8月4日説教「天の神と地に住む人間との永遠の契約」

2024年8月4日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    「世界の教会を覚える日」

聖 書:創世記9章1~17節

    ヘブライ人への手紙1章1~4節

説教題:「天の神と地に住む人間との永遠の契約」

 8月第1週は、日本キリスト教会が定めた「世界の教会を覚える日」になっています。渉外委員会便りによれば、今年はパレスチナの諸教会を覚えて祈ってくださいとの依頼です。パレスチナと言えば、現在、ガザ地域でのイスラエルとイスラム原理主義ハマスとの戦争のことが毎日大きなニュースになっています。その地域での平和を願うということは大きな課題ですが、その前に、パレスチナのキリスト教会について少し考えてみたいと思います。

 パレスチナと言えば、言うまでもなく、そこには主イエスが誕生した町があり、主イエスが十字架につけられたエルサレムがあります。また、わたしたちが使徒言行録で学んでいるように、世界最初の教会エルサレム教会が誕生し、そののち10年余りの間にパレスチナ各地に教会が建てられていきました。

 それから2千年の間に、パレスチナは激動の舞台になり、キリスト教会も激動の歴史を歩まされました。1990年代には、イスラエル政府の発表によれば、全人口の2パーセント、約27万人のキリスト者がいたとのことですが、今もなおユダヤ人やイスラム教徒からの迫害にあい、現在は20万人に減少しているとのことです。主に、ローマ・カトリック教会と聖公会の信者が多いとのことで、プロテスタント教会の信者はほとんどいないということです。

 現在のパレスチナの教会についての情報は少しですが、しかしわたしたちにとっては、そこは主イエスの誕生の地、世界教会発祥の地であることは、変わらない事実です。かつては、そこで神の国到来の福音が語られ、主イエス・キリストの十字架の福音が宣教され、初代教会に対する神の祝福が満ちあふれた地でした。その地が、今は、むごい戦争と殺戮の地になっている、子どもたちの泣き叫ぶ声とロケット弾による破壊と土煙が立ち上る地になっているということは、本当に心痛むことであり、なんとか早く平和の糸口を見出してほしいと切に祈るのみです。戦争の当事者間であれ、あるいは国際機関であれ、周辺諸国であれ、そしてまたわたしたちの国日本であれ、全世界の人たちがパレスチナに平和を来たらせるために、祈りと知恵とを結集するべきであると、強く訴えたいと思います。

 世界の教会を覚える日のきょうの礼拝で、創世記9章のみ言葉を聞きました。ノアの大洪水後の新しい世界についてのみ言葉です。【1節】。ノアの大洪水によって、ひとたび神の裁きにより滅ぼされた世界が、今新たにその歩みを始めようとしているその最初に、神の祝福のみ言葉が語られているということを、わたしたちはぜひ心に深く留めたいと思います。はじめ、神が創造された世界には、やがて人間の罪と悪がはびこり、神はみ心を痛められました。神はこの地を滅ぼそうと決意されました。そして、40日40夜、地に雨を降らせ、地にあるものすべてを大水によって滅ぼされました。ただ、神に導かれて、あらかじめ箱舟に逃れていたノアとその家族、ノアに導かれた生き物たちだけが、大洪水ののちに再び生きることをゆるされました。その生きのびた者たちに語られた最初の神のみ言葉が、祝福のみ言葉だったのです。

 神は罪と悪に満ちたこの世界を決してお見捨てにはなりませんでした。神の祝福を忘れて、罪と悪に明け暮れていたこの世界を最終的に滅ぼすことはなさいませんでした。そして、わたしたちは信じます。今、この世界がいかに人間たちの罪と悪に満ちていようとも、神の祝福を失い、人間たちの憎しみと悲しみとでおおわれていようとも、神は決してわたしたちの世界をお見捨てになることはないのだと。世界の教会をお忘れになることはないのだと。

 大洪水後の新しい世界でわたしたちが覚えなければならないもう一つのことは、5節以下で語られている人間の命についての神のみ心です。大洪水以前にも、人間の命の重さ、尊さについて言われていましたが、ここではそれがさらに強調されています。

 第一に強調されているのは、人間の命は神のものであるということ、人間の命における神の主権です。人間の命は神から与えられたものであり、神のものであり、その主権は神に属するゆえに、人間の命が侵害されるときには、神がその損害を要求されるということです。ここに人間の命の尊厳性、不可侵性があります。それは、人間それ自身のためであるというよりも、神のためであり、人道的な理由とかこの世の法律によるのはなく、神の深いみ心によって、人間の命の重さ、尊さ、尊厳性、不可侵性があるのだということです。

 したがって、国家とかその他の人間集団とかのために、一人の人間の命が犠牲にされたり、正義とか真理とかのために人間の命が犠牲にされたりすることはあってはならないのです。そうであるにもかかわらず、国家の主権を守るためにとか、領土を拡張するためとか、その他の様々な理由づけによって、いとも簡単に人間の命が犠牲にされ、投げ捨てられているという世界の現状を、わたしたちは決して日常のこととして通り過ぎるべきではありません。そこでは、神のみ心が踏みにじられているのであり、人間を創造され、これに命を授けたもう神のみわざが破壊されているのです。

 ここで人間の命の尊厳性が強調されているもうひとつの理由を考えるべきです。それは、ノアの洪水という神の裁きをくぐり抜けてきた、大いなる神の救いのみわざを経験したのちの人間の命の重さ、尊さということです。大洪水以前の人間の命も重いものでした。人間が神の形に似せて創造されたからです。人間の命の中には神の形が彫り刻まれているからです。しかし今、大洪水以後に、神の裁きと救いとを経験し、新たな神の祝福のもとに歩みを始めることをゆるされた人間の命には、さらなる重さが増し加えられているということを、わたしたちはここから読み取ることができます。人間の命には新たなる神の救いのみわざが彫り刻まれているからです。

 そう考えると、わたしたちはさらに一歩先に進むことができるでしょう。すなわち、今日、わたしたち人間の命には神のみ子の十字架と復活によって与えられた神の永遠の救いが彫り刻まれているということです。人間の命は神のみ子の尊い血によって贖い取られた命だということに、わたしたちは気づかされるのです。主イエス・キリストの救いのみわざを経験した人間の命は、全世界よりもはるかに重いのです(マタイによる福音書16章26節参照)。今、世界の教会が声を大にして宣教しなければならないのは、このことです。一人の人間の命よりも重いものは、世界のどこにも存在しないのだと。それゆえ、いかなる理由からであれ、人間の命をそこなう行為は正当化されることはないのだということ。世界の教会は主イエス・キリストの十字架の福音を共に声高く語らなければなりません。パレスチナにある小さな教会も、ロシアにある古い教会も、アメリカにある福音派教会も、もちろん日本にある諸教会もそうです。

 次に、8節からは、神が大洪水以後の世界と結ばれた契約についての記述が続きます。【8節】。1節でもそうであったように、ここでも主なる神がノアとその家族にお語りになります。大洪水以後の新しい世界においても、まず初めに神がお語りになり、人間はそれを聞くということから始まります。神の言葉を聞くことなしに、人間同士がどれほどに語り合っても、おそらくはそこに真実の平和と共存は望めないかもしれません。人間はいつも罪と悪に傾いており、自分の権利を優先させ、自分の利益を図るからです。神から与えられる平和、神から与えられる和解と共存を共に求めていくことなしには、地上に真実の平和と共存は成立しないのかもしれません。

 神がここでノアとその家族、また箱舟から出たすべての生き物たちと永遠の平和の契約を結ばれました。【11節】。また、15節でも繰り返されています。【15節】。神は二度とこの地を洪水によって滅ぼすことはないと約束されます。この契約は、神と人間との間の平和の契約です。

 この契約の特徴を3つ挙げましょう。一つは、この契約は神から一方的に差し出された契約です。人間の側からは何の提案も関与もありません。では、人間の側にはもはや何の問題もなくなったということなのでしょうか。かつて、人間の罪と悪が地に満ちたので、神はこれを滅ぼそうとされたのでしたが、もう人間の罪と悪がなくなったということなのでしょうか。いや、そうではありません。8章21節には、洪水後の人間も、相変わらず「人が心に思うことは、幼いときから悪い」ということを神は知っておられるとあります。人間自体は洪水前も洪水後も何ら変わってはいないのです。そうであるにもかかわらず、神は罪と悪に満ちた人間を再び洪水によって滅ぼすことはしないと言われるのです。これは、神から一方的に差し出されている罪のゆるしの契約です。のちの時代になって、この神の平和と救いの契約が、主イエス・キリストによって成就されたのだということをわたしたちは知っています。

 二つ目の特徴は、この契約が16節で「永遠の契約」と言われていることです。【16節】。「永遠の」という言葉は、本来、神だけに適用される言葉です。神だけが唯一永遠なる存在だかです。他のすべてのものはみな移り行くもの、消え去るべきもの、死すべきものです。ただ神ご自身と神の言葉だけが永遠に変わることがありません。その神が永遠の契約を結んでくださると言われます。つまり、神は最終的に、最後の最後に、最も完全なかたちで、この契約を成就してくださるという約束なのです。この地上に生きるすべての人間と生き物とがこの神の永遠の契約によって常に、そして終わりまで、守られ、支えられているのです。わたしたちはここでもまた、主イエス・キリストの十字架と復活によって立てられた新しい神の国の契約を思い起こすのです。

 三つめは、この契約にはしるしが伴っているということです。それが、空にかかる虹です。虹を見るとき、わたしたちはきょうの雨があがったことを知るだけでなく、神がこの地の人間とすべての生き物たちと結んでくださった永遠の平和の契約を思い起こすのです。パレスチナにも、ウクライナにも、虹がかかります。そこでも、神から与えられる永遠の平和の契約を思い起こすことができます。

 「虹」と訳されるヘブライ語は他の箇所では「弓」と訳されています。戦争で使用する弓を神は手放され、それを放棄されて、空に掲げておられるしるしであると理解する人もいます。神は罪と悪とに満ちている人間を裁き、滅ぼそうとはしないと決意しておられます。その代りに、神はご自身の一人子を十字架に犠牲としておささげになるほどに、わたしたち人間を愛されたのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたがみ子の尊い血の犠牲によって、全世界に主キリストの教会をお建てくださいましたことを感謝いたします。どうぞ、全世界の教会に、特に、紛争によって人間の命が奪われ、自然や建物が破壊されている地域の教会に、あなたから与えられる平和の福音を、力強く語らせてください。深い傷を負い、病んでいるこの世界を憐れんでください。救ってください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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