6月28日説教「ローマ帝国の市民権を持つパウロ」

2026年6月28日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記22章1~14節

    使徒言行録16章35~40節

説教題:「ローマ帝国の市民権を持つパウロ」

 パウロの第二回世界伝道旅行の後半は、当時のローマ帝国マケドニア州にある植民都市フィリピから始められました。主イエス・キリストの福音が小アジアからエーゲ海を越えてはじめてヨーロッパに告げ広められることになりました。福音伝道の広がりは、また同時に迫害の広がりでもありました。パウロとシラスは町を混乱させたと訴えられ、捕らえられ、牢獄に入れられます。シラスはもともとはエルサレム教会の長老でしたが、マルコの代わりにパウロによって選ばれてこの伝道旅行に同行するようになったと、15章40節に書かれていました。彼自身の意志や意図では必ずしもありませんでしたが、パウロによって彼の同行者として選ばれたのでした。

それはまた同時に、この世からの迫害を受けるために選ばれたことでもありました。それは彼にとっては、不幸であり、苦難の道の選択であったと思われるかもしれませんが、しかし、そうではなく、彼はやがて不思議な神の奇跡によって、縛られていた手足の鎖がほどけ、牢獄の扉が開かれ、そこから解放されるという大きな恵みの経験をすることになったのでした。彼はこのような神の奇跡と大きな恵みの経験をするために、選ばれていたのだということを、この時に教えられたのです。

 この奇跡と恵みの経験の影響は、パウロとシラスの二人だけにとどまりませんでした。彼ら囚人の監視をしていた看守とその家族全体へと、途方もなく大きく広がっていったことが30節以下に書かれています。そして、看守とその家族みんなが、主イエス・キリストの福音を信じてバプテスマを受け、救われ、キリスト者となったのです。その印象的な場面を今一度読んでみたいと思います。【31~34節】。この世の鎖につながれたパウロとシラスでしたが、神の言葉は決してつながれてはいません。むしろ、この世からの迫害を通して、それを飛び越え、貫いて、主キリストの福音は前進し、救われる人を増し加えていくのです。

 きょうは35節以下を読んでいきます。【35~36節】。この記述は、前の部分と少しずれがあるように思われます。というのは、25節から書かれている大地震発生と牢獄の戸がみな開き、囚人たちが逃げてしまったと思って看守が自殺しようとしたこと、パウロがそれを思いとどまらせたこと、そして看守の家に行って家の者みんなが洗礼を受けたという34節までの記述は、真夜中から朝方にかけての出来事であったと思われますが、35節に「朝になると」とありますから、普通に考えれば、パウロとシラスは看守の家にいることになるのですが、ここでは二人は牢獄の中にいることになっているという点で、少しずれがあるように思われます。看守の家で洗礼式と食事が終わってから、彼らがもう一度牢獄に引き返したということなのか、そのあたりはよく分かりません。

ただ一つ確認できることは、36節で看守がパウロたちに「安心して行きなさい」と声をかけていることから、看守はすでに主イエスの福音を信じてキリスト者になっていたということです。「安心して行きなさい」は直訳すれば「平安のうちに行きなさい」ですが、この言葉は15章33節で、ユダとシラスがアンティオキア教会からエルサレム教会へと戻る際に交わした挨拶の言葉「平安のうちに見送られ」と同じ言い方であり、更にはルカによる福音書7章50節などでは、主イエスによって罪ゆるされた婦人に対して語られた言葉、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と同じです。「平安のうちに行きなさい」。この言葉は初代教会以来、キリスト者が出会い、分かれる際の挨拶の言葉となりました。

 そこでわたしたちは、34節から35節へと、多少のずれはありますが、連続した出来事として読んでいくことにします。真夜中の大地震で牢獄の扉がすべて開き、すべての囚人たちの鎖が外れてしまったにもかかわらず、だれ一人そこから逃亡しようとはしなかったと、26節から28節に書かれていました。彼らがなぜ逃げなかったのかについては説明されていませんが、パウロとシラスの賛美と祈りの声を共に聞いていたすべての囚人たちにとっても、神の奇跡によって起こった大地震によって、獄の扉がみな開き、自分たちを縛っていた鎖がみな外れてしまったことを経験した彼らは、自分たちはすでに神によって自由にされていると思われたのかもしれません。パウロとシラスもまだ牢獄の中にいましたけれど、すでに神によって鎖は外され、自由にされていました。

 【37~39節】。パウロたちを捕らえて、鞭で打ち、裁判にかけよとしたフィリピの町の高官たちは、パウロとシラスがローマの市民権を持っていると聞いて驚き、あわてました。当時の法律によれば、ローマの市民権を持つ者はその人権が尊重され、正式な裁判を受ける権利が保障され、むち打ちなどの残酷な刑は課せられてはいけないと定められていました。パウロたちが逮捕された時点では、事態が混乱していたために、パウロは自分たちがローマの市民権を持っていることを主張できなかったのではないかと推測されます。パウロがこの時になってそのことを主張したのはなぜであったのかは推測することしかできませんが、自分たちの名誉や人権の擁護を求めたというよりは、このあとのフィリピ教会の宣教活動や教会員のこの町での市民生活のことを考えて、キリスト教に対する市民の誤解を和らげようとしたのだと思われます。

 そこでパウロは、町の高官たちが自ら出向いて来て、ローマの市民権を持っている自分たちを不法に取り扱ったことを認めて、釈放するべきだと伝えます。パウロはここで、自らが持っているローマの市民権という権利を、最大限に活用しています。自分自身の利益のためではないことは今確認しましたが、ここにパウロにどのような意図があったのかを、さらに考えていきたいと思います。

 35節には、高官たちは「あの者どもを釈放せよ」と命じたことが書かれており、38節には、高官たちは「二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ」と書かれています。高官たちの恐れは、ローマの市民権を持つ者に対して法に従って正しく取り扱わなかったという自分たちの落ち度を感じていることからくる恐れであると同時に、自分たちが捕らえて鎖で拘束した彼らが、神の奇跡によって牢の扉が開き、鎖が外されたということへの恐れもあったのだろうと推測されます。それで、彼らを釈放するように命じたと思われます。

神の言葉と主イエスの福音に仕える宣教者は、時にはこの世からは迫害を受け、辱めや攻撃を受けますが、その迫害の中にあっても、主なる神を信じ、主なる神の助けとお働きを固く信じる時に、神は彼らのために不思議な奇跡を起こしてくださいます。そして、神の言葉と主イエスの福音をさらに前進させてくださいます。その時には、この世もまたその神の奇跡とお働きを見て、神を恐れ、神の言葉に仕える宣教者を恐れるということもまた起こり得るのです。

パウロがどのようにしてローマの市民権を得たのかについては分かっていません。パウロはディアスポラ・離散のユダヤ人であり、熱心なユダヤ教徒であり、初めはキリスト教会の迫害者でした。彼の生まれは小アジアのキリキア州タルソスという町でした。のちに彼が第三回世界伝道旅行を終えてエルサレムに帰った際、神殿を汚したという罪で逮捕された時に、使徒言行録22章27節以下にはこのように書かれています。【27~29節】(259ページ)。パウロが生まれながらの市民権を持っていたということは、彼の父からそれを受け継いだことを意味しています。

そして、パウロはエルサレムで逮捕されたこの時にもう一度自分がローマの市民権を持っているという特権を行使することになります。25章11節で、「私は皇帝に上訴します」とローマの地方総督であったフェストゥスに申し出ます。これもまたローマ市民権を持つ者に与えられていた権利でした。パウロはユダヤ人の最高法院での裁判を望まず、ローマで裁判を受けることを希望しました。それは、ローマでの裁判なら無罪になると期待していたからではありませんでした。パウロはエルサレムで捕らえられた夜に、夢を見ていたのでした。【23章11節】(260ページ)。パウロは当時の世界の中心都市であるローマで、世界の支配者であったローマ皇帝カイザルのすぐ前で、主イエス・キリストを証しするために、彼に与えられていた地上の権利を用いたのです。そして、そのローマで、世界の本当の主はローマ皇帝ではなく、全人類の救いのために十字架で死んでくださり、三日目の復活された主イエス・キリストこそが、すべての人の主であり、唯一の救い主であるという福音を、ローマで、皇帝のすぐ近くで、語ったのです。そのために、ローマの市民権という権利を行使したのです。フィリピでのことも、そのこととの関連で見ることができるでしょう。

 16章40節に戻りましょう。【40節】。リディアという婦人はフィリピで最初にキリスト者となった人であったことが14節以下に書かれていました。彼女とその家族全員が洗礼を受けたと書かれていました。それ以来、彼女の家は礼拝のために用いられていたことがここで分かります。「兄弟たち」とは、信仰者の仲間、教会の群れを意味する言葉です。小さいながら、リディアの家でフィリピ教会が形成されつつありました。おそらく彼女の家に信者たちが集まり、捕らえられたパウロとシラスのために祈っていたのでしょう。

 「彼らを励ましてから出発した」と書かれています。パウロとシラスがフィリピの町を出たのは、この町の高官たちの願いに従ったからだとみることもできますが、しかしそれだけではなく、二人はこの町に誕生した小さな群れを主なる神のみ手にお委ねして、更に福音宣教を前進させるために次の宣教の地へと、新たな使命と希望とを持って出発したのだとみるべきです。パウロたちの第二回世界伝道旅行は更に続きます。主イエス・キリストの福音は更に前進します。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたは罪に支配されていたこの世界にみ子・主イエス・キリストをお遣わしくださり、み子の十字架の死と復活によって、罪と死とに勝利してくださいましたことを、感謝いたします。また、わたしたち一人一人をもその救いへとお招きくださいますことを、心から感謝いたします。どうか、主イエス・キリストの福音が全世界のすべての人たちに届けられますように。そのために、世界各地に建てられている主キリストの体なる教会を、聖霊によって強めてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

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