7月27日説教「エルサレムでの使徒会議」

2025年7月27日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記17章9~14節

    使徒言行録15章1~11節

説教題:「エルサレムでの使徒会議」

 パウロとバルナバは第一回世界伝道旅行を終えてシリア州のアンティオキア教会に戻りました。使徒言行録14章24節以下には次のように書かれています。【24~28節】。パウロとバルナバはアンティオキア教会から、神の恵みにゆだねられて出発しました。彼らの伝道旅行はおそらく2年余りの期間であったと思われますが、その間、神の恵みは彼らから少しも離れませんでした。ユダヤ人からの迫害にあって、町を追い出された時にも、パウロが石打の刑で死にかけた時にも、神の恵みが彼らを導き、支えていたのです。神の恵みの最も大きな実りは、主イエスの福音がユダヤ人だけでなく、異邦人、ギリシャ人にも受け入れられ、彼らに信仰の門が大きく開かれたということでした。

 神の恵みは、礼拝から出てこの世へと遣わされるわたしたち一人一人にも、委ねられています。わたしたちもこの礼拝からそれぞれの家庭や職場、地域へと帰っていく時に、主イエス・キリストによる罪のゆるしと救いという大きな恵みをいただき、その恵みに押し出されて、その恵みを携えて、この教会から出ていくのです。その神の恵みは、どのよう時にもわたしたちから離れることはありません。それゆえに、わたしたちは一週間のこの世での旅路を終えて、再び喜びつつ主の日の礼拝へと戻ってくるのです。

 使徒言行録15章には、エルサレム使徒会議と言われる教会会議について書かれています。時期は、紀元48年か、49年と考えられています。この会議が開かれる動機になったのは、パウロたちによる第一回世界伝道旅行の大きな実り、成果と深くかかわっていました。つまり、主イエスの福音が異邦人にも大きく開かれたことによって、多くの異邦人がキリスト者となり、教会のメンバーに加えられるにつれて、ユダヤ人以外の異邦人、ギリシャ人が割礼を受けなければその救いは不十分だという意見が持ち上がってきたのです。

 【15章1~2節】。まず、割礼について簡単に説明しておきます。割礼が旧約聖書の中で最初に制定されたのは、創世記17章で、神がアブラハムと契約を結んだ時でした。神がアブラハムとその子孫との間に結んだ契約のしるしとして、イスラエルの男子は生まれたから8日目に、生殖器の包皮の一部を切り取らなければならないと定められています。イスラエルの民は神に選ばれた契約の民のしるしとして、この割礼を重んじてきました。ルカ福音書1章21節には、ヨセフとマリアの家に生まれられた主イエスに対しても、生まれて8日目に割礼と命名が行われたことが記されています。

 さて、ここで問題になるのは、旧約聖書の時代から神の契約の民として選ばれていたユダヤ人が、彼らに約束されていた救い主・メシアである主イエスを信じて洗礼を受け、キリスト者となって教会の民とされた人たち、すなわち割礼のあるユダヤ人キリスト者と、そうではなく、今この時になって、主イエスと出会い、主イエスを唯一の救い主と信じてキリスト者となり、教会の民とされた人たち、すなわち割礼の無い異邦人キリスト者とが、一つの教会の民として共に生きる信仰共同体を形成するにあたって、古いイスラエルの民が重んじてきた割礼やその他の習慣、または律法を重んじるという彼らの宗教生活がどの程度継続されなければならないのか、それとも、そのような古い習慣とは全く無関係に生きてきた異邦人たちは、ユダヤ人が重んじてきたそれらの古い宗教生活を全く無視してよいのか、このような問題が初代教会にとって非常に大きな課題であり、教会を分裂させかねない危険性をはらんだ問題として浮かび上がってきたのです。

 わしたちがこれまで使徒言行録で学んできたように、最初に誕生したエルサレム教会はほとんどがユダヤ人でした。中には、最近になってエルサレムに戻って来た離散のユダヤ人、すなわちディアスポラと言われるユダヤ人はギリシャ語を話すことができ、彼らはヘレニストと呼ばれていましたが、そのようなユダヤ人もいましたが、8章1節に書かれているエルサレム教会に対する大迫害で、使徒たちとヘレニストのユダヤ人たちは皆エルサレム市内から追放されましたので、エルサレム教会に残った人たちは、ずっとエルサレムに住み、ヘブライ語を話していたヘブライストだけになったと考えられています。そのような経緯もあって、エルサレム教会はユダヤ人の古い宗教的慣習を重んじるキリスト者が多かったと推測されます。

 それに対して、パウロとバルナバが属していたアンティオケア教会は、今言及したエルサレム教会に対する大迫害で散らされたいったヘレニストのキリスト者が、ユダヤ人以外のギリシャ語を話す人たちに福音を宣べ伝えて誕生した教会ですから、いわば異邦人キリスト者たちを中心とした教会でした。パウロもバルナバもギリシャ語を話すディアスポラのユダヤ人でしたから、アンティオキア教会で一緒に働く、よき仲間であったし、第一回世界伝道旅行を二人で協力して成し遂げたのでした。

 では、使徒言行録の本文に戻りましょう。1節に「ある人々がユダヤから下って来て」とありますが、この人たちはエルサレム教会からやって来たことは明らかで、のちにエルサレム教会での話し合いの際に、5節に「ファリサイ派から信者になった人が数名立って」と書かれている人たちと同じだと考えられます。その人たちがアンティオキア教会にやって来て、「あなたがたは割礼を受けていないだろうが、モーセの律法に従って割礼を受けなければ救われない」と教えたというのです。そこで、パウロ、バルナバと彼らとの間に激しい意見の対立と論争が生じたと書かれています。

 パウロとバルナバの立場、考え方は明らかです。二人とも本来ユダヤ人でしたから、割礼を受けていたことは確かです。でも、彼らが第一回世界伝道旅行でキプロス島や小アジア地方で多くのギリシャ人に福音を宣教し、町々に主キリストの教会を建ててきましたが、その中で、彼らがユダヤ人でない異邦人に対して割礼を受けさせたとか、旧約聖書で定められているモーセの律法やユダヤ人の慣習を守るべきだと教えたことは、全く書かれていませんでした。彼らが宣べ伝えた主イエス・キリストの十字架と復活の福音を信じて、聖霊のお導きに従って洗礼を受けるならば、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、人種には関係なく、割礼があるかどうかにも関係なく、主イエス・キリストを信じる信仰によって、その人は罪ゆるされ、救われ、神の国の民とされ、永遠の命の約束を受け取ることがゆるされる、これが彼らが語った福音でした。

 しかし、エルサレム教会からやって来た人たち、おそらくはユダヤ教ファリサイ派からキリスト者になった人たちにとっては、自分たちが神に選ばれた契約の民であること、またそのしるしとして割礼を受けていることは大きな意味を持っていました。また、彼らが長い宗教的伝統の中で重んじてきた律法を固く守ること、宗教的慣習を大切にすることも、彼らにとっては決してなおざりにはできない、大切な信仰生活の一部であると考えていました。そこで、彼らはユダヤ人以外の異邦人にも自分たちと同じように割礼を受けること、モーセの律法を守ることを要求しました。そうしなければ、異邦人には救いは与えられないと主張しました。

 主キリストの教会の中にこのような二つの対立した考えがあることは、初代教会全体にとっての大きな問題でした。使徒言行録の著者であるルカは、ここでの対立が単にエルサレム教会とアンティオキア教会の間での問題ではなく、初代教会全体にとっての課題であるととらえているようです。1節ではエルサレム教会という名前は挙げずに、「ユダヤから」と言っているのは、その理由によると思われます。また、この問題を解決するために教会会議が招集されたことが、2節と6節に書かれています。「この件について使徒や長老たちと協議するために」(2節)、「使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった」(6節)。

 ここから、わたしたちは重要ないくつかの点を確認することができます。一つには、教会の中で何か教理的・信仰的な意見の違いや問題が生じた場合、教会はだれか特定の指導者の判断によって解決するのではなく、あるいは教会外部の権威ある機関に問題解決を委託するのではなく、教会の会議によって、教会から選ばれた使徒と長老たちの会議によって、話し合い、協議して問題解決に当たったということが分かります。

また、1個の教会だけでなく、数個の教会から集まった使徒と長老たちという代表者による会議を開催したということです。今回の会議に召集された教会が、エルサレム教会とアンティオキア教会の二つだけだったのか、それとも他の地域の教会も加わっていたのかは、使徒言行録の記述からは確認できませんが、このエルサレム使徒会議で決定された事項が他の諸地域の教会にも通達されたことが22節以下で書かれていますので、初代教会全体がこの会議にかかわっていたと思われます。そして、このような制度は、わたしたち日本キリスト教会の長老制と、大会・中会・小会という段階的代議員制度による教会会議に受け継がれているのです。

パウロとバルナバは何人かの教会代表者たちと一緒にエルサレムでの会議に出席するために、アンティオキア教会から陸路を通ってエルサレムへ向かいました。【3~5節】。エルサレムでの会議に出席し、主イエス・キリストの福音を信じる信仰よる救いは、割礼や律法の行いによる救いをはるかにまさっているということを主張し、それをユダヤ人キリスト者にも理解してもらうことが彼らの目的でしたが、彼らは目的地に着く前の道の途中で、すでに主イエスの福音の勝利を諸教会で証ししました。

エルサレム教会への大迫害で市内を追い出されたヘレニスト、すなわちギリシャ語を語るユダヤ人キリスト者たちが、パレスチナ地域の外でもギリシャ人に福音を語り、多くのギリシャ人が信じてキリスト者となり、教会が建てられていったこと、アンティオキア教会もそのようにして建てられたこと、そしてまた、パウロとバルナバの伝道旅行によって、小アジア地域の町々にも次々と教会が建てられていったこと、そのすべてが主なる神の恵みであり、導きであったことを、彼らは語りました。

神は初めイスラエルの民を選ばれ、この民と契約を結び、この民によって救いのみわざをなし続けてこられましたが、今時が満ちて、全人類の救いのために、み子主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、すべての人の罪を贖い、ゆるし、救ってくださいました。そして、この福音を信じる人はだれでれ、割礼なしに、律法の行いなしに、一方的に差し出された神の恵みによって、救われるのです。これが全世界のすべての信仰者が信じている主イエス・キリストの福音です。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたの永遠なる救いのご計画は全世界のすべての人の救いを目指しています。あなたはそのご計画を実行なさるために、世界各地に主キリストの教会をお建てくださいました。どうか、日本と、アジア、そして世界に建てられている教会を、あなたが豊かに祝福し、その教会の福音宣教の働きを強めてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。世界の為政者たちが唯一の主なる神であるあなたを恐れる者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

7月20日説教「神の国はあなたがたのところに来ている」

2025年7月20日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書52章7~15節

    ルカによる福音書11章14~23節

説教題:「神の国はあなたがたのところに来ている」

 主イエスはある日、口がきけない人から悪霊を追い出されると、その人は口が聞けるようになったと、ルカ福音書11章14節に書かれています。ところが、主イエスに反感を抱く人たちが、「彼は悪霊の頭ベルゼブルの力によって悪霊を追い出しているのだ」と非難し始めました。それに対して、主イエスは彼らの批判が間違っていることを論証され、敵対者たちに反論しておられるだけでなく、ご自身が宣べ伝えておられる神の国の福音とは何かという、その本質を明らかにされました。このように、主イエスに敵対する人たちとの論争をとおして、主イエスの福音の本質がよりいっそう明らかにされていくという例が、福音書の中にはいくつも語られています。主イエスの福音が、当時のユダヤ人やユダヤ教の考えや教えとは全く違った全く新しいものであることが、ここでは語られているのです。

 まず、「悪霊」について考えてみたいと思います。聖書では、「悪霊に取りつかれている」とか「悪霊を追い出す」という表現が何度も用いられています。今日のわたしたちにはあまり実感がないかもしれませんが、聖書の時代の人々にとっては、悪霊とは、いわば人格化された悪のように考えられていたようです。「悪霊に取りつかれた人」と言えば、何か精神的な病のように考えるかもしれませんが、当時の人にとっては精神的な病であれ肉体的な病であれ、すべては悪霊がその人に取りついて、その人を支配していると考えました。病気だけでなく、何かの災いや不幸な出来事もまた悪霊によってもたらされると考えていました。今日のわたしたちにとっては化学や医学で説明がつくことでも、当時の人たちにとっては、すべてが悪霊の働きによると思われていたからです。特に、聖書では、悪霊、または悪とは、神に敵対する力のことであり、また信仰者たちを神から引き離し、その信仰を疑いに変え、神に対する不信を大きくさせる働きをするのが、悪霊の働きです。

 きょうの聖書の箇所では、口をきけなくする悪霊に取りつかれた人が登場します。この人は悪霊の力によって、口と舌の機能が奪われ、言葉を語ることができませんでした。人間から言葉が失われると、自分の考えや意志を相手にうまく伝えることができず、人と人とのコミュニケーションも制限されます。言葉で神を賛美することもできません。彼は社会生活からも、宗教共同体からも阻害されていました。それは、この人にとってどんなにか大きな痛みであり重荷であり、また孤独であったことでしょうか。

 主イエスはこの人から彼を苦しめていた悪霊を追い出されました。彼は言葉を取り戻しました。それは単に肉体の病がいやされ、口と舌の機能が回復されたということにとどまらず、この人の全人格が悪霊の支配から解放されて、自由になり、生まれ変わって新しい人にされたことを意味します。主イエスのいやしみわざが、そのような大きな意味を持っていることが、主イエスのみ言葉によってさらに明らかにされていきます。

 主イエスはこう言われました。「しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(20節)と。主イエスが神から遣わされたメシア・救い主・キリストとして、父なる神の権威と力によって悪霊を追い出されるときに、そこにすでに神の国が到来し、神の恵みのご支配が始まっていると、主イエスはここで言われます。神が恵みと救いとをもってご支配される神の国がそこに到来し、その人は悪霊の支配から解放され、主なる神のご支配のもとに移されている。その人はもはや悪霊の支配の中で生きるのではなく、神のご支配の中で生きる者とされているのです。

 ところが、その奇跡を見たある人たちが、主イエスを非難しだしました。この人たちは、並行箇所のマタイ福音書12章24節によれば、ファリサイ派の人たちでした。ファリサイ派は当時にユダヤ教の最大教派の一つで、旧約聖書の律法を重んじ、律法に従って生きることを目標にしていました。彼らは主イエスが力強い働きをされ、民衆から注目されていることを妬ましく思っていました。彼らは言います。「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している。そうでなければ、あれほどの不思議は奇跡を行えるはずがない。彼は悪霊の仲間に違いない」と。また、ほかの人たちは、彼が悪霊の仲間ではなく、神から遣わされたメシア・キリストであるならば、その証拠を見せてほしいとしるしを要求しました。

 わたしたちはここで、主イエスと、主イエスを非難している彼らとの立場の違い、根本的な違いに気づかされるのです。主イエスは、長くこの病める人を苦しめてきた重荷から彼を解放し、彼を自由にし、彼の病をいやされただけでなく、彼に新し命を注ぎ込みました。けれども、主イエスに敵対する彼らは、一人の人がいやされ、救われたことを喜ぶことができず、神の救いのみわざを感謝することができず、自らの誉れを求め、救い主であられる主イエスを非難しているのです。ここに、彼らユダヤ人の罪が、人間の罪が浮き彫りにされているのです。

 17節に、主イエスは「彼らの心を見抜いて言われた」と書かれています。主イエスはわたしたち人間の心の中に潜んでいる悪しき思いと罪のすべてを見抜かれます。主イエスの救いのみわざを喜んで受け入れようとしない傲慢でかたくなな思い、自らの名誉や地位を守るために他者を排斥しようとする独善的で自己中心的な思い、自分の罪を覆い隠し、自らを飾ろうとする偽善的な思い、主イエスはそのようなわたしたちの中にある罪のすべてを見抜いておられます。そして、わたしたちを罪のゆるしと新しい神の恵みのご支配に生きる道へと、招いてくださいます。

 17節以下で主イエスが言われたことを、あらためて説明するまでもないでしょう。国家であれ、家庭であれ、内部で分裂していれば、その集団は崩壊してしまうほかにありません。ですから、悪霊の頭によって悪霊を追い出すということはあり得ないと主イエスは言われます。主イエスが口をきけなくする悪霊を追い出され、その人をいやされたのは、悪霊の頭によってではなく、そのベルゼブルをも含めたすべての悪霊に勝利される神のみ力によったのであると、主イエスは言われます。

 【20節】。「神の指」とは。神のみ力のことです。神の権威、神の強い意志と言ってもよいでしょう。詩編8編4節に、このよう歌われています。「あなたの天をあなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたの配置なさったもの」と。神の指とは、天にあるもろもろの天体、太陽、月、星のすべてを創造し、地のすべての被造物を創造した神のみ力のことです。その神の偉大なみ力は、すべての悪霊よりも、また悪霊の頭と言われるベルゼブルよりも、さらに強く大きな力なのです。その神のみ力によって、主イエス悪霊を追い出されたのです。そして、神に敵対していた悪霊の滅びは、また神を信じる者たちを攻撃する悪霊の滅びは、神の新しいご支配が始まり、神の国がすでに来ていることのしるしなのです。この主イエスが共にいますところ、この主イエスを救い主と信じる人々が集まっているところ、そこではすべての悪霊と罪の力とはすでに敗北と滅びとを宣言されているのであり、ただ神のみが唯一の永遠の王としてご支配しておられる神の国がすでに来ているのです。主イエスの悪霊追放のみわざは、この神の国到来の確かなしるしなのです。

 ルカ福音書で「神の指」と言われている個所は、マタイ福音書12章28節では「神の霊」となっています。両者は同じ意味です。神の霊、聖霊が今主イエスと共にこの世で神の指としての創造のみわざを新たに始められました。聖霊なる神が新しい信仰者を生み出し、また教会を生み出し、主イエスによって成し遂げられ救いのみわざを、力強く前進させておられます。それが、神の国到来の明らかなしるしなのです。

 この点においては、主イエスの悪霊追放と、他の人たちのそれとは全く違った意味を持っています。19節で主イエスが、「あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」と言っておられることから推測されるように、当時のユダヤ人社会では悪霊追放のような奇跡を売り物にしている魔術師たちや祈祷師たちが多くいたようです。彼らもそれなりの力を発揮して病気をいやしたりしていました。けれども、彼らの行為は一時的にその人から悪霊を追い出すことができても、悪霊そのものを滅ぼすことはできませんでした。悪霊は人間の力では最終的に滅ぼすことはできません。神のみ子だけがそれをなさいます。そのことについては、24節以下で主イエスが語っておられますので、次回さらに学ぶことにいたします。

 21節以下は、多少理解に困難な箇所と言われています。【21~22節】。主イエスここで、地上における人間たちの力の差について語っておられます。地上では人間たちがお互いの力を競い合っています。そして、より強い力を持っている人が、他の人の国を侵略し、奪い取ります。その戦いには終わりはありません。やがてより強い力を持つ人が現れるからです。それはまさに、今わたしたちが住んでいるこの世界の現実の姿であると言ってよいでしょう。

 しかし、主イエスは23節で、【23節】と言われます。これはどういう意味でしょうか。主イエスがこの世に到来されたことにより、この世は「わたし」すなわち主イエスに敵対するか、それとも主イエスに味方するかのどちらかにはっきりと分けられるようになるというのです。中立的な、どちらでもないような、あるいは、今回はこちらで次回はあちらというようなあいまいで、優柔不断な立場は、主イエスが到来されたのちにはあり得ないというのです。主イエスが天の父なる神から遣わされたメシア・キリスト、救い主としてこの世においでになり、神の霊の力によって悪霊を追い出され、悪霊に勝利されたからには、悪霊に対する勝利を信じて主イエスの側に立つのか、すなわち、神の国のご支配に生きるのか、それとも、いまだ悪霊の支配に服従して悪霊の側に立ち、悪霊の支配の中で生きるのか、そのどちらか一方でしかあり得ないと言うのです。なぜならば、主イエスが父なる神の権威とみ力によって、悪霊の支配に勝利され、悪霊を滅ぼしておられるからです。

 主イエスはわたしたちを神の救いと恵みに満ちた神のご支配へと、神の国へと招いてくださいます。そのために、主イエスはわたしたちの罪を滅ぼし、わたしたちを罪から救うために十字架への道を進み行かれたのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたはみ子の十字架の死と復活によって、わたしたちを罪と死と悪霊の支配から解放してくださり、わたしたちが真理と自由の聖霊によって生きる道を備えてくださいましたことを、心から感謝いたします。どうか、わたしたちが再び罪の奴隷となることがありませんように、常にわたしたちを聖霊によってお導きください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。世界の為政者たちが唯一の主なる神であるあなたを恐れる者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

7月13日説教「エジプトでのしるしと奇跡(三)」

2025年7月13日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記11章1~10節

    ヨハネによる福音書12章37~43節

説教題:「エジプトでのしるしと奇跡(三)」

 神は、エジプトで400年余りにわたって寄留の民、奴隷の民として苦難の中にあったイスラエルの苦しみの叫びを聞かれ、彼らを奴隷の家から解放し、約束の地、カナンへと導き上ると言われ、その指導者としてモーセをお立てになりました。イスラエルのエジプト脱出という神の救いのご計画は、イスラエルのエジプト移住からさらにさかのぼって、紀元前1900年から1800年代の族長アブラハムに最初に語られた神の約束の言葉の成就でありました。神はアブラハムに言われました。「わたしはお前の子孫を永遠に祝福する。お前の子孫は星の数ほどに増える。わたしはお前と子孫を約束の地、カナンへと導き上り、その地を嗣業として与える」。これが、いわゆるアブラハム契約と言われる神の約束です。出エジプトはそのアブラハム契約の成就を目指していたのです。そしてさらに、この出エジプトの出来事は、それから千数百年のちに、神が主イエス・キリストによって全世界のすべての民のために成就されるであろう救いのみわざの予告であり、預言でありました。神がイスラエルの民のためになしたもうた出エジプトという救いのみわざは、主イエス・キリストの十字架の死と復活によってなしたもうた全人類の救いのみわざによって、完全に成就されたのです。出エジプト記を読むとき、わたしたちは主イエスの福音をそこから読み取るのです。

 出エジプト記7章14節から10章29節までは、神がエジプトでなされた計9回のしるしと奇跡が書かれています。エジプトのナイル川とすべての水が血に変わり、飲めなくなったという奇跡。蛙、ぶよ、あぶが異常に発生し、エジプト人が苦しんだというしるし。疫病が大流行し、エジプトの家畜が多く死んだという奇跡など。そして9番目には、エジプト全土が大きな暗闇に覆われたというしるし。これは、そののちの10番目の、より恐ろしい、エジプト全土を襲うであろう大きな災害の前兆でもありました。

 神がこのように、何度も何度も繰り返してしるしと奇跡とをなされた理由について、もう一度振り返ってみましょう。モーセはエジプト王ファラオに対して、このような要求を告げました。「わが民イスラエルをエジプトから去らせ、自由に神を礼拝する民とさせてください。それがイスラエルの神のみ心だからです」と。その要求をファラオが簡単に受け入れるはずはありません。そこで、神はモーセとアロンによってエジプトに災いをもたらすしるしと奇跡とを行いました。それを見てファラオはイスラエルの神を恐れ、民を解放するから、この災いを取り去るように、モーセに懇願しましたが、しかし実際に災いが収まって一息つくと、ファラオは心を翻して、モーセの要求を再び拒否しました。それが何度も繰り返された結果、最後の10番目の災いへと至ったのでした。

 ここには、エジプト王ファラオのかたくなさ、神を恐れない傲慢さ、この世の権力にしがみつこうとする人間の罪が浮き彫りにされています。エジプトで行われた10のしるしと奇跡は、それに対する神の厳しい裁きなのです。他方、それはまたイスラエルの民にとっては神の忍耐と愛のしるしでもありました。神はご自身が選ばれた民イスラエルの救いのために、アブラハムへの契約の成就のために、エジプトの権力とファラオのかたくなさに勝利されます。これらの10のしるしと奇跡は、神の偉大さを表しています。また、どのような人間のかたくなさや罪によっても決して変更されることがない、神の救いのご計画の永遠性を表しているのです。

 きょう朗読された11章では、10番目の、最後の最も恐るべきしるしと奇跡の予告が語られています。【1~3節】。ここでは、まだ10番目の災いの内容については語られていませんが、その災いの持っている特別な意味について説明されています。その一つは、これまでファラオは何度も心を翻してイスラエルの民を去らせることを拒んできましたが、この最後のしるしと奇跡ののちには、むしろ彼らをエジプトから追い出すようになるであろうということ。それほどに偉大な神のみ力が現わされ、ファラオはイスラエルの民がエジプトにとどまることを恐れるようになるということです。この最後のしるしと奇跡は、エジプトにとっても、またイスラエルにとっても、決定的な意味を持つことになります。ファラオはイスラエルからの要求を聞いて彼らを去らせるようになるというのではなく、むしろファラオの方から彼らを追い出すようになるのだと、神は言われます。

 もう一つは、イスラエルの人々はエジプト人の好意を得て、彼らから金や銀の飾りを受け取るであろうとも言われています。このことについては、すでに3章21~22節で予告されていました。【21~22節】(98ページ)。また、12章36節では、【36節】(113ページ)と書かれています。これらの記述から、いくつかのことが読み取れます。第一には、イスラエルの民は寄留の地エジプトで、信仰の民としてエジプト人に好意をもって受け入れられていたので、その好意のしるしとして、金や銀をいわば餞別として受け取ったという意味。第二には、イスラエルがエジプトで強制的に奴隷としての労働を強いられていた、その当然受けるべき報酬として、金銀を受け取る権利があったという意味。第三に、エジプト人がイスラエルの民奴隷として虐待したことに対する刑罰として金銀を支払う義務があったという意味。

 イスラエルの民が出エジプトの際に金銀を携えて出たことの意味について、以上のことが考えられていますが、しかしここで重要なことは、それらの金銀はイスラエルの人々が自分たちの身を飾るために用いるではなく、やがて荒れ野を40年旅を続ける期間に、移動式の礼拝所である幕屋を製作する際に、礼拝の場に設置する器具として神にささげられるためであったということです。出エジプトは、イスラエルの民が真実の礼拝の民となることを最終的な目標としているのです。

 4節から10番目の災い、しるしと奇跡の予告が語られます。【4~6節】。これまでの9番目までしるしと奇跡は、モーセが手にしていた神の杖によって、自然界で起こった現象でした。しかし、今回のこの最後のしるしと奇跡は、神ご自身がエジプトの中に入って行かれ、神ご自身が行われる奇跡であると言われています。天におられる神が地に降って来られ、神が直接にご自身のみ手をもってエジプトをお裁きになる。そして、イスラエルの民をお救いになる。そのことを、神ご自身が具体的に行動されるのだと言われています。

 神が重要なみわざをなさるときには、しばしばこのように、ご自身が天から地に降って来られ、直接にご自身のみ手をもって行われるということを、わたしたちはこれまでも聞いてきました。創世記11章5節にはこう書かれていました。「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見られた」。そして、神は天にまで高く至ろうとしていたバベルの塔の建設を中止させられました。また、創世記18章では、ソドムとゴモラの悪があまりにも大きいので、それを見届け、それに厳しい裁きを下すために、神は「わたしは降って行き、彼らのなしていることを見てこよう}と言われました(18章21節参照)。そして、出エジプト記3章7節以下にはこのように書かれていました。【7~8節】(97ページ)。

 その神が時満ちて、今一度天から降って来られ、み子イエス・キリストとして、人となってこの世においでになられたということを、わたしたちは知っています。そして、アブラハムとの契約を最終的に成就し、全人類を罪の奴隷から救い出してくださいました。

 「真夜中ごろ、わたしはエジプトの中を進む」と神は言われます。すべての人が眠りに落ちている時にも、神はお一人目覚めておられ、ご自分が選ばれた民の救いのために、いわば敵地に乗り込んで、お働きになります。それゆえに、12章42節ではこう言われています。【42節】(113ページ)。

 10番目の災いは、エジプトの王ファラオの家から始めてすべての家に生まれた初子(すなわち長男)と、家畜の初子(最初に生まれたオス)が、すべて死ぬというしるし、奇跡です。そのためにエジプト全土に大いなる悲しみの叫び、驚き、嘆きの叫びが起こるであろうというのです。未だかつて一度も起こったことがないほどの大きな災いであり、しるし、奇跡であり、またこののちにも再び起こることがないほどの大きなしるし、奇跡であるとも言われています。

 しかし、その時に、イスラエルの家はみな主なる神によって守られるであろうと言われています。【7節】。エジプトに対する大きな災いは、イスラエルにとっては大いなる神の守りと救いのしるし、奇跡となるのです。それによって神はイスラエルに対する大きな愛をお示しになります。そのようにして、神はエジプトでの苦役のゆえのイスラエルの叫びと祈りをお聞きになられ、そしてまた、アブラハムとの契約を成就なさるのです。

 そこで、8節にはこのように書かれています。【8節】。神が全エジプトの家に下された大いなる災いに、彼らはみな恐れ、戸惑い、ついにはモーセとイスラエルの民にエジプトから出て行ってほしいと願い求めるようになるであろうと、モーセはファラオに語りました。イスラエルの神の完全な勝利を告げているのです。そして、事実そのようになったことが12章29節以下に書かれています。あらかじめ、その中の33節を読んで確認しておきましょう。【33節】。そのようにして、イスラエルの民はエジプトの奴隷の家を安全に、主なる神に守られて脱出することができたのです。神はイスラエルの民の救いのために必要なすべての道を完全に整えてくださったのです。

 神はまた、主イエス・キリストによって、わたしたち罪びとたちの救いに必要なすべての道を、完全に整えてくださいました。わたしたちはその道を喜びと感謝とをもって、神のみ名を賛美しながら進むことができるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたは寄留の民、奴隷の民であったイスラエルをお選びになり、この民によって救いのみわざをお始めになられました。あなたはイスラエルの民の中にメシア・救い主をお与えになり、主イエス・キリストによって全世界のすべての人の救いを成し遂げてくださいました。そして今、わたしたち一人一人をその救いの民の中にお招きくださいました。感謝いたします。どうか、あなたの救いのみわざがさらに前進しますように。救われる民を増し加えてくださいますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。世界の為政者たちが主なる唯一の神であるあなたを恐れる者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

7月6日説教「キリスト・イエスの僕、パウロ」

2025年7月6日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書42章1~4節

    ローマの信徒への手1紙章1~7節

説教題:「キリスト・イエスの僕、パウロ」

 ローマの信徒への手紙は、使徒パウロがローマにある教会の信徒たちにあてて書いた手紙です。「ローマの手紙」とか「ローマ書」(ロマ書)と言ったりもします。ローマの教会がいつころ、どのようにして誕生したのかについは分かっていません。パウロ自身やパウロに関係した使徒のだれかが宣教活動をしてできたのではなく、他の町で福音を聞いた信仰者がローマに行って伝えたか、あるいはローマに移り住んだか、そのような信仰者が集まってできた教会と推測されます。「すべての道はローマに通じる」と言われていた時代ですから、パウロや他の使徒たちがローマに入る前に、各地から信仰者たちが集まって来て教会が誕生したとしても不思議ではありませんが、それ以上に、主イエス・キリストの福音そのものが持っている大きな力と命が、この世界の中心都市にまで、これほどまでに早く、主キリストの教会を建てさせたのだと言うべきでしょう。

 ローマの教会にはユダヤ人でキリスト者になった人たちもいたと思われますが、手紙の内容などから判断して、いわゆる異邦人キリスト者、広く言ってギリシャ人キリスト者が大半を占めていたようです。教会の規模は分かっていませんが、たとえ小さな群れであったとしても、ローマ帝国の首都であり、世界の中心都市であるローマに建てられたこの教会の存在意義は、パウロにとっても、初代教会全体にとっても、大きな意味があったのは言うまでもありません。

 パウロがいつごろこの手紙を書いたのかについては、これもはっきりとした年代は分かりませんが、パウロの第3回世界伝道旅行の終わりころ、紀元57年から58年にかけてと推測されます。

 この手紙を書くことになった直接的な動機については、15章22節以下などから読み取ることができます。パウロは計3回にわたる伝道旅行を行い、小アジア地方やギリシャまでの地中海沿岸の町々に教会が建てられていきました。今や、パウロの目は世界の首都であるローマへと向けられています。さらには、ローマから世界の西の果てと言われていたイスパニア(今のスペイン)へ主キリストの福音を宣べ伝えるという、壮大な計画を抱いていました。ローマの教会を拠点にしてイスパニア伝道をしたい、そのために、ローマの教会の協力を得たいというのが、この手紙を書いた動機の一つでした。

 それとともに、パウロはローマで主キリストの福音を語ることに特別な意味を見いだしていたことにも注目したいと思います。第3回世界伝道旅行の終わりころ、それはちょうどこのローマへの手紙が書かれた時期と同じですが、パウロがエフェソに滞在していた時に、彼はこのように言っています。使徒言行録19章21節ですが、【21節】(252ページ)。それから、彼が第3回伝道旅行を終えてエルサレムを訪問し、そこで捕らえられ、ユダヤ最高法院で裁判を受けていた夜に、彼は主なる神のみ声を聞きました。【23章11節】(260ページ)。世界の中心都市ローマで福音を語りたいというのは、パウロの切なる願いであっただけではなく、それはまた主なる神の深いみ心であったのです。

 なぜでしょうか。ローマ書や使徒言行録には具体的に書かれてはいませんが、わたしたちには直ちに推測ができます。すなわち、世界の巨大帝国ローマで、その中心都市であるローマで、そしてそこに君臨していたローマ皇帝の前で、世界の最高支配者はローマ皇帝ではなく、主イエス・キリストである、このこと語ることこそが、使徒パウロの最大の願いだったのです。全人類の罪のために十字架で死なれ、すべての人に罪のゆるしと永遠の命を与えるために、三日目に復活された主イエス・キリスト、今は天の父なる神の右に座しておられ、終わりの日には、来るべき神の国の永遠の王として君臨されるであろう主イエス・キリスト、この方こそが唯一の、まことの王であり、救い主であるという福音を語るためです。パウロがこの手紙を、そのローマの教会に書いたのもまた、同じ理由によるということは言うまでもありません。

 では、そのパウロの切なる願いはどのようにして実現するのでしょうか。わたしたちはさらに先に使徒言行録を読み進んでいくと、それが明らかになります。エルサレムで捕らえられ、裁判を受けたパウロは、神を冒涜した罪と民衆を扇動して暴動を起こそうとしたという罪で有罪判決を受けますが、彼はローマの市民権を持っていたことから、ローマ皇帝に上訴することにしました。それから数年後に、パウロはローマで裁判を受けるために、囚人の一人としてローマに護送されることになったのです。使徒言行録の終わりの箇所を読んでみましょう。【28章30~31節】(271ページ)。ここには、「まったく自由に何の妨げもなく」と書かれています。パウロは有罪判決を受けた囚人でしたが、しかし、この世のどのような鎖によっても彼と彼が携えている神の国の福音を縛りつけておくことは決してできないのだということを、わたしたちは世界の巨大帝国の首都ローマでも、はっきりと知らされるのです。

 わたしたちはこれから、ローマの信徒への手紙を主日礼拝で読んでいくことになりますが、それに先立って、もう一つのことを確認しておきたいと思います。ローマの手紙は、キリスト教会の歩みにおいて、最も強い影響力を持つ聖書であるということは否定できません。特に、キリスト教の教理を形成するうえで、ローマの手紙が果たした役割、今も果たし続けている役割は、どんなにに強調しても強調しすぎるということはありません。

 そしてまた、16世紀の宗教改革においては、ローマの手紙は教会改革と新しいプロテスタント教会の誕生の命と力の源泉となったということを、わたしたちは知っています。宗教改革者ルターもカルヴァンも、ローマの手紙の聖書研究をとおして、当時のローマカトリック教会の律法主義的で、人間のわざや働きを重んじる功利主義的な信仰を批判し、真の福音主義的信仰を再発見したのでした。

 ドイツ生まれのマルチン・ルターはローマの信徒への手紙について、「パウロのこの手紙は最も明らかな福音である」と言っています。ルターは1515年から翌年にかけて、ローマ書の注解書を書き、続いてガラテヤ書の注解書を書きましたが、それが1517年の宗教改革ののろしを上げる原動力となりました。また、フランス生まれのジャン・カルヴァンは「この手紙を理解する者は全聖書を理解する扉を開く」と言っています。

 20世紀の神学者カール・バルトは1919年の初版発行以来、何度か版を重ね、改定したローマ書の注解書を書いていますが、1956年のローマ書注解書の序文で、「ローマ書の場合、それを学びつくすということはあり得ない」と述べたあとで、こう続けています。「この意味で、ローマ書はこれからもなお『待ち続けている』。そして確かにこのわたしをも『待っている』」と。

 今日に至るまで2000年の教会の歩みの中で、どれほど多くの説教者や神学者、研究家がこのローマ書と真剣に、また情熱を傾けて、取り組んできたことでしょうか。どれほど豊かで、また喜ばしい主キリストの福音を、この書から読み取ってきたことでしょうか。そして確かに、ローマ書は、これからこの書を続けて読んでいこうとしているわたしたちをも待っています。あふれるばかりの豊かな福音の恵みを用意して、わたしたち一人一人によっても、読まれ、理解され、そして信じられることを待っています。わたしたちもまた大きな期待をもって、きょうから、ご一緒にこの書を学んでいくことにしましょう。

 まず、ローマ書の全体の構造を簡単にみていきましょう。1章1節から18節までは、手紙の序文にあたります。ここには、手紙の差し出し人からのあいさつと執筆の動機、またこの手紙の主題とも言える内容が書かれています。1章19節から3章20節までには、神のみ前にある人間の罪について書かれています。これを第一部と考えてよいでしょう。第二部は、3章21節から11章の終わりまで、主イエス・キリストによって成就された罪のゆるしの福音について詳しく書かれています。そして、第三部は、12章1節から16章の末尾までは、救われた人の感謝の生活、信仰者の実践についてと終わりのあいさつ。

 ローマ書のこのような3部形式は、宗教改革以後の信仰問答書や信仰告白文の構造に受け継がれていきました。代表的なものは、1563年に制定された『ハイデルベルク信仰問答』です。第一部、「人間の罪と悲惨について」、第二部「人間の救いについて」、第三部「救われた人の感謝の生活について」という構成になっています。その形式を受け継いだ『日本キリスト教会小信仰問答 1964年版』も同様の構造です。

 あと残された時間はわずかですが、この手紙の差し出し人であるパウロのあいさつの言葉の中の「キリスト・イエスの僕」について少し触れたいと思います。1節から7節のあいさつの部分は当時の手紙の書式にならっています。最初に手紙の差し出し人の名前と自己紹介、次に受け取り人の名前、そして差し出し人から受け取り人へのあいさつの言葉が続きます。

 1節の冒頭のギリシャ語は、「パウロ、僕、キリスト・イエスの」という語順になっています。「僕」とは文字通りには「奴隷」のことです。パウロはまず「自分はキリスト・イエスの奴隷である」と自己紹介しているのです。奴隷制度があった時代ですから、イスラエルでは奴隷の売買は禁じられていましたが、奴隷という言葉は、今日のわたしたちが考える以上に強い響きを持っていたことは確かでしょう。奴隷は社会の最も低い階級に属し、自ら何の権利をも与えられず、生殺与奪の権利は彼の所有者である主人にありました。主人の意のままに働き、行動し、時には主人のために命をも投げ出して、主人に徹底して仕え、服従する、しかも自らの誉れを一切求めない、それが奴隷です。

 そのような奴隷・僕という言葉は、聖書の中では、旧約聖書でも新約聖書でも同じですが、全く新しい、特別な意味を含んで用いられています。旧約聖書では、イスラエルの王や預言者などが「主なる神の僕」と呼ばれています。これには二つの意味が含まれていました。一つは、主なる神の所有とされ、主なる神のみに仕え、主なる神のみ言葉に徹底して服従する、文字通り神の奴隷であり、主人である神に自分の命と存在のすべてを握られているという意味です。

 もう一つには、主なる神が自分の命と存在のすべてを大いなる愛をもって支え、深いみ心で守っていてくださるという意味です。神はわたしの主、わたしの所有者として、わたしの体と魂にとって必要な一切のものをもって、わたしを満たし、養ってくださる。そして、わたしをあらゆる危険や誘惑から守ってくださる。神はわたしを他の何ものにも引き渡すことなく、永遠に唯一のわたしの主でいてくださる。それゆえに、わたしは他の一切のものの支配から自由であり、他の何ものの奴隷となることはない。それがもう一つの意味です。

 パウロが主イエス・キリストの福音を信じるキリスト者として、「わたしは主イエス・キリストの僕である」と告白するときには、その意味はより一層明確です。パウロにとって、またわたしたちすべてのキリスト者にとっても、「主キリストの僕」という告白は、最高に名誉ある、そしてまた感謝と喜びに満ちた自己紹介なのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたがご自身の一人子を賜わるほどにわたしたち一人一人を愛してくださったその大きな愛によって、わたしたちを主イエス・キリストの僕としてくださったことを覚え、感謝いたします。自由と喜びとをもって、わたしの唯一の救い主であられる主イエス・キリストにお仕えする者としてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。世界の為政者たちが主なる唯一の神であるあなたを恐れる者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。