4月25日説教「アブラハムとサラの家族計画」

2021年4月25日(日) 秋田教会主日礼拝説教

聖 書:創世記16章1~16節

    ガラテヤの信徒への手紙4章21~31節

説教題:「アブラハムとサラの家族計画」

 きょうの礼拝で朗読された創世記16章には、アブラハムが神の約束の地カナンについてから10年後のことが書かれています。3節後半にこうあります。【3節b】。12章に書かれていたように、アブラハムは75歳の時に神の約束のみ言葉を聞き、それに従ってこの地にやって来ました。妻のサライ(のちにサラに変えられます)も一緒でした。

アブラハムが聞いた神の約束は二つ、一つはカナンの土地を彼と彼の子孫とに受け継がせるという約束、もう一つは彼の子孫が増し加えられ、その子孫に神の祝福が受け継がれるという約束でした。16章ではその第二の約束が問題になります。すなわち、アブラハムとサラ夫妻に子どもが与えられ、その子にまた子どもが与えられ、更にその子孫が増し加えられ、全地に増え広がり、それとともに神の祝福がアブラハムからその子へ、その子孫へと受け継がれていく。ついには、全世界の民が神の祝福に入るようになるという約束です。

当然のことながら、この約束を担っているのはアブラハム一人だけではなく、妻サラも一緒です。二人でこの約束を担っています。二人一緒でなければこの約束を担うことはできません。ところが、この約束が危険にさらされる事態が、かつてあったということを、わたしたちは思い起こします。12章10節以下に書かれていたエジプト行きがそのきっかけでした。飢饉を避けてエジプト行きを決断したアブラハムは、美しい妻がエジプト人にねらわれた場合、自分が夫だと分かればエジプト人は自分を殺して妻を奪うであろう。しかし、妹だと言えば、その危険性がなくなるだけでなく、兄として優遇されるに違いないと考え、妻のサラを妹と偽り、しかもサラが王宮に召し入れられるのをよしとしました。アブラハムは自分の命を守るために夫婦の関係を投げ捨てたのです。妻サラをエジプト王に売り渡したのです。それだけではありません。神の約束をも投げ捨てたのでした。このようなアブラハムの大きな過ちにもかかわらず、神は寸前のところでアブラハムとサラを危機から救い、二人は共にカナンの地へと帰ることができました。神はアブラハムとサラをお守りになり、またご自身の約束をも守られました。

そのような夫婦の危機を共に乗り越えてきたアブラハムとサラでしたが、あれから10年が過ぎ、再び危機が迫ってきました。サラには未だ子どもが与えられません。「あなたの子どもが神の祝福を受け継ぐであろう」と言われた神の約束は未だ果たされません。そこでサラは夫アブラハムに一つの提案をします。【1~2節】。これまではアブラハムが主体的に行動していましたが、ここでは妻サラの方が先に行動します。このサラの提案は、古代近東諸国では法的に認められていた慣習でした。紀元前18世紀ころの古代バビロンの法律集であるハムラビ法典や15世紀の古代アッシリアのヌズ文書には、夫婦に子どもがなく、その責任が妻に帰せられる場合、妻は自分の所有する女奴隷の一人を第二の妻として夫に与え、彼女によって子どもをもうけなければならないと定められていました。創世記30章でも同じような慣習について書かれていますが、そこでは女奴隷に生まれた子を女主人の膝に置くことによって、その子どもが女主人から生まれた子どもと見なされることが説明されています。15章2、3節によれば、アブラハムは彼の家で仕える奴隷の子が跡継ぎになるであろうと言っていました。

しかしながら、当時の慣習に合っているとしても、夫の考えと一致しているとしても、そしてそれが夫に対する妻の配慮であるとしても、それは神のご計画、神の契約とは合致してはいないと言わざるを得ません。神はすでに15章4節でアブラハムに対して「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」とはっきりと言っておられます。サラのこの提案が神のご計画に一致しているとは言えません。

ところが2節の終わりには「アブラムは、サライの願いを聞き入れた」と書かれています。アブラハムも妻サラの家族計画に同意します。彼は15章4節で神が言われた約束を早くも忘れてしまったのでしょうか。あの時神の約束のみ言葉を聞き、夜空に瞬く無数の星空を見て、「あなたの子孫はこのようになる」と言われた神のみ言葉を信じたはずなのに、そしてその信仰が神に義と認められたのに。彼の信仰は何だったのかと改めて問わざるを得ません。

わたしたちはこの疑問をそのままにしてはおけませんので、ここでアブラハムとサラはどうすべきだったのかを、わたしたちなりに少し考えてみたいと思います。まず、結婚については創世記1章、2章が教えているように、神のみ心によって男と女とに創造された人間が、神の導きによって出会い、互いにふさわしい助ける者となり、父と母の家から独立して一体となることです。アブラハムとサラもそのようにして夫婦となったのですが、彼らにはさらなる神からの選びが、召しがありました。「あなたから生まれる子が神の祝福を受け継ぎ、更にその子孫へと受け継がれるであろう」という神の約束を共に担っていく夫婦であるということです。彼らは共にこの神の約束を聞きつつ、夫婦であり続けるのです。したがって、未だに子どもが与えられないとすれば、それは神のみ心だと理解すべきでしょう。2節でサラは「主はわたしに子供を授けてくださいません」と言っているように、子どもを授けるのは神です。とすれば、子どもが未だに授けられなのも神のみ心です。そうであるとすれば、忍耐強く、信仰をもって、神の約束の時を待つべきだったのではないでしょうか。

しかしながら、サラは神の約束を信じて待つことができませんでした。アブラハムもそうでした。彼らは自分たちの考えや知恵で、いわば神の約束を無理やりに引き寄せようとしているのです。それは神に対する不信仰です。不従順です。特に、信仰の父と言われるアブラハムには、その罪の責任が問われなければなりません。彼は神のみ言葉を聞くことによって生きるべきでした。けれども、ここではサラの言葉に同意しています。共に、一緒になって神のみ言葉を聞く夫婦こそが幸いです。けれども、共に神のみ言葉を聞くことをせずに、夫や妻の言葉だけを聞くならば、その夫婦は必ずしも幸いではありません。アブラハムとサラの夫婦にも直ちに不幸がやってきました。

【4~5節】。女奴隷ハガルのこの反応は、当初はサラの家族計画の中には入っていなかったのかもしれません。5節のサラのアブラハムに対する抗議からもそれがうかがい知ることができます。サラはハガルが自分を軽んじるようになったのはアブラハムのせいだと言っています。サラ自身が提案したにもかかわらず、それを夫のせいにしているのです。ここでは、夫婦の関係は破綻しています。互いに助ける者とはなっていません。

けれども、わたしたちがあらかじめ考えたように、これは神に聞き従わなかった夫婦の当然の成り行きだと言ってよいでしょう。この夫婦の家から平和が消え去りました。共に神の約束を担っていく夫婦ではもはやなくなりました。女主人と女奴隷との間に、夫と妻との間に、嫉妬、争い、分裂が生じました、神なしで始められた家族計画は、ついにはこのような結果になるほかありません。

【6節】。サラは夫であるアブラハムに訴え、このトラブルの処理を願っています。アブラハムは部族の長として部族内でのトラブルを調停する責任があり、家庭の長として家庭内のトラブルを解決する責任があります。けれども、彼にはそれができません。彼は二人の女たちの間を執りなすことができません。彼は二人の女たちの間に立って、全く哀れで無力な男でしかありません。神に服従しない人間は、人間同士の争いを真に解決できないのです。

ハガルは女主人サラから逃れるためにアブラハムの家を出ました。彼女は故郷のエジプトを目指していたと思われます。シュル街道はカナンの地から砂漠地帯を抜けエジプトに続いていました。その道の途中で、ハガルは主なる神と出会います。7節に、「主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会った」と書かれています。

この時のハガルの心境を考えてみましょう。奴隷の身でありながらアブラハムの子どもを宿すことになった大きな喜び、しかし女主人の辛い仕打ち。奴隷は主人の所有物と考えられ、生かすも殺すも主人次第。何の抵抗もできず、頼みのアブラハムも全く助けてくれない。孤独と不安の中で砂漠をさまようほかないハガル。けれども、アブラハムの神、イスラエルの神であられる主は、選びの民ではなかった異邦人ハガルをも決してお見捨てにはなりませんでした。神はイスラエルの神であるだけでなく、異邦人の神でもあられます。神は全人類の唯一の主なる神であるということを、わたしたちはここでも知らされます。

【8~12節】。アブラハムとサラの家族計画によって破壊されてしまった家族の関係を神が修正されます。女奴隷ハガルが女主人サラのもとに帰ることによって、奴隷と主人との関係が修復されました。それだけではありません。アブラハムとサラの夫婦の関係も修復されるのです。わたしたちはこのあと15節でそのことをはっきりと知るでしょう。そこには、「アブラハムはハガルが産んだ子をイシュマエルと名付けた」とあります。名前を付けるのは家の主人の務めでした。アブラハムはここで、11節の神の命令に従っているのです。アブラハムはここで再び神のみ言葉に従順に聞き従い、それによって、「あなたの子孫が星の数ほどに増え広がるであろう」と言われた神の約束をサラと共に担っていく者とされているのです。

ハガルの子イシュマエルは神の選びの民ではありませんが、その子孫が数えきれないほどに増えるであろうと10節に書かれています。旧約聖書においては、神は選ばれた民イスラエルによってご自身の救いのみわざをなし続けられますが、選ばれなかった民もまた神の救いのご計画の中で用いられます。それによって、新約聖書に至って、神は主イエス・キリストの福音を信じる信仰によって、全世界のすべての民を教会の民として召し集めてくださるのです。

イシュマエルとは「主がお聞きくださる」という意味です。13節のエル・ロイとは「神はわたしを見ておられる」と言う意味です。神はアブラハムとサラの不従順で不信仰な家族計画という失敗を通しても、また異邦人の奴隷であったハガルを通しても、ご自身がわたしたちの願いをお聞きくださる主なる神であられ、わたしたちをいつも見ておられ、顧みてくださる主なる神であられることをお示しくださったのです。

(執り成しの祈り)

〇主なる神よ、あなたはわたしたちの不信仰や貧しさや困窮のすべてを見ておられます。わたしたちの迷いや不安や重荷のすべてを知っておられます。どうか、わたしたちを憐れみ、顧みてください。わたしたちをなくてならないあなたの真理のみ言葉で導いてください。

〇神よ、日本と世界を憐れみ、顧みてください。恐れや不安、混乱、痛み、争いの中で苦悩する一人一人の叫びと祈りをお聞きください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月18日説教「神の契約の子である教会の民」

2021年4月18日(日) 秋田教会主日礼拝説教

聖 書:創世記12章1~4節

    使徒言行録3章11~26節

説教題:「神の契約の子である教会の民」

 使徒言行録3章には、ペンテコステの日に誕生したエルサレム教会の最初の宣教活動について描かれています。ペトロが生まれながら足の不自由だった人に「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と命じ、彼の手を取って立ち上がらせると、彼は躍り上がって立ち、神を賛美しながら、神殿に入っていったと書かれています。ペトロを始め、初代教会の使徒たち、伝道者、教師たちには、神のみ言葉と主イエス・キリストの福音を語って人々を罪から救う権限と力が与えられていたと同時に、その罪のゆるしの目に見えるしるしとしての肉体的ないやしの能力をも与えられていました。使徒言行録やパウロの手紙にそれらの実例が数多く報告されています。これは福音書の中で主イエスご自身が持っておられた権限、力と同様です。使徒たちはその権能を託されました。

 エルサレム神殿での奇跡を見た民衆は、「我を忘れるほど驚いた」と10節に書かれていました。11節にも「民衆は皆非常に驚いた」と書かれています。ここで二度も民衆の驚きが強調されていることには理由があるように思われます。彼らの驚きは、彼ら自身はまだその本当の意味を理解してはいなかったのですが、それは実は、今や新しい救いの時が到来したことに対する驚きだったと言ってよいでしょう。旧約聖書に預言されていた神の救いが成就する時が、主イエス・キリストの十字架と復活の福音によって今到来したのです。罪の支配が終わり、神の救いと恵みが、すべての信じる人たちを支配する新しい救いの時が、このエルサレムから始まって全世界へと拡大していくのです。

 民衆の目は歩き出した人とペトロたちに向けられていました。彼らはまだ神の救いのみわざそのものを見てはいません。そこでペトロは、その驚きの本当の意味を明らかにします。12節からのペトロの説教がその真の意味を語っています。この説教は、2章12節以下の説教に続くペトロの二度目の説教です。わたしたちはこの個所からも、初代教会の説教の特徴を知ることができます。そしてそれは、その後今日に至るまでの2千年間の教会の説教の特徴ともなりました。

 説教の前半の12~16節では、主イエス・キリストの十字架の死と復活が語られ、それが罪のゆるしと救いを与える福音であることが語られています。後半の17節以下では、主イエスの福音は旧約聖書で預言されていた神の救いのみわざの成就であり、神が初めにお選びになったイスラエルの民に約束された祝福がいまや全世界のすべての国民に与えられていること、そして終末の時に、主イエスの再臨によって神の救いのみわざが完成され、永遠の慰めが神の契約の民すべてに与えられるということが語られています。この二つの説教のテーマは2章12節以下の最初の説教とも一致しています。今日のすべての教会の説教のテーマとも一致します。わたしたちは主の日ごとの礼拝で、聖書の至る所から、同じテーマの説教を繰り返し聞いているのです。

 ではまず、12節と16節を読んでみましょう。【12節、16節】。ペトロはここで民衆があれほどに驚いたその真の意味を明らかにします。それは、ペトロたちが何か大きな力や魔術を用いて行ったことではなく、主イエス・キリストのみ名を信じる信仰によって、神がなしてくださった奇跡でなのであると説明します。生まれながらにして全く歩いたことがなかったこの人が、彼らの見ている前で起き上がり、踊りだし、神を賛美し礼拝するために神殿に走っていったのは、十字架につけられ、三日目に復活された主イエスが、彼の罪をゆるし、彼を支配していた悪の力から彼を解放し、彼を新しい命によって生かしてくださったからであると、ペトロは語ります。ペトロは驚いている彼らの目を、歩き出した男の人とペトロたちに注がれていた彼らの目を、主イエス・キリストへと向けさせるのです。主イエス・キリストの福音を信じる信仰によって歩き出す、新しい救いの時が今始まったのです。そのことをこそ、彼らは、すべての人は驚くべきなのです。

 16節では、「イエスの名」という言葉と「信仰」という言葉がそれぞれ二度用いられており、強調されています。つまり、主イエスのみ名こそが、またそれを信じる信仰こそが、この人の足をいやし、立ち上がらせるという奇跡を生み出し、罪から救われた感謝と喜びに生きるという新しい歩みを生み出しているのだということが強調されているのです。

 主イエスのみ名とは、主イエスの存在と行為の全体、その救いのみわざ全体を言い表しています。主イエスの十字架と復活の福音という救いの恵みと力とのすべてが主イエスのみ名に結びついています。主イエスを信じる信仰においては、主イエスのお名前とその実体とその救いの恵みとは分かちがたく結合しているのです。

 「その名を信じる信仰」がだれの信仰を意味しているのかはこの文章からははっきりしません。不自由な足をいやされた男の人の信仰か、それとも主イエスの福音を語ったペトロの信仰かをここで区別することはできません。おそらくその両方を含んでいると理解すべきでしょう。と同時に、「イエスによる信仰が」という言い方で暗示されているように、その両者の信仰は主イエスによって与えられ、造り出された信仰であるということが強調されているように思われます。

 次に13~15節で、ペテロは主イエスの十字架の死と死者の中からの復活について語ります。これが説教の第一のテーマです。13節に「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という神の呼び名が書かれていますが、これは出エジプト記3章15節などで用いられているイスラエルの神の呼び名です。その神のお名前が「その僕イエス」と結びつけられています。イスラエルの民をお選びになり、この民によってご自身の救いのみわざをお始めになった旧約聖書の神が、今や神の愛された僕(しもべ)であられる主イエス・キリストによって、その救いのみわざを全人類のために成就され、完成されたのです。

 主イエスの救いのみわざは、その十字架の死と死者の中からの復活によって成就されました。それがどのような状況の中で起こったのかをペトロは語っています。神がその愛する僕である主イエスに栄光をお与えになりましたが、神に選ばれた民であるあなたがたエルサレムの住民は主イエスに与えられた神の栄光を見ることを拒み、主イエスを異邦人の支配者であるピラトに引き渡した。それだけでなく、異邦人ピラトでさえも無罪と判断して釈放しようとした主イエスを、あなたがたは十字架の死へと追いやった。更には、死刑になって当然の罪を犯した犯罪人の方をあなたがたはゆるし、すべての人にまことの命をお与えくださるお方である主イエスを殺してしまった。あなたがたエルサレムの住民はこのように何度も判断を誤り、神のみ心に背いて罪を犯したのではなかったのかという、彼らの罪に対する厳しい告発がここにはあります。

 しかし、このペトロの告発は彼らの罪を責めるためのものでは決してありませんでした。「神はこの方を死者の中から復活させてくださいました」とペトロは説教します。神は人間たちのたび重なる過ちや背きの罪にもかかわらず、その罪をはるかに超えて、救いのみわざをなしたもうのです。人間の無知や反逆や罪にもかかわらず、神の救いのご計画は変更されることも中止されることもなく、主イエスのご受難と十字架の死と復活によって、その最終目的へと進んでいったのです。

 15節でペトロは「わたしたちは、このことの証人です」と言っています。使徒たちは主イエスの死と復活の証人として立てられました。そして、使徒たちの宣教によって、その説教を聞いた人たちが新たに主イエスの復活の証人として立てられていくのです。わたしたちもまたその一人です。

 ペトロの説教の後半を読みましょう。【17~19節】。主イエスのご受難と十字架の死はエルサレムのユダヤ人たちの無知の罪が勝利した結果ではありません。そうではなく、それは神が旧約聖書の中であらかじめ預言者たちを通してお語りになった預言の成就だったとペトロは語ります。イザヤ書53章の「苦難の主の僕」の預言が主イエスのご受難によって成就したのです。旧約聖書と新約聖書とは神の永遠の救いのご計画の中で一つに結ばれます。イスラエルのつまずきと人間たちの罪を超えて、神の救いのみわざは成就されます。

 そのことを知らされた会衆に必要なことはただ一つ、自らの罪を知り、それを悔い改めて神に立ち返ることです。救い主・主イエスを信じることです。そうすれば、神は信じる人すべての罪をおゆるしくださり、慰めと平安をお与えくださいます。16節では信仰が強調されていたということをすでに学びましたが、主イエスの福音によって与えられる救いをわたしたちが受け取るのは、ただ信仰によってです。旧約聖書の民イスラエルは神の律法によって導かれてきました。彼らは神の律法を守り行うことによって神の救いの道を歩んできました。けれども、その道にはまだ本当の救いは与えられていませんでした。なぜならば、だれも神の律法を完全に行うことができる人はおらず、かえって律法に違反する罪が増すだけだからです。しかし今や、神はメシア・救い主・主イエスを世にお遣わしになり、主イエスの十字架と復活によって人間の罪を贖い、ゆるし、主イエスの福音を信じる信仰によって、全き救いお与えくださいました。

 ペトロの説教の後半は、終わりの日、終末の完成を目指しています。【20~21節】。ここでは、主イエスの再臨のことが預言されています。地上での救いのみわざをなし終えられた主イエスは、今は天の父なる神の右に座しておられ、全地を支配しておられます。その主イエスが再び地上においでくださる終末の時、救いは完成し、神の国での完全な慰め、永遠の安息が実現します。もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない、新しい天と地が到来します。神がイスラエルの民をお選びになって始められた救いのみわざは、主イエスによって全世界の教会の民へと受け継がれ、終末の時の神の国の到来によって完成するのです。わたしたちの信仰の歩みはその終末の時を目指しています。

(執り成しの祈り)

〇天の神よ、「み国を来たらせ給え」とのわたしたちの祈りを更に強めてください。わたしたちの信仰の歩みを、来るべきみ国に向けて整えてください。わたしたちが移り行き、過ぎ去りゆくものに目と心とを奪われることなく、常に永遠なるものを追い求めることができますように、お導きください。

〇神よ、わたしたち一人一人を主イエス・キリストの復活の証人として立て、この世へ派遣してください。罪と死と滅びに支配されているこの世界に、復活の福音を持ち運ぶ者としてください。

〇神よ、この世界を憐れんでください。恐れや不安、病や痛み、試練や重荷に苦しむ人たちを助けてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月11日説教「信仰告白によって建てられる教会」

2021年4月11日(日) 秋田教会主日礼拝説教(教会建設記念日)

聖 書:申命記26章1~11節

    コリントの信徒への手紙一15章1~11節

説教題:「信仰告白によって建てられる教会」

 秋田教会は1934年(昭和9年)4月15日に教会建設式を行い、自給独立の教会となりました。(旧)日本基督教会が秋田に初めて伝道を開始し、秋田講義所(今の伝道所に当たります)を開設したのが1892年(明治25年)、それから秋田伝道教会建設が1906年(明治39年)、その40数年間、秋田教会はアメリカ・ドイツ改革派教会ミッションという外国の教会からの経済的・人的支援を受けていましたが、教会建設によって自給独立の教会となったわけです。今年はそれから87年目になります。

 きょうの礼拝でもう一つ覚えたい記念日は、1951年(昭和26年)5月20日の秋田教会臨時総会で日本キリスト教会加入の決議をしたことです。第二次世界大戦中の1941年(昭16年)6月、日本のプロテスタント教会は当時の国策に従って日本基督教団に合同しましたが、この合同教会は諸教派の集まりであり、信仰告白を持たず、教会政治の在り方も定まっていませんでした。そこで、(旧)日本基督教会に属していた一部の教会が、一つの信仰告白を持った長老制の教会を建設しようとして、日本基督教団を離脱し、新しい日本キリスト教会を創設することになりました。秋田教会も東京中会の9教会の中に加わりました。

 新しく創設された日本キリスト教会は1953年10月に開催の第3回大会で『日本キリスト教会信仰の告白』を制定し、2007年10月の第57回大会ではその口語文を制定しました。わたしたちが礼拝で告白しているものです。きょうから月1回ほどの割合で『日本キリスト教会信仰の告白』を説教で取り上げ、その連続講解をする予定です。これによって、わたしたちの教会がこの日本の地に、この秋田の地に、どのような教会を建てようとしているのかを皆さんで再確認していきたいと願っています。

 第1回目のきょうは、聖書と信仰告白との関係について学んでいきましょう。信仰告白は聖書に書かれている神のみ言葉、主イエス・キリストの福音に対する信仰による応答です。またそれは聖書全体の要約、まとめでもあります。言うまでもなく、聖書が主であり、源泉であり、信仰告白は従であり、その下流です。したがって、わたしたちが『日本キリスト教会信仰の告白』を学ぶということは、その信仰告白を生み出した源泉である聖書を学ぶということにほかなりません。

 そのような聖書と信仰告白との関係を次のように言い表します。「聖書は規範づける規範であり、信仰告白は規範づけられた規範である」。つまり、聖書はわたしたちの信仰そのものの基準であり、それを導く手本であり、また信仰告白や教会の在り方、すべての信仰生活と教会の営みの基準、手本、規範であるということ。それに対して、信仰告白は神のみ言葉である聖書によって規範づけられたものであり、同時にそれはわたしたちの信仰の在り方や聖書の読み方、教会形成の在り方などを具体的に規範づける、第二の規範であるという意味です。

 たとえば、聖書を読む場合、信仰告白という規範がなければ、その人その人によって理解が大きく異なって、自分勝手な理解になり、聖書の本来の意図からそれてしまうことにもなりかねません。信仰告白は教会の長い歴史の中で、異端的な教えや間違った聖書理解との戦いの中でまとめられたものですから、わたしたちが聖書を正しく読むための助けになります。わたしたちは『日本キリスト教会信仰の告白』という第二の規範によって信仰の訓練を受けていますから、おのずとその信仰告白の助けと導きによって聖書を読むことができます。もちろん、わたくしの説教も『日本キリスト教会信仰の告白』に規範づけられています。

 では、聖書の中では信仰告白はどのようにして生み出されてきたのでしょうか。旧約聖書と新約聖書の中から、信仰告白の代表的な個所を読んでみましょう。旧約聖書は申命記26章5~9節です。【5~11節】(320ページ)。ここでは、族長アブラハムの時代からエジプト移住とそこでの苦難の生活、そして出エジプトと約束の地カナンでの土地取得に至るまでのイスラエルの民に対するの神の導きと救いの歴史について告白されています。このようなイスラエルの信仰告白は旧約聖書の至る所に見いだすことができます。彼らはこのような信仰告白を安息日の礼拝で、また特に季節ごとの大きな祭りで、繰り返し告白し、神の救いの恵みを感謝したのです。信仰告白によってイスラエルは信仰の民として強められていきました。

 ここから、信仰告白が持っている役割について三つのことを確認することができます。一つには、信仰告白は長い神の救いの歴史を、その中心的な内容を短くまとめ、礼拝で告白したり、信仰の教育と継承のために用いることができるようにしたものであるということです。二つ目は、その信仰告白を今この時代の信仰者が礼拝で告白することによって、かつての神の救いのみわざを今ここに生きているわたしたちのための救いのみわざとして再体験し、神への信仰と感謝とをより強くするということです。三つ目は、同じ信仰告白を礼拝で共に唱和することによって、一つの群れ、一つの信仰告白共同体が形成されていくということです。これらはみなわたしたちの信仰告白にも共通することです。

 新約聖書の時代になって、更に新しい信仰告白の役割が付け加えられました。そのことを教えるのがコリントの信徒への手紙15章1節以下です。【3節~5節】(320ページ)。これは初代教会時代の最も整った信仰告白と言えます。使徒パウロはこの信仰告白を彼自身が初代教会から受け取ったものだと言っています。パウロがこの手紙を書いたのは、エルサレムに世界最初の教会が誕生してからおよそ20年後の紀元51、2年です。わずか20年の間にこのような信仰告白が作成されていたということは驚きに値します。初代教会もイスラエルの民と同様に、信仰告白を生み出し、信仰告白によって生きる教会であったということが分かります。ちなみに、わたしたちが告白している『日本キリスト教会信仰の告白』の後半部分の『使徒信条』は紀元4、5世紀ころに完成されたと考えられていますが、この手紙に書かれている信仰告白がその原型となっていることは明らかです。

 パウロがここで初代教会の信仰告白を取り上げたことには理由がありました。それは、コリント教会の一部の人たちが主イエス・キリストの復活を正しく理解せず、それによってキリスト者の復活を否定するという誤った信仰へとそれていっていたからです。しかし、初代教会の信仰告白が主イエス・キリストの復活についてこれほどに明確に告白しているのだから、主イエスを信じる信仰者の体の復活がそれに続いていることは確かであると、パウロは15章全体で力説しています。

 このことからわたしたちは信仰告白のもう一つの重要な役割を見いだします。それは、信仰告白が間違った教えや異端的な教えとの戦いの中で生み出され、またその間違った教えと戦うための正統的な信仰の武具として、正しい信仰を守るための役割りを果たすということです。パウロ以後、5世紀ころまでのキリスト教会はさまざまな異端との戦いに明け暮れました、教会は何度も世界規模の教会会議を開催し、異端を退けてきました。今日、基本信条あるいは世界信条(信条とは信仰告白と同じ意味ですが)と呼ばれている『使徒信条』『ニカイア信条』『カルケドン信条』のほとんどは、異端との戦いの中で、世界教会会議によって制定された信仰告白です。

 初代教会・古代教会時代以後にも、宗教改革期、そして近代においても、さまざまな異端的な教えが現れ、教会はそれらとの戦いの中で新しい信仰告白を生み出し、またその信仰告白によって異端的教えと戦ってきました。人間はいつの時代にも、自分勝手に、自分の好みに合わせて、聖書を読もうとします。あるいは、聖書の理解がその時代に流行した思想、哲学などに影響されてきました。信仰告白は歴史の中で教会が勝ち取り、確定してきた正しい信仰を言い表したもので、わたしたちを間違った聖書の読み方や信仰理解から守り、正しい聖書理解を規範づけ、導くという役割を果たしています。

さらには、わたしたちを異教的な偶像礼拝やこの世的な世俗主義的な生き方から守る盾となり、またそれらと勇気を持って戦うための武具ともなるのです。

『日本キリスト教会教会員の生活』の中で、わたしたちの教会の特徴として三つ挙げられています。その第一が、信仰告白に生きる教会であるということ、第二には長老制の教会であるということ、第三には独立性と公同性とを重んじる教会であるということです。

信仰告白に生きる教会とは、信仰告白の源泉である聖書、神のみ言葉を重んじ、それによって生きる教会であるということです。聖書のみ言葉を聞いて信じること以外の何かによって生きるのではないということです。たとえば、教会の伝統とか伝承、人間の言い伝え、あるいは教会の制度や儀式、教会の社会的な活動、人間的な利益や利便性などによって生きるのではないということです。ただ神のみ言葉によって生きる教会であるということです。

信仰告白によって生きる教会とは、信仰告白が聖書のみ言葉に対する信仰の応答であるように、わたしたちがそれぞれの生きている時代の中で、それぞれの生活の現場で、神のみ言葉に積極的に応答して生きる、日々の信仰生活そのものが信仰告白として生きるということです。わたしたちの信仰は、何らかの思想とか知識とかではありません。わたしの生き方そのものが信仰告白によって変革されていく、信仰告白を証ししていく、それがわたしたちの信仰告白的生活です。

信仰告白によって生きる教会とは、信仰告白によって教会が一つの生ける群れとして建てられていくということです。教会は神のみ言葉への応答である信仰告白によってのみ真実に建てられていきます。組織や制度を強固にすることによって建てられていくのではありません。一人の強力なリーダーによって建てられるのでもありません。共に一つの信仰告白を告白し、その信仰告白によって一つに結び合わされ、主キリストの体なる教会が建てられていくのです。

わたしが一人の信仰者、キリスト者となるということは、具体的にはわたしが『日本キリスト教会信仰の告白』をわたしの信仰として受け入れ、すでに告白している告白共同体の中にわたしもまた加えられるということなのです。その告白共同体の中でわたしの信仰が守られ、導かれ、養われていくのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、一つの信仰告白のもとに集められている日本キリスト教会を、あなたのみ心にかなった教会として、この地にあって真実の主キリストの体なる教会として、託されている福音宣教の使命を果たしていくことができますように、お導きください。秋田の地に立てられているわたしたちの教会を祝福し、導いてください。群れに連なる一人一人をお守りください。また、全世界に立てられている主キリストの教会を強めてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月4日説教「十字架につけられた主イエスは復活なさった」

2021年4月4日(日) 秋田教会主日礼拝(復活日)説教

聖 書:詩編16編1~11節

    マタイによる福音書28章1~10節

説教題:「十字架につけられた主イエスは復活なさった」

 ユダヤ人の安息日・土曜日が終わった翌日、日曜日の朝早くに、二人のマリアは主イエスの亡骸(なきがら)を収めた墓の前で、主のみ使い・天使が告げる神のみ言葉を聞きました。「恐れるな。十字架につけられた主イエスは死人の中から復活された」。それを聞いた二人の婦人たちは恐れながらも大きな喜びに満たされて、急いで弟子たちに伝えました。「主イエスは死人の中から復活された」と。この復活のおとずれを聞き、それを信じることから、弟子たちの信仰が始まりました。また、後に誕生する教会の信仰が始まり、そして今日のわたしたちの信仰が始まります。この復活の福音を宣べ伝えることから弟子たちと初代教会の宣教活動が始まり、今日の教会の宣教活動が始まります。教会は今もなお、これからのちも、罪と死とに支配されているこの世界とすべての人に向かって、「主イエスは死人の中から復活された。主イエスはすべての眠っている人たちの初穂として死人の中からよみがえられた。そして、主イエスを信じる信仰者に罪のゆるしと永遠の命の約束をお与えくださる」と力強く語り、そうすることによって生きた教会として前進していきます。教会の宣教活動とわたしたちの信仰は主イエスの復活に基礎づけられています。教会とそこに集められている信仰者の命の源は主イエスの復活にあるのです。

 きょうはマタイによる福音書28章1節以下から、教会とわたしたちの信仰と命の源である主イエスの復活について学んでいきましょう。【1節】。主イエスが十字架につけられたのは受難週の金曜日の昼前でした。その時、神のみ子の死を悲しみ悼むかのように、全地が暗くなったと27章45節に書かれていました。午後3時過ぎに主イエスは十字架上で息を引き取られました。日没からユダヤ人の安息日・土曜日が始まるので、アリマタヤ出身のヨセフという人が急いで主イエスの亡骸を引き取って、自分の墓に収めました。そして、安息日が終わった翌日、日曜日の明け方に、二人のマリアが主イエスの墓へと急いでいます。

1節では「墓を見に行った」とありますが、他の福音書によれば、婦人たちが墓に行ったのは、主イエスの亡骸に香油を塗るためでした。亡くなった人の体に香油を塗るという儀式は、非常に重んじられている当時の慣習でした。それは生きている人たちが亡くなった人に対して行う、いわば最後の奉仕でした。ところが、主イエスの場合、十字架で処刑されたのが金曜日午後で、安息日が始まる日没までに香油を塗る時間がありませんでした。そこで婦人たちは安息日が終わってから、墓へ行って、主イエスのためにやり残した最後の愛の奉仕をしようとしていたのでした。

この婦人たちというのは、27章56、57節に書かれていたガリラヤ地方から主イエスに従ってきた婦人たちでした。彼女たちは主イエスの十字架の証人でした。また、61節には、彼女たちが主イエスが墓に葬られたことの証人になったとも書かれています。そして更に、きょうの個所では、彼女たちは主イエスの復活の最初の証人になるということがこのあとに書かれているのです。実は、当時のユダヤ人社会では婦人は公の法廷で証人として立つことは認められていませんでした。当時の婦人たちの社会的地位が低かったからです。しかしながら、聖書では、きょうの個所の外にも多くの場面で、婦人たちが重要な働きをしていることが描かれています。男性が眠ったり逃げまどったりしている時に、婦人が重要な働きのために神によって用いられ、また神の重要な救いの出来事の証人として立てられているということをわたしたちは聖書で何度も読むことができます。神はご自身の救いのみわざのためにいと小さな者、取るに足りない、選ばれるに値しない者を、尊くお用いになるのです。それによって、人間がだれも誇ることがなく、ただ神のご栄光が崇められるようになるためです。

さて、主イエスの亡骸に香油を塗るために日曜日の早朝に墓にやって来たこの二人の婦人たちは、思いがけず、主イエスの復活の場面に出会うことになりました。4節に【4節】と書かれています。この番兵は、すぐ前の27章62節以下に書かれてあったように、主イエスの亡骸が弟子たちに盗まれないように、それによって弟子たちが主イエスは復活したというデマを流すことを防止するために、墓を監視する兵士たちでした。ところが、神のみ使いが天から下ってきて、墓をふさいでいた石を取り除いた様子を見ていた彼らは、死人のようになったと書かれています。死んだ人を墓の中に閉じ込めておく務めの彼らが、自ら死んだような者となったということは、墓の中に収められていた主イエスが、その入り口をふさいでいた石を取り除けて、死の墓から復活され、生きる方となられたということと、対比されているように思われます。

主イエスの復活は天使が告げる神のみ言葉によって明らかにされます。【5~7節】。墓の中でどのようにして横たわっている主イエスのお体が起き上がったのかといったような人間的な興味については聖書は一切語っていません。主イエスの復活は人間の目で見たり、手で触って確認できるものではありません。主イエスの復活はこの地上で起こったことであり、だれもが見ている墓で起こった出来事ではありますが、そことは天から、神のみ言葉として語られるほかにありません。ただ神のみ言葉だけが、わたしたちがいつも見ており経験している死と墓という現実を打ち破り、死に勝利する復活と永遠の命を創造するからです。生きて命を与える神のみ言葉だけが、罪と死に支配されているわたしたちをそこから解放するからです。わたしたちはその神のみ言葉を聞いて信じる信仰へと招かれているのです。

では、主イエスの復活は現実に起こったことでなくてもよいのかという疑問が生じるかもしれません。決してそうではありません。主イエスの復活は現実に起こった出来事です。マタイ福音書はそのことを9、10節で、復活された主イエスのお体を実際に婦人たちが見て、その声を実際に聞いたという出来事によって証明しています。復活された主イエスがそのお姿を弟子たちに現わされたということを、復活の顕現と言います。ルカ福音書と使徒言行録は主イエスの復活の顕現について何度も語っています。復活された主イエスは弟子たちが見ている前で、弟子たちと一緒に食事をされ、彼らと対話をされ、彼らに世界宣教の命令を語られ、そして最後には、彼らが見ている前で、そのお体が天に引き上げられ、雲の中に見えなくなったと使徒言行録1章に書かれています。彼ら復活の目撃者たちの証言によって、初代教会が建てられ、その宣教活動が始められたのです。今日のわたしたちは彼らの証言を聞き、見るないで信じる幸いな信仰へと招かれているのです。

きょうの聖書の個所でもう一つ重要なメッセージは、主イエスの亡骸に香油を塗るために墓にやって来た婦人たちが、どのように変えられたかということです。マタイ福音書では、マルコ福音書、ルカ福音書とは違って、香油を塗るために彼女たちが墓に来たということについては、はっきりとは語られていません。彼女たちはまるでその目的を忘れてしまっているかのようです。彼女たちは日曜日の朝が始まるやいなや、全く新しい務めが与えられ、その新しい使命のために生きる者としてここに登場しているのです。

彼女たちに与えられている新しい使命とは、まず第一には神の使い・天使が語る神のみ言葉を聞くこと、十字架につけられた主イエスが死の墓から復活されたという喜ばしいおとずれを聞くこと、そして次に、そのことを裏付ける事実として空になった墓の中を確認すること、また復活された主イエスのお姿を見ること、更には「主イエスは復活された」との神のみ言葉を携えて、急いで墓を立ち去り、弟子たちにその福音を告げ知らせること、これが彼女たちの新しい使命です。彼女たちはこの新しい使命に生きる者たちとされているのです。

亡くなった人を葬る前にその体に香油を塗ることは生きている人たちの最後の重要な務めであったが、主イエスの場合にはそれができなかったと前に紹介しました。けれども、実はそれは正確ではありません。26章6節以下に、ベタニアでの油注ぎのことが書かれていました。その時に、主イエスはこう言われました。【12節】(52ページ)。主イエスはこの時すでに葬りの備えを終えておられたのです。しかも、その際に注がれた香油は非常に高価であったと書かれていました。罪なき神のみ子の死と葬りの備えはこの時すでになされていました。

それでも、もちろん婦人たちはまだそのことには気づいてはいませんから、愛する主イエスのために最後の奉仕をするために、夜が明けるとすぐに墓へと急いだのでした。それが、死に支配されている人間たちにできる最も大きな愛の奉仕だったからです。しかし、日曜日の主イエスの復活の朝、死者に対するその奉仕は必要なくなりました。彼女たちはもはや死者のために仕えるのではありません。復活され、生きておられる主イエスのためにお仕えする人へと変えられるのです。全人類の罪のために十字架に死なれ、その罪と罪ゆえの死とに勝利するために復活された主イエスにお仕えし、主イエスの復活の福音を携えて、主イエスの復活の証人として生きる人へと変えられたのです。この新しい務めに生きることこそが、死に向かって生きるのではなく、復活の命に向かって、人間が本当に生きるということなのです。復活の主イエスを信じる信仰者の歩みは、墓に向かう歩みではありません。あの婦人たちのように、急いで墓から立ち去り、罪と死に向かっている歩みから身をひるがえして、復活の福音へと向かう歩みへと変えられるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、死すべきわたしたちをあなたがみ子の血によって贖ってくださり、み子の復活の命にあずからせてくださいます幸いを心から感謝いたします。わたしたちがこの世の朽ち果てるもののために生きるのではなく、あなたの命のみ言葉を糧として生きる者としてください。

〇天の神よ、罪と死に支配され、暗黒と混乱に覆われているこの世界を、あなたがあわれんでくださり、救いの恵みをお与えくださいますように。主イエスの復活の福音が全世界の教会で語られ、信じられますよう。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。