3月29日説教「弟子たちの足を洗われた主イエス」

2026年3月29日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記12章1~14節

    ヨハネによる福音書13章1~20節

説教題:「弟子たちの足を洗われた主イエス」

 過越祭は旧約聖書の民イスラエルの最大の祭りでした。それは、信仰の民であるイスラエル誕生の原点であり、彼らの救いの原点でもありました。出エジプト記12章には、エジプトの地で奴隷であったイスラエルの民が主なる神の強いみ手によってそこから解放される夜に、最初に祝った過越祭について書かれています。イスラエルの民はそののち毎年同じ日に、同じようにして過越祭を祝ってきました。出エジプトの時代から1200年余りのちの主イエスの時代も同様でした。

 出エジプト記12章の定めによれば、イスラエルの新年、アビブの月、主イエスの時代にはニサンの月と言われていましたが、その月の14日の夕方に、子羊を屠り、家族ごとに集まってその肉を、苦菜やパン粉が入っていない固いパンと一緒に食べて、エジプトの奴隷の家から救い出されたことを覚え、神の救いのみわざに感謝するというのが過越祭の守り方でした。

 主イエスがエルサレムで地上の最後の1週間を歩まれた受難週が、ちょうどこの過越祭の時期であったと、福音書は語っています。それは単に、偶然時期が同じであったというのではなく、主なる神の永遠なる救いのご計画の中で、かつての出エジプトの出来事によってなされたイスラエルの民の救いのみわざが、主イエスのご受難と十字架の死によって、全世界のすべての人の救いのみわざとして成就されたということを、聖書は語っているのです。神がかつてイスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出されることによって始められたご自身の救いのみわざが、今や、ご自身のみ子である主イエス・キリストのご受難と十字架の死によって、わたしたちすべてを罪の奴隷からお救いくださる救いのみわざとして完成されたのです。

 新約聖書の4つの福音書は、主イエスのご受難と十字架の死が過越祭の時期であったこと、そして、過越祭で祝われていた神の救いのみわざが主イエス・キリストのご受難と十字架の死によって、その成就と完成に至ったという中心的なメッセージは一致していますが、その日付については、共観福音書とヨハネ福音書では1日のずれがあります。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)では、受難週の木曜日、ニサンの月14日の夕方、主イエスと弟子たちは共に集まり、過越の夕食を囲みました。その席で、主イエスはパンを取り、「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である」と言われ、ぶどう酒を注いだ杯を取り、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約である」と言われました。それは、次の日のご自身の十字架の死を指し示していました。これが、のちの聖餐式の制定語となったのです。

 ところが、ヨハネ福音書13章1節には、「過越祭の前のことである」と書かれています。ここから17章の終わりまでは、主イエスと弟子たちの最後の夕食の席での主イエスの最後の長い説教が語られていますが、この中には過越の食事のことも、聖餐式の制定後にあたる言葉も書かれていません。実は、ヨハネ福音書では、翌日の金曜日、主イエスが十字架に付けられたその日が、ニサンの月の14日、子羊が屠られる日と考えられているのです。そのことから、ヨハネ福音書では主イエスご自身が過越しの小羊、世の罪と取り除く神の小羊(ヨハネ福音書1章29節)と呼ばれています。主イエスは過越しの小羊が屠られるまさにその同じ時刻、ニサンの月の14日、午後に、十字架でご自身の命をおささげになられ、人々の罪の贖いを成し遂げられたと、ヨハネ福音書は語っているのです。

 共観福音書とヨハネ福音書の1日の日付のずれがどうして生じたのかについては、分かっていませんが、それぞれの強調点の違いと理解すべきでしょう。いずれの福音書も、また新約聖書全体も、主イエスのご受難と十字架の死が、わたしたちを罪から救うという中心的なメッセージは全く変わりません。

 ヨハネ福音書13章に書かれている、主イエスが弟子たちの足を洗われたというこの行為も、同じメッセージをわたしたちに語っているということを、まず確認しておきましょう。主イエスが弟子たちの足を洗われたことをまねて、司祭や教師が教会員の足を洗うという、いわゆる「洗足式」をこの日に儀式として行っている一部の教派があるようですが、わたしたちはこの出来事を主イエスによる罪のゆるし、罪の贖い、罪からの清めという、あくまでも主イエスご自身の救いのみわざとして理解すべきであると考えます。

1節から読んでいきましょう。「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り」と書かれています。ここにはヨハネ福音書の特徴がよく表現されています。ヨハネ福音書では、主イエスのご受難と十字架の死は、それに続く三日目の復活、更に40日後の召天、そして50日目のペンテコステ・聖霊降臨、これらのすべてが一続きの出来事であり、神のみ子である主イエスがご栄光を受ける時であり、救いが完成される時であり、天の父なる神のみもとへの凱旋帰国であると考えられているのです。そして、主イエスは神のみ子として、ご自身の最後の目的に向かって、自覚的に、喜んで、進んで行かれるのです。それはまさに、「御自分の時が来た」ということなのです。

ここから主イエスの受難物語が始まりますが、その内容は共観福音書とほとんど同じです。主イエスは弟子のユダに裏切られ、弟子のリーダーであるペトロによって3度も「あの人は知らない」と拒絶され、この世の指導者たちによって裁かれ、すべてのユダヤ人から見捨てられ、民衆からはののしられて、ただお一人でご受難と屈辱と悲惨で非業な十字架での死を遂げられる主イエスのお姿がそこで描かれています。しかしヨハネ福音書は、そこに神のみ子主イエス・キリストのご栄光と勝利とを見ているのです。

2節と11節には、12弟子のひとり、イスカリオテのユダの裏切りについて書かれていますが、このユダの裏切りをも含めて、ペトロの拒絶、この世の支配者たちによる偽りの裁判、民衆の「十字架につけよ」という叫び、それらのすべての人間の罪の中で、それらの人間たちの罪を貫き、それをはるかに超えて、神の救いのみわざが成し遂げられていくのであり、主イエスはその父なる神が定められた道を決然としてお進みになるのです。

13章1節をさらに読み進むと、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」と書かれています。「この上なく愛し抜かれた」という個所は、「最後に至るまで、極みまで、完成に至るまで、愛された」という意味を持ちます。ここから、いくつかの深い意味を読み取ることができます。第一には、文字どおり、最後に至るまで、主イエスのご生涯の初めから、弟子たちをお選びになられたその時から、目の前に迫っている十字架の死に至るまで、ご自身の命をかけて、ご自身の命のすべてを注ぎ込んで、弟子たちを、またわたしたちを愛されたという意味です。これが、主イエスのわたしたちに対する愛です。

第二には、愛の極みまで、愛の最高の高さ、深さ、真剣さを強調する意味です。聖書は至る所でこのような主イエスの愛、父なる神の愛について語っています。ローマの信徒への手紙8章にはこう書かれています。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜わらないはずがありましょうか。……艱難であれ、迫害であれ、死であれ、どんなものであっても、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(8章31~39節参照)。また、ヨハネ福音書3章16節にはこうあります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。これが神の最高の愛であり、主イエス・キリストの愛の極みです。これこそが、唯一愛の名に値する真実の愛です。それゆえに、「神は愛である」(ヨハネの第一の手紙4章16節)と言われます。

第三の意味として、最後の完成に至る愛、その本来の目的に到達した愛ということです。主イエスのご受難と十字架の死は、わたしたち罪びとに対する主イエスの愛の最後の目的地です。わたしたちに対する主イエスの愛の完成です。それゆえに、それがわたしたちをすべての罪から贖い、解放し、救う力を持つのです。主イエスの十字架による愛がわたしたちを罪から救うのです。他の何ものによっても、他のどのような方法によってもゆるされることがないわたしたちの罪が、このようにして、完全に贖われ、ゆるされ、わたしたちは罪と死と滅びとから解放されているのです。

以上のような主イエスの特別な愛と救いのみわざとして、ご受難と十字架の死があります。したがってまた、そのような特別な愛と救いのみわざとしての主イエスが弟子たちの足を洗われたという洗足の行為があります。ここから離れて、主イエスのこの行為を単なる謙遜とか、安っぽい隣人愛、奉仕として理解することはできませんし、すべきではありません。

【3~6節】。3節でも1節と同様に、主イエスの誕生からご受難、十字架の死、復活、昇天、聖霊降臨までが一続きの父なる神の救いのみわざであることが強調されています。主イエスはその父なる神のみ心に忠実に服従され、父なる神から託された救いのみわざを成し遂げられるために、弟子たちの足を洗われたことがここでも明らかにされています。ここで特に重要なポイントは、父なる神から託された救いのみわざを、主イエスはご受難と十字架の死によって成し遂げられようとしておられることです。そして、それゆえにまた、神からすべての権限を委託された神のみ子であられる主イエスが、奴隷のようになられ、弟子たちの足を洗われることによって、その神から託された権限を果たそうとしておられるのです。

ここには、神のみ子の完全なる自己否定、自己犠牲があります。人間社会の中で見られる、少しばかり身を低くして謙遜になって他者に仕えるというような教えや模範行為というのではなく、ご自身の命のすべてを注ぎだされ、神のみ子としての権威や栄光のすべてを投げ捨てられ、まさに奴隷となって罪びとにお仕えくださる主イエスの完全なる自己放棄があるのです。それによって、わたしたちの罪がゆるされているのです。その罪のゆるしがあって初めて、わたしたちもまた互いに仕え合う愛の奉仕へと招かれているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたが独り子主イエス・キリストをご受難と十字架の死に引き渡されるほどに、わたしたち罪びとを愛してくださったことを覚え、深い感謝をささげます。あなたの大きな愛によって罪ゆるされているという救いの恵みに応える愛の心をわたしたちにお与えください。互いに許し合い、愛し合うことによって、あなたのご栄光を現わすことができますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月22日説教「まず初めに、神に感謝します」

2026年3月22日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編136編1~9節

    ローマの信徒への手紙1章8~15節

説教題:「まず初めに、神に感謝します」

 ローマの信徒への手紙1章8節から、手紙の本文に入ります。差し出し人であるパウロはこのように書き始めます。【8節】。この8節を原典のギリシャ語の語順に従って直訳すれば、次のようになります。「まず初めに、わたしはわたしの神に感謝します。イエス・キリストを通して、あなたがたみんなについて。なぜなら、あなたがたの信仰が全世界に語り伝えられているからです。」

 この直訳からも確認できるように、「わたしは感謝する」という言葉が、この手紙の本文の最初にあることが分かります。パウロは、まだ訪問したことがなく、教会員のほとんどもまだ会ったことがない、初対面で未知の相手であるローマの教会にあてたこの手紙の冒頭を、「わたしは感謝する」という言葉をもって書き始めていることに、まず注目したいと思います。

手紙の初めを神への感謝の言葉から書くというのは、当時の一般的な書き方であったとも言われます。また、パウロ自身の他の手紙でも、コリントの信徒への手紙一1章4節では、「わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています」と書いています。フィリピの信徒への手紙1章3節では、「わたしは、あなたがたまのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」と書いています。その他の手紙でも同様です。パウロも当時の一般的な手紙の書き方にならっていたと言えますが、しかしそれは手紙を書く際の一般的なの儀礼として言っているのではないことは明らかです。感謝のあとには必ず、感謝する理由が具体的に書かれており、パウロの感謝の思いが強く伝わってくるからです。と言うのも、コリントの教会もフィリピの教会も、彼自身がその誕生に深くかかわっており、何度もその教会を訪問しており、親しい友人たちが多数いたからです。

でも、ローマの教会の場合には少し事情が違います。彼はその教会の内情についてほとんど知識がありませんでした。そうであるのに、パウロが手紙の冒頭で「まず初めに、わたしはわたしの神に感謝します」と書くのはなぜでしょうか。その理由を探っていく前に、「まず初めに」という言葉にも注目したいと思います。「まず初めに」とは、「何を差し置いても、第一に重要なこととして」という意味が込められています。ほかに重要な案件がたくさんあり、話したいことが山ほどあるけれども、それらのすべてに先立って、真っ先に、これを書かなければいけない、という思いが込められています。パウロの他の手紙の冒頭でも、同じような思いが込められていたということを、わたしたちはすでにコリント書、フィリピ書でも確認しました。

パウロが手紙の冒頭に込めたこの強い思いに、わたしたちもならいたいと思います。わたしたちが何かをなすにあたって、まず初めに、第一に、神に感謝する、神への感謝からすべてのことを始めるということ、これは実は、一般的な生活習慣の一つとしてというのではなく、まさに信仰者に許されている、あるいは信仰者に与えられている大きな恵みなのだと言えるのではないでしょうか。わたしたち信仰者に許されている、あるいは命じられてもいる生き方そのものなのではないでしょうか。

朝、目覚めてきょう一日の歩みを始めるとき、まず神に感謝をする。神が、夜寝ている間もわたしを死と暗闇から守ってくださった、新しい朝をお与えくださった、この日も神の恵みと導きとを信じて一日を始めることが許されている、そのことをまず神に感謝する。きょうの一日、どんなに困難な課題がわたしを待っていようとも、不安や恐れを抱かせる問題が山積していようとも、神がわたしに最も善き道を備えてくださることを信じて、神に感謝してきょうの一歩を踏み出す。そうすることが許されている。そうすることを命じられてもいる。それは、わたしたち信仰者に与えられている、大きな幸いなのです。

そしてまた、わたしたちが日々の食卓を囲むとき、何か新しい人生の歩みを選択するとき、きょうのこの世の務めにつくとき、あるいは誰かに会うとき、そしてきょうの眠りにつくとき、すべてのわたしの歩みの初めに、またその終わりにも、そうすることが許されているのであり、また命じられてもいるのです。神への感謝は、わたしたちの新しい歩みを導き、また新しい道を切り開く力となるでしょう。

次に、パウロは「わたしの神に感謝します」と言います。神を「わたしの神」と呼ぶことは、旧約聖書ではほとんどありませんでした。多くは「わたしたちの神、イスラエルの神」と表現するのが一般的でした。その理由は、旧約聖書の民イスラエルにとっての神は、天におられる聖なる神であり、地に住む罪びとである人間とは全くかけ離れた存在であり、大きな恐れをもって神のみ名を呼ぶほかになかったからです。その神を「わたしの神」と呼んで、神と親しく近い関係を言い表すことをためらったからです。神と人間との絶対的な違い、神の絶対他者性が、イスラエルの民が神を「わたしの神」と呼ぶことを避けるようにさせたと考えられています。

しかし、そうであるのに、パウロは神を「わたしの神」と呼んでいます。先ほど読んだコリント書でもフィリピ書でもそうでした。なぜでしょうか。それは言うまでもなく、主イエス・キリストによってそのように呼ぶことが可能にされているからです。8節で「イエス・キリストを通して」と書かれています。この言葉には多くの意味が含まれています。その一つが、神を「わたしの神」と呼ぶことが許されている、そのことが主イエス・キリストによって可能にされたということに関連しているのです。主イエスご自身が父なる神を「わたしの神」とお呼びになられ、わたしたちもまた主イエス・キリストによって罪ゆるされ、神との親しい交わりを回復され、神の子どもたちとされ、神を「わたしの神」と呼ぶことを許されているからです。パウロがここで神を「わたしの神」と呼んでいることの中に、すでに主キリストの福音が含まれているのです。

パウロが「わたしの神」と呼ぶことには、もう一つの、彼自身の個人的な信仰体験があるように思われます。彼はかつて熱心なユダヤ教ファリサイ派として、主キリストの教会を激しく迫害していました。ところが、神がそのパウロを捕らえて、復活の主イエス・キリストとの衝撃的な出会いによって、彼を信仰者とし、主キリストの福音を宣べ伝える使徒として召してくださったのでした。パウロが1節で書いていたとおりです。教会の迫害者であったパウロを主キリストの福音に仕える使徒として召してくださった神との出会い、神との深い霊的な交わりと恵みによって自分は今あるを得ているという、パウロの強い信仰が、「わたしの神」という呼びかけに込められているように思われます。

「イエス・キリストを通して」という言葉の中にはさらに深い意味が含まれます。わたしたちが神を「わたしの神」と呼ぶことができるのも、またわたしたちが神に感謝するのも、主イエス・キリストによってであるとパウロは言っています。すべての善きもの、すべての恵みは、主イエス・キリストを通して、神からわたしたちに与えられているからです。救いの恵みと来るべきみ国における永遠の命の約束をはじめ、きょうのわたしの命と存在、日々の糧とわたしが生きるために必要なすべてのもの、わたしが愛すべき家族や友人、わたしの務めと奉仕、そのすべてが主イエス・キリストを通して神からわたしに与えられています。そのことを神に感謝するのです。

わたしたちは皆、主イエス・キリストを知るまでは、主イエス・キリストの十字架の福音によって罪ゆるされるまでは、神の恵みに気づくことはありませんでした。したがって、それに感謝することもありませんでした。生まれながらの人間は誰もみな、神を神としてあがめることをせず、感謝することもしませんでした。神から遠く離れ、神に心を閉ざし、神のみ心に背いて生きていました。罪がわたしたちを神から引き離し、わたしたちの目や耳や心を神に対してふさいでいたからです。

そのような罪びとであったわたしたちが、主イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰によって、罪から救い出され、神との交わりが回復されて初めて、神の恵みによってわたしたちの心が開かれ、目と耳とが神のみ言葉に対して開かれていくのです。そして、何よりも、神がこの貧しく弱いわたしをみ心にとめてくださり、わたしを罪から救いだすために、御独り子を十字架の死に犠牲としておささげくださるほどにわたしを愛してくださったという、大きな救いの恵みに気づかされるのです。そして、そこから、罪ゆるされた者としての信仰の歩みが、感謝の歩みが始まるのです。

「あなたがた一同について」という言葉の中にはローマ教会のための執り成しの祈りが込められています。執り成しの祈りは、次の9節で具体的に書かれていますが、ここにすでに彼らのことを覚えての祈りがあります。ローマの教会が今大きな困難の中にあるとしても、たくさんの課題を抱えているとしても、パウロは彼らに与えられている恵みを覚えて、彼らのために神に感謝をささげているのです。それによって、彼らもまた神の恵みに気づかされ、神への感謝へと導かれていきます。パウロが手紙の冒頭で、すべてのことについてまず神への感謝をささげるのは、すべての人を感謝へと招くためでもあるのです。神への感謝は、共に神の恵みを感謝する人々を一つにし、群れを形成します。教会はそのようにして建てられ、感謝によって結合されている人たちの群れです。

8節後半の「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」は、パウロが感謝する具体的は理由、内容を語っています。ローマの教会がどのようにして誕生したのかは、またその規模についても、わたしたちには知られていませんが、パウロがこの手紙を書いた紀元58年ころには、組織だった教会が形成されていました。そのメンバーにどんな人がいたかをパウロも多少は知っていたということが、手紙の終わりの部分から分かります。

それにしても、「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている」という表現は大げさなように思われます。しかし、パウロがこう言うのには理由があるのです。当時、ローマ帝国はヨーロッパから近東諸国まで、ほとんど全世界を支配していました。そして、ローマはその中心都市でした。そこには、ローマ帝国の支配者、つまり全世界の支配者である皇帝カイサルが君臨していました。そのローマにあって、主キリストの教会はこのように告白していました。「自分たちの国籍はこの地上にあるのではない。天の神の国にある。自分たちの主は、ローマ皇帝であるのではなく、人類の罪のための十字架につけられ、三日目に復活された主イエス・キリストこそが、自分たちが生と死とをかけて聞き従うべき唯一の主である」、と告白している信仰者の群れ、教会がそこに建てられている、その大きな事実に、パウロは目を注いでいるのです。主イエス・キリストはローマにもおられるという事実、そのことのゆえに、パウロはほかの何にも先だって、まず初めに、神に感謝をささげているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの恵みはわたしたち一人一人に豊かに与えられています。でも、わたしたちはそれに気づくこと遅く、それに感謝することが少ない者です。どうか、わたしたちの信仰の目を開いてください。あなたへの感謝の思いを日々に増し加えてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月15日説教「愚かな金持ちのたとえ」

2026年3月15日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編52編1~11節

    ルカによる福音書12章13~21節

説教題:「愚かな金持ちのたとえ」

 きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書12章13節以下の「愚かな金持ちのたとえ」では、この世の富の問題が扱われています。この箇所は、マタイとマルコ福音書にはない、ルカ福音書特有の記事です。これは、ルカ福音書の特色を表しています。ルカ福音書ではこのあと16章19節以下には、ある金持ちと貧しいラザロの物語があり、19章1節以下には、金持ちの徴税人ザアカイの物語があります。そのいずれもがルカ福音書特有の記事です。その中で主イエスはこの世の富の問題を取り上げておられ、人間の中にある果てしない所有欲とか、現世主義や快楽主義的な生き方などを、厳しく非難しておられます。そして同時に、主イエスはわたしたちをこの世の富や所有欲から解放し、この世の多くの思い煩いに支配されているわたしたちを自由にされるのです。

ルカ福音書は、この意味で、今日の富や豊かさを追い求める時代、物質中心の時代、あるいはあくなき自己追及の社会に生きているわたしたちに対する、厳しい挑戦状であり、また真実の自由と豊かさへの招きの書であるのです。

 では、13節を読みましょう。【13節】。群衆の一人が主イエスに「先生」と呼びかけています。当時のユダヤ人社会では、ラビと呼ばれる教師は、人々の民事的なもめごとの調停役をしていました。結婚や離婚に関する問題、財産争いに関する問題、あるいはここで問題になっている遺産相続に関することなど、ラビは民事訴訟の調停役を担っていました。民衆は主イエスを律法学者と同じように、ラビ、教師としての権威を持っていると認めていたようです。

 けれども、わたしたちがすでに前の箇所で学んだように、主イエスは律法学者よりもはるかにまさった大きな権威、天の神から授かった権威によって、律法学者たちの偽善的信仰を見抜き、彼らを厳しくさばかれたということを、わたしたちは知っています。本当の意味で主イエスが尊敬されるのは、父なる神から授かった権威を持っておられるからであり、更には、主イエスはその神から賜った権威を、ご自身を救うためには少しもお用いにならず、わたしたち罪びとを救うためにすべてをお用いになられたということにあります。群衆はまだそのことには気づいていませんでした。

 【14節】。人々からラビ、先生と呼ばれることは、一般的には大きな名誉でしたが、主イエスはそう呼ばれることを拒否なさいました。「誰がわたしを……任命したのか」という疑問形は、強い否定を意味します。「いや、わたしはあなたの、あるいはこの世の、財産争いを調停する裁判官でも調停人でも決してない」という、強い否定です。主イエスはこの世の人々からの尊敬や名誉を求めて行動されることは全くありません。むしろ、わたしたちが知っているように、主イエスは最後にはこの世からは見捨てられ、あざけられ、ただお一人で十字架の苦難の道をお選びになられました。ただひたすらに、父なる神のご栄光のために、ご自身のすべてを、その命をも、おささげになられました。それによって、わたしたちを罪から救う神のみわざを成し遂げられたのです。

 主イエスは人々の財産争いの調停人としてこの世においでになられたのではありません。主イエスは、天におられる主なる神と地に住むわたしたち人間の間の関係を修復するために、神と人間との仲保者として、おいでになられたのです。神と人間との関係が正しくなければ、人間たちの関係を正しく築くことはできません。人間の所有欲や自己主張、傲慢が支配している社会には、義も公平も、自由も分かち合いも、喜びも慰めもありません。

 主イエスがここで明らかにしておられる真理は、主イエスの使命がこの世の財産の所有権がだれにあるかを決定することにあるのではなく、わたしたちが神のみ前でどのような裁きを受けるのか、滅びか救いかを明らかにすることであり、また同時に、わたしたちがこの世の財産を受け継ぐために生きるのではなく、神の国を受け継ぐために、神の嗣業を受け継ぐためにこそ生きるべきであることを明らかにしておられるのです。そして、わたしたちを救いへと導き、神の国へと導くことが、主イエス使命であることを明らかにされるのです。

 旧約聖書の律法では、その家の長男は他の兄弟たちの2倍の財産を受け継ぐことが定められていました。主イエスに調停を頼みに来たこの人は、自分が受け継ぐべき財産を他の兄弟たちに横取りされてしまったために、それを取り戻そうとやって来たのだと思われます。そのこと自体は律法で定められている相続権、所有権を主張することですから、なんら責められるべき罪ではなく、当然の権利だと言えるでしょう。人間は所有権を認められており、また自分の所有しているものを守る権利も認められています。あるいは正当に手に入れたものを増やしていっても、それが悪ではなく、それで罪を指摘されることもないでしょう。

 けれども、主イエスはそのようにしてわたしたちが自分の所有権や様々な権利を主張し合うところに潜んでいる人間のどん欲を見抜いておられます。15節でこう言われます。【15節】。主イエスに財産相続争いの調停役を依頼しに来たこの人は、どん欲に支配され、多くの物を持つことによって自分の命を養うことができるという、間違った考えに陥る危険があるから、注意しなさいと警告しておられます。なぜならば、今あなたの目の前に立っておられる主イエスは、あなたを罪から救い、あなたに天のみ国を受け継がせ、朽ちることがない永遠の命をお与えくださる救い主であるのに、そのことに気づかずに、主イエスが差し出そうとしておられる救いの恵みを求めることをしない、あなたのあやまち、あなたの愚かさを気づかせようとしておられるのです。この世の財産を受け継ぐことよりも、主イエスから与えられる神の国の嗣業を受け継ぐことの方が、はるかに重要なのです。

 この人に限らず、だれであれすべての人間は地上の富や宝をより多く所有したいという欲望に支配されています。また、そのような地上の富や宝が自分の命をより豊かにし、自分の命に役立つと考えます。けれども、主イエスは「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできない」と言われます。なぜならば、人の命は本来その人のものではなく、神のものだからです。神から与えられた命であるからです。だれもその命を自分の自由にはできませんし、他の何かによって奪うことも、また増し加えることもできず、他の何かによって保証することもできません。

 主イエスはそのことを悟らせるためにたとえをお語りになります。愚かな金持ちのたとえと言われています。20節で、神ご自身がその金持ちの農夫に「愚か者よ」と呼びかけておられるからです。彼のどこが愚かであったのか、彼の人生設計の何が間違っていたのかを聞き取りましょう。そして、主イエスがわたしたちを、この愚かな金持ちのようにではなく、本当の意味で豊かな人生と真実な命を生きる道へと導いておられることを聞き取りましょう。

 【16~19節】。この農夫はごく一般的な、善良な人物として描かれています。彼が何か不正なことをして富を得たとか、小作人や使用人を酷使していたのでもありません。畑が豊作であったのは、彼が一生懸命に働いたからでしょう。天候が良かったからかもしれません。多くの収穫物をしまっておくために大きな倉庫を造ろうとしたのも当然でしょう。彼は他人に責められるようなことは何もしていません。自分が働いて得た物を自分で食べようとしているのですから、何らの悪意も不正もありません。豊かな収穫物を蓄え、自分の将来のことまで考えている、賢い人のようにさえ思われます。けれども、彼は神によって「愚か者よ」と言われているのです。彼のどこが愚かなのでしょうか。彼の人生設計のどこが間違っているのでしょうか。

 改めて17節から19節に書かれている彼の言葉を吟味してみましょう。この箇所には、日本語の翻訳では省略されていますが、「わたし」という言葉が何回も繰り返されています。17節では、「わたしはどうしようか。わたしはわたしの作物をしまっておく場所を持っていない」。ここだけでも3回「わたし」が出てきます。18節にはもっと多くあります。「わたしはこうしよう。わたしは蔵を壊して、わたしはもっと大きいのを建てよう。そこに、わたしはわたしの穀物やわたしの財産をみなしまおう」。そして、「わたしはわたしの魂に言おう。わたしは……、わたしは……」と続きます。彼の考えの中心にはいつもわたしがあり、彼の人生設計の中心にもいつもわたしがいるのです。

 ところが、20節で突然に神が登場されます。【20~21節】。「しかし神は」。そうです。ここで初めてわたしたちは気づかされるのです。彼の考えや彼の人生設計に欠けていた決定的なこと、それは神の存在であったということ。神のみ心、神のご計画を彼は全く考慮に入れていなかったということを。彼の愚かさがここにあったのだということを。そして、その愚かさは、少し考え方が間違っていたとか、わずかばかり人生設計がそれてしまったとか、そのようなことにとどまらず、それが彼自身の命と死とを分けることになったのであり、彼を滅びへと導くことになったのだということを。

 彼の考えや人生設計には、神は一度も出てきません。隣人も出てきません。いつも自分の考え、自分の人生、自分の財産、自分のためにだけ生きています。それがどん欲に支配されている人間の生き方であり、それは神のみ前では愚かな、そして滅びへと向かう生き方なのです。

 「今夜、お前の命は取り上げられる」。この文章は受動態です。意味上の主語は神です。神が神のみ心によって彼の命を取り上げられるのです。ここに聖書全体に貫かれている信仰があります。わたしたち人間の命は神がお与えくださるのであり、また神がそれをみ心のままにお取りになるという信仰です。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」というヨブの信仰です。そのことを忘れ、あたかも自分の思いのままになるかのように誤解して、「わが魂よ、わたしの人生を楽しめ」と、神無き人生設計をしていたところに、金持ちの農夫の愚かさがあったのであり、それは愚かであるだけでなく、神に対する罪であり、死であり、滅びなのです。

 わたしたち人間の命も、またわたしたちに与えられているすべてのものも、神からのものです。神からの賜物です。それゆえに、わたしたちはそのすべてを神に感謝し、それを隣人と互いに分かち合い、神のご栄光のために用いるのです。その時、わたしたちの命と人生の歩みが、またわたしたちに与えられているすべてのものが、豊かに祝福されるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちの中にあるどん欲や傲慢な思いを取り去ってください。この世の朽ち行くものを追い求め、あなたが差し出してくださる永遠の祝福を見失うことがありませんように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月8日説教「フィリピでの伝道活動」

2026年3月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書56章1~8節

    使徒言行録16章11~15節

説教題:「フィリピでの伝道活動」

 使徒言行録16章から、パウロの第二回世界伝道旅行について書かれています。当初のパウロの計画では、先に第一回伝道旅行で福音を宣べ伝えた小アジア地域(今のトルコ共和国)、当時のローマ帝国ピシディア州の町々を再訪問し、それらの諸教会の信仰を励ますというのが、主な目的でした。1~5節がその記録ですが、ここには伝道活動の詳細については書かれていません。ただ、リストラの教会員であったテモテがパウロたちの仲間に加えられたことについてだけ、書かれています。そして、初期の目的がほぼ果たされたあとで、パウロは聖霊なる神の不思議な導きによって、小アジア北西の町トロアスで、一つの幻を見ました。それは、「マケドニアに渡って来て、わたしたちを助けてください」というマケドニア人の呼びかけでした。その叫びを聞いたパウロは、マケドニア人に主イエス・キリストの福音を告げ知らせるようにとの神の命令、招きであると悟り、更に旅を続けて、エーゲ海を渡り、マケドニア州のフィリピへと向かうことになったのです。その記録が11節から始まります。

 前回、16章10節で触れることができなかった「わたしたち」という表現について、少し説明しておきます。【10節】。ここで主語が「わたしたち」に変わります。これまでは、「パウロは」あるいは「彼らは」が主語でしたが、この10節から17節あたりまでは、「わたしたち」が主語になっています。なぜ、急に主語が変化するのでしょうか。実はこの後でも、「わたしたち」を主語にした文章が20章5節から21章1節、27章1節などでもまとまった個所で確認することができます。これらの箇所は、一般に「われら章句、われら資料」(we section)と呼ばれます。

 では、わたしたちとはだれのことか。わたしたちとは、わたしを含めた複数の人のことを言いますが、使徒言行録でわたしと言えば、これを書いたとされるルカであり、それにパウロと最初から同行していたシラス、途中で加わったテモテを合わせて「わたしたち」と言われていると考えられます。ここのほかの「われら章句」でも、ルカがパウロと同行している個所を「わたしたちは」と表現していると思われます。コロサイの信徒への手紙4章14節でパウロは「愛する医者ルカ」と紹介しています。ルカはしばしばパウロの伝道活動に伴い、良き協力者となりました。更に思いを巡らせるならば、「マケドニアに来てわたしたちを助けてください」と懇願した一人のマケドニア人が、もしかしたらルカなのではないかと推測する研究者もいますが、確かなことは分かりません。

 では、11節から読んでいきましょう。【11~13節】。パウロとシラス、テモテ、そしておそらくルカの一行は、小アジア北西部の港トロアスからエーゲ海に出て、マケドニア州のネアポリス港に上陸し、そこからフィリピへと向かいました。その移動時間は二日、移動距離は300キロほどですが、これには大きな意味がありました。これによって、主イエス・キリストの福音が初めてエーゲ海を渡り、小アジア地域からマケドニア州へ、ギリシャ地方へと持ち運ばれることになったのです。もっと大きな地域で言えば、アジア大陸の西の果てからヨーロッパ大陸の東の入り口へと、主キリストの福音が引き渡されていったのです。それは、エルサレムから始まった主イエス・キリストの福音が全世界へと広がっていく偉大なる一歩であったと言えるでしょう。パウロの第二回伝道旅行の当初の目的にはありませんでしたが、聖霊なる神は人間の思いや計画をはるかに超えて、全世界のための救いのみわざを前進させてくださったのです。

 フィリピはローマの植民都市であったと書かれています。植民都市というのは、ローマが征服した町に、本国のイタリアからローマ人の移住を進め、その住民には本国と同じ特権を与えて優遇するという政策によってつくられた町を言います。そのことから、フィリピにはローマ人が多くおり、ローマの文化、経済活動などが活発に行われていたようです。

 パウロはフィリピの町にあったユダヤ人の祈りの場に安息日、土曜日に出かけていきます。この祈りの場が、正式なユダヤ人の会堂であったのかどうかは分かりません。当時は一般に、ユダヤ人男性が10人住んでいる町には会堂を建てることになっていました。フィリピの町にどれくらいのユダヤ人がいたのかは分かっていませんが、パウロはまずユダヤ人の祈りの場を探し、安息日にはそこにユダヤ人が集まるであろうと期待して、出かけていきました。

 このパウロの伝道のやり方は、第一回世界伝道旅行でも同じでした。キプロス島でもピシディア州のアンティオキアで、またイコニオンでも、パウロはまずその町のユダヤ人会堂を探し当て、そこでユダヤ人に福音を語るのを常としました。たとえその町でユダヤ人からの迫害にあい、町を追い出されても、また次の町でも同じようにまずユダヤ人に福音を語りました。13章にはパウロがピシディアのアンティオキアでユダヤ人に語った長い説教が記されていますが、そのパウロを口汚くののしったユダヤ人に対して、パウロはこのように言っています。【13章46~48節】(240ページ)。

 しかし、それでもなおも、ユダヤ人は救いから見放されたのではありませんでした。パウロがユダヤ人に対して二度と語らなくなったのでありませんでした。神は全世界の民の中からまずイスラエルの民をお選びになり、イスラエルの民ユダヤ人によって救いのみわざを始められたという、神の救いの秩序は変わることはありません。そして、ユダヤ人から始まって、全世界のすべての人が救いに至るという、神の永遠の救いのご計画が完了するときには、かたくななユダヤ人もまた救いに招かれることになるでしょう。それゆえに、パウロはそれ以後にも、同じように、次の町に入ればまずユダヤ人会堂を訪れ、そこで主キリストの福音を語るのです。フィリピでも同様です。

 ところが、ユダヤ人の祈り場に集まって来たのは女性だけであったと13節に書かれています。この町に男性のユダヤ人が一人もいなかったのか、あるいはこの日はたまたま女性だけだったのかは分かりませんが、パウロはその女性たちに福音を語りました。当時の一般の人たちの目から見れば、パウロのフィリピ伝道の第一歩は、まことに心もとない、小さな一歩のように思えたに違いありません。しかし、パウロはこの小さな機会を失うことはしませんでした。いやそれ以上に、神はこの小さな機会をお用いになって、パウロたちのために、またのちに建てられるフィリピ教会のために、豊かな実りをお与えくださったのです。

 【14~15節】。ティアティラ市とは、小アジアにある町であり、高級な紫布の染色でよく知られていました。その町の出身でリディアという名の女性がフィリピで紫布の商売をしていたと紹介されています、また、彼女は神をあがめる人であったと紹介されています。神をあがめる人とは、10章に書かれていたローマ軍の兵士コルネリウスが神を畏れる人であった(10章2節22節)と言われているのと同様に、ユダヤ人ではなく、異邦人でありながら、ユダヤ人の神、旧約聖書で証しされている唯一の天地創造の神を信じている人であって、正式にユダヤ教に改宗してはいないけれどもユダヤ人の慣習を守り、律法を学び、ユダヤ人会堂に出入りをしている人を言います。

 彼女はユダヤ人ではありませんが、他のユダヤ人の女性たちと一緒に祈りの場に来て、聖書を読み、祈っていました。パウロは女性だけの集まりであっても、主イエス・キリストの福音を語ることに少しも力を緩めることはありませんでした。主イエス・キリストの十字架と復活の福音は、男にとっても女にとっても、また子どもにとっても、すべての人にとって語り、聞かれるべき福音であり、それによってすべての人が罪のゆるしと救いへと招かれる福音だからです。

 もちろん、パウロの伝道熱心さが信仰者を生み出すのではありません。14節に「主が彼女の心を開かれたので」と書かれています。パウロは熱心に語ります。リディアは熱心に耳を傾けます。しかし、彼女の心を開いて、神の言葉を悟らせ、信じさせてくださるのは主ご自身です。パウロもリディアも、語る人も聞く人も、共に主なる神の救いのみわざにお仕えするのです。そのようにして、いつの場合にも、信仰は主なる神が、また主イエス・キリストが、そして聖霊なる神が、その人に働かれることによって生まれるのです。その人の心が神の言葉に対して開かれ、語られた神の言葉の説教を自分自身に語られた救いの言葉であると信じる、その時に信仰が生まれるのです。わたしたちの信仰を生み出し、その信仰を守り、育てられるのは、すべて神のみわざです。

 リディアは主イエス・キリストを救い主と信じて洗礼を受け、キリスト者となる決意をしました。彼女には、神によって備えられていた道がありました。ユダヤ人の会堂や祈りの場に連なり、旧約聖書を読み、神に祈り、神を敬い、神を恐れる心がすでに育てられていました。そして今、遣わされた使徒パウロの説教を聞き、旧約聖書で預言されていた神の救いのご計画が、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって成就したことを知らされたのです。ここにも、確かに神の救いの秩序が生きていたと言えるでしょう。

 リディアだけでなく、彼女の家族も洗礼を受けたと書かれています。彼女に夫がいたのかどうかは分かりませんが、親や兄弟、子どもがいたのかもしれませんし、商売をしていましたから従業員もいたかもしれません。彼らみんなが洗礼を受けてキリスト者になりました。リディアが受けた救いの恵みは彼女の家全体に広がっていきました。

 それだけでなく、彼女の家に与えられた救いの恵みは、家の外にも、フィリピの町全体へと拡大されていきます。彼女はパウロたちを家に招き入れ、その家がフィリピ伝道の拠点として用いられるようになりました。次の16節以下で語られているパウロたちが受けた迫害と投獄のあと、40節によれば、釈放されたパウロたちはリディアの家に帰っていきます。そこで兄弟たちと会ったと書かれています。リディアの家にフィリピ教会の基礎が築かれつつあったということを、わたしたちはここから知らされます。そのようにして、こののちパウロと最も親しい交わりを持つことになるフィリピ教会、またパウロのその後の宣教活動を最も強力に支えたフィリピ教会が誕生していったのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたが主イエス・キリストによってこの世界にお与えくださった福音は、初代教会の時代から今日に至るまで、世界中の諸教会で語られ、聞かれ、救いの出来事を起こしています。主よ、どうかこの世界を主キリストの救いの恵みで満たしてください。この世界をお救いください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月1日説教「葦の海の奇跡」

2026年3月1日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記14章15~31節

    ヘブライ人への手紙11章23~31節

説教題:「葦の海の奇跡」

 イスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出された主なる神は、彼らを真っすぐに約束地カナンへと導くことをなさらず、東の方角の砂漠地帯が広がる荒れ野へと進ませられました。それによって、彼らはまっすぐ北へと向かえば数か月で到着することができたであろう道のりを、40年間も荒れ野の困難な旅を続けることになりました。それだけでなく、神はイスラエルの民が荒れ野の入り口で道に迷っているかのように思わせる道順を行かせることによって、エジプト軍の追撃を容易にさせられたのです。

 イスラエルの民はこのような神の不思議な導きに従順に従いました。そして、結果的には、遠回りの道を、より困難な道を、より危険な道を選ぶことになったのでした。そしてそれは、信仰の民イスラエルにとっては、正しい選択でした。なぜならば、それは神が行けと命じられた道だったからです。それゆえに、神が共にいてくださる道だったからです。たとえ、それが近道であろうとも、安易な道であろうとも、神が共にいてくださらないなら、そこには真の幸いも平安もなく、それは救いの道ではないからです。イスラエルの民にとっては、またわたしたち信仰者にとっては、広い門を神なしで入るよりは、狭い門を神と共に選び取る方が、はるかに幸いなのです。

 エジプト王ファラオは重装備の軍隊を率いてイスラエルのあとを追ってきました。エジプトでは馬に二輪車をひかせた戦車が早くから考案され、強力な兵器となっていました。他方、イスラエルは子どもや女性、それに家畜も一緒であり、訓練された軍人はおらず、武器も全くありません。彼らの前には海が行く手を阻み、後ろからは重装備のエジプト軍が迫ってきます。彼らは大きな試練と危機に直面して、恐れと不安の中で主なる神に対して叫び、嘆き、つぶやきます。そして、指導者モーセを非難します。モーセに対する非難は、彼らをエジプトの奴隷の家から強いみ手をもって救い出してくださった主なる神に対する非難でもあり、それは彼らの不信仰です。

 わたしたちはここで、神の偉大なる救いのみわざがなされるとき、また同時にそこでは人間の不信仰と不従順が明らかにされるという、聖書でしばしば語られる真理に気づかされます。神の救いの出来事は、本来その救いを受けるに値しない人間の罪と不信仰を浮かび上がらせるのです。あるいはまた、その神の救いのみわざに感謝することをしない人間のかたくなさと傲慢をも明らかにするのです。そして、神の救いの出来事はそれらの人間の不信仰やかたくなさをも越えて、より偉大な救いの出来事へと続いていくのだということを、わたしたちはきょうの箇所からやがて知らされます。

もう一つ、この箇所からわたしたちが知らされる不思議な神のご計画についてみていきましょう。11節に、「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか」という、指導者モーセに対する民の非難が記されています。ここには、ある意味では、神の不思議なみ旨、神の真理ともいうべき内容が含まれています。ご承知のように、エジプトには死者を葬るための巨大な墓やピラミッド、集団墓地などが数多く残されています。手厚く死者を葬ることや死後の世界に、エジプト人は大きな関心を持っていました。イスラエルもまた、エジプト人とはまったく違った信仰によって、死者を葬ることを重要視していました。13章19節にはこのように書かれています。【19節】(115ページ)。イスラエルにおいては、信仰者の生と死は、神の永遠なる約束の成就のために仕えるのです。それゆえに、イスラエルの民の墓もまた、異教の地であるエジプトには用意されてはいなかったのです。彼らはエジプトの地に葬られるべきではありません。もちろん、荒れ野に葬られるのでもありません。彼らは神がお導きになる約束の地、カナンに葬られるために、エジプトから救い出されて、ここまで来たのです。イスラエルの民のつぶやきの言葉の中に、実は神の救いの真理が含まれていたのです。そして、事実、神は彼らのための救いのみわざをなさるのです。

それにしても、エジプトの奴隷の家から救い出されたイスラエルの民が、それから少ししか過ぎていないのに、今直面している困難と危機に恐れと不安と募らせて、自分たちが経験した神の偉大な救いのみわざを忘れ去り、神と指導者モーセを非難し、不信仰と不従順に陥るとは、なんとも情けなく、愚かであることでしょうか。聖書は何度も何度も、そのような人間の弱さやつまずき、不信仰と不従順を語ります。それが、わたしたち人間の現実だからです。神のみ子が、わたしの罪のために苦しみを受けられ、裁かれ、十字架にくぎ付けされ、その尊い血を流されることによって、わたしの罪がゆるされ、救われているという福音を、主の日の礼拝のたびに聞かされていても、小さな試練や苦難にあうと、すぐにその救いの恵みを忘れ、不安や恐れや迷いによって道を見失ってしまうわたし、そのような弱く愚かなわたしであることを、わたしたちは告白しなければなりません。そしてまた、そうであるからこそ、主なる神がこのわたしのために戦ってくださることを強く信じて、謙遜に、より従順に、神のみ言葉に聞き従うべきなのです。

13節、14節を読みましょう。【13~14節】。神はイスラエルの民を決してお見捨てにはなりません。否、彼らが弱く、つまずいているときにこそ、彼らのために立ち上がられ、彼らのために戦ってくださいます。ご自身が愛される民に試練をお与えになり、彼らの信仰の訓練をなさる神は、彼らの苦難の中でこそご自身の偉大なみ力と栄光とを現わされます。

「恐れてはならない」「恐れるな」という神の命令は、わたしたちが何度も聖書から聞いているように、神が人間の恐れを否定する言葉である同時に、神が恐れを取り除いてくださり、恐れに代わって、平安や喜び、希望をお与えくださる約束の言葉でもあります。イスラエルの民は大軍を率いて後を追ってきたエジプト軍を見ています。自分たちの危機的な状況を見ています。その時、彼らは恐れざるを得ません。しかし、彼らは間もなく神の救いのみわざを見ることになります。神ご自身がイスラエルのために戦ってくださることを見ることになります。そして、神がエジプト軍に勝利され、自分たちを救ってくださることを見ることになります。その時、彼らの恐れは喜びと感謝に変わるでしょう。

15節から、一般に紅海の軌跡と言われている神の奇跡が詳しく描かれています。14章では「海」と書かれていますが、13章18節や15章4節では「葦の海」となっています。『口語訳聖書』では「紅海」と訳されていましたが、もとのヘブライ語を直訳すれば「葦の海」です。この葦の海がどこなのかについては、議論のあるところです。今日スエズ運河が通っている紅海のことなのか、あるいはそれよりは北側の葦が生えていた湖ではないかとも推測されたりします。けれども、そこで起こった神の奇跡については、だれも疑いえないほどに、現実的な表現で、詳細で、生き生きと、描かれています。

15~18節には、神がモーセにお命じになったこと、すなわち、モーセが手に持っている神の杖によって海を二つに分けるようにとの命令が語られています。19~25節では、実際に海が二つに分けられ、イスラエルの民は雲の柱、火の柱に守られながら、渇いた海の底を安全に渡ったこと。しかし、あとを追ってきたエジプト軍は、神が送られた火の柱と雲の柱によってかき乱されて前進できなかったことが書かれ、26節以下では、二つに分けられた海の底にいたエジプト軍が、再び流れてきた海の水の中に沈み、全滅したことが書かれています。そして最後の31節にはこう書かれています。【31節】。これが、紅海の奇跡、あるいは葦の海の奇跡と言われている神の奇跡です。

葦の海の奇跡は、出エジプトの奇跡と並んで、神がイスラエルの民を救われるためになされた偉大な奇跡として、旧約聖書の中で、詩編や預言書で繰り返して取り上げられています。イスラエルの民の誕生の原点、彼らの信仰の原点がここにあるからです。

では、重要な箇所をいくつか取り上げて詳しくみていきましょう。【17~18節】。これとほとんど同じ内容が、すでに4~5節で語られていました。神はイスラエルの民をお導きになるだけでなく、エジプト人の心とその軍隊をも自由にご支配しておられ、ご自身の民の救いのためにお用いになります。それは、最終的には、神が全地にご自身の栄光を表すためであり、すべての民が、すべての人が唯一の主なる神を知り、その神を信じるようになるためなのです。神は全人類をお救いくださるために、先にイスラエルの民をお選びになり、また教会の民をお選びになられました。

次に、【19~20節】。13章21、22節に、神が昼には雲の柱となり、夜には火の柱となってイスラエルを導かれたと書かれていました。ここでも、雲の柱がエジプト軍とイスラエルの民との間に入って、両者が近づかないように、すなわちエジプト軍がイスラエルの民を攻撃することができないようにされたと書かれています。神は、時には民の先頭に立って彼らを導かれ、またときに彼らの最後尾に立って彼らを守られました。イスラエルの民が荒れ野を旅する40年間、いつもそのようであったことが、このあとにも繰り返して語られます。神はいつの時代にも、そのようにして、信仰者の先頭を行かれ、彼らを救いの完成に向けて導かれます。また、同時に神は信仰者の最後尾を行かれ、足の遅い人をも守られます。

【21節】。この奇跡を、何かの自然現象で説明することはできませんし、すべきでもありません。海の潮の満ち引きが関係しているとか、シリア・パレスチナ地方に現れるシロッコと呼ばれる乾燥した熱風が海の水を乾かしたとか、その他の自然現象で説明を試みることは無益でしょう。ここでは主なる神が働いておられるのです。天地万物を創造された全能の神が、その強いみ手をもってこの奇跡を起こし、この救いのみわざをなしておられるのです。次の15章で歌われている賛美の歌のように、のちのイスラエルの詩人たちや預言者たちは、この時の葦の海の奇跡から、主なる神の偉大なる救いのみわざを読み取り、すべての困難や災いから信仰者を守ってくださる神の限りない恵みと慈しみとを学んだのです。

そして、30、31節にはこのように書かれています。【30~31節】。ここには、13節と同様に、「見た」という言葉が2度用いられています。イスラエルの民が神のみ言葉に聞き従い、自分たちの困難な状況から目を離して主なる神の救いを見上げるとき、彼らは実際に敵が無力にされているのを見ることが許され、また自分たちが敵の手から救い出されているのを見ることを許されるのです。

わたしたちもまたこの主なる神を信じる信仰へと招かれています。わたしたちが十字架で死なれ、三日目に復活された主イエス・キリストを仰ぎ見るときに、わたしたちもまた罪と死と滅びから解放され、救われている自分を見ることが許されるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたはわたしたちのすべての信仰の道に伴ってくださいます。時にわたしの前に進み、わたしを導かれ、時にわたしのうしろに立って、わたしを安全に守ってくださいます。あなたの恵みと慈しみとは、わたしから離れることはありません。主よ、それゆえにわたしたちはいつどのようなときにも、恐れることなく、迷うことなく、あなたのみ言葉に聞き従っていくことができます。どうか、終わりの日まで、わたしたちの信仰の道をお導きください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。