3月8日説教「フィリピでの伝道活動」

2026年3月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書56章1~8節

    使徒言行録16章11~15節

説教題:「フィリピでの伝道活動」

 使徒言行録16章から、パウロの第二回世界伝道旅行について書かれています。当初のパウロの計画では、先に第一回伝道旅行で福音を宣べ伝えた小アジア地域(今のトルコ共和国)、当時のローマ帝国ピシディア州の町々を再訪問し、それらの諸教会の信仰を励ますというのが、主な目的でした。1~5節がその記録ですが、ここには伝道活動の詳細については書かれていません。ただ、リストラの教会員であったテモテがパウロたちの仲間に加えられたことについてだけ、書かれています。そして、初期の目的がほぼ果たされたあとで、パウロは聖霊なる神の不思議な導きによって、小アジア北西の町トロアスで、一つの幻を見ました。それは、「マケドニアに渡って来て、わたしたちを助けてください」というマケドニア人の呼びかけでした。その叫びを聞いたパウロは、マケドニア人に主イエス・キリストの福音を告げ知らせるようにとの神の命令、招きであると悟り、更に旅を続けて、エーゲ海を渡り、マケドニア州のフィリピへと向かうことになったのです。その記録が11節から始まります。

 前回、16章10節で触れることができなかった「わたしたち」という表現について、少し説明しておきます。【10節】。ここで主語が「わたしたち」に変わります。これまでは、「パウロは」あるいは「彼らは」が主語でしたが、この10節から17節あたりまでは、「わたしたち」が主語になっています。なぜ、急に主語が変化するのでしょうか。実はこの後でも、「わたしたち」を主語にした文章が20章5節から21章1節、27章1節などでもまとまった個所で確認することができます。これらの箇所は、一般に「われら章句、われら資料」(we section)と呼ばれます。

 では、わたしたちとはだれのことか。わたしたちとは、わたしを含めた複数の人のことを言いますが、使徒言行録でわたしと言えば、これを書いたとされるルカであり、それにパウロと最初から同行していたシラス、途中で加わったテモテを合わせて「わたしたち」と言われていると考えられます。ここのほかの「われら章句」でも、ルカがパウロと同行している個所を「わたしたちは」と表現していると思われます。コロサイの信徒への手紙4章14節でパウロは「愛する医者ルカ」と紹介しています。ルカはしばしばパウロの伝道活動に伴い、良き協力者となりました。更に思いを巡らせるならば、「マケドニアに来てわたしたちを助けてください」と懇願した一人のマケドニア人が、もしかしたらルカなのではないかと推測する研究者もいますが、確かなことは分かりません。

 では、11節から読んでいきましょう。【11~13節】。パウロとシラス、テモテ、そしておそらくルカの一行は、小アジア北西部の港トロアスからエーゲ海に出て、マケドニア州のネアポリス港に上陸し、そこからフィリピへと向かいました。その移動時間は二日、移動距離は300キロほどですが、これには大きな意味がありました。これによって、主イエス・キリストの福音が初めてエーゲ海を渡り、小アジア地域からマケドニア州へ、ギリシャ地方へと持ち運ばれることになったのです。もっと大きな地域で言えば、アジア大陸の西の果てからヨーロッパ大陸の東の入り口へと、主キリストの福音が引き渡されていったのです。それは、エルサレムから始まった主イエス・キリストの福音が全世界へと広がっていく偉大なる一歩であったと言えるでしょう。パウロの第二回伝道旅行の当初の目的にはありませんでしたが、聖霊なる神は人間の思いや計画をはるかに超えて、全世界のための救いのみわざを前進させてくださったのです。

 フィリピはローマの植民都市であったと書かれています。植民都市というのは、ローマが征服した町に、本国のイタリアからローマ人の移住を進め、その住民には本国と同じ特権を与えて優遇するという政策によってつくられた町を言います。そのことから、フィリピにはローマ人が多くおり、ローマの文化、経済活動などが活発に行われていたようです。

 パウロはフィリピの町にあったユダヤ人の祈りの場に安息日、土曜日に出かけていきます。この祈りの場が、正式なユダヤ人の会堂であったのかどうかは分かりません。当時は一般に、ユダヤ人男性が10人住んでいる町には会堂を建てることになっていました。フィリピの町にどれくらいのユダヤ人がいたのかは分かっていませんが、パウロはまずユダヤ人の祈りの場を探し、安息日にはそこにユダヤ人が集まるであろうと期待して、出かけていきました。

 このパウロの伝道のやり方は、第一回世界伝道旅行でも同じでした。キプロス島でもピシディア州のアンティオキアで、またイコニオンでも、パウロはまずその町のユダヤ人会堂を探し当て、そこでユダヤ人に福音を語るのを常としました。たとえその町でユダヤ人からの迫害にあい、町を追い出されても、また次の町でも同じようにまずユダヤ人に福音を語りました。13章にはパウロがピシディアのアンティオキアでユダヤ人に語った長い説教が記されていますが、そのパウロを口汚くののしったユダヤ人に対して、パウロはこのように言っています。【13章46~48節】(240ページ)。

 しかし、それでもなおも、ユダヤ人は救いから見放されたのではありませんでした。パウロがユダヤ人に対して二度と語らなくなったのでありませんでした。神は全世界の民の中からまずイスラエルの民をお選びになり、イスラエルの民ユダヤ人によって救いのみわざを始められたという、神の救いの秩序は変わることはありません。そして、ユダヤ人から始まって、全世界のすべての人が救いに至るという、神の永遠の救いのご計画が完了するときには、かたくななユダヤ人もまた救いに招かれることになるでしょう。それゆえに、パウロはそれ以後にも、同じように、次の町に入ればまずユダヤ人会堂を訪れ、そこで主キリストの福音を語るのです。フィリピでも同様です。

 ところが、ユダヤ人の祈り場に集まって来たのは女性だけであったと13節に書かれています。この町に男性のユダヤ人が一人もいなかったのか、あるいはこの日はたまたま女性だけだったのかは分かりませんが、パウロはその女性たちに福音を語りました。当時の一般の人たちの目から見れば、パウロのフィリピ伝道の第一歩は、まことに心もとない、小さな一歩のように思えたに違いありません。しかし、パウロはこの小さな機会を失うことはしませんでした。いやそれ以上に、神はこの小さな機会をお用いになって、パウロたちのために、またのちに建てられるフィリピ教会のために、豊かな実りをお与えくださったのです。

 【14~15節】。ティアティラ市とは、小アジアにある町であり、高級な紫布の染色でよく知られていました。その町の出身でリディアという名の女性がフィリピで紫布の商売をしていたと紹介されています、また、彼女は神をあがめる人であったと紹介されています。神をあがめる人とは、10章に書かれていたローマ軍の兵士コルネリウスが神を畏れる人であった(10章2節22節)と言われているのと同様に、ユダヤ人ではなく、異邦人でありながら、ユダヤ人の神、旧約聖書で証しされている唯一の天地創造の神を信じている人であって、正式にユダヤ教に改宗してはいないけれどもユダヤ人の慣習を守り、律法を学び、ユダヤ人会堂に出入りをしている人を言います。

 彼女はユダヤ人ではありませんが、他のユダヤ人の女性たちと一緒に祈りの場に来て、聖書を読み、祈っていました。パウロは女性だけの集まりであっても、主イエス・キリストの福音を語ることに少しも力を緩めることはありませんでした。主イエス・キリストの十字架と復活の福音は、男にとっても女にとっても、また子どもにとっても、すべての人にとって語り、聞かれるべき福音であり、それによってすべての人が罪のゆるしと救いへと招かれる福音だからです。

 もちろん、パウロの伝道熱心さが信仰者を生み出すのではありません。14節に「主が彼女の心を開かれたので」と書かれています。パウロは熱心に語ります。リディアは熱心に耳を傾けます。しかし、彼女の心を開いて、神の言葉を悟らせ、信じさせてくださるのは主ご自身です。パウロもリディアも、語る人も聞く人も、共に主なる神の救いのみわざにお仕えするのです。そのようにして、いつの場合にも、信仰は主なる神が、また主イエス・キリストが、そして聖霊なる神が、その人に働かれることによって生まれるのです。その人の心が神の言葉に対して開かれ、語られた神の言葉の説教を自分自身に語られた救いの言葉であると信じる、その時に信仰が生まれるのです。わたしたちの信仰を生み出し、その信仰を守り、育てられるのは、すべて神のみわざです。

 リディアは主イエス・キリストを救い主と信じて洗礼を受け、キリスト者となる決意をしました。彼女には、神によって備えられていた道がありました。ユダヤ人の会堂や祈りの場に連なり、旧約聖書を読み、神に祈り、神を敬い、神を恐れる心がすでに育てられていました。そして今、遣わされた使徒パウロの説教を聞き、旧約聖書で預言されていた神の救いのご計画が、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって成就したことを知らされたのです。ここにも、確かに神の救いの秩序が生きていたと言えるでしょう。

 リディアだけでなく、彼女の家族も洗礼を受けたと書かれています。彼女に夫がいたのかどうかは分かりませんが、親や兄弟、子どもがいたのかもしれませんし、商売をしていましたから従業員もいたかもしれません。彼らみんなが洗礼を受けてキリスト者になりました。リディアが受けた救いの恵みは彼女の家全体に広がっていきました。

 それだけでなく、彼女の家に与えられた救いの恵みは、家の外にも、フィリピの町全体へと拡大されていきます。彼女はパウロたちを家に招き入れ、その家がフィリピ伝道の拠点として用いられるようになりました。次の16節以下で語られているパウロたちが受けた迫害と投獄のあと、40節によれば、釈放されたパウロたちはリディアの家に帰っていきます。そこで兄弟たちと会ったと書かれています。リディアの家にフィリピ教会の基礎が築かれつつあったということを、わたしたちはここから知らされます。そのようにして、こののちパウロと最も親しい交わりを持つことになるフィリピ教会、またパウロのその後の宣教活動を最も強力に支えたフィリピ教会が誕生していったのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたが主イエス・キリストによってこの世界にお与えくださった福音は、初代教会の時代から今日に至るまで、世界中の諸教会で語られ、聞かれ、救いの出来事を起こしています。主よ、どうかこの世界を主キリストの救いの恵みで満たしてください。この世界をお救いください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月1日説教「葦の海の奇跡」

2026年3月1日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記14章15~31節

    ヘブライ人への手紙11章23~31節

説教題:「葦の海の奇跡」

 イスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出された主なる神は、彼らを真っすぐに約束地カナンへと導くことをなさらず、東の方角の砂漠地帯が広がる荒れ野へと進ませられました。それによって、彼らはまっすぐ北へと向かえば数か月で到着することができたであろう道のりを、40年間も荒れ野の困難な旅を続けることになりました。それだけでなく、神はイスラエルの民が荒れ野の入り口で道に迷っているかのように思わせる道順を行かせることによって、エジプト軍の追撃を容易にさせられたのです。

 イスラエルの民はこのような神の不思議な導きに従順に従いました。そして、結果的には、遠回りの道を、より困難な道を、より危険な道を選ぶことになったのでした。そしてそれは、信仰の民イスラエルにとっては、正しい選択でした。なぜならば、それは神が行けと命じられた道だったからです。それゆえに、神が共にいてくださる道だったからです。たとえ、それが近道であろうとも、安易な道であろうとも、神が共にいてくださらないなら、そこには真の幸いも平安もなく、それは救いの道ではないからです。イスラエルの民にとっては、またわたしたち信仰者にとっては、広い門を神なしで入るよりは、狭い門を神と共に選び取る方が、はるかに幸いなのです。

 エジプト王ファラオは重装備の軍隊を率いてイスラエルのあとを追ってきました。エジプトでは馬に二輪車をひかせた戦車が早くから考案され、強力な兵器となっていました。他方、イスラエルは子どもや女性、それに家畜も一緒であり、訓練された軍人はおらず、武器も全くありません。彼らの前には海が行く手を阻み、後ろからは重装備のエジプト軍が迫ってきます。彼らは大きな試練と危機に直面して、恐れと不安の中で主なる神に対して叫び、嘆き、つぶやきます。そして、指導者モーセを非難します。モーセに対する非難は、彼らをエジプトの奴隷の家から強いみ手をもって救い出してくださった主なる神に対する非難でもあり、それは彼らの不信仰です。

 わたしたちはここで、神の偉大なる救いのみわざがなされるとき、また同時にそこでは人間の不信仰と不従順が明らかにされるという、聖書でしばしば語られる真理に気づかされます。神の救いの出来事は、本来その救いを受けるに値しない人間の罪と不信仰を浮かび上がらせるのです。あるいはまた、その神の救いのみわざに感謝することをしない人間のかたくなさと傲慢をも明らかにするのです。そして、神の救いの出来事はそれらの人間の不信仰やかたくなさをも越えて、より偉大な救いの出来事へと続いていくのだということを、わたしたちはきょうの箇所からやがて知らされます。

もう一つ、この箇所からわたしたちが知らされる不思議な神のご計画についてみていきましょう。11節に、「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか」という、指導者モーセに対する民の非難が記されています。ここには、ある意味では、神の不思議なみ旨、神の真理ともいうべき内容が含まれています。ご承知のように、エジプトには死者を葬るための巨大な墓やピラミッド、集団墓地などが数多く残されています。手厚く死者を葬ることや死後の世界に、エジプト人は大きな関心を持っていました。イスラエルもまた、エジプト人とはまったく違った信仰によって、死者を葬ることを重要視していました。13章19節にはこのように書かれています。【19節】(115ページ)。イスラエルにおいては、信仰者の生と死は、神の永遠なる約束の成就のために仕えるのです。それゆえに、イスラエルの民の墓もまた、異教の地であるエジプトには用意されてはいなかったのです。彼らはエジプトの地に葬られるべきではありません。もちろん、荒れ野に葬られるのでもありません。彼らは神がお導きになる約束の地、カナンに葬られるために、エジプトから救い出されて、ここまで来たのです。イスラエルの民のつぶやきの言葉の中に、実は神の救いの真理が含まれていたのです。そして、事実、神は彼らのための救いのみわざをなさるのです。

それにしても、エジプトの奴隷の家から救い出されたイスラエルの民が、それから少ししか過ぎていないのに、今直面している困難と危機に恐れと不安と募らせて、自分たちが経験した神の偉大な救いのみわざを忘れ去り、神と指導者モーセを非難し、不信仰と不従順に陥るとは、なんとも情けなく、愚かであることでしょうか。聖書は何度も何度も、そのような人間の弱さやつまずき、不信仰と不従順を語ります。それが、わたしたち人間の現実だからです。神のみ子が、わたしの罪のために苦しみを受けられ、裁かれ、十字架にくぎ付けされ、その尊い血を流されることによって、わたしの罪がゆるされ、救われているという福音を、主の日の礼拝のたびに聞かされていても、小さな試練や苦難にあうと、すぐにその救いの恵みを忘れ、不安や恐れや迷いによって道を見失ってしまうわたし、そのような弱く愚かなわたしであることを、わたしたちは告白しなければなりません。そしてまた、そうであるからこそ、主なる神がこのわたしのために戦ってくださることを強く信じて、謙遜に、より従順に、神のみ言葉に聞き従うべきなのです。

13節、14節を読みましょう。【13~14節】。神はイスラエルの民を決してお見捨てにはなりません。否、彼らが弱く、つまずいているときにこそ、彼らのために立ち上がられ、彼らのために戦ってくださいます。ご自身が愛される民に試練をお与えになり、彼らの信仰の訓練をなさる神は、彼らの苦難の中でこそご自身の偉大なみ力と栄光とを現わされます。

「恐れてはならない」「恐れるな」という神の命令は、わたしたちが何度も聖書から聞いているように、神が人間の恐れを否定する言葉である同時に、神が恐れを取り除いてくださり、恐れに代わって、平安や喜び、希望をお与えくださる約束の言葉でもあります。イスラエルの民は大軍を率いて後を追ってきたエジプト軍を見ています。自分たちの危機的な状況を見ています。その時、彼らは恐れざるを得ません。しかし、彼らは間もなく神の救いのみわざを見ることになります。神ご自身がイスラエルのために戦ってくださることを見ることになります。そして、神がエジプト軍に勝利され、自分たちを救ってくださることを見ることになります。その時、彼らの恐れは喜びと感謝に変わるでしょう。

15節から、一般に紅海の軌跡と言われている神の奇跡が詳しく描かれています。14章では「海」と書かれていますが、13章18節や15章4節では「葦の海」となっています。『口語訳聖書』では「紅海」と訳されていましたが、もとのヘブライ語を直訳すれば「葦の海」です。この葦の海がどこなのかについては、議論のあるところです。今日スエズ運河が通っている紅海のことなのか、あるいはそれよりは北側の葦が生えていた湖ではないかとも推測されたりします。けれども、そこで起こった神の奇跡については、だれも疑いえないほどに、現実的な表現で、詳細で、生き生きと、描かれています。

15~18節には、神がモーセにお命じになったこと、すなわち、モーセが手に持っている神の杖によって海を二つに分けるようにとの命令が語られています。19~25節では、実際に海が二つに分けられ、イスラエルの民は雲の柱、火の柱に守られながら、渇いた海の底を安全に渡ったこと。しかし、あとを追ってきたエジプト軍は、神が送られた火の柱と雲の柱によってかき乱されて前進できなかったことが書かれ、26節以下では、二つに分けられた海の底にいたエジプト軍が、再び流れてきた海の水の中に沈み、全滅したことが書かれています。そして最後の31節にはこう書かれています。【31節】。これが、紅海の奇跡、あるいは葦の海の奇跡と言われている神の奇跡です。

葦の海の奇跡は、出エジプトの奇跡と並んで、神がイスラエルの民を救われるためになされた偉大な奇跡として、旧約聖書の中で、詩編や預言書で繰り返して取り上げられています。イスラエルの民の誕生の原点、彼らの信仰の原点がここにあるからです。

では、重要な箇所をいくつか取り上げて詳しくみていきましょう。【17~18節】。これとほとんど同じ内容が、すでに4~5節で語られていました。神はイスラエルの民をお導きになるだけでなく、エジプト人の心とその軍隊をも自由にご支配しておられ、ご自身の民の救いのためにお用いになります。それは、最終的には、神が全地にご自身の栄光を表すためであり、すべての民が、すべての人が唯一の主なる神を知り、その神を信じるようになるためなのです。神は全人類をお救いくださるために、先にイスラエルの民をお選びになり、また教会の民をお選びになられました。

次に、【19~20節】。13章21、22節に、神が昼には雲の柱となり、夜には火の柱となってイスラエルを導かれたと書かれていました。ここでも、雲の柱がエジプト軍とイスラエルの民との間に入って、両者が近づかないように、すなわちエジプト軍がイスラエルの民を攻撃することができないようにされたと書かれています。神は、時には民の先頭に立って彼らを導かれ、またときに彼らの最後尾に立って彼らを守られました。イスラエルの民が荒れ野を旅する40年間、いつもそのようであったことが、このあとにも繰り返して語られます。神はいつの時代にも、そのようにして、信仰者の先頭を行かれ、彼らを救いの完成に向けて導かれます。また、同時に神は信仰者の最後尾を行かれ、足の遅い人をも守られます。

【21節】。この奇跡を、何かの自然現象で説明することはできませんし、すべきでもありません。海の潮の満ち引きが関係しているとか、シリア・パレスチナ地方に現れるシロッコと呼ばれる乾燥した熱風が海の水を乾かしたとか、その他の自然現象で説明を試みることは無益でしょう。ここでは主なる神が働いておられるのです。天地万物を創造された全能の神が、その強いみ手をもってこの奇跡を起こし、この救いのみわざをなしておられるのです。次の15章で歌われている賛美の歌のように、のちのイスラエルの詩人たちや預言者たちは、この時の葦の海の奇跡から、主なる神の偉大なる救いのみわざを読み取り、すべての困難や災いから信仰者を守ってくださる神の限りない恵みと慈しみとを学んだのです。

そして、30、31節にはこのように書かれています。【30~31節】。ここには、13節と同様に、「見た」という言葉が2度用いられています。イスラエルの民が神のみ言葉に聞き従い、自分たちの困難な状況から目を離して主なる神の救いを見上げるとき、彼らは実際に敵が無力にされているのを見ることが許され、また自分たちが敵の手から救い出されているのを見ることを許されるのです。

わたしたちもまたこの主なる神を信じる信仰へと招かれています。わたしたちが十字架で死なれ、三日目に復活された主イエス・キリストを仰ぎ見るときに、わたしたちもまた罪と死と滅びから解放され、救われている自分を見ることが許されるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたはわたしたちのすべての信仰の道に伴ってくださいます。時にわたしの前に進み、わたしを導かれ、時にわたしのうしろに立って、わたしを安全に守ってくださいます。あなたの恵みと慈しみとは、わたしから離れることはありません。主よ、それゆえにわたしたちはいつどのようなときにも、恐れることなく、迷うことなく、あなたのみ言葉に聞き従っていくことができます。どうか、終わりの日まで、わたしたちの信仰の道をお導きください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。