2024年9月1日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:詩編96編1~12節
使徒言行録12章18~25節
説教題:「神に栄光を帰さなかったヘロデ王」
使徒言行録12章には、初代教会が経験した最初の国家権力による迫害のことが書かれています。迫害したのはユダヤ人の王ヘロデ・アグリッパ一世でした。彼の治世は紀元37~44年でしたから、彼が主イエスの12使徒のひとりヤコブを殺し、また初代教会の指導者ペトロを捕らえて処刑しようとしたのは、彼の死の直前、紀元44年ころのことと思われます。こののち、教会はローマ帝国からの迫害を受けることになります。紀元64年に、ローマ皇帝ネロは、ローマで発生した大火をキリスト者の放火によるとのデマを自ら流して、教会を迫害したのが、ローマ帝国による迫害の始まりでした。紀元80年代に入り、皇帝ドミティアヌスが強要した皇帝礼拝を拒否したキリスト者に対する迫害が、厳しさを増していきました。その後も、国家権力による教会迫害は世界中で、また日本でも、繰り返して起こりました。教会は殉教者たちの血によって建てられ、生きていると言ってもよいでしょう。わたしたちがこれまで使徒言行録を読んできて、何度も確認しましたように、神の言葉はこの世のいかなる鎖によってもつながれることはないし、また繰り返される迫害によっても、神の言葉は決して命を失うことはないのです。
きょうは12章18節から読んでいきます。【18~19節】。ヘロデ・アグリッパ一世はペトロを収監していた牢を4人一組の兵士4組で、厳重に見張らせていたにもかかわらず、ペトロは神の奇跡によって、だれにも妨げられることも気づかれることもなく、安全に脱出して、祈る教会の群れに帰りました。
当時のローマの法律によれば、囚人を監視する牢の番人は、もしその囚人の逃走を許したならば、囚人が受けるべき刑罰を受けねばならないと定められていました。ヘロデ王は番人の兵士たちを死刑に処したと書かれていますが、4人一組のうちのどの組が処罰されたのか、それとも16人全員が処罰されたのかは分かりませんが、ここでは非常に奇妙なことと言うか、不思議なことが起こっています。つまり、迫害されていた教会では、神の奇跡によって一人の信仰者が死から救い出されたことを喜んでいるのに対して、迫害していた国家の側では、何ら非のない、その務めに忠実であった数人の、あるいは十数人の兵士たちの命が奪い取られているという奇妙な現象が起こっているのです。
わたしたちはここで次のことをはっきりと確認することができます。一方では、初めて経験する国家権力による迫害の中でも、牢に閉じ込められているペトロのために徹夜の祈りをし、その祈りが神に聞き届けられ、ペトロが神の奇跡によって解放され、群れへと戻ってきたことを喜んでいる教会と、その教会に与えられた大きな神の恵みを、わたしたちは見ることができます。そして他方では、神を見失い、神なき世界で、この世の権力を誇り、それにしがみつこうとしている国家が、自ら招いた罪と災い、それに対する神の恐るべき裁きとを、わたしたちはここに見るのです。主なる神は、神を見失って悪魔化していく国家がそのまま暴走することを決してお許しにはなりません。それゆえにまた、教会は国家が悪魔化していくときには、これに果敢に抵抗し、最後の勝利を信じて信仰の戦いをすることができるのです。
次に、20節からは、ヘロデ王の突然の死について書かれています。【20~23節】。19節に、ヘロデ王は「ユダヤからカイサリアに下って」行ったとありますが、これはおそらくエルサレムでの彼の評判が下がったので、そこにはいられなくなったからだろうと推測されています。2節に、ヤコブを殺したことがユダヤ人に喜ばれたので、ペトロをも捕らえたとありましたが、そのペトロが牢から脱出したことで、王の面目は丸つぶれになったのであろうと思われます。それで、エルサレムでの評判が落ちたので、北へ50キロの地中海沿岸の都市カイサリアに移ったのでしょう。ここにもまた、この世の民衆の評判だけを気にして、本来の王としての国を治める務めを果たしていないヘロデ王の弱さを見るように思います。
ティルスとシドンはカイサリアから北へ100キロ以上北の地中海沿岸フェニキア地方の都市です。イスラエルはソロモン王の時代からこの地方と貿易をしていた記録が聖書にもあり(列王記上5章15節以下参照)、イスラエルはティルスとシドンから木材を仕入れ、彼らに食料を提供していたと記録されています。その時代からの貿易が続いていたと思われますが、何らかのトラブルがあってヘロデ王の怒りにふれ、貿易がストップされていたようです。そこで、ティルスとシドンの人々がヘロデ王のご機嫌を伺い、和解をするためにカイサリアにやって来ました。そして定められた面会日に、ヘロデ王はその日が人生最後の日になるとは知らずに、礼服を身に着け、王座に座り、来客者たちに向かって演説を始めました。
ユダヤ人歴史家ヨセフスが紀元95年ころに書いた『ユダヤ古代史』には、この日の様子が詳しく描かれています。それによれば、ヘロデ王は全身金銀に飾られた衣装をまとい、明け方に会見場に入場した。すると、朝日がその服に当たり、まばゆく光り輝いた。それを見た人たちは、畏怖の念に襲われ、「あなたは人間以上のお方、神である」と叫び、王もその叫び声に酔いしれて、自らを神のように感じたのだと描かれています。
使徒言行録では衣服だけでなく、王が語った言葉が、「神の声だ」と人々が叫んだと書かれています。おそらくは、ヘロデ王はティルスとシドンの人々のために寛大なまでに譲歩して、彼らに食料を提供することを約束し、またその自分をあたかも神のようだと誇ったのであろうと思われます。人々が感謝の思いから「あなたは神のようだ」と言ったのに対して、ヘロデ王はそれを否定せず、また自らも神のようにふるまっていたのでしょう。
しかしながら、聖書はそのヘロデ王の態度を、「神に栄光を帰さなかった」と断罪し、彼が自らを神と等しいものとして、神を冒涜した罪だと断定し、それゆえに彼は、神の厳しい裁きによって、神が遣わした天使によって打ち倒され、死んだのだと言います。人間が自らを神と等しくすることは死に値すると旧約聖書で定められていたからです。
この出来事を、14章8節以下で語られている、パウロの第1回世界伝道旅行のリストラでのことと比較してみたいと思います。この町でパウロは、足の不自由な男の人に対して「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と命じると、その人は躍りあがって歩き出しました。【11~15節、18節】(241ページ)。
この時、パウロとバルナバは、自分たちが神としてあがめられることを断固として拒否しました。そうすることによって、ただ主なる神にのみ栄光を帰したのでした。なぜならば、足が不自由な人をいやし、立ち上がらせたのは、主イエス・キリストを死者のうちから復活させられた主なる神であったからです。パウロとバルナバはその神の僕(しもべ)、奉仕者であるにすぎません。
人間は神ではありません。どのようにしても、神にはなり得ません。人間は神によって創造された被造物です。けれども、人間は常に神のようになろうとする誘惑にかられます。それが人間の罪の源泉です。最初の人間アダムは、神のように善悪のすべてを知る者になりたいという欲望に負けて、禁じられていた木の実を食べ、罪を犯しました。また、創世記には自らを神のように高く名を上げようとして、高い塔を建てたという、バベルの塔の物語が記されています。アダム以来、自ら神のようになろうとする人間の罪の歴史が、全世界で繰り広げられてきました。けれども、神は自ら神のようになろうとする人間の企てをすべて中途で終わらせ、人間の傲慢をくじき、人間の罪がそれ以上に進まないようになさいます。それだけでなく、人間に悔い改めの思いを抱かせ、主イエス・キリストを信じる信仰の道、救いの道を備えてくださったのです。
では次に【24節】。使徒言行録の中で、これまでにも何回か同じようなまとめの言葉がありました。その2か所を読んでみましょう。【6章7節】(223ページ)。【9章31節】(231ページ)。教会は迫害や試練に遭遇するたびに、より成長を与えられ、強くされてきました。殉教者たちの血と、試練をくぐり抜けてきた信仰者たちの汗と涙が、より教会を熱心にし、新たな力と命とを与えられ、勇気と希望を増し加えられてきたのです。それは、教会に与えられている神の言葉の力であり、命です。教会はいついかなる時にも、常に神の言葉によって生きる群れです。神の言葉を聞き、神の言葉を信じて生きる教会とキリスト者は、この世のすべての束縛から解放され、たとえ死をもって脅かされても、神の言葉の証人として生き続けるのです。人間の言葉はやがて滅びます。この世にあるすべてのものはやがて消え去ります。けれども、神の言葉は永遠に残り、最後にはみ国を完成させるからです。
【25節】。「エルサレムのための任務」とは、11章27節以下に書かれていた、飢饉に苦しむエルサレム教会を援助するために、アンティオキア教会で集めた献金を届けることでした。
使徒言行録11章27節以下の、世界規模の大飢饉が起こったのは、他の歴史資料などから判断して紀元46、7年ころであろうと、多くの研究者は推測しています。12章の迫害は、ヘロデ・アグリッパ一世の死の直前、つまり紀元44年のことであることは、ほぼ間違いがないと言えますから、この両者には数年の時代的なずれが生じることになりますが、わたしたちが聖書を読む際には、そのずれは全く問題にはなりません。
この25節で注目すべきは、バルナバとサウロ、すなわちパウロの二人が集められ、さらにはヨハネ・マルコがエルサレム教会から加えられることになったということです。ヨハネ・マルコの家はエルサレム教会の家の教会の一つであったことが12章12節から分かります。また、コロサイの信徒への手紙4章10節によれば、ヨハネ・マルコはバルナバの甥にあたります。それ以来、この3人はアンティオキア教会の主要なメンバーとなります。そして、このアンティオキア教会の3人が中心となって、これから計3回にわたる世界伝道旅行が行われることになるのです。神は、なんとも有能でふさわしい働き人を、この異邦人の教会として最初に誕生したアンティオキア教会に集めてくださったことでしょうか。この教会から、そしてこの3人の働き人によって、世界伝道が始められていくことになるのです。
(執り成しの祈り)
〇天の父なる神よ、あなたの永遠なる救いのご計画は、すべての困難を超えて続けられていきます。今のこの時代は、さまざまな伝道の困難が、わたしたちが進むべき道を狭くしているように思われますが、しかし、あなたの言葉は決して力と命を失うことはありません。どうか、わたしたちの信仰を強くしてください。あなたに仕える熱意を大きくしてください。
〇主なる神よ、この世界はあなたのみ心から離れて、分裂と分断、戦争と破壊を繰り返しています。どうか、この世界を憐れみ、お救いください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。