6月25日説教「放蕩息子のたとえ」

2023年6月25日(日) 秋田教会主日礼拝説教(小泉典彦長老)

聖 書:詩編136編12節

    ルカによる福音書15章11~32節

説教題:「放蕩息子のたとえ」

 本日は、先ほど読んでいただいた、ルカによる福音書15章からご一緒に聖書の御言葉を聞きたいと思います。この聖書の箇所は、冒頭の見出しにもありますように、「放蕩息子」のたとえ として、聖書の中でも最も知られている箇所のひとつです。日曜学校の子どもたちの礼拝でもよく取り上げられる、イエスさまが話してくださったたとえ話です。今日の説教題も「放蕩息子のたとえ」としました。しかしこの箇所の主人公は、ゆるされた息子ではなく、深い慈愛で迎えてくれた父親です。

ルカによる福音書15章は、4~7節では「見失った羊」のたとえ・8~10節では「無くした銀貨」のたとえ・そして今日の箇所11~32節の「放蕩息子」のたとえの三つのたとえ話で構成されています。「見失った羊」・「無くした銀貨」・

「放蕩息子」に対する神さまの「失われたものへの配慮」が示されています。そしてそれら三つのたとえ話の共通点は、~友達や近所の人々を呼び集めて喜ぶ。今日のたとえでは祝宴を開いて喜ぶのです。~すなわち、失われたものを回復した時の大きな喜びであります。一人の罪人の悔い改めに対する神様の喜びであります。

さてそれでは、イエスさまがこの三つのたとえを話された時の状況をみてみましょう。15章1節以下、「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。【2節】すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。【3節】そこで、イエスは次のたとえを話された。

◎放蕩息子のたとえ話

 イエスさまは多くのたとえ話をなさいましたが、中でもこの「放蕩息子」のたとえ話は、最も有名であると言ってよいでしょう。このたとえ話はたいへんわかりやすいものです。読んでいるだけで情景が目に浮かぶかのようです。まさに、どうしようもない放蕩息子の姿が見えてきます。さっそくお話を振り返ってみましょう。

 まず15章11節、「ある人に息子が二人いた」という言葉から始まっています。この「ある人」というのは、神さまのことをたとえていると言えるでしょう。そしてその息子のうち、弟のほうが父親に「お父さん、私がいただくことになっている財産の分け前をください」と要求します。「私がいただくことになっている財産」と言っていますが、財産はふつうは死んでから相続のために分けるのが普通です。しかしそれを今くれ、と言うわけですから、ずいぶん厚かましいお願いです。

 ところがこの父親は、腹を立てて拒否するかと思いきや、二人の息子に分けてやります。そうすると、弟息子はその財産を売り払ってお金に換え、遠い国に行ってしまいます。そしてそこで放蕩の限りを尽くして、財産をすべて使い果たしてしまいます。今でもときどき、会社のお金や役所の積立金を横領してギャンブルに使い、捕まるというニュースがあったりしますが、人間一度は思う存分お金を使ってみたいと思うのかもしれません。しかし遊ぶ金というものは、あっと言う間に無くなるもののようです。

 その地方にひどい飢饉が起こったとあります。飢饉が起きると、弱い人から死んでいく時代ですから、それこそ死に直面することとなります。もうなりふり構っていられません。ある人の所に身を寄せたところ、豚の世話をさせられたとあります。豚は、旧約聖書の律法では穢れた動物であり、ユダヤ人は飼いません。だからこれは、外国の異邦人の所であることが分かります。しかし豚のエサである「いなご豆」さえももらえなかったというのです。「いなご豆」とは、イスラエルでは、木に生えており。空豆のようなさやに入っているそうです。昔から家畜のエサとして、今ではヘルシーな健康食品の食材としても使われます。

 【17節】「そこで彼は我に返って言った」とあります。我に返るということはどういうことでしょうか。原語では「自分自身に帰る」という意味になっています。すなわち、本来の自分自身に帰った、ということでしょう。本当の自分自身を取り戻したということです。では、本当の自分自身とは何か?‥‥それがまさにここのポイントです。

 「自分捜し」という言葉が流行ったことがありました。自分が何をして良いか、どう生きたらよいか分からない。それで本来の自分の姿はなんだろうと、試行錯誤を続けることです。イエスさまがおっしゃる本来の自分とは何か、自分を取り戻すとはどういうことなのか?‥‥それがこのあとの放蕩息子の行動が示しています。それは、父親のもとに帰ることでした。父のもとには、有り余るほどのパンがあった。しかし今さらどの面下げて帰れるというのか。そこで帰った時に父にいう言葉を考えます。【18節】「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」。【20節】「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。」彼は父親のもとに帰っていきます。お腹がすいて、トボトボと歩いて帰っていったことでしょう。しかも裸足で。

 さらに20節を見ると、「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」と書かれています。なぜまだ遠くにいたのに、父親は息子を見つけることができたのでしょうか?‥‥それは、この父親が地平線の彼方を見ていたからに他ならないと思います。そうでなければ、遠くから歩いてくる人影を発見することはできません。おそらく、この父親は、毎日毎日、今日帰ってくるか、今日帰ってくるか、と地平線の彼方をながめていたに違いありません。待っていたんです。帰ってくるのを

 そして父親のほうから駆けよって、首を抱いて接吻しました。息子が、戻ってくる前に父親に言うために考えていた言葉を言いかけます。ところが父親は、それを最後まで聞く前に、召使いたちに指示を下します。まるで、息子の言葉なんかどうでもよいという勢いです。もう、とにかくこのろくでもない息子が帰ってきたことが、うれしくて、うれしくてしかたがない‥‥という思いが伝わってきます。息子の謝罪の言葉よりも、父親の愛が前面に出ています。

 一番良い服、そして指輪、履物を。さらに肥えた子牛を屠ってごちそうを出しなさい、と。肥えた子牛というのは、たいへんなごちそうです。イスラエルでは、特別な賓客にしか出さないものだったようです。例えば創世記で、アブラハムが御使いたちをもてなした時に、肥えた子牛を屠っています。それぐらいの尋常ではない父親の歓迎ぶり、喜びようが表されています。

 なぜそこまでして、このろくでもない自分勝手だった息子を許し、喜びにあふれたのか。【24節】「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」という、ただそれだけの理由です。「死んでいた」というのは、父親のもとを離れていた状態を表しています。生き返った、見つかったというのは、父親のもとに帰ってきたことを指しています。すなわち、「我に返る」「立ち帰る」「本来の自分に戻る」ということは、父親のもとに戻ってくることを指しているのです。言い換えれば、神のもとに戻ってくること、信じることを指しています。
 さて、そうして弟息子を交えての宴会が始まりました。そこに一日の仕事を終えた兄が戻ってきます。そして宴会の事情を知って腹を立てます。怒りのあまり、家に入ろうとしません。つまり、弟が生きて帰ってきたことが喜びではない。父の態度に、不公平なものを感じて腹を立てたのです。そして出てきてなだめる父に向かって、不平をぶちまけます。この兄の言葉は、もっともです。たしかにその通りです。多くの人がその通りだと思わないでしょうか。しかしだからこそ、逆に、この父親の非常識さが際立ってきます。

◎分かれる感想

 今日の説教を準備するにあたり、あるミッションスクールの高校の授業で、生徒たちにこの個所を読ませ、感想を書いてもらったというエピソードを目にしました。そこでは、生徒から実にいろいろな感想が出てきたそうです。

生徒たちからは、「兄の言うことはもっともだ」と兄の肩を持つ人が多かったそうです。また、父親に対する意見も分かれました。放蕩息子をこのようにして受け入れる父親にはとても理解できない、という意見が多くありました。逆に、理解できるという意見もありました。どんな馬鹿息子でも、生きて帰ってきたらやはりうれしいのでは、という意見もあったそうです。実に様々な感想がありました。そのように多くの感想に分かれるのは、やはりこのたとえ話の中の登場人物に、自分を重ね合わせて見るからだろうと、その授業をすすめた教師は感じたそうです。

まとめ①「焦点は」

 このたとえ話の焦点はどこにあるのでしょうか。それは、このたとえ話のおかしな所にあります。するとやはりそれは、この放蕩息子を受け入れる父親の、非常識なまでの愛にあると言えます。いくら何でも人が良すぎると思われます。いくら生きて帰ってきたと言っても、全部放蕩息子が悪いのですから、ここまで喜ぶとなると、いくら何でも行きすぎだと思われます。兄の言うほうが当たり前です。

 しかしイエスさまによれば、私たちの神さまは、この父親のようであるということです。「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と言って、これほどまでに喜んでくださる。すなわち、悔い改めて、神のもとに立ち帰ることが本来の人間の在り方であり、それを神さまが手放しで喜んでくださるということです。

まとめ②「私たちは誰?」

 私たち自身は、この登場人物の中の誰でしょうか。自分を兄に置き換えて考える方も多いことでしょう。「こんなにまじめに生きているのに、なんだ神さまは」というようにです。その時には喜びがありません。しかし、自分もまたこの弟のほう、つまり放蕩息子であることに気がついた時、はじめて感謝と喜びが生まれます。

 自分もまた、救われる資格のない者であった。このことに気がついた時、多くの人が、「私も放蕩息子でした」と告白します。すると大いなる喜びが生まれてきます。神さまが、ここまで喜んでくださるのですから。聖書には、神様の愛についてイエスさまが語っておられる箇所が沢山あります。今月・6月の礼拝において、すなわち今日の礼拝においても、神さまの愛についてイエスさまが語っておられます。「恵の言葉」です。ヨハネによる福音書3章16~17節(新約167)。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(2回繰り返し読む)この箇所を更にわかりやすく表している讃美歌があります。194番「神さまは そのひとり子を」です。これは、日曜学校で歌われる「こども讃美歌」にもあるよく知られている讃美歌の一つです。「①神さまは そのひとり子を 世のなかにくださったほど 世の人を 愛されました ②神の子を 信じるものが、 新しい いのちを受けて、いつまでも 生きるためです」(讃美歌194番を開き朗読する。)神さまの愛についてとてもわかりやすくわたしたちに語りかけてくれます。

 さて一方、私たちはしばしばこの兄のように、すなわちファリサイ派の人々や律法学者たちのように考えることもあるのではないでしょうか。「自分はこんなにいっしょうけんめい働いているのに」と。しかし父なる神さまは、信じるようになった者に対して、一緒に喜んでやれとおっしゃるでしょう。伝道の喜びはそこにあります。父なる神さまの喜びを共にするからです。

 我に返る、本来の自分自身に帰るというのは、父なる神さまの所に帰るということです。私たちは皆、父なる神さまから命を与えられたのです。父なる神さまから命を受け、出発したのです。ですから、すべての人にとって、帰るところは父なる神さまの所です。

 このたとえ話には、表に出てきませんが、父なる神がこのように喜んで迎えてくださる背景には、イエス・キリストが十字架にかかられたから、ということがあります。イエスさまが、父なる神のもとに帰る道を用意してくださったのです。神の子として迎え入れられるなんの資格もない私たちが、このようにして喜んで迎え入れられる。まことに感謝です。

(執り成しの祈り)

○主イエス・キリストの父なる神様。あなたのお名前をほめたたえます。あなたのみ言葉はいつの時代にも、命と力とを持ち、救いの恵みを多くの人たちに分かち与えてくださいます。また、あなたは世界の至る所に、そのみ言葉を語り伝えるために仕える人たちを起こしてくださいます。どうか、わたしたちをもあなたのみ言葉をつたえる者としてお用いください。

○神様、戦争や紛争で故郷や住む家を失い、放浪の生活を強いられている難民たちに、温かい落ち着いた食卓と安らかな眠りをお与えください。差別や偏見によって人権を踏みにじられている人たちに、共に生きる喜びをお与えください。重荷を負う人、病んでいる人、孤独な人、一人一人にあなたからの慰めと平安、希望をお与えください。そして、わたしたちもキリストにならい、困難を抱えている人、悲しんでいる人、病んでいる人の為に、祈りを合わせて、その方々に仕えていくことができるようにしてください。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。      アーメン。

6月18日説教「パウロとエルサレムの使徒たち」

2023年6月18日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記3章1~10節

    使徒言行録9章26~30節

説教題:「パウロとエルサレムの使徒たち」

 紀元30年ころ、ペンテコステの日にエルサレムに誕生した世界最初の教会は、誕生してすぐにユダヤ人からの何度かの迫害を経験しながらも、そのたびに新たな力を与えられて、エルサレムだけでなく、パレスチナ全域に、さらにはユダヤ人以外の異邦人にまで、教会の活動が広げられ、主イエス・キリストの福音が宣べ伝えられていったということが、使徒言行録8章までに描かれてきました。わたしたちはその中で、何度も、「神の言葉はこの世の鎖によっては決してつながれない」(テモテへの手紙二2章9節参照)という使徒パウロの言葉を確認してきました。

 9章に入って、サウロ(すなわちパウロ)の回心と言われる出来事が記されていましたので、エルサレム教会の活動のことについてはしばらく中断されていましたが、きょう朗読された9章26節以下で再びエルサレム教会のことが語られます。【26節】。この箇所で、エルサレム初代教会の活動とキリスト者となったばかりのパウロの活動とが合流します。

 しかし、この両者の合流がこのような形で起こるであろうということを、8章が終わった段階でだれが予想しえたでしょうか。9章の初めに書かれていたように、パウロはキリスト教会迫害の急先鋒として、エルサレムのユダヤ教最高指導者の大祭司からの許可証をもらって、ダマスコにいるキリスト者を逮捕するために、意気込んでこの町にやってきたのでした。ところが、この町の入り口の門で、パウロは復活された主イエスとの衝撃的な出会いを経験し、キリスト教の迫害者であった彼が突然に180度方向転換をしたかのように、主イエスの福音を宣べ伝える宣教者に変えられたのでした。しかも、すぐにもそのダマスコの町で、主イエスこそが約束されていた神のみ子であり、メシア・キリストであると語り出したために、その町のユダヤ人から迫害を受け、命を狙われるようになったのでした。

 そのパウロが数週間後、あるいは数か月後かに、再びエルサレムに戻ってきたのです。あの迫害者であったパウロが、キリスト者パウロとなって。だれがそのようなことを予想しえたでしょうか。神は無から有を呼び出だすようにして、また死から命を生み出すようにして、わたしたちの人生の中で、この世界の歴史の中で働かれます。神はわたしたち人間の考えや可能性をはるかに超えて、時にはそれに逆らって、全く正反対のことをも実現させ、救いのみ心を前進させたもうのです。

 以前にも少し説明しましたが、使徒言行録の記録とパウロが書いたガラテヤの信徒への手紙1章の記録との間には、回心後のパウロの行動に大きな違いが見られます。ガラテヤの手紙では、パウロが異邦人に対する伝道者として召されたという点が強調されていて、キリスト者となったパウロはすぐにアラビア地方へと伝道に行ったと書かれています。そこでは、ダマスコでの伝道やエルサレム教会訪問のことについては触れられてはいません。それに対して、使徒言行録ではダマスコで受けた迫害と、続いてエルサレムで受けた迫害について描かれており、迫害する側にいたパウロが迫害を受ける側に変わったという点が強調されているように思われます。

使徒言行録のきょうの箇所では、キリスト教会の迫害者としてエルサレムを出て行ったパウロが、今迫害を受けるキリスト者となってエルサレム教会に戻ってきたということが語られています。

 26節に「弟子」とあるのはエルサレム教会の会員のことで、27節の「使徒たち」とは、主イエスの12弟子を中心とした教会の指導者たちを指していますが、8章1節に書かれていたエルサレム教会に起こった大迫害で、使徒以外の教会員はみな市内から追放されたことになっていました。けれども、ここではまだ会員が残っていたように思われます。そこで、迫害によって追放された教会員はギリシャ語を話すユダヤ人、つまりヘレニストに限っていたのではないかと推測されています。

ここには、エルサレムに戻ってきたパウロが教会の弟子たちから警戒されたことが書かれていますが、パウロは教会からも、またユダヤ教徒たちからも危険視されたことが容易に想像できます。パウロはユダヤ教徒で熱心なファリサイ派の指導者として、ユダヤ当局からの推薦状までもらって、キリスト教徒迫害のためにダマスコへでかけたのでした。そのパウロがキリスト者となり、キリスト教の宣教者となってエルサレムに戻ってきたということは、ユダヤ人のだれもが、特にその指導者たちにとっては、理解できない不思議なことであり、それは彼らにとっては大きな裏切りだととらえられたことは確かです。パウロは彼らにとって卑怯者であり、危険な人物です。

 エルサレム教会のキリスト者、また教会の指導者たちにとっても、パウロのこの大きな変化は信じがたいことでした。彼らがパウロを恐れたのは当然でした。パウロは、キリスト教会最初の殉教者となったステファノが石打ちの刑で処刑された際に、刑を執行した人たちの上着の番をしていたことが、7章58節に書かれていました。彼が教会にとって恐るべき迫害者であったことは、教会のだれもが知るところでした。

では、パウロはなぜどちら側からも歓迎されないであろうエルサレムへ危険を冒してまでも戻ろうとしたのでしょうか。そのことを考えながら、読み進んでいきましょう。

 【27節】。ここに、バルナバという人が現れ、パウロとエルサレム教会との間を執り成す役割を果たします。バルナバについては、4章36節ですでに紹介されていました。エルサレム教会員の一人で、その名前バルナバとは「慰めの子」という意味であること、彼が自分の畑を売却して、その代金の全額を教会にささげ、貧しい人たちを助け、彼らに慰めを与える人であったことが書かれていました。その名のとおりに、ここではパウロとエルサレム教会の間に立ち、ダマスコでパウロが経験したことを教会に話して彼らの誤解を解き、両者を結び付け、双方に慰めを与える人となりました。パウロにとってバルナバはどれほどにか力強い存在であったことでしょうか。

 神はこのようにして、いつの時にも、教会の働きにとって必要は人を起こしてくださいます。バルナバはこのあと、13章2節に書いてあるように、パウロの第一回世界伝道旅行に同伴者として、協力者として派遣され、長い間パウロの良き同労者として働きました。

 次に、【28節】。ここには、パウロのエルサレム行きの目的を暗示する二つのことが記されているように思われます。一つには、パウロはエルサレム教会の使徒たちの仲間入りを望んでいたということです。パウロは異邦人に対して福音を語るのが自分の務めだと自覚していましたが、エルサレム教会の当時の指導者であったペテロやほかの11人の弟子たち、また主イエスの兄弟ヤコブなどとの交わりを持つことを願っていました。パウロはのちに異邦人世界の宣教者となり、世界の各地に教会を建てるために仕えますが、その際にも、エルサレム教会を世界の母なる教会として重んじ、エルサレム教会との交わりを大切にし、困窮していたエルサレム教会のための献金を集めていました。

エルサレムは主イエスの十字架の死と復活、そして昇天の出来事が起こった場所であり、主イエス・キリストの福音と世界の救いの中心であり、そしてまた世界最初の教会が誕生した地です。全世界の教会はそこに源を持っているとパウロは考えていました。パウロは自分自身の信仰もまたエルサレムとその教会に原点があるということを確認する必要性を感じていたと推測されます。彼がダマスコで経験した復活の主イエスとの出会い、迫害者からキリスト者へと変えられたこと、そして主イエスによって異邦人伝道の使命を託されたこと、これらの出来事はパウロの個人的な体験であるだけでなく、エルサレム教会の使徒たちにも認められ、エルサレム教会との関連の中での出来事であることが証しされ、承認されることが必要であったのです。

 エルサレム行きのもう一つの目的は、パウロ自身がこの町で主イエス・キリストの福音を大胆に語るということには大きな意味があったからです。パウロを裏切り者、卑怯者と見ていたエルサレムのユダヤ人たち、ユダヤ教の指導者たちに対して、彼らを恐れることなく、自分がかつて迫害していた主イエスこそが、旧約聖書の中でユダヤ人たちが長く待ち望んでいたメシア・キリストであることを、またこの方こそが全世界の唯一の救い主であることを語り伝えること、それが熱心なユダヤ教徒からキリスト教会の宣教者に変えられたパウロの大きな使命であったからです。

 しかし、これもまた当然予想されていたことでしたが、パウロはエルサレムでも迫害を受け、命を狙われました。【29~30節】。「ギリシャ語を話すユダヤ人」とは、ヘレニストと一般に呼ばれていますが、彼らは外国に離散していたユダヤ人で、最近エルサレムに移り住んだ人たちでした。パウロもヘレニストの一人でギリシャ語を話していましたから、彼らに親近感をもって主イエスの福音を語ったのであろうと思われます。けれども、彼らは主イエスの福音を信じようとはせず、反対にパウロを殺そうとしました。パウロはエルサレム教会の兄弟たちに守られながら、地中海沿岸のカイサリアへ行き、そこからおそらく船で生まれ故郷である小アジア地方の町タルソスへと向かいました。

こののち、パウロはしばらく使徒言行録からは姿を消します。おそらくタルソスあたりで宣教活動を行なっていたと推測されています。彼が再び姿を現すの は、11章25、26節と13章1節以下の第一回世界伝道旅行のときになります。11章でも13章でも、そこでパウロと協力するのはここでパウロとエルサレム教会との間を執り成したバルナバです。

このようにして、神は迫害者パウロを宣教者パウロに変え、またパウロとエルサレム教会とのつながりを強め、そのためにバルナバをお用いになり、のちに3回にわたるパウロの世界伝道旅行の備えを着々と進められたのです。神は今もなお、全世界の教会をお用いになって、ご自身の救いのみわざを進めておられます。

 

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたのみ言葉はいつの時代にも、命と力とを持ち、救いの恵みを多くの人たちに分かち与えます。また、あなたは世界の至る所に、そのみ言葉を語り伝えるために仕える人たちを起こしてくださいます。どうか、わたしたちをもあなたのみ言葉の証人たちとしてお用いくださいますように。

○天の父なる神よ、戦争や紛争で多くの血が流されている地域に和解と平和をお与えください。故郷や住む家を失い、放浪の生活を強いられている難民たちに、温かい落ち着いた食卓と安らかな眠りをお与えください。差別や偏見によって人権を踏みにじられている人たちに、共に生きる喜びをお与えください。重荷を負う人、病んでいる人、孤独な人、一人一人にあなたからの慰めと平安、希望をお与えください。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

6月11日「人間の生と死を考える」

2023年6月11日(日) 秋田教会伝道礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編90編1~12節

    ローマの信徒への手紙6章1~11節

説教題:「人間の生と死とを考える」

 今回の伝道礼拝の説教題を「人間の生と死とを考える」と付けました。その理由は、案内パンフレットにも書きましたが、わたしたちはこの数年、人間の死に関するニュースをしばしば耳にし、死について深く考える機会が多いからです。新型コロナウイルス感染症のために、高齢者や体力が弱い人が、時に十分な医療のサポートを受けられずに亡くなっていく例を多く見ました。亡くなる際にも、家族にも看取られず、また通常の葬儀も行えないというニュースも聞きました。それに加えて、戦争や侵略、内紛によって、ミサイルが平和だった町々村々の空を飛び交い、きょうは何人死んだ、その中で子どもは何人だったというアナウンスを、何度聞いたことでしょう。国家権力の暴力によって奪われていく人間の命、あるいは自然災害によって犠牲となる命、そのたびに、人間の死とは何なのか、人間の命とは何なのかと、心を痛めながら、強い憤りを感じながら、また深い同情をもって、考える機会が多くありました。みなさんはいかがでしょうか。

 このテーマのもう一つのポイントは、人間の生と死、生きることと死ぬことは、いつでも結びついているものであり、結びついて考えなければならないということです。人間は自ら死すべきものであることを知ることができる生き物であり、それゆえにまた、死の時が来るまでは人間はみな生きている、生きることができるということをも知っています。

 そのどちらをより強く意識するかで、その人の人生観が変わってくるでしょう。ある人は死に定められている自分の人生を悲観的にとらえ、辛く、暗い道を歩むようになるかもしれません。でも、ある人は希望と可能性を抱いて、死の直前までは自分は生きることができる、生きることが許されている、生きていてよいのだと考えることができます。死ぬことにより重い意味を見いだすのか、それとも、生きることにより大きな意味と希望を見いだすのか。わたしたちはだれもが後者でありたいですね。

 そこで、わたしたちは人間の命と死とを考える際に、様々なアプローチができると思いますが、たとえばそれぞれの時代の哲学者たちはどう考えたかとか、文学ではどう取り扱われているかとか、世界の宗教ではどのような違いがあるのかとか、それも興味深いのですが、人間の生と死の問題、課題を真正面から、真剣に捕らえ、その問題と課題に、神ご自身が、ご自身の命と全存在とをかけるようにして取り組まれた、主イエス・キリストの父なる神、聖書の神、キリスト教の神が、人間の生と死とをどのようにご覧になっておられるのか、どのように教えておられるのかを、見ていくことにしたいと思います。

 今簡単に触れましたように、聖書の神の教えの最大の特徴は、わたしたちがきょうテーマとして挙げている人間の生と死という問題、課題に、まさに神ご自身が、ご自身の御独り子なる主イエス・キリストの生と死そのものをとおして答えておられるというところにあります。神は天におられて、天からみ声を発して、「人間の生と死とはこうである」と教えておられるのではありません。神は天から地に下ってこられて、わたしたち人間と同じお姿になって、わたしたち人間と同じ生と死とを経験されて、それによってわたしたちの生と死との課題を担ってくださったのです。ここにこそ、人間の生と死との問題、課題に対する本物の答えがあり、わたしたちに希望と喜びを与える真理があると信じるのです。

このことについては、またのちほどお話しすることにして、先に旧約聖書、詩編90編では人間の生と死についてどのように教えられているかを学んでいきましょう。

1節に「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」と書かれています。この詩人は主なる神に「あなたは」と呼びかけ、あなたとわたしたちの関係の中で、人間の生と死とを考えています。これが重要です。これが聖書の、またキリスト教の人間観、人生観、死生観の大きな特徴であると言えます。わたしたち人間の生と死、あるいは存在、そのすべてが主なる神との関係の中でとらえられ、理解されていることが重要です。

この詩人はおそらくは長く試練に満ちた生涯を送り、今その終りに近いことを悟り、自らの生と死とを今一度主なる神との関係の中でとらえなおしているように思われます。次の2節で、詩人はこの世界とその中にあるすべては、人間の命と存在も含めて、それらが神の創造によるものであることを告白しています。創世記の初めに書かれているように、神はこの世界とその中に住むすべての命あるものをみ言葉によって創造されました。神は「光あれ」とお命じになると、光が生じました。神は全宇宙とこの世界を同じようにして創造され、それらを正し秩序に配列されました。そして、創世記2章に書かれているように、神は人間を土のちりから創造され、その鼻から命の息を吹き入れて生きる者としてくださいました。

ここには、人間の命は本来神のものであり、神から賜ったものであるという信仰があります。そこで、詩編90編の詩人は、3節で、「あなたは人をちりに返し、『人の子よ、帰れ』と仰せになります」と言うのです。人間の命は本来神のものであり、神から与えられたものであるから、人間の命の役割を終えたら、それは神のもとへと返されるのです。これが、聖書の死の考え方です。神は人間に命を与え、またそれを取り返すのです。詩編の前にあるヨブ記1章21節にはこう書かれています。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主のみ名はほめたたえられる」。

その人の命が生まれてわずかであったとしても、病気や事故によって途中で終わったかのように見えようとも、あるいはこの詩人が言うように70年、80年の生涯を全うしたとしても、いずれの命も、神が与え、神が取り去られた命であり、それゆえに、その死もまた神のご支配のもとにあるのであって、そのすべてに深い神のみ心があり、神の導きがあるというのが、聖書の教えです。どのような生も死も、神のみ前で意味のないものはなく、神のみ心から離れた生も死もないのです。

この詩人は人間の生と死とを、もう一つの関連の中で見ています。それは、人間の罪です。7~9節を読んでみましょう。【7~9節】。詩人は人間の死を、神の怒りの結果と見ています。人間が神に対して罪を犯し、神がそれを怒り、罰する結果として死があると考えています。罪とは、神のみ心に従わないこと、神に背くことです。それは、人間を創造し、ご自分の形に似せて、愛と真実とをもって創造された神のみ心に背くことですから、その当然の結果として、神の怒りを招き、神の裁きとしての死がやってくるのです。

この詩人はそのことをよく理解しています。けれども、だからといって神の怒りの大きさに不安になったり、生きることに希望をなくしたりはしていません。むしろ、神のみ前に謙遜になることをわたしたちに勧めているように思われます。自分の罪を知り、その裁き主である主なる神を恐れ、敬い、神のゆるしを待ち望むようにわたしたちを招いているように思われます。

そして、12節でこう締めくくります。【12節】。「生涯の日を正しく数える知恵」とは、一つには、人間が神に対する罪のゆえに死すべき者であり、永遠なる神に対して限りある者であり、はかない存在であることを知ることです。もう一つには、そのような罪びとであるわたしたちに神は命をお与えになり、生きることをゆるし、また命じてもおられることを知り、きょうの一日一日を神から賜った命として感謝して受け取り、神のみ心に従って生きる喜びと幸いを知ることです。神はわたしたち人間をご自身の形に似せて創造され、このような知恵を人間にお与えくださったのです。

次に、新約聖書を開いてみましょう。きょうの礼拝で朗読されたローマの信徒への手紙6章1~11節で、この手紙の著者であるパウロは、わたしたち人間の生と死とを主イエス・キリストの生と死とに関連づけながら語っています。4~5節を読んでみましょう。【4~5節】。聖書の神、キリスト教の神は、わたしたち人間の生と死との意味を明らかにするために、ご自身の独り子なる主イエス・キリストをこの世に派遣されたのです。その神のみ子、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、わたしたちに本当の死の意味を明らかにし、本当の生の意味を明らかにされました。そのことが、ここで語られているのです。

パウロはここで洗礼という儀式を比喩的に用いています。洗礼はイエス・キリストを救い主と信じる、いわば入信の儀式ですが、その洗礼によって、主キリストと信仰者とが一つに結合されることを、パウロはいくつかの表現で言い表しています。その一つは「共に」という言葉です。4節では、「キリストと共に葬られ」、6節では、「キリストと共に十字架につけられ」、8節では、【8節】。このほかにも、同じような意味で、3節では、「キリスト・イエスに結ばれて」、3節と4節では、「その死にあずかる」、5節では、「その死の姿にあやかる」「その復活の姿にもあやかる」、同じ5節では、「キリストと一体となって」など、多くの表現で主キリストと信仰者とが固く結合されることが強調されています。

その際、結合の主体と力は常に主イエス・キリストの側にあります。主イエスがわたしたち人間と連帯してくださった、わたしたち罪ある人間の世界においでくださり、わたしたちと共に歩まれ、わたしたちの罪をご自身で担ってくださり、わたしたちの罪のための裁きをわたしたちに代わって受けてくださった。そのようにして、わたしたちを罪の束縛から解放し、ゆるしてくださった。その救いの事実と恵みと、主キリストと固く結ばれることによって、信仰者のうちに豊かに注がれ、信仰者のものとされていくのです。

この箇所のもう一つの特徴は、生、生きるから、死へという順序ではなく、死から生、生きるという順序になっていることです。主イエス・キリストの十字架の死と三日目の復活に合わされた信仰者は、主キリストと共に死んだ、そして主キリストと共に復活し、生きるのだと教えられています。主イエス・キリストが生から死へ、生きることから死ぬことへと至る一般的な順序を逆転させ、死から生へ、死ぬことから生きることへ向かう新しい道を開いてくださったのです。主イエス・キリストの十字架の死と三日目の復活が、わたしたちをすべての死の支配や恐れや不安から解き放ち、神に愛され、受け入れられ、まことの命が約束されている新しい生へ、生きることへ、生きる喜びと希望へと招き入れているのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたがわたしたちをきょうの礼拝にお招きくださり、聖書のみ言葉をとおして、主イエス・キリストにある命の道へと招き入れられている幸いをお知らせくださったことを、心から感謝いたします。わたしたちは弱い者であり、迷う者でありますが、あなたによって備えられているこの命の道を、勇気と希望をもって歩むことができますように、あなたのお導きを祈り求めます。

○重荷を負っている人、試練の中にある人、病んでいる人、不安や恐れを抱いている人、孤独な人、すべてあなたの助けを必要としている人を顧みてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

6月4日説教「主イエスの受難予告」

2023年6月4日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書53章1~5節

    ルカによる福音書9章21~27節

説教題:「主イエスの受難予告」

 ルカによる福音書9章18節から27節までには、互いに関連しあっている3つの重要な内容が語られています。18~20節は、ぺトロの信仰告白。21~22節は、主イエスの受難予告。そして23~27節は、主イエスの弟子である信仰者は日々に自分の十字架を背負って主イエスに従って生きるべきであるとの勧め。この3つのことは互いに深く関連しあっているので、その関連を考えながら読む必要があります。マタイ、マルコ、ルカ福音書、この3つを共観福音書と呼びますが、3つの福音書共に、細かな記述には違いが見られるものの、これらの3つの内容を同じ順序で、一連のものとして描いています。

 きょうは21節と22節を学びますが、これは18節から27節の関連した3つの内容の中で、その中心となっている最も重要な箇所です。

 まず21節ですが、【21節】と書かれています。弟子のペトロが主イエスを「あなたは神からのメシアです」と告白したことは正しい信仰告白であったということをわたしたちはすでに学びました。「イエスは神のみ子である」。「イエスは主である」。そして、「イエスはメシアである」。これらの信仰告白は、主イエスに対する信仰告白の基本であり、今日わたしたちが告白している『使徒信条』の土台となっているということをわたしたちは確認してきました。主イエスは全人類を罪から救うために神がこの世にお遣わしくださったメシア・キリスト・救い主であり、この方にわたしの救いのすべてがあるというのがわたしたちの信仰の中心です。

 そうであるのに、主イエスはここで弟子たちに「このことをだれにも話すな」と厳しく命じておられます。なぜでしょうか。多くのユダヤ人がこの正しい信仰告白をするようになり、主イエスを救い主と信じることこそが、主イエスの願いであり、また弟子たちはそのためにお仕えしているのではないでしょうか。そうであるのに、主イエスはこのことをすべての人に秘密にしておけと言われます。なぜでしょうか。

 このことは、一般に「メシアの秘密」と言われていて、新約聖書の大きな神学的テーマになっています。「メシアの秘密」は特にマルコ福音書で強調されていますが、共観福音書に共通しています。実は、ルカ福音書の中でわたしたちがこれまで学んできた中にも同じようなテーマがありました。4章35節では、汚れた霊(悪霊)が主イエスを「神の聖者だ」と告白した際に、主イエスは悪霊に「黙れ」とお命じになったことが書かれていました。また4章41節でも、悪霊が「お前は神の子だ」と叫んだのに対して、主イエスは悪霊にものを言うことをお許しにならなかったと書かれていました。さらに5章14節では、主イエスが重い皮膚病の人をいやされた際に、このことをだれにも話さないようにと厳しく命じられました。これらはみな、「メシアの秘密」と同じ意味があると考えられています。

 では、その意味、意図とは何でしょうか。一言でいうと、主イエスはご自身がメシア・キリストであることを誤解されたり、信仰以外の他のことのために悪用されることを注意深く避けようとされたということです。主イエスはご自身が「神のみ子」「主キリスト」「メシア・救い主」であることをこの世に宣教し、証しするためにおいでになったのですが、またそのために弟子たちを選ばれ,人々の病気をおいやしになったのですが、しかし、そのことが正しく信じられず、告白されずに、人間の好みに合わせて誤解されたり、悪のわざのために利用されたり、罪びとの救いのためではなく、この世の経済的繁栄とか、政治的運動とかのために利用される恐れがあることを知っておられました。そこで、弟子たちや人々を正しい信仰告白へと導くために、そのことがすべて明らかにされる「その時」までは、ご自身がメシアであることを安易に言い広めてはいけないと戒められたのです。

そのことがすべて明らかにされる「その時」とは、主イエスの十字架と復活の時です。その時には、主イエスがどのようなメシア・救い主であるのか、主イエスが神のみ子としてどのようなみわざをなさったのか、主イエスが全世界の唯一の主であるとはどういうことなのかが、すべて明らかにされるのです。その時にこそ、だれもが誤解することなく、他のだれかに、あるいは他の何かに悪用されることもなく、ただ主イエスの十字架の死のゆえにこそ、すべての人は主イエスをメシア・救い主と信じ、告白するようになるからです。

次の22節の主イエスの受難予告がそのことを明らかにしています。【22節】。これは主イエスによる第1回の受難予告です。このあと、2回続きます。第2回は9章44節、第3回は18章32~33節です。それぞれ表現の仕方には違いがありますが、「人の子、主イエスは苦難の道を歩まれ、十字架で死に、三日目に復活する」という中心的な内容は一致しています。

同じことを3度も予告されたのは、そのことが確かに起こることを強調しています。主イエスは父なる神が定められたこの苦難の道を、固い決意をもって進まれたのです。

また、予告とは、単に未来のことを予想して言うのではなく、主イエスが言われるみ言葉は、確実に、そして現実にその出来事を生み出していくという、力強い神のみ言葉です。

弟子たちは主イエスが復活されたあとで、この3度にわたる受難予告を思い起こし、あの時にはまだ全く気付いておらず、理解できていなかった主イエスの受難予告の意味を悟ったのでした。そして、このような主イエスのご受難の道にこそ、神の救いのみ心があったのだということを信じたのでした。

では次に、受難予告の内容を見ていきましょう。まず、主イエスはご自分のことを「人の子」と言われます。これは3回の受難予告でも同じです。主イエスはご自身の口から、「わたしは神の子である。わたしはメシア・キリストである」と言われることは一度もありません。多くの場合、ご自分を「人の子」と言われます。これにも、「メシアの秘密」と同じ意図があったと考えられています。

「人の子」とは、普通の意味で人間を言い表す言葉ですが、福音書の中ではそれに特別な意味が付け加えられています。この受難予告では、イザヤ書53章に預言されているような「苦難の僕」としての「人の子」のイメージが強調されています。主イエスは苦難の道を歩まれることによって主なる神の僕(しもべ)としての務めを果たし、主なる神のみ心を行い、他者のために執り成しをし、他の人の罪のために自ら苦しみを受け、そうすることによって多くの人を罪から救う「人の子」なのです。

しかも、主イエスが言われる「人の子」は単に他者のために苦難の道を歩むのではなく、22節で続けて説明されているように、「長老、祭司長、律法学者たちから排斥され殺される」という、最も屈辱的で、最も激しい拒絶を経験し、最も大きく深い苦難と苦悩の道を歩み、そしてついには捨てられ殺されるという、徹底した「苦難の僕」としての道を歩むというのです。そこには、何一つとして報いもなければ、もちろん誉れもありません。

「長老、祭司長、律法学者たち」は当時のユダヤ国家・イスラエルの宗教的・政治的な指導者たちでした。彼らはユダヤ最高議会(サンヘドリン、70人議会)の議員を構成し、最高裁判所の務めをも果たしていました。主イエスはこの法廷で裁かれ、最終的には、神を冒涜する者、神の律法に違反する者、エルサレム神殿を汚す者として裁かれました。当時のユダヤ人の知恵や信仰的伝統のすべてが主イエスを十字架で処刑すべき者と結論づけたのでした。そのようにして、主イエスがここで予告しておられてことが、すべてそのように実現したということをわたしたちは福音書の終わりで知らされます。

主イエスのこの「受難予告」は主イエスご自身による信仰告白と言ってもよいでしょう。主イエスはこれが「人の子」として、父なる神がご自分をこの世へとお遣わしになった目的であると悟り、信じておられたのでした。そして、父なる神が備えたもうたその苦難の僕の道を、喜んで進まれたのでした。この道を進むことこそが、全人類のまことの救いとなることを信じておられました。

しかしながら、当時のユダヤ人の多くが期待していたメシア・救い主の姿は、主イエスの「受難予告」の内容とは大きくかけ離れていたのです。当時の人たちは一般的に、いわば政治的メシアを待望していました。と言うのも、イスラエルは紀元前6世紀にダビデ王朝が倒され、それ以後次々と異教の諸外国の勢力の支配下にありました。紀元前63年からはローマ帝国の支配下に置かれていました。そのような、長い試練の歴史の中で、神がやがてメシア・救い主をイスラエルに送ってくださり、イスラエルを外国勢力から解放し、神に選ばれた自由な信仰の民として導いてくださるであろう。そのメシアはたくましい軍馬にまたがり、知恵と力と栄光を身に帯び、神に選ばれた民イスラエルの名誉と栄光を回復するであろう。そのようなメシアの到来を待望する信仰が高まっていました。

いつの時代でも、人々は自分たちが希望するメシア像を作り上げます。自分たちの願いをかなえてくれる救い主を求めます。自分たちの不足や不安、恐れや痛みを取り除いてくれる英雄を思い描きます。けれども、主イエスの「受難予告」はそれらの一切を否定し、拒絶し、打ち壊します。そして、どこに神のみ心があるのか、どこに真実の救いがあるのかをわたしたちに明らかにします。わたしたちはこの「受難予告」から主イエスの福音宣教のお働きを見ていかなければなりません。それゆえに、主イエスはご自分の十字架の時が来るまでは、ご自分がメシア・救い主であることを公に言ってはならないとお命じになったのです。

これが「メシアの秘密」の意味であり、意図です。わたしたちは当時の弟子たちやユダヤ人とは違って、主イエスの十字架の福音をすでに聞き、信じていますから、何ものをも恐れることなく、だれにもはばかることなく、大胆に、すべての人に、主イエス・キリストこそがわたしたちの唯一の救い主であると告白し、また宣べ伝えることができるのです。「主イエス・キリストはわたしたちの罪のために苦難の道を歩まれ、十字架で死んでくださり、三日目に復活され、わたしたちを罪から救い、わたしたちに新しい復活の命を授けてくださる」と宣べ伝えることができるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、罪の中で滅ぶべきであったわたしたちを、あなたがみ子主イエス・キリストの十字架と復活によって救い、新しい命に生かしていてくださいますことを、心から感謝いたします。今わたしたちが遣わされているこの時代の中で、この時代の人々に、主イエス・キリストの十字架の福音を大胆に宣べ伝えることができますように、わたしたち一人一人に聖霊を注ぎ、強め、励ましてください。

○主よ、どうかこの世界とそこに住む人々を憐み、あなたの救いのみ心をお示しくださいますように。深く病み、傷つき、傷んでいるこの世界をどうぞお救いくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。