11月30日説教「主イエスの誕生予告」

2025年11月30日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

              待降節(アドヴェント)第一主日

聖 書:創世記18章9~15節

    ルカによる福音書1章26~38節

説教題:「主イエスの誕生予告」

 教会の暦ではきょうからアドヴェント・待降節に入ります。主イエスの誕生を祝うクリスマス(降誕日)の前の4回の主の日(日曜日)を待降節第一、第二と数え、そのたびにアドヴェントクランツにローソクを1本ずつ増やし、主イエスのご降誕を待ち望みます。アドヴェントは、もとはラテン語で「到来、接近」を意味します。日本語の翻訳では、待降節、待ち望むというわたしたち人間の姿勢が表現されていますが、本来は、神がわたしたち人間の方に近づいて来てくださる、天におられる神が人間のお姿で地に降って来られ、わたしたち一人一人の近くおいでくださるという、神の行為を表現しています。

 今年のアドヴェントの礼拝では、ルカによる福音書をご一緒に読んでいくことにします。きょうの1章26節以下では、主イエスの誕生の予告が書かれています。【26節】。「六か月目」とは、すぐ前に書かれていた、祭司ザカリアと妻のエリサべトに男の子が生まれるであろうという神のみ言葉が告げられ、洗礼者ヨハネ誕生の予告がなされてから6か月目ということです。

 ルカ福音書では来るべきメシア・救い主である主イエスの誕生と、そのすぐ前で、メシアのために道を整える洗礼者ヨハネの誕生とを関連づけて描いています。それには深い理由があります。ヨハネは主イエス誕生の半年前に誕生し、自分の後にやってくるメシア・救い主を迎えるために、人々に「悔い改めて神に立ち帰れ」と説教し、ヨルダン川で悔い改めの洗礼を授けていました。それで、洗礼者ヨハネと呼ばれます。ヨハネは、実は、旧約聖書で活躍する預言者たちの列の最後に立っているのです。預言者たちは、主イエス誕生の千年も前から、神の救いのみわざを完成させるメシア・救い主の到来を預言していました。そして、今この時、神はご自身の一人子を、人間のお姿でこの世にお遣わしになったのです。この神のみ子によって、神は旧約聖書で預言されていた救いのみわざを成就されたのです。ヨハネはその預言者たちの列の最後に立って、最もメシアに近い所で、メシアのために道を整える使命を果たしているのです。

 ルカ福音書1章と2章とを概観すると、1章5~25節ではヨハネ誕生の約束と予告が描かれ、きょうの26~38節では、メシア・救い主である主イエスの誕生の約束と予告が描かれ、39~56節では、ヨハネの母になるエリサべトと主イエスの母になるマリアとの出会いが描かれ、次に57~80節では、ヨハネの誕生のことが描かれ、2章1節~20節で、主イエス誕生のことが描かれるというように、ヨハネと主イエスのことが交互に配置されていることが分かります。そして、救い主のために道を整える先駆者の後には、必ず救いの成就者であるメシアが続くのです。

 「天使ガブリエル」とは、3人いる天使長の一人と考えられていました。聖書にはしばしば天使が登場しますが、天使とは文字どおり天からの使い、天におられる神が地に住む人間に語りかける際に、人間に似たお姿で現れ、神の言葉をお語りになります。したがって、天使の言葉は神ご自身の言葉です。神が何か非常に重要なこととか奇跡的なこととかを人間に語られるときに、天使をとおしてお語りになります。

 すぐ前に書かれている洗礼者ヨハネ誕生の約束と予告の場面でも天使が語っています。1章11節に「天使が現われ」と書かれています。19節では、その天使が「わたしはガブリエル」と自己紹介をしています。ヨハネの父となるザカリアに告げられた神の言葉はこうでした。祭司ザカリアと妻エリサベトの間には長く子どもが与えられませんでした。でも、二人とも年を取ってほぼ諦めかけていた時に、天使は告げます。「あなたの妻エリサベトの胎内には男の子が宿っている。その子をヨハネと名づけなさい。彼は聖霊に満たされて、来るべき救い主のために道を整える使命を果たすであろう」と。洗礼者ヨハネの誕生は人間の可能性や能力をはるかに超えた全能の父なる神のみわざなのです。神の奇跡によって、ヨハネは誕生するのです。ヨハネの命もその存在も、すべてが主なる神に依存し、支えられ、導かれているのです。それゆえに、ヨハネは主なる神のために仕え、働き、そしてその命のすべてを主なる神にささげます。

 主イエスの誕生予告においても同様です。同様というよりは、ヨハネの誕生の奇跡にはるかにまさって、神の奇跡中の奇跡として、主イエスの誕生が起こるということを、天使ガブリエルはマリアに告げます。【27~35節】。

 では、主イエスの誕生の約束、予告にはどのような神の奇跡があるのでしょうか。26節に目を戻すと、「ナザレというガリラヤの町」と書かれれています。イスラエル北部のガリラヤやその南のサマリヤ地方は、かつての北王国に属しており、紀元前721年にアッシリア帝国によって滅ぼされてからは異国民が強制的にこの地に移住させられ、神の契約の民イスラエルという民族的・宗教的純粋性が失われてしまいました。敬虔なユダヤ人からはガリラヤからも、またその中の小さな村ナザレからも、何の善きものも出ないと言われていました(ヨハネ福音書1章46節、7章41、52節参照)。

 けれども、神はあえて軽蔑されていたガリラヤのナザレの地に住むヨセフとマリアとをお選びになり、この二人を神のみ子の両親とされたのです。当時の人々が期待していたエルサレムの都ではなく、また王の家でもなく、宗教的指導者の家でもなく、小さく貧しいナザレの村の、おそらく大工の息子であったヨセフと彼のいいなずけマリアをお選びになったのです。ここにすでに神の大きな奇跡があります。神はいと小さなもの、貧しく見栄えのしないもの、あるいはだれからも顧みられることのない、見捨てられているものをみ心におとめくださり、そこに豊かな恵みを注がれるのです。

 更に、神のより偉大なる奇跡が続きます。それは、マリアはまだヨセフと結婚してはおらず、同居もしていなかったということに関連しています。27節には「いいなずけであるおとめ」であると書かれています。そのおとめマリアに、「あなたは身ごもって男の子を産む」と告げられているのです。当然マリアは驚き、戸惑います。34節にはこう書かれています。【34節】。それに対する天使の約束はこうです。【35節】。

 これは、キリスト教教理では「処女降誕」と言われる教えです。わたしたちが礼拝で告白する『使徒信条』では、「主は聖霊によって宿り、処女(おとめ)マリアから生まれ」と告白されている内容です。主イエスの誕生は聖霊なる神による誕生であり、主イエスの命も存在も百パーセント神からのものであるということです。これは、神の偉大なる奇跡です。洗礼者ヨハネ誕生の場合には、ザカリアもエリサベトも年老いていたという人間の側の可能性がほとんどなかったということが強調されていましたが、人間の営みがなかったのではありませんでした。ところが、主イエス誕生の場合には人間の側での可能性も行動も全くなく、すべてが主なる神ご自身のみわざであったと言われているのです。

 主イエスの誕生がこのように、徹底して神ご自身のみわざであったがゆえに、主イエスは「聖なる者、神の子」と呼ばれるのです。そして事実、神はご自身のみ子によって、旧約聖書から約束されていたご自身の永遠の救いのみわざを成就されるのです。そのことは31節にも暗示されています。【31節】。イスラエルの家庭では普通は子どもが誕生して8日目に父親が名前をつけるのが習慣でした。でも、主イエスの場合には、まだ生まれる前から、しかも神ご自身がその名前を決めておられるのです。イエスとは、旧約聖書のヘブライ語の発音ではヨシア、あるいはヨシュアという名前です。イエスはそのギリシャ語による発音です。イスラエルではごく一般的な名前でした。「神は救いである」という意味です。しかし、ここでは神ご自身がその名前をつけることによって、神がイエスと呼ばれるご自身のみ子によって、確かにご自身の救いのみわざを成し遂げられるという、神の固い約束、神の強い意志が語られているのです。

 では、神はみ子主イエスによって、どのようにしてご自身の救いのみわざを成し遂げられるのでしょうか。それは、この福音書を終わりまで読めば明らかになるのですが、ここでは32節以下にこのように書かれています。【32~33節】。ここで語られていることは、クリスマスの日に誕生される主イエスは、まことの人であり、また同時にまことの神であるということです。主イエスはマリアの胎からお生まれになり、わたしたち人間と全く同じまことの人として、わたしたち罪を背負って生きている人間たちの一人となってくださいました。わたしたちすべての人間の罪を担って、裁かれ、死の判決をお受けになり、十字架で死んでくださったのです。また、2節の「いと高き方」とは神のことです。主イエスはおとめマリアの胎から聖霊によってお生まれになった神のみ子であり、まことの神です。主イエスはまことの神として、罪と死とに勝利され、死んで三日目に墓の中から復活され、わたしたち信じる者たちの復活の初穂となって、わたしたちに復活の命を約束してくださったのです。

 32、33節で語られているもう一つのことは、主イエスは神がかつてダビデに約束された永遠の王座に就かれるという約束です。この約束は旧約聖書サムエル記下7章12節に以下に書かれている、いわゆる「ダビデ契約」と呼ばれているものです。すなわち、主イエスは罪と死とに勝利されて、永遠の王国である神の国において、すべての信じる者たちを治める唯一の王となられるであろうとの約束です。

 この神の約束、契約が成就されるにあたって、もう一つの神の奇跡があります。27節に、「ダビデ家のヨセフ」と書かれていました。ヨセフはダビデ王の家系に属していました。とは言っても、ダビデ王家はもうすでに600年も前に滅びており、その末裔は全地に散っていて、だれも注目する人はいなかったのですが、でも確かにヨセフはダビデの家系に属するということがルカ福音書3章23節以下とマタイ福音書1章1節以下の家系図で確かめられています。ダビデ王家が完全に滅びてから長い年月を経てのち、しかし神は切り倒された木の切り株から出る小さな芽のように、まさに無から有を呼び出だすようにして、死から命を生み出されるようにして、み子主イエス・キリストによって全人類のための救いのみわざを成し遂げられたのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの救いのご計画は永遠に続きます。あなたがみ子主イエス・キリストによって成就された救いのみわざは、今もなお全世界で続けられています。あなたが全世界にお立てくださった主キリストの体なる教会をお用いくださり、あなたの救いの恵みがすべての人たちへと宣べ伝えられますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

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