2025年7月6日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:イザヤ書42章1~4節
ローマの信徒への手1紙章1~7節
説教題:「キリスト・イエスの僕、パウロ」
ローマの信徒への手紙は、使徒パウロがローマにある教会の信徒たちにあてて書いた手紙です。「ローマの手紙」とか「ローマ書」(ロマ書)と言ったりもします。ローマの教会がいつころ、どのようにして誕生したのかについは分かっていません。パウロ自身やパウロに関係した使徒のだれかが宣教活動をしてできたのではなく、他の町で福音を聞いた信仰者がローマに行って伝えたか、あるいはローマに移り住んだか、そのような信仰者が集まってできた教会と推測されます。「すべての道はローマに通じる」と言われていた時代ですから、パウロや他の使徒たちがローマに入る前に、各地から信仰者たちが集まって来て教会が誕生したとしても不思議ではありませんが、それ以上に、主イエス・キリストの福音そのものが持っている大きな力と命が、この世界の中心都市にまで、これほどまでに早く、主キリストの教会を建てさせたのだと言うべきでしょう。
ローマの教会にはユダヤ人でキリスト者になった人たちもいたと思われますが、手紙の内容などから判断して、いわゆる異邦人キリスト者、広く言ってギリシャ人キリスト者が大半を占めていたようです。教会の規模は分かっていませんが、たとえ小さな群れであったとしても、ローマ帝国の首都であり、世界の中心都市であるローマに建てられたこの教会の存在意義は、パウロにとっても、初代教会全体にとっても、大きな意味があったのは言うまでもありません。
パウロがいつごろこの手紙を書いたのかについては、これもはっきりとした年代は分かりませんが、パウロの第3回世界伝道旅行の終わりころ、紀元57年から58年にかけてと推測されます。
この手紙を書くことになった直接的な動機については、15章22節以下などから読み取ることができます。パウロは計3回にわたる伝道旅行を行い、小アジア地方やギリシャまでの地中海沿岸の町々に教会が建てられていきました。今や、パウロの目は世界の首都であるローマへと向けられています。さらには、ローマから世界の西の果てと言われていたイスパニア(今のスペイン)へ主キリストの福音を宣べ伝えるという、壮大な計画を抱いていました。ローマの教会を拠点にしてイスパニア伝道をしたい、そのために、ローマの教会の協力を得たいというのが、この手紙を書いた動機の一つでした。
それとともに、パウロはローマで主キリストの福音を語ることに特別な意味を見いだしていたことにも注目したいと思います。第3回世界伝道旅行の終わりころ、それはちょうどこのローマへの手紙が書かれた時期と同じですが、パウロがエフェソに滞在していた時に、彼はこのように言っています。使徒言行録19章21節ですが、【21節】(252ページ)。それから、彼が第3回伝道旅行を終えてエルサレムを訪問し、そこで捕らえられ、ユダヤ最高法院で裁判を受けていた夜に、彼は主なる神のみ声を聞きました。【23章11節】(260ページ)。世界の中心都市ローマで福音を語りたいというのは、パウロの切なる願いであっただけではなく、それはまた主なる神の深いみ心であったのです。
なぜでしょうか。ローマ書や使徒言行録には具体的に書かれてはいませんが、わたしたちには直ちに推測ができます。すなわち、世界の巨大帝国ローマで、その中心都市であるローマで、そしてそこに君臨していたローマ皇帝の前で、世界の最高支配者はローマ皇帝ではなく、主イエス・キリストである、このこと語ることこそが、使徒パウロの最大の願いだったのです。全人類の罪のために十字架で死なれ、すべての人に罪のゆるしと永遠の命を与えるために、三日目に復活された主イエス・キリスト、今は天の父なる神の右に座しておられ、終わりの日には、来るべき神の国の永遠の王として君臨されるであろう主イエス・キリスト、この方こそが唯一の、まことの王であり、救い主であるという福音を語るためです。パウロがこの手紙を、そのローマの教会に書いたのもまた、同じ理由によるということは言うまでもありません。
では、そのパウロの切なる願いはどのようにして実現するのでしょうか。わたしたちはさらに先に使徒言行録を読み進んでいくと、それが明らかになります。エルサレムで捕らえられ、裁判を受けたパウロは、神を冒涜した罪と民衆を扇動して暴動を起こそうとしたという罪で有罪判決を受けますが、彼はローマの市民権を持っていたことから、ローマ皇帝に上訴することにしました。それから数年後に、パウロはローマで裁判を受けるために、囚人の一人としてローマに護送されることになったのです。使徒言行録の終わりの箇所を読んでみましょう。【28章30~31節】(271ページ)。ここには、「まったく自由に何の妨げもなく」と書かれています。パウロは有罪判決を受けた囚人でしたが、しかし、この世のどのような鎖によっても彼と彼が携えている神の国の福音を縛りつけておくことは決してできないのだということを、わたしたちは世界の巨大帝国の首都ローマでも、はっきりと知らされるのです。
わたしたちはこれから、ローマの信徒への手紙を主日礼拝で読んでいくことになりますが、それに先立って、もう一つのことを確認しておきたいと思います。ローマの手紙は、キリスト教会の歩みにおいて、最も強い影響力を持つ聖書であるということは否定できません。特に、キリスト教の教理を形成するうえで、ローマの手紙が果たした役割、今も果たし続けている役割は、どんなにに強調しても強調しすぎるということはありません。
そしてまた、16世紀の宗教改革においては、ローマの手紙は教会改革と新しいプロテスタント教会の誕生の命と力の源泉となったということを、わたしたちは知っています。宗教改革者ルターもカルヴァンも、ローマの手紙の聖書研究をとおして、当時のローマカトリック教会の律法主義的で、人間のわざや働きを重んじる功利主義的な信仰を批判し、真の福音主義的信仰を再発見したのでした。
ドイツ生まれのマルチン・ルターはローマの信徒への手紙について、「パウロのこの手紙は最も明らかな福音である」と言っています。ルターは1515年から翌年にかけて、ローマ書の注解書を書き、続いてガラテヤ書の注解書を書きましたが、それが1517年の宗教改革ののろしを上げる原動力となりました。また、フランス生まれのジャン・カルヴァンは「この手紙を理解する者は全聖書を理解する扉を開く」と言っています。
20世紀の神学者カール・バルトは1919年の初版発行以来、何度か版を重ね、改定したローマ書の注解書を書いていますが、1956年のローマ書注解書の序文で、「ローマ書の場合、それを学びつくすということはあり得ない」と述べたあとで、こう続けています。「この意味で、ローマ書はこれからもなお『待ち続けている』。そして確かにこのわたしをも『待っている』」と。
今日に至るまで2000年の教会の歩みの中で、どれほど多くの説教者や神学者、研究家がこのローマ書と真剣に、また情熱を傾けて、取り組んできたことでしょうか。どれほど豊かで、また喜ばしい主キリストの福音を、この書から読み取ってきたことでしょうか。そして確かに、ローマ書は、これからこの書を続けて読んでいこうとしているわたしたちをも待っています。あふれるばかりの豊かな福音の恵みを用意して、わたしたち一人一人によっても、読まれ、理解され、そして信じられることを待っています。わたしたちもまた大きな期待をもって、きょうから、ご一緒にこの書を学んでいくことにしましょう。
まず、ローマ書の全体の構造を簡単にみていきましょう。1章1節から18節までは、手紙の序文にあたります。ここには、手紙の差し出し人からのあいさつと執筆の動機、またこの手紙の主題とも言える内容が書かれています。1章19節から3章20節までには、神のみ前にある人間の罪について書かれています。これを第一部と考えてよいでしょう。第二部は、3章21節から11章の終わりまで、主イエス・キリストによって成就された罪のゆるしの福音について詳しく書かれています。そして、第三部は、12章1節から16章の末尾までは、救われた人の感謝の生活、信仰者の実践についてと終わりのあいさつ。
ローマ書のこのような3部形式は、宗教改革以後の信仰問答書や信仰告白文の構造に受け継がれていきました。代表的なものは、1563年に制定された『ハイデルベルク信仰問答』です。第一部、「人間の罪と悲惨について」、第二部「人間の救いについて」、第三部「救われた人の感謝の生活について」という構成になっています。その形式を受け継いだ『日本キリスト教会小信仰問答 1964年版』も同様の構造です。
あと残された時間はわずかですが、この手紙の差し出し人であるパウロのあいさつの言葉の中の「キリスト・イエスの僕」について少し触れたいと思います。1節から7節のあいさつの部分は当時の手紙の書式にならっています。最初に手紙の差し出し人の名前と自己紹介、次に受け取り人の名前、そして差し出し人から受け取り人へのあいさつの言葉が続きます。
1節の冒頭のギリシャ語は、「パウロ、僕、キリスト・イエスの」という語順になっています。「僕」とは文字通りには「奴隷」のことです。パウロはまず「自分はキリスト・イエスの奴隷である」と自己紹介しているのです。奴隷制度があった時代ですから、イスラエルでは奴隷の売買は禁じられていましたが、奴隷という言葉は、今日のわたしたちが考える以上に強い響きを持っていたことは確かでしょう。奴隷は社会の最も低い階級に属し、自ら何の権利をも与えられず、生殺与奪の権利は彼の所有者である主人にありました。主人の意のままに働き、行動し、時には主人のために命をも投げ出して、主人に徹底して仕え、服従する、しかも自らの誉れを一切求めない、それが奴隷です。
そのような奴隷・僕という言葉は、聖書の中では、旧約聖書でも新約聖書でも同じですが、全く新しい、特別な意味を含んで用いられています。旧約聖書では、イスラエルの王や預言者などが「主なる神の僕」と呼ばれています。これには二つの意味が含まれていました。一つは、主なる神の所有とされ、主なる神のみに仕え、主なる神のみ言葉に徹底して服従する、文字通り神の奴隷であり、主人である神に自分の命と存在のすべてを握られているという意味です。
もう一つには、主なる神が自分の命と存在のすべてを大いなる愛をもって支え、深いみ心で守っていてくださるという意味です。神はわたしの主、わたしの所有者として、わたしの体と魂にとって必要な一切のものをもって、わたしを満たし、養ってくださる。そして、わたしをあらゆる危険や誘惑から守ってくださる。神はわたしを他の何ものにも引き渡すことなく、永遠に唯一のわたしの主でいてくださる。それゆえに、わたしは他の一切のものの支配から自由であり、他の何ものの奴隷となることはない。それがもう一つの意味です。
パウロが主イエス・キリストの福音を信じるキリスト者として、「わたしは主イエス・キリストの僕である」と告白するときには、その意味はより一層明確です。パウロにとって、またわたしたちすべてのキリスト者にとっても、「主キリストの僕」という告白は、最高に名誉ある、そしてまた感謝と喜びに満ちた自己紹介なのです。
(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたがご自身の一人子を賜わるほどにわたしたち一人一人を愛してくださったその大きな愛によって、わたしたちを主イエス・キリストの僕としてくださったことを覚え、感謝いたします。自由と喜びとをもって、わたしの唯一の救い主であられる主イエス・キリストにお仕えする者としてください。
〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。世界の為政者たちが主なる唯一の神であるあなたを恐れる者となりますように。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。