4月28日説教「モーセの誕生」

2024年4月28日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記2章1~10節
    使徒言行録7章17~22節
説教題:「モーセの誕生」

 出エジプト記2章1~10節に描かれているモーセ誕生の時代の背景を今一度確認しておきましょう。族長ヤコブ(すなわちイスラエル)の12人の子どもたちとその家族70人でエジプトに移住したイスラエル人は、400年余りの間に急激にその数を増し、大きく強い民族になっていきました。エジプト王ファラオはイスラエル人が反対勢力になることを恐れて、彼らを迫害する政策を考え出しました。最初はイスラエル人の助産婦に、「男の子が生まれたらすぐに殺すように」と命じましたが、神を恐れていた彼女たちはその命令に聞き従いませんでした。そこで、ファラオは次に、「イスラエル人の家に生まれた男の子はみなナイル川に投げ捨てよ」という命令を全国民に出しました。イスラエル人とその家庭は、エジプトの全国民監視のもとで、ファラオの命令に従わなければなりませんでした。
 モーセが生まれたのはそのころ、イスラエル人に対する迫害が最も厳しい時代でした。この状況は、主イエスが誕生された時と非常によく似ています。マタイによる福音書2章によれば、当時のユダヤ人の王ヘロデ大王は、主イエスがお生まれになると預言されていたエルサレム近郊のベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子をみな殺すように命じました。ヘロデ王もまたエジプト王ファラオと同様に、やがて自分の王としての地位が脅かされるようになることを恐れて、最も弱い存在である子どもの命を葬り去ろうとしています。神を恐れず、この世の権力にしがみつこうとする者は、いつの時代にもこのようにして、本来は恐れるに値しない存在を恐れ、その恐れを振り払おうとして、最も弱い者たちを犠牲にするのです.
 しかしまた、主なる神はそのような、人間の罪が最もその罪悪と醜さを浮き彫りにする、まさにその時に、その人間の罪のただ中で、最も偉大なる救いのみわざを遂行なさるのです。奴隷の民イスラエルをエジプトから導き出すために仕えるモーセを誕生させ、そして全世界の民を罪の奴隷から救い出すためにお仕えくださる主イエスをこの世に誕生させたもうのです。迫害と死の恐怖のただ中で、神の奇しき摂理に導かれ、神の強いみ手に守られて、その幼い命が誕生したのでした。神はこのようにして、天地創造の初めから今に至るまで、そして終りの日のみ国が完成されるその時に至るまで、無から有を呼び出だし、死から命を生み出すようにして、驚くべき救いのみわざをなし続けられます。
 では【1~2節】を読みましょう。モーセの両親の名前や兄弟のことについてはここでは紹介されていませんが、6章20節によれば、両親はアムラムとヨケベドという名であり、またモーセにはすでにアロンという兄がおり、ミリアムという姉がいたということが、他の箇所から知られます。このあと2章4節以下で幼子の姉として登場してくるのがそのミリアムと推測されます。また、ミリアムは15章20節以下では、アロンの姉の女預言者として紹介され、いわゆる紅海の奇跡を歌っています。
 2節に「その子がかわいかったのを見て」と書かれていますが、「かわいい」と訳されているヘブライ語は「トーブ」という言葉ですが、この言葉は一般的には、「美しい、整っている」という意味ですが、創世記1、2章では神の創造のみわざについて繰り返して用いられています。1章4節、10節、12節などで、「神はこれを見て、良しとされた」と言われています。その他の箇所でも、「トーブ」というヘブライ語は、一般的に美しい、かわいいというだけではなく、神の創造の秩序に適っている美しさとか、神から与えられた特別な美しさというような意味を持っています。生まれてきた子どもは親にとってはみなかわいいのですが、モーセはそれだけでなく、神から与えられた特別な美しさを持って生まれたのでした。そして、両親はそこに神からの特別な恵みを見たのです。
 使徒言行録7章20節では、この箇所はキリスト教の最初の殉教者となったステファノが死の直前に法廷で証言した説教ですが、そこでは幼子モーセについて「神の目に適った美しい子」と言われています。また、ヘブライ人への手紙11章23節にはこのように書かれています。【23節】(416ページ)。モーセの両親は信仰によって、与えられた幼子に神の特別な恵みと、それゆえに神の特別なみ心を見たのです。そして、この世の王を恐れず、主なる神を恐れたのです。ヘブライ人の助産婦たちも同様でした。それゆえに、モーセの両親は自分の子をこの世の権力者の犠牲にすることによって自分たちの命を守るのではなく、主なる神のためにささげる決断をしたのです。パピルスのかごに入れてモーセをナイル川の葦の茂みに置いたのは、我が子を捨てたのではなく、我が子を神にささげたのです。
 【3節】。幼子が3か月を過ぎると、泣き声が大きくなり、もはや家の中に隠しておくことができなくなります。もし、泣き声をだれかに聞かれたら、直ちに密告されて、家族みんなの命が危険になります。だからと言って、幼子を殺すことはできません。そこで、両親は信仰の決断をします。防水を施したパピルスのかごの中に入れてナイル川の岸辺に置くことにしました。わが子を神ご自身に託したのです。
 3節で「籠」と訳されているヘブライ語は創世記6章のノアの大洪水の箇所で「箱舟」と訳されています。ノアとその家族とが大洪水の際に箱舟に入り、救われたように、幼子モーセもまた小さな箱舟の中で神に守られているのです。モーセの両親は信仰によって、幼子を神のみ手にゆだねたのです。そして、神は確かに不思議な導きによって、幼子モーセを守り、導かれました。
 【4~6節】。「その子の姉」は前にお話ししたように、ミリアムという名前だと思われます。彼女は弟がどうなるのかを見守っています。彼女もまた、信仰の家庭に育ち、信仰と兄弟への愛に満ちていました。
ファラオの王女がナイル川のほとりで水浴びをしているちょうどその時に、流れ着いたかごとその中にいた幼子を見つけました。王女はかごの中で泣いている赤ん坊に目をやり、その子に深い同情心を起こしました。泣いている赤ん坊を見てかわいそうだと思わない人はいないかもしれません。けれども、彼女はエジプト王の娘です。父の命令を知らないわけはありません。しかも、彼女は赤ん坊がヘブライ人の子だということを確かに認識していたと6節に書かれています。父の命令によって、その子は直ちに殺されなければならないのです。そうであるのに、彼女はその子に深い憐みの心を覚え、その子を生かしておこうと思ったのです。それは、なんとも不思議な導きです。そこには神のみ手が働いていたのだと、この箇所を読む読者のだれもが認めるでしょう。神は信仰深いモーセの両親とその家族を導かれたように、この時にもまたファラオの娘をナイル川の岸辺へと導かれ、彼女に憐みの心を起こさせ、その幼子をファラオの宮廷へと導かれたのでした。何と不思議な神の導きであることでしょうか。
 【7~10節】。ここではさらに不思議なことが次々と起こります。7節の「その子の姉」は4節で、「遠くに立って、どうなるかと様子を見ていた」モーセの姉ミリアムのことです。彼女は大胆にも王女に「その子にヘブライ人の乳母を呼んできましょうか」と提案し、しかも彼女の母、その子の実の母ヨケベドを連れてきました。母は王女に雇われて、手当を受け取って、実の子モーセを自分の母乳で育てることになったのでした。このようなことが起こりうるでしょうか。しかも、迫害する側の権力者と迫害される側の市民との間で、このようなことがいったい起こりうるでしょうか。しかし、ここでは、主なる神の見えないみ手の導きによって、この不思議なことが起こっているのです。信仰の家庭、信仰の民はこのようにして主なる神に導かれていくのです。
 迫害されていたイスラエル人の家庭に生まれたモーセが、神の不思議な導きによって、迫害するエジプトの宮廷の中で、迫害の命令を出した王の娘の子どもとして育てられ、ひとたび家から出して神にささげた母親の母乳とその愛の手によって養われ、育てられるという、人間の知恵では考えもつかないほどの奇しき神の救いのご計画の中で、モーセは成長していきました。イスラエル人の幼児虐殺の命令が出されたその宮廷で、モーセはエジプトのあらゆる学問を身につけ、やがてそのエジプトの地からのイスラエル人脱出の時に備えることになりました。神は人間の悪や罪のすべてをお用いになって、ご自身の永遠の救いのご計画を進められます。
 ここでわたしたちは、ヘブライ人への手紙が教えているモーセ自身のこののちの決断について、あらかじめ確認しておく必要があるでしょう。というのは、モーセは神の不思議なお導きによって、ファラオの宮廷で、エジプトの最高の学問を身に着け、何不自由なく成長していくのですが、しかし彼はイスラエル人ではなくなっていくのではありません、エジプト人になるのではありません。ヘブライ人への手紙11章24~26節にこのように書かれているからです。【24~26節】。モーセはこの時すでに主キリストを見ていたと書かれています。主キリストのご受難の道を、主キリストと共に歩んだのだと、この手紙の著者は言います。主キリスト誕生の1200年以上も前のこの時代に、神はご自身が選ばれた旧約の民に主キリストのご受難と十字架の恵みをお与えになっておられるのです。神の永遠の救いのご計画は、昔も今も、いつまでも変わることはありません。わたしたちがそれぞれの人生の中で経験しなければならない苦難や試練の中でも、神の救いのご計画は確かに進められていくのです。
 最後に、モーセという名前の意味についてですが、モーセとはもともとはエジプト語で「息子」という意味であったと考えられていますが、ここではヘブライ語の「引き出す」という意味の言葉と関連づけられています。モーセは水の中から引き上げられた者です。もちろん本来の主語は王女ではなく、主なる神です。神によって水の中から、死の危険から引き上げられ、救い出された者です。モーセはそのようにして神に救い出された者として、やがてイスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出すために神に用いられるのです。

(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたの奇しき摂理によって、奴隷の民イスラエルを導き出すための指導者モーセを誕生させ、あなたの救いのご計画を押し進めてくださいました。あなたは必要な時に必要な働き人を起こしてくださり、あなたの民を絶えずお導きくださいます。どうか、わたしたち一人一人をもあなたの救いのみわざのための仕え人としてお用いください。全世界の教会、アジアの諸教会、日本の諸教会をお導きください。それぞれの地で、あなたのご栄光を現わすためにお仕えする群れとなりますように。
〇天の神よ、試練や苦難の中にある人、重荷を負っている人、病んでいる人、飢え乾いている人、迫害を受けている人、すべてあなたの助けを求めている人に、あなたの力強い助けのみ手を差し伸べてください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月21日説教「聖書はイエス・キリストを証しする」

2024年4月21日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(32)

聖 書:イザヤ書42章1~9節

    ルカによる福音書24章44~49節

説教題:「聖書はイエス・キリストを証しする」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の3段落目、「旧・新約聖書は神の言(ことば)であり、その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です」。きょうはこの中の「主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し」という箇所について、聖書のみ言葉から学んでいきます。

 まず、この文章の主語は何かを、改めて確認しておきましょう。「主イエス・キリストを顕らかに示し」の主語は、すぐ前の「聖霊」ですが、その聖霊は「その中で」、すなわち「旧・新約聖書の中で」語っておられると、いう具合に、順に前の方につながっていく文章になっています。一般的には、「旧・新約聖書はイエス・キリストを顕らかに示している」と告白されるべきところを、「旧・新約聖書の中で語っておられる聖霊なる神が、主イエス・キリストを顕かに示している、あるいは証ししている」という告白になっていることが分ります。このように、聖書に書かれている神の言葉と聖霊なる神のお働きとが固く結び合わされているという点が、わたしたちの『信仰告白』の大きな特色です。

 前回も学んだように、聖書の第一の著者は聖霊なる神です。聖霊なる神が、旧約聖書時代の預言者や信仰者たちをお用いになって、また新約聖書の福音書記者たちや使徒たちをお用いになって、彼らの筆によって聖書が書き記されたのです。そして、聖霊なる神は今もなお、書かれた聖書の言葉によって、わたしたちに語りかけておられるのです。それゆえに、わたしたちが聖書を読む場合には、聖霊なる神のお導きによらなければ、聖書を正しく理解することはできず、聖書が与える救いの恵みを正しく受け取ることができないということです。聖書の正しい理解者は聖霊であり、またその聖書の言葉によってわたしたち一人一人に信仰を与え、救いの恵みを与えるのも聖霊なる神です。

 次に、「顕らかに示し」という言葉についてですが、1953年制定のいわゆる「文語文」では、「主イエス・キリストを顕示し」となっていましたが、2007年に制定された「口語文」では、漢字をそのまま用いて「顕(あき)らかに示し」と読ませています。この「顕示する」という言葉は、1890年(明治23年)の『(旧)日本基督教会信仰の告白』で用いられていました。ただ、その場所は、今の『信仰告白』のように「聖書論」の中ではなく、一段落前の「聖霊論」の箇所で、「父と子と共に崇められ、礼拝せられる聖霊は我等が魂にイエス・キリストを顕示す」と告白されていました。「聖霊がわたしたちに主イエス・キリストを顕示する」と言われていたのが、今の『信仰告白』では、「聖書が、そこで語っておられる聖霊によって、主イエス・キリストをわたしたちに顕示する」というように変更され、「聖書論」の中で、聖書と聖霊と主イエス・キリストとを結びつけて理解すべきことを強調しています。日本キリスト教会の特徴がより明確にされていると言えます。

 「顕示する」とは、明らかに、はっきりと示す、疑いの余地がないほどに明確に表わすという意味ですが、1890年の『(旧)信仰告白』で最初に用いられましたが、なぜこの言葉が用いられたのかについては分かっていません。わたしたちの教会の大先輩である林三喜雄先生によると、「顕示するとは、教示または指示ではない。人格的顕現である。主イエス・キリストは聖霊においていまここに現在し、活ける主として、聖書をとおして語りかけ給うのである」と解説しています。

 『日本キリスト教会小信仰問答 1964年版』の第5問では、「聖書とは何ですか」という問いの答えとして、「聖書は旧約聖書・新約聖書66巻からなっていて、預言者や使徒たちが聖霊に導かれて書いたものです。それはイエス・キリストを証しし、わたしたちの信仰と生活との誤りのない基準です」と教えています。ここでは、「証しする」という言葉が用いられています。顕示する、証しする、あるいは啓示する、いずれの言葉でも大差はないと思います。重要な点は、わたしたちが何度も確認したように、また林三喜雄先生が強調しておられたように、聖書のみ言葉が生ける、また命と力とを持つ神のみ言葉として、今ここでわたしたちに語りかけられ、またわたしたちに救いの恵みを与える、そのような命と救いのみ言葉として、わたしたちが聞き、信じ、受け入れることができるように、聖霊なる神が働いてくださるのだということです。

 それでは次に、旧約聖書と新約聖書が主イエス・キリストを顕示する、証しするという、『信仰告白』の中心部について学ぶことにしましょう。

 新約聖書が主イエス・キリストを顕示する、証しするということについては改めて説明を必要としないでしょうが、旧約聖書の中にはイエス・キリストというお名前が一度も書かれていないのに、なぜそのように告白されるのでしょうか。

きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書24章44節以下で、復活された主イエスが弟子たちにお姿を現されてこのように言われました。【44~47節】(161ページ)。「モーセの律法」とは旧約聖書の最初の5つの書を指しています。それに「預言者の書と詩編」で、旧約聖書全体を言い表わしています。つまり、旧約聖書はその全体が、「わたしについて」すなわち主イエス・キリストについて書いている。主イエスのご受難と十字架の死と三日目の復活、そして悔い改めと罪のゆるしの福音が全世界へと宣べ伝えられることが書かれている、そのように主イエスご自身が言われました。また、ヨハネ福音書5章39節でも、主イエスはこのように言われました。「あなたたちは聖書の中に(旧約聖書の中に)永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しするものだ」と。そのほかにも、主イエスご自身が「旧約聖書はわたしについて書いてある、わたしのことを預言している」と語られている箇所がいくつもあります。旧約聖書は創世記の最初の1ページから最後のマラキ書まで、全39巻、その全ページが主イエス・キリストを証している、主イエス・キリストの到来を預言している、来るべきメシア・救い主である主イエスを待望しているということを、主イエスご自身が何度もお語りになりました。

 創世記1章で神が天地万物と人間を創造されたその時から、神はこの世界を救うために主イエス・キリストをこの世界にお遣わしになるご計画を始めておられたのです。最初の人アダムとエヴァが罪を犯したその時から、神の救いのみわざは始められていました。アブラハム、イサク、ヤコブの族長時代、モーセ、ダビデなどの旧約聖書の信仰者たちは、やがて来たりたもうメシア・キリスト・救い主を待ち望んでいました。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言者たちは、永遠の王、まことの預言者、唯一の大祭司である、油注がれた者、メシア・キリストの到来を預言しました。

 その預言の一つ、イザヤ書53章3節以下を読んでみましょう。「苦難の主の僕(しもべ)」と言われる箇所です。【3~10節】(1149ページ)。この預言はまさしく新約聖書の福音書が語っている主イエスの十字架のお苦しみのことであり、その主イエスの十字架によってなし遂げられた罪の贖いとゆるしの福音のことです。預言者イザヤは主イエスが誕生されるおよそ700年以上も前に、神の永遠の救いのご計画を知らされ、この預言をしたのです。他の預言者たち、旧約聖書の信仰者たちもまた同様です。

旧約聖書は、このようにして、預言というかたちで、また待望というかたちで、来るべきメシア・キリスト・救い主であられる主イエス・キリストを顕示し、証ししています。わたしたちが聖霊なる神のお導きによって旧約聖書を読むとき、そこでわたしたちの救い主であられる主イエス・キリストと出会うのです。

次に、新約聖書は4つの福音書、使徒言行録、パウロの書簡、その他の書簡、そして最後のヨハネの黙示録まで、全27巻。主イエスの誕生から、そのご生涯、ご受難、十字架の死、葬り、三日目の復活、40日目の昇天、聖霊降臨と教会の誕生、初代教会の発展、そして主イエス・キリストの再臨の時、終末の神の国完成の時に至るまでのことが描かれています。主イエス・キリストが新約聖書全体の主人公、中心人物、また主語であられる、新約聖書全体が主イエス・キリストを顕示し、証ししているということは全く疑う余地はありません。

しかし、もちろんそこで聖霊なる神のお働きがなければ、だれも本当の意味で主イエスを知ることはできませんし、主イエスとの生ける出会いを経験することもできません。主イエス・キリストから差し出されている救いの恵みを受け取ることもできません。新約聖書のみ言葉をとおして働かれる聖霊なる神のお働きによって、主イエスのお苦しみがわたしの罪のためであったことを、主イエスの十字架の死によってわたしの罪が贖われていることを、そして主イエスの復活によってわたしに復活の命が約束されていることを、わたしが信じる信仰へと招き入れられていることを知らされるのです。

主イエス・キリストを顕示し、証しする旧約聖書と新約聖書との関係について、いま一度まとめておきましょう。旧約聖書は主イエス・キリストを預言し、その到来を待望する書、また主イエス・キリストによる救いの完成を待望しながら歩んだイスラエルの民の信仰の書であり、新約聖書は主イエス・キリストの到来によって成就された救いと、その救いに生きた教会の民の信仰の書であると言えます。わたしたちは旧約聖書においても新約聖書においても、聖霊によって聖書を読む時に、そこで主イエス・キリストと出合うのです。わたしたちの信仰の創始者であり、また完成者であられる主イエス・キリストが、聖書のみ言葉と聖霊によって、常にわたしたちと共にいてくださり、わたしが健やかな時も、わたしが病める時も、そしてわたしの死の時にも、常にわたしと共におられ、終わりの日までわたしをお導きくださることを信じるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちが朽ちるこの世のパンによって生きるのではなく、あなたの生けるみ言葉によって真実に生きる者となりますように。聖書のみ言葉がわたしの命の糧となり、苦難の時の希望の光となり、死の時の慰めの言葉となりますように。

○全能の父なる神よ、この世界にまことの平和をお与えください。憎しみや復讐ではなく、愛とゆるしをお与えください。飢え乾いている人たちに食糧を、家を失っている人たちにテントと毛布を、傷ついている人たちに適切な医療を、孤独な人たちに共に歩む友人を、重荷を負う人たちに主キリストの愛をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月14日説教「バルナバとパウロの出会い」

2024年4月14日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

              秋田教会建設記念礼拝

聖 書:ヨシュア記1章1~9節

    使徒言行録11章19~26節

説教題:「バルナバとパウロの出会い」

 秋田教会は1934年(昭和9年)4月15日(日)に自給独立の教会となり、秋田教会建設式を執行しました。今年は教会建設90周年になります。その前の年度の教勢は、教会員数77人、現住陪餐会員数36人、礼拝出席者数22人でした。1892年(明治25年)に秋田講義所を開設し、宣教活動を開始してから、秋田伝道教会時代を経て40数年間、主にアメリカ・ドイツ改革派教会ミッションからの人的・経済的な支援を受けてきましたが、この時からは外国ミッションの経済的援助から自立することになり、長老4人を選挙し、独立教会としての歩みを開始しました。当時の会計関係の記録を見ると、外国ミッションからの補助は通常会計の70~80パーセントを占めていましたから、それがなくなるということは、会計運営上はかなり厳しかったことが推測されます。けれども、教会は自給独立の決断をし、自分たちの教会を自分たちのささげものによって支える決断をしたのでした。そして、間もなく始まった戦争の困難な時代をも乗り越えてきたのでした。

 自給独立の決議をしたのは教会総会で牧師と教会員の決断によるものですが、それを導き、支えられたのは、教会の頭であられる主イエス・キリストであり、すべての信仰者の志と決断を良しとしてくださる父なる神ご自身であったのは言うまでもないことです。神はこの弱く小さな群れを、多くの欠けや破れがあったにもかかわらず、深い憐みをもって今日まで導いてくださいました。その時その時に、必要なものを備えてくださり、良き働き人、良き奉仕者を起こしてくださり、新しい教会員をお加えくださいました。主なる神はこれからのちも変わることなく、この群れを憐み、恵み、祝福してくださることを、わたしたちは固く信じ、秋田教会の歩みを続けていきたいと願います。

 さて、使徒言行録を続けて読んできたわたしたちは、11章19節から初代教会の新たな展開が始まったことを前回確認しました。それは、アンティオキア教会の誕生と異邦人伝道が組織的、積極的に展開されるようになったことです。アンティオキア教会はユダヤ人と異邦人の両方から形成される教会でしたが、この両者が同じ一つの群れ、一つの教会を形成することによって、神が最初ユダヤ人をお選びになって始められた救いのみわざが、今やユダヤ人以外の異邦人にも及び、全人類を救われるという神の救いのご計画が最終目的に達したのです。さらに、その全人類のための神の救いのご計画が、このアンティオキア教会を拠点として、これから展開されていくことになるのです。

 【22節】。エルサレム教会は世界最初の教会であり、初代教会時代にあっては、そののちに誕生したすべての教会にとっての母なる教会という存在でした。8章でサマリヤ教会が誕生した時には、エルサレム教会からペトロとヨハネがサマリヤに派遣されました。11章では、カイサリアの異邦人コルネリウス一族が集団で洗礼を受けた時には、ペトロ自身がエルサレム教会にそのことを報告しています。すべての教会は母なるエルサレム教会に連なっており、その信仰を受け継いでいることが確認されています。そして、さらにその源流をたどれば、このエルサレムで主イエスが苦しみを受けられ、十字架で死なれ、三日目に復活され、40日目に天に昇られたという主イエス・キリストの福音の原点が、すべての教会の信仰の原点が、ここにあるということになります。

 今回、アンティオキア教会に遣わされたのはバルナバでした。バルナバは4章36節で「慰めの子」として紹介されていました。また、9章27節では、キリスト教会の迫害者であったパウロが回心してキリスト者になったあと、パウロを迫害者と恐れていたエルサレム教会の使徒たちにパウロを紹介し、両者を引き合わせたのもバルナバでした。彼の名はバルナバ、その意味は「慰めの子」にふさわしく、多くの人々に神からの慰めを与える人物でした。彼が選ばれてエルサレム教会から派遣された理由は、彼の出身地がアンティオキアに近い地中海の島、キプロス島だったからであろうと推測されますが、それ以上に深い神のみ心があったということを、わたしたちはあとになって25節以下で知らされます。

 【23~24節】。バルナバは誕生したばかりのアンティオキア教会に神の恵みが満ちあふれているのを見ました。喜びに満ちあふれているのを見ました。異邦人伝道の実りは、神の豊かな恵みの実現であり、神の救いのご計画の成就でした。最初にアンティオキアの町で異邦人伝道を始めた、20節に書かれていた何人かのキプロス島やキレネ出身のギリシャ語を話すキリスト者たちの、熱心な信仰と大きな勇気は、称賛に値するものでしたが、彼らはこの神の救いのご計画のために仕えたのでした。

 バルナバはここでもその名にふさわしく、慰めに満ちた人として行動しているのが分かります。彼はエルサレム教会から派遣されて、新しく誕生した教会が正しく主イエスの福音を継承しているかどうか、また健全な教会形成をしているかどうかを、監視し、指導する務めを帯びていました。特に、ユダヤ人と異邦人とが共存する教会で、律法をどう守るかとか、ユダ人の宗教的慣習をどう受け継ぐかとか、初代教会で大きな問題となっていたそれらの諸問題におそらくは直面していたと思われますが、バルナバはそれらの初代教会が抱えていた諸課題をはるかにまさった、神の豊かな恵みをアンティオキア教会に見ていたのでした。そしてそれは、全く正しい見方であり、開かれた信仰の目を持ち、また神からの慰めに満ちた心を持ったバルナバの対応であったと言えます。

 バルナバは、アンティオキア教会の誕生を、またその教会の歩みを、人間のわざとして見たのではありませんでした。また、律法のわざでもなく、神の恵みのみわざとして見たのです。主イエス・キリストの福音によって、その福音を信じる信仰によってすべての人が救われるという、神の救いのみわざの成就を見たのでした。主イエス・キリストの福音による新しい契約の民の誕生を見たのでした。それこそが、教会を正しく見る目です。

確かに、さまざまな問題点や欠けが教会にはあるでしょう。誕生して間もない教会にとってはなおさらそうです。バルナバにはエルサレム教会から派遣された監督官として、それを指摘したり、正したりする務めがあったでしょう。けれども、彼はそれ以上に、誕生したばかりの教会に神からの慰めと希望とを与える務めを強く自覚していたのでした。アンティオキアの町は大きな港町でした。全世界のあらゆる文化と宗教が入り混じっていました。そのような中で、キリスト教の信仰を保ち続けるには厳しい信仰の戦いが必要です。主イエス・キリストから引き離そうとするさまざまな誘惑に抵抗し、主の福音の上に堅く立ち続けるようにと、バルナバは教会員を励ましたのです。バルナバはアンティオキア教会を視察し、指導するの務めを終えても、エルサレムに帰ろうとはしませんでした。彼はこの教会での新たな働きの場を見いだしたようです。この教会に増し加えられた教会員の教育と、さらなる前進のために、バルナバは共に働く同労者を必要としていました。

【25~26節】。バルナバが同労者としてパウロを選んだのは、9章27節に書かれてあったように、かつてパウロとエルサレム教会の指導者たちとを引き合わせる仲介役をした経験があったからだと思われます。また、バルナバはパウロが回心直後にダマスコで主イエスを力強く語り伝えていたのを見ており、パウロの確かな信仰とその優れた賜物を見ぬいていたからであったと思われます。しかし、それ以上に大きな理由があるのをわたしたちは見落としてはなりません。

パウロが復活の主イエスとの衝撃的な出会いをして目が見えなくなった時に、彼の目を見えるようにするために遣わされたアナニアに対して神が言われたみ言葉を思い起こすのです。【9章15~16節】(230ページ)。パウロが異邦人伝道のために用いられることは、彼がキリスト者となったその時から主なる神ご自身がお決めになっておられたことであり、その神のご計画がここでバルナバの決断によって成就したのです。人間たちの思いや計画、努力、それらのすべてをお用いになって、あるいは、ときにはそれらをはるかに超えて、最も良き道を備え、最も良き実りをお与えくださるのは、主なる神ご自身です。

バルナバはパウロを探すためにアンティオキアから小アジア・キリキア州のタルソスまでの400キロメートル近くの道をでかけて行きました。タルソスはパウロの生まれ故郷でした。エルサレムでユダヤ人から命をねらわれていたパウロはカイサリアに逃れ、そこからタルソスに行ったと9章30節に書かれていました。そののち、パウロがタルソスでどのような働きをしていたのかについては。聖書は何も記録していませんが、バルナバの誘いにパウロはすぐに応じて、アンティオキア教会に移り、そこで一年間バルナバとパウロはその教会で共に仕えました。

「丸一年間」と期間を区切ってあるのは、1年後にはバルナバとパウロは新しい務めを託されることになるからです。それについては13章1節から書かれています。この二人は、アンティオキア教会の祈りと支援とによって、第一回世界伝道旅行へと旅立つことになるからです。神はまことにふさわしい時に、ふさわしい人と人とを出会わせ、新しい偉大なる務めを共に担う同労者として、主の教会のために選んでくださるのです。一人ではおそらくしり込みをして、うまくなしえなかったであろう務めをも、良き同労者を与えられて、幾倍もの力を与えられ、主の教会のために仕えることが許されたという事例を、わたしたちもまたそれぞれの教会の歴史の中で数多く見いだすことができるでしょう。それは、教会を建てられ、導かれる主なる神の奇しきみわざです。

アンティオケア教会で主イエス・キリストを信じる弟子たちが初めて「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。クリスチャンとは、キリスト党、あるいはキリストに属す者という意味を持っています。この呼び名は初めは教会の外からつけられたものでした。「呼ばれるようになった」という受動態がそのことを示しています。アンティオキアの町の人々は教会の信者たちを見て、彼らがいつも主キリストだけを仰ぎ、いつも主キリストのことだけを話し、この世の政治政党には属さず、社会的なグループにも入らず、他の神々を礼拝せず、ただ主イエス・キリストだけを礼拝し、主キリストだけに仕え、主キリストだけを証ししている姿を見て、「彼らはキリスト党だ、キリストに所属する人たちだ」という意味で「クリスチャン」と呼んだのでした。わたしたちもまたこの世の人々からはそのように見られ、そのように呼ばれ、また自らもそのような者でありたいと願います。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたが世界各地に、また日本各地に、そしてこの秋田に、主キリストの教会を建ててくださったことを感謝いたします。どうか、この教会を祝福し、ここに集められている一人一人を祝福してください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月7日説教「悔い改めない者への神の裁き」

2024年4月7日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書50章1~9節

    ルカによる福音書10章13~16節

説教題:「悔い改めない者への神の裁き」

 主イエスが12弟子を神の国の福音を宣べ伝えるために町々村々に派遣されたという記録は共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ福音書)に共通していますが、ルカ福音書はそのほかに72人の弟子たちを収穫のための働き手として遣わされたという記録をも書いています。これはルカ福音書特有の記録であり、またそのことはルカ福音書の特徴を表しています。ルカ福音者は、主イエスが地上の活動をしておられた時から、主イエスの福音がパレスチナ地域だけでなく、全世界に宣べ伝えられるであろうことをすでに意図しておられたということを強調しているのです。12人の弟子たちの派遣は、ガリラヤ地方とイスラエルの国全域に主イエスの福音が宣べ伝えられることを目指していましたが、72人の派遣は全世界へと福音が宣べ伝えられることを象徴的に暗示しています。そしてこのことは、ルカが使徒言行録の著者でもあるということと深く関連しています。ルカは、主イエスの地上での福音宣教の活動と、主イエスの十字架の死と復活、そしてペンテコステの時の聖霊降臨と教会の誕生、これらのすべてを一続きの神の救いのみわざととらえて、主イエスは地上のご生涯ですでにその神の救いのご計画を知っておられ、それを進めておられたということをわたしたちに語っているのです。そしてさらに、そのようにして始められた主イエスの神の国の福音宣教のお働きが、今もなお、この時代の中で、この秋田の地で、この教会をとおしてなし続けられているのだということを、わたしたちは知らされるのです。

 きょうは72人の弟子たちを派遣された際の主イエスの弟子たちへのご命令とお約束についての後半のみ言葉を学びます。朗読された箇所は10章13節以下ですが、この部分は10節からの続きと考えられますので、10~12節をまず読みましょう。【10~12節】。ここでは、神の国の福音を聞かされても、それを受け入れようとしない、信じない人たちに対する神の裁きが語られています。弟子たちが神の国の福音を携えて世界に出て行っても、また今日、キリスト者が主イエスの十字架の福音を携えてこの世に出て行っても、その福音を聞いて信じ、受け入れる人はごく少数であり、多くの場合、人には迎え入れられない、聞いてもらえないということを、主イエスはあらかじめ知っておられました。主イエスは「今が収穫の時であり、収穫のための働き手を多く必要としている時代である。だから失われた魂を収穫して、まことの命を注ぎ込むために、わたしはあなたがたを遣わすのだ」と弟子たちを励まされましたが、一方では、その収穫が非常に困難であることをも知っておられました。主イエスの福音は多くの人々の拒絶にあい、時に無関心や、時にあからさまな攻撃や迫害を受けるであろうということを主イエスは予想しておられました。

 なぜでしょうか。それは、人間の罪が人間を神から遠ざけているからです。悔い改めることをしない人間のかたくなさが、人間を主イエスの十字架の福音から遠ざけているからです。神を知ろうとしない人間の罪、神のみ言葉に耳を傾けず、この世の朽ちいくほかにないものに心を奪われ、永遠の真理である神を求めようとしない人間の罪が、人々の心を主イエスの福音から遠ざけているからです。それは主イエスの時代も2千年後の今日も全く変わりません。

 そこで主イエスは弟子たちをつまずかせないように、失望させないように、「もし、福音が受け入れられなければ、足のちりを払い落として、その町を出て行きなさい」と言われました。「足のちりを払い落とす」とは、「わたしはその責任を負わない、その最終的な責任は神ご自身が果たされる」ということのしるしです。すなわち、人々が主イエスの福音を受け入れないとしても、それは福音を宣べ伝えた弟子たちが自らその責任を負わなければならないのではない。主なる神ご自身が最終的な責任を負われる。その人が救われるか救われないかは、弟子たちの努力や能力によって決まるのではない。それは神がお決めになることだ。あなたは福音を語ればそれでよい。救いは神のみわざなのだから。主イエスはそのように言われます。

 主イエスの弟子たちも、また初代教会の使徒たちも、多くの反対や拒絶を経験しました。けれども、彼らはそれで失望することはありませんでした。いよいよ主なる神の救いのみ力を固く信じ、いよいよ大胆に確信をもって主イエスの十字架の福音を語りました。神ご自身が救いのみわざをなしてくださることを信じて。今日の教会においても同様です。

 12節で、主イエスはこのように言われます。「かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む」。「かの日」とは、神による最後の審判の時を指します。14節で「裁きの時には」と言われているのと同じです。終りの日、終末の時、神がご自身の国を完成される時、それまでの古い世界が神の裁きを受けてすべて滅ぼされます。その時、神の永遠の真理が明らかにされます。神を信じ、悔い改めて神に立ち帰った者は永遠の命に至る祝福を受け、神に逆らい、かたくなにして悔い改めなかった者は、永遠の滅びを宣告されます。その最後の神の裁きの時には、主イエスの福音を信じない者に対する最も厳しい罰が与えられると言われているのです。

 ソドムとは、創世記19章に書かれている出来事の舞台となった町です。その町の男たちの大きな罪と悪のゆえに、神はこの町を滅ぼされ、死海(塩の海)の底に沈んだとされる町です。しかし、それでもソドムの罪の方が軽いと言われるのは、ソドムの人々にはまだ主イエスの福音が宣べ伝えられていなかったからです。今のイスラエルの人々、今の時代の人々には、主イエスの十字架の福音が宣べ伝えられています。罪を悔い改めて、この福音を信じる人はだれでも無条件で、罪のゆるしが与えられるという、神から差し出された大きな恵みが、この時代の人々には与えられています。そうであるにもかかわらず、今の時代の人々が主イエスの十字架の福音を信じないならば、それをまだ知らされていなかったソドムの町よりも、より大きな罰を受けるのは当然だと、主イエスは言われるのです。

 神の裁きは、神の恵みの大きさに比例したかたちでなされます。神の恵みをより多く受けながら、それに気づかず、また感謝しない人に対しては、神の恵みがより少ない人よりも、より厳しい神の裁きが与えられるでしょう。主イエスがこの地上においでになる以前の旧約聖書の時代の人々は、主イエスがこの世にお生まれになり、神の救いの恵みがより大きく、またより近くに差し出されている新約聖書時代の人々よりは、その罪を問われる度合いはより軽いと言えるでしょう。主イエスの十字架の死と復活以前の人は、それ以後の人に比べて、その罪の問われ方がより軽くて済むと言えるでしょう。なぜならば、神は主イエス・キリストによって、特にその十字架の死と復活によって、人間の救いにとって必要な十分な恵みをわたしたちにお与えくださっておられるからです。神が旧約聖書の中で多くの預言者たちや信仰者たちをとおしてお語りになった救いのみ言葉を、神は今この時に、み子主イエス・キリストによって、最終的に、また決定的に、余すところなく、十分にお語りくださいました。それゆえに、その福音を信じない人に対する神の裁きは、決定的であり、最終的であり、より厳しい裁きとなるのです。

 13節以下で、主イエスはそのことをよりはっきりと、より厳しい口調でお語りになっておられます。【13~15節】。13節の「コラジン、ベトサイダ」そして15節の「カファルナウム」はいずれもガリラヤ湖周辺の町の名前です。主イエスはこの地方を中心にして、おそらくは3年間にわたって神の国の福音を宣教されました。特に、カファルナウムは12弟子の何人かの出身地でもあり、主イエスの宣教活動の中心地でした。マタイ福音書4章13節には、主イエスが一時期この町にお住まいになられたと書かれています。

 これらのガリラヤ地方の町々村々の人々は、主イエスの最も近くで、主イエスがお語りになった神の国の福音を、だれよりも多く聞く機会が与えられていたのでした。また、主イエスがなさった病気のいやしや悪霊追放の奇跡を、他の人々よりも多く見る機会を与えられていたのでした。しかし、そのような恵みを与えられていながら、主イエスの福音を信じることをせず、悔い改めて神に立ち帰ることもしませんでした。それゆえに、主イエスはこれらの町々村々に住む人々を、「お前たちは不幸だ、お前たちはわざわいだ」と言われるのです。彼らは、地中海沿岸の異邦人の都市であるティルスやシドンの人々よりも、彼らはまだ主イエスの福音を聞いていなかったゆえに、彼ら異邦人と言われていた人々よりも、神に選ばれている民を誇りにしていたイスラエルの人々の方がはるかに「不幸であり、わざわいだ」と主イエスは言われるのです。

 13節に、「彼ら異邦人の方こそが、とうの昔に、悔い改めたに違いない」と言われています。イスラエルの民が不幸なのは、わざわいなのは、彼らがより罪が深かったからではありません。彼らが罪を悔い改めなかったかにほかなりません。神の終わりの日の裁きの時に、より厳しい裁きを受け、滅びを宣言されるのは、その人の罪が大きかったからでは全くなく、その人が悔い改めなかったからにほかなりません。主イエスはここでわたしたちに悔い改めるべきことを教えておられるのです。自分の罪を認め、それを神のみ前に告白し、神に立ち帰って、神から差し出される罪のゆるしの恵みを、感謝をもって受け取ることをこそ、主イエスはわたしたちに求めておられます。わたしたちは悔い改めて神に立ち帰ることをためらってはなりません。神は立ち帰る人をみなお迎えくださいます。そのためにこそ、神はみ子を十字架の死に引き渡されたのです。

 【16節】。同じ主旨の主イエスのみ言葉はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に書かれています。父なる神とみ子なる主イエスと、そしてわたしたち人間、信仰者との強いつながりを言い表す重要なみ言葉です。天におられる父なる神はみ子主イエスを人間のお姿でわたしたちの世に、地上にお遣わしになりました。主イエスがお語りなった神の国の福音と、特に主イエスの十字架の死と復活によって、神はみ子なる主イエスをとおして、わたしたち人間に救いのみ言葉をお語りくださいました。そして、わたしたちは主イエスによって成し遂げられた救いのみわざの証人として、その証し人として、神の国のための働き手として召されており、神はわたしたちの宣教の言葉をお用いになって、ご自身の救いのみわざを今なお続けておられるのです。神は今なおわたしたちの証しをとおして語っておられ、この地で、この時代の中で、救いのみわざを進めておられるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、かたくなで悔改めるに遅いわたしたちをも、あなたは忍耐と憐みとをもってあなたのみ前にお招きくださいますことを覚え、感謝いたします。どうか、きょうあなたのみ言葉を聞いたなら、きょうあなたに従っていく従順な思いと、固い決意とをお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。