2025年7月27日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:創世記17章9~14節
使徒言行録15章1~11節
説教題:「エルサレムでの使徒会議」
パウロとバルナバは第一回世界伝道旅行を終えてシリア州のアンティオキア教会に戻りました。使徒言行録14章24節以下には次のように書かれています。【24~28節】。パウロとバルナバはアンティオキア教会から、神の恵みにゆだねられて出発しました。彼らの伝道旅行はおそらく2年余りの期間であったと思われますが、その間、神の恵みは彼らから少しも離れませんでした。ユダヤ人からの迫害にあって、町を追い出された時にも、パウロが石打の刑で死にかけた時にも、神の恵みが彼らを導き、支えていたのです。神の恵みの最も大きな実りは、主イエスの福音がユダヤ人だけでなく、異邦人、ギリシャ人にも受け入れられ、彼らに信仰の門が大きく開かれたということでした。
神の恵みは、礼拝から出てこの世へと遣わされるわたしたち一人一人にも、委ねられています。わたしたちもこの礼拝からそれぞれの家庭や職場、地域へと帰っていく時に、主イエス・キリストによる罪のゆるしと救いという大きな恵みをいただき、その恵みに押し出されて、その恵みを携えて、この教会から出ていくのです。その神の恵みは、どのよう時にもわたしたちから離れることはありません。それゆえに、わたしたちは一週間のこの世での旅路を終えて、再び喜びつつ主の日の礼拝へと戻ってくるのです。
使徒言行録15章には、エルサレム使徒会議と言われる教会会議について書かれています。時期は、紀元48年か、49年と考えられています。この会議が開かれる動機になったのは、パウロたちによる第一回世界伝道旅行の大きな実り、成果と深くかかわっていました。つまり、主イエスの福音が異邦人にも大きく開かれたことによって、多くの異邦人がキリスト者となり、教会のメンバーに加えられるにつれて、ユダヤ人以外の異邦人、ギリシャ人が割礼を受けなければその救いは不十分だという意見が持ち上がってきたのです。
【15章1~2節】。まず、割礼について簡単に説明しておきます。割礼が旧約聖書の中で最初に制定されたのは、創世記17章で、神がアブラハムと契約を結んだ時でした。神がアブラハムとその子孫との間に結んだ契約のしるしとして、イスラエルの男子は生まれたから8日目に、生殖器の包皮の一部を切り取らなければならないと定められています。イスラエルの民は神に選ばれた契約の民のしるしとして、この割礼を重んじてきました。ルカ福音書1章21節には、ヨセフとマリアの家に生まれられた主イエスに対しても、生まれて8日目に割礼と命名が行われたことが記されています。
さて、ここで問題になるのは、旧約聖書の時代から神の契約の民として選ばれていたユダヤ人が、彼らに約束されていた救い主・メシアである主イエスを信じて洗礼を受け、キリスト者となって教会の民とされた人たち、すなわち割礼のあるユダヤ人キリスト者と、そうではなく、今この時になって、主イエスと出会い、主イエスを唯一の救い主と信じてキリスト者となり、教会の民とされた人たち、すなわち割礼の無い異邦人キリスト者とが、一つの教会の民として共に生きる信仰共同体を形成するにあたって、古いイスラエルの民が重んじてきた割礼やその他の習慣、または律法を重んじるという彼らの宗教生活がどの程度継続されなければならないのか、それとも、そのような古い習慣とは全く無関係に生きてきた異邦人たちは、ユダヤ人が重んじてきたそれらの古い宗教生活を全く無視してよいのか、このような問題が初代教会にとって非常に大きな課題であり、教会を分裂させかねない危険性をはらんだ問題として浮かび上がってきたのです。
わしたちがこれまで使徒言行録で学んできたように、最初に誕生したエルサレム教会はほとんどがユダヤ人でした。中には、最近になってエルサレムに戻って来た離散のユダヤ人、すなわちディアスポラと言われるユダヤ人はギリシャ語を話すことができ、彼らはヘレニストと呼ばれていましたが、そのようなユダヤ人もいましたが、8章1節に書かれているエルサレム教会に対する大迫害で、使徒たちとヘレニストのユダヤ人たちは皆エルサレム市内から追放されましたので、エルサレム教会に残った人たちは、ずっとエルサレムに住み、ヘブライ語を話していたヘブライストだけになったと考えられています。そのような経緯もあって、エルサレム教会はユダヤ人の古い宗教的慣習を重んじるキリスト者が多かったと推測されます。
それに対して、パウロとバルナバが属していたアンティオケア教会は、今言及したエルサレム教会に対する大迫害で散らされたいったヘレニストのキリスト者が、ユダヤ人以外のギリシャ語を話す人たちに福音を宣べ伝えて誕生した教会ですから、いわば異邦人キリスト者たちを中心とした教会でした。パウロもバルナバもギリシャ語を話すディアスポラのユダヤ人でしたから、アンティオキア教会で一緒に働く、よき仲間であったし、第一回世界伝道旅行を二人で協力して成し遂げたのでした。
では、使徒言行録の本文に戻りましょう。1節に「ある人々がユダヤから下って来て」とありますが、この人たちはエルサレム教会からやって来たことは明らかで、のちにエルサレム教会での話し合いの際に、5節に「ファリサイ派から信者になった人が数名立って」と書かれている人たちと同じだと考えられます。その人たちがアンティオキア教会にやって来て、「あなたがたは割礼を受けていないだろうが、モーセの律法に従って割礼を受けなければ救われない」と教えたというのです。そこで、パウロ、バルナバと彼らとの間に激しい意見の対立と論争が生じたと書かれています。
パウロとバルナバの立場、考え方は明らかです。二人とも本来ユダヤ人でしたから、割礼を受けていたことは確かです。でも、彼らが第一回世界伝道旅行でキプロス島や小アジア地方で多くのギリシャ人に福音を宣教し、町々に主キリストの教会を建ててきましたが、その中で、彼らがユダヤ人でない異邦人に対して割礼を受けさせたとか、旧約聖書で定められているモーセの律法やユダヤ人の慣習を守るべきだと教えたことは、全く書かれていませんでした。彼らが宣べ伝えた主イエス・キリストの十字架と復活の福音を信じて、聖霊のお導きに従って洗礼を受けるならば、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、人種には関係なく、割礼があるかどうかにも関係なく、主イエス・キリストを信じる信仰によって、その人は罪ゆるされ、救われ、神の国の民とされ、永遠の命の約束を受け取ることがゆるされる、これが彼らが語った福音でした。
しかし、エルサレム教会からやって来た人たち、おそらくはユダヤ教ファリサイ派からキリスト者になった人たちにとっては、自分たちが神に選ばれた契約の民であること、またそのしるしとして割礼を受けていることは大きな意味を持っていました。また、彼らが長い宗教的伝統の中で重んじてきた律法を固く守ること、宗教的慣習を大切にすることも、彼らにとっては決してなおざりにはできない、大切な信仰生活の一部であると考えていました。そこで、彼らはユダヤ人以外の異邦人にも自分たちと同じように割礼を受けること、モーセの律法を守ることを要求しました。そうしなければ、異邦人には救いは与えられないと主張しました。
主キリストの教会の中にこのような二つの対立した考えがあることは、初代教会全体にとっての大きな問題でした。使徒言行録の著者であるルカは、ここでの対立が単にエルサレム教会とアンティオキア教会の間での問題ではなく、初代教会全体にとっての課題であるととらえているようです。1節ではエルサレム教会という名前は挙げずに、「ユダヤから」と言っているのは、その理由によると思われます。また、この問題を解決するために教会会議が招集されたことが、2節と6節に書かれています。「この件について使徒や長老たちと協議するために」(2節)、「使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった」(6節)。
ここから、わたしたちは重要ないくつかの点を確認することができます。一つには、教会の中で何か教理的・信仰的な意見の違いや問題が生じた場合、教会はだれか特定の指導者の判断によって解決するのではなく、あるいは教会外部の権威ある機関に問題解決を委託するのではなく、教会の会議によって、教会から選ばれた使徒と長老たちの会議によって、話し合い、協議して問題解決に当たったということが分かります。
また、1個の教会だけでなく、数個の教会から集まった使徒と長老たちという代表者による会議を開催したということです。今回の会議に召集された教会が、エルサレム教会とアンティオキア教会の二つだけだったのか、それとも他の地域の教会も加わっていたのかは、使徒言行録の記述からは確認できませんが、このエルサレム使徒会議で決定された事項が他の諸地域の教会にも通達されたことが22節以下で書かれていますので、初代教会全体がこの会議にかかわっていたと思われます。そして、このような制度は、わたしたち日本キリスト教会の長老制と、大会・中会・小会という段階的代議員制度による教会会議に受け継がれているのです。
パウロとバルナバは何人かの教会代表者たちと一緒にエルサレムでの会議に出席するために、アンティオキア教会から陸路を通ってエルサレムへ向かいました。【3~5節】。エルサレムでの会議に出席し、主イエス・キリストの福音を信じる信仰よる救いは、割礼や律法の行いによる救いをはるかにまさっているということを主張し、それをユダヤ人キリスト者にも理解してもらうことが彼らの目的でしたが、彼らは目的地に着く前の道の途中で、すでに主イエスの福音の勝利を諸教会で証ししました。
エルサレム教会への大迫害で市内を追い出されたヘレニスト、すなわちギリシャ語を語るユダヤ人キリスト者たちが、パレスチナ地域の外でもギリシャ人に福音を語り、多くのギリシャ人が信じてキリスト者となり、教会が建てられていったこと、アンティオキア教会もそのようにして建てられたこと、そしてまた、パウロとバルナバの伝道旅行によって、小アジア地域の町々にも次々と教会が建てられていったこと、そのすべてが主なる神の恵みであり、導きであったことを、彼らは語りました。
神は初めイスラエルの民を選ばれ、この民と契約を結び、この民によって救いのみわざをなし続けてこられましたが、今時が満ちて、全人類の救いのために、み子主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、すべての人の罪を贖い、ゆるし、救ってくださいました。そして、この福音を信じる人はだれでれ、割礼なしに、律法の行いなしに、一方的に差し出された神の恵みによって、救われるのです。これが全世界のすべての信仰者が信じている主イエス・キリストの福音です。
(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたの永遠なる救いのご計画は全世界のすべての人の救いを目指しています。あなたはそのご計画を実行なさるために、世界各地に主キリストの教会をお建てくださいました。どうか、日本と、アジア、そして世界に建てられている教会を、あなたが豊かに祝福し、その教会の福音宣教の働きを強めてください。
〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。世界の為政者たちが唯一の主なる神であるあなたを恐れる者となりますように。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。
