2025年12月21日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
降誕節(クリスマス)礼拝
聖 書:イザヤ書9章1~6節
ルカによる福音書2章1~21節
説教題:「あなたがたのために救い主が誕生した」
ルカによる福音書は主イエス・キリストが誕生されたクリスマスの出来事を世界史との関連の中で語っています。2章1、2節にこのように書かれています。【1~2節】。また、3章の初めでは、メシア・救い主であられる主イエスのための道を整える役割を果たす先駆者ヨハネが、ユダの荒れ野で「来るべきメシアに備えて、罪を悔い改めて、神に立ち帰りなさい」と説教し始めたことも、世界史との関連で語っています。これらの記述から、主イエスが誕生された時代と年代、主イエスが先駆者ヨハネに続いて神の国の福音を宣教し始めた時代と年代をほぼ特定することができます。今日の研究によれば、主イエスの誕生は紀元1年よりは少し前の紀元前4年ころ、主イエスが公の宣教活動を始められたのが紀元28年ころと考えられています。
主イエスの誕生を世界史との関連の中で記述することによって、この福音書記者は主に二つの重要なメッセージをわたしたちに残しているのです。その一つは、聖書が記している主イエスの誕生と主イエスの福音宣教のお働きが歴史的な事実であるということです。それは架空の神話ではなく、だれかの作り話でもなく、確かに世界の歴史の中で、しかもあの時代のヨーロッパと地中海沿岸沿岸、中東地域全体を支配していた世界の支配者ローマ帝国の中で起こった出来事であるということを、この福音書は語っているのです。
さらにこの福音書が語る重要なことは、初代ローマ皇帝アウグストゥス・オクタヴィアヌスと、第2代皇帝ティべリウス・カエサルとその時代の他の支配者たち数人の名前がそこでは挙げられていますが、彼ら世界の支配者たちの中で、神がこれからなそうとしておられる神の救いのみわざは、彼ら世界の支配者のだれかによってなされるのではなく、全くもって世界の指導者からは遠くにいる、ごくごく小さな、貧しい、だれからも注目されることもない、目立たない、ユダヤのベツレヘムに生まれる幼子と、ユダヤの荒れ野で説教する先駆者ヨハネによって、神はご自身の偉大なる救いのみわざを始められるということ、神はこの小さな者たちをお用いになって、ご自分の偉大なる救いのみわざをなそうとしておられるのだということ、そのことをルカ福音書は強調しているのです。
では、この二つのルカ福音書の特徴から、わたしたちは何を学ぶべきなのでしょうか。一つには、主イエスの誕生というクリスマスの出来事は歴史の事実であり、この歴史の中で主なる神がお働きになられたのだということ、また今も働いておられるのだということを知ることです。神はわたしたち人間の歴史の中へ、わたしたちの生活と歩みの中に入って来られます。神はかつては旧約聖書の時代にはイスラエルの民の中に入って来られ、彼らの中で救いのみわざをなさいました。そして、今、神は全人類の、全世界の歴史の中に、わたしたちすべての人生の歩みの中へと入って来られたのです。
10、11節にはこのように書かれています。【10~11節】。ここで「民全体」とは、この時点ではイスラエルの民のことを指しているかもしれません。また、「あなたがたのために」とは、神に選ばれたイスラエルの民一人一人を指しているのかもしれません。でも、14節の天使たちの賛美で、【14節】の「地には平和、あれ」の地とは、全世界を指していることは疑いえませんし、1、2節で当時のローマ帝国の皇帝の名前によって全世界のすべての民族が言い表されていることも、疑いえません。神がこの日この世界に誕生させたもうたみ子主イエス・キリストは、全世界のすべての人のための救い主として与えられたのです。クリスマスの出来事は全世界のすべての人に深く関係しているのです。それゆえに、全世界のすべての人がこれを大きな喜びをもってお祝いするようにと促されているのです。
クリスマスの出来事はおよそ2千年ほど前のあの時代にだけ関係しているのではありません。あの時、世界の歴史の中に入って来られた主なる神は、今もなおこの歴史の中で生きて、働いておられます。わたしたちが今現実に目にしているこの世界の中でも、クリスマスの出来事は大きな意味を持っています。世界の各地で繰り返されている戦争や紛争、爆撃と破壊、失われていく数々の命、あるいは自然破壊、飢餓と貧困、その他あらゆる問題、課題が山積している今日の世界の中で、クリスマスの出来事はそれらのすべてと無関係ではありません。そこでもまた、「恐れるな、わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」というこのクリスマスのメッセージが語られなければならないのです。それが、きょうのクリスマス礼拝に招かれたわたしたちの託されている使命なのです。
もう一つ、わたしたちがここから学ぶべきことは、このクリスマスの日に誕生された神のみ子主イエス・キリストは目立たない、貧しいお姿でこの世界においでになられたということです。12節にはこのように書かれています。【12節】。「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」がクリスマスのしるしであると言われています。世界の歴史の中に入って来られ、偉大なる救いのみわざを始められた神は、このような小さな、貧しい、目立たないしるしをわたしたちに与えておられます。この小さなしるしを、わたしたちは見失わないようにしなければなりません。わたしたちの目は、多くは華々しく見栄えが良く、人の欲望をそそるものへと向けられます。わたしたちの心は、多くは価値があるもの、強いもの、高いものを追い求めようとします。しかし、そこでは、クリスマスのしるしを見いだすことはできません。そこでは、クリスマスの大きな喜びも祝福も恵みを、受け取ることはできません。
わたしたちがこの小さな貧しいクリスマスのしるしを見いだすためには、神のみ声を聞かなければなりません。「ここにこそ、クリスマスのしるしがある」と言われた神の言葉に耳を傾けなければなりません。そして、信仰の目をもってそのしるしを見なければなりません。わたしたちが信仰の目をもってこの小さな貧しいクリスマスのしるしを見るときにこそ、そこにある大きな喜びと祝福と恵みを受け取ることができるのです。
では、その小さなしるしを信仰をもって見極めるためにはどうすべきなのでしょうか。実は、クリスマスのこの小さなしるしは、この日に誕生された主イエスのご生涯全体と、特に最後の地上の歩みである受難週にまで続いているのです。16世紀の宗教改革者マルチン・ルターは、「布と飼い葉桶の背後には十字架が見える」と言っています。布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされた幼子主イエスは、だれからも注目されず、見捨てられたようにして、家畜小屋で誕生されました。7節に、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と書かれています。だれも神のみ子の誕生のために、暖かい部屋を提供する者はいませんでした。柔らかなベッドも布団もありませんでした。そのようにして誕生された主イエスの道は、受難週の十字架の死へと続いていくのです。神がすべての人の救い主としてこの世界にお遣わしになった神のみ子を、だれも受け入れず、信じませんでした。主イエスはただお一人で、十字架への道を進まれたのです。そして、ご自身神のみ子であり、聖なる、罪なきお方であられたにもかかわらず、罪びとの一人として裁かれ、十字架で処刑されました。
しかし、ここに、神の隠された救いのみわざがありました。神はわたしたち人間の罪のすべてを、わたしたちに代わってご自身のみ子に背負わせたのです。主イエス・キリストはわたしたちの罪を担われ、わたしたちの罪のための裁きを引き受けられ、わたしたちを罪から救うためにご自身の命を父なる神にささげ尽くされたのです。「あなたがたのための救い主」とはこのような十字架につけられた主イエス・キリストのことなのです。わたしたちがクリスマスの小さなしるしを見るためには、この十字架につけられた主イエス・キリストを信じる信仰が必要なのです。ルターが言ったように、「布と飼い葉桶の背後にある十字架」を見なければならないのです。
ルターは、「布と飼い葉桶」に、わたしたち人間の罪を見ています。神がお遣わしになった救い主をお迎えするための部屋を持っていない人間の罪、神のみ心を悟る知恵を持たず、神なき世界で、自らの欲望と傲慢のままに生きていたわたしたち人間の罪が、そこに象徴されているのです。その罪に気づき、告白し、悔い改めて神に立ち返ることなしには、だれもクリスマスの本当のしるしを見いだすことはできません。。
最後に、ルカ福音書が主イエス誕生のクリスマスの出来事を世界史との関連の中で語っていることのもう一つの意味について考えてみましょう。2章と3章の初めに、当時のローマ帝国の初代皇帝と第2代皇帝の名前と、イスラエル周辺世界の支配者たちの名前が幾人か書かれていますが、それらの支配者たちはクリスマスの出来事の主人公ではありません。世界の救い主ではありません。クリスマスの出来事は彼らのわきをすり抜けていきます。そして、歴史からは見捨てられているかのように思われる、小さく貧しいあのしるしへと行きつくのです。布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされている幼子主イエスこそが、全世界の救い主であり、すべての人の唯一の主なのです。
ルカ福音書はこのことによって、当時世界の支配者であり主であると自称していたローマ皇帝が世界最高の主なのではなく、わたしたちのために十字架で死んでくださり、わたしたちを罪から救ってくださった主イエス・キリストこそが、全世界の、唯一の主であるのだということを、あの時代に向かって、また今の時代に向かって語っているのです。
(執り成しの祈り)
〇天の父なる神よ、 きょうの秋田教会のクリスマス礼拝にわたしたち一人一人をお招きくださいましたことを、心から感謝いたします。どうか、わたしたちの上にクリスマスの大きな喜びと祝福、そして恵みが与えられますように。そして、世界のすべての人たちにもクリスマスのメッセージが届けられますように。
〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。
