4月27日説教「神の言葉によって生じた分裂」

2025年4月27日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記30章15~20節

    使徒言行録14章1~7節

説教題:「神の言葉によって生じた分裂」

 使徒パウロとバルナバによる第一回世界伝道旅行の記録が使徒言行録13章4節から始まっています。地中海のキプロス島から小アジアと言われる地域、今のトルコ共和国になりますが、当時のローマ帝国の区分ではピシディア州のアンティオキアという町での宣教活動が13章13節から詳しく描かれています。パウロの説教を聞いて、多くのギリシャ人、異邦人が主イエス・キリストの福音を信じ、永遠の命にあずかる神の民とされました。ところが、そのことがユダヤ人たちの反感をかって、パウロたちは迫害を受け、町から出ていかざるを得なくなりましたが、パウロはその時、自分たちの福音宣教の使命がユダヤ人だけではなく、ユダヤ人以外の異邦人にこそあるのだということを強く意識したのでした。13章46節以下にこのように書かれています。【46~49節】。

 ユダヤ人による迫害が、異邦人、ギリシャ人への伝道の門戸を大きく開くきっかけになったのです。わたしたちが使徒言行録を読んでしばしば確認してきたように、神の言葉はこの世のどのような鎖によっても決してつながれることはありません。いやむしろ、神の言葉はこの世の様々な抵抗や攻撃という迫害の中で、いよいよその力と命とを発揮し、そのような迫害を乗り越え、貫いて前進していくのです。

 それゆえに、パウロとバルナバはこの迫害によって伝道活動を諦めて、帰路に着くというのではなく、むしろ、51節に書かれているように、パウロたちも、またアンティオキアに誕生した教会も、より大きな喜びに満たされ、聖霊に導かれながら、宣教活動を続けていったのでした。

 このこともまた、わたしたちが使徒言行録で繰り返して確認してきたことでした。最初に誕生したエルサレム教会で大迫害が起こり、多くのユダヤ人キリスト者たちがエルサレムから追放されましたが、追放された彼らがパレスチナ周辺地域へと散っていき、新しい町で主イエスの福音を宣べ伝えました。それによって、パレスチナ全域に主の教会が拡大していったのでした。アンティオキアの町を追い出されたパウロたちもまた、次の町イコニオンへ出かけていき、そこで主イエスの福音を宣べ伝えたのです。

 14章1節から、イコニオンでの伝道活動が描かれます。アンティオキアからイコニオンまでは、よく整備されたセバステ街道を西に130キロほどの道のりで、当時は交通の要所であり、かなり繁栄した町であったようです。

【1節】。パウロたちは、前のアンティオキアでもそうしたように、まずユダヤ人の会堂で伝道活動を始めました。13章46節でパウロは、「わたしたちは異邦人の方に行く」と宣言しましたが、これは、ユダヤ人がもはや伝道の対象ではなくなったという意味ではなく、主イエスの福音はユダヤ人にも異邦人にも、すべての人に語り伝えられなければならないということは変わりはありません。どんなにかたくなで、不信仰な人ユダヤ人であっても、神の救いから全く除外されているのではありません。パウロたちはこのあとでも、新しい町に行った時には、まずユダヤ人会堂を探して、そこを拠点として伝道活動を広げていくという方法をとっています。神が最初にユダヤ人をお選びになったという選びの秩序は、変更されません。

イコニオンでも多くのユダヤ人や異邦人が信仰に入ったと書かれています。迫害によって前の町を追い出されたパウロたちでしたが、それでもなおも語り続けるとき、神はご自身の命のみ言葉によって働いてくださり、新しい町で多くの救われる人を生み出してくださいます。わたしたちもまたそのことを信じて、この時代に、この場所で、語り続けていきたいと願います。

【2~3節】。イコニオンでもユダヤ人たちが迫害の先頭に立ちました。なぜに、ユダヤ人たちはこれほどまでに不信仰でかたくなに、パウロたちが語った主イエスの福音を信じなかったのでしょうか。全世界の諸国民に先立って神よって選ばれ、神との契約の民とされ、神の救いの恵みを多く受け取ってきたはずなのに、彼らは主イエスの福音を信じることができませんでした。その理由については、使徒言行録全体や新約聖書全体の教えから推測できます。ユダヤ人たちは神に愛され、神の恵みをたくさん受け取ってきたのに、それに心から感謝をせず、自分たちが選ばれた民であることを誇って、かえって傲慢になり、自分たちには神から与えられた律法があり、神に最も近い民であり、神の国の世継ぎとして定められていることに安住していたと言えるでしょう。

けれども、パウロたちが語った主イエス・キリストの十字架と復活の福音は、そのようなユダヤ人の選民意識や特権意識を、根本から打ち砕くものでした。すなわち、だれであっても、主イエス・キリストがわたしの罪のために十字架で死んでくださったことを信じ、主イエスの復活によってわたしに罪と死に対する勝利が与えられていることを信じて、主イエスをわたしの救い主と信じ、告白するならば、すべての人が、自らには何の功績がなくても、主イエス・キリストによって罪ゆるされ、救われる。これがパウロたちが語った主イエスの福音だからです。わたしたちはこの救いの恵みを、感謝をもって、また真実の悔い改めをもって受け取るのです。それがわたしたちの救いです。

パウロとバルナバは繰り返されるユダヤ人による迫害にも、決して屈することなく、失望することなく、その町に長くとどまり、忍耐強く、勇敢に語り続けました。3節の「勇敢に語った」という言葉は、使徒言行録の中で何度も用いられる特徴的な言葉です。いくつか読んでみましょう。【13章46節】(240ページ)。【9章27節】(231ページ)。ここでは、同じ言葉が「大胆に」と訳されています。【4章29節、30節】(220ページ)ここでも「大胆に」と訳されています。いずれの箇所でも、敵対する人々に囲まれながら、恐るべき迫害のただ中で、苦痛や死の恐れのただ中で、しかしなおも勇気を失わず、希望を持ち続けて、主イエス・キリストの福音を語り続ける、勇ましい使徒たちの姿を「大胆に、勇気をもって」という言葉で表現しています。

パウロたちがこのように大胆に語ることができたのは、彼らが雄弁であったからではありません、また彼らの性格がだれをも恐れない強さを持っていたからでもありません。きょうの箇所の3節では、「主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである」と書かれているように、主なる神が彼らと共にいてくださり、彼らに特別な恵みの賜物をお与えくださったからにほかなりません。主なる神ご自身が、ご自身の言葉の命と力とを働かせてくださったからです。そのようにして、主なる神の言葉の命と力とを信じて、パウロたちは大胆に、力強く、勇気をもって主イエス・キリストの福音を語りました。語ることができたのです。

【4~7節】。パウロとバルナバは、激しい迫害にあいながらも、かなりの長い期間イコニオンに滞在して伝道活動を続けました。その結果、パウロたちとユダヤ人の対立だけでなく、町の住民全体が二つの派に分かれるほどの騒ぎに発展していきました。一方はユダヤ人の側につき、他方はパウロたちの側に着くというように、パウロたちを中心にして町の住民が二つに分裂しました。パウロたちを中心にしてというよりは、主イエス・キリストを中心にしてというべきかもしれません。主イエス・キリストの福音を受け入れる人たちと、それを拒絶する人たちに分裂したのです。このような分裂は。聖書の中でしばしば起こる分裂です主イエスが救いのみわざがなされるときには、いつもこのような分裂が生じます。それは主イエスご自身がひき起こされる分裂なのです。

マタイ福音書10章34節以下で、主イエスはこのように言われます。【34~39節】(19ページ)。これは何とも厳しい主イエスのみ言葉でしょうか。人間の関係の中で最も近しい親と子の間に、家族との間に、主イエスは剣を投じるために来たのだと言われるのです。平和な家族に分裂をもたらすために主イエスは来たのだと言われるのです。この主イエスのみ言葉の厳しさに驚かない人がいるでしょうか。わたしたちは主イエスのみ言葉の厳しさを、少しも割引をしないで受け止めなければなりません。それと同時に、そのみ言葉に含まれている大きな、豊かな救いの恵みを十分に受け取らなければなりません。

主イエスは38節で、【38節】(19ページ)と言われます。主イエスはここでご自分の十字架の福音を先取りして語っておられるのです。そして続けて【39節】とも言われます。主イエスの十字架の死はわたしたちをまことの命に生かすための死であったのです。罪のない神のみ子が、わたしたち罪びとたちに代わって、父なる神の裁きを受けて十字架で死んでくださいました。そして、罪も汚れもない尊い血をわたしたちのために流され、わたしたちを罪から贖ってくださいました。罪ゆるされたわたしたちは、永遠に神と共にある命に生かされるのです。主イエスの十字架の福音を聞き、それを信じるとは、まさにこのような永遠なる神との霊的な交わりの中に招き入れられることなのです。

わたしたちが神との霊的な交わりの中で生きるために、わたしたちはひとたび肉にある関係のわたしを殺さなければなりません。古い罪の中にあったわたしが、主イエス・キリストの十字架によって、死ななければならないのです。主イエス・キリストの十字架の福音を聞き、信じるとは、そのような古いわたしの死と、新しいわたしの復活が起こるということなのです。それゆえに、信じる人と、信じない人との間には決定的な違いが生じます。分裂が生じます。

この時代、紀元1世紀中ごろから2世紀にかけて、ローマ帝国は長く平和が続きました。それを「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)と呼びます。ローマ帝国が強力な力によって全世界を支配していたので、暴動や反乱が起こらなかったからです。イコニオンの町もそのような「ローマの平和」を享受していたのに違いありません。けれども、その町に主イエスの十字架の福音がもたらされると、町の平和は乱れて、大きく二つに分断されました。

このことは、紀元1世紀の終わりころ、ローマ帝国による教会に対する組織的迫害が起こることを暗示しているように思われます。平和なローマ帝国に主イエス・キリストの十字架の福音が大きなくさびを打ち込んだのです。ローマ帝国はそれに対して教会を迫害するという道を選びましたが、教会はその迫害に屈することはありませんでした。やがて、ローマ帝国は二つに分裂し、滅びていきました。しかし、わたしたちは永遠に終わることがない神の王国に招き入れられているのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたの命のみ言葉は、どのような困難の中でも、迫害にあっても、決してその働きを止めることはありません。また、あなたがわたしたちにお与えくださった主イエス・キリストの福音は、どのような時代の中でも、信じる人を生み出し、教会を建てます。わたしたちがそのことを信じて、喜んで、また大胆に、あなたのみ言葉に仕えていく者としてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。 主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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