1月25日説教「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの教会」

2026年1月25日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記7章6~8節

    ローマの信徒への手紙1章1~7節

説教題:「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの教会」

 ローマの信徒への手紙は古代のギリシャ世界の手紙の書き方にならって、1節に手紙の差し出し人の名前が書かれ、次に本来ならば手紙の受取人の名前が書かれるべきところ、2節から6節までは主イエス・キリストの福音について語った長い挿入文があり、7節でようやく手紙の受取人の名前と挨拶の言葉が書かれています。きょうは、その挿入文の最後の6節と、7節前半の手紙の受取人の箇所を学びます。

 【6~7節a】。6節は、長い挿入文の終わりで、主イエス・キリストの福音を異邦人へと広めるためにパウロは使徒とされたと語ったのですが、その異邦人の中にあなたがたローマの教会も含まれていると説明が続けられています。ここでも、パウロはまだ訪問したことがないローマの教会と自分との深いつながりを意識していることが伺われます。

 異邦人とは、神に最初に選ばれたイスラエルの民・ユダヤ人以外の人々を聖書では異邦人と言いますが、この言葉はイスラエルの民から区別された人々という意味よりも、かつては神に選ばれていなかったけれども、やがて選ばれることになっている、いや今こそ新たに招かれている神の民であるという意味合いが強く含まれています。

パウロがここで、「あなたがたもこの異邦人の中にいる」という場合、これには二つの意味があるように思われます。一つには、ローマの教会のメンバーの多くがユダヤ人以外のギリシャ人や他の民族で形成されていたということ、もう一つには、ローマの教会が異邦人社会の中に建てられているという意味です。当時のローマは世界の中心都市であり、すべての道はローマに通じていると言われていましたから、全世界のあらゆる民族、国民が集まっていました。その世界都市であるローマで、全世界のすべての人の救い主であり、全世界の唯一の主である主イエス・キリストの福音を宣べ伝えたい、それが自分の使命だというパウロの強い思いがここには現われているように思われます。

 6節の「イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがた」という言葉から、7節で手紙の受取人として名前が挙げられるローマ教会についての説明がすでに始まっています。「イエス・キリストのもの」、これがローマ教会を特徴づけている第一のことです。ローマ教会だけでなく、全世界のすべての教会、そしてまたわたしたちの教会も、みな主キリストのものです。「主キリストのものである」ということは、他の誰のものでもない、他の何ものの所有でもないということを意味します。ローマ教会は異邦人社会の真っただ中に建てられていました。けれども、ローマ教会は異邦人社会に属するのではなく、またローマ皇帝カイサルの所有でもなく、主キリストの所有であり、神の国の民です。

 どのようにして、主キリストのものになったのでしょうか。「召されて」という言葉が重要な意味を持ちます。同じ言葉はすでに1節でパウロ自身について言われていました。「召されて使徒となったパウロ」。また、次の7節にも、「召されて聖なる者となった」とあります。手紙の冒頭の書き出しの部分に計3回も用いられています。「召される」という言葉は、すべての信仰者、キリスト者について、また教会について、聖書の中で何度も繰り返して用いられています。キリスト教の用語では「召命」という言葉で表現されるのが一般的です。この言葉について、ここで改めて深く考えてみたいと思います。

 「召される」は受動態ですが、能動態では「召す」になります。もとのギリシャ語は「呼ぶ」という意味の簡単な言葉です。英語のcallに相当します。でも、聖書でこの言葉が用いられる場合には、特別な意味が込められています。まず、誰が呼ぶのか、主語は誰かということが常に意識されます。また、どこから呼び出されるのか。呼び出されてどこへ行くのか。更には、何のために呼ばれるのか。いつ、どのようにして呼ばれるのか。呼ばれたら、わたしはどうすべきなのか。そのようなことがすべて、この「呼ぶ」という言葉が用いられる際には、常に強く意識されているのです。

そして、この「呼ぶ」というギリシャ語から派生した言葉から、教会を意味するエクレーシアができました。教会、エクレーシアとは「呼び出された人たち、召された人たち」の群れという意味を持っています。

ではまず、「召された」の主語を考えてみましょう。前にも何度かお話ししましたが、聖書の中で主語をはっきり明記せずに受動態で表現される場合、その多くは主語として神が隠されていると理解されます。ここでもそう考えてよいでしょう。神によって召され、呼び出され、主キリストのものとされたということです。ローマの教会員が、またわたしたち一人一人もそうなのですが、この教会に招かれ、きょうの礼拝に呼び出され、信仰者、キリスト者とされ、礼拝者とされているのは、神の呼びかけによるのであり、神の召し、神の招きによるのであるということです。わたしの願いやわたしの意志、わたしの都合というよりは、よれよりもはるかに強い神のみ心、神の永遠のご計画によるのだということです。

次に、どこからどこへ、どのようにして召されたのでしょうか。そのことを考えることは、聖書全体、キリスト教の福音そのものと関連します。すなわち、神はご自身のみ子・主イエス・キリストをこの世にお遣わしになり、この主イエス・キリストの十字架と復活の福音によって、その福音を信じる人たちを聖霊によってこの世から呼び出してくださり、罪のゆるしと永遠の命の約束をお与えくださいました。そのようにして、神は主イエス・キリストの体なる教会に信じる人たちを呼び集めてくださり、神を礼拝する民の中へと招き入れてくださったのです。神に呼び出された人たちは、罪の支配から神の恵みのご支配の中へと移され、闇の中から光の中へ、罪と死と滅びから救いと命へと移し入れられ、罪よって滅びるべきこの世から永遠なる神の国の民へと移し変えられているのです。

そのことが、次の「イエス・キリストのものとなるように」という言葉で言い表されています。主イエス・キリストの福音によって神に呼び出された人は、もはや罪が支配するこの世に属する者ではありません。主イエス・キリストが十字架で流された聖なる尊い血によって贖われ、罪の奴隷から買い戻され、救い主キリストのものとされているからです。

ここにこそ、わたしたち信仰者の救いの確信と確かな慰めがあるのだと、宗教改革時代に制定された『ハイデルベルク信仰問答』の第1問は告白しています。先週も紹介しました。

「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」

「それは、生きるにも死ぬにも、わたしは体も魂もわたしのものではなく、わたしの信実な救い主イエス・キリストのものであるということです。このお方が、その尊い血によってわたしのすべての罪の代償を完全に支払って下さり、まったく悪魔の権力のもとにあったわたしを解放してくださいました」。

それゆえに、わたしはわたしのものではなく、他の誰かや何かのものでもなく、わたしのために十字架で死んでくださった主キリストのものである。ここにこそ、わたしの信仰の確かさがあり、わたしの唯一の慰めがある。この主キリストはわたしの人生のすべての歩みに伴ってくださり、わたしに最も善き道を備えてくださるゆえに、たとえどのような困難や試練や災いがわたしを襲うとも、わたしは恐れない。わたしの死の時にも、主キリストはわたしをお見捨てにはならず、わたしと永遠に共にいてくださる。これが、神によって召され、主キリストのものとされているわたしたちキリスト者の信仰です。

紀元1世紀のこの時代、ローマ帝国の市民はみな皇帝カイサルのものだと考えられていました。しかし、キリスト者はそう考えませんでした。キリスト者は主キリストのものです。この世のどのような権力も暴力も、キリスト者を主キリストから引き離すことはできません。パウロはこの手紙の8章39節でこのように書いています。【39節】(286ページ)。

7節は、もとのギリシャ語を直訳すると、「ローマにいるすべての人たち」「神に愛されている人たち」「召されて聖となった人たち」、このような語順で並んでいます。いくつかの写本では、「ローマにいる」という言葉が省略されています。これはおそらく、パウロの手紙が諸教会の礼拝で朗読されるようになったからであろうと推測されます。聖書の他の箇所から、初代教会ではそのような習慣があったということが知られています。今日わたしたちも、この箇所に、「日本にいる」とか「秋田にいる」という言葉を当てはめてこの手紙を読むということは、正しい聖書の読み方と言えます。聖書の言葉は、今のわたしたちの時代に、今ここでこのわたしに対して語りかけられている神の言葉であるからなのです。

次の「愛されている」も「召されて」も、いずれも受動態ですから、主語は神です。特に、「愛されている」には「神に」という言葉がわざわざ付け加えられています。ここでは、単に主語が神であるというだけではなく、本当の意味で、愛することは神だけがなさることであるということが暗示されているように思われます。真実の愛、本当の意味で愛するのは、神だけであると聖書は教えています。ヨハネの手紙一4章10節にはこのように書かれています。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を贖ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」。「神は愛です」。また、パウロもこの手紙の5章8節でこう書いています。【8節】(279ページ)。

わたしたちの愛はしばしば歪んだ愛になったり、偽りであったり、敗れることもあります。しかし、神の愛は、その独り子さえも惜しまずにわたしたちのために十字架の死に渡されたほどの、驚くべき、大きな、真実の愛です。この愛によって神に愛されている信仰者は、神の愛の中へと招き入れられます。それゆえに、お互いに「愛されている者よ、愛する兄弟姉妹よ」と呼びかけ合うことができます。そして、神に愛され、神を愛するように、お互いにも愛し合うことができる者とされているのです。

 「召されて聖なる者となった」の聖なる者とは、神の召しによってこの世の者たちから区別され、分離されて、神にささげられた者とされた人たちのことを言います。いわゆる聖人という言葉でイメージされるような、立派な人物とか人格的に優れた人という意味ではありません。しかし、聖なる者たちにはそれ以上の誉れが与えられています。主イエス・キリストによって罪をゆるされている人たち、滅びるべきこの世に属するのではなく、永遠のみ国である神の国の民とされているという誉れと栄光とを与えられているからです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの信実な愛をわたしたち一人一人にもお与えください。あなたの信実な愛は、わたしたちの間にある憎しみや争い、分断、孤立のすべてをはるかに超えて、わたしたちを一つの愛の共同体として結びつけます。どうか、この世界をあなたの信実な愛で包んでください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

1月18日説教「恐れるべき方を恐れなさい」

2026年1月18日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書51章9~16節

    ルカによる福音書12章1~7節

説教題:「恐れるべき方を恐れなさい」

 主イエスはルカによる福音書12章1節で、「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい」と弟子たちにお語りになっておられます。主イエスのファリサイ派に対する批判は前回学んだ11章31節から続いています。その箇所では、主イエスはファリサイ派の信仰や行動を具体的に取り上げて、彼らの偽善的な生き方を徹底的に批判し、彼らを「あなたたちは不幸だ」と何度も決めつけています。「不幸だ」という言葉は、深い嘆きや激しい怒りを表現している言葉で、『口語訳聖書』では「災いだ」と訳されていました。主イエスがこの言葉をお用いになる場合には、それは神からの災い、裁き、あるいは「呪い」や「死の宣告」をも暗示している強い意味の言葉です。

 なぜ、主イエスはこれほどの激しい批判の言葉でファリサイ派の人たちを攻撃されたのでしょうか。その理由を考える上でのヒントが、11章53、54節に書かれています。【53~54節】。彼らは主イエスを神から遣わされたメシア・救い主と認めず、受け入れず、反対に、主イエスを、神を冒涜する者、律法を破る者として当局に訴え、主イエスを殺そうとしていたのです。実は、そこにこそ彼らの本当の罪があったのです。彼らが最終的に神に厳しく裁かれなければならない、彼らの罪があったのです。主イエスはここで、彼らのその罪を明らかにしておられるのです。

 けれども、主イエスは自分を受け入れないファリサイ派に対して、単に感情的に怒りを爆発させているのではありません。彼らには宗教の指導者としても責任があるのです。彼らは民衆を教え、導き、イスラエルを神に選ばれた契約の民として、正しく神に仕え、神を礼拝する民になるように指導する羊飼いの務めが託されています。その責任を果たさず、いやむしろ、その務めを民衆のためにしていないだけでなく、自分自身の誉れや満足のために悪用していたのです。主イエスはそのような偽善的な信仰、しかも悪意に満ちたファリサイ派の信仰を、ここで非難しておられるのです。そして、彼らのように傲慢にならず、自らを偽らず、謙遜に主イエスのみ前に罪を告白し、悔い改め、主イエスをわたしの唯一の救い主と信じる信仰へと、わたしたちを導いておられるのです。

 12章1節の、「ファリサイ派の人々のパン種」という言葉が、きょうの箇所を理解する一つのヒントになると思われます。パン種とは、パンを柔らかくするために小麦粉に入れる酵母菌のことです。主イエスは神の国のたとえ話にパン種を用いておられます。【13章20~21節】(135ページ)。少しの量のパン種が小麦粉に混ぜられると、全体に増え広がり、その働きが増幅されていくように、神の言葉と神の恵みのご支配が一人の救い主・主イエスから始まってイスラエル全体へ、更には世界全体へと拡大していくことを、主イエスはパン種のたとえでお話になりました。

 ここでは、同じようなパン種の働きが、いわば悪い意味で、ファリサイ派の偽善と罪と悪が人々の中へと広がっていくことのたとえとして用いられています。彼らにはこの責任があるのです。民衆を正しく導く務めが託されているにもかかわらず、彼らはその務めを放棄し、しかもそれを自らのために悪用しているのです。「偽善」という言葉は、仮面をつけて他の人を演じるという意味を持つことを前回も紹介しましたが、ファリサイ派は偽りの仮面をつけて人々を欺くだけではなく、その地位と務めを利用して、民衆をも偽善と罪と悪へと導いているのです。主イエスはその責任を問われます。

 次の2節、3節も、ファリサイ派の偽善的な信仰と行動に対する非難として語られているように思われます。【2~3節】。ファリサ派が自分の顔を隠して、仮面をつけてごまかしているように装っても、主イエスは彼らの偽善を見抜かれます。彼らファリサイ派の人たちが民衆の指導者を自認し、神の律法を忠実に守り、実行していることを誇り、敬虔な祈りをささげ、熱心に神に仕えているように装ってはいても、主イエスは彼らの偽善をすべて見抜いておられます。主イエスは父なる神にご自身のすべてをささげてお仕えし、最後にはご自身の命のすべてをも十字架にささげられるほどに、忠実に、十字架の死に至るまで忠実に、神に服従される神のみ子であられるからです。主イエスの目には何も隠されるものはありません。主イエスの十字架の死は、わたしたちの中に隠れ潜んでいるすべての罪をも明らかにし、それを断罪し、そのようにして、わたしたちをすべての罪から救うのです。

 この2節と3節には、別の意味も含まれているように思われます。ルカ福音書8章16、17節で、主イエスはこのように教えておられました。【16~17節】(118ページ)。ここでは、主イエスが語られた神の救いの言葉は何かによって覆い隠されることはなく、多くの人たちによって聞かれ、信じられ、救いの出来事を生み出したいくのだから、弟子たちはそのことを信じて福音を語り伝えなさいという意味で語られていました。主イエスの福音はこの世のいかなるものによっても覆い隠されたり、力を失ってしまうことはありません。邪悪で不信仰な時代の中にあっても、主イエスの十字架の言葉は救いの力を発揮し、救いの出来事を生み出していきます。ここで、ファリサイ派に対して語られた厳しい非難の言葉は、わたしたちにとっては確かな約束の言葉であり、力強い招きの言葉でもあります。主イエスが語られたみ言葉は、ファリサイ派の人たちにとっても、わたしたちにとっても、真理です。彼らにとっては、彼らの偽善を見抜き、彼らの不信仰を裁く真理となり、わたしたちにとっては、すべての人を罪と滅びから救い出し、新しい命と存在を与える真理となるのです。

 では次に、【4~5節】。4~7節のみ言葉は、これまで語られていたファリサイ派の偽善に対する批判とは少し違うように思われます。あえて共通点を見いだそうとするならば、ファリサイ派の偽善に対して、ここでは何が真理であるのかを語っておられるというように読むことができます。あるいはまた、弟子たちや教会がこれから経験しなければならないであろう迫害に備えるべきことが語られているという読み方もできるでしょう。

まず、4節の「恐れるな」という言葉に注目したいと思います。「恐れてはならない」と訳されている言葉は、本来は命令形です。この命令形は、恐れることを禁止するとともに、その恐れから救い出し、恐れを取り除く救いへの招きの言葉でもあります。神が、あるいは主イエスが「恐れるな」と呼びかけられるとき、その呼びかけを聞いた人は、恐れが喜びや平安、信頼に変えられるのです。そして、本当に恐れるべき方を恐れるときには、他のいかなるものをも恐れる必要がなくなるのです。

ファリサイ派の偽善は、まさに真に恐れるべきである主なる神への恐れがないところにあります。彼らは神への恐れではなく、自分の仮面がはがされることへの恐れであったり、人々の前で自分の偽善があばかれることへの恐れであったりします。神の真理や神の権威の前に、恐れをもって服従することをしていません。彼らがどれほどに聖書の知識を持っていようが、熱心で長い祈りをささげようが、そこには本当の救いはありません。本当の平安も慰めもありません。主なる神の裁きと滅びがあるだけです。

主イエスの「恐れるな」という命令は、弟子たちがこれから経験するであろう迫害と殉教に向けて、彼らの信仰を支え、強めるみ言葉でもあります。弟子たちと教会は、初めはユダヤ教から、やがてローマ帝国から、そして多くの国家や権力者たちからの迫害を経験するでしょう。主イエスはすでにそのことを知っておられます。ご自身がユダヤ人によって裁かれ十字架刑で処刑され、すべての人間から見捨てられて死ななければならないことを知っておられます。そして、主イエスを信じ、従う信仰者もまた同じ道を進まなければならないことを知っておられます。そこでこう言われるのです。「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れるな」と。なぜならば、体を殺すだけでなく、その人を永遠の滅びによってお裁きになる権威を持っておられる主なる神を、あなたがたは知っているからだと。その主なる神があなた方を守っておられるからだと。

迫害者は信仰者をあらゆる手段を尽くして脅し、痛めつけ、そして殺すでしょう。しかし、迫害者はそれ以上のことはできません。それに対して、主なる神は最後の裁きをなさる権威を持っておられます。不信仰な者、不従順な者を永遠の滅びに定める権威を持っておられます。わたしたちはこの神をこそ恐れなければなりません。そして、主なる神への恐れは、他のすべての恐れからわたしたちを守り、いかなるものをも恐れない勇気と希望とを生み出します。神のみ子主イエス・キリストによってわたしたちを罪と死と滅びから救い出してくださり、神の国における永遠の命を約束してくださるからです。この神がわたしたちの味方となってくださるなら、たとえすべての人がわたしに敵対しようとも、わたしは何をも恐れるには及びません。

【6~7節】。1アサリオンはおよそ5円に相当します。雀は1羽では値がつかないほどに値打ちがないものです。けれども、その1羽ですらも、神によって創造され、神によって守られ、愛されており、神のみ心なしでは地に落ちることはないのだと主イエスは言われます。そうであるならば、あなたがた人間は神のかたちに似せて創造され、すべての被造物の冠として創造されているあなたがた人間は、雀よりもはるかに大きな愛と守りとを受けているのではないかと主イエスは言われるのです。主イエスのまなざしは神に愛され守られている1羽の雀に注がれます。しかし、それ以上に神の大きな愛に支えられているわたしたち人間に、集中的に注がれます。実に、これこそがキリスト教の創造信仰、創造論です。主イエスはわたしたちの創造信仰を完成されます。

「あなたがたの髪の毛までも1本残らず数えられている」と主イエスは言われます。神の愛は、主イエスの愛のまなざしは、わたしの髪の毛1本1本にまで注がれています。その髪の毛1本も、神のみ心なしでは抜け落ちることはないのです。

1563年に制定された『ハイデルベルク信仰問答』は次のような印象的な第1問で始まっています。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」。「それは、生きるにも死ぬにも、わたしは体も魂もわたしのものではなく、わたしの信実な救い主イエス・キリストのものであるということです。この御方が、その尊い血によってわたしのすべての罪の代償を完全に支払ってくださり、まったく悪魔の権力のもとにあったわたしを解放してくださいました。そして、わたしを守り、天にいますわたしの御父のみ心なしには1本の髪もわたしの頭から落ちることなく、実にすべてのことが必ずわたしの祝福に役立つようにさえしてくださいます。……」。このようにして、天の父なる神に愛され、守られているわたしたちは、なんと幸いなことでしょう。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたがわたしたち罪の中で滅びるべきであった者たちを、み子主イエス・キリストの十字架の血によって罪から贖い、救ってくださり、今もなおわたしたち一人一人のすべての歩みを最もよき道へとお導きくださっておられますことを信じ、心から感謝いたします。どうか、迷いと躓きが多く弱いわたしたちをあなたの永遠の愛によって包んでください。終わりの日に至るまで、あなたがわたしたち一人一人と共にいてくださいますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

1月11日説教「パウロの第2回世界伝道旅行への出発」

2026年1月11日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編103編1~13節

    使徒言行録15章36~41節

説教題:「パウロの第2回世界伝道旅行への出発」

 紀元48年か49年に開催された、世界最初の教会会議であるエルサレム使徒会議が、初代教会の歴史の中で持っていた重要な意味について、使徒言行録15章から学んできました。15章30節から35節では、その会議が終わってからのことが書かれています。前回その箇所について触れることができませんでしたので、エルサレム使徒会議を振り返りながら、きょうはその箇所から読んでいくことにします。

 【30~35節】。エルサレム使徒会議での決定事項を記した手紙、それは一般に「使徒書簡」と言われていますが、それを携えてエルサレム教会から派遣されたユダとシラスの二人の長老と、アンティオキア教会から会議に出席したパウロとバルナバ、それに数人の長老は、エルサレム教会の見送りを受けて、アンティオキアへと帰って行きました。教会に着くと、教会員全員を集めて「使徒書簡」を報告しました。そして、アンティオキア教会のみんなは大いに励まされ、喜んだと書かれています。彼らが喜んだ内容については具体的には書かれていませんが、使徒会議での議論と結論から推測すると、大きく2つにまとめることができるように思います。

 第一には、異邦人教会であるアンティオキア教会の主張が大方認められたという点です。すなわち、旧約聖書の伝統を受け継ぐユダヤ教からキリスト者になった人は、もともと選ばれた民であるしるしとしての割礼を受けており、律法のしきたりを守る習慣が身についていました。けれども、異邦人であるギリシャ人はそのようなユダヤ教の伝統を知らず、主イエス・キリストを救い主と信じる信仰だけでキリスト者になったのですが、その異邦人キリスト者に対してユダヤ人キリスト者と同じように割礼を受けるとか、古い慣習を守るといった義務を負わせる必要はない、というのが会議の結論でした。それは、パウロ、バルナバが主張したアンティオキア教会の主張と信仰が認められたということであり、彼らはそれを喜んだといことです。

 その結論は、異邦人キリスト者にとってはもちろん喜ばしいことであったのですが、ユダヤ人キリスト者にとっても、それは、割礼と律法の束縛からの自由であり、その重荷からの解放をも意味していました。ユダヤ人であれ異邦人であれ、あるいは割礼のあるなしにかかわらず、あるいはまた、人種や性別や職業、社会的地位、その他人間の側のあらゆる違いにもかかわらず、すべての人は主イエス・キリストを救い主と信じる信仰によって、神から与えられる一方的な恵みによって罪ゆるされ、救われるのだという、キリスト教真理の中心が、これによって確立されたことになるのです。

 もう一つのことは、アンティオキア教会とエルサレム教会の和解が果たされたことを喜んだという点です。15章1節以下に書かれてあったように、事の発端は、エルサレム教会からアンティオキア教会に来た人たちが、「あなたがたもモーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」と主張して、激しい論争が起こったことでした。それは、すべての異邦人教会がエルサレム教会から分裂するという危険をはらんでいました。しかし、会議ではエルサレム教会から行ってそのように主張した人たちは正式に教会から派遣された人たちではなく、勝手に自分たちの考えを主張したに過ぎないとエルサレム教会側が認め、謝罪したことが使徒書簡に記録されました。これで、両方の教会の和解が果たされたのです。使徒書簡を携えてエルサレム教会から派遣されたユダとシラスの二人は、おそらくエルサレム教会からの謝罪を伝える意味もあったのだろうと推測されます。二人は自分たちに託された両教会の和解という使命をも果たして、喜んでエルサレム教会へ帰っていきました。

 このようにして、初代教会は最初に誕生した母なる教会であるエルサレム教会を中心にして、そののちに世界各地に建てられた多くの異邦人教会とが一致して主イエス・キリストの福音を宣べ伝え、世界宣教の使命を果たしていったのです。

 次に、36節からは、パウロによる第2回世界伝道旅行の計画について書かれています。【36節】。エルサレム使徒会議以後も、パウロとバルナバはアンティオキア教会で福音宣教の働きを続けました。彼らには立ち止まって休息する時間はありません。他のことで気を紛らわすとか、趣味に興じる時間もありません。35節と36節に「主の言葉」が2度繰り返されています。「主の言葉」は日々に前進します。それゆえに、主の言葉の宣教のために仕える使徒たちもまた日々に前進するのです。

 ここでパウロが提案していることは、第1回世界伝道旅行で福音を宣べ伝えた町々を再訪問するという計画です。第1回伝道旅行については13章と14章に書かれていました。パウロとバルナバの二人はアンティオキア教会の祈りに送り出されて、まず地中海のキプロス島での伝道活動、それから小アジアへ上陸し、今のトルコ共和国、当時のローマ帝国ピシディア州のアンティオキアやイコニオン、リストラの町々で、たびたび迫害にあいながらも、その地のユダヤ人やギリシャ人に熱心に主キリストの福音を宣べ伝えました。そして、それぞれの町にキリスト者の群れが形成され、教会が誕生しました。

 パウロは第1回伝道旅行の終わりに、14章22節で、誕生したばかりの教会に対して、このような励ましの言葉を語りました。【22~23節】(242ページ)。教会はいつの時代にも、この世の権力者から、また信じない人々から迫害を受け、困難な道を進まなければなりません。パウロの時代には、ユダヤ教からの迫害がありました。当時は、主イエスの福音がユダヤ教の異端と考えられたり、あるいはユダヤ教そのものを攻撃する教えと見られたりしていました。紀元1世紀後半からは、ローマ帝国による迫害が始まりました。教会がこれから経験しなければならないそのような苦難を、しかしパウロは、神の国に入るためにはぜひとも必要な苦難なのだととらえていたのです。教会はいつの時代にも、この世の不信仰や神を侮る悪や不正義との戦いを強いられるでしょう。けれども、その苦しい戦いをとおして、なおも主なる神に従順に従い、主イエス・キリストの福音にこそ真実の救いと幸いがあるのだということを、大胆に、恐れずに語り続けていくことによってこそ、終わりの日に完成される神の国で神からの祝福を受けるのです。

 ここで、パウロには二つの伝道パターンがあったということについて確認しておきましょう。一つは、いわゆる今日でいう開拓伝道です。キリスト教信者が全くおらず、だれもまだ宣教活動をしたことがない町へ出かけて行って、そこで始めて福音を聞く人たちに語るという方法です。第1回伝道旅行は全部がそのような開拓伝道でした。パウロたちは何百キロも離れた見知らぬ地へと開拓伝道と巡回伝道とを組み合わせたような伝道活動をしました。

 もう一つのパウロの伝道方法は、すでに何人かの信者がいて、ある程度の教会の基礎が築かれている町へ再び訪問して、その教会の働きをさらに強め、また拡大し、教会をより堅固な組織にし、信仰共同体として成長させるという伝道方法です。今回の第2回伝道旅行の前半はこのパターンでした。41節以下に【41節、16章1節a】と書かれているように、今回は地中海に出て船で行くのではなく、陸路でシリア州を通って、パウロの生まれ故郷であるキリキア州から小アジアに入り、デルベ、リストラと、前回教会の基礎を築いた町々を訪問し、それぞれの群れを励まし、強めるために働きました。

 この第2回伝道旅行の前半については詳しく書かれていませんが、わたしたちが次回から16章で学ぶように、後半のパウロたちの宣教活動では、不思議な導きによって、主イエス・キリストの福音が初めてアジア州からエーゲ海を越えてギリシャの世界へと持ち運ばれることになったのです。これが、第2回世界伝道旅行の大きな意義でした。

 さて、第2回伝道旅行へと出発するにあたって、ここに深刻な問題が発生しました。【37~40節】。最初、パウロとバルナバは一緒に出かける予定でした。バルナバはもう一人加えて、若いマルコをも同伴したいと提案したのですが、パウロはそれには断固として反対します。ヨハネ・マルコは第1回伝道旅行の際にも二人に同伴していましたが13章13節に書いてあったように、小アジアに上陸してすぐにもエルサレムに帰ってしまったということがありました。パウロはそのことを理由にマルコを連れていくべきではないと判断したようですが、バルナバは一緒に連れて行きたいと主張したために、両者の間に激しい意見の衝突があったと書かれています。

ヨハネ・マルコについては、12章12節によると、エルサレム教会の家の教会として母マリアと共に教会に仕えていました。12章25節によれば、パウロとバルナバがエルサレム教会を訪問した際に、若くて有望なマルコをアンティオキア教会に連れて行ったと思われます。また、コロサイ人の信徒への手紙4章10節によると、マルコはバルナバのいとこであったと書かれています。

以上のような情報から判断して、バルナバがマルコを一緒につ連れて行きたいと主張した理由は分かるような気がしますが、パウロがなぜ断固として反対したのか、それによってバルナバと別行動をとるようになるまで妥協しなかったのかについては、はっきりとは書かれていません。マルコはまだ年が若く、また前回のようにホームシックになって、途中で引き返すことをパウロは恐れていたからだとか、マルコはエルサレム教会でユダヤ教の伝統を重んじる信仰を持っていたので、パウロの信仰理解と合わなかったからだとか、推測されていますが、はっきりとは分かりません。

38節には、「宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではない」というパウロの意見だけ書かれています。ここから推測するならば、パウロは主イエスの福音宣教のわざを担う宣教者は、それなりの決意と覚悟を持って、その働きを最後まで成し遂げなければならないという考えを強く持っていたと思われます。もちろん、人間のわざですから、途中で挫折したりすることがあるかもしれません。さまざまな理由によって、伝道の前線から撤退することがあるかもしれません。それほどに、伝道のわざには困難が伴います。しかしまたそうであるからこそ、主イエス・キリストの福音宣教に仕える伝道のわざは、成し遂げる意義があり、喜びがあり、希望があります。そして、何よりも、そこには神の恵みと祝福があります。

パウロはコリントの信徒への手紙一15章9節以下でこのように書いています。「わたしは使徒たちの中で一番小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりも多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。神から与えられている恵みと祝福の大きさを知ること、そしてそれに感謝すること、そこからわたしたちの宣教活動のすべてが始まるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの命のみ言葉は天地創造の初めから、旧約聖書のイスラエルの歴史をとおして、また初代教会と2千年の教会の歴史をとおして、いつまでも永遠に変わることなく、救いのみわざを前進させます。どうか、この国とこの世界においても、そしてわたしたちの教会においても、わたしたち一人一人においても、あなたの命と恵みに満ちたみ言葉が生きて働きますように。また、わたしたちがあなたのみ言葉の命と恵みにお応えして、あなたの救いのみわざの証人として用いられますように、祈ります。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

1月4日説教「荒れ野の道へと導かれた出エジプトの民」

2026年1月4日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記13章17~22節

    マタイによる福音書4章1~11節

説教題:「荒れ野の道へと導かれた出エジプトの民」

 出エジプト記を主日礼拝説教のテキストとして取り上げ、一昨年から続けて読んできました。出エジプト記はイスラエルが神に選ばれた民、信仰共同体として誕生したその起源を描いています。出エジプトの出来事は、のちのイスラエルの歴史にとって、また旧約聖書全体の信仰と神学にとって、その原点になっています。それだけでなく、出エジプトの出来事は新約聖書で描かれている主イエス・キリストによる救いの出来事の原点でもあるのです。そのことを念頭に置きながら、きょうは13章17節からのみ言葉を学んでいくことにします。

 【17~18節】。イスラエルの民は、彼らの正月であるニサンの月の14日の夕方(太陽暦では3月下旬から4月上旬にかけて)、家ごとに子羊を屠り、子羊の血を家の門とかもいに塗り、家族で最初の過越しを祝う食事をし、夜中から明け方にかけて彼らは急いでエジプトの国から脱出しました。12章37節には、「イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した」と書かれています。ラメセスは1章11節にあるように、彼らが強制労働によって建てた倉庫の町です。エジプト、ナイル川河口のデルタ地帯にある町で、イスラエルの民はエジプトに移住して以来400年余りの期間、その地域に住み、最後には奴隷の民として重労働を強いられていました。

スコトの位置は明確には特定されていませんが、13章18節には「葦の海に通じる荒れ野の道」とありますから、ラメセスからは南東方向の紅海へと向かったと考えられます。しかし、この道は荒れ野の道に向かう迂回路であったと書かれています。これはどういう意味かと言えば、ラメセスから北東方向へ進めば、すなわち地中海沿岸へと向かえば、当時からペリシテ街道と呼ばれていた、よく整備された道が地中海沿岸を通ってパレスチナ地域のガザにまで伸びていて、その道がエジプトからパレスチナまでの最も近い道であったのに、しかし主なる神は彼らをその最も近い道であるペリシテ街道には導かれず、南の方の荒れ野の道(シュルの荒れ野と呼ばれていた)へと導かれたというのです。

 なぜ、神はイスラエルの民をペリシテ街道へではなく、荒れ野の道へと導かれたのか、その理由は、「民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれないと、思われたからである」と説明されています。ペリシテ街道の名前は、地中海沿岸地帯に住んでいたペリシテ人に由来していますが、このペリシテ人は早くから鉄器加工の技術を持っていて、鉄の武器を持つ好戦的な民族でした。また、そのペリシテ人の侵入を警戒して、エジプトはこの街道に強力な軍隊を派遣していました。そのような事情から、もしイスラエルの民がこのペリシテ街道を通過すれば、エジプト軍かペリシテ軍のいずれかとの戦いを余儀なくされるに違いあるません。更に、イスラエルの民は夜中に急いでエジプトを出てきましたので、戦いのための武器を持ってはいませんでしたし、もともとエジプトでは奴隷の民でしたから、軍隊の組織をも持っていません。もし戦争に巻き込まれれば、彼らの敗北と死は明らかでした。

そこで神は、イスラエルの民を戦いと死から回避するために、ペリシテ街道ではなく、荒れ野の道へと導かれたのだと説明されているのです。エジプトのラメセスからペリシテ街道を通ってカナンの地へと行くには、直線距離で3、4百キロメートルであり、ゆっくりと移動しても1、2か月で到達することが可能であったのに、しかし神はイスラエルの民を荒れ野(砂漠地帯)へと導かれ、しかも40年という長い期間にわたって、彼らは荒れ野の困難な旅へと導かれたのでした。

そこには、イスラエルに対する神の深いみ心があったのでした。神は彼らがエジプトやペリシテの軍隊によって滅ぼされることをよしとはなさいませんでした。また、彼らが戦いを恐れてエジプトに帰ろうとすることをもよしとはされませんでした。神は、族長アブラハム、イサク、ヤコブに約束されたカナンの地へと彼らを導かれるために、最もふさわしい道を備えられたのです。それが、神が彼らを最も近いペリシテの道へと導かれなかった第一の理由であったと出エジプト記は説明しています。

ところで、わたしたちはここで別の疑問に答えなければなりません。では、ご自身が選ばれた民イスラエルを安全に約束の地カナンへと導かれるのに、神はなぜ荒れ野の困難な道をお与えになったのか。しかも、40年間という長い期間を経なければならなかったのか。もっと近い道、もっと楽な道、もっと速やかにたどり着ける道はなかったのだろうかという疑問です。イスラエルが荒れ野を40年間の旅をしたその道のりを出エジプト記やその他の歴史書から再現する試みが行われています。イスラエルが歩んだ道は、エジプトのラメセスを出発して、その西南のスコテへ、更にその西南の葦の海、それは今日のスエズ湾・紅海の北側と考えられていますが、そこでいわゆる紅海の奇跡を経験して、その後はアラビア半島を南下し、今のサウジアラビアの南端に位置するモーセの山(シナイ山)で十戒を授けられ、その後はアラビア半島を北上してパランの荒れ野やツィンの荒れ野と呼ばれる砂漠地帯を行ったり来たりするという複雑な道のりです。

その荒れ野の40年間の旅について、申命記が別の目的を記していますので、その箇所を読んでみましょう。【申命記8章2~6節】(294ページ)。ここでは、イスラエルの民の荒れ野の40年間の旅の意味、目的がいくつも語られています。まず、彼らが荒れ野の困難と苦しみの中で神のみ言葉に聞き従って生きるかどうかを神が知るためであったということです。荒れ野には人間が生きていくために必要なものがほとんどありません。そのような中で、ただ神だけを頼りにして生きるべきことを、彼らは学んだのです。神の言葉に聞き従って生きるべきことを学んだのです。なぜならば、ただ神だけが彼らの命を支え、養う、唯一の生ける神、命の神だからです。神は彼らに、いまだかつて誰も食べたことがない、不思議な食べ物、マナを天から降らせて、彼らを日々養われました。

また、神は彼らの日常生活に必要なものすべてを備えてくださいました。服も靴も、住むテントも、彼らは何一つ不自由しませんでした。神はイスラエルの民を荒れ野へと導かれ、生きるに必要な物が何もない場所で、ご自分の愛する者たちを訓練されます。豊かで有り余る物を所有することによって、傲慢になり、神を忘れてしまうことがないように、いつでもどのような時でも、すべてを神から感謝して受け取るべきことを彼らは教えられたのでした。

そして、神の言葉に聞き従って、神を恐れるならば、どのような困難な道をも安全に進むことができるということを、荒れ野の40年間の旅で学んだのです。これが、イスラエルの民が荒れ野の道へと導かれた神の意図だったと、申命記は言うのです。のちの時代の預言者もまたこう言っています。エレミヤ書2章2節にはこう書かれています。「主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛、種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす」と。預言者エレミヤにとって、イスラエルの荒れ野の40年間は、神とイスラエルの民との最も親密な関係の時、いわばハネムーンの期間であったのです。神とイスラエル以外には何もない砂漠地帯では、ほかに神とイスラエルとの間に入り込むものが何もなかったからです。その荒れ野で、イスラエルは神の愛の訓練を受けたのです。神以外には他の何ものをも頼りとしない信仰、ただ神にだけにより頼む信仰を学んだのです。

出エジプト記13章に戻りましょう。【19節】。ヨセフはヤコブ(すなわちイスラエル)の12人の子どもの一人でした。ヨセフは兄たちによってエジプトに売り飛ばされ、そこで王ファラオに次ぐ高い位につくようになり、のちになって他の兄弟たちがエジプトに移住するきっかけになりました。創世記50章24節以下によれば、彼はエジプトで死ぬ直前に子どもたちに次のような遺言を残しました。「わたしが死んだら、わたしの骨を約束の地へと携えて行ってください。神は必ずあなた方を顧みてくださり、あなた方を約束の地へと導き上ってくださるからです」と。

神は族長アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたその約束を決してお忘れにはなりませんでした。400年の時を経て、神はイスラエルの民を約束の地カナンへと導かれます。創世記で族長たちの神として彼らを導かれた神は、出エジプト記においても、彼らイスラエルの神として、荒れ野の40年間と、そののちのカナンの地でのイスラエルの歩みのすべてを導かれます。そしてまた、それから千数百年後の主イエス・キリストの誕生から新たに始まった教会の民の2千年間の歩みのすべてをも、神は変わることのない愛と恵みとをもって、導いてくださったことをわたしたちは知っています。これから先も、終わりの日に神の国が完成されるまで、神はご自身の民を変わることなくお導きくださることを、わたしたちは信じます。

最後に、【20~22節】。ここでも、わたしたちは創世記から出エジプト記へと続いているイスラエルの民の信仰を読み取ることができます。創世記から出エジプト記の間には400年以上の年月の経過があります。その間、イスラエルの民はエジプトに寄留していました。その間の記録は聖書にも聖書以外にもほとんどありません。でも、神の約束は全く変わりませんでした。イスラエルの信仰もまた変わりませんでした。創世記の最後、50章24節以下に記されているヨセフの遺言が、今、4百数十年を経て実現したのです。すでに地上を去ったヨセフの信仰が、4百数十年を経て、ここで満たされるのです。神の約束が成就するとき、信仰者の信仰もまた満たされます。

「昼は雲の柱、夜は火の柱」という語句は、出エジプト記の中でも他の聖書でも、繰り返して用いられています。出エジプト記の最後を読んでみましょう。【40章34~38節】(162ページ)。雲や火は神の臨在のしるし、神がそこにいますというしるしとして、聖書でしばしば用いられます。神はイスラエルの荒れ野の40年間の旅を、昼も夜もいつも絶えず彼らと共にいてくださり、彼らの道を守り、必要なすべての物を備え、導かれました。雲は神の臨在を表すとともに、神の栄光を表し、神のその雲によって彼らが進むべき道を示し、また昼の砂漠地帯の熱い太陽から彼らを守りました。火もまた神の臨在を表し、暗い夜の闇を照らし、闇の恐怖と野獣の攻撃から彼らを守りました。荒れ野の40年間は、まさに神とイスラエルの民との最も親密で、純粋な交わりと共存の時でありました。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、この年の最初の主の日の礼拝にわたしたちを呼び集めてくださいました幸いを心から感謝いたします。今も生きておられ、わたしたちの救いのためにお働きくださる主なる神が、この年もまた、日々わたしたちと共にいてくださいますように。そして、わたしたちが心から喜んであなたのご栄光のためにお仕えしていく一年となりますように、お導きください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。