2025年7月13日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記11章1~10節
ヨハネによる福音書12章37~43節
説教題:「エジプトでのしるしと奇跡(三)」
神は、エジプトで400年余りにわたって寄留の民、奴隷の民として苦難の中にあったイスラエルの苦しみの叫びを聞かれ、彼らを奴隷の家から解放し、約束の地、カナンへと導き上ると言われ、その指導者としてモーセをお立てになりました。イスラエルのエジプト脱出という神の救いのご計画は、イスラエルのエジプト移住からさらにさかのぼって、紀元前1900年から1800年代の族長アブラハムに最初に語られた神の約束の言葉の成就でありました。神はアブラハムに言われました。「わたしはお前の子孫を永遠に祝福する。お前の子孫は星の数ほどに増える。わたしはお前と子孫を約束の地、カナンへと導き上り、その地を嗣業として与える」。これが、いわゆるアブラハム契約と言われる神の約束です。出エジプトはそのアブラハム契約の成就を目指していたのです。そしてさらに、この出エジプトの出来事は、それから千数百年のちに、神が主イエス・キリストによって全世界のすべての民のために成就されるであろう救いのみわざの予告であり、預言でありました。神がイスラエルの民のためになしたもうた出エジプトという救いのみわざは、主イエス・キリストの十字架の死と復活によってなしたもうた全人類の救いのみわざによって、完全に成就されたのです。出エジプト記を読むとき、わたしたちは主イエスの福音をそこから読み取るのです。
出エジプト記7章14節から10章29節までは、神がエジプトでなされた計9回のしるしと奇跡が書かれています。エジプトのナイル川とすべての水が血に変わり、飲めなくなったという奇跡。蛙、ぶよ、あぶが異常に発生し、エジプト人が苦しんだというしるし。疫病が大流行し、エジプトの家畜が多く死んだという奇跡など。そして9番目には、エジプト全土が大きな暗闇に覆われたというしるし。これは、そののちの10番目の、より恐ろしい、エジプト全土を襲うであろう大きな災害の前兆でもありました。
神がこのように、何度も何度も繰り返してしるしと奇跡とをなされた理由について、もう一度振り返ってみましょう。モーセはエジプト王ファラオに対して、このような要求を告げました。「わが民イスラエルをエジプトから去らせ、自由に神を礼拝する民とさせてください。それがイスラエルの神のみ心だからです」と。その要求をファラオが簡単に受け入れるはずはありません。そこで、神はモーセとアロンによってエジプトに災いをもたらすしるしと奇跡とを行いました。それを見てファラオはイスラエルの神を恐れ、民を解放するから、この災いを取り去るように、モーセに懇願しましたが、しかし実際に災いが収まって一息つくと、ファラオは心を翻して、モーセの要求を再び拒否しました。それが何度も繰り返された結果、最後の10番目の災いへと至ったのでした。
ここには、エジプト王ファラオのかたくなさ、神を恐れない傲慢さ、この世の権力にしがみつこうとする人間の罪が浮き彫りにされています。エジプトで行われた10のしるしと奇跡は、それに対する神の厳しい裁きなのです。他方、それはまたイスラエルの民にとっては神の忍耐と愛のしるしでもありました。神はご自身が選ばれた民イスラエルの救いのために、アブラハムへの契約の成就のために、エジプトの権力とファラオのかたくなさに勝利されます。これらの10のしるしと奇跡は、神の偉大さを表しています。また、どのような人間のかたくなさや罪によっても決して変更されることがない、神の救いのご計画の永遠性を表しているのです。
きょう朗読された11章では、10番目の、最後の最も恐るべきしるしと奇跡の予告が語られています。【1~3節】。ここでは、まだ10番目の災いの内容については語られていませんが、その災いの持っている特別な意味について説明されています。その一つは、これまでファラオは何度も心を翻してイスラエルの民を去らせることを拒んできましたが、この最後のしるしと奇跡ののちには、むしろ彼らをエジプトから追い出すようになるであろうということ。それほどに偉大な神のみ力が現わされ、ファラオはイスラエルの民がエジプトにとどまることを恐れるようになるということです。この最後のしるしと奇跡は、エジプトにとっても、またイスラエルにとっても、決定的な意味を持つことになります。ファラオはイスラエルからの要求を聞いて彼らを去らせるようになるというのではなく、むしろファラオの方から彼らを追い出すようになるのだと、神は言われます。
もう一つは、イスラエルの人々はエジプト人の好意を得て、彼らから金や銀の飾りを受け取るであろうとも言われています。このことについては、すでに3章21~22節で予告されていました。【21~22節】(98ページ)。また、12章36節では、【36節】(113ページ)と書かれています。これらの記述から、いくつかのことが読み取れます。第一には、イスラエルの民は寄留の地エジプトで、信仰の民としてエジプト人に好意をもって受け入れられていたので、その好意のしるしとして、金や銀をいわば餞別として受け取ったという意味。第二には、イスラエルがエジプトで強制的に奴隷としての労働を強いられていた、その当然受けるべき報酬として、金銀を受け取る権利があったという意味。第三に、エジプト人がイスラエルの民奴隷として虐待したことに対する刑罰として金銀を支払う義務があったという意味。
イスラエルの民が出エジプトの際に金銀を携えて出たことの意味について、以上のことが考えられていますが、しかしここで重要なことは、それらの金銀はイスラエルの人々が自分たちの身を飾るために用いるではなく、やがて荒れ野を40年旅を続ける期間に、移動式の礼拝所である幕屋を製作する際に、礼拝の場に設置する器具として神にささげられるためであったということです。出エジプトは、イスラエルの民が真実の礼拝の民となることを最終的な目標としているのです。
4節から10番目の災い、しるしと奇跡の予告が語られます。【4~6節】。これまでの9番目までしるしと奇跡は、モーセが手にしていた神の杖によって、自然界で起こった現象でした。しかし、今回のこの最後のしるしと奇跡は、神ご自身がエジプトの中に入って行かれ、神ご自身が行われる奇跡であると言われています。天におられる神が地に降って来られ、神が直接にご自身のみ手をもってエジプトをお裁きになる。そして、イスラエルの民をお救いになる。そのことを、神ご自身が具体的に行動されるのだと言われています。
神が重要なみわざをなさるときには、しばしばこのように、ご自身が天から地に降って来られ、直接にご自身のみ手をもって行われるということを、わたしたちはこれまでも聞いてきました。創世記11章5節にはこう書かれていました。「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見られた」。そして、神は天にまで高く至ろうとしていたバベルの塔の建設を中止させられました。また、創世記18章では、ソドムとゴモラの悪があまりにも大きいので、それを見届け、それに厳しい裁きを下すために、神は「わたしは降って行き、彼らのなしていることを見てこよう}と言われました(18章21節参照)。そして、出エジプト記3章7節以下にはこのように書かれていました。【7~8節】(97ページ)。
その神が時満ちて、今一度天から降って来られ、み子イエス・キリストとして、人となってこの世においでになられたということを、わたしたちは知っています。そして、アブラハムとの契約を最終的に成就し、全人類を罪の奴隷から救い出してくださいました。
「真夜中ごろ、わたしはエジプトの中を進む」と神は言われます。すべての人が眠りに落ちている時にも、神はお一人目覚めておられ、ご自分が選ばれた民の救いのために、いわば敵地に乗り込んで、お働きになります。それゆえに、12章42節ではこう言われています。【42節】(113ページ)。
10番目の災いは、エジプトの王ファラオの家から始めてすべての家に生まれた初子(すなわち長男)と、家畜の初子(最初に生まれたオス)が、すべて死ぬというしるし、奇跡です。そのためにエジプト全土に大いなる悲しみの叫び、驚き、嘆きの叫びが起こるであろうというのです。未だかつて一度も起こったことがないほどの大きな災いであり、しるし、奇跡であり、またこののちにも再び起こることがないほどの大きなしるし、奇跡であるとも言われています。
しかし、その時に、イスラエルの家はみな主なる神によって守られるであろうと言われています。【7節】。エジプトに対する大きな災いは、イスラエルにとっては大いなる神の守りと救いのしるし、奇跡となるのです。それによって神はイスラエルに対する大きな愛をお示しになります。そのようにして、神はエジプトでの苦役のゆえのイスラエルの叫びと祈りをお聞きになられ、そしてまた、アブラハムとの契約を成就なさるのです。
そこで、8節にはこのように書かれています。【8節】。神が全エジプトの家に下された大いなる災いに、彼らはみな恐れ、戸惑い、ついにはモーセとイスラエルの民にエジプトから出て行ってほしいと願い求めるようになるであろうと、モーセはファラオに語りました。イスラエルの神の完全な勝利を告げているのです。そして、事実そのようになったことが12章29節以下に書かれています。あらかじめ、その中の33節を読んで確認しておきましょう。【33節】。そのようにして、イスラエルの民はエジプトの奴隷の家を安全に、主なる神に守られて脱出することができたのです。神はイスラエルの民の救いのために必要なすべての道を完全に整えてくださったのです。
神はまた、主イエス・キリストによって、わたしたち罪びとたちの救いに必要なすべての道を、完全に整えてくださいました。わたしたちはその道を喜びと感謝とをもって、神のみ名を賛美しながら進むことができるのです。
(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたは寄留の民、奴隷の民であったイスラエルをお選びになり、この民によって救いのみわざをお始めになられました。あなたはイスラエルの民の中にメシア・救い主をお与えになり、主イエス・キリストによって全世界のすべての人の救いを成し遂げてくださいました。そして今、わたしたち一人一人をその救いの民の中にお招きくださいました。感謝いたします。どうか、あなたの救いのみわざがさらに前進しますように。救われる民を増し加えてくださいますように。
〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの世界に実現しますように。世界の為政者たちが主なる唯一の神であるあなたを恐れる者となりますように。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。