7月21日説教「神の奇跡によって牢から救出されたペトロ」

2024年7月21日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編18編1~7節

    使徒言行録12章6~19節

説教題:「神の奇跡によって牢から救出されたペトロ」

 使徒言行録12章に書かれているヘロデ・アグリッパ一世によるキリスト教会迫害の出来事は、聖書以外の歴史資料を参考にすると、紀元44年の過越しの祭りの時期、3、4月のことと推測されます。主イエスの十字架の死と復活の出来事が紀元30年ころの同じ過越祭の時期とすると、その年のペンテコステ、五旬節に世界最初の教会、エルサレム教会が誕生してから10年あまり過ぎたことになります。この間の初代教会の目覚ましい成長・発展についてわたしたちはこれまで使徒言行録から聞いてきました。それと同時に、初代教会が経験した幾度かの迫害についても聞いてきました。そして、12章の冒頭で、初代教会がこれまでに経験した迫害とは違った、国家権力による迫害についてわたしたちは聞くことになりました。ユダヤ国家の王、ヘロデ・アグリッパ一世が主イエスの12弟子の一人ヤコブを殺害し、さらに初代教会のリーダー・ペトロをも捕らえ、処刑しようとしています。誕生してまだ間がない初代教会は大きな危機を迎えることになりました。この時にも、「神の言葉はこの世のどのような鎖によっても決してつながれることはない」(テモテへの第二の手紙2章9節参照)ということをわたしたちは確認することができるでしょうか。

 前回わたしたちは5節で、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」というみ言葉を聞きました。このみ言葉こそが、投獄されているペトロと祈っている教会とに約束されている勝利のしるしであり、「神の言葉はつながれない」ことの真理のしるしでもあるということを学びましたが、きょうのみ言葉でわたしたちはそのことをはっきりと確認することができます。

 【6節】。ペトロはユダヤ人最大の祭りである過越祭の時に捕らえられ、数日間牢に入れられていました。3節では「除酵祭」と言われ、4節では「過越祭」と言われていますが、使徒言行録では同じ意味で用いています。正確に言えば、ユダヤの暦でニサンの月の14日が過ぎ越しの祭りであり、そのあとに除酵祭と言われる、パン種を入れない固いパンを食べる祭りが1週間続きます。この祭りは、神の民イスラエルの誕生を祝う祭りであり、モーセの時代に神がイスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出されたことを感謝する祭りです。主イエスは10数年前の同じ過越祭の時に、全人類を罪の奴隷から救い出すために十字架で死なれ、三日目に復活されました。ヘロデ王の教会迫害は期せずして、その主イエスの救いの出来事を指し示すことになったのです。

 ヘロデ王は除酵祭が終わってからペトロを裁判にかけて死刑にするつもりであったと4節に書かれていました。それまでの数日間、ヘロデ王は厳重な監視でペトロを牢に閉じ込めておきました。4節では、「四人一組の兵士四組」に監視させたとあり、6節では「二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間」にペトロを拘束し、さらに二人の兵士が戸口で監視していたと書かれています。ペトロは身動き一つできないほどに、がんじがらみに拘束され、厳重な監視のもとに置かれたいたことが強調されています。

 なぜ、ヘロデ王はこれほどまでにペトロを徹底的に拘束したのでしょうか。彼は何を恐れていたのでしょうか。ペトロの逃亡を恐れていたのでしょうか。仲間が彼を奪還しにくるのを恐れていたのでしょうか。それとも、他の何かを恐れていたのでしょうか。あるいは、もしかしたら、ヘロデ王自身は自覚はしていなかったけれども、これから起こるであろう神の奇跡を恐れていたのでしょうか。人間の理解をはるかに超えた、人間には不思議としか思えない、神の驚くべき奇跡を、ヘロデ王は恐れていたのでしょうか。

 2節と3節によれば、ヘロデ王は12弟子の一人ヤコブを殺害したことがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペトロをも捕らえて、教会に対する迫害を拡大しようとしていたことが分ります。神なき世界に住み、神を恐れないこの世の権力者というのは、自らの政治信念とか何かの真理とかによって行動するよりも、世の人々の関心をかうためとか、自らの権威の座にしがみつこうとして、本来恐れるに値しないものを恐れ、次第に自らも気づかずに悪魔化していくという現象は、いつの時代にもどこの国でも起こりえることです。当時の一般的な評価では、温厚な性格で、政治的手腕にもたけていると言われていたヘロデ・アグリッパ一世でしたが、彼が国家権力者として教会を迫害した最初の王となったのでした。こののち、紀元64年にはローマ皇帝ネロが教会を迫害し、紀元85年以降には歴代のローマ皇帝が迫害を続けていったという、国家権力による教会迫害の歴史が繰り返されていきます。しかし、その中で教会は今日まで生き続けてきたのです。

 次に、【7~10節】。ここに描かれていることは確かに、人間の理解にははるかに及ばない、不思議な、驚くべき神の奇跡です。「主の天使」とは神ご自身です。聖書では、天におられる神が地に住む人間世界の中で直接に行動される際には、しばしば「天使」や「主の使い」というお姿で表現されます。ここでは主なる神ご自身が行動しておられます。ペトロはただ神のみ言葉に、黙って服従するだけです。彼には、今だれが行動しているのか、だれが自分に働きかけているのか、自覚的な意識はなかったように思われます。彼は「幻を見ているのだと思った」と9節に書かれています。

 わたしたちは聖書の記述から、ここで起こっていることを順を追って確認していきましょう。7節の表現は、ルカ福音書2章9節の、主イエス誕生の時の羊飼いの場面と非常によく似ています。そこにはこう書かれています。「すると主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした」。主イエス誕生の時に光り輝いた主の栄光が、今またペトロが捕らえられている牢の中を照らしています。主イエス誕生の時に夜の羊飼いたちを照らした主の栄光が、今手足を縛られ、死の判決を待つだけのペトロの牢の中を明るく照らし、大きな危機の中にある初代教会を照らしているのです。国家権力の前では全く無力であり、その悪魔的な暴力の前でなすすべを持たない教会を、主の栄光が照らしているのです。

 しかし、ペトロを監視している牢の兵士たちにはその栄光は見えません。ペトロのそばで起きて見張っていたはずの2人の兵士はだれ一人その栄光には気づきません。それだけでなく、ペトロを挟んで起きて見張っていたはずの二人の兵士が眠ったようになり、眠っていたペトロは天使によって目覚めさせられ、しかも二本の鎖がペトロの手から外れ落ちました。神の言葉がこの世のどのような鎖によっても縛られないように、神の言葉に仕えているペトロもまた鉄の鎖から解き放たれています。

 ペトロは天使が命じるままに、その言葉に服従しています。「急いで起き上がりなさい。帯を締め、履物を履きなさい。上着を着て、ついて来なさい」。ここでは、すべて神ご自身がみ言葉を語っておられます。神ご自身が行動しておられます。これが神の奇跡です。ペトロはただ黙って神のみ言葉に服従します。その時、神の奇跡が起こるのです。

 ペトロはほとんど無意識のように、幻を見ているように思い、いわば天使に手を引かれるようにして、第一、第二の衛兵所を安全に通過し、最後に町の通りに抜ける鉄の門の前に来ると、門はひとりでに開き、牢の外へと導かれました。これで、牢番の監視から全く自由にされました。その時、役目を終えた天使の姿が見えなくなりました。

 【11節】。ペトロはここで初めて、しっかりと目を覚まし、自分の身に起こったことを自覚しました。これまでのすべてのことが、神がなされた奇跡であることを知らされました。神が国家権力による迫害とあらゆる災いに勝利され、その中にいた自分を守り、救われたのだということをペトロは悟りました。

 牢から解放されたペトロは、彼のために祈っている教会の群れへと帰って行きました。【12節】。ここで、祈っている教会の群れと祈られているペトロとが出会います。しかも、祈っている群れは自分たちの祈りがすでに神によって聞き届けられているということにはいまだ気づかずに、祈り続けているのです。その祈りの群れと、すでに祈りが聞かれ、すでに神の救いにあずかっているペトロとが出会うという、不思議なことがここでは起こっているのです。教会の祈り、キリスト者の祈りは、このような救いの出来事を生み出します。なぜならば、主なる神がその祈りをお聞きくださり、祈っている人がまだそのことに気づかないうちに、神がすでに救いのみわざをなしてくださるからです。

 ヨハネ・マルコとその母マリアの家は、エルサレム教会の家庭集会の一つであったと思われます。夜中に牢から解放されたペトロはこの家の教会へと帰っていったのですが、その時にはまだ教会では徹夜の祈りが続けられていました。13節以下に書かれていることは、熱心な徹夜の祈りがなされている緊迫感とともに、神がなしたもうた奇跡のみわざをすぐには信じることができない人間の戸惑いのような、何かユーモラスは場面が描かれています。

 ペトロが家の戸を叩きます。女中のロデが取り次ぎに出ます。戸の向こうの声がペトロと分かり、喜びと驚きのあまり戸を開けることをも忘れて、急いでみんなの所へ報告に行きます。みんなはペトロがこんな夜中に帰って来るとは信じられず、それはペトロを守っている守護天使だろうと言い張ります。自分たちの祈りがこんなにも早くに神に聞かれるとは、だれも予想していなかったのでしょう。神の救いのみわざは人間の予想をはるかに超えています。

外に立つペテロはなおも戸をたたき続けています。彼らが戸を開けてみると、そこには確かにペトロが立っているではありませんか。この時の教会員の驚きがどれほどに大きいものであったかをわたしたちは推測してみることができます。神は彼らの祈りや願い、予想よりも、はるかにまさった大きな恵みをもって彼らの祈りに応えてくださったのです。神はわたしたち人間が考えることができる以上に偉大なる神であり、大いなる恵みの神であり、救いの神であられます。この神が、悪魔化していく国家権力と暴動化していく民衆の力から教会を守り、ペトロを閉じ込めていた強固な鉄格子をうち破られたのです。この神が、教会の熱心な祈りをお聞きくださり、大いなる奇跡と救いのみわざをなしたもうたのです。

【17節】。ペトロは主なる神が教会の祈りをお聞きくださり、大いなる奇跡によって彼を牢から救い出してくださったことを、教会員と共に再確認しました。彼はこのあと、しばらく身を隠すことにしました。ヘロデ王の追っ手から逃れるためでした。ペトロが再び使徒言行録に登場するのは、15章の使徒会議の画面です。その間、エルサレム教会は主イエスの兄弟であるヤコブがペトロに代わって指導的な立場に立ったと推測されています。教会はここでもまた、神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはないということを確認することができました。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたはわたしたちの祈りにはるかにまさった大きな恵みをもってわたしたちの祈りに応えてくださいます。そのことを信じて、いついかなる時にも、たゆまずに祈り続ける者としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

7月14日「永遠の命を受け継ぐために」

2024年7月14日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編116編1~19節

    ルカによる福音書10章25~37節

説教題:「永遠の命を受け継ぐために」

 きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書10章25節以下は「親切なサマリア人のたとえ」としてよく知られている、ルカ福音書特有の記事です。その前半の箇所、25~29節の主イエスと一人の律法の専門家との出会いと会話の部分は、マタイ福音書とマルコ福音書では別の文脈で語られています。マタイ福音書19章6節以下とマルコ福音書10章11節以下では、一人の金持ちの人が主イエスに「先生、永遠の命を受け継ぐために何をしたらよいでしょうか」と質問した時の主イエスとその金持ちの人との対話が、同じように書かれています。主イエスの最終的なお答えは、マタイとマルコ福音書では、「あなたが持っているたくさんの財産をみな売り払い、それを貧しい人たちに施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。そして、わたしに従ってきなさい」と言われ、その人をお招きになりましたが、彼はたくさんの財産を捨てきれなかったために、悲しみながら主イエスのもとから立ち去ったと書かれています。

 このように、前半の主イエスと一人の人が出会って、永遠の命を受け継ぐための問答がなされるという部分は、3つの福音書に共通しています。マタイとマルコの二つは非常によく似ていますので同じ記事だと推測されますが、ルカは後半の部分が全く違いますので、二つの福音書とは別の記事であるかもしれません。いずれにしても、主イエスの時代のユダヤの国イスラエルでは、非常にまじめに、また真剣に生きている人たちが、永遠の命を受け継ぐためにどう生きたらよいのかという問いを持っていたということが分ります。律法の専門家であったり、青年で多くの富を持っていた人であったり、また多くの財産を所有していた人であったり、彼らは神のみ心に従って誠実に生きていましたが、それだけで信仰の道が満たされるとは思っていませんでした。この世の富や朽ちていく肉の命ではなく、永遠の命があると信じていました。そして、その永遠の命に何とかしてたどり着きたいと願い、その道を熱心に訪ね求めていたのです。神に選ばれた信仰の民ユダヤ人は、そのようにして、まさに信仰に生きる民であったのです。主イエスはそのような信仰の民を神の国での永遠の命へと導き入れるために、この世に誕生されたのです。

 わたしたちもまたこの世の朽ちる命ではなく、過ぎ去るつかの間の命ではなく、主イエスによって約束されている、永遠に朽ちず、しおれず、しぼむことのない、まことの命に生きる者となることを願い求めながら、きょうのみ言葉を聞きたいと思います。きょうは主イエスと律法の専門家との出会いの場面、25~29節を学びます。

 【25節】。「律法の専門家」とは、旧約聖書の律法を研究していた専門職の学者を言います。彼らは、紀元前6世紀のバビロン捕囚以後、イスラエル宗教の学問的指導者で、「ラビ、先生」と呼ばれ、その多くはファリサイ派に属していました。彼らの務めは、第一にヘブライ語でトーラーと言われる旧約聖書の律法を解釈する権限を与えられていました。彼らは律法の意味を人々に教え、またその細則を作ったりして、どのようにその律法を守るべきかを教えていました。第二の務めは、旧約聖書を筆記してその写本を作成し、神の言葉である旧約聖書をのちの代に長く継承することです。使徒パウロはキリスト教徒になる以前は律法の専門家であったと考えられています。

 一人の律法の専門家が、ある日主イエスと出会います。そして、永遠の命について主イエスに質問します。彼は律法解釈の専門家ですから、聖書のことなら何でも知っているとの自負がありました。ですから、主イエスから何かを聞いて、それによって自分の考えや生き方を変えようとは最初から思ってはいませんでした。「イエスを試そうとして言った」と書かれているのはその理由によります。彼は、最近ガリラヤから出てきた主イエスの評判を耳にして、その人が確かな聖書の知識を持っているかどうかを試そうとして、主イエスに会いに来たのです。そのような姿勢で主イエスのもとを訪れても、主イエスと対話しても、そこでは真実の出会いは起こりません。

 わたしたちはここで、礼拝で聖書のみ言葉を聞き、主イエスと出会う際に大切な基本姿勢を考えておかなければなりません。もしだれかが、自分には自分の生き方、考え方がある、自分なりに努力もしているし、ここまで順調にきている。でも、とりあえず聖書になんて書いてあるのか、主イエスはどう言われるのかを聞いておこう、そのような姿勢で礼拝に臨むとすれば、この律法の専門家と同じです。そこでは、主イエスとわたしとの真実な出会いは起こりません。わたしが主イエスと出会うことによって、わたしが根本的に変えられ、全く新しいわたしに造り変えられることを願う時にこそ、主イエスとわたしの真実な出会いが起こり、わたしに天の神からの救いの恵みが与えられるのです。詩編42編の詩人のように、「鹿が谷川を慕いあえぐように、乾いた魂が命の水を求めるように」主イエスにわたしの救いを願い求めるときにこそ、主イエスとわたしとの真実な、生ける出会いが起こるのです。

 この律法の専門家はまだそのことに気づいてはいません。主イエスこそが彼を罪から救い出してくださる救い主だということを、まだ知りません。それだけでなく、彼が主イエスに質問している永遠の命が、まさにその主イエスのもとにこそあるのだということにも、まだ気づいていません。

 永遠の命とは何でしょうか。このユダヤ人がどのような理解を持っていたのかは分かりませんが、旧訳聖書には「永遠の命」という言葉はありません。また、旧約聖書時代のユダヤ人にもそのような考え方はなかったと言われています。というのは、ユダヤ人にとっては今現在、この時に主なる神とどのような関係を築くべきか、神にどのように仕えるべきかという課題が強いために、今の世とは別の世を考えたり、死後のこととか、あるいは復活とかをあまり重要視しませんでした。ところが、国が滅び、民がバビロンに捕囚になって、エルサレム神殿も約束の地をも失い、さらにはその後にも幾度も経験した厳しい迫害の時代を経て、主イエスのころには復活とか、永遠の命、新しい神の国の到来とかを信じる信仰が芽生えてきたと言われます。この律法の専門家も、この世の肉の命だけではなく、この世を越えた世に属する永遠の命というものを、漠然と考えていたのかもしれません。ギリシャ語で永遠の命は、この世、この時を意味する「アイオーン」というギリシャ語の複数形で言い表しています。つまり、この世ではなく、もう一つの、「来るべき世の」の命という意味です。永遠の命とは、この世の命がいつまでも続くことではなく、別の世、来るべき世に属する命ということです。

 そこで、本題に戻りますと、この律法の専門家自身はまだそのことに気づいてはいませんでしたが、彼が漠然とした考えで、この世を越えた永遠の命があるらしいが、それはどうしたら手に入るのかを考え、ある意味では彼自身もその永遠の命をどこかで求めていたのであろうと推測されます。そして今彼は、その永遠の命を持っておられる救い主のみ前に立っているのです。彼が主イエスに対して彼自身を明け渡し、生ける神のみ言葉を慕い求めるようにして、主イエスに聞くならば、彼はその永遠の命を受け継ぐ者とされたに違いありません。

 彼は「何をしたら」と問いかけています。彼は律法の専門家らしく、旧約聖書の律法を正しく理解し、それを熱心に守り行うことに努めてきましたから、その延長に永遠の命があると考えていたようです。ただ、彼の考えには正しい点もありました。永遠の命を「受け継ぐ」と表現している点です。受け継ぐとは、自分の力で手に入れるというよりは、他のところから受け取るという意味があるからです。彼はどれほどに一生懸命に律法を学び、またそれを実行しようとしても、自分には、あるいはだれにも、それは完全にはできないと、薄々感づいていたのかもしれません。いずれにしても、この時点では、彼はまだ主イエスとの真実の出会いの可能性は残されていたと言えます。

 【26~28節】。主イエスは律法の専門家の質問に対して、永遠の命は、彼が毎日熱心に携わっている律法、つまり神の言葉と深く関連していることをお示しになりました。つまり、神の言葉である聖書の中にこそ、その答えがあるということです。律法の専門家は旧約聖書全体の律法、戒めを、神を愛することと臨人を愛することにまとめました。これを「愛の二重の戒め」と呼びます。前半の「神を愛しなさい」という戒めは申命記6章5節からの引用、後半の「隣人を愛しなさい」はレビ記19章18節です。このように、旧約聖書全体の律法、戒めを「愛の二重の戒め」としてまとめることは、主イエスもマルコ福音書12章29節以下でしておられます。律法の専門家の答えは主イエスご自身の理解とまったく同じでした。

 主イエスは、「その神の言葉を信じ、それに従い、神と隣人を愛して生きるなら、あなたは永遠の命に生きるでしょう」とお答えになりました。神の言葉の中にこそ永遠の命があるのです。なぜなら、イザヤ書40章8節にこのように書かれてあるからです。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」。世は移り、時代は過ぎ去り、この世にあるものすべてはみな崩れ去るときも、神の言葉は永遠に生きて、信じる者たちに命を与えるからです。

 実は、主イエスはこの父なる神の言葉に服従し、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられました。それゆえに、神は主イエスを死からよみがえらせ、罪と死とに勝利させ、天にあるご自分の右の座につかしめさせたのです。そして、主イエスを信じる者すべてに、来るべき神の国における永遠の命を約束されたのです。わたしたちは主イエスのみ前に自らの罪を告白し、悔い改めて、主イエスをわたしの救い主と信じる信仰によって、主イエスがわたしたちのために勝ち取ってくださった罪と死とに勝利された永遠の命を受け取るのです。

 律法の専門家もまたこの主イエスから与えられる永遠の命へと招かれています。ところが彼はそれを受け取ることを拒みました。29節で、【29節】と答えているからです。「自分を正当化する」とは、自分で自分を正しいとし、自分の罪を認めないことです。主イエスによる救いを拒むことです。

 主イエスは今なお救いから遠く、永遠の命からも遠いこの律法の専門家に対して、「親切なサマリア人のたとえ」をお話しになりました。かたくなで、信じることができないわたしたち一人一人をも、なおも忍耐と憐みと、大いなる愛をもって、ご自身の救いへと、み国における永遠の命へと、招いておられるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちの心を、永遠に変わることのないあなたのみ言葉に固く結びつけてください。この世の過ぎ去り行くものから目を離して、天にある永遠のみ国へと向けさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

7月7日説教「燃え尽きない柴の奇跡」

2024年7月7日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記3章1~6節
    使徒言行録7章30~35節
説教題:「燃え尽きない柴の奇跡」

 キリスト教会の最初の殉教者となったステファノが、死の直前の説教でモーセの生涯について語っています。使徒言行録7章30節にこのように書かれています。「四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました」。ステファノはモーセの120年の生涯を40年ずつに区切って語っていますが、彼の説教によれば、モーセがエジプトから逃亡したのち、ミデアンの地で、エトロのもとで生活していた期間は40年であり、シナイ山で燃え尽きない柴の奇跡を見たのは、彼が80歳になってからであるということになります。
 では、その時のことを記した出エジプト記3章1節を読んでみましょう。【1節】。モーセは誕生してから40年間はエジプト王宮の中で、王ファラオの娘の子として育てられました。40歳の時、同胞のヘブライ人が過酷な労働で苦しめられていることを知り、同胞の一人を守るためにエジプト人の監督を殺してしまいました。そのことがファラオに知られ、命をねらわれることになったために、遠いアラビアのミデアンに逃亡し、そこで、神に仕える祭司の働きをしていたエトロの娘と結婚し、子どもが与えられました。その40年の間にも、エジプトでのヘブライ人の過酷な労働は続きました。モーセはミデアンの地で、もしかしたら同胞の苦しみのことを忘れていたことがあったかもしれません。けれども、神はヘブライ人の苦しみとその嘆きを決してお忘れにはなりません。2章の終わりにこのように書かれていました。【2章23~25節】。
 モーセがこの40年間、祭司エトロの家で具体的にどのような生活をしていたのかについては、聖書は何も語っていませんが、いくつかのことは推測できます。3章1節にも2章16節にも、エトロは祭司であったと書かれています。祭司とは、神に仕え、人々の礼拝の儀式などを整える務めです。エトロが仕えていた神が、族長アブラハム、イサク、ヤコブが信じていたイスラエルの神であるのか、それとも他の神々に仕えていたのかは分かりません。いずれにしても、モーセはエテロのもとで、神に仕える務めの重要性を学んだことは確かです。人間社会の中で他の人とどのように生きるかという課題だけでなく、神とどのような関係を持つか、神にどのようにお仕えしていくかを学ぶことは、そののちのモーセにとって、非常に重要な意味を持つことになりました。彼はこののちに、神によって召されて、イスラエルの民をエジプトの奴隷の家から導き出す指導者とされ、またイスラエルの民を神礼拝の民として整える務めを神から託されることになるからです。
 10節と12節にはこのように書かれています。【10節】。【12節】。モーセは神とイスラエルの民との間に立って、民の心を神に向かわせ、神のみ心を民に伝える祭司の務めを果たすための準備を、祭司エトロのもとでしていたのです。もっとも、モーセ自身はまだそのことには気づいてはいませんでしたが、これは永遠なる神のご計画だったということを、わたしたちは教えられます。 
 また、エトロが羊飼いであったということが2章16節や3章1節から知られますが、このこともまたモーセにとって貴重な経験だったと推測されます。モーセはのちになって、エジプトを脱出したイスラエルの民を、荒れ野の40年間の旅を導くことになるのですが、それはまさに羊の群れを安全に牧草地へと導く牧者、羊飼いの務めでありました。モーセはそのための訓練をミデアンの地、エテロのもとで受けていたのだと言えます。それはモーセにとって貴重な40年であったし、また彼にとって必要な40年であったのです。
 ある人はこう考えるかもしれません。神はなぜモーセを、その人生の最盛期ともいえる40~80歳代の時にお用いにならなかったのか。80歳を過ぎて、人生の終わり近くになってから、初めてその務めに召されたのかと。モーセが40歳の時に、民族意識に目覚め、正義感に燃え、同胞のヘブライ人を守るためにエジプト人を殺したあの時にではなく、それから40も過ぎたこの時になって、彼をこの務めに任じたのはなぜかと。この間にも、エジプトでのヘブライ人の苦しみはいよいよ増加し、過酷になっていったのではないかと、問うかもしれません。
 しかし、わたしたちにはその問いに対する答えはすでに分かっています。神がなさることは、人間の思いや計画とは違っており、モーセの思いとも違っていて、最もふさわしい時に、最もふさわしい仕方で、最も良き方法で神はご自身の計画を遂行なさるということをわたしたちは知っています。モーセがこれからより困難な務めを担うためにも、エジプト王宮での40年間のエジプトの学問と教育の成果よりもはるかにまさったミデアンの地での40年間の経験が重要なのです。彼の民族意識とか正義感とかでもなく、むしろそれらを捨てて、神のみ言葉を聞くことこそが、そして神によってその務めに就かされることこそが、重要なのです。
 さて、ある日モーセは父親であるエトロの羊の群れを導いて、荒れ野の奥地、神の山ホレブのふもとへやって来ました。ホレブは別名シナイ山のことです。今日ヘブライ語で「ジュベル・ムーサ」(モーセの山)と呼ばれるシナイ半島サウジアラビアにある標高2285メートルの山であると推測されています。1節でもそうですが、出エジプト記ではこのあとでも何度か「神の山」と言われています。なぜそういわれるのかは諸説ありますが、最も有力な説は、12節で言われているように、エジプト脱出のあと、モーセがこの山の頂で神と出会い、神から十戒を授かって、神とイスラエルの民との正式な契約が結ばれたことからそう呼ばれるようになったと考えられています。モーセはエテロの羊を飼いながら、神に導かれてこの山にふもとへとやって来ました。
 【2~3節】。「主の御使い」とは、ここでは天使のような何らかの姿を持ったものというよりは、神ご自身が顕現された、ご自身が現れたという意味であると考えられます。5節では「神は言われた」と書かれています。神は炎や光の中にご自身を現わされます。聖書の中には、神が霊とか風、雷、雲によってご自身を顕現されることが数多く記されています。そこには二つの意味が含まれています。一つには、神がそれらの特異な自然現象の中でご自身の存在そのものと、力や偉大さ、崇高さ、威厳を現わされるということ。もう一つには、神がご自身のお姿をその中に隠されるという意味もあります。というのは、神は直接に人間の目で見られるような姿かたちを持っておられないからであり、また、罪に汚れた人間の目が直接に神のお姿を見るならば死ななければならないからです。6節で、「モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った」とあるのはその理由によります。
 モーセはその時、不思議な光景を目撃します。「柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない」という現象です。柴とは、砂漠地帯に生えている背の低い灌木であり、熱い太陽に焼かれ、燃え上がればたちまちに燃え尽きてしまうものです。そうであるはずなのに、それがいつまでも燃え尽きないという不思議な現象です。3節で「不思議な光景」と訳されているもとのヘブライ語を直訳すれば、「何とも大きな現象」であり、『口語訳聖書』では「この大きな見もの」と訳されていました。モーセは砂漠の中の小さな現象に過ぎないこの光景に、偉大なる神の存在と、驚くほどの大きな神のお働きを見たのです。
 モーセが見たこの現象は一体何を表しているのでしょうか。出エジプト記の文脈の中で、いくつかの点について考えてみたいと思います。第一には、ここでは主なる神の偉大さが語られていると言えるでしょう。神はこの世のあらゆるものを燃やす尽くす炎であられます。この世の朽ちるもの、過ぎ去りゆくもの、そのすべては神の裁きの炎によって燃やされ尽くされます。それゆえに、わたしたちは火で焼かれるようなこの世に宝を積むのではなく、朽ちず、汚れず、過ぎ去ることのない天にこそ、宝を積まなければなりません。
 もう一つは、神の永遠性が語られています。神は燃え尽きることのない炎として、いつの時にも、この世を清める炎であられます。また、神はみ国が完成される日まで、永遠にこの世を明るく照らす炎であられます。その炎は決して燃え尽きることはありません。この世がどれほどに暗く、冷たくなっても、また多くの信仰者の心が冷えて、情熱を失っても、神は絶えず明るく暑く温かい炎でこの世と教会の民を包んでくださるでしょう。神の愛の炎は決して消え去ることはありません。
 ここでは神のことだけではなく、イスラエルの民についても暗示されているように思われます。柴を燃やしているのは寄留の民ヘブライ人を悩ましているエジプトの鉄の炉を暗示しているように思われます。エジプトの真っ赤に燃えた鉄の炉の中で苦しむヘブライ人は、しかし決して燃え尽きることはなく、滅びることもありません。なぜなら、主なる神が彼らをお守りくださるからです。2章23節以下に書かれていたように、神はヘブライ人の苦難の叫びを確かに聞いておられます。神は族長たちと結ばれた契約を決してお忘れにはなりません。神はエジプトの鉄の炉の中で焼かれているヘブライ人を顧みてくださいます。
 2005年に日本キリスト教会は台湾基督長老教会と宣教協約を結びました。この教会のシンボルマークには、中央に大きく「燃えた柴」が描かれ、その周りにはラテン語で「燃え尽きない柴」と書かれています。それは、この教会の長い迫害の歴史を語っています。19世紀末に台湾はフランスと戦争していましたが、教会が敵国フランスの側に立っていると批判され、多くの教会堂が焼き討ちにあいました。戦争が終わって、焼かれた教会堂が建て直されましたが、その教会堂の正面に、柴が燃えている絵と、その下には「柴が燃えて、しかも燃え尽きることがない」と書かれていました。それがそのままこの教会のシンボル、ロゴマークとなりました。
 モーセがシナイの荒れ野で見た燃え尽きない柴の奇跡は、いつの時代にもわたしたち教会が見るべき、また見ることを許されている神の偉大な奇跡なのです。教会はいつの時代にも、苦難や試練、時に迫害を経験します。様々な炎によって、内からも外からも焼かれるでしょう。しかしながら、教会の頭なる主イエス・キリストは教会が燃え尽きてしまうことをお許しにはなりません。わたしたちもまた、この困難な時代の中で、燃え尽きることのない柴の奇跡を信じて、希望と勇気をもって主キリストとその体である教会にお仕えしていきましょう。

(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたはわたしたちの弱さや貧しさ、また試練や苦難を知っていてくださいます。その中で、わたしたちに必要な助けと導きをお与えくださいます。どうか、いつでも、どのような時でも、十字架と復活の主イエス・キリストを見上げつつ、あなたがお示しくださる道を前進していくことができますように。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

6月30日説教「教会はキリストのからだ」

2024年6月30日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(33)

聖 書:詩編100編1~5節

    エフェソの信徒への手紙4章7~16節

説教題:「教会はキリストのからだ」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の4段落目の文章、「教会は、キリストの体、神に召された世々の聖徒の……待ち望みます」。

この箇所は、キリスト教教理の大きなテーマでは「教会論」と言われます。後半の『使徒信条』では、4段落目、「わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠の命を信じます」と、聖霊なる神を告白する箇所で、聖霊なる神のお働きとして、ごく簡単に教会論が取り扱われていますので、「前文」ではそれを補うかたちで、より詳しく、教会とは何かについて告白されていると考えられます。

実は、1890年(明治23年)の『(旧)日本基督教会信仰の告白』ではこの箇所は全部欠けていました。つまり。1953年に制定された『(新)日本キリスト教会信仰の告白』で初めてこの教会論が付け加えられたということになります。その背景には、戦時中、日本のキリスト教会が国家の戦争政策に迎合し、アジアへの侵略や無謀で残忍な世界制覇の野望を持つ、悪魔化していった国家に対して、何ら抵抗することができなかったという、その大きな原因が、自分たちの教会論が弱かったからだという反省があったと思われます。教会とは何か、また教会と国家との関係をどのように考えるべきかという神学的な理解が貧しかった、そのことに戦時中の教会の誤りがあったのではないかという反省が、1953年の『信仰告白』の中で自覚され始めたと言えます。そして、その反省が、1983年に採択された『現代日本の状況における教会と国家に関する指針』となり、また1990年に決議された建議案「『韓国・朝鮮の基督教会に対して行った神社参拝強要について罪の告白と謝罪』を表明することに関する建議案」へとつながっていきました。

 教会とは何かを論じる「教会論」は、わたしたち一人一人の信仰の母なる存在である教会とは何であるのかを考えることであり、また同時に、日本キリスト教会が、この日本の地で、またアジアと世界の中でどのような教会形成を目指していくのかという、大きな課題と取組むことでもあるのです。

 教会は、新約聖書のギリシャ語ではエクレーシア、旧約聖書のヘブライ語ではカーハール、またはエーダーという言葉ですが、これらはいずれも、呼び出された人々、集められた会衆という意味を持っています。教会堂や礼拝堂という建物を指す言葉ではありません。実際、エジプトの奴隷の家から導き出されたイスラエルの民は、荒れ野の40年間の旅路においては定まった建物はもっていませんでした。エルサレムに誕生した初代教会も、当初は神殿の庭や教会員の家々で礼拝をしていました。「主イエスのみ名によって二人、または三人が集まっている所にわたしもいる」と主イエスが言われたように、主イエスを信じる信仰者が共に集い、主なる神を礼拝し、共に信仰の交わりに生きている所、それが教会です。神はこの教会を形成するために、わたしたち一人一人を、この世から選び分かち、ご自身のみ前に呼び集めてくださったのです。

 『信仰告白』ではそのことが「神に召された世々の聖徒の交わりであって」と告白されており、後半の『使徒信条』では「聖徒の交わり」と表現されています。教会とは、そこに集められているわたしたち一人一人のことなのだと言ってもよいでしょう。教会とは何かを考えることは、わたしの信仰とは何か、信じているわたしとは何者なのかを考えることだと言ってもよいでしょう。

 では、きょうは教会について告白している最初の箇所、「教会はキリストのからだ」という告白について学んでいきます。「教会は主キリストのからだである」という表現は、福音書の中にはありませんが、パウロ書簡などで何度も用いられており、その内容は多様であり、深い意味を持っていますので、今回と次回で学ぶことにします。いくつかのポイントを挙げて学んでいきましょう。

 第一点は「キリストのからだ」、すなわち「キリストの」であり、他の何かのではなく、また他のだれかのでもないということです。このことが、教会とは何かを考える上での、基礎であり、原点であり、また全体でもあり、最も重要なポイントです。教会は人間の集まりであり、主イエス・キリストを信じている信仰者と、またその信仰を求めている人たちの集団なのですが、教会はいかなる意味においても、人間が主体の、人間に所属するものではなく、また人間の何らかの目的を達成するための組織やグループではなく、主イエス・キリストのものであり、主イエス・キリストに属するものであり、主イエス・キリストの救いのみわざを証しし、実現し、その救いの恵みを共に分かち合うための信仰共同体としての「主キリストのからだ」だということです。

 先ほども確認しましたように、教会・エクレーシアとは、神によって召し集められた人たちのことであり、主イエス・キリストの福音のもとに呼び集められた共同体ですから、教会の本来の主体は主なる神であり、わたしたちの救い主である主キリストです。わたしたち人間は常に受け身、受動態であり、呼び出された、呼び集められた、召し集められた人たちです。もちろん、わたしたちが教会に集まって来た動機や理由は様々あります。だれかに勧められ誘われて来た人もいるでしょう。何らかの真理を求めてきた人、人との出会いを求めてきた人、その動機は様々です。でも、わたしたちがのちに気づかされることは、それらの人間の側からの動機や理由のすべてをお用いになって、わたしを教会に呼び集め、わたしに信仰をお与えくださったのは主なる神であり、それらのすべてにおいて働いておられたのは、わたしのために十字架で死んでくださった主イエスご自身であったのだということです。

 教会は主キリストのからだですから、その頭、リーダーは主イエス・キリストであり、またそこで働いておられるのも、その群れを支配し、導いておられるのも、主イエスご自身です。わたしたちはいつどのような時でも、このことを決して忘れてはなりません。教会が豊かになり、繁栄し、この世に力と富を誇ることができるほどの勢力になった時に、教会の本来の主から離れて、傲慢になって自らを誇ることがないために、また、教会が試練や困難に直面し、あるいは迷いや混乱の中にあって道を見失いそうになった時にも、決して希望を失うことなく、なおも勇気をもって前進していくことができるためにも、教会の主であられる神に、教会の頭であられる主イエス・キリストに目を注いでいなければなりません。

 第二点は、「教会はキリストのからだ」、すなわち「からだ」であるという点です。志を同じくする同志の仲間、グループとかではなく、また会費を支払って何らの特権を取得する組織体というのでもなく、「からだ」を形成する一つ一つの器官としてわたしたちは集められているということです。

 「からだ」という言葉は、わたしたち人間の肉体を意味しています。頭があり、目や耳があり、手足があり、さらに細かな細胞によって出来上がっているわたしのからだのように、あるいは、指にとげが刺さればその痛みが全身に走るように、時に病んだり、傷ついたりして、わたしの心と体全体がそれによって揺さぶられたり、時として死ぬほどのダメージを受けたりするそのようなわたしの体と同じだということです。しかし、もちろん人間の体のことではありません。あくまでも、主キリストの「からだ」です。

 パウロは「からだ」という表現の中に多くの意味を込めて用いています。その原点にあるのは、天におられる神が人となって地に降ってこられ、人間のお姿でこの世においでくださったという、神のみ子の受肉に、主キリストのからだである教会の原点があるということです。天地創造以来の神の永遠の救いのご計画の、いわば最後の仕上げとして、神のみ子をこの世に遣わされました。み子の十字架と復活によって、全世界のすべての人のための救いを成し遂げられました。そのみ子の救いのみわざが、み子のからだである教会において継続されるのです。

 では次に、主イエス・キリストご自身のお体のことを考えてみましょう。主イエスは聖霊によってマリアの胎に宿り、ヨセフとマリアを親としてお生まれになり、ガリラヤ地方のナザレでお育ちになりました。30歳ころから公の宣教活動に入られ、おそらく3年間にわたって神の国の福音を宣べ伝えられ、時に空腹を覚えられ、時に徹夜で祈られ、時に涙され、時に怒られ、そして最後に十字架刑で裁かれ、墓に葬られました。三日目の朝に墓から復活され、40日間にわたって弟子たちに復活のお体を現わされ、それから天に昇られ、天の父なる神のみもとへとお帰りになり、今もとこしえまでも父なる神の右に座しておられます。今は天に移された主イエスのお体が、地上で目に見えるかたちでこの世に現在しているのが教会なのです。

 パウロはコロサイの信徒への手紙1章24節でこのように書いています。「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」。パウロはここで、「キリストの体である教会」という言葉で、主イエス・キリストの十字架につけられたお体を考えていると推察できます。教会は十字架につけられた主キリストの体が目に見えるかたちでこの世に現在していると言ってよいでしょう。主キリストのご受難と十字架の死の体を、この世に具体化しているのが教会なのだと言ってよいでしょう。教会は主イエス・キリストが歩んだ道を歩み、主イエスと同じ経験をするのです。

 また、同じ手紙の1章18節以下ではこのように書かれています。【18~20節】(369ページ)。教会は主イエスのご受難と十字架の死のお体をこの世に目に見えるように具体化していくとともに、また、復活された主イエスを頭として与えられている教会は、復活された主イエスのお体を、この世に具体化していくのです。罪と死とに勝利しておられる主キリストが目に見えるようなかたちでこの世に存在しているのが教会です。

 最後に、エフェソの信徒への手紙4章7節以下のみ言葉に目を向けましょう。

12節に「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき」とあります。また15節では、【15節】と書かれ、さらに16節には【16節】とあります。

主キリストの体である教会の一員とされているわたしたち一人一人が、みなそれぞれに主キリストの体を形成していくための奉仕に召されているのであり、またその奉仕によって、主キリストの体である教会が成長し、わたしたち一人一人の信仰もまた成長していくのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたは罪のこの世を顧みて、み子をお遣わしになりました。また、み子を十字架の死に引き渡されるほどに、わたしたち罪びとたちを愛されました。どうか、み子の体なる教会をとおして、あなたの愛と救いの恵みを、この世界とすべての人たちにお与えくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

6月23日説教「ヘロデ王による迫害と教会の祈り」

2024年6月23日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記13章3~10節
    使徒言行録12章1~5節
説教題:「ヘロデ王による迫害と教会の祈り」

 使徒言行録12章から、紀元1世紀の初代教会の歴史にとっての新しい展開が始まります。新しい展開とはいっても、それは教会にとって必ずしも好ましい展開とは言えないものですが、それは国家権力による教会の迫害という事態です。わたしたちはこれまで、世界最初の教会として誕生したエルサレム教会が経験した何回かの迫害について聞いてきました。それらの迫害は、どちらかと言えば、サドカイ派やファリサイ派からの告発による、ユダヤ教内部からの迫害でした。主イエス・キリストの十字架の福音を信じる教会の信仰は、ユダヤ教にとっては、彼らが最も大切にしている律法を軽視し、ユダヤ人の伝統を無視する異端的な教えだと考えられていましたから、ユダヤ教の指導者たちは自分たちの教えを守るために教会を迫害したのでした。
 使徒言行録4章には、使徒ペテロとヨハネが捕らえられ、ユダヤ最高法廷で裁判を受けたことが、また5章では使徒たち数人が獄に監禁されたことが、6章ではエルサレム教会の指導者ステファノの逮捕と、7章終りには教会の最初の殉教者となったステファノの死が、そして8章にはエルサレム教会が経験した大迫害のことが書かれていました。
 けれども、教会は幾度の迫害によっても決して弱ることも立ち止まることもなく、かえって、大迫害によってエルサレム市内から追放された教会員がパレスチナや小アジア地方へと散らされることによって、主イエスの福音が全世界に宣べ伝えられ、各地に新しい教会が建てられていったということをも、わたしたちは聞いてきました。そのたびごとに、「神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはない」ということを、わたしたちは何度も確認してきました。
 ところが、この12章で、教会は新たな、より厳しい状況を迎えることになります。【1~2節】。キリスト教会が経験した迫害は、これまではユダヤ人の内部での宗教観の違いに由来した迫害だったと言えますが、ここで初めてより強大で、恐るべき敵である国家権力による迫害を経験することになります。しかも、主イエスの直弟子である12使徒の中から殉教者が出るという、衝撃的な出来事を経験することになります。誕生してまだ10年少しの若い初代教会にとって、それはどんなにか大きな打撃であったことか、どんなにか大きな危機であったことか。わたしたちはここでもまた、「神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはない」ということを確認することができるでしょうか。初代教会はこの危機をどのようにして乗り越えていくのでしょうか。
ヘロデ王とは、主イエス誕生の時にユダヤの国を治めてしていたヘロデ大王の孫にあたるヘロデ・アグリッパ一世です。ヘロデ大王は主イエスが誕生した際にベツレヘム周辺の2歳以下の男の子をみな殺せと命じたことからも分かるように、悪名高い、残忍な王として恐れられていましたが、彼の孫であるヘロデ・アグリッパ一世はユダヤ人にもローマ政府当局にも評判がよく、国を治める能力もあったことから、紀元41年からはユダヤ全土を支配する権限をローマ政府から託されていました
 温厚で、王としての統治能力もあったヘロデ・アグリッパ一世が、なぜキリスト教会を迫害するようになったのか、使徒ヤコブを殺したのかについては使徒言行録には何も書かれていません。性格的にどんなに温厚で、政治的手腕に優れていたとしても、その支配者がキリスト教に対してどのような政策をとるかは、全く関連がないと言えましょう。この世の支配者は、ヘロデ大王がそうであったように、彼の孫であるヘロデ・アグリッパ一世もまた、ユダヤ人国家の最高の地位を手に入れた時に、その地位が少しでも危うくなることを恐れ、その地位に必死でしがみつき、キリスト教会に自らの地位を脅かされていると感じたのかもしれません。教会が信じている主イエス・キリストが永遠なる神の国の王であるという教えに、危機感を抱いたのかもしれません。神を恐れることをしないこの世の支配者たちは、いつの時代にも、その地位にしがみつくためにこの世の小さなものを恐れなければならなくなるのです。
 この時の迫害で殉教したヤコブは、マタイ福音書4章で最初の主イエスの弟子として召された4人のガリラヤ湖の漁師の一人です。ゼベダイの子ヤコブとヨハネ兄弟のヤコブであり、エルサレム教会で指導的立場にあった主イエスの実の弟ヤコブとは別人です。ゼベダイの子ヤコブとヨハネについては、マルコ福音書10章38節で主イエスはこのように言われました。「あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか」。彼らは「できます」と答えました。主イエスがこの時に予告されたように、ヤコブは実際に12使徒の最初に、主イエスと同じ殉教の杯を飲むことになったのです。
 ヤコブの殉教について、紀元2世紀末ころの伝説が記録されています。それによれば、ヤコブがヘロデ王の審問を受けた時、彼は何ものをも恐れず、力強く主イエス・キリストを証ししたので、それをそばで聞いていたヤコブを告発ちたユダヤ人がその場で悔い改め、回心してキリスト者になった。そして、ヤコブと一緒に処刑され、殉教したと伝えられています。このエピソードが史実であるかどうかは確かではありませんが、自らがこの世の権力にしがみついていて、恐れと不安の中にいるヘロデ王と対比されるかたちで、主イエス・キリストの福音に生き、神のみ言葉に信頼するヤコブの勇気と大胆さ、そして自らの死をも恐れずヘロデ王の前で主イエス・キリストを証しする彼の力強い信仰を語るエピソードとして、興味深いものがあります。
 次に、3節以下を読みましょう。【3~5節】。ヘロデ王はユダヤ人の歓心をかうために、初代教会のリーダーであるペトロをも捕らえ、処刑しようとします。ペトロが捕らえられたのは除酵祭の時期であったと書かれています。除酵祭とはユダヤ人最大の祭りである過越し祭に引き続いて一週間行われるパン種が入っていない固いパンを食べる祭りを言いますが、この時代には過越し祭と同じ意味で用いられています。主イエスが十字架につけられたのも過越しの祭りの時期でした。23節に書かれているヘロデ王の死は紀元44年であったことがほぼ確定されていますので、ペトロの逮捕が同じ年であったとすると、紀元44年の3月から4月にかけてのころと考えられます。ヘロデ王は祭りのために集まってくる多くのユダヤ人にペトロの処刑を見せしめにしようとしていました。主イエスの十字架も同じ時期だったことをヘロデ王が知っていたかどうかは定かではありませんが、彼はこのようにして自らは気づかずに、過越しの祭りと主イエスの十字架の死と復活いう神の救いのみわざを指し示す役割を担うことになったのです。
 ヘロデ王は投獄したペトロを見張るために4人一組の兵士を4組、計16人の兵士を配備して監視させたと書かれています。牢から逃げ出す道も、牢の外から救出する道も、完全にふさぐという念の入れようでした。本人は全く武器を持たず、支援者もまた何らの力も勢力もない、小さな群れである教会を、ヘロデがなぜこれほどまでに恐れなければならなかったのか。ここにもまた、神なき世界に住み、神を恐れることをしないこの世の権力というものの、弱く、もろく、あわれな姿が浮かび上がっているように思われます。反対にまた、神を信じているペトロと教会の民に与えられている力と勇気とが、おのずと浮かび上がってくるようにも思われます。
 では、教会でのこの困難な事態にどう対処するのでしょうか。指導者ペトロが捕らえられ、使徒ヤコブと同じように処刑されるかもしれないというこの危機に、教会は何もなしえず、ただ黙って、遠くで推移を見守るほかにないのでしょうか。いや、違います。たとえ教会が窮地に陥り、何もなしえなくなったとしても、教会には祈ることだけはできます。ただ祈ることだけが、唯一の教会ができることです。否、むしろこう言うべきでしょう。教会はこのような時にこそ、祈ることができるのであり、祈ることが許されているのであり、また祈ることが命じられているのだと。そして、それこそが、教会できる最も大きな力強い行動であり、最も強力な抵抗であり、危機を乗り切る最も力強い戦いであるのだと。
 「ペトロは牢に入れられていた」。しかし、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」と5節に書かれています。その教会の祈りを神がお聞きにならないことなどあり得るでしょうか。わたしたちは旧約聖書でしばしば聞いています。詩編50編の詩人は歌っています。「悩みの日に、わたしを呼べ、わたしはあなたを助けると、神は言われる」。また、118編5節には、「苦難のはざまから主を呼び求めると、主は答えてわたしを解き放たれた」とあります。神は苦しみ悩みの中で主を呼び求める信仰者を決してお見捨てにはなさいません。
 新約聖書では、わたしたちは繰り返して主イエスご自身の祈りのお姿を見ています。十字架の直前に、ゲツセマネの園で徹夜の祈りをされた時には、「誘惑に陥らないように、あなたがたは目を覚まして祈っていなさい」と弟子たちにお命じになりました(マタイ福音書26章41節参照)。エフェソの信徒への手紙6章18節では、「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖な者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」とも命じられています。祈りこそが、苦難の時、試練や迫害の時、信仰の戦いにとっての信仰者の最も力強い、最大の武器であり、敵の攻撃を防ぐ最強の盾です。信仰者は祈りによって、祈りをお聞きくださる主なる神によって、信仰の戦いに勝利するのです。
 事実、わたしたちは少し先の12節で、教会で祈りがささげられていたまさにその時に、ペトロが神の奇跡によって牢から解放され、祈っていた彼らの前にペトロが姿を現したというみ言葉を読むことができます。
 このようにして、教会はこの新しい国家権力による迫害とリーダーであるペトロの逮捕という緊急事態にも、決してあわてることも不安で心を閉ざすこともなく、共に祈ることによって力と希望とを与えられ、「神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはない」という信仰に生き続けたのです。わたしたちにもこの信仰が与えられています。
(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたは苦難や試練の中にあって祈る信仰者を、決してお見捨てにはなりません。あなたはこの世のあらゆる抵抗や不信仰の中でも、あなたの救いのご計画をおすすめになります。主よ、この世界の中で、またこの国の中で、あなたを信じて祈る者たちの祈りを、いよいよ強くしてください。あなたの命のみ言葉の勝利をわたしたちに確信させてください。
○主なる神よ、重荷を負って苦しんでいる人、悩みや迷いの中で希望を失っている人、飢えや渇きによって倒れている人を、どうか顧みてください。あなたの助けのみ手を差し伸べてください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

6月16日説教「救い主が到来した喜びと幸い」

2024年6月16日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:マラキ書3章1~5節
    ルカによる福音書10章21~24節
説教題:「救い主が到来した喜びと幸い」

 主イエスは12人の弟子のほかに72人の弟子たちをお選びになり、彼らを神の国の福音を宣教するため、そしてこの世の失われた魂を収穫するための働き人として、派遣されました。ルカ福音書10章17節には、「72人は喜んで帰って来た」と書かれていましたが、それに対して主イエスは、彼らの福音宣教の働きの成功と成果よりも、さらに大きな喜びは「あなたがたの名が天に書き記されていることだ」と言われました。それに続いて、21節には、「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた」と書かれています。17節、20節、そしてきょうの箇所の21節に共通しているのが「喜び」という言葉です。
 この三つの喜びは少し性質が違っているように思われます。17節の喜び、それは20節の前半では「喜んではならない」と、主イエスによって否定されている喜びですが、それは72人の弟子たちが主イエスの名によって悪霊を屈服させたという、弟子たちの宣教の成果を喜ぶ喜びです。これも、大きな喜びであるには違いありません。主イエスがこの世に到来されたことによって、神の新しい恵みのご支配が始まって、悪霊やサタンが主イエスの前に力を失う、弟子たちはその新しい神のご支配、神の国の福音を宣教し、実際に彼らがそのことを経験しているのですから、それは弟子たちにとっての大きな喜びには違いありません。
 でも、主イエスは弟子たちのその喜びをひとたび否定されます。なぜなら、それよりも大きな喜びがあるからです。それが、ここで言われている第二の喜び、弟子たちの名が天に書き記されているという喜びです。この喜びは、地上にある成功や成果を喜ぶ喜びではなく、天にある喜び、天からやってくる喜びです。天にある喜びは地上のどのような変化によっても変わらない、永遠の喜びです。天の神によって永遠に覚えられている喜びです。主イエスは神の国の福音を宣教する弟子たちに、また、主の教会にお仕えするわたしたちに、この天にある喜びを約束してくださるのです。
 第三の21節の喜びは主イエスご自身の喜びです。【21節】。ここで「喜びにあふれて」と訳されている言葉は、17節や20節で「喜ぶ」と訳されている言葉とは少し違ったギリシャ語です。「大いに喜ぶ、歓喜する」という意味の言葉で、特別に大きな喜びを言い表しています。マタイ福音書5章12節ではこの二つの言葉が並んで用いられています。「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。
 このマタイ福音書のみ言葉からも分かるように、「大いに喜ぶ、歓喜する」という言葉は、悲しみや苦しみなど、喜びを否定し、喜びを奪い取るような、喜びとは全く反対の状態の中で、しかしそれらに反して、それらを突き破るようにして、喜びが勝利するという、激しい戦いや抵抗の中で勝利する喜びという意味合いを持っているように思われます。主イエスの「聖霊による喜びにあふれる」とは、だれもが決して喜ばないような、むしろ多くの人が忌み嫌ったり、憎んだり、避けて通ろうとするような、喜びとは反対のもののすべてを、否定し、そのすべてに勝利する、そのような喜びだということです。
 17節と20節で言われていた弟子たちの喜びは、この21節の主イエスの「大きな喜び、歓喜」の反映であるように思います。主イエスの大きな喜び、歓喜の反映として、いわばそこからあふれ出てくる喜びに、弟子たちも、そしてわたしたちもあずかっているのだということです。
 では、主イエスの大きな喜び、歓喜とはどのようなものなのか、それはどこからくるのかを見ていきましょう。21節の「これらのことを」が、何を指すのかは漠然としていますが、おおよその見当はつきます。72人の弟子たちに、神の国が到来して悪霊やサタンが主イエスのみ前に屈服していることが明らかにされたことを指していると考えられます。また、「知恵ある者や賢いものに隠して、幼子のような者にお示しになりました」と言われている「幼子のような者」は弟子たちのことであるということもおおよその見当がつきます。
 つまり、主イエスはここで、神の国の福音がこの世の知者や賢者にではなく、またこの世の支配者たちや権力者たちにでもなく、知恵も力もなく、貧しく弱く、小さな者である弟子たちにこそ示されたこと、彼らによって信じられていること、そのことを大いに喜んでいるのだということです。また、それこそが父なる神のみ心であることを大いに喜び、神をほめたたえているのです。
 そのことが、この福音書を読み進んでいくと、次第に明らかになることをわたしたちは知っています。当時のイスラエルと世界の支配者たちも、ユダヤ人のファリサイ派や祭司、長老たちという宗教家たちも、皆こぞって主イエスの福音を拒絶し、主イエスを神から遣わされたメシア・救い主として受け入れず、主イエスを偽りの裁判によって裁き、罪ありとして十字架刑に処して殺したのでした。当時の世界の最高の知恵と最高の権威が、吟味を重ねたうえで、主イエスを十字架につけたのです。
 わたしたちはここで使徒パウロの言葉を思い起こします。「十字架の言葉は、滅んで行く者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には、神の力です。……神はこの世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています」(コリントの信徒への手紙一1章18節以下参照)。また、パウロはこうも書いています。「キリストは……自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピの信徒への手紙2章6節以下参照)。
 神はこのようにして、人間の知恵や力、この世の権威のすべてを打ち砕かれたのです。それらは人間を救うためには何も役に立たないことが明らかにされました。かえって、人間を神から遠ざけ、人間を傲慢な者にし、人間たちの間にも争いを生み出す以外にありません。それゆえに、神はご自身の深い知恵と救いのみ心をお示しになるために、この世の貧しく弱い人たち、無きに等しい人たちをお選びになったのです。ここにこそ、神の選びの愛の不思議さがあり、また驚くべき深いみ心があるのです。主イエスはこの神による愛の選びの不思議さとその驚くべき恵みとを覚えて、歓喜しておられるのです。
したがって、わたしたちもまた主イエスをわたしの救い主と信じて救われるために、自らの知恵によるのではなく、神のみ前に自らを低くし、貧しくして、ただひたすらに聖霊のお導きを信じ、人間の知恵には愚かに見える主イエスの十字架の福音を信じ、その信仰によって罪をゆるされることを感謝すること、この信仰によって生きることが勧められているのです。
 22節では、父なる神とそのみ子である主イエスとの密接な関係について語られています。【22節】。天の神はすべての人の目を引くような偉大な奇跡とか、だれの目にもはっきりと分かるような輝かしい衣装を身にまとった英雄の姿によってではなく、わたしたちがクリスマスのメッセージで聞いたように、貧しい家畜小屋の目立たない飼い葉おけの中に寝かされている幼子を、全世界のすべての人の救い主としてお与えになりました。ガリラヤ地方ナザレのイエスによって、そのご受難と十字架の死によって、ご自身の永遠の救いにご計画を成就なさいました。この主イエスに、ご自身のみ心のすべてを、ご自身の愛と義と恵みのすべてをお与えになりました。主イエスこそが、父なる神に至る「道であり、真理であり、命」です(ヨハネ福音書14章6節参照)。
ここにもまた、主イエスの歓喜があります。父なる神とみ子主イエスとのこのような密接な、深いお交わりの中にあって、神の救いのみわざはなし遂げられました。それゆえに、主イエスの十字架と復活による救いは永遠であり、完全であり、確かなのです。主イエスのその大きな喜び、歓喜は、わたしたち一人一人の救いの喜びへと反映されています。
次に、23節以下には、もう一つの主イエスの大きな喜び、歓喜について語られています。【23~24節】。マタイによる福音書では、このみ言葉はルカとは違った文脈で語られています。マタイ福音書13章では、主イエスが「種まきのたとえ」をお語りになった後で、なぜたとえを用いて神の国のことを話すのか、その理由について説明しておられます。それは、旧約聖書イザヤ書に預言されているように、「あなたがたは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった」(マタイ13章14節以下参照)。そのイザヤの預言に続いて、「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ」と語られています。
すなわち、主イエスはこのように言われるのです。「旧約聖書の時代には、イスラエルの預言者たちや信仰者たちには、いまだはっきりと目に見えるようには示されず、はっきりと聞いて信じることができるようには語られなかったけれども、今は、わたし、すなわち主イエスによって、あなたがた弟子たちの身近で、あなたがたと同じ人間の姿で、あなたがたと同じ人間の言葉でわたしが語っている。そして、あなたがたはそれを確かに見ることができ、それを確かに聞くことができるようにされている。それは何と幸いなことであることか」と主イエスは言われるのです。
弟子たちは、旧約聖書で長く待ち望まれていたメシア・救い主を今や直接に彼らの目で見ることができ、彼らの肉体をもって直接にメシアと交わりを持つことが許され、人となられた神のみ子の到来を肌で感じることができ、そして神のみ子の到来とともに始まった神の国の福音を聞かされており、新しい神のご支配の中に生きることが許されているのです。神の天地創造以来の多くの信仰者たち、アダムとエヴァに始まり、アブラハム、イサク、ヤコブの族長たち、ダビデやソロモン王、イザヤ、エレミヤなどの預言者たち、彼ら数えきれないほど多くの旧約聖書の信仰者たちが見たいと願いながら見れなかったメシアのお姿を、今弟子たちが見ることができている。また、彼ら多くの信仰者たちが聞きたいと願いながら聞くことができなかった神の国の福音、十字架と復活による救いの福音を、今弟子たちは聞くことが許されている。それは何と幸いなことであるか。それは何という大きな喜びであり、歓喜であることか。主イエスはそのように言われるのです。わたしたちもその喜びの中に招き入れられています。
(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ。あなたの永遠なる救いのご計画は主イエス・キリストによって成就しました。わたしたちは今その成就の時に生きており、主イエス・キリストによる救いの福音を聞かされております。その大きな幸いを覚え、心から感謝いたします。どうか、わたしたちに、またすべての人に、その福音を信じる信仰をお与えください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

6月9日説教「なぜ教会に行くのですか」

2024年6月9日(日) 秋田教会主日(伝道)礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:詩編95編1~11節
    ローマの信徒への手紙12章1~2節
説教題:「なぜ教会に行くのですか」

 秋田教会は今年で伝道開始から132年目、また自給独立の教会を建設してから90年目を迎えます。日本のプロテスタント教会の歴史152年の中ではかなり長い歴史ですが、世界の教会の歴史2000年から見れば、まだ生まれたばかりの子どもと言えるでしょう。わたしたちは今年度「礼拝」をテーマにして二度の研修会を計画し、第一回は4月14日の秋田教会建設記念礼拝後に、そして第二回をきょうの伝道礼拝後に行います。そこで、礼拝後の研修会のテーマとの関連で、きょうの礼拝説教の題を「なぜ教会に行くのですか」としました。キリスト者が教会に行く主な目的は主の日・日曜日の礼拝をささげるためであるということはだれもが認めることですが、「なぜ教会に行くのか」という問いは、「なぜ神を礼拝するのか」という問いと密接に関連していると言えますので、その両方を考えながらきょうの問いの答えを探っていくことにしましょう。
 「なぜ教会に行くのか」という問いは、すでに洗礼を受けているキリスト者と、まだ教会に行った経験がない人とでは、問の立て方もその問いで期待される答えも、根本的に違うと思います。まだ教会のことをよく知らない人は、それぞれにいろんな目的をもって、最初に教会の門をくぐります。人生に悩んで、その解決に教会を選ぶ人もいます。教会で人との出会いを期待する人もいます。キリスト教や聖書について学んでみたいという人も多いでしょう。あるいは、わたくしのようにアメリカ人の宣教師と英語で話したいと思う学生もいるでしょう。それぞれに求めるものは違ってはいても、教会に入ってすぐにわかることは、そこでは礼拝の儀式が行われているということです。あるところでは厳粛に、あるところでは楽しく楽器を鳴らしながら、みんなが同じ声を発し、みんなが同じ方を向いて説教を聞き、みんなで一つのことに集中していることに気づきます。ある人にとっては堅苦しく、息苦しく感じられるでしょう。ある人にとっては理解できず、場違いな感じを受けるでしょう。またある人は、そこに何かの真理がありそうだと感じるでしょう。いずれにしても、教会の中で行われていることは、人間の日常的なこととは違った、宗教的な、人間以上の存在者である神がそこでは崇められ、礼拝されているということを、初めて教会に入った人は感じることでしょう。日曜日の教会に、落語を聞きに来る人はいません。音楽や絵画、陶芸などの芸術を求めてくる人もいません。体を鍛えるための運動をしに来る人もいません。教会では神を礼拝します。そのために教会に行きます。
 すでに洗礼を受けているキリスト者の問いは、これもその問いの立て方や期待される答えは千差万別と言えるかもしれません。そのすべてのケースについてきょうは考えることはできませんので、いくつかのポイントに絞って考えてみたいと思います。
 最初に、教会とはそもそも何かということから入りましょう。一般には教会とは建物、教会堂を指すと考えられていますが、聖書ではそうではありません。新約聖書で教会を意味するギリシャ語「エクレーシア」は「呼び出された人たち」という意味です。建物ではなく、集まっている人間集団・集会を指します。旧約聖書のヘブライ語でも、イスラエルの民の礼拝・祭りを意味するヘブライ語の「エーダー」や「カーハール」は、日本語では「共同体」、「会衆」と訳され、人々の集まり・集会を意味しています。
 ですから、そもそも教会とは、また旧約聖書の集会は、信じる人たちが共に集まる、共に同じ行動をするということを本質とし、目的としているのです。そして、そこで重要なことは、集まる人たちがそれぞれに目的をもって自由な意志で集まってくるというよりは、ギリシャ語のエクレーシアやヘブライ語のカーハールの本来の意味から明らかなように(文法的にはいずれも受動態の名詞)、その人たちは「呼び出された人たち」、「召し出された人たち」であり、主なる神によって、それぞれの生きている場から「こっちに来い」と声をかけられ、この世から選び分かたれ、主なる神のみ前に召し集められたのです。それが教会です。
したがって、そこには、ある意味での場所の移動が必要です。今まで生きていた場、住んでいた場から、場所を移して、聖なる神のみ前に進み出る。今まで働いていた場から、今まで、労苦し、悩み、笑い、迷っていた場から抜け出して、主なる神のみ前に進み出、主イエス・キリストがいます場へと集められる、それが教会であり、礼拝なのです。
 主イエスはこう言われました。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ福音書18章20節)と。また、使徒言行録2章によれば、ペンテコステの日に「一同が一つになって集まっていると」(1節)その集まりの上に天から聖霊が降り、彼らは神のみ力に満たされて、主イエス・キリストの福音を大胆に語り出しました。ここに、世界最初の教会であるエルサレム教会が誕生しました。初代教会の信者たちは、まだ定まった教会堂がありませんでしたが、信者の家々に集まり、共に礼拝し、共同の食卓を囲み、共に祈り、交わりを深めていたと、使徒言行録に繰り返して語られています。
 次に、新約聖書のパウロの書簡などでは、教会は主キリストの体であると表現されていますが、これも「なぜ教会に行くのか」という問いに対する答えを含んでいるように思います。教会は主イエス・キリストのお体が、まさにそこにあり、主イエスご自身がそこにおられる場なのです。主イエス・キリストとは、わたしたちの罪のためにご自身が代わって十字架を背負ってくださり、わたしたちの罪のために代わって神の裁きを受けて死んでくださり、それによってわたしたちの罪を帳消しにしてくださったお方であり、また三日目に復活されて、罪と死とに勝利されたお方であり、信じる人に永遠の命の保証を与えてくださるお方です。その主イエスのお体である場、その主イエスがおられる場、その主イエスとお会いできる場、その主イエスの救いの恵みを受け取る場、それが教会、それが礼拝なのです。
 「あなたはなぜ教会に行くのですか」。そうです。その答えは、「わたしのために十字架に死んでくださった主イエス・キリストがそこにいますゆえに、主イエス・キリストとそこでお会いできるからです」。
 教会が主イエスの体であるという表現には、たくさんの意味が含められていますが、ここではもう一つのことに注目してみましょう。体はたくさんの器官から成り立っています。頭、手、足、内臓など、どれ一つも体が生きていくためには欠かせません。パウロは手紙の中でしばしばその比喩を用いて、教会の意義を語っています。教会に集められてくる一人一人は、皆それぞれにかけがえのない大切な存在として、主イエスの体を形成しています。というよりは、わたしたちが集まって主イエスの体を形成していくというよりは、わたしたちは主イエスの体の中に植え込まれるようにして、移植されるようにして、主イエスの体に接ぎ木されるようにして、主イエスの体である教会に召し集められているのです。わたしたちの救いのためにすべてのみわざをなしてくださった主イエスのお体がそこにあり、そこへとわたしもまた招き入れられ、主イエスの体の大切な一つの器官とされているということです。だれ一人として、そこでは不必要な存在ではありません。そしてまた、すべての器官に主イエスの血管が通っており、主イエスの命の血によってつながれており、一つの体を形成しているのです。
 もし、どこかの器官が病んだり痛んだりすれば、それは体全体に伝わります。共に痛みを共にし、また喜びも共にします。体の中で弱っている部分があれば、みんなでそれを支え、いたわり合います。共に励まし合い、共に慰め合い、また共に仕え合って、体の健康を保つように心がけます。もし、だれかが体から離れていれば、もしだれかがきょうの礼拝に顔が見られなかったら、その人は体全体にとって気がかりになります。その人も一つの、この体を形成している大切な枝枝であるからです。
 そのようにして形成された主キリストの体は、今ここに存在する、目に見える教会だけではなく、聖霊によって、無限の場所的・時間的広がりを与えられていることも聖書から教えられます。病院や施設に入所して、あるいは他の何かの事情によって、共に礼拝の場に集まることができない人もまた、主キリストの体である教会とそこでの礼拝に連なっている一人であることを聖霊なる神によって教えられます。それだけでなく、今はこの世を去り天に召された信仰者も、天にある勝利の教会でわたしたちと共に礼拝しています。また、今はまだ神を知らず、教会をも知らないすべての人も、こののちには教会の民の一人とされるであろうことをも聖霊なる神は約束してくださいます。それらのすべての人々が、終わりの時に、神の国が完成される時に、一つの教会の民、一つの礼拝の民とされるであろうとの約束をも、わたしたちは聞いているのです。
 最後に、きょうの礼拝で朗読された二つの聖書のみ言葉に目を向けましょう。詩編95編はイスラエルの神礼拝を歌った詩編です。「なぜ、教会に行くのか、なぜ神を礼拝するのか」という問いに対する答えがここで答えられています。なぜならば、主なる神こそが天地万物を創造された神であり、今もなお万物を強い御手をもってご支配しておられる神であり、すべてのものに命を注ぎ、すべてのものをみ心にかなって養われ、わたしたちに日々聞くべきみ言葉をお語りくださる主なる神であられるからです。この神がおられる教会に、この神を礼拝するために、この神がお語りになる礼拝に、わたしは喜びと感謝とをもってでかけて行くのです。
 ローマの信徒への手紙12章では、パウロは11章までで語った人間の罪と神の救いのみわざ、すなわち主イエス・キリストの十字架と復活の福音を信じて救われた人が、感謝のささげものとして、自分自身の体を聖なる生けにえとして神にささげて、礼拝しなさいと命じています。わたしたちは主イエス・キリストによって罪ゆるされ救われている。その大きな恵みを忘れないように、神に感謝をするのです。わたしたちが教会に行く理由、目的がここにあるのです。わたしたちが神を礼拝する理由と目的がここにあるのです。
(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたはわたしたち罪びとを罪と死と滅びから救い出すために、ひとりごなるみ子を十字架に引き渡されました。そのあなたの偉大な愛によって、わたしたちは救われ、あなたの民とされ、教会の群れの中に召し集められ、まことの命に至る道へと導かれておりますことを、心から感謝いたします。どうか、わたしたちにあなたを信じる信仰と教会の霊の交わりに生きる愛とをお与えください。
〇主なる神よ、この世界にあなたの義と平和とが実現しますように。あなたの恵みと祝福が、すべての人たちに与えられますように。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

6月2日説教「モーセの逃亡」

2024年6月2日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記2章11~25節

    使徒言行録7章23~29節

説教題:「モーセの逃亡」

 出エジプト記2章11節の冒頭に、「モーセが成人したころのこと」と書かれています。この時のモーセの年齢がいくつであったかについては出エジプト記では何も書かれていませんが、使徒言行録7章の殉教者ステファノの説教では、モーセの120年の生涯を40年ずつ三期に区切って、きょうの礼拝で朗読された23~29節はその第二期、40歳から80歳までの期間のことが語られており、それが出エジプト記2章11~25節までの記録と一致しています。

 このモーセの第二期は、彼がエジプトを去って、遠いアラビアのミディアン地方に逃れていた期間であり、モーセが80歳になって、出エジプト記3章で、神に召されてエジプト脱出のリーダーとされるまでの、いわばその準備の期間であったと言ってよいでしょう。それは、モーセがイスラエルの民の指導者として出エジプトという神の偉大な救いの事業に仕えるために、ぜひとも必要な準備の期間であったのです。神はご自分の僕(しもべ)モーセを訓練するために、彼をミディアンの地へと逃亡させられたのです。

 そのことを学ぶ前に、モーセの生涯の第一期を振り返ってみましょう。エジプトに移住したヤコブ(イスラエル)の子どもたち60人は、400年の間に増え続け、エジプトの中で大きな勢力となり、脅威を与えるほどになったために、エジプト王ファラオはついにヘブライ人たちを迫害する政策を実行し、生まれた男の子はみなナイル川に投げ込んで殺せという命令を出しました。モーセが誕生したのは、そのような迫害の中でした。不思議な神のお導きにより、モーセはファラオの娘の子として、エジプト王宮の中で育てられました。

 そして、40歳になった時、11節に書かれているように、「彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た」のです。ここでわたしたちが気づくことは、モーセは40年間エジプトの王宮で育てられましたが、しかし決してエジプト人にはならなかったということです。彼は王宮でエジプトの最高の教育を受けたことでしょう。エジプト人の慣習や文化にも慣れ親しんだことでしょう。けれども、彼はエジプト人になったのではありませんでした。かつて、400の間イスラエルの民がエジプトの地に寄留していても決してエジプト人にはならなかったように、ヘブライ人であり続けたように、モーセもまたヘブライ人であり続けたのです。

 彼は王宮の中に留まってはいませんでした。そこを「出て」、同胞の民の所へと出かけました。そして、同胞の民が重労働に服しているのを「見た」、と書かれています。遠くから眺めていただけではありませんでした。傍観者でいたのではありませんでした。モーセ自身はこれまでは王宮の中にいて、同胞の民の迫害と苦しい労役を実際に経験してはいませんでした。でも、彼には同胞の民の苦しみに共感し、それを自分の苦しみとして受け止める心はありました。同胞の民ヘブライ人への愛がありました。モーセはヘブライ人であることをやめてはいませんでした。そこには、隠れた主なる神のお導きがあったということをだれが否定しえるでしょうか。ここでも、神はご自身の救いのみわざを確実に進めておられたのです。

 モーセは、同胞の民が重労働を強いられている現場で、エジプト人の監督から鞭うたれて死に瀕している一人のヘブライ人を目撃しました。それは、モーセにとってどんなにかショッキングな光景だったことでしょうか。自分はこれまでエジプト王宮の中で何の不足も不自由もなく、幸いを享受していたが、王宮の外では自分と同じヘブライ人がこれほどの迫害と苦難を受けていることに、激しい怒りと、また同時に強い正義感がモーセを突き動かしました。そして、その激しい感情を即座に行動に移し、その現場監督を殺して、砂の中に埋めました。モーセのこの行為は、彼が迫害する支配者・エジプト王ファラオの側に立つのではなく、迫害されている側、ヘブライ人の仲間であるということをはっきりと自覚させる行為であったと言えます。

 ところが、そのようなモーセの強い同胞意識と正義感は、同胞の民ヘブライ人には理解されませんでした。「翌日、また出て行くと」と13節に書かれていることから、前日のエジプト人殺害の行為がモーセの一時的な感情から出た突発的な行為ではなかったことが分ります。モーセは同胞のことを気遣っています。同胞の苦難の歩みと連帯したいと願っているようです。しかし、モーセのそのような願いと行動は同胞のヘブライ人には理解されませんでした。彼はヘブライ人を守るために、彼らと連帯するために、エジプト人の現場監督を殺害したのでしたが、それを見ていたヘブライ人は、モーセが自分たちを支配しようとしている、裁こうとしていると言って、非難します。このヘブライ人はモーセがエジプト王宮で育ったことを知っていたのかもしれません。

 モーセがエジプト人を殺したことがファラオの耳に届きました。ファラオはモーセを殺そうと手配したと15節に書かれています。モーセは同胞のヘブライ人からは拒否され、義理の父のような存在であったエジプトの王からは追われる身になりました。モーセはエジプトの地では自分の身を安全に守ることができなくなりました。そこでモーセはミディアンの地方に逃れることになります。ミディアンの地がどこなのか、正確な位置は分かっていませんが、シナイ半島のアガパ湾周辺と考えられています。また、なぜモーセはこの地に来たのかについても、聖書は何も語っていません。ここにも、見えない神のみ手が働いていたのでしょうか。

 16節からは、ミディアンの地にある井戸の傍らでのモーセと祭司レウエルの7人の娘たちとの出会いの場面が描かれています。この場面は、創世記24章1節以下のイサクとリベカの出会い、また29章2節以下のヤコブとラケルの出会いの場面とよく似ています。彼らは水くみ場での出会いをきっかけにして、それぞれ夫婦となりました。古代の遊牧民にとっては井戸や水汲み場は彼らの生活の中心であり、交わりの場、情報交換の場でした。また、男女の出会いの場でもありました。モーセはここで妻となるツィポラと出会います。

 ミディアンの祭司で7人の娘たちの父であるレウエルは3章1節や4章18節などではエトロとなっています。レウエルは氏族、部族の名前ではないかと考えられています。モーセは祭司レウエル(またはエトロ)の家で、彼の娘の一人ツィポラと結婚し、ここでエトロの羊の群れを飼い、40年近くを過ごしました。

これが、使徒言行録のステファノの説教で言われていたモーセの生涯の第二期です。おそらくモーセはこの第二期の40年間で、それまでのエジプト王宮の40年間では経験できなかった多くのことを経験し、そこでは学ぶことができなかった貴重な多くのことを学んだと推測されます。

 その一つは、義理の父エトロが祭司であったということに関連しています。祭司とは、もっぱらに神に仕える務めを行ないます。エトロが仕えていた神が、族長アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわちイスラエルの神であったのかどうかはよく分かりません。レウエルという名は、ヘブライ語では「神の友」あるいは「神の羊飼い」の意味であろうと推測されます。ヘブライ語の「エル」はイスラエルの神を言う場合にも、一般的に神を指す場合もありますので、そのどちらであるかを判断することはできません。そうであるとしても、モーセは祭司エトロのもとで、神にお仕えすることを学んだことは、はっきり言えます。この世の王に仕えるのではなく、神にお仕えし、主なる神をこそ恐れることを、モーセはエトロから学んだのです。やがて彼がイスラエルの主なる神から召し出され、神の偉大なる救いのみわざにお仕えするようになる準備が、ここでなされたのです。

 モーセがここで学んだもう一つのことは、彼がエトロの羊の群れを飼っていたということです。3章1節からそのことが分ります。これもまた彼にとっては意義ある経験だったと言えましょう。彼はのちに、エジプトを脱出したイスラエルの民の荒れ野の40年間の旅を、迷える羊の群れを導き、約束の地カナンへと連れて行く羊飼いとしての務めを成し遂げたのです。

 モーセは長男が誕生した時、その子をゲルショムと名づけます。「ゲルショム」とは「そこに寄留する者」という意味です。モーセは自分がアブラハム、イサク、ヤコブの族長たちと同じ、地上での旅人、その地での寄留者であることを告白します。しかし、エジプトが帰るべき地であるということではありません。神の約束の地カナンこそが目指すべき目的地です。その神の約束のみ言葉を信じつつ、その約束の地を目指しつつ、地上を旅する信仰者であることを、モーセはミディアンの地で教えられたのです。そして、やがてイスラエルの民と共に、約束の地カナンへと進む時がくることを信じつつ、モーセはこの地で備えていたのでした。

 最後の23節以下を読みましょう。【23~25節】。ここでわたしたちは、これまでのモーセのすべての歩みの上に、神の見えざる救いのみ手が働いていたということを、確かに知ることができます。神はエジプトで苦しむイスラエルの民を救うというご計画を、至る所で進めておられたのです。モーセの同胞に対する愛やあるいは正義感よりも、はるかに大きな神の救いのみ心がそのことを成し遂げるのだということを、わたしたちはここから知らされます。

 神はイスラエルの人々の嘆きの声をお聞きになります。神は族長たちとの契約を思い起こされます。神はご自身が選ばれた民イスラエルを顧みられます。神は彼らをみ心に留められます。「聞く」「思い起こす」「顧みる」「み心に留める」、これはいつの時代にも変わらないわたしたちに対する神の大いなる愛です。神は今もなお、苦しむ者たち、悩む者たちの叫びと祈りをお聞きになります。そして、それに応えられ、最も良き道へとお導きくださいます。神はまた、主イエス・キリストによって教会の民と結ばれた新しい契約を覚えられます。信じる人たちを神の国へと導き、永遠の命を受け継がせてくださいます。神は貧しい人たち、病める人たち、重荷を負う人たちを顧みられます。神のため、主キリストのため、主の教会のために労苦する人たちを顧みられます。その労苦は決して無駄に終わることはありません。また、神はわたしたちの弱さや破れ、欠けやつまずきのすべてを知っておられます。そして、常にわたしたちの傍らに立ってくださり、支え、励ましてくださいます。その神を信じて、従っていきましょう。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたの永遠の救いのご計画の中にわたしたち一人一人をもお招きくださいますことを感謝いたします。わたしたちがどのような時にも、あなたのみ言葉を固く信じ、あなたが最も良き道を備えてくださることを信じて、信仰の道を全うできますようにおみちびきください。

〇あなたの義と平和がこの地に実現しますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

5月26日説教「信仰と生活との誤りのない審判者」

2024年5月26日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(33)

聖 書:詩編119編1~16節

    テモテへの手紙二3章10~17節

説教題:「信仰と生活との誤りのない審判者」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の3段落目、「旧・新約聖書は神の言(ことば)であり、その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です」。きょうはこの文の最後「信仰と生活との誤りのない審判者です」という箇所について、聖書のみ言葉から学んでいきます。

 この箇所では、キリスト教教理の「聖書論」が取り扱われていますが、わたしたちプロテスタンと教会とカトリック教会との大きな違いがこの「聖書論」に現れていると言えます。宗教改革者たちが強調した「聖書のみ」は「神の恵みのみ」「信仰のみ」とともに、宗教改革の中心的な教えでした。それは、ローマ・カトリック教会が聖書のほかにも、教会の伝統、あるいは伝承、すなわち、歴代の教皇が出した教理に関する文書、勅令、勅書と言われますが、それらが聖書と同じ権威を持っているとされていることに対する反論、否定でありました。聖書に書かれている神の言葉以外には、どんなに権威ある人の言葉であっても、それは神の言葉ではない。したがって、わたしたちが信仰をもって服従しなければならない言葉ではなく、また、わたしたちの救いにとってなくてならない言葉でもない。ただ、聖書の言葉だけがわたしたちが聞くべき神の言葉であり、ただ聖書の言葉だけがわたしたちを救う神の言葉である。そのことをルターやカルヴァンなどの宗教改革者たちは強調したのです。

 きょう学ぶ「信仰と生活との誤りのない審判者」という告白に関しても、このことを今一度確認しておくことが重要です。神の言葉である聖書と、それをとおして語っておられる聖霊だけが、わたしたちが信じ、従うべき神の言葉であり、また、わたしたちの信仰と生活全般においての唯一・最高の審判者なのであって、他の言葉は、たとえ教会という組織が作成した規則や命令であれ、偉大な人物とかすぐれた宗教家や哲学者が語った言葉であれ、それらはわたしたちを正しい信仰の道へと導くものではない。わたしたちをまことの命と真理に導く言葉ではない。そのことが、ここではまず第一に告白されているのです。

 もう一つ、あらかじめ確認しておくべきことは、この文章の主語についてです。「新・旧約聖書は神の言葉であり」、ここまでの主語は新・旧約聖書です。次の文からは主語が変わり、「その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し」と「信仰と生活との誤りのない審判者です」という、この二つの文章の主語は、直接的には聖霊であると言えます。しかしまた、意味から考えれば、新・旧約聖書が主イエス・キリストを啓示し、証ししているのであり、また、同じように聖書の言葉が信仰と生活の審判者であると言えますので、実際には聖書と聖霊の両者が主語となっていると理解できます。

 わたしたちの『信仰告白』がこのような言い方をしている理由については、これまでも学んできましたが、聖書の言葉と聖霊なる神のお働きとを密接に結びつけ、両者を決して分離しないということに留意しているからです。聖書の本来の、また唯一の著者は聖霊です。聖霊が預言者や使徒たちをお用いになって神の言葉である聖書を著しました。それゆえに、聖書を読む場合も、聖霊のお働きとお導きとを求め、そのお働きを信じて読まなければ、それがわたしたちを罪から救い、まことの命に生かす神の言葉として読むことはできません。

 「わたしたちの誤りのない審判者である」と告白されているここでも同様です。直接に、「聖書が誤りのない審判者である」と告白されるのではなく、「聖書の言葉の中で働かれる聖霊が誤りのない審判者である」と告白されています。ここでも、聖書の言葉と聖霊なる神のお働きとが密接に結びつけられているのです。その理由を考えてみましょう。

 実は、聖書の言葉が直接的に誤りのない審判者であると告白されている信仰告白も世界にはかなりあるのですが、その際には、聖書の言葉が律法主義的に理解されて、聖書の言葉がそのまま教会の在り方や信仰の在り方を規制したり、あるいは、聖書の言葉をこの世の法律と同じように適用して、それによって軽々しく裁いたり、断罪したりする危険性が出てきます。聖書にこう書いてあるのに、それとは違うから、それは不信仰だと決めつけるという、律法主義がそこから出てきます。しかし、それは神の言葉を人間の言葉と同じように適用することであり、神の律法をこの世の法律と同じように適用することであって、そこでは聖霊なる神のお働きは全く無視されていると言わなければなりません。そのようが誤解や悪用を避ける意味でも、わたしたちの『信仰告白』は「聖書の言葉と、その中では働かれる聖霊なる神が、わたしたちの信仰と生活との誤りのない審判者である」と告白されているのです。

 では、具体的に聖書のみ言葉を読みながら考えていくことにしましょう。まず、「審判者」という言葉は聖書ではどのような意味で用いられているのかをみていきましょう。【使徒言行録10章42節】(234ページ)。もう一箇所【テモテへの手紙二4章7~8節】(394ページ)。この二箇所では、いずれも主イエス・キリストが、世の終わりの時、すなわち終末の時に、最終的な審判を下す裁き主であることが言われています。わたしたちはこのことをもしっかりと覚えておきたいと思います。わたしたちに信仰をお与えくださり、わたしたちの日々の信仰を導かれる主イエスが、最後の審判の時にわたしの傍らに立ってくださり、わたしに義の栄冠をお与えくださると約束されています。

 きょう学んでいる箇所は、聖霊が主語になっているので、また終末の時ではなく、今の時のわたしたちの信仰と生活のことが取り挙げられているので、この二か所とは少し違う意味で用いられていると思われます。わたしたちの『信仰告白』のもとになっている聖書の箇所は、きょうの礼拝で朗読されたテモテへの手紙二3章16節と思われますので、そこを読んでみましょう。【16~17節】(394ページ)。ここでは、聖書がすべて聖霊なる神に導かれて書かれているので、わたしたちに神の真理を教え、罪の道へと進むことを戒め、神が定めておられる正しい道、神の義へと導くために有益な働きをすると書かれています。そして、わたしたちが神に喜ばれるよいわざに励むことができるように整えると言われています。神の言葉である聖書は、聖霊なる神がお働きくださるときに、そのようにわたしたちを導くということを、「誤りのない審判者である」と告白していると理解できます。

 他の信仰告白では、多くの場合、審判者という言葉ではなく、「基準」あるいは「規範」という言葉を用いています。たとえば、1559年の『フランス信仰告白』第四条では「われわれはこれらの聖書が正典であって、われわれの信仰の確かな基準であることを認める」と告白されています。また、1647年制定の『ウエストミンスター大教理問答』問3では、「旧約と新約の聖書が、神の言葉であり、信仰と従順の唯一の規範です」と教えています。

このように、歴史的な信仰告白の多くが「規範、基準」という言葉を用いていますが、わたしたちの『信仰告白』があえて「審判者」という、より厳しい響きを持つ言葉を用いていることの積極的意味を読み取る必要があります。聖書がわたしたちの信仰と生活を正しく、また確かな道へと導く働きをするというだけでなく、神の言葉はまた、そこに聖霊なる神がお働きになって、信じる者と信じない者とを右と左に分け、命と死とに分けるという終末論的な働きをするということがここでは強調されているのです。ヘブライ人への手紙4章12節、13節に書かれているように、神の言葉は生きており、どんな諸刃の剣よりも鋭く、わたしたちの全身を刺し貫き、わたしたちの隠れている思いや考えを暴き出し、神のみ前に何一つ隠されているものがないほどに裸にする力を持っている。その神の言葉の計りしれない力を信じ、また恐れつつ、神の言葉である聖書を読み、聖霊のお働きを信じ、わたしたちの日々の信仰生活を続けるべきであることを強調しているのです。

次に、「誤りのない」という言葉について考えてみましょう。この言葉は、「永遠に変わらない真理と命を持つ」という意味です。この世には誤りの可能性がある言葉で満ちています。この世にあるすべての言葉はそうであると言うべきかもしれません。今この時に、ここで真実と思える言葉であっても、次の時代には忘れ去られ、消え去る言葉がわたしたちの周りには満ちています。一部のグループの人たちには真実であっても、他の人には通用しない言葉が、この世には満ちています。

けれども、聖書の言葉は永遠に変わらず、信じるすべての人を罪から救い、神の恵みで満たし、まことの命へ導き、慰めと平安を与えます。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」とイザヤ書に書かれているとおりです(40章8節参照)。

1934年にドイツ福音主義告白教会が採択した『バルメン宣言』の第一条にこうあります。「聖書において証言されているイエス・キリストは我々がそれを聞き、生と死とにおいてそれに信頼し、従わなければならない神の唯一の言葉である。教会がこの宣教の根源として、この神の唯一の言葉のほかに、これと並んで、さらに何らかの事件や、権力、現象や真理をも神の啓示として認めることができるとか認めなければならないとかいうような誤った教えを我々は拒否する」。

この宣言は、1933年に台頭したナチス・ヒトラー政権に反対する告白教会の必死の抵抗として採択されたものです。当時はドイツの国民も、またほとんどの教会もヒトラーをドイツの救世主と仰ぎ、彼の言葉を神の言葉として聞き、彼をあがめ、彼に服従していた時に、しかし、告白教会だけはヒトラーもまた人間であり、彼の言葉は神の言葉ではなく人間の言葉であるにすぎない。われわれはただ主なる神の言葉である主イエス・キリストにのみ服従すべきだと、告白したのです。

いつの時代にも、朽ち果てる、死すべき者である人間の言葉が力を持ち、神の言葉から信仰者を引き離そうとする誘惑にわたしたちは遭遇します。神の言葉以外の何らかのスローガンや偽りの宝や光がわたしたちの目を惑わします。けれども、ただ聖書に書かれている神の言葉だけが永遠に真実であり、わたしたちが自分の全存在をかけて聞き、従うべき、唯一の救いと命の言葉であり、わたしたちの信仰生活全体の永遠の審判者です。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたの命のみ言葉をわたしたちに信じさせてください。そのみ言葉を日々の命の糧とし、わたしの思いや行動、言葉のすべての審判者とさせてください。

〇主なる神よ、あなたのみ心が地においても行われますように。あなたの義と平和が実現しますように。混乱と困窮の中にあるこの世界を顧みてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

5月19日説教「主イエスによる聖霊の約束」

2024年5月19日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

              聖霊降臨日(ペンテコステ)

聖 書:ヨエル書3章1~3節

    ヨハネによる福音書14章25~31節

説教題:「主イエスによる聖霊の約束」

 ペンテコステは元来ユダヤ人の収穫感謝の祭りでした。イスラエルの民が奴隷の家エジプトから脱出したことを祝う過ぎ越しの祭りから50日目に、約束の地に導き入れられた彼らが小麦の収穫の初穂を神にささげて、感謝する祭りで、五旬祭、七週の祭り、初穂の祭りなどと呼ばれていました

 このペンテコステの日に、エルサレムに集まっていた12弟子たちをはじめ多くのキリスト信者たちに聖霊が注がれ、彼らは神から与えられた力に満たされて、主イエス・キリストの福音を大胆に、力強く、説教しました。それを聞いた多くのユダヤ人が主イエスを救い主と信じて洗礼を受け、ここに世界最初の教会であるエルサレム教会が誕生しました。そのことが使徒言行録2章に詳しく描かれています。

 12弟子の一人ペトロはその説教の中で、こう語りました。「今、このように信者たちが主イエス・キリストの十字架と復活の福音を大胆に語っているのは、旧約聖書の預言者ヨエルが預言していたように、彼らに聖霊が注がれたからである」と。ヨエルはこのように預言しました。

 「神は言われる。終りの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、霊を注ぐ。すると彼らは預言する。……主の名を呼び求める者は皆、救われる」(使徒言行録2章17~21節参照)と。

 そのヨエルの預言が今、成就した。今や、神の救いのみわざがすべて成就される終わりの時が来た。聖霊降臨の時が始まり、救いと恵みの時が始まったのだ。ペトロはそのように説教しました。わたしたちもまた今、その終わりの時、聖霊の時、救いと恵みの時に生きているのです。

 聖霊降臨は、主イエスご自身が十字架の死の前に弟子たちに約束しておられたことでもありました。ヨハネによる福音書14章からのいわゆる「主イエスの告別説教」の中で、主イエスは何度も聖霊なる神について語っておられます。直接に聖霊について語っておられる箇所は、14章15~17節、きょうの礼拝で朗読された25~26節、15章26節、16章4~15節です。これらの主イエスご自身のみ言葉から、聖霊なる神について、そのお働きについて、そしてその約束が成就されたペンテコステの出来事について、ご一緒に学んでいくことにしましょう。

 ヨハネ福音書のこれらの箇所では、聖霊はいくつかの違った名前で呼ばれています。14章16節では「別の弁護者」、17節では「真理の霊」、同じ節では「霊」が何度か出てきます。26節では「弁護者」、そのあとでは「聖霊」、15章26節でも「弁護者」、「真理の霊」、16章7節では「弁護者」、13節では「真理の霊」。これらはいずれも聖霊なる神を言い表しています。

 まず、「弁護者」と訳されている言葉は、『口語訳聖書』では「助け主」と訳されていました。宗教改革者マルチン・ルターは聖書を最初に母国語であるドイツ語に翻訳しましたが、彼は「慰め主」と訳しました。もとのギリシャ語はパラクレートスですが、「パラ」は「かたわらに、そばに」という意味で、「クレートス」は「呼び出された人」という意味です。一般には弁護する人という意味です。裁判の席で、被告人の隣にいてその人を弁護する人です。そこから、困っている人のかたわらで助ける人、悲しむ人の隣で慰める人という意味にもなります。

 14章15節では、「父は別の弁護者を遣わす」と言われており、「別の」とは、「もう一人の」という意味です。主イエスが十字架につけられ、この地から取り去られた後に、父なる神は主イエスとは別の、もう一人の弁護者である聖霊を遣わすということがここでは語られているのです。すなわち、主イエスが地上におられた間は、主イエスご自身が弟子たちにとっての弁護者であられ、助け主であられ、慰め主であられたのですが、主イエスの十字架後には、父なる神が聖霊を地上に派遣されて、その主イエスの役割、お働きを引き継がせるということです。

 14章18節以下で、主イエスが弟子たちに、「わたしはあなたがたをみなしごにはしない。しばらくすれば世の人はわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る」と言われたのは、聖霊がそののちも常に弟子たちと共におられるという約束なのです。主イエスのお姿は弟子たちの目からは見えなくなりましたが、弟子たちは主イエスを失って、この世に取り残されたのではなく、父なる神から遣わされる聖霊によって、主イエスは常に弟子たちと、信仰者たちと共におられ、彼らの弁護者、助け主、慰め主として、今もなお、そして永遠に、働いておられるということを、主イエスはここで約束しておられるのです。

 このことから分かるように、父なる神と子なる神・主イエス・キリストと聖霊なる神は互いに切り離されることなく、互いに連携し合いながら、一つの救いのみわざのためにお働きになるのです。これが、キリスト教教理の「三位一体論」です。神は、父なる神として、子なる神として、聖霊なる神として、その性質や性格、その働きや役割は違っていますが、一つの救いのお働きをする、唯一の神であられます。神はわたしの救いのためにも、三位一体なる神として、いわばその全ご人格と、すべての愛と、すべての恵みをもって、いと小さなこのわたしのためにお働きくださるのだということです。

 次に、今学んだことと関連している26節を読んでみましょう。【26節】(197ページ)。ここでは二つのことが重要です。一つは、聖霊は「主イエスの名によって、父なる神がお遣わしになる」と言われています。15章26節と比較してみましょう。【26節】(199ページ)。ここではよりはっきりと「主イエスが父なる神のもとから聖霊を遣わす」と言われており、聖霊は父なる神と子なる神・主イエス・キリストの両者から派遣されると理解できるように思われます。西方教会・ローマ教会はそのように理解しましたが、東方教会・ギリシャ教会は父なる神からのみ派遣されると理解しました。この理解の違いが西方教会と東方教会の分裂の原因になったと言われます。わたしたちプロテスタント教会は西方教会と同じ、「聖霊は父と子の両者から発出される」と理解しています。

 もう一つのことは、「聖霊はあなたがたにすべてのことを教え、わたし(つまり主イエス)が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」ということです。また、16章13節以下でも、同じようなことは強調されています。【13~14節】(200ページ)。ここでもまた、聖霊は主イエスのみわざ、そのお働きを受け継ぐということが何度も強調されています。14章16節で「別の弁護者」と表現されていたこと、すなわち、聖霊は別の、いわばもう一人の主イエスとして、いつまでも弟子たちと共にいてくださると約束されていたように、ここでは、聖霊は主イエスが話され教えられたこと、主イエスがなさった救いのみわざ、そのすべてを弟子たちにもう一度思い起こさせ、理解させ、信じさせてくださる、それが聖霊のお働きだと言われているのです。

 わたしたちが今学んでいる『日本キリスト教会信仰の告白』で、「聖書の言葉の中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示す」と告白されているのはこのことです。聖霊のお働きは父なる神のみ言葉と主イエス・キリストの救いのみわざと常に固く結びつき、この三者は切り離されることなく、お一人の神として、わたしたちの救いのためにお働きくださるのです。

 聖霊はわたしたちに主イエスが神のみ子であり、わたしの救いのためにすべてのみわざをなしてくださったということを悟らせ、信じさせてくださいます。主イエスが語られた説教、なされた数々の奇跡のみわざ、特にそのご生涯の終わりの十字架の死と復活、そのすべてが神のみ子としての救いのみわざであり、ほかでもないこのわたしの救いのためのみわざであるということを、わたしに悟らせ、信じさせてくださるのです。聖霊は、わたしがそのことを信じ、悔い改めて洗礼を受けた時に、わたしのすべての罪がゆるされ、わたしが死と滅びから救い出され、神から与えられる新しい命に生かされているということを確信させてくださるのです。そしてまた、聖霊は、天に昇られた主イエスが今もなおわたしのために絶えず執り成しておられ、わたしの救いの完成の時まで、わたしと共におられ、わたしを天のみ国へと導いてくださることを信じさせてくださるのです。そのようにして、聖霊はわたしの日々の信仰生活のすべてを、主イエスのみ言葉によって導き、支え、時にわたしの弁護者として、時にわたしの助け主として、時にわたしの慰め主として、わたしのかたわらにいてくださるのです。

 最後に、14章17節や15章26節、16章13節で、聖霊が「真理の霊」と言われていることに触れておきましょう。15章26節では、「父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである」と書かれています。ここでも、聖霊が主イエスのことをわたしたちに対して証しをすると言われており、それがわたしたちにとっての真理を悟ることなのだと言われています。

 16章13節では、「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と書かれています。「真理」とは何を言うのでしょうか。世界の思想家や哲学者、宗教家が何千年もの間、「真理とは何か」と問い続けてきました。難しい議論を繰り広げてきました。主イエスは言われます。神の真理はすべてわたしの中にあるのだと。主イエス・キリストの十字架の死と復活にあるのだと。すなわち、罪のない神のみ子が世の罪びとたちの代わりに裁かれ、神のみ子でありながら徹底的に弱く、貧しく、低くなられ、十字架の死に至るまで従順に父なる神に服従された。それによって、神に義とされ、神の救いのみ心を完全に成し遂げられ、三日目に死の墓から復活させられた。そして、罪と死と滅びに勝利された。ここにこそ、神の真理があり、すべての人のための救いの道があるのです。わたしたちはこの主イエス・キリストの十字架と復活の福音を聞き、それを信じる時に、そこに聖霊が働き、すべての罪がゆるされ、死と滅びから救われるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、きょうのペンテコステの礼拝にわたしたちをお招きくださり、あなたの命のみ言葉を聞かせてくださいました幸いを心から感謝いたします。どうかわたしたちを罪と死の支配から救い出し、あなたにあるまことの命に生きる者としてください。ここにこそ、まことの平安と慰めがあることを信じさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。