2026年8月2日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
世界平和祈念礼拝
聖 書:イザヤ書2章1~5節
マタイによる福音書5章1~10節
説教題:「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」
日本キリスト教会は8月第一主日を「世界の教会を覚える日」と定めています。他の日本のキリスト教会では、「平和聖日」とか「世界の平和を覚える日」と定めている教派もあります。国連では、9月21日を世界平和記念日としています。日本のキリスト教会が、特にこの時期に日本と世界の平和を強く覚えるようにしている理由は、言うまでもなく、広島・長崎に原爆が投下された日、日本の終戦の日がこの時期だからです。秋田教会では2010年ころから8月第一主日を「世界の教会を覚える日」として、またその後には「世界の平和を祈念する日」として、世界の諸教会との連帯を強く覚えながら、また世界の平和を共に祈りながら、特別の礼拝をささげてきました。
わたしたちの教会がこの時期に世界平和について深く考えるということに、どのような意味があるのかを改めて確認しておきたいと思います。日本の教会は1938年(昭和13年)の「国家総動員法」と翌年の「宗教団体法」が成立して以来、ほとんどの教派、教会が日本政府の戦争政策に迎合して、戦争に協力するという方向に傾きました。1941年には、日本のプロテスタント教会はみな「日本基督教団」に合同されました。礼拝の前には国民儀礼と称して、宮城遥拝を行い、戦争の遂行とその勝利のために祈り、軍用機のために献金をささげ、アジアの教会には神社参拝を強要しました。そのようにしてこの時代の日本の教会は、平和のためにではなく、戦争のために祈り、協力したのでした。そして、アジアへの侵略、「一億総玉砕」「特攻隊」「沖縄地上戦」「広島・長崎」そして「敗戦」、それらのすべてに、教会は積極的にかかわり、協力したのでした。
わたしたちの教会が今日この日本の地で世界の平和を祈るときに、これらの過去の歴史を正しく認識し、それに対する真摯な反省と悔い改めとを持つことなしには、平和について考えるとか祈るということはできないのだということ、その重いたい歴史の反省に立って、平和を考え、平和のために祈らなければならないのだということ、そしてまた、わたしたちにはそのような非常に具体的な課題が与えられているのだということ、そのことを今改めて考えたいと思います。
きょうの「世界平和祈念礼拝」で選んだ二つの聖書箇所、旧約聖書のイザヤ書2章1~5節と新約聖書、マタイによる福音書5章1~10節とを読み比べてみたいと思います。先に旧約聖書の方です。預言者イザヤは紀元前8世紀後半、強大なアッシリア帝国が近東諸国とパレスチナにまで勢力を拡大し、イスラエル南王国ユダにも戦争の足音が迫りつつあった、まさにその時に、イザヤは神から示された幻によって、終わりの日、終末の時に与えられるであろう永遠の平和を預言しました。全世界のすべての民が一人の主なる神を礼拝するようになる。人を殺戮し世界を破壊するすべての武器が火に溶かされてその役割を終え、新たに農地を耕す農具に打ち直される。人はもはや戦うことを学ぶ必要がなくなる。そのような永遠の平和が訪れるであろうと預言しました。
それは、驚くべき預言です。いつの時代も、人間は自分の身を守るために、あるいは自分の国を守るために、武器を手にしてきました。より強力な武器を手にする者が、その時代とその世界とを支配することができると考えてきました。戦いは、自分を守るために、必要だと考えてきました。しかし、イザヤの預言はその根本を覆します。「もはや誰も戦うことを学ぶ必要がない。誰も武器を手に持つ必要がない」そのような時代が来ると、彼は預言しました。
同じような平和の預言は9章にもあります。4節にはこのように書かれています。【9章4節】(1074ページ)。ここでも、戦争のために使用される兵士の靴や軍服がみな火で焼き尽くされると預言されています。なぜ、戦いの武器も軍服も必要なくなるのか。その理由が、5節以下に書かれています。【5~6節】。「平和の君」と呼ばれる一人のみどりごが生まれるからだと説明されています。この「平和の君」が世界の唯一の支配者、王として、「正義と恵みの業」によって全世界のすべての人、すべての民族を支配するようになるからだと。だから、誰も自分が世界の王になる必要がなくなる、世界の支配者になるために武器を手にする必要がなくなる。このひとりの王がすべての人を、すべての民族、すべての国を導き、それを守ってくれる。だから誰も自分を守るために武器を手に持つ必要がなくなる。イザヤはそのように預言しました。
イザヤの預言は、彼の時代には百パーセント実現することはありませんでした。イザヤ以後の3千年近くの今日に至るまで、イザヤの預言は百パーセント実現したのを誰も見ていません。世界にはいつの時代には戦争があり、新たな武器が製造され、殺戮と破壊が繰り返されてきたのを、わたしたちは見てきました。でも、イザヤはやがていつかはその預言が成就され、永遠の平和がこの世界に与えられるであろうと信じていました。そして、わたしたちキリスト者もまた、神はやがてそのような永遠の平和を与えてくださるであろうと信じています。
新約聖書では、主イエスが山上の説教の冒頭で、平和について教えておられます。【マタイ5章9節】(6ページ)。これも驚くべきみ言葉です。イザヤが預言した永遠の平和の預言にもまさって、主イエスはここでわたしたちに驚くべきみ言葉を語っておられます。預言者イザヤが旧約聖書で、終末の時の永遠の平和を預言したことを、わたしたちは驚きをもって読みました。もはや誰も戦いのことを学ばない、学ぶ必要がない真の平和が来る。すべての武器を手放して、皆が平和の中で地を耕す時代が来るとイザヤは預言しました。それに対して、主イエスはここで平和について、平和とは何かとか、いつどのようにしてその平和がくるのかということを語るのではなく、今主イエスのみ言葉を聞いているあなたに対して、わたしに対して、【9節】と語っておられるのです。
すなわち、主イエスはこう言われます。「今、わたしの言葉を聞いているあなたがたは、なんと幸いであることか。あなたがたは平和を実現するために招かれている。あなたがたは神の子とされるためにここに招かれている。それは、なんと幸いなことか」と主イエスは語っておられるのです。ここでわたしたちは、平和についての解説とか説明を聞いているのではありません。平和についての勉強をしているのではありません。平和を実現する人として招かれているのです。これは驚くべき主イエスのみ言葉です。「えッ、このわたしが平和を実現するというのですか。その使命がわたしにあるというのですか」と思わず聞き返さなければならないほどに、大きな驚きをもって、わたしたちは主イエスのこのみ言葉を聞くのです。
これはどういうことでしょうか。わたしたちはここで一つのことを確認できます。それは、主イエスが弟子たちに対して、またわたしたちに対して、「あなたがたは平和を実現する人として招かれている、あなたがたは平和を実現する幸いな人たちだ」と言っておられる背景には、すでにあなたがたには平和が与えられている、あなたがた自身が平和へと招き入れられているという事実があるからにほかなりません。でも、人間であるわたしが平和を創り出すことができるというのではないことは確かです。わたしたち人間は、聖書が至る所で教えているように、造り主なる神を捨て、神のみ言葉に背き、罪を犯し、それゆえに常に神と敵対し、また互いに敵対するほかにない罪びとです。
そのようなわたしたちに対して、神は和解の使者として、ご自身のひとり子なる主イエス・キリストをお遣わしになったのです。そしてみ子の十字架の死と復活によって罪と死とに勝利してくださり、わたしたちとの和解を成し遂げてくださったのです。エフェソの信徒への手紙2章14節以下には次のように書かれています。【14~18節】(354ページ)。ここに、主イエス・キリストこそがわたしたちの平和であると教えられています。主イエスはご自身の十字架の死によって、神と人間と間を隔てていたすべての壁を打ち壊され、神とわたしたちとの間に真の平和を築いてくださいました。またその平和の福音を聞くわたしたちすべての人間をも平和の中へと招き入れてくださいます。
わたしたちはすでに主イエス・キリストによって与えられた平和の福音の中へと招き入れられているのです。そのようなわたしたちに対して、【マタイ5章9節】と語りかけられているのです。神が主イエス・キリストの十字架の死という尊い犠牲を払って築いてくださった平和の中に招き入れられているわたしたちは、平和の使者として、この世へと遣わされいます。平和を実現する幸いな人として生きるようにと招かれているのです。そこにわたしたちの課題があります。
ある人は日本の平和のために祈り、働きます。『日本国憲法』第9条で、 このように定められていることの重要さを訴えます。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は 武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」どのような武器も国際紛争解決のためには用いないという決意は、イザヤ書の預言に接近しています。
ある人は、「すべての武器を楽器に」と訴え、沖縄で反戦平和のために戦います。ある人は、核爆弾1個を製造する費用で、何人のおなかをすかせた子どもたちの食事を提供できるかという、途方もなくけた外れの計算に真面目に取り組もうとします。
そして、ある人は、世界の平和のために神に祈ります。そうです。これこそが、すべての人に与えられている、そして平和を実現しなさいとの主イエスのご命令に忠実に従う人たちの、最も重要な課題であるのです。神がその祈りをお聞きくださり、神が終わりの日の永遠の平和を来たらせてくださるからです。では、皆さんで、「世界の平和を願う祈り」をささげましょう。
【世界の平和を願う祈り】
天におられる父なる神よ、
あなたは地に住むすべてのものたちの命の主であり、
地に起こるすべての出来事の導き手であられることを信じます。
どうぞ、この世界をあなたの愛と真理で満たしてください。
わたしたちを主キリストにあって平和を造り出す人としてください。
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお用いください。
憎しみのあるところに愛を、争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、闇があるところにあなたの光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
主よ、
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを求めさせてください。
なぜならば、わたしたちは与えることによって受け取り、
ゆるすことによってゆるされ、
自分を捨てて死ぬことによって永遠の命をいただくからです。
主なる神よ、
わたしたちは今、切にあなたに祈り求めます。
世界にまことの平和を与えてください。
深く病み、傷ついているこの世界の人々を憐れんでください。
あなたのみ心によっていやしてください。
わたしたちに勇気と希望と支え合いの心をお与えください。
主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。
