヤ人やギリシャ人に届けられたのであり、また、使徒言行録のみ言葉をとおして、今日のわたしたちにも届けられているのです。神の永遠の救いのご計画の中に、わたしたちもまた招かれているのです。

24節からは、洗礼者ハネの登場について語られています。【24~25節】。洗礼者ヨハネの登場と彼の荒れ野での説教、悔い改めの洗礼については、共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカ福音書に詳しく語られています。洗礼者ヨハネは、最後には殉教の死を遂げますが、彼は彼の全存在と全生涯、そして彼の命そのものをかけて、彼のあとにおいでになられるメシア・救い主なる主イエス・キリストの到来を証ししたのです。

そして今、それらのすべての救いの言葉によって差し出されている神の豊かな恵みを受け取ったわたしたちもまた、わたしの生き方、わたしの行動、わたしの言葉によって、わたしたち全人類の救いのために十字架で死んでくださり、三日目に復活された主イエス・キリストを証しするように招かれているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、天地創造の時から始められたあなたの永遠なる救いのご計画の中に、わたしたち一人一人をもお招きくださっておられますことを、心から感謝いたします。あなたのこの救いのご計画から、だれ一人としてもれることがありませんように。全世界に建てられている主の教会の宣教の働きを、どうかあなたがお強めくださいますように。

〇主なる神よ、この世界にあなたの義と平和が到来しますように。国と国が、民族と民族が、そして一人と一人が、互いに分かち合い、協力し合い、許し合う一つの世界となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

1月5日説教「神の招きとモーセの拒否」

2025年1月5日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記4章10~17節

    ヨハネによる福音書14章25~31節

説教題:「神の招きとモーセの拒否」

 出エジプト記3章から、モーセの召命についての記述が続いています。モーセはイスラエルの民をエジプトの奴隷の家から導き出すという神の救いのみわざのために、その指導者として召し出されます。そのための神の招きのみ言葉とモーセの応答が、4章の終わりまで続きます。神とモーセとの対話がこれほどに長くなった理由については、前回学びましたように、モーセが何度も神の招きを拒否したからです。でもそれ以上に、モーセの度重なる拒否にもかかわらず、神が忍耐強く、繰り返してモーセをお招きになったからです。3章と4章には、神の招きとモーセの拒否が、実に計5回も繰り返されているのです。

 このような計5回にもわたる神の招きとモーセの拒否は、出エジプトという神の救いのみわざに仕えるモーセの務めがいかに困難で、重いものであるのかを、あらかじめ予想しているように思われます。また、この5回にわたる神の招きとモーセの拒否の中で、神のお名前、「わたしはあるという者だ」という神のお名前が明らかにされています。また、モーセに神の杖が授けられ、その杖はエジプトでの神の不思議なしるし、奇跡を行うために用いられ、さらには出エジプト後の荒れ野の40年の旅を導くためにも用いられます。モーセの度重なる拒否と、神の忍耐強い繰り返しの招きの中で、神はこのような、思いもかけない、予想外の大きな恵みをもお与えになるのです。

 ではきょうは、モーセの4回目の拒否と神の招きの箇所から読んでいくことにしましょう。【10~12節】。モーセはここで初めて、自分自身の能力の不足を、断る理由として挙げています。彼は自分が口下手であることを三度も繰り返しています。「弁が立たない」「口が重い」「舌が重い」、彼が実際そうであったのか、あるいは謙遜でそう言っているのか、もしかしたら神の招きを拒否したいからそんな理由をつけているのかは、はっきりしません。でも「あなたが僕(しもべ)にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです」というモーセの言い方から判断すると、ここには明らかにモーセの不信仰が現れていることが分かります。神は3章12節で、「わたした必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」と約束されたにもかかわらず、また3章14節では、「わたしはある、わたしはあるという者だ」という神のお名前を明らかにされたにもかかわらず、そしてまた4章1節以下では、モーセが手にしていた杖によって神が奇跡を行ってくださったにもかかわらず、それでもなおも神を信じることができないモーセの不信仰が、ここにはあるということがわたしたちには分かります。

 そうであるとは言え、わたしたちにはモーセが抱いていたであろう不安も理解できます。モーセはエジプトで奴隷として苦しめられていた民の中にはいませんでした。彼はエジプトの王宮で育てられました。イスラエルの民の指導者たちとの面識もありません。また、エジプト王ファラオからは一度は命を狙われていたこともありました。その王の前でイスラエルの民を解放してくださいなどと要求することが、どんなにか困難な務めであるのかを、モーセでなくても、だれしもが感じるに違いありません。

 いや、そもそも、わたしたち人間が神から新しい務めを託されたときに、だれがいったいそれを自信をもって、直ちに引き受けることなどできるでしょうか。弱く、欠けや、破れが多いわたしたち人間が、神からの務めを担い、神のみ言葉をわが身に担うことが、果たしてできるでしょうか。旧約聖書の預言者たちも、その務めを担うことの困難と不安とを自覚していました。エレミヤは預言者としての召命を受けたときにこう言っています。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」(エレミヤ書1章6節)。イザヤもまた神殿で神と出会ったときにこう叫びました。「災いだ、わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た」(イザヤ書6章5節)。エレミヤもイザヤも、主なる神の招きのみ言葉を聞いた時、自らの罪と貧しさを告白するほかにありませんでした。

けれども神は、そのような貧しく弱く、罪と汚れの中にある彼らをお立てになって、イスラエルの偉大な預言者とされたのでした。モーセの場合もまた同じです。たとえモーセが、実際に口が重く、口下手で、弱さや欠けを多く持っている人物であるとしても、しかし神は、あえてそのようなモーセをお選びになる、神の大いなる救いのみわざのための奉仕者としてお用いになるのです。モーセが自分の知恵や能力を発揮してその務めを担うのではありません。むしる、彼の弱さの中でこそ、主なる神ご自身がお働きになられるからです。

神はモーセに言われました。【11~12節】。神は全世界、全被造物の造り主であられます。すべての人間の造り主であられます。モーセを創造されたのも主なる神です。モーセの命、存在、彼の体と魂も、彼のすべてを神が創造され、今も神がみ手のうちに治めておられます。その主なる神がモーセをお用いになるのですから、神は彼の弱さも欠けも、破れも、すべてをご存じであられ、そのようなモーセをお用いになるのです。たとえ彼が口下手であっても、手が不器用でも、足が遅くても、神はそのすべてをご存じであられ、そのような人をお用いになるのです。それゆえに、モーセの弱さや欠けは、神の招きを拒否する理由にはならないのです。神は言われます。「わたしはそのようなあなたをこの務めへと召し、そのようなあなたを用いるのだ。あなたはそのままでよい。だからこの道を行きなさい。わたしがあなたと共にいる。あなたにとって、この約束だけで十分だ」と。

神はご自身の救いのみわざのためにわたしたち人間の弱さや欠点をもお用いになります。使徒パウロがコリントの信徒への手紙二12章9節以下で語っているように、神の恵みと力はわたしたちの弱さの中でこそ完全にあらわされるからです。【9~10節】(339ページ)。モーセの場合も同じです。

ところが、今度もまたモーセは神の招きを拒否します。【13節】。この5回目のモーセの拒否には何の理由もつけられていません。これは明らかに神の招きに対する抵抗、または反抗、拒絶です。それは神が差し出された恵みを拒絶することであり、神に対する明から罪です。この罪に対しては、神は怒りをあらわにされます。これまでは、4回のモーセの拒否に対して、神はそのつど適切な回答をお与えになり、モーセに愛と憐れみとをもって、忍耐強く説得を試みてこられました。しかし、今回の5回目ではもはや説得するすべは残されていません。ありうるのは神の怒りのみです。

【14a】。神はここで、ついに忍耐袋の緒が切れたのでしょうか。神はここでモーセを諦めざるを得ないのでしょうか。モーセが言うように、だれはほかの人を召すことを考えなければならないのでしょうか。

ところが、驚くべきことに、神のモーセに対する招きのみ言葉はその神の怒りを超えて、さらに続くのです。【14節b~17節】。神がモーセの5回目の拒否に対して、怒りを覚えておられますが、そのあとで語られるみ言葉が、彼に対する裁きの言葉とか、あきらめの言葉とかではなく、なおもモーセをご自分につなぎ留めておくための招きの言葉であるということに、わたしたちは大きな驚きを覚えざるを得ません。何とも大きな神の忍耐であり、憐れみであり、そしてまた確かな、断固とした神の招き、召命であることでしょうか。神はひとたび選ばれた人を、ひとたび選ばれた民を、どのようなことがあろうとも決してお見捨てにはならず、その人の主なる神であることを、その民の主なる神であることを、決しておやめになることはありません。神の選びの愛と恵みは、モーセの5回にもわたる拒否よりもはるかに大きく、強いのです。モーセの弱さや欠け、不安や恐れ、ためらいやかたくなさ、しかしそれらよりもはるかに大きく、強い神の招きはモーセを捕らえて離しません。それはまた、奴隷の家イスラエルの民に対する神の愛と選びの大きさ、確かさでもあり、そして彼らをエジプトの奴隷の家から救い出される神のみ心の確かさ、強さであり、神の永遠なる救いのご計画の確かさでもあるのです。エジプトの奴隷の家で苦しむ彼らの叫びを聞かれ、その民を苦難から救い出し、約束の地カナンへと導き上ろうとされる神の強い意志、断固とした決意は、全人類を罪から救うために、ご自身の一人子なる主イエス・キリストを十字架の死に引き渡されるほどの大きな愛へと結集していくことになるのです。

モーセの5回目の拒否に対して、神は前にモーセが不安に思っていた口が重いという彼の弱さを補うために、彼と共に働く同労者として兄弟アロンをお選びになります。民数記26章59節の系図によれば、アムラムとヨケベドの夫婦に息子アロンとモーセ、および娘ミリアムが生まれたと紹介されています。出エジプト記1章22節で、エジプト王ファラオが、「イスラエルの家に生まれた男の子をみなナイル川に投げ込め」と命じる前に、モーセには兄アロンと姉ミリアムがいたということが分かります。神はそのアロンをモーセと共に働く同労者とされました。アロンは口が重いモーセに変わって、神がモーセに語られた言葉を、モーセがアロンに語り、アロンがそれをイスラエルの民とエジプト王ファラオに語るのです。モーセの口もアロンの口も、神の言葉の代弁者として用いられます。神はモーセの口と共にあり、またアロンの口と共にあると約束されています。ここに、旧約聖書の預言者の務めの原型があります。モーセもアロンも共に神の言葉にお仕えする預言者として、またその神の言葉を実際に実行する奉仕者として、神に召し出され、神の偉大な救いのみわざのために用いられることになるのです。神の言葉を聞き、また神の言葉を語る人は、なんと幸いな人でしょう。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたがかつて強いみ腕をもってイスラエルの民をエジプトの奴隷の家から救い出されたように、今この時、あなたはみ子の十字架の血によってわたしたちを罪の奴隷から救いだされましたことを、心から感謝いたします。み子の十字架の血によって罪から贖われ、み国の民とされていることを感謝しつつ、あなたのご栄光のために日々信仰の歩みを続けることができますように、お導きください。

〇主なる神よ、この世界を顧みてください。あなたのみ心に背き、争いや分断、略奪や破壊を繰り返しているこの世界に、あなたの義と平和が実現されますように。為政者たちや指導者たち、またすべての人々が天におられる唯一の主であり全地の支配者であられるあなたの恐れ、あなたのみ心がなんであるかを尋ね求め、和解と共存を願う者とされますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。