2026年1月4日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記13章17~22節
マタイによる福音書4章1~11節
説教題:「荒れ野の道へと導かれた出エジプトの民」
出エジプト記を主日礼拝説教のテキストとして取り上げ、一昨年から続けて読んできました。出エジプト記はイスラエルが神に選ばれた民、信仰共同体として誕生したその起源を描いています。出エジプトの出来事は、のちのイスラエルの歴史にとって、また旧約聖書全体の信仰と神学にとって、その原点になっています。それだけでなく、出エジプトの出来事は新約聖書で描かれている主イエス・キリストによる救いの出来事の原点でもあるのです。そのことを念頭に置きながら、きょうは13章17節からのみ言葉を学んでいくことにします。
【17~18節】。イスラエルの民は、彼らの正月であるニサンの月の14日の夕方(太陽暦では3月下旬から4月上旬にかけて)、家ごとに子羊を屠り、子羊の血を家の門とかもいに塗り、家族で最初の過越しを祝う食事をし、夜中から明け方にかけて彼らは急いでエジプトの国から脱出しました。12章37節には、「イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した」と書かれています。ラメセスは1章11節にあるように、彼らが強制労働によって建てた倉庫の町です。エジプト、ナイル川河口のデルタ地帯にある町で、イスラエルの民はエジプトに移住して以来400年余りの期間、その地域に住み、最後には奴隷の民として重労働を強いられていました。
スコトの位置は明確には特定されていませんが、13章18節には「葦の海に通じる荒れ野の道」とありますから、ラメセスからは南東方向の紅海へと向かったと考えられます。しかし、この道は荒れ野の道に向かう迂回路であったと書かれています。これはどういう意味かと言えば、ラメセスから北東方向へ進めば、すなわち地中海沿岸へと向かえば、当時からペリシテ街道と呼ばれていた、よく整備された道が地中海沿岸を通ってパレスチナ地域のガザにまで伸びていて、その道がエジプトからパレスチナまでの最も近い道であったのに、しかし主なる神は彼らをその最も近い道であるペリシテ街道には導かれず、南の方の荒れ野の道(シュルの荒れ野と呼ばれていた)へと導かれたというのです。
なぜ、神はイスラエルの民をペリシテ街道へではなく、荒れ野の道へと導かれたのか、その理由は、「民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれないと、思われたからである」と説明されています。ペリシテ街道の名前は、地中海沿岸地帯に住んでいたペリシテ人に由来していますが、このペリシテ人は早くから鉄器加工の技術を持っていて、鉄の武器を持つ好戦的な民族でした。また、そのペリシテ人の侵入を警戒して、エジプトはこの街道に強力な軍隊を派遣していました。そのような事情から、もしイスラエルの民がこのペリシテ街道を通過すれば、エジプト軍かペリシテ軍のいずれかとの戦いを余儀なくされるに違いあるません。更に、イスラエルの民は夜中に急いでエジプトを出てきましたので、戦いのための武器を持ってはいませんでしたし、もともとエジプトでは奴隷の民でしたから、軍隊の組織をも持っていません。もし戦争に巻き込まれれば、彼らの敗北と死は明らかでした。
そこで神は、イスラエルの民を戦いと死から回避するために、ペリシテ街道ではなく、荒れ野の道へと導かれたのだと説明されているのです。エジプトのラメセスからペリシテ街道を通ってカナンの地へと行くには、直線距離で3、4百キロメートルであり、ゆっくりと移動しても1、2か月で到達することが可能であったのに、しかし神はイスラエルの民を荒れ野(砂漠地帯)へと導かれ、しかも40年という長い期間にわたって、彼らは荒れ野の困難な旅へと導かれたのでした。
そこには、イスラエルに対する神の深いみ心があったのでした。神は彼らがエジプトやペリシテの軍隊によって滅ぼされることをよしとはなさいませんでした。また、彼らが戦いを恐れてエジプトに帰ろうとすることをもよしとはされませんでした。神は、族長アブラハム、イサク、ヤコブに約束されたカナンの地へと彼らを導かれるために、最もふさわしい道を備えられたのです。それが、神が彼らを最も近いペリシテの道へと導かれなかった第一の理由であったと出エジプト記は説明しています。
ところで、わたしたちはここで別の疑問に答えなければなりません。では、ご自身が選ばれた民イスラエルを安全に約束の地カナンへと導かれるのに、神はなぜ荒れ野の困難な道をお与えになったのか。しかも、40年間という長い期間を経なければならなかったのか。もっと近い道、もっと楽な道、もっと速やかにたどり着ける道はなかったのだろうかという疑問です。イスラエルが荒れ野を40年間の旅をしたその道のりを出エジプト記やその他の歴史書から再現する試みが行われています。イスラエルが歩んだ道は、エジプトのラメセスを出発して、その西南のスコテへ、更にその西南の葦の海、それは今日のスエズ湾・紅海の北側と考えられていますが、そこでいわゆる紅海の奇跡を経験して、その後はアラビア半島を南下し、今のサウジアラビアの南端に位置するモーセの山(シナイ山)で十戒を授けられ、その後はアラビア半島を北上してパランの荒れ野やツィンの荒れ野と呼ばれる砂漠地帯を行ったり来たりするという複雑な道のりです。
その荒れ野の40年間の旅について、申命記が別の目的を記していますので、その箇所を読んでみましょう。【申命記8章2~6節】(294ページ)。ここでは、イスラエルの民の荒れ野の40年間の旅の意味、目的がいくつも語られています。まず、彼らが荒れ野の困難と苦しみの中で神のみ言葉に聞き従って生きるかどうかを神が知るためであったということです。荒れ野には人間が生きていくために必要なものがほとんどありません。そのような中で、ただ神だけを頼りにして生きるべきことを、彼らは学んだのです。神の言葉に聞き従って生きるべきことを学んだのです。なぜならば、ただ神だけが彼らの命を支え、養う、唯一の生ける神、命の神だからです。神は彼らに、いまだかつて誰も食べたことがない、不思議な食べ物、マナを天から降らせて、彼らを日々養われました。
また、神は彼らの日常生活に必要なものすべてを備えてくださいました。服も靴も、住むテントも、彼らは何一つ不自由しませんでした。神はイスラエルの民を荒れ野へと導かれ、生きるに必要な物が何もない場所で、ご自分の愛する者たちを訓練されます。豊かで有り余る物を所有することによって、傲慢になり、神を忘れてしまうことがないように、いつでもどのような時でも、すべてを神から感謝して受け取るべきことを彼らは教えられたのでした。
そして、神の言葉に聞き従って、神を恐れるならば、どのような困難な道をも安全に進むことができるということを、荒れ野の40年間の旅で学んだのです。これが、イスラエルの民が荒れ野の道へと導かれた神の意図だったと、申命記は言うのです。のちの時代の預言者もまたこう言っています。エレミヤ書2章2節にはこう書かれています。「主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛、種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす」と。預言者エレミヤにとって、イスラエルの荒れ野の40年間は、神とイスラエルの民との最も親密な関係の時、いわばハネムーンの期間であったのです。神とイスラエル以外には何もない砂漠地帯では、ほかに神とイスラエルとの間に入り込むものが何もなかったからです。その荒れ野で、イスラエルは神の愛の訓練を受けたのです。神以外には他の何ものをも頼りとしない信仰、ただ神にだけにより頼む信仰を学んだのです。
出エジプト記13章に戻りましょう。【19節】。ヨセフはヤコブ(すなわちイスラエル)の12人の子どもの一人でした。ヨセフは兄たちによってエジプトに売り飛ばされ、そこで王ファラオに次ぐ高い位につくようになり、のちになって他の兄弟たちがエジプトに移住するきっかけになりました。創世記50章24節以下によれば、彼はエジプトで死ぬ直前に子どもたちに次のような遺言を残しました。「わたしが死んだら、わたしの骨を約束の地へと携えて行ってください。神は必ずあなた方を顧みてくださり、あなた方を約束の地へと導き上ってくださるからです」と。
神は族長アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたその約束を決してお忘れにはなりませんでした。400年の時を経て、神はイスラエルの民を約束の地カナンへと導かれます。創世記で族長たちの神として彼らを導かれた神は、出エジプト記においても、彼らイスラエルの神として、荒れ野の40年間と、そののちのカナンの地でのイスラエルの歩みのすべてを導かれます。そしてまた、それから千数百年後の主イエス・キリストの誕生から新たに始まった教会の民の2千年間の歩みのすべてをも、神は変わることのない愛と恵みとをもって、導いてくださったことをわたしたちは知っています。これから先も、終わりの日に神の国が完成されるまで、神はご自身の民を変わることなくお導きくださることを、わたしたちは信じます。
最後に、【20~22節】。ここでも、わたしたちは創世記から出エジプト記へと続いているイスラエルの民の信仰を読み取ることができます。創世記から出エジプト記の間には400年以上の年月の経過があります。その間、イスラエルの民はエジプトに寄留していました。その間の記録は聖書にも聖書以外にもほとんどありません。でも、神の約束は全く変わりませんでした。イスラエルの信仰もまた変わりませんでした。創世記の最後、50章24節以下に記されているヨセフの遺言が、今、4百数十年を経て実現したのです。すでに地上を去ったヨセフの信仰が、4百数十年を経て、ここで満たされるのです。神の約束が成就するとき、信仰者の信仰もまた満たされます。
「昼は雲の柱、夜は火の柱」という語句は、出エジプト記の中でも他の聖書でも、繰り返して用いられています。出エジプト記の最後を読んでみましょう。【40章34~38節】(162ページ)。雲や火は神の臨在のしるし、神がそこにいますというしるしとして、聖書でしばしば用いられます。神はイスラエルの荒れ野の40年間の旅を、昼も夜もいつも絶えず彼らと共にいてくださり、彼らの道を守り、必要なすべての物を備え、導かれました。雲は神の臨在を表すとともに、神の栄光を表し、神のその雲によって彼らが進むべき道を示し、また昼の砂漠地帯の熱い太陽から彼らを守りました。火もまた神の臨在を表し、暗い夜の闇を照らし、闇の恐怖と野獣の攻撃から彼らを守りました。荒れ野の40年間は、まさに神とイスラエルの民との最も親密で、純粋な交わりと共存の時でありました。
(執り成しの祈り)
〇天の父なる神よ、この年の最初の主の日の礼拝にわたしたちを呼び集めてくださいました幸いを心から感謝いたします。今も生きておられ、わたしたちの救いのためにお働きくださる主なる神が、この年もまた、日々わたしたちと共にいてくださいますように。そして、わたしたちが心から喜んであなたのご栄光のためにお仕えしていく一年となりますように、お導きください。
〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。
