5月12日「エルサレム教会への援助」

2024年5月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記8章1~10節

    使徒言行録11章27~30節

説教題:「エルサレム教会への援助」

 使徒言行録11章19節からアンティオキア教会の誕生とその成長について書かれています。アンティオキア教会の誕生が紀元1世紀の初代教会にとって、またその後の2千年の世界の教会にとって、いかに大きな意味を持っていたのかをこれまで学んできました。もう一度、それをまとめておきましょう。

 第一には、アンティオキア教会はユダヤ人キリスト者とユダヤ人以外の異邦人キリスト者(ギリシャ人キリスト者と言ってもよい)の両者で形成された最初の教会であったということです。第二には、この教会でユダヤ人以外の異邦人に対する伝道活動が、初めて積極的・組織的に行われるようになったということ。第三に、母なる教会であるエルサレム教会から派遣されたバルナバによって、この教会にパウロが呼び寄せられ、彼ら二人の指導によってこの教会が急激に成長し、さらにはこの教会を拠点として、パウロの計3回の世界伝道旅行が行なわれるようになったということです。

これにもう一つ付け加えるとすれば、この教会で初めて信者がクリスチャン、すなわち主キリストに所属する人たち、主キリストのものとなった人たちと呼ばれるようになったということです。この呼び名は今日まで続いています。わたしたちもまた、洗礼を受けてキリスト者、クリスチャンになることによって、わたしはもはやわたしのものではなく、他のだれかや何かのものでもなく、わたしのために十字架で死んで、三日目に復活された主イエス・キリストの所有とされ、主キリストに属するものとされているのです。

1563年に制定された『ハイデルベルク信仰問答』の印象深い第1問ではこのように教えられています。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」。「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであるということです」。ここにこそ、わたしが生きる時にも、わたしが死ぬ時にも、わたしの唯一の、永遠の慰めがあるのです。

きょうの礼拝では、使徒言行録11章27節以下に書かれている、アンティオキア教会から始まったもう一つのこと、エルサレム教会に対する援助の献金について学びます。そのきっかけとなったのが世界的規模の大飢饉であったと使徒言行録は報告しています。【27~28節】。使徒言行録の中では、ここで初めて教会の預言者が登場します。アガポは21章10節以下では、パウロがエルサレムで受ける迫害を予告する預言者としてもう一度登場します。

初代教会のおける預言者活動について少し考えてみましょう。アガポ以外にも、初代教会ではかなりの数の預言者が活躍していたことがパウロの書簡からも確認されます。けれども、紀元1世紀の終わりころからは、預言者はほとんどいなくなりました。その理由として考えられるのが、新約聖書が次第に書物として編集されるようになり、福音書やパウロの書簡などが書かれ、書物となって教会で読まれるようになったことと関係していると思われます。また、キリスト論とか三位一体論とかのキリスト教教理が次第に確立していったこともその理由となったでしょう。それによって、書かれた聖書が教会で朗読され、解き明かされ、預言者の務めは教師や牧師、説教者の務めへと変わっていったと考えられます。

元来、旧約聖書の預言者の務めは、神がお語りなったみ言葉を預かり、それを人々に語ることでした。アモスやホセア、イザヤ、エレミヤなどの預言者たちは、神がイスラエルの民と世界の歴史の中で行われる救いの出来事を語りました。そして、その救いのご計画が、やがて神から遣わされるメシア・キリスト・救い主によって成就されることを預言しました。主イエスがこの世においでになり、十字架と復活のみわざによって、神の救いが成就しました。福音書や使徒言行録、またパウロの書簡などによって、主イエスの救いのみわざが全世界のすべての人を罪から贖い、救うという神の救いのみわざを完全に成就したことが証しされました。神は救い主なる主イエス・キリストによって、わたしたちの救いにとって必要なみ言葉を十分にお語りになりました。もはやこれ以上、新しい神の言葉を付け加える必要がないと教会が判断したことによって、預言者の活動が必要なくなったのです。

このことを確認しておくことは、今日のわたしたちにとっても非常に重要な意味を持ちます。教会の2千年間の歴史の中で、繰り返して異端的な教派が発生しました。そのすべては、「我は預言者なり。イエスがまだ語っていなかったことを、神はわたしに語った」と主張する教祖によって造り出されています。統一教会、エホバの証人、モルモン教、その他のキリスト教の異端はみな同じです。わたしたちはそれに惑わされてはなりません。

 さて、アガポが預言した大飢饉がクラウディウス帝の時に起こったと書かれています。クラウディウスはローマ帝国第4代目の皇帝で、在位期間は紀元41~54年でした。その時代の大飢饉については、聖書以外の資料にも記録があり、それらを参考にすると、紀元47年のことであったと推測されています。この年はまたユダヤ人の安息年とも重なっていたことが、エルサレム市民の食糧不足を一層深刻にしたと考えられます。安息年というのは、旧約聖書のレビ記25章や申命記15章に定められている律法で、ユダヤ人にとって土地は神から貸し与えられたものなので、7年ごとの安息年には休耕にして土地を休ませなければならないという規定です。それと、天候不順による飢饉とが重なって、食料不足に拍車をかけたということのようです。

そのような理由から、エルサレム教会では飢饉の影響をまともに受け、多くの教会員の家庭でも食べ物に不自由していたようです。【29~30節】。アンティオキア教会では困窮していたエルサレム教会を援助することを決議し、各自が自分たちの力に応じて、献金や食料などをささげ、それをバルナバとパウロに託してエルサレム教会に届けました。この時のエルサレム教会の援助は世界規模の大飢饉がきっかけでした。また、これがどれくらいの期間続けられてのかはっきりしていませんが、のちに書かれたパウロの書簡から、エルサレム教会への援助は、こののちにもアンティオキア教会だけでなく、全世界に建てられたすべての教会が行なっていたということが知られています。飢饉による食料不足をきっかけにして始められたエルサレム教会への援助が、その後も継続的に続けられ、それが初代教会全体にとって大きな意味を持つことになったのです。

パウロはエルサレム教会の貧しい信徒たちへの援助を、のちに建てられたすべての教会の信仰的な使命であると語っています。しかも、かなりの紙面を割いて、力を込めて語っているのです。その主な個所を挙げると、ローマの信徒への手紙15章25~33節、コリントの信徒への手紙一16章1~4節、同二9章1~15節です。その中から2箇所を取り上げて読んでみましょう。

【ローマ手紙15章25~27節】(296ページ)。次に【コリント手紙二9章11~15節】(335ページ)。これらの箇所で語られている内容をまとめてみましょう。エルサレム教会への援助に関して、パウロが第一に重要なことと考えていたのは、世界最初に誕生したエルサレム教会は主イエス・キリストの福音という霊的な賜物の源泉なのであって、のちに建てられた教会はエルサレム教会の霊的な賜物を分かち与えられているのであり、その感謝のしるしとしてエルサレム教会を援助することは、母なるエルサレム教会に対する義務なのだというのです。そして、世界の教会が母なる教会であるエルサレム教会に対してその義務を忠実に果たすことによって、エルサレムで起こった主イエス・キリストの出来事が、すなわち、十字架と復活と聖霊降臨と教会誕生の出来事が、その救いの出来事が、いかに大きな神の恵みであるか、豊かな霊的な賜物であるかが、全世界の教会に明らかにされていくのだというのです。

もう一つ、パウロがエルサレム教会への援助によって重要だと考えていたのは、貧しい人々への惜しみない援助によって、神の豊かな愛と恵みを証しするということです。エルサレム教会に対する援助は、貧しい人たちを支援するということにとどまらず、否それ以上に、神の限りない愛と恵みに対する感謝の応答だということです。罪びとであるわたしたちに神から与えられた主イエス・キリストの福音の恵みに、喜んで仕えていることの確かなしるしなのです。主イエス・キリストの救いの恵みを与えられた人は、その感謝の応答として、自ら喜んで他の人々に仕え、惜しみなく他者に分かち与えるのです。それによって、人々はそこに限りない神の愛と恵みとを見いだし、神をほめたたえるようになるのです。

旧約聖書の中で、神はすでにそのことをイスラエルの民に教えておられます。貧しい人たちや、夫に先立たれた寡婦たち、親を失った孤児たち、国の中で権利を持たない寄留の他国人、そのような社会的な弱者たちに対して、イスラエルは特別な愛やいたわり、やさしい配慮を持つようにと律法で命じられていました。ぶどう園の所有者は収穫の際に、枝の隅々からすべてを収穫しないで、少し残しておくように命じられていました。麦の収穫の際に畑に落ちた麦の穂を拾い集めてはならないと命じられていました。貧しい人たちが夕方畑に自由に入って、それらを拾い集めることが許されていました。それによって、イスラエルの民は、自分たちもまた寄留の地、奴隷の家であるエジプトから、神の強いみ手によって救い出されたことを覚え、感謝し、そのことを世界に向かって証しし、それによって全世界のすべての民が主なる神をあがめるようになるのです。

最後に、29節で「援助の品」と訳されているもとにギリシャ語は「ディアコニア」です。教会の奉仕活動や執事の務めに関して用いられる言葉です。世界的な大飢饉とそれによるエルサレム教会の困窮をきっかけにして始められたアンティオキア教会の援助活動は、そののちの教会のディアコニアの働きの基礎にもなったと言えます。わたしたちの教会にとっても、このディアコニアの働き、活動が大きな課題であると言えます。共に考えていきましょう。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたが世界に主キリストの教会をお建てくださり、この教会をとおして今もなお救いのみわざを前進させてくださいますことを覚え、感謝いたします。教会が正しく主キリストの福音を宣べ伝え、またあなたの愛と恵みとをすべての人々に分かち与える務めを、忠実に果たしていくことができますように、教会に集められている一人一人をあなたがお導きください。

〇主なる神よ、日本の教会も世界の教会も弱っています。今日の混乱した世界に対して、教会が福音のメッセージを力強く発信し、あなたの義と愛とを大胆に証しすることができますように、聖霊の力で満たしてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

5月5日説教「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」

2024年5月5日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書43章1~7節

    ルカによる福音書10章17~20節

説教題:「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」

 主イエスが72人の働き人たちをお選びになって、神の国の福音を宣べ伝えるために派遣されたことが、ルカによる福音書10章の初めに書かれていました。彼らは収穫のための働き人と言われていました。失われている人間の魂を神のために収穫する働き人です。神を失って死んでいた人間の魂を、再び神のもとへと呼び返して、罪のゆるしとまことの命に生かすための働きです。

 この72人の弟子たちの派遣は、のちに主イエスの十字架と復活後、また聖霊降臨と教会誕生後になって、教会が全世界に出て行ってすべての民に主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることを象徴しており、またそのことの先取りであるということを、わたしたちはすでに学びました。

 きょうの礼拝で朗読された17節からは、派遣された72人が主イエスのもとへと帰って来て、宣教活動の報告をしたことが記されています。17節に、「七十二人は喜んで帰って来た」と書かれています。彼らは主イエスによってこの世か選び出され、主イエスの働き人としてこの世へと遣わされ、そして再び主イエスのもとへと帰ってきて報告をします。この繰り返しが、わたしたちの教会の原型です。また、主の日ごとの礼拝の原型です。それから、わたしたちキリスト者の信仰生活の原型でもあります。

 わたしたちは主イエスによってこの世から教会へと召し集められ、主の日ごとの礼拝をささげ、主イエスの十字架の福音によって罪をゆるされ、神の国の民とされます。そして、「あなたは出て行ってすべての人に福音を宣べ伝えなさい」との主イエスの命令を聞き、この教会から、この礼拝から、それぞれの場へと派遣されて行きます。また、一週間後の主の日の礼拝で、再び主イエスのもとへと帰って来て、一週間のわたしたちの歩みを主イエスに報告し、悔い改めと懺悔とをもって、罪のゆるしの福音を聞くのです。秋田教会の一年に一度の定期総会や、日本キリスト教会大会と中会の定期総会も、そのような意味合いを持っています。このように、選び、招集、派遣、そして帰還、報告、この繰り返しが起こる場が教会であり、また礼拝であり、わたしたちの信仰の歩みなのです。

 「喜んで帰って来て」と書かれています。彼らの喜びは、「お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」という伝道活動の成果に対する喜びであると同時に、再び主イエスのみもとに集うことの喜びでもあり、さらには再び主イエスにお会いできる喜びでもあります。教会は復活して今も生きておられる主イエスと出会う喜びに満ちている所です。礼拝は主イエスと再会する喜びに満ちた時です。たとえ教会がどれほどの伝道の成果を上げたとしても、多くの信者が集まろうとも、そこで主イエスとの出会いと再会がないならば、本当の喜びを経験することはできません。

 「お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と弟子たちは報告しています。これは、弟子たちの能力や働きによる成果ではありません。「お名前」、すなわち主イエスのお名前による、主イエスのお名前の働きです。弟子たちに主イエスのお名前の力と権威とが与えられていたからです。弟子たちの奉仕をとおして、主イエスご自身が働いておられたからです。

 主イエスは18~19節でこのように言われました。【18~19節】。主イエスは父なる神の権威と権能によって、悪霊とサタンとを支配され、それに勝利しておられます。主イエスはこれまで何度も悪霊に取りつかれた人から悪霊を追い出されました(4章31節以下、41節、6章18節)。マタイ福音書4章9節には、主イエスが悪魔の誘惑を受けられた時に、「退け、サタン」とお命じになると、悪魔は主イエスから離れ去ったと書かれています。また、ルカ福音書11章20節ではこのように言われました。「しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。

 主イエスがこの世においでになられたことによって、神の恵みと救いのご支配が始まり、悪霊とサタンの支配はもはや終わりを告げられたのです。そして、主イエスは悪霊とサタンに勝利する権威を弟子たちにお与えになりました。したがって、弟子たちは自分たちの働きを誇ることはできませんし、またどのような悪霊やサタンの力を恐れる必要もありません。

 ところで、聖書にはしばしば悪霊とかサタンという言葉が出てきます。それが重い病気の原因となったり、人間を悪の行為に誘ったり、あるいはまた人間を不信仰にしたり、神と敵対させたりする力を持っているのが悪霊であり、またサタンの働きと考えられていました。科学的な理解が強くなった現代のわたしたちには理解困難な点もありますが、分かりやすく説明するならば、悪霊やサタンとは、神に敵対する力をもって、信仰者を主イエスから引き離そうとするものと言ってよいでしょう。つまり、主イエスはわたしたちを罪と死と滅びの支配から救い出し、父なる神との正しい交わりへと導くのに対して、悪霊やサタンは人間を罪へと誘惑し、わたしたちを神から引き離し、主イエスを救い主と信じる信仰からわたしたちを遠ざけようとし、ついにはわたしたちを滅ぼそうとする力であると言ってよいでしょう。この世にあるすべての人間はこの悪魔とサタンの力に脅かされています。だれも、人間の力や、この世にある何かの力を借りても、悪魔とサタンの力に対抗できる人はいません。すべての人はその支配下に置かれています。

 けれども、ただお一人、主イエスだけが父なる神の権威と力によって、悪魔とサタンの支配を打ち倒され、それに勝利され、神の恵みと救いのご支配をうち立てられました。それを、神の国が到来したと、福音書は語っています。主イエスはこの神の国の福音を説教されました。そして、弟子たちがこの神の国の福音を携えて、この世へと出ていくようにとお命じになりました。今や、神がご自身の一人子なる主イエス・キリストによって、大いなる愛と恵みをもって、この世を支配していた悪魔やサタン、罪の力から人々を解放し、救い出すためのみわざを成し遂げてくださったということを、弟子たちは全世界に宣べ伝えます。弟子たちは、そしてわたしたち教会の民は、主イエスがすでに成し遂げてくださった神の国の福音と救いのみわざを証しするのです。

 説教の初めでも触れましたように、72人の弟子たち、働き人たちの派遣は、主イエスの十字架と復活、そして聖霊降臨と教会の誕生ののちになって、教会が全世界に出て行って福音を宣教することの象徴であり、またその先取りでもあります。わたしたち教会の民は、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、確かに人間の罪と死とがその終わりを告げられ、神の恵みと救いが勝利したことを知らされている者たちとして、全世界のすべての人々に主イエス・キリストの福音を宣教する使命を託されています。わたしたちは今、神の恵みと救いが支配する新しい時に生きている者たちとして、感謝と喜びとをもってその使命に生きているのです。

 主イエスは喜んで帰ってきた弟子たちに、20節でこのように言われました。【20節】。ここには喜ぶという言葉が2度用いられています。一つは否定的に、もう一つは肯定的に。それによって両者の喜びを比較しながら、後者の喜びがはるかに大きな喜びであることを強調しています。

 前者の喜びは、「悪霊があなたがたに服従する」という喜びです。この喜びが喜びではないはずはありません。もちろん、弟子たちが自分の能力や努力でそのことができたというのではありませんが。それは主イエスのお力であり、主イエスご自身のみわざです。そうであるとしても、悪霊の支配が終わり、もはや神の恵みのご支配を信じる人は悪霊の力を恐れる必要はないということは、何ものにも勝る大きな喜びです。しかも、それを自分たちの奉仕によって証しすることができるということは、この世の何かを手に入れるよりもはるかに勝る大きな喜びです。主イエスの救いのために奉仕する教会の民はその喜びを経験することをゆるされているのです。

 けれども、主イエスはそのような目に見える成果を喜ぶよりも、もっと大きな喜びがあることを忘れるなと言われます。わたしたちは目に見える成果にとらわれがちです。わずかな成果に有頂天になったり、反対に、成果が期待どおりでないと失望することもあります。そのような成功や失敗に、わたしたちの教会の働きや信仰の歩みが左右されてしまうことがあります。目に見える喜びだけにとらわれていると、それよりもはるかに大きな喜びを見失ってしまうことがあると、主イエスは警告されます。もっと大きな喜びは、「あなたがたの名が天に書き記されていること」です。主イエスはわたしたちの目を地上での成果ではなく、天の神へと向けさせるのです。天にある永遠なるものへと、わたしたちの心と思いとを導くのです。

 「名前が天に書き記される」、これと同じような表現は新約聖書の中にはいくつかあります。フィリピの信徒への手紙4章3節やヨハネ黙示録3章5節などでは、「命の書に名が記されている」と言われ、また、ヘブライ人への手紙12章23節では「天に登録されている」とあります。これは主イエスを救い主と信じる信仰者には、神の国における永遠の命が約束されているということを意味しています。名前を書き記すということは、その名がいつまでもそこで覚えられるということを意味しています。しかも、主なる神によって覚えられているということであり、地上の朽ちるものに書き記されるのではなく、天の永遠の書物に、消え去ることのない文字で書き記されるということです。これは何という大きな恵みであり、祝福であり、名誉であることでしょうか。それゆえに、ここで与えられる喜びは他のどのような喜びよりもはるかにまさった永遠の喜びであるのです。

 神の国の福音のために仕える働き人や、主イエスの十字架の福音宣教のために仕えるわたしたちには、今すでにこのような大きな喜びと祝福とが約束されているのです。わたしたちはこの地上にあってすでに天の喜びと祝福に招き入れられているのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、朽ち果てる者に過ぎないわたしたちを、あなたは永遠の命と救いの恵みとによって養ってくださいますことを、心から感謝いたします。どうか、わたしたちの目と心とを地上の過ぎ去りゆくものから離して、天に向けさせてください。わたしたちをあなたから引き離そうとして、滅びへといざなうすべての悪しき誘惑から、わたしたちをお守りください。

〇主なる神よ、地にあなたのみ心が行なわれますように。人間たちの悪しき思いや、欲望や、争いをあなたが取り除いてくださり、すべての国、すべての民族、すべての人たちがあなたにあるまことの平和と共存を創り出していくために仕える者としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月28日説教「モーセの誕生」

2024年4月28日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記2章1~10節
    使徒言行録7章17~22節
説教題:「モーセの誕生」

 出エジプト記2章1~10節に描かれているモーセ誕生の時代の背景を今一度確認しておきましょう。族長ヤコブ(すなわちイスラエル)の12人の子どもたちとその家族70人でエジプトに移住したイスラエル人は、400年余りの間に急激にその数を増し、大きく強い民族になっていきました。エジプト王ファラオはイスラエル人が反対勢力になることを恐れて、彼らを迫害する政策を考え出しました。最初はイスラエル人の助産婦に、「男の子が生まれたらすぐに殺すように」と命じましたが、神を恐れていた彼女たちはその命令に聞き従いませんでした。そこで、ファラオは次に、「イスラエル人の家に生まれた男の子はみなナイル川に投げ捨てよ」という命令を全国民に出しました。イスラエル人とその家庭は、エジプトの全国民監視のもとで、ファラオの命令に従わなければなりませんでした。
 モーセが生まれたのはそのころ、イスラエル人に対する迫害が最も厳しい時代でした。この状況は、主イエスが誕生された時と非常によく似ています。マタイによる福音書2章によれば、当時のユダヤ人の王ヘロデ大王は、主イエスがお生まれになると預言されていたエルサレム近郊のベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子をみな殺すように命じました。ヘロデ王もまたエジプト王ファラオと同様に、やがて自分の王としての地位が脅かされるようになることを恐れて、最も弱い存在である子どもの命を葬り去ろうとしています。神を恐れず、この世の権力にしがみつこうとする者は、いつの時代にもこのようにして、本来は恐れるに値しない存在を恐れ、その恐れを振り払おうとして、最も弱い者たちを犠牲にするのです.
 しかしまた、主なる神はそのような、人間の罪が最もその罪悪と醜さを浮き彫りにする、まさにその時に、その人間の罪のただ中で、最も偉大なる救いのみわざを遂行なさるのです。奴隷の民イスラエルをエジプトから導き出すために仕えるモーセを誕生させ、そして全世界の民を罪の奴隷から救い出すためにお仕えくださる主イエスをこの世に誕生させたもうのです。迫害と死の恐怖のただ中で、神の奇しき摂理に導かれ、神の強いみ手に守られて、その幼い命が誕生したのでした。神はこのようにして、天地創造の初めから今に至るまで、そして終りの日のみ国が完成されるその時に至るまで、無から有を呼び出だし、死から命を生み出すようにして、驚くべき救いのみわざをなし続けられます。
 では【1~2節】を読みましょう。モーセの両親の名前や兄弟のことについてはここでは紹介されていませんが、6章20節によれば、両親はアムラムとヨケベドという名であり、またモーセにはすでにアロンという兄がおり、ミリアムという姉がいたということが、他の箇所から知られます。このあと2章4節以下で幼子の姉として登場してくるのがそのミリアムと推測されます。また、ミリアムは15章20節以下では、アロンの姉の女預言者として紹介され、いわゆる紅海の奇跡を歌っています。
 2節に「その子がかわいかったのを見て」と書かれていますが、「かわいい」と訳されているヘブライ語は「トーブ」という言葉ですが、この言葉は一般的には、「美しい、整っている」という意味ですが、創世記1、2章では神の創造のみわざについて繰り返して用いられています。1章4節、10節、12節などで、「神はこれを見て、良しとされた」と言われています。その他の箇所でも、「トーブ」というヘブライ語は、一般的に美しい、かわいいというだけではなく、神の創造の秩序に適っている美しさとか、神から与えられた特別な美しさというような意味を持っています。生まれてきた子どもは親にとってはみなかわいいのですが、モーセはそれだけでなく、神から与えられた特別な美しさを持って生まれたのでした。そして、両親はそこに神からの特別な恵みを見たのです。
 使徒言行録7章20節では、この箇所はキリスト教の最初の殉教者となったステファノが死の直前に法廷で証言した説教ですが、そこでは幼子モーセについて「神の目に適った美しい子」と言われています。また、ヘブライ人への手紙11章23節にはこのように書かれています。【23節】(416ページ)。モーセの両親は信仰によって、与えられた幼子に神の特別な恵みと、それゆえに神の特別なみ心を見たのです。そして、この世の王を恐れず、主なる神を恐れたのです。ヘブライ人の助産婦たちも同様でした。それゆえに、モーセの両親は自分の子をこの世の権力者の犠牲にすることによって自分たちの命を守るのではなく、主なる神のためにささげる決断をしたのです。パピルスのかごに入れてモーセをナイル川の葦の茂みに置いたのは、我が子を捨てたのではなく、我が子を神にささげたのです。
 【3節】。幼子が3か月を過ぎると、泣き声が大きくなり、もはや家の中に隠しておくことができなくなります。もし、泣き声をだれかに聞かれたら、直ちに密告されて、家族みんなの命が危険になります。だからと言って、幼子を殺すことはできません。そこで、両親は信仰の決断をします。防水を施したパピルスのかごの中に入れてナイル川の岸辺に置くことにしました。わが子を神ご自身に託したのです。
 3節で「籠」と訳されているヘブライ語は創世記6章のノアの大洪水の箇所で「箱舟」と訳されています。ノアとその家族とが大洪水の際に箱舟に入り、救われたように、幼子モーセもまた小さな箱舟の中で神に守られているのです。モーセの両親は信仰によって、幼子を神のみ手にゆだねたのです。そして、神は確かに不思議な導きによって、幼子モーセを守り、導かれました。
 【4~6節】。「その子の姉」は前にお話ししたように、ミリアムという名前だと思われます。彼女は弟がどうなるのかを見守っています。彼女もまた、信仰の家庭に育ち、信仰と兄弟への愛に満ちていました。
ファラオの王女がナイル川のほとりで水浴びをしているちょうどその時に、流れ着いたかごとその中にいた幼子を見つけました。王女はかごの中で泣いている赤ん坊に目をやり、その子に深い同情心を起こしました。泣いている赤ん坊を見てかわいそうだと思わない人はいないかもしれません。けれども、彼女はエジプト王の娘です。父の命令を知らないわけはありません。しかも、彼女は赤ん坊がヘブライ人の子だということを確かに認識していたと6節に書かれています。父の命令によって、その子は直ちに殺されなければならないのです。そうであるのに、彼女はその子に深い憐みの心を覚え、その子を生かしておこうと思ったのです。それは、なんとも不思議な導きです。そこには神のみ手が働いていたのだと、この箇所を読む読者のだれもが認めるでしょう。神は信仰深いモーセの両親とその家族を導かれたように、この時にもまたファラオの娘をナイル川の岸辺へと導かれ、彼女に憐みの心を起こさせ、その幼子をファラオの宮廷へと導かれたのでした。何と不思議な神の導きであることでしょうか。
 【7~10節】。ここではさらに不思議なことが次々と起こります。7節の「その子の姉」は4節で、「遠くに立って、どうなるかと様子を見ていた」モーセの姉ミリアムのことです。彼女は大胆にも王女に「その子にヘブライ人の乳母を呼んできましょうか」と提案し、しかも彼女の母、その子の実の母ヨケベドを連れてきました。母は王女に雇われて、手当を受け取って、実の子モーセを自分の母乳で育てることになったのでした。このようなことが起こりうるでしょうか。しかも、迫害する側の権力者と迫害される側の市民との間で、このようなことがいったい起こりうるでしょうか。しかし、ここでは、主なる神の見えないみ手の導きによって、この不思議なことが起こっているのです。信仰の家庭、信仰の民はこのようにして主なる神に導かれていくのです。
 迫害されていたイスラエル人の家庭に生まれたモーセが、神の不思議な導きによって、迫害するエジプトの宮廷の中で、迫害の命令を出した王の娘の子どもとして育てられ、ひとたび家から出して神にささげた母親の母乳とその愛の手によって養われ、育てられるという、人間の知恵では考えもつかないほどの奇しき神の救いのご計画の中で、モーセは成長していきました。イスラエル人の幼児虐殺の命令が出されたその宮廷で、モーセはエジプトのあらゆる学問を身につけ、やがてそのエジプトの地からのイスラエル人脱出の時に備えることになりました。神は人間の悪や罪のすべてをお用いになって、ご自身の永遠の救いのご計画を進められます。
 ここでわたしたちは、ヘブライ人への手紙が教えているモーセ自身のこののちの決断について、あらかじめ確認しておく必要があるでしょう。というのは、モーセは神の不思議なお導きによって、ファラオの宮廷で、エジプトの最高の学問を身に着け、何不自由なく成長していくのですが、しかし彼はイスラエル人ではなくなっていくのではありません、エジプト人になるのではありません。ヘブライ人への手紙11章24~26節にこのように書かれているからです。【24~26節】。モーセはこの時すでに主キリストを見ていたと書かれています。主キリストのご受難の道を、主キリストと共に歩んだのだと、この手紙の著者は言います。主キリスト誕生の1200年以上も前のこの時代に、神はご自身が選ばれた旧約の民に主キリストのご受難と十字架の恵みをお与えになっておられるのです。神の永遠の救いのご計画は、昔も今も、いつまでも変わることはありません。わたしたちがそれぞれの人生の中で経験しなければならない苦難や試練の中でも、神の救いのご計画は確かに進められていくのです。
 最後に、モーセという名前の意味についてですが、モーセとはもともとはエジプト語で「息子」という意味であったと考えられていますが、ここではヘブライ語の「引き出す」という意味の言葉と関連づけられています。モーセは水の中から引き上げられた者です。もちろん本来の主語は王女ではなく、主なる神です。神によって水の中から、死の危険から引き上げられ、救い出された者です。モーセはそのようにして神に救い出された者として、やがてイスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出すために神に用いられるのです。

(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたの奇しき摂理によって、奴隷の民イスラエルを導き出すための指導者モーセを誕生させ、あなたの救いのご計画を押し進めてくださいました。あなたは必要な時に必要な働き人を起こしてくださり、あなたの民を絶えずお導きくださいます。どうか、わたしたち一人一人をもあなたの救いのみわざのための仕え人としてお用いください。全世界の教会、アジアの諸教会、日本の諸教会をお導きください。それぞれの地で、あなたのご栄光を現わすためにお仕えする群れとなりますように。
〇天の神よ、試練や苦難の中にある人、重荷を負っている人、病んでいる人、飢え乾いている人、迫害を受けている人、すべてあなたの助けを求めている人に、あなたの力強い助けのみ手を差し伸べてください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月21日説教「聖書はイエス・キリストを証しする」

2024年4月21日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(32)

聖 書:イザヤ書42章1~9節

    ルカによる福音書24章44~49節

説教題:「聖書はイエス・キリストを証しする」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の3段落目、「旧・新約聖書は神の言(ことば)であり、その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です」。きょうはこの中の「主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し」という箇所について、聖書のみ言葉から学んでいきます。

 まず、この文章の主語は何かを、改めて確認しておきましょう。「主イエス・キリストを顕らかに示し」の主語は、すぐ前の「聖霊」ですが、その聖霊は「その中で」、すなわち「旧・新約聖書の中で」語っておられると、いう具合に、順に前の方につながっていく文章になっています。一般的には、「旧・新約聖書はイエス・キリストを顕らかに示している」と告白されるべきところを、「旧・新約聖書の中で語っておられる聖霊なる神が、主イエス・キリストを顕かに示している、あるいは証ししている」という告白になっていることが分ります。このように、聖書に書かれている神の言葉と聖霊なる神のお働きとが固く結び合わされているという点が、わたしたちの『信仰告白』の大きな特色です。

 前回も学んだように、聖書の第一の著者は聖霊なる神です。聖霊なる神が、旧約聖書時代の預言者や信仰者たちをお用いになって、また新約聖書の福音書記者たちや使徒たちをお用いになって、彼らの筆によって聖書が書き記されたのです。そして、聖霊なる神は今もなお、書かれた聖書の言葉によって、わたしたちに語りかけておられるのです。それゆえに、わたしたちが聖書を読む場合には、聖霊なる神のお導きによらなければ、聖書を正しく理解することはできず、聖書が与える救いの恵みを正しく受け取ることができないということです。聖書の正しい理解者は聖霊であり、またその聖書の言葉によってわたしたち一人一人に信仰を与え、救いの恵みを与えるのも聖霊なる神です。

 次に、「顕らかに示し」という言葉についてですが、1953年制定のいわゆる「文語文」では、「主イエス・キリストを顕示し」となっていましたが、2007年に制定された「口語文」では、漢字をそのまま用いて「顕(あき)らかに示し」と読ませています。この「顕示する」という言葉は、1890年(明治23年)の『(旧)日本基督教会信仰の告白』で用いられていました。ただ、その場所は、今の『信仰告白』のように「聖書論」の中ではなく、一段落前の「聖霊論」の箇所で、「父と子と共に崇められ、礼拝せられる聖霊は我等が魂にイエス・キリストを顕示す」と告白されていました。「聖霊がわたしたちに主イエス・キリストを顕示する」と言われていたのが、今の『信仰告白』では、「聖書が、そこで語っておられる聖霊によって、主イエス・キリストをわたしたちに顕示する」というように変更され、「聖書論」の中で、聖書と聖霊と主イエス・キリストとを結びつけて理解すべきことを強調しています。日本キリスト教会の特徴がより明確にされていると言えます。

 「顕示する」とは、明らかに、はっきりと示す、疑いの余地がないほどに明確に表わすという意味ですが、1890年の『(旧)信仰告白』で最初に用いられましたが、なぜこの言葉が用いられたのかについては分かっていません。わたしたちの教会の大先輩である林三喜雄先生によると、「顕示するとは、教示または指示ではない。人格的顕現である。主イエス・キリストは聖霊においていまここに現在し、活ける主として、聖書をとおして語りかけ給うのである」と解説しています。

 『日本キリスト教会小信仰問答 1964年版』の第5問では、「聖書とは何ですか」という問いの答えとして、「聖書は旧約聖書・新約聖書66巻からなっていて、預言者や使徒たちが聖霊に導かれて書いたものです。それはイエス・キリストを証しし、わたしたちの信仰と生活との誤りのない基準です」と教えています。ここでは、「証しする」という言葉が用いられています。顕示する、証しする、あるいは啓示する、いずれの言葉でも大差はないと思います。重要な点は、わたしたちが何度も確認したように、また林三喜雄先生が強調しておられたように、聖書のみ言葉が生ける、また命と力とを持つ神のみ言葉として、今ここでわたしたちに語りかけられ、またわたしたちに救いの恵みを与える、そのような命と救いのみ言葉として、わたしたちが聞き、信じ、受け入れることができるように、聖霊なる神が働いてくださるのだということです。

 それでは次に、旧約聖書と新約聖書が主イエス・キリストを顕示する、証しするという、『信仰告白』の中心部について学ぶことにしましょう。

 新約聖書が主イエス・キリストを顕示する、証しするということについては改めて説明を必要としないでしょうが、旧約聖書の中にはイエス・キリストというお名前が一度も書かれていないのに、なぜそのように告白されるのでしょうか。

きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書24章44節以下で、復活された主イエスが弟子たちにお姿を現されてこのように言われました。【44~47節】(161ページ)。「モーセの律法」とは旧約聖書の最初の5つの書を指しています。それに「預言者の書と詩編」で、旧約聖書全体を言い表わしています。つまり、旧約聖書はその全体が、「わたしについて」すなわち主イエス・キリストについて書いている。主イエスのご受難と十字架の死と三日目の復活、そして悔い改めと罪のゆるしの福音が全世界へと宣べ伝えられることが書かれている、そのように主イエスご自身が言われました。また、ヨハネ福音書5章39節でも、主イエスはこのように言われました。「あなたたちは聖書の中に(旧約聖書の中に)永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しするものだ」と。そのほかにも、主イエスご自身が「旧約聖書はわたしについて書いてある、わたしのことを預言している」と語られている箇所がいくつもあります。旧約聖書は創世記の最初の1ページから最後のマラキ書まで、全39巻、その全ページが主イエス・キリストを証している、主イエス・キリストの到来を預言している、来るべきメシア・救い主である主イエスを待望しているということを、主イエスご自身が何度もお語りになりました。

 創世記1章で神が天地万物と人間を創造されたその時から、神はこの世界を救うために主イエス・キリストをこの世界にお遣わしになるご計画を始めておられたのです。最初の人アダムとエヴァが罪を犯したその時から、神の救いのみわざは始められていました。アブラハム、イサク、ヤコブの族長時代、モーセ、ダビデなどの旧約聖書の信仰者たちは、やがて来たりたもうメシア・キリスト・救い主を待ち望んでいました。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言者たちは、永遠の王、まことの預言者、唯一の大祭司である、油注がれた者、メシア・キリストの到来を預言しました。

 その預言の一つ、イザヤ書53章3節以下を読んでみましょう。「苦難の主の僕(しもべ)」と言われる箇所です。【3~10節】(1149ページ)。この預言はまさしく新約聖書の福音書が語っている主イエスの十字架のお苦しみのことであり、その主イエスの十字架によってなし遂げられた罪の贖いとゆるしの福音のことです。預言者イザヤは主イエスが誕生されるおよそ700年以上も前に、神の永遠の救いのご計画を知らされ、この預言をしたのです。他の預言者たち、旧約聖書の信仰者たちもまた同様です。

旧約聖書は、このようにして、預言というかたちで、また待望というかたちで、来るべきメシア・キリスト・救い主であられる主イエス・キリストを顕示し、証ししています。わたしたちが聖霊なる神のお導きによって旧約聖書を読むとき、そこでわたしたちの救い主であられる主イエス・キリストと出会うのです。

次に、新約聖書は4つの福音書、使徒言行録、パウロの書簡、その他の書簡、そして最後のヨハネの黙示録まで、全27巻。主イエスの誕生から、そのご生涯、ご受難、十字架の死、葬り、三日目の復活、40日目の昇天、聖霊降臨と教会の誕生、初代教会の発展、そして主イエス・キリストの再臨の時、終末の神の国完成の時に至るまでのことが描かれています。主イエス・キリストが新約聖書全体の主人公、中心人物、また主語であられる、新約聖書全体が主イエス・キリストを顕示し、証ししているということは全く疑う余地はありません。

しかし、もちろんそこで聖霊なる神のお働きがなければ、だれも本当の意味で主イエスを知ることはできませんし、主イエスとの生ける出会いを経験することもできません。主イエス・キリストから差し出されている救いの恵みを受け取ることもできません。新約聖書のみ言葉をとおして働かれる聖霊なる神のお働きによって、主イエスのお苦しみがわたしの罪のためであったことを、主イエスの十字架の死によってわたしの罪が贖われていることを、そして主イエスの復活によってわたしに復活の命が約束されていることを、わたしが信じる信仰へと招き入れられていることを知らされるのです。

主イエス・キリストを顕示し、証しする旧約聖書と新約聖書との関係について、いま一度まとめておきましょう。旧約聖書は主イエス・キリストを預言し、その到来を待望する書、また主イエス・キリストによる救いの完成を待望しながら歩んだイスラエルの民の信仰の書であり、新約聖書は主イエス・キリストの到来によって成就された救いと、その救いに生きた教会の民の信仰の書であると言えます。わたしたちは旧約聖書においても新約聖書においても、聖霊によって聖書を読む時に、そこで主イエス・キリストと出合うのです。わたしたちの信仰の創始者であり、また完成者であられる主イエス・キリストが、聖書のみ言葉と聖霊によって、常にわたしたちと共にいてくださり、わたしが健やかな時も、わたしが病める時も、そしてわたしの死の時にも、常にわたしと共におられ、終わりの日までわたしをお導きくださることを信じるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちが朽ちるこの世のパンによって生きるのではなく、あなたの生けるみ言葉によって真実に生きる者となりますように。聖書のみ言葉がわたしの命の糧となり、苦難の時の希望の光となり、死の時の慰めの言葉となりますように。

○全能の父なる神よ、この世界にまことの平和をお与えください。憎しみや復讐ではなく、愛とゆるしをお与えください。飢え乾いている人たちに食糧を、家を失っている人たちにテントと毛布を、傷ついている人たちに適切な医療を、孤独な人たちに共に歩む友人を、重荷を負う人たちに主キリストの愛をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月14日説教「バルナバとパウロの出会い」

2024年4月14日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

              秋田教会建設記念礼拝

聖 書:ヨシュア記1章1~9節

    使徒言行録11章19~26節

説教題:「バルナバとパウロの出会い」

 秋田教会は1934年(昭和9年)4月15日(日)に自給独立の教会となり、秋田教会建設式を執行しました。今年は教会建設90周年になります。その前の年度の教勢は、教会員数77人、現住陪餐会員数36人、礼拝出席者数22人でした。1892年(明治25年)に秋田講義所を開設し、宣教活動を開始してから、秋田伝道教会時代を経て40数年間、主にアメリカ・ドイツ改革派教会ミッションからの人的・経済的な支援を受けてきましたが、この時からは外国ミッションの経済的援助から自立することになり、長老4人を選挙し、独立教会としての歩みを開始しました。当時の会計関係の記録を見ると、外国ミッションからの補助は通常会計の70~80パーセントを占めていましたから、それがなくなるということは、会計運営上はかなり厳しかったことが推測されます。けれども、教会は自給独立の決断をし、自分たちの教会を自分たちのささげものによって支える決断をしたのでした。そして、間もなく始まった戦争の困難な時代をも乗り越えてきたのでした。

 自給独立の決議をしたのは教会総会で牧師と教会員の決断によるものですが、それを導き、支えられたのは、教会の頭であられる主イエス・キリストであり、すべての信仰者の志と決断を良しとしてくださる父なる神ご自身であったのは言うまでもないことです。神はこの弱く小さな群れを、多くの欠けや破れがあったにもかかわらず、深い憐みをもって今日まで導いてくださいました。その時その時に、必要なものを備えてくださり、良き働き人、良き奉仕者を起こしてくださり、新しい教会員をお加えくださいました。主なる神はこれからのちも変わることなく、この群れを憐み、恵み、祝福してくださることを、わたしたちは固く信じ、秋田教会の歩みを続けていきたいと願います。

 さて、使徒言行録を続けて読んできたわたしたちは、11章19節から初代教会の新たな展開が始まったことを前回確認しました。それは、アンティオキア教会の誕生と異邦人伝道が組織的、積極的に展開されるようになったことです。アンティオキア教会はユダヤ人と異邦人の両方から形成される教会でしたが、この両者が同じ一つの群れ、一つの教会を形成することによって、神が最初ユダヤ人をお選びになって始められた救いのみわざが、今やユダヤ人以外の異邦人にも及び、全人類を救われるという神の救いのご計画が最終目的に達したのです。さらに、その全人類のための神の救いのご計画が、このアンティオキア教会を拠点として、これから展開されていくことになるのです。

 【22節】。エルサレム教会は世界最初の教会であり、初代教会時代にあっては、そののちに誕生したすべての教会にとっての母なる教会という存在でした。8章でサマリヤ教会が誕生した時には、エルサレム教会からペトロとヨハネがサマリヤに派遣されました。11章では、カイサリアの異邦人コルネリウス一族が集団で洗礼を受けた時には、ペトロ自身がエルサレム教会にそのことを報告しています。すべての教会は母なるエルサレム教会に連なっており、その信仰を受け継いでいることが確認されています。そして、さらにその源流をたどれば、このエルサレムで主イエスが苦しみを受けられ、十字架で死なれ、三日目に復活され、40日目に天に昇られたという主イエス・キリストの福音の原点が、すべての教会の信仰の原点が、ここにあるということになります。

 今回、アンティオキア教会に遣わされたのはバルナバでした。バルナバは4章36節で「慰めの子」として紹介されていました。また、9章27節では、キリスト教会の迫害者であったパウロが回心してキリスト者になったあと、パウロを迫害者と恐れていたエルサレム教会の使徒たちにパウロを紹介し、両者を引き合わせたのもバルナバでした。彼の名はバルナバ、その意味は「慰めの子」にふさわしく、多くの人々に神からの慰めを与える人物でした。彼が選ばれてエルサレム教会から派遣された理由は、彼の出身地がアンティオキアに近い地中海の島、キプロス島だったからであろうと推測されますが、それ以上に深い神のみ心があったということを、わたしたちはあとになって25節以下で知らされます。

 【23~24節】。バルナバは誕生したばかりのアンティオキア教会に神の恵みが満ちあふれているのを見ました。喜びに満ちあふれているのを見ました。異邦人伝道の実りは、神の豊かな恵みの実現であり、神の救いのご計画の成就でした。最初にアンティオキアの町で異邦人伝道を始めた、20節に書かれていた何人かのキプロス島やキレネ出身のギリシャ語を話すキリスト者たちの、熱心な信仰と大きな勇気は、称賛に値するものでしたが、彼らはこの神の救いのご計画のために仕えたのでした。

 バルナバはここでもその名にふさわしく、慰めに満ちた人として行動しているのが分かります。彼はエルサレム教会から派遣されて、新しく誕生した教会が正しく主イエスの福音を継承しているかどうか、また健全な教会形成をしているかどうかを、監視し、指導する務めを帯びていました。特に、ユダヤ人と異邦人とが共存する教会で、律法をどう守るかとか、ユダ人の宗教的慣習をどう受け継ぐかとか、初代教会で大きな問題となっていたそれらの諸問題におそらくは直面していたと思われますが、バルナバはそれらの初代教会が抱えていた諸課題をはるかにまさった、神の豊かな恵みをアンティオキア教会に見ていたのでした。そしてそれは、全く正しい見方であり、開かれた信仰の目を持ち、また神からの慰めに満ちた心を持ったバルナバの対応であったと言えます。

 バルナバは、アンティオキア教会の誕生を、またその教会の歩みを、人間のわざとして見たのではありませんでした。また、律法のわざでもなく、神の恵みのみわざとして見たのです。主イエス・キリストの福音によって、その福音を信じる信仰によってすべての人が救われるという、神の救いのみわざの成就を見たのでした。主イエス・キリストの福音による新しい契約の民の誕生を見たのでした。それこそが、教会を正しく見る目です。

確かに、さまざまな問題点や欠けが教会にはあるでしょう。誕生して間もない教会にとってはなおさらそうです。バルナバにはエルサレム教会から派遣された監督官として、それを指摘したり、正したりする務めがあったでしょう。けれども、彼はそれ以上に、誕生したばかりの教会に神からの慰めと希望とを与える務めを強く自覚していたのでした。アンティオキアの町は大きな港町でした。全世界のあらゆる文化と宗教が入り混じっていました。そのような中で、キリスト教の信仰を保ち続けるには厳しい信仰の戦いが必要です。主イエス・キリストから引き離そうとするさまざまな誘惑に抵抗し、主の福音の上に堅く立ち続けるようにと、バルナバは教会員を励ましたのです。バルナバはアンティオキア教会を視察し、指導するの務めを終えても、エルサレムに帰ろうとはしませんでした。彼はこの教会での新たな働きの場を見いだしたようです。この教会に増し加えられた教会員の教育と、さらなる前進のために、バルナバは共に働く同労者を必要としていました。

【25~26節】。バルナバが同労者としてパウロを選んだのは、9章27節に書かれてあったように、かつてパウロとエルサレム教会の指導者たちとを引き合わせる仲介役をした経験があったからだと思われます。また、バルナバはパウロが回心直後にダマスコで主イエスを力強く語り伝えていたのを見ており、パウロの確かな信仰とその優れた賜物を見ぬいていたからであったと思われます。しかし、それ以上に大きな理由があるのをわたしたちは見落としてはなりません。

パウロが復活の主イエスとの衝撃的な出会いをして目が見えなくなった時に、彼の目を見えるようにするために遣わされたアナニアに対して神が言われたみ言葉を思い起こすのです。【9章15~16節】(230ページ)。パウロが異邦人伝道のために用いられることは、彼がキリスト者となったその時から主なる神ご自身がお決めになっておられたことであり、その神のご計画がここでバルナバの決断によって成就したのです。人間たちの思いや計画、努力、それらのすべてをお用いになって、あるいは、ときにはそれらをはるかに超えて、最も良き道を備え、最も良き実りをお与えくださるのは、主なる神ご自身です。

バルナバはパウロを探すためにアンティオキアから小アジア・キリキア州のタルソスまでの400キロメートル近くの道をでかけて行きました。タルソスはパウロの生まれ故郷でした。エルサレムでユダヤ人から命をねらわれていたパウロはカイサリアに逃れ、そこからタルソスに行ったと9章30節に書かれていました。そののち、パウロがタルソスでどのような働きをしていたのかについては。聖書は何も記録していませんが、バルナバの誘いにパウロはすぐに応じて、アンティオキア教会に移り、そこで一年間バルナバとパウロはその教会で共に仕えました。

「丸一年間」と期間を区切ってあるのは、1年後にはバルナバとパウロは新しい務めを託されることになるからです。それについては13章1節から書かれています。この二人は、アンティオキア教会の祈りと支援とによって、第一回世界伝道旅行へと旅立つことになるからです。神はまことにふさわしい時に、ふさわしい人と人とを出会わせ、新しい偉大なる務めを共に担う同労者として、主の教会のために選んでくださるのです。一人ではおそらくしり込みをして、うまくなしえなかったであろう務めをも、良き同労者を与えられて、幾倍もの力を与えられ、主の教会のために仕えることが許されたという事例を、わたしたちもまたそれぞれの教会の歴史の中で数多く見いだすことができるでしょう。それは、教会を建てられ、導かれる主なる神の奇しきみわざです。

アンティオケア教会で主イエス・キリストを信じる弟子たちが初めて「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。クリスチャンとは、キリスト党、あるいはキリストに属す者という意味を持っています。この呼び名は初めは教会の外からつけられたものでした。「呼ばれるようになった」という受動態がそのことを示しています。アンティオキアの町の人々は教会の信者たちを見て、彼らがいつも主キリストだけを仰ぎ、いつも主キリストのことだけを話し、この世の政治政党には属さず、社会的なグループにも入らず、他の神々を礼拝せず、ただ主イエス・キリストだけを礼拝し、主キリストだけに仕え、主キリストだけを証ししている姿を見て、「彼らはキリスト党だ、キリストに所属する人たちだ」という意味で「クリスチャン」と呼んだのでした。わたしたちもまたこの世の人々からはそのように見られ、そのように呼ばれ、また自らもそのような者でありたいと願います。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたが世界各地に、また日本各地に、そしてこの秋田に、主キリストの教会を建ててくださったことを感謝いたします。どうか、この教会を祝福し、ここに集められている一人一人を祝福してください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月7日説教「悔い改めない者への神の裁き」

2024年4月7日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書50章1~9節

    ルカによる福音書10章13~16節

説教題:「悔い改めない者への神の裁き」

 主イエスが12弟子を神の国の福音を宣べ伝えるために町々村々に派遣されたという記録は共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ福音書)に共通していますが、ルカ福音書はそのほかに72人の弟子たちを収穫のための働き手として遣わされたという記録をも書いています。これはルカ福音書特有の記録であり、またそのことはルカ福音書の特徴を表しています。ルカ福音者は、主イエスが地上の活動をしておられた時から、主イエスの福音がパレスチナ地域だけでなく、全世界に宣べ伝えられるであろうことをすでに意図しておられたということを強調しているのです。12人の弟子たちの派遣は、ガリラヤ地方とイスラエルの国全域に主イエスの福音が宣べ伝えられることを目指していましたが、72人の派遣は全世界へと福音が宣べ伝えられることを象徴的に暗示しています。そしてこのことは、ルカが使徒言行録の著者でもあるということと深く関連しています。ルカは、主イエスの地上での福音宣教の活動と、主イエスの十字架の死と復活、そしてペンテコステの時の聖霊降臨と教会の誕生、これらのすべてを一続きの神の救いのみわざととらえて、主イエスは地上のご生涯ですでにその神の救いのご計画を知っておられ、それを進めておられたということをわたしたちに語っているのです。そしてさらに、そのようにして始められた主イエスの神の国の福音宣教のお働きが、今もなお、この時代の中で、この秋田の地で、この教会をとおしてなし続けられているのだということを、わたしたちは知らされるのです。

 きょうは72人の弟子たちを派遣された際の主イエスの弟子たちへのご命令とお約束についての後半のみ言葉を学びます。朗読された箇所は10章13節以下ですが、この部分は10節からの続きと考えられますので、10~12節をまず読みましょう。【10~12節】。ここでは、神の国の福音を聞かされても、それを受け入れようとしない、信じない人たちに対する神の裁きが語られています。弟子たちが神の国の福音を携えて世界に出て行っても、また今日、キリスト者が主イエスの十字架の福音を携えてこの世に出て行っても、その福音を聞いて信じ、受け入れる人はごく少数であり、多くの場合、人には迎え入れられない、聞いてもらえないということを、主イエスはあらかじめ知っておられました。主イエスは「今が収穫の時であり、収穫のための働き手を多く必要としている時代である。だから失われた魂を収穫して、まことの命を注ぎ込むために、わたしはあなたがたを遣わすのだ」と弟子たちを励まされましたが、一方では、その収穫が非常に困難であることをも知っておられました。主イエスの福音は多くの人々の拒絶にあい、時に無関心や、時にあからさまな攻撃や迫害を受けるであろうということを主イエスは予想しておられました。

 なぜでしょうか。それは、人間の罪が人間を神から遠ざけているからです。悔い改めることをしない人間のかたくなさが、人間を主イエスの十字架の福音から遠ざけているからです。神を知ろうとしない人間の罪、神のみ言葉に耳を傾けず、この世の朽ちいくほかにないものに心を奪われ、永遠の真理である神を求めようとしない人間の罪が、人々の心を主イエスの福音から遠ざけているからです。それは主イエスの時代も2千年後の今日も全く変わりません。

 そこで主イエスは弟子たちをつまずかせないように、失望させないように、「もし、福音が受け入れられなければ、足のちりを払い落として、その町を出て行きなさい」と言われました。「足のちりを払い落とす」とは、「わたしはその責任を負わない、その最終的な責任は神ご自身が果たされる」ということのしるしです。すなわち、人々が主イエスの福音を受け入れないとしても、それは福音を宣べ伝えた弟子たちが自らその責任を負わなければならないのではない。主なる神ご自身が最終的な責任を負われる。その人が救われるか救われないかは、弟子たちの努力や能力によって決まるのではない。それは神がお決めになることだ。あなたは福音を語ればそれでよい。救いは神のみわざなのだから。主イエスはそのように言われます。

 主イエスの弟子たちも、また初代教会の使徒たちも、多くの反対や拒絶を経験しました。けれども、彼らはそれで失望することはありませんでした。いよいよ主なる神の救いのみ力を固く信じ、いよいよ大胆に確信をもって主イエスの十字架の福音を語りました。神ご自身が救いのみわざをなしてくださることを信じて。今日の教会においても同様です。

 12節で、主イエスはこのように言われます。「かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む」。「かの日」とは、神による最後の審判の時を指します。14節で「裁きの時には」と言われているのと同じです。終りの日、終末の時、神がご自身の国を完成される時、それまでの古い世界が神の裁きを受けてすべて滅ぼされます。その時、神の永遠の真理が明らかにされます。神を信じ、悔い改めて神に立ち帰った者は永遠の命に至る祝福を受け、神に逆らい、かたくなにして悔い改めなかった者は、永遠の滅びを宣告されます。その最後の神の裁きの時には、主イエスの福音を信じない者に対する最も厳しい罰が与えられると言われているのです。

 ソドムとは、創世記19章に書かれている出来事の舞台となった町です。その町の男たちの大きな罪と悪のゆえに、神はこの町を滅ぼされ、死海(塩の海)の底に沈んだとされる町です。しかし、それでもソドムの罪の方が軽いと言われるのは、ソドムの人々にはまだ主イエスの福音が宣べ伝えられていなかったからです。今のイスラエルの人々、今の時代の人々には、主イエスの十字架の福音が宣べ伝えられています。罪を悔い改めて、この福音を信じる人はだれでも無条件で、罪のゆるしが与えられるという、神から差し出された大きな恵みが、この時代の人々には与えられています。そうであるにもかかわらず、今の時代の人々が主イエスの十字架の福音を信じないならば、それをまだ知らされていなかったソドムの町よりも、より大きな罰を受けるのは当然だと、主イエスは言われるのです。

 神の裁きは、神の恵みの大きさに比例したかたちでなされます。神の恵みをより多く受けながら、それに気づかず、また感謝しない人に対しては、神の恵みがより少ない人よりも、より厳しい神の裁きが与えられるでしょう。主イエスがこの地上においでになる以前の旧約聖書の時代の人々は、主イエスがこの世にお生まれになり、神の救いの恵みがより大きく、またより近くに差し出されている新約聖書時代の人々よりは、その罪を問われる度合いはより軽いと言えるでしょう。主イエスの十字架の死と復活以前の人は、それ以後の人に比べて、その罪の問われ方がより軽くて済むと言えるでしょう。なぜならば、神は主イエス・キリストによって、特にその十字架の死と復活によって、人間の救いにとって必要な十分な恵みをわたしたちにお与えくださっておられるからです。神が旧約聖書の中で多くの預言者たちや信仰者たちをとおしてお語りになった救いのみ言葉を、神は今この時に、み子主イエス・キリストによって、最終的に、また決定的に、余すところなく、十分にお語りくださいました。それゆえに、その福音を信じない人に対する神の裁きは、決定的であり、最終的であり、より厳しい裁きとなるのです。

 13節以下で、主イエスはそのことをよりはっきりと、より厳しい口調でお語りになっておられます。【13~15節】。13節の「コラジン、ベトサイダ」そして15節の「カファルナウム」はいずれもガリラヤ湖周辺の町の名前です。主イエスはこの地方を中心にして、おそらくは3年間にわたって神の国の福音を宣教されました。特に、カファルナウムは12弟子の何人かの出身地でもあり、主イエスの宣教活動の中心地でした。マタイ福音書4章13節には、主イエスが一時期この町にお住まいになられたと書かれています。

 これらのガリラヤ地方の町々村々の人々は、主イエスの最も近くで、主イエスがお語りになった神の国の福音を、だれよりも多く聞く機会が与えられていたのでした。また、主イエスがなさった病気のいやしや悪霊追放の奇跡を、他の人々よりも多く見る機会を与えられていたのでした。しかし、そのような恵みを与えられていながら、主イエスの福音を信じることをせず、悔い改めて神に立ち帰ることもしませんでした。それゆえに、主イエスはこれらの町々村々に住む人々を、「お前たちは不幸だ、お前たちはわざわいだ」と言われるのです。彼らは、地中海沿岸の異邦人の都市であるティルスやシドンの人々よりも、彼らはまだ主イエスの福音を聞いていなかったゆえに、彼ら異邦人と言われていた人々よりも、神に選ばれている民を誇りにしていたイスラエルの人々の方がはるかに「不幸であり、わざわいだ」と主イエスは言われるのです。

 13節に、「彼ら異邦人の方こそが、とうの昔に、悔い改めたに違いない」と言われています。イスラエルの民が不幸なのは、わざわいなのは、彼らがより罪が深かったからではありません。彼らが罪を悔い改めなかったかにほかなりません。神の終わりの日の裁きの時に、より厳しい裁きを受け、滅びを宣言されるのは、その人の罪が大きかったからでは全くなく、その人が悔い改めなかったからにほかなりません。主イエスはここでわたしたちに悔い改めるべきことを教えておられるのです。自分の罪を認め、それを神のみ前に告白し、神に立ち帰って、神から差し出される罪のゆるしの恵みを、感謝をもって受け取ることをこそ、主イエスはわたしたちに求めておられます。わたしたちは悔い改めて神に立ち帰ることをためらってはなりません。神は立ち帰る人をみなお迎えくださいます。そのためにこそ、神はみ子を十字架の死に引き渡されたのです。

 【16節】。同じ主旨の主イエスのみ言葉はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に書かれています。父なる神とみ子なる主イエスと、そしてわたしたち人間、信仰者との強いつながりを言い表す重要なみ言葉です。天におられる父なる神はみ子主イエスを人間のお姿でわたしたちの世に、地上にお遣わしになりました。主イエスがお語りなった神の国の福音と、特に主イエスの十字架の死と復活によって、神はみ子なる主イエスをとおして、わたしたち人間に救いのみ言葉をお語りくださいました。そして、わたしたちは主イエスによって成し遂げられた救いのみわざの証人として、その証し人として、神の国のための働き手として召されており、神はわたしたちの宣教の言葉をお用いになって、ご自身の救いのみわざを今なお続けておられるのです。神は今なおわたしたちの証しをとおして語っておられ、この地で、この時代の中で、救いのみわざを進めておられるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、かたくなで悔改めるに遅いわたしたちをも、あなたは忍耐と憐みとをもってあなたのみ前にお招きくださいますことを覚え、感謝いたします。どうか、きょうあなたのみ言葉を聞いたなら、きょうあなたに従っていく従順な思いと、固い決意とをお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月31日説教「主イエスの復活の証人となった婦人たち」

2024年3月31日(日) 秋田教会主日(復活日)礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記8章1~10節

    マルコによる福音書16章1~8節

説教題:「主イエスの復活の証人となった婦人たち」

 主イエスが復活されたのは、ユダヤ人の安息日である土曜日の翌日、日曜日の朝早くでした。十字架につけられて息を引き取られたのが金曜日の午後3時ころ、夕方午後6時の日没からユダヤ人にとっては次の日、安息日の土曜日が始まりますので、それまでの2、3時間の間に急いで墓に葬られました。安息日には何の労働をもしてはならないと定められていたからです。そのために、通常ならば亡くなった人を墓に葬る前に、その亡骸に香油を塗る習わしでしたが、主イエスの場合にはそれができませんでした。

 そこで、マルコによる福音書16章1~2節にこう書かれています。【1~2節】。おそらく、安息日が終わる土曜日の日没後に、婦人たちは香油を買い求め、そして日曜日の朝早くにそれを持って墓にでかけたと思われます。この婦人たちは、主イエスがガリラヤ地方で福音宣教をしておられた時から、主イエスに従い、主イエスと弟子たちの身の回りのお世話をして仕えていたのでしょう。そして今、愛し、尊敬する主イエスに対する最後の奉仕として、そのお体に香油を塗るという、やり残した奉仕をするために、墓へと急いだのでした。

 この三人の婦人たちの名前は15章40、41節では、主イエスの十字架の死の証人としても挙げられています。また、15章47節では、そのうちの二人は主イエスの葬りの証人でもありました。そしてこれから、彼女たちは主イエスの復活の証人とされるのです。

これは実に驚くべきことです。古代社会では一般に婦人の社会的地位は低く、イスラエルでは女性は裁判の法廷では証人として立つことはできませんでした。しかしながら、聖書ではこの箇所でも、また他の箇所でも、女性がその立場と存在を男性とまったく同じに持っているのをわたしたちは確認できます。神のみ前では、男性、女性、その他の人間の側の区別とか差別とかは全くなくなります。

「女性は男性と同じ」というだけではなく、ここでは「男性に代わって女性が」と言うべきかもしれません。主イエスの12弟子たちはここには一人も登場してきません。彼ら男性たちはどこへ行ったのでしょうか。彼らは主イエスの十字架から逃げ去りました。14章31節にこのように書かれていました。「ペトロは力を込めて言い張った。『たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません』。皆の者も同じように言った」。しかし、そのペトロは主イエスの裁判を前に、「わたしはあの男を知らない」と、三度主イエスを否定しました。そして今、ペテロだけでなくすべての弟子たちは、男たちは、十字架から逃亡し、主イエスを見捨て、姿を消しているのです。その代りに、婦人たちが、主イエスの十字架の死と葬りと、そして復活の証人として立っているのです。

なぜ、このようなことが起こっているのでしょうか。それは、神の選びの不思議だと言ってよいでしょう。神の選びはしばしばこのようになされます。旧約聖書で神がイスラエルの民をご自身の契約の民としてお選びになったのも同様でした。申命記7章6節以下に、神がイスラエルをお選びになられた理由についてこのように書かれています。「神があなたがたを選んでご自身の宝の民とされたのは、あなたがたが他の民よりの数が多かったからではない。ただ、あなたがたに対する神の愛のゆえに、神はあなたがたを奴隷の家エジプトから導き出され、救われたのだ」(申命記7章6~8節参照)と。イスラエルの選びは神の一方的な愛によるのです。わたしたち一人一人が神に選ばれ、神の民に加えられるのも同様です。

また、使徒パウロは神の選びについて、コリントの信徒への手紙一1章26節以下でこう言います。「あなたがたが選ばれて教会の民の中に加えられた時のことをよく考えてみなさい。あなたがたの中には知恵のある者や能力がある者、家柄のよい者が多かったわけではない。神はあえて、世の無学な者を、無力な者を、身分の低い者を選んで教会の民とされたのだ。それは、だれ一人神のみ前で誇ることがないようにするためなのだ」(26~31節参照)と。わたしたちが神に選ばれたのも同様です。それゆえに、わたしたちはただ主なる神のみを誇り、主なる神のみに栄光を帰するのです。

主イエスの十字架の死と葬り、そして復活の証人として選ばれた婦人たちは、主イエスを死の墓からよみがえらせ、人間を罪と死の支配から救われる全能の主なる神に栄光を帰するために、ここに立たされているのです。

さて、主イエスの墓を訪れた婦人たちは、「週の初めの日の朝早く、日が出るとすぐ墓に行った」と書かれています。ここでは、「初めに、早く」ということが三度も繰り返され、強調されています。婦人たちはだれよりも早く起きて、だれよりも急いで、主イエスの墓へと出かけたのでした。主イエスに対する彼女たちの大きな愛と尊敬の思いが伝わってきます。

けれども、だれよりも早く行動した彼女たちよりも、さらに早く、主なる神が行動しておられたということを彼女たちはすぐに知らされます。彼女たちは道々こう話し合っていました。「だれが、墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」(3節)と。けれども、彼女たちの心配は全く必要ないものでした。「目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった」と続けて4節に書かれてあります。

だれよりも大きなイエスに対する愛と尊敬の思いを抱いて、だれよりも急いで主イエスの墓を訪れた彼女たちでしたが、それよりもさらに早く、さらに大きな力をもって、主なる神がすべての行動をなしておられ、主なる神が重い墓の石を取り除かれ、主なる神が墓の中から主イエスを復活させられたということを、彼女たちは間もなく知らされます。彼女たちの不安や不可能を越えて、主なる神が彼女たちのために、そしてわたしたちすべての人々のために、力強い救いのみわざをなしてくださるのです。

【5~7節】。「白い衣を着た若者」とは天使、神の使いのことです。神が地に住む人間にみ言葉をお語りになる際には、このように天使のお姿で語りかけられます。墓を訪れた婦人たちは、主イエスのお体を納めた墓が空になっており、その代わりにそこにいた神の使いから、神のみ言葉を聞いたのでした。ここに、重要なポイントがいくつかあります。

一つには、墓が空であったということです。彼女たちが最後の奉仕としてそのお体に香油を塗ろうとして墓に急いだのでしたが、その肝心の主イエスの亡骸がそこにはありませんでした。彼女たちの最後の奉仕ができなくなったのです。できなくなったというよりは、もはやする必要がなくなったと言うべきでしょう。彼女たちの死者に対する奉仕は不要になったのです。なぜならば、主イエスは復活なさったからです。彼女たちはこれからのちは、死者のために奉仕するのではなく、死から復活された方のための奉仕へと、召されているのです。

そのことは、彼女たちだけに当てはまることではありません。主イエスの復活を知らされた、わたしたちすべてに当てはまることです。わたしたちはもはや死者のための奉仕をすべきではありませんし、する必要はありません。死すべき者や死そのもののために奉仕したり、働いたり、仕えるべきではありません。それは、仕える者も仕えられる者も、共に死に支配され、死に向かって進んで行くほかにありません。その行き着く先は、死以外ではありません。

しかし、今や主イエスによって死から復活の命へと至る新しい道が開かれました。わたしたちは今からは死んで復活された方のために、死に勝利された方のために、仕え、働き、そのお方のために生きるのです。

もう一つの重要な点は、墓が空になった理由が神のみ言葉として告げられたことです。主イエスのお体が墓の中にないのは、主イエスが復活なさったからだと神の使いは告げます。墓の石を取り除いたのは、全能なる神であり、その神が主イエスを死からよみがえらせたのだと、神ご自身が語られたのです。主イエスの復活の出来事は、神ご自身からの語りかけとして、わたしたちは聞くことができるのです。何らかの科学的な証明によって説明できるものではありません。彼女たちが主イエスの復活の証人となったのは、神が語られたみ言葉を聞き、それを信じたからです。そして、その証拠として、空になった墓を見ました。

「主イエスは復活なさって、墓の中にはおらない。復活された主イエスはあなたがたが最初に弟子として召し出されたガリラヤで再びあなたがたにお会いするであろう」(7節参照)。婦人たちはこの復活のメッセージを携えて、弟子たちのところへ行くようにと命じられました。

ところが、8節にはこう書かれています。【8節】。主イエスの復活の証人となった婦人たちは、「震え上がる」ほどの、「正気を失う」ほどの、恐怖に襲われて、「だれにも何も言わなかった」というのです。これは一体どういうことでしょうか。

実は、マルコ福音書の本文は、「なぜならば、彼女たちは恐れた」という言葉で終わっています。福音書の終わりの言葉としては、あまりにも不自然です。そこで、のちの人たちは、このあとに続いていた部分が脱落したのだと考えました。当時の書物は、パピルスで作られた紙に書かれ、それを巻物にしたり、何枚かを折りたたんで一冊の本にしていましたから、容易にちぎれて紛失することがありました。『新共同訳聖書』では、「結び一」「結び二」として、のちに他の福音書を参考にしてつけ加えられた文章を付録として記録しています。

しかし、ある学者は、この終りが本来のマルコ福音書の終わりなのだと考えています。つまり、主イエスが墓から復活されたという出来事は、その証人となった婦人たちにとっては、それのみでなく、すべての人にとっても、人間の理性や常識では考えることができないほどの、驚くべき奇跡であり、死すべき運命にある人間にとっては、すべの言葉を失ってしまうほどの恐怖、驚愕と言うべき出来事なのだということをこの福音書は強調しているのだというのです。

主イエスの復活はいわゆる蘇生、生き返りではありません。主イエスは永遠の命へと復活されたのです。人間の罪とその結果である死に勝利されたのです。それは、いまだだれ一人としてなしえなかった偉大なる奇跡です。人間の能力や知恵や、またあらゆる科学の力を越えた全能の父なる神のみわざです。わたしたちはただ、大いなる恐れとおののきとをもって、そしてまた、大きな感謝と喜びとをもって、主イエスの復活の福音を信じ、わたしたちに約束されている永遠の命を信じるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、罪ゆえに死すべきであったわたしたちのために、あなたのみ子主イエスが、死の墓から復活されたことを感謝いたします。どうか、わたしたちに復活の信仰を与え、永遠の命の約束を信じさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月24日説教「神を恐れたヘブライ人の助産婦たち」

2024年3月17日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記1章15~22節
    使徒言行録7章17~22節
説教題:「神を恐れたヘブライ人の助産婦たち」

 教会の暦ではきょうは棕櫚の主日、今週は受難週になります。わたしたちの罪のために血を流すほどの戦いをされた神のみ子のお苦しみを覚えながら、次週の復活日の主日に備える日々でありたいと願います。
 出エジプト記を学び始めています。主イエスが誕生される1300年ほど前の、神の民イスラエルの誕生について記しているこの書は、そののちのイスラエルの信仰の土台を築く重要な意味を持っていました。そのイスラエルの信仰は、さらにさかのぼれば、400~600年前の族長時代のアブラハム、イサク、ヤコブの信仰を受け継ぐものでした。正確に言うならば、彼ら族長の信仰を受け継ぐと言うよりは、彼ら族長に対する神の永遠の約束が継承されていると言うべきかもしれません。創世記15章13節以下で、神がアブラハムに約束されたみ言葉はこうでした。【13~14節】(19ページ)。神はヤコブ・イスラエルの子どもたちがエジプトに寄留していた400年以上もの間、この約束を決してお忘れにはなりませんでした。そして、その約束の成就が出エジプトという出来事だったのです。
 きょうは1章15節以下を学びます。前回も少し触れましたが、エジプトでの400年余りの滞在期間に、ヤコブ・イスラエルの子どもたちがどのような信仰生活を送っていたのか、そしてどのようにして70人で移住した彼らが異教の地で増え広がり、エジプトの王が脅威を覚えるほどに強い集団になったのかについては、聖書の具体的な証言はありませんが、きょうの箇所で、エジプト滞在中の彼らの信仰がどのようなものであったのかを、わたしたちは伺い知ることができるように思います。
 すでに12節には、「しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がった」と書かれていました。それから、17節には【17節】、また【20~21節】にも。これらのみ言葉から分かるように、イスラエルの子どもたちがエジプトという異教の地で、宗教も生活環境も全く違う地で、どのようにその信仰と生活のアイデンテティを保ち続け、神の約束のみ言葉を信じ続けてくることができたのか、わたしたちは容易に推測することができます。彼らが信仰を守り続けてきたと言うよりは、彼らが信じていた主なる神のみ力とお導きによることであったと言うべきでしょうが、彼らはその神を礼拝し続けていたのです。ヘブライ人の助産婦たちはその神を恐れたのです。エジプトの王ではなく、自分たちが受けるであろう不利益や迫害でもなく、ただ主なる神を恐れ、その神に服従したのです。その信仰こそが、おそらく、400年以上のエジプトでのイスラエルの子どもたちを導いたのです。
 エジプトの王(一般にファラオと呼ばれます。その王の名前はここでは明らかにされてはいませんが、前回お話ししたように、紀元前14世紀から13世紀ころのセティ一世、またはラメセス二世が考えられます)は、数においても脅威においても増え続けるヘブライ人を弾圧するために、先に13~14節に書かれていた強制労働をより過酷なものにするだけでは足りず、15節以下に書かれてあるように、新たな民族撲滅政策を考え出しました。【15~16節】。エジプトの王は増え続けるヘブライ人を恐れ、何としてもそれを食い止めようと、非常手段にでます。戦争の時に戦力となる男子は生まれた時に殺すようにヘブライ人の助産婦二人に命じます。
 このエジプト王の命令は、主イエスが誕生された時のユダヤ人の王ヘロデが出した命令を思い起こさせます。ヘロデ王は主イエスが誕生されたベツレヘム近郊の2歳以下の男の子をみな殺すようにと命じました。この世の権力を誇る王たちが、武器を持たない民衆を恐れ、自らの恐れを払いのけようとして、最も弱い存在である幼い子どもたちを犠牲にするという現象は、いつの時代にも共通しているように思われます。神なき世界、神を恐れることをしない人間たちの世界では、このような悲惨な出来事が繰り返されていくほかにないのです。
 15節に、ヘブライ人の二人の助産婦の名前が紹介されています。シフラとは、ヘブライ語で「美、美しさ」、プァは「輝き、光輝」を意味します。まさに、この二人の助産婦は異教の地エジプトで、しかも、迫害と苦難の中でも、美しく光り輝き、「地の塩、世の光」(マタイ福音書5章13節以下参照)として、しっかりとした足で固く立ち続けています。神を恐れ、神に仕える彼女たちの信仰から出る美しさ、輝き、強さを表す名前と言えます。エジプトの宮殿で着飾っている婦人たちよりも、この二人のヘブライ人の婦人たちの方が、はるかにその美しさに光り輝いています。
 それにしても、強大な王国であるエジプトの王の名前が、ここでは一度も挙げられていないことを改めて気づかされます。寄留の地で迫害のただ中にあって、神を恐れている二人の助産婦の美しい名前が聖書に記されていることの意味をかみしめたいと思います。聖書の中では、神のみ前にあっては、彼女たちの方が尊い存在であり、神に覚えられているのです。この世にあっては目立たない、いと小さな存在であっても、神を信じ、神に従う信仰者を、神の国にあっては、その名を永遠の命の書に記された、かけがえのない尊い存在として、神は迎え入れてくださるのです。
 【17~19節】。ヘブライ人の助産婦たちはエジプト王の命令を聞きませんでした。この世の支配者であるエジプト王ファラオを恐れず、神の国の支配者であられる主なる神を恐れました。主なる神を恐れるとは、ここでは具体的には主なる神がお与えになる新しい命を尊ぶということになるでしょう。人間の命はすべて主なる神から与えられます。主なる神に属するものです。生まれいずる途中の命であれ、死を直前にした命であれ、すべての命は主が与え、主がそのみ手に治め、定められた時に主がお取りになる命です。助産婦たちはその命をお与えになる主なる神を恐れました。そうである時に、人間の命は最も尊く、守られるのです。
 17節には、「助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはしなかった」と書かれています。神を恐れる信仰者はこの世の権力者をも、またこの世から受けるかもしれない攻撃や迫害をも恐れません。主なる神のみ言葉に聞き従い、その神に信頼して、わが身のすべてをゆだねます。神はそのような信仰者を固く支え、勇気を与え、導いてくださいます。
 19節で、ヘブライ人の助産婦が、「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです」とファラオの質問に答えていますが、それが事実であったかかどうかは別として、機転を利かした賢い答えであったと言えましょう。神はフアラオの前に立つ彼女たちにこのような知恵と勇気とをお与えくださいました。
 【20~21節】。神は、神を恐れる信仰者に豊かな祝福と大きな恵みとをお与えくださいました。エジプト王ファラオが計画したこととは全く反対に、神の民の数は増し加えられ、助産婦たちは恐怖や不安ではなく、新しい命と祝福を与えられました。エジプト王の意に反して、迫害されるほどに神の民は強い民となって成長しました。神への恐れこそが、信仰者たちを強く、固く、立たしめる力となり、希望となりました。また、神への恐れこそが、信仰者を祝福と恵みで満たしたのです。
 もし、わたしたちが神を恐れないならば、もしこの世が神を恐れない世界であるならば、たとえその世界がいかに華やかに着飾り、繁栄を誇っていようとも、それは、はなはだ貧しく、弱く、みすぼらしいものでしかないでしょう。主なる神を恐れる人間、主なる神を恐れる世界こそが、本当の意味で豊かな、そして健全な世界であるでしょう。
 ここで改めて、神を恐れる信仰について考えてみましょう。この信仰は、族長アブラハムから受け継いだものでした。創世記22章12節には、アブラハムがその子イサクを神に燔祭の犠牲としてささげたときの神のみ言葉が書かれています。【12節】(31ページ)。アブラハムはようやくにして与えられた一人子イサクを神にささげました。自分の全存在に等しい、自分の命そのものであるイサクを惜しまずにささげるほどに、神の命令に徹底して服従したのです。主なる神を恐れたのです。この信仰を、その子イサク、ヤコブが受け継ぎました。そして、エジプトに滞在していたイスラエルの子どもたちは、400年以上にわたってこの信仰を受け継ぎ、二人の助産婦たちもまたこの信仰を受け継いでいたのです。
 箴言1章7節にはこのように書かれています。「主を畏れることは知恵の初め」。主を畏れる信仰は旧約聖書全体のイスラエルの民へと受け継がれていったということを、わたしたちは確認することができます。
 【22節】。エジプト王ファラオは神の民イスラエルに対しての新たな迫害の命令を出しました。この命令はより一層ヘロデ大王の「2歳以下の男の子をみな殺せ」という命令に近づいています。二人のヘブライ人の助産婦だけが対象になる命令ではなく、全ヘブライ人に対して、またその周辺にいる全エジプト人をも対象にした命令です。しかし、その新たな迫害の中で、神の奇跡によって、一人の指導者モーセが誕生することになるのです。
 ヘロデ大王の残虐な幼児皆殺しの命令の中で、全世界の救い主イエスが誕生されたことをわたしたちは知っています。そして、そのおよそ30年後に、最も悲惨で悲劇的で、全世界を暗黒で覆い尽くすかのような主イエス・キリストの十字架の死によって、神の驚くべき救いのみわざが成就されたということを、わたしたちは知っています。神は、人間の不信仰と罪のただ中で、神の民の苦難と試練のただ中で、神の民のために、信仰者のために、ご自身の救いのご計画を進めてくださり、神を恐れ、神に従う一人一人のために、最も良き道を備えてくださるということを、わたしたちは知っています。

(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたの恵みと慈しみとは永遠から永遠に変わることなく、あなたを信じ、恐れる者たちに豊かに与えられることを信じます。あなたは、信じ従う信仰者を決してお忘れにはなりません。たとえ、わたしたちが忘れても、あなたはわたしたちをお忘れにはなりません。たとえ、わたしたちが迷っても、あなたはわたしたちを正しい道へと導き返してくださいます。たとえ、わたしたちが疑い、倒れるようなことがあっても、あなたは常に真実であられ、あなたの愛と義はわたしたちから離れることはありません。
○主なる神よ、わたしたちがいつも信仰の目を開いて、あなたから与えられている恵みと祝福とを、感謝して受け取る者としてください。あなたの招きと導きに喜んで従う者としてください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月17日説教「聖書と聖霊なる神」

2024年3月17日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(31)

聖 書:イザヤ書55章8~11節

    テモテへの手紙二3章10~17節

説教題:「聖書と聖霊なる神」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の3段落目、「旧・新約聖書は神の言(ことば)であり、その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者で」。きょうはこの中の「その中で語っておられる聖霊は」という箇所について、聖書のみ言葉から学んでいきます。

 まず、1890年(明治23年)の旧『日本基督教会信仰の告白』と比較してみましょう。それはこうなっていました。「古(いにしえ)の預言者使徒および聖人は、聖霊に啓迪(けいてき)せられたり。新旧両約の聖書のうちに語り給う聖霊は宗教上のことにつき誤謬(あやまり)なき最上の審判者なり」。この最初の文章、「古の……せられたり」が新しい『信仰告白』では削除され、その代わりに、「主イエス・キリストを顕かに示し」という文が次の文章につけ加えられています。全体としては、内容的に大きな変化はないと言えます。預言者や使徒たちが聖霊によって導かれて語り、記した聖書は、旧約聖書も新約聖書も主イエス・キリストを証ししているということが、新しい『信仰告白』ではより明瞭に告白されていると言ってよいでしょう。きょうの説教のテーマである「聖書のうちに語っておられる聖霊は」という部分は全く変わっていません。日本キリスト教会はこの「聖書のうちに語っておられる聖霊は」という告白を130年以上持ち続けてきているということを、わたくし自身、今改めて驚きをもって再認識しているところです。と言いますのも、日本キリスト教会で、わたくしが神学校で学んだことや、牧師仲間で議論したことの中に、この告白に対する積極的な神学的意味を見いだすことはほとんどなかったからです。あるいは、改めて議論するまでもなく、当然のことのようにこの信仰告白を受け入れていたということなのかもしれません。

 そのようなわけで、きょうは聖書と聖霊なる神との関係をわたしたちの教会はどのようにとらえてきたのかを、わたくし自身もまた改めて再確認するつもりで、ご一緒に学んでいきたいと思います。

 この告白の特徴を別の言葉で表現すれば、「書かれた神の言葉である聖書は、今もなお聖霊なる神によって語り続けている」ということであり、また別の側面から表現すれば、「聖霊なる神は聖書のみ言葉によって、聖書のみ言葉をとおして今も語っておられ、働いておられる」という意味になるでしょう。ここでは、聖書の言葉と聖霊なる神のお働きとが分かちがたく、堅く結びついているということが強調されているのです。

 では、「聖書は聖霊によって語っている」ということについて、さらに詳しく見ていくことにしましょう。前回わたしたちが学んだように、聖書は神の霊感を受けて書かれたものであって、聖書の本来の著者は神であり、その中で神ご自身が語っておられる。それゆえに聖書は神の言葉である。これがわたしたちの教会の聖書論です。この聖書論と「聖書は今もなお聖霊によって語っている」ということは一つに結び合っています。それを教えている聖書をもう一度読んでみましょう。テモテへの手紙二3章15節以下にはこのように書かれています。「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」。また、ペテロの手紙二1章20節以下では、「聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意思に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」とあります。

 このように、聖書はすべて聖霊なる神が第一の、本来の著者であり、それは神ご自身が語られた神の言葉であるということを証ししています。それゆえに、聖書は生ける神のみ言葉として、また今もわたしたちをまことの命に生かす神のみ言葉として語られるのであり、今もなお聖霊が、書かれた神の言葉である聖書の中でわたしたちに語っておられるということなのです。したがって、わたしたちが聖書のみ言葉を読む場合に、そこで今、神ご自身がわたしに対して語っておられる神のみ言葉として、聖霊のお導きによって読まなければならないということです。人間の知恵や知識によって聖書を読み、解釈するのではなく、聖霊なる神がお与えくださる神からの知恵によって聖書を読み、解釈すべきだということです。そのとき、神の命と救いの恵みに満ちた神のみ言葉が、わたしに信仰を与え、わたしを罪から救い、永遠の命へと至る道へとわたしを導くのです。聖霊なる神が聖書の第一の著者であると同時に、聖霊なる神が聖書の第一の語り手、また第一の解釈者なのです。

 聖書は今から数千年前に書かれた神の言葉です。しかしそれは、単に過去の記録ではありません。過去の神の救いの出来事の記録というのではありません。聖書は、今も生ける神のみ言葉として、今日のわたしたち一人一人に語りかけられている、生きた、また人を生かす神のみ言葉です。神は今もなお命のみ言葉によって、わたしたちの世界に、わたしたちの生活の中で、わたしの人生の中で、救いの出来事を引き起こしておられます。わたしたちは聖書を読むときには、「神語りたもう。僕(しもべ)聞く」という姿勢をもって読まなければなりません。と同時に、聖書を読むときには、また聖書の解き明かしであり、語られた神の言葉である説教を聞くときには、聖書の第一の著者であり、第一の語り手であり、また第一の解釈者であられる聖霊なる神のお導きを祈り求めつつ、読み、また聞かなければなりません。その時、人間の知恵や能力にはるかにまさった聖霊のお導きによって、この不信仰でかたくななわたしにも神の救いのみわざが起こされるのです。

 次に、「聖霊なる神は聖書のみ言葉をとおして、聖書のみ言葉の中で語られ、働かれる」という点についてさらに掘り下げて学んでいくことにしましょう。この告白においては、聖書のみ言葉と聖霊のお働きとが密接に結びつけられているということが大きな特徴です。このことについては二つの側面があります。一つには、聖霊なる神は聖書のみ言葉と結びつくときに、わたしたちのために最もよく働かれるということです。聖霊は自由な神であられ、場所や時代、手段、方法、いかなるものにも制限されることなく、いつでもどこでも自由にお働きになりますが、そうでありつつ、聖霊は聖書のみ言葉と結びつくときにこそ、最も力強く、最も有効に、わたしたち一人一人の救いのために働かれるということです。聖霊は、聖書に記されている神のみ言葉が、特にその中の主イエス・キリストの十字架と復活の福音が、わたしのための神の救いのみ言葉であることをわたしに信じさせてくださいます。主なる神が今わたしに語りかけてくださる神の命のみ言葉として聞き、それを信じることができるように、聖霊はわたしを導いてくださるのです。

 聖霊なる神のお働きが聖書のみ言葉と結びついているという例は、聖書の中に数多く見いだされます。マタイ福音書3章16節以下には、主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった時のことが書かれています。【16~17節】(4ページ)。ここでは、聖霊の注ぎと神のみ言葉の語りかけとが一つに結び合わされています。また、使徒言行録2章4節では、最初のペンテコステの日の出来事がこのように言われています。「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国の言葉で話し出した」。さらには、ヨハネ福音書14章26節で、主イエスは弟子たちにこのように約束してくださいました。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」。このように、聖霊は聖書に記された神の言葉と結びつくときに、また主イエスが語られたみ言葉と結びつくときに、最も力強く、わたしたちの救いのためにお働きくださるのです。

 もう一つの側面は、聖霊のお働きが書かれた神の言葉である聖書に結びつけられることによって、聖霊のお働きがある意味で制限をつけられるのではないかという懸念が生じるということです。制限づけられるという言い方は適当でないかもしれません。聖霊は何度も言うように、何ものによっても制限されることなく、自由にお働きになられるのですから、その意味では全く自由であられ、書かれた神の言葉である聖書に縛りつけられることなく、どこでも、どんな方法によっても、無制限に、自由にお働きになられます。そのことを認めながらも、わたしたちの教会は聖霊の自由を強調するだけでなく、あえて聖霊は聖書のみ言葉と結びついて働かれるということを、強調しているのです。

 なぜそうするのか。おそらくそれは、聖霊派とかペンテコステ派と言われる教派が聖霊を強調して、聖霊の働きを聖書のみ言葉から切り離して考えていることに対する批判があるように思われます。聖霊の自由なお働きを強調するあまり、聖書のみ言葉からは離れた霊の賜物とか、異言を語ることとか、病気をいやす力とか、あるいは個人の聖霊体験とかが重要視される、そのような運動に対する批判や警戒心があるように思われます。もちろん、そのような聖霊の賜物は重んじられるのですが、使徒パウロがコリントの信徒への手紙一14章19節で、「教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語るべきです」と言っているように、聖霊によって主イエス・キリストの救いの福音を語り、信じることこそが重要だとわたしたちは考えているからです。

 わたしたちの教会が「聖書は神の言葉であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し」と告白している意味がここにあるのです。わたしたちは聖霊によって、聖書が神の言葉であることを信じ、その聖書がわたしたちの唯一の救い主であられる主イエス・キリストを証ししており、聖霊のお導きによってわたしたちがそのことを信じるときに、わたしに罪のゆるしと永遠の命の約束が与えられるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちは罪びとであり、あなたのみ言葉を悟るに鈍く、わたしたちの心はかたくなでありますから、どうか聖霊によってわたしたち魂を明るく照らしてください。あなたの救いと命のみ言葉が語られるとき、わたしたちが喜んでそれに聞き従い、あなたのみ言葉によって生きる者としてください。

○わたしたちの教会の愛する姉妹があなたのみもとへと召されました。あなたがその姉妹のすべての信仰の道を導かれ、祝福してくださいましたことを覚え、心からの感謝と讃美とをささげます。また、ご遺族の上に、主からの慰めと平安がありますようにお祈りいたします。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月10日説教「アンティオキア教会の誕生」

2024年3月10日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:エレミヤ書31章10~17節

    使徒言行録11章19~26節

説教題:「アンティオキア教会の誕生」

 使徒言行録11章19節から、アンティオキア教会の誕生と、その初期の活動について描かれています。アンティオキアの町はパレスチナから北へ数百キロメートル、当時のローマ帝国シリア州の首都に定められており、パレスチナと小アジアとを結ぶ交通の要所でもありました。ローマ帝国の中では、ローマとエジプトのアレキサンドリアに次ぐ、第三の巨大都市に発展した町です。

 この町に誕生した教会は、ユダヤ人とそれ以外の異邦人とが混合している教会として、初代教会の歴史上重要な意味を持つようになりました。それ以上に重要な意味を持つのは、このあと13章1節以下に書かれているように、使徒パウロの世界伝道の拠点となったということです。パウロは3回にわたる世界伝道旅行をこの教会の祈りと経済的支援によってなすことができたのであり、またこの教会で良き同労者を与えられて、この教会から送り出されて行ったのでした。もし、アンティオケ教会が誕生していなかったら、またもしアンティオケ教会でバルナバとパウロの出会いがなかったなら、パウロの世界伝道もなかったでしょうし、世界の教会の発展もなかったに違いありません。そのようなことを考えると、ここに書かれているアンティオケ教会誕生の出来事がどんなにか大きな意味を持つことか、そして神がこのように導いてくださったことに、何と大きな、深いみ心があったことか、わたしたちは驚くばかりです。この箇所を、きょうと次の2回にわたって丁寧に読んでいくことにします。

 【18節】。このエルサレム教会の迫害のことは、使徒言行録8章54節以下にステファノの殉教について書かれてあり、8章1節には【1節b】とあります。そして、4節には【4節】と書かれていました。エルサレム教会に対する大迫害によってエルサレム市内から追放され、各地に散らされていったキリスト者たちはサマリヤ地方からパレスチナ全域へと、さらには北部地中海沿岸のフェニキア地方へ、地中海に浮かぶキプロス島にまで、そしてシリア州の首都アンティオキアにまでやってきたと書かれています。エルサレムからは6、700キロメートルの距離です。

 彼らがこれほどの遠い道のりをやって来たのは、迫害を恐れ、逃亡してきたのではありません。彼らが迫害されるきっかけであった主イエス・キリストの福音を携えて、その福音を宣べ伝えるためでありました。教会と信者に対する迫害こそが、このような急速な福音宣教の拡大へとつながったということを、わたしたちは改めて驚きをもって知らされるのです。これこそが、すべての困難や試練の中で働かれる神の偉大なる奇跡です。神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはないからです。

 迫害によってエルサレムから追放された信者たちは、恐れて身を隠していたのではありませんでした。この世の生活に戻ったのでもなく、迫害を受ける原因となった主イエス・キリストの福音を投げ捨ててしまったのでもありませんでした。彼らは主イエス・キリストの福音を携えて、全世界へと出て行ったのです。神のみ言葉に生きる人はこの世のいかなる困難をも恐れません。神のみ言葉を信じる人はどのような状況の中でも、神のみ言葉を高く掲げ続けます。神のみ言葉の証し人となることによって、力強く生きるのです。

 彼らは初めはユダヤ人にだけ福音を語っていました。それは、神が定められた救いの秩序に適ったことでした。神は初めに全世界の民の中からイスラエルをお選びになり、この民をとおして救いのみわざをなさったからです。けれども、今や主イエス・キリストによって、救いは全世界のすべての人に及び、神の救いのご計画は最終目的に達しました。そこで、主イエスの福音はユダヤ人以外のすべての民に、すべての人に、宣べ伝えられなければなりません。

 【20~21節】。彼らの数人が、キプロス島や北アフリカのクレネ出身の人がいて、彼らはギリシャ語を話していました。当時、エルサレム周辺のパレスチナ地方ではアラム語が一般的でしたので、彼らがギリシャ語を話す人たちに主イエスの福音を語り伝えるきっかけになったと考えられます。実は、以前にもエルサレム教会に対する迫害の箇所で少し触れたことですが、8章1節には、「使徒たちのほかは皆」エルサレム市内から追放されたとありましたが、これはおそらくエルサレム教会でアラム語ではなくギリシャ語を話していた、いわゆるヘレニストと呼ばれていた信者が主に追放されたということではないかと推測されるのですが、そのヘレニストと呼ばれたギリシャ語を話していた信者たちが、ここでギリシャ社会に主イエスの福音を語り伝えることとなったのです。そして、多くのギリシャ語を話す、いわゆる異邦人が主イエスを救い主と信じるようになりました。このようにして、アンティオキアにユダヤ人と異邦人からなる教会が誕生したのでした。このこともまた、人間の予想をはるかに超えた、神の奇しきみわざとしか言いようがありません。

これまでに使徒言行録に記されていた異邦人伝道について簡単に振り返ってみましょう。8章26節以下では、エチオピア人の宦官がピリポから洗礼を受けたことが報告されていました。ここでは、異邦人の救いはまだ個人単位でした。10章では、カイサリアのローマ軍の百人隊長コルネリウスとその一族が洗礼を受け、カイサリア教会が誕生しました。ここでは、異邦人だけからなる教会でした。そして、きょうの箇所では、数人のユダヤ人がアンティオキアの町でギリシャ語を話す異邦人に伝道し、ここにユダヤ人と異邦人からなる教会が誕生したのです。ユダヤ人と異邦人の区別はなくなり、主イエスの福音によって一つに結ばれた教会が誕生しました。ここに至って、神の救いのご計画はその最終目的に達したと言えます。民族の違いを乗り越えて、あるいはまた身分の差や男女の違い、あらゆる人間の違いを乗り越えて、一つの救われた神の民である教会の原型がここに誕生しました。

20節に、「主イエスについて福音を告げ知らせた」とありますが、これは正確に表現すれば、「イエスは主であるという福音を告げ知らせた」という意味です。「主イエス」とは、「イエスは主である」という、初代教会の最も短い、基本的な信仰告白です。わたしたちは一般的に「主イエス・キリスト」と一続きで、一つのお名前のように言いますが、これも正確に表現すれば、「イエスは主であり、すべての人にとっての唯一の主、救い主であり、またキリスト、すなわちメシア、油注がれた者、神が旧約聖書で約束された終わりの日に到来する完全な救い主である」、という内容を含んでいる信仰告白なのです。

「イエスは主である」という信仰告白は、初代教会にとっては大きな意味を持っていました。当時はローマ帝国が世界を支配し、ローマ皇帝が全世界の主(ギリシャ語ではキュリオス)であると考えられていました。実際に、皇帝ドミチアヌスは紀元80年代に、自らの像を主なる神としておがみ、礼拝するように強要しました。また、アンティオキアの町には数多くのギリシャの神々がまつられ、礼拝されていました。

主イエスの福音がギリシャ社会の中で語られることによって、「イエスは主である」という信仰告白はより一層大きな意味を持つようになったのです。ローマ皇帝もギリシャの神々も主ではない。ただお一人、わたしたちのために十字架で死なれ、三日目に復活され、今は天に昇られ、全能の父なる神の右に座しておられる主イエスだけが、全世界を支配しておられ、すべての人を罪の支配から解放される唯一の主である、すべての人によって信じられ、礼拝されるべき唯一の救い主である、と初代教会は語ったのです。

それはもちろん、今日の社会にあっても変わりません。わたしたちはあるいは当時のギリシャ社会よりも、もっと多くのものを主としてあがめているのかもしれません。偉大な国家の指導者とか、金やお金、財産、あるいは地位や名誉とか、高度に発達した技術など、時には自分自身をも主として、神のごとくふるまうことがあるのではないでしょうか。「イエスは主である」という信仰告白は、そのような今の時代でこそ、その深い意味を見いだされなければなりません。この信仰告白こそが、わたしたちを支配する偽りの主から、わたしたちを解放するからです。わたしたち信仰者は、わたしを罪から救うためにご自身の命をもささげ尽くされるほどにわたしたちを愛された主イエスを、わたしの唯一の主と信じることによって、他の何者によっても支配されることなく、すべての偽りの主から解放され、自由にされるのです。この主のもとにこそ、まことの命と平安があるのです。

アンティオキアで最初にギリシャ語で主イエスの福音を宣べ伝えた数人の名前はここには記されてはいません。彼らは無名のキリスト者でした。彼らは生まれ故郷からエルサレムに移り住んでいましたが、教会が受けた迫害によってそこから追放され、また生まれ故郷に戻ることになった人たちでした。悲運な放浪者と言えるかもしれません。けれども、彼ら自身はもちろんそうは思っていなかったでしょう。むしろ、彼らは神に守られ、導かれたみ言葉の宣教者たちでした。21節に、「主がこの人々を助けられたので」とあるとおりです。この主とは神を指しています。彼らには常に神の強い助けのみ手がありました。エルサレムから追放された彼らに、このような大胆で勇気ある伝道活動を可能にさせたのは、主なる神です。主なる神が彼らと共にいてくださり、彼らに力を与え、また彼らの宣教活動によって多くのキリスト者をアンティオキアの町に起こされ、この町に主キリストの教会をお建てくださったのです。

わたしたちはここでも先週の礼拝で聞いたイザヤ書のみ言葉を思い起こします。「いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。……地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」(イザヤ書52章7節、10節参照)。

聖霊なる神は今もなおわたしたち一人一人の中で働いてくださり、わたしに主イエスをわたしの唯一の救い主と信じる信仰を与え、この異教の地にあって、主イエスこそがすべての人にとっての唯一の主であるという福音を宣べ伝える伝道のわざへと、わたしたちを召していてくださるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたの救いのみわざは今もなお全世界で行われています。あなたのみ名をあがめる者少なく、あなたのみ心から遠く離れた罪と邪悪に満ちたこの世界にあっても、あなたのみ言葉は力を失うことはありません。どうかわたしたちにも、あなたのみ言葉はこの世のいかなる鎖によっても決して繋がれることはないという強い信仰をお与えください。

〇主なる神よ、あなたのみ心が地において行われますように。人間の力や欲望によって、あなたが創造されたこの世界が破壊されることがないように、弱く小さな命が犠牲にされることがないようにしてください。あなたの義と平和が世界のすべての人々に和解を与え、共に生きる社会を来たらせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。