2月26日説教「復活の主イエスと出会ったサウロ」

2023年2月26日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記3章1~6節

    使徒言行録9章1~9節

説教題:「復活の主イエスと出会ったサウロ」

 ペンテコステの日にエルサレムで誕生した初代教会が、数回に及ぶユダヤ人からの迫害にもかかわらず、成長を続けてきました。教会員の多くがエルサレム市内から追放されるという大迫害が、かえって福音がパレスチナ全土へと拡大されていくきっかけになったということ、さらにはユダヤ人以外の異邦人にも救いの道が開かれていったということを、わたしたちは使徒言行録で聞いてきました。神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはないということを何度も確認してきました。神の救いのご計画はこの世の人間たちの抵抗や攻撃や、あるいは無関心をも突き破って、力強く前進していくのだということを、大きな驚きと感動を覚えながら学んできました。

 そして、きょうは9章1節以下では、もう一つの大きな驚きの出来事について聞くことになります。すなわち、キリスト教会の迫害者であったサウロ、のちのパウロが、復活された主イエス・キリストと出会い、主キリストによってとらえられ、キリスト教会の宣教者に変えられるという、大きな、驚くべき奇跡についてです。神は教会が経験しなければならなかった幾度もの迫害をもお用いになって、教会を成長させ、前進させてくださったように、今また、教会の迫害者をもお用いになって、主キリストの福音宣教の良き働き人となさるのです。

 使徒言行録9章1~19節までには、パウロの回心の出来事が記されていると言われます。けれども、実際には回心と言われるような内容はここには書かれていません。ユダヤ教徒であったパウロが主キリストの福音を聞いて、罪を自覚し、悔い改めて、主キリストの福音を信じるようになり、回心してキリスト者になったという、パウロ自身の心境の変化のことについては何も語られていないように思われます。使徒言行録ではこのあと、同じようなパウロの回心について彼自身が語っている箇所が22章4~16節と26章9~18節に書かれていますが、その2箇所でも、回心と一般に言われる内容についてはほとんど語られてはいません。これらの3箇所に共通している内容は、教会の迫害者だったサウロ・パウロがダマスコの近くで突然に天からの強い光に照らされて地に倒れ、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」、という復活の主イエスのみ声を聞いたこと、そして目が見えなくなったこと、その後、ダマスコでアナニアという人に出会い、彼によってパウロの目が開かれ、パウロは洗礼を受けてキリスト者になったという出来事、事実だけが繰り返して語られています。

 確かに、熱心なユダヤ教徒、ファサイ派だったパウロがキリスト者になったこと、教会の迫害者であったパウロが教会の福音宣教者になったことは、180度の方向転換であり、まさに回心であり、改宗でもあるのですが、回心の内容について語られていないのはなぜなのか、しばしば議論されますが、その理由はよくわかっていません。わたしたちがキリスト者になる道筋をたどると、ある期間教会の礼拝に出席して、聖書のことが少しずつ理解できるようになり、自分の罪のことが知らされ、悔い改めの必要を知らされ、そしてある時に決断をして、洗礼を受けてキリスト者になるというのが一般的でしょうが、パウロの場合にはそれらが省略されているように思われます。

 パウロの場合、彼自身の心の変化とか罪の告白とか信仰の決断とかについてはほとんど語られず、天におられる神の側からの一方的な働きかけ、しかも強烈な働きかけと、復活の主イエスご自身の命令と招きだけが強調して語られているのです。ほとんど一瞬のうちに、回心という出来事が彼に起こっているのです。それは、神の側での一方的な選びであると言えるでしょう。神が一方的な選びによって、パウロをキリスト者とし、教会の宣教者として召されたのです。その神の一方的な選びと招きの力強さの前では、パウロ自身の心の変化とか、あるいはまた彼がそれにどう抵抗したかとか、どんな疑問を持ったかなどということは、まったく重要ではなかったということをわたしたちは知らされます。

 のちになって、パウロが諸教会にあてた手紙の中で彼のいわゆる回心についてこのように書いています。ガラテヤの信徒への手紙1章15、16節では、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず」と書いています。また、コリントの信徒への手紙一15章8節以下では、復活された主イエスとの出会いについてこう書いています。「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現われました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです」。

これが、使徒言行録に記されている、いわゆるパウロの回心と言われている出来事のパウロ自身のとらえかたなのです。それは、まさに神の奇跡です。パウロ自身の側にあるすべての可能性や不可能性をはるかに超えた神の奇跡です。迫害の中にあったエルサレム教会で神が繰り返して起こしてくださった奇跡のみわざを、神はまたパウロの生涯の中でも起こされました。神は今もなお、この世界で、またわたしたちの教会で、わたしたちの思いをはるかに超えた奇跡のみわざを起こしてくださるということを、わたしたちは信じるのです。

では、9章1節以下に書かれているパウロと復活の主イエスとの出会いの場面について詳しく見ていきましょう。ダマスコはガリラヤ湖の北およそ100キロメートル、エルサレムからだと250キロ以上も北にある町で、当時のシリア領内にありました。エルサレムから追放された信者たちがここにまで主イエスの福音を語り伝えていたということが分かります。また、パウロがユダヤ最高議会の議長であった大祭司の信任状を持ってダマスコのキリスト者を逮捕する許可を得ていたということから、ユダヤ人による迫害がファリサイ派やサドカイ派というユダヤ教の一部の派によるだけはなく、ユダヤ国家全体による迫害へと拡大されていたということを確認することができます。しかしまた、迫害が拡大されると同時に、福音宣教の地域も異邦人の地へと拡大されていったということをもわたしたちは知らされます。

1節には、「サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで」と書かれています。パウロのキリスト教迫害にかける意気込み、熱意、使命感のようなものを感じます。彼はなぜそれほどまでにキリスト教会の迫害に命をかけていたのでしょうか。それは、彼が熱心なユダヤ教徒であり、ファリサイ派の指導者であったことと関連します。ユダヤ教ファリサイ派は旧約聖書の律法を重んじ、律法を守り、行うことによって救われ、神の国に入ることができると教えていました。しかしながら、主イエス・キリストの十字架の福音はその教えを根本からくつがえすものでした。だれでも、主イエスの十字架の福音を信じ、主イエスがわたしの救いのために、わたしに代わって十字架で死んでくださり、わたしの罪のすべてをゆるしてくださったという、この福音を信じるならば、律法の行いなしに、ただ信仰によって救われる、これが主イエスの福音です。

熱心なファリサ派のパウロにとっては、そのよう教会の教えはユダヤ教の律法を無効にしてしまうことであり、律法によって生きてきたユダヤ国家そのものをも滅ぼすことになると考え、ユダヤ教とユダヤ国家を守るためにキリスト教会を根絶しなければならないと考えたのでした。

パウロはのちに書簡の中で書いています。主イエス・キリストの十字架の福音による救いの道は、律法による救いの道の終わりであり、そもそもだれも律法を完全に守り行うことはできないのであって、なおも律法によって救われようとするならば、いよいよ罪の自覚が生じるだけであると言っています。パウロは復活の主イエスと出会ったとき、自分が追い求めてきた律法による救いの道ではなく、わたしの罪のために十字架で死んでくださり、三日目に罪と死とに勝利されて、復活してくださった主イエス・キリストを信じる信仰によってこそ、ユダヤ人も異邦人も、すべての人は罪ゆるされ、救われるのだということを知らされたのです。

パウロがダマスコの近くにまで来た時に、22章6節によれば、それは真昼のころで、太陽が最も光り輝く時間帯でしたが、その太陽の光よりもはるかに強い天からの光によって、彼は地に倒れました。それは、強い光に目がくらんで倒れただけでなく、彼がこれまで一生懸命になって走ってきたユダヤ教の律法の道が終わり、それに命をかけてきたパウロが死んだことを象徴的に言い表しているように思われます。十字架に付けられ三日目に復活された主イエスとの出会いを経験して、パウロはそれまでの自分に死んだのです。

【4~6節】。ここには、復活した主イエスとの出会いによって、パウロが全く新しい人に造り変えられた、いわゆる回心の中身が暗示されているように思われます。それをいくつかのポイントにまとめてみましょう。

一つには、パウロはここで自分を天からの強い光でとらえたのが、復活の主イエスにほかならないということを知らされたことです。キリスト者たちが語っていたように、十字架につけられて死んだ主イエスが復活されて、今自分に語りかけておられる、主イエスは確かに今も生きておられる、そしてわたしを捕らえておられる。そのことをパウロは知らされたのです。

第二には、復活された主イエスが、ほかならないこのわたしに、キリスト者たちを迫害し、キリストの教会に敵対していたこのわたしに現れてくださった、このわたしを選んでくださったということをパウロは知らされました。教会の迫害者を教会の宣教者に変えてくださるという、主イエスの圧倒的な恵みの大きさを知らされました。

第三には、主イエスはここで迫害されているのはこのわたしであると言われたことです。パウロはキリスト者を迫害しているつもりでした。けれども、主イエスは迫害されているキリスト者と共におられたのです。彼らの痛みや苦しみを主イエスご自身が共に担っておられるのです。復活された主イエスは主イエスの教会と共に生きておられることをパウロは知らされました。

ここに至って、パウロは自分が迫害し、なき者にしようとしていた、またそうできると思っていた主イエス・キリストと主の教会が、かえって自分を圧倒する大きな力で押し迫ってくるのを覚え、その力によって地に倒されたことを悟りました。そして、再び立ち上がる時には、まったく新しい自分に造り変えられ、新しい使命を与えられていることを知らされることになるのです。ここから、福音の宣教者パウロの新しい歩みが開始されていきました。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの天からの大いなる光が迫害者パウロを捕らえ、福音

の宣教者へと変えたように、どうかわたしたち一人一人の上にもあなたの聖霊が豊かに注がれ、わたしたちを造り変えてくださり、あなたの良き働き人としてくださいますように。

〇願わくは主よ、あなたの救いと平和のみ心が地において実現されますように。

 主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月19日説教「この人はいったいだれだろう」

2023年2月19日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:マラキ書3章19~24節

    ルカによる福音書9章7~9節

説教題:「この人はいったいだれだろう」

 ルカによる福音書9章1~6節では、主イエスが12人の弟子たちを呼び集め、特別な賜物を授けたうえで、神の国の福音を宣べ伝えるためにこの世へと派遣されたことが記されています。10節で、彼らが帰ってきて、主イエスに自分たちの働きを報告したことが書かれています。きょうの礼拝で朗読された7~9節は、その間に挟まれていて、弟子たちが派遣されたこの世、当時のイスラエルがどのような状況であったのかを報告しています。紀元30年代のガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスのこと、またそのころの人々が主イエスをどのように見ていたのかについて書かれています。弟子たちはこのような世界へ、神の国の福音を宣べ伝えるために派遣されていくのです。その中で、主イエスこそが、神がイスラエルの民に約束されたメシア・救い主であられ、イスラエルと全世界の唯一のメシア・救い主であられ、世界のもろもろの王たちの上に君臨しておられ、来るべき神の国の永遠の王であられることを証しするために彼らは派遣されていくのです。

 【7~8節】。領主ヘロデの正式な名前はヘロデ・アンティパスと言い、主イエスが誕生された時のユダヤ全土の王ヘロデ大王の3人の息子の一人です。ヘロデ大王は紀元前37年から紀元前4年まで、ローマ帝国の支配のもとでユダヤ全土を統治していたことが記録から明らかになりました。ちなみに、主イエスの誕生をのちになって紀元1年と定めた、いわゆる西暦が世界の暦として今日採用されていますが、マタイ福音書1章に書かれているように、主イエスがユダヤ人の王としてお生まれになったという学者たちの話を聞いたヘロデ大王が、自分の王としての地位が危険にさらされていることを恐れて、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子をみな殺しにせよとの命令を下したという話をわたしたちは聞いています。このマタイ福音書の記録から判断すると、主イエスの誕生は紀元前4年よりは前ということになります。

 そのヘロデ大王はユダヤ・イスラエルの政治的・宗教的権力の一切を掌握する独裁者であり、マタイ福音書1章の幼児虐殺命令からもわかるように、残忍で、猜疑心の強い人物であったと伝えられています。彼の死後、ユダヤは4分割にされ、彼の3人の息子たちとヘロデの妹サロメがそれぞれの領主として治めることになりました。ヘロデ・アンティパスはガリラヤ地方とヨルダン川東側のペレア地方の領主となりました。彼は父ほどには残虐ではないと言われますが、権力欲や独占欲が強く、自分の異母兄弟であるフィリポの妻ヘロディアを奪い取って自分の妻にし、それが旧約聖書の律法で禁じられていた近親結婚であり、姦淫の罪に当たるとして、洗礼者ヨハネの非難を受けることになりました。そのことで洗礼者ヨハネを憎み、彼を捕らえて処刑しました。そのことについては、マタイ福音書14章に詳しく書かれています。

 7節で、「ヨハネが死者の中から生き返った」と言われていたのはそのことを指しています。マタイ福音書14章2節には、ヘロデ・アンティパス自身が主イエスの評判を聞いて、「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼の働いている」と言って、主イエスを恐れていたことが書かれています。そのヘロデ・アンティパスが主イエスの活動や弟子たちが各地に派遣されたことなどを知って、「戸惑っている」と書かれています。父ヘロデ大王がそうであったように、その子アンティパスも主イエスを恐れています。ヘロデ大王は、まだ生まれたばかりの幼子主イエスを恐れ、自分の王位が奪われるかもしれないとの恐怖心から、幼児虐殺命令を出しましたが、その子アンティパスは主イエスの活動とその福音が自分の領土に広がっていくことに不安と恐れを感じ、自分が首をはねた洗礼者ヨハネが生き返ったのだと、自分の過去の処刑命令におびえているのです。

 このように、この世の支配者たちは多かれ少なかれ、自らの権力の座にしがみつこうとして、自分が支配しているはずの民衆を恐れ、本来怖れるには値しないものを恐れて、不安を募らせるほかありません。主なる神を恐れない支配者は、みなこのようにして恐れるに値しないものを恐れるほかありません。しかしながら、主イエスを信じるキリスト者は、神以外のものを恐れる必要はありません。主なる神こそが、全世界の唯一の全能の支配者、まことの神、すべてのものの上にいます唯一の主であられます。しかも、この神は全人類を罪と死と滅びとから救い出すために、ご自身のみ子を十字架に犠牲としておささげくださるほどにわたしたちを愛された神であられるのです。わたしたちはこの神をこそ恐れ、この神にこそ従うべきです。それゆえに主イエスの弟子たちは、またわたしたちもまた、この世のいかなるものをも恐れることなく、主イエスの福音を携えて、この世へと派遣されていくのです。

 8節のエリヤは、旧約聖書列王記上17章以下に登場してくる、イスラエルの預言者活動初期のころの預言者です。紀元前9世紀半ばに北王国イスラエルで活動した預言者です。彼はカナン地方の異教の神バアルの預言者たちと戦い、イスラエルの主なる神の勝利を証ししました。彼は彼の後継者である預言者エリシャの目の前で嵐の中を天に引き上げられたと列王記下2章に書かれていることから、のちの人々は神がイスラエルの救いを完成される時にエリヤを再び地に派遣されるであろうと信じました。マラキ書3章23~24節に(これは旧約聖書の最後のページになりますが)、このように預言されています。「見よ、わたしは大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように」。新約聖書では洗礼者ヨハネが来るべきメシアに備えてこのエリヤの務めを果たしたのだと証していますが、人々はまだ主イエスがそのメシア・救い主だとは気づいていませんでしたから、もしかしたら主イエスがエリヤの再来ではないかと考えていました。

 「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と考える人もいました。主イエスの時代のイスラエルには、このような復活信仰を持つ多くの敬虔なユダヤ人がいたことが知られています。イスラエルの民は長い間苦難の歴史を歩んできましたので、その中で復活信仰は芽生えたのではないかと考えられています。迫害によって殺された預言者たちや、死に至るまで熱心な信仰を持ち続けて殉教していった信仰者を、神は決してお見捨てにはならない。ご自身の救いが完成される終わりの日には、神は彼らをよみがえらせてくださるに違いないという信仰が芽生えていったのではないかと推測されています。

 ヘロデ・アンティパスが主イエスの活動とその福音宣教の働きに戸惑いを覚えたり、当時の人々が主イエスを旧約聖書時代の預言者の再来ではないかと考えたということは、主イエスの登場とそのお働きが確かに多くの人々に大きな衝撃を与えていた、そこには何か神の偉大なみ力が働いていることを感じさせていたということを、わたしたちは確認することができます。けれども、それらは主イエスに対する正しい信仰告白ではありませんし、正しい復活信仰でもありません。彼らの主イエスに対する評価は、人々の驚きや期待ではあっても、いまだそれらは真実の信仰ではありません。主イエスこそが旧約聖書で預言されていた来るべきメシア・救い主であり、人間の罪とに完全に勝利される、十字架と復活の主であり、神の国の永遠の王であるという信仰告白には至っていません。

 わたしたちが信じ、告白しているように、主イエスは罪のない神のみ子であられたにもかかわらず、わたしたち罪びとが受けるべき神の裁きをお受けになり、苦難の道を歩まれました。父なる神のみ前で従順な僕として、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順に服従され、それによって父なる神のみ前で義と認められ、完全な罪の贖いを成し遂げられたのです。そして三日目に復活して、ご自身が罪と死とに勝利され、信じるすべての信仰者に永遠の命の保証をお与えくださったのです。これがわたしたちの復活信仰であり、これがわたしたちの救いです。わたしたちはこの福音を携えて、この世へと派遣されていくのです。

 【9節】。ここに、マタイ福音書14章2節とは別のヘロデ・アンティパスの言葉が引用されています。いずれも主イエスに対する驚きと恐れを言い表しています。洗礼者ヨハネの首をはねたという彼の過去の行為に多少の良心のとがめを感じていたのであろうと思われますが、その彼の悪と罪を気づかせているのが主イエスとその福音なのです。主イエスとその福音は、人間の中に潜んでいる罪を気づかせます。そして、わたしたちに決断を迫ります。「あなたは主イエスを何者と言うのか。主イエスはあなたにとって何者かのか。あなたは主イエスの存在とその福音を受け入れるのか、それとも拒否するのか」という決断を迫るのです。ヘロデ・アンティパスがその問いかけに真剣に答えるには、彼が今固執している権力の座から降りてこなければなりません。ただ、遠くから耳に入るうわさとして聞くのではなく、自分に語りかけられる主イエスの招きの言葉として聞かなければなりません。

 「イエスに会ってみたい」との彼の願いは、期せずして主イエスの裁判の席で実現することになります。ルカ福音書23章6節以下にその時のことが書かれています。しかし、その時にも彼は自分の権力の座から降りてはきませんでした。それゆえに、主イエスとの真実の出会いも起こりませんでした。

 「この人はいったい何者だろう」。わたしたちも常にこの問いの前に立たされています。この問いに対して信仰告白するように常に迫られています。自分が固執している自分の立場や権利、知恵や力、富や名誉のすべてを捨てて、主イエスのみ前に謙遜になり、「主よ、あなたこそが、ただあなただけが、わたしの唯一の救い主、わたしのすべてをささげてお仕えするべき唯一の主です」と告白するようにと招かれています。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちはこの世にあるさまざまなものを恐れています。それによって不安になったり、希望を失ったりします。しかしどうか、恐れるべきはただお一人、主イエス・キリストの父なる神であられるあなたのみであることを信じさせてください。その信仰によって、どのような困難な時、試練の時にも、暗く寂しい道をも、希望と喜び抱いて歩ませてください。

〇主なる神よ、重荷を負っている人、病んでいる人、孤独な人、すべてあなたの助けを必要としている人に、あなたがその近くにいてくださり、慰めと励ましを与えてくださり、必要なものを備えてくださいますように。

エス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月12日説教「ベテルでの神とヤコブの契約」

2023年2月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記35章1~15節

    フィリピの信徒への手紙1章3~11節

説教題:「ベテルでの神とヤコブの契約」

 創世記12章から始まるアブラハム、イサク、ヤコブの三世代にわたる族長時代は、紀元前1800年代から1600年代の時代を背景にしていると推測されています。彼らが活動した範囲は、アブラハムの故郷カルデアのウルはチグリス川とユーフラテス川が合流するメソポタミア地方、そこから始まって、ユーフラテス川を1000キロメートルあまり北西にさかのぼってハランへ、そして7、800キロメートル南下してカナンの地、神の約束の地、今のパレスチナへ、また時には500キロメートルほど南西に下ってエジプトの地へ、これが彼ら族長たちが活動した範囲です。

 アブラハム、イサク、ヤコブの三代の族長たちはみな同じように、東西・南北2000キロメートルほどの広い範囲を(それは日本列島全体を含むほどの広さですが)行き来し、信仰の旅路を続けていたことになります。ヘブライ人の手紙11章に書かれているように、彼らはまさに地上では旅人、寄留者であり、この世界のどこにも定住の家を持たずに、移動していました。けれども、彼らは普通の放浪の民、流浪の民のように、目的もなくさまよっていたのでは決してありませんでした。彼ら族長たちは主なる神に導かれながら、神の約束の地を受け継ぐとの約束を信じながら歩む、信仰の民でありました。

 わたしたちがきょうの礼拝で読む創世記35章のヤコブもまたアブラハム、イサクと同じように、地上では旅人・寄留者として、この地上のどこにも定住の場所を持たず、神の約束のみ言葉を信じながら、信仰の歩みを続ける民の一人であることを知らされます。35章1節にこのように書かれています。【1節】。

 ヤコブの道のりを少し振り返ってみましょう。ヤコブは父イサクと兄エサウを欺いて、兄から長男の特権を奪い取ったことで兄の怒りを買い、命をねらわれたために、はるか北のハランへと逃亡しましたが、20年後にカナンの地へ戻り、兄と和解することができました。33章18節以下に書かれているように、彼はヤボク川の近くのスコテからヨルダン川を渡り、かつて住んでいたカナンの地シケムの町に着き、その土地の一部を買い取って、二人の妻と11人の男の子どもたち、それにディナという娘と共に、その町での生活を始めました。

 シケムでのヤコブ一家の生活がどれくらい続いたのかは聖書の記述からは分かりませんが、その地の一部を購入して自分たちの家を建て、5年あるいは10年、20年は続いたのかもしれません。その土地の人々とのつながりもできて、その地で安定して生活し、定住することをもヤコブは考えていたのかもしれません。

 34章に書かれているシケムでの出来事については詳しく触れることはできませんが、その地にもとから住んでいたカナン人の男とヤコブの一人娘ディナとの間のトラブルに巻き込まれたヤコブ一家の苦悩と戦いが語られています。そして、そのトラブルが一段落した後で語られた神のみ言葉が35章1節です。「さあ、ベテルに上り、そこに神の祭壇を造り、神を礼拝しなさい」と神はお命じになるのです。つまり、「あなたが住んでいるシケムの町はあなたの定住する地でない。あなたがその地の一部を自分で購入したとしても、それが神の約束の成就なのではない。あなたはその地とその町で築いた人間関係とを捨てて、ベテルの町に行きなさい。なおも旅人・寄留者としての信仰の歩みを続けなさい」と神は言われるのです。

 ベテルはヤコブにとって非常に印象深い、忘れられない地でした。彼が初めてベテルの地を訪れたのは、兄エサウに命をねらわれ、逃げるようにして家を出て、まだ見ぬ遠いハランの地まで旅する途中に、孤独で不安な夜を過ごし、石を枕にしたのがベテルでした。28章10節以下にその時のことが語られています。その時彼は神のみ使いたちが天にまで届くはしごを上り下りしている夢を見ました。そして、神のみ声を聞きました。【28章13~15節】(46ページ)。そして、その地をベテル「神の家」と名づけたのでした。

そのベテルで主なる神を礼拝する生活を再び始めるようにとの神のみ声を、ヤコブは今また聞いたのです。シケムでの長い生活の中で、異教の民との接触や交流によって、困難なトラブルに巻き込まれ、失われつつあった旅人・寄留者としての信仰の歩みを、ヤコブはこのベテルから再開するのです。「どのような試練の中にあっても、わたしは決してあなたを見捨てない。いつでもあなたと共にいる」と約束される主なる神を信じる信仰の歩みを、ヤコブはここで取り戻すのです。

【2~7節】。シケムでの長い定住生活の中で、ヤコブ一家の信仰がカナンの異教的な偶像礼拝に変質していったということを、わたしたちここから知らされます。34章に書かれていたように、シケムの男によってヤコブの娘ディナが辱められたという父ヤコブが受けた屈辱や、その復讐としてヤコブの子どもたちがシケムの町中の人々や家畜を略奪したという恐るべき行動が、ヤコブを苦しめていたことが推測されますが、それ以上に信仰者ヤコブにとっての危機は、彼がその地で異教徒たちと共に生活したことによって、主なる神に対する純粋な信仰を失いかけていたということ、このことこそがヤコブにとっての大きな危機だったのです。

ヤコブとその一家は住み慣れたシケムの町を出て、またその町で手に入れた異教の神々の像と飾りを捨てて、ただイスラエルの主なる神だけに頼り、その神だけに服従する信仰を取り戻さなければなりません。

ベテルに新しい「エル・ベテル」という名前が付けられました。「エル」はヘブライ語の神、「ベテル」は神の家ですから、「エル・ベテル」は直訳すれば「神の家の神」あるいは「神の家の神」となります。アブラハム・イサクの神、イスラエルの神ということが強調されています。この町で、ヤコブ一家の新しい神礼拝の生活が始まるのです。神の約束のみ言葉を信じながら、地上では旅人・寄留者としての信仰生活をここで取り戻すのです。

9節からは、ヤコブの名前がイスラエルに変えられることが書かれています。【9~10節】。32章23節以下のペヌエルでの神のみ使いとの格闘のあとで、ヤコブの名前がイスラエルに変えられたことがすでに書かれていました。32章29節の説明によれば、イスラエルとは「神と闘う」あるいは「神が闘われる」という意味であると推測されます。ここでは、その名前の意味についても、なぜ名前が変更されたのかについても説明はありません。ただ、ここでも32章30節と同様に「神が彼を祝福された」と書かれています。神から新しい名前が与えられることは、神の祝福がいよいよ増し加えられたことを意味します。ヤコブはベテルの祭壇で神を礼拝するたびごとに、日々に新たに神の祝福を与えられ、日々に新しい人に造り変えられ、信仰の旅路を続けていくことになります。わたしたちに、キリスト者、クリスチャンという新しい名前が与えられたのも同様です。また、わたしたちが主の日ごとに神を礼拝する時にも、同じように日々に新たな信仰者として創造されるのです。

【11~15節】。ここにおいて、アブラハム、イサクに与えられた神の契約、いわゆるアブラハム契約がヤコブに更新されます。創世記12章からの族長物語の中で、わたしたちは何度同じこのみ言葉を聞いてきたでしょうか。ヤコブの人生の中だけでも、彼の人生の節目節目で、神はこのアブラハム契約を繰り返して語られ,更新されました。そして今また、シケムでの家族のトラブルや異教の偶像の神々の誘惑から解放されたこの時にも、神はヤコブにお語りになりました。たとえヤコブが神との契約を忘れるようなことがあっても、神は決して彼をお忘れにはなりません。神は「全能の神」であられます。たとえ人間がどれほどに不信仰であり、罪を繰り返す者であっても、神はご自身の約束のみ言葉が最終的に成就される時まで、信仰者を決してお見捨てにはなりません。

使徒パウロはフィリピの信徒への手紙1章6節でこう書いています。「あなた方の中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」わたしたちは族長時代から一気に数千年の時を経て、神の約束のみ言葉は永遠であり、神の救いのご計画が永遠であるという信仰をここで確認することができます。族長アブラハム、イサク、ヤコブに約束されたみ言葉は、主イエス・キリストによってわたしたち教会の民のために成就され、さらに終わりの日の神の国が完成される日まで永遠に続くのだということを、わたしたちは知らされるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたが天地創造の時からお始めくださった救いのみわざが終わりの日の完成に向かって前進していることをわたしたちに信じさせてください。どのような困難な時にも、試練や災いの時にも、あなたの救いのみわざがみ心にかなって続けられていくことをわたしたちに信じさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月5日説教「主キリストにあって義と認められる」

2023年2月5日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

            『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解⑲

聖 書:創世記15章1~6節

    ガラテヤの信徒への手紙2章15~21節

説教題:「主キリストにあって義と認められる」

 

 『日本キリスト教会信仰の告白』の第二段落は、「神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ、功績なしに罪を赦され、神の子とされます」と告白されています。この告白は、16世紀の宗教改革の伝統を受け継ぐわたしたちプロテスタント教会の信仰の中心であるといってよいでしょう。きょうは、「キリストにあって義と認められ」の箇所について、『信仰告白』のもとになっている聖書のみ言葉を読みながら学んでいきます。

この個所は、すぐ前の「この救いの御業を信じる人はみな」という告白と合わせて、「信仰義認」と言われる、宗教改革が強調した教理を告白しています。つまり、主イエス・キリストの十字架による救いという福音を信じる人は、その信仰によって、神に義と認められ、罪なしとされ、罪から救われるというのが、わたしたちプロテスタント教会の信仰の中心です。

「信仰義認」という教理は、宗教改革者たちが初めて発明した教理ではありません。それは旧約聖書時代から証しされ、新約聖書の中で主イエス・キリストによって成就された、聖書全体の中心的な教理、教えであり、宗教改革者たちはそれを再発見したのです。したがって、「信仰義認」について教えているみ言葉は、旧約聖書にも新約聖書にも数多く見いだすことができますが、その代表的な個所を新約聖書から挙げてみましょう。

まず、きょうの礼拝で朗読されたガラテヤの信徒への手紙2章15節以下です。【16節】(344ページ)。ローマの信徒への手紙3章21節以下もその代表的な一つです。【22~24節】(277ページ)。このほかにも「信仰義認」の教理を証しする聖句は、新約聖書に数多くあります。ヨハネによる福音書3章16節のよく知られている聖句もそれに加えることができるでしょう。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。

「信仰義認」の教えは主イエス・キリストの十字架の福音によってわたしたちに与えられた救いの恵みを言い表す教理ですが、すでに旧約聖書の中にも暗示され、約束されています。創世記15章のアブラハムの信仰について、6節ではこのように書かれています。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。また、パウロがローマの信徒への手紙1章17節で引用したハバクク書2章4節には、『口語訳聖書』の翻訳では、「義人はその信仰によって生きる」と書かれています。

以上のように、旧約聖書・新約聖書の主な個所を一読しただけでも、「信仰義認」という教理が間違いなく確かな聖書の教えであり、しかも中心的な教えであることが明らかです。しかし、この教理は中世のローマカットリック教会では見失われていました。16世紀の宗教改革がそれを再発見したのです。

M・ルターから始まった宗教改革を特徴づける標語が3つあります。一つは「聖書のみ」、二つは「信仰のみ」、三つは「万人祭司」。この2番目の「信仰のみ」とは、別の側面から言えば「神の恵みのみ」ということですが、わたしたち人間はすべて生まれながらにして罪びとであり、だれも自分で自分を救うことができず、ただ主・イエスキリストの十字架の福音を信じる信仰によってのみ、すなわち、主イエスがわたしのために十字架で死んでくださり、ご自身の尊い命をわたしの罪の贖いの供え物としておささげくださった、その福音をわたしが信じることにより、ただその信仰によってのみ、神から一方的に差し出される恵みによって、わたしは神のみ前で義とされ、罪ゆるされた者とされ、救われるという、「信仰義認」の教理、それが「信仰のみ」「神の恵みのみ」です。

宗教改革者ルターが「信仰のみ」「神の恵みのみ」を強調したのは、当時のローマカトリック教会が、人が救われるには信仰だけでなく、人間の愛の業も必要だという考えに基づいて、免償符なるものを発買し(これは一般的には免罪符と言われますが)、救いをお金で買い取ることができるような安っぽいものにしてしまった、そのような堕落した教会を改革するために、改めて聖書を読み返した結果、聖書から再発見した真理、それが「信仰のみ」によって救われるという、「信仰義認」の教理だったのです。

先ほど読んだガラテヤの信徒への手紙2章16節では、「ただイエス・キリストを信じる信仰によって義とされる」とあり、「ただ」という言葉が用いられていますが、この個所を直訳すると、「イエス・キリストを信じる信仰による以外によっては、人は義とされない」という文章であり、イエス・キリストを信じる信仰がここでは強調されているので、日本語訳では「ただ」という言葉を補って「ただイエス・キリストを信じる信仰によって」と翻訳しています。

では、聖書が書かれた時代、パウロが「信仰のみ」という言葉で強調しなければならなかった、彼が対決していた相手、つまり誤った理解とはどのようなものだったのでしょうか。ガラテヤの信徒への手紙2章16節では、「律法の実行によってではなく」という言葉が3回も繰り返されていることからも明らかなように、それは、ユダヤ教の律法主義者たちであり、また彼らに影響されて教会内にも律法主義的信仰を持ち込もうとしていた偽りの教師たちでした。彼らは主イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰だけでなく、旧約聖書の律法の行いもまた救いには必要だと教えていました。

それに対してパウロは、旧約聖書の中にすでにアブラハムの信仰による義認が書かれており、またハバクク書にはわざによってではなく、「信仰によって義人は生きる」と書かれていることを取り上げながら、だれも律法を行うことによっては神のみ前で義とされることはない、いや、そもそも、だれも神の律法を完全に実行できない罪びとなのだということを強調したのです。それゆえに、わたしたち罪びとである人間は自らの中に救いの可能性を全く持っていない。ただ、神の裁きと滅びにしか値しない者なのだ。しかし、そうでありながら、そのようなわたしたち罪びとたちのために、ご自身がわたしたちの罪を代わって負われ、罪と戦って苦しまれ、わたしたちに代わって父なる神の裁きをお受けになった神のみ子、主イエス・キリストの十字架の死と、その死に至るまでの完全な従順によって、神に義とされた主キリストの義のゆえに、その主イエス・キリストの十字架の福音を信じる者を、神は義と認め、その罪をゆるされ、救われるのだということをパウロは語ったのです。

パウロのこのような正しい信仰を守るための戦いは、16世紀の宗教改革者たちの戦いでもありました。では、宗教改革の際に再発見され、また日本キリスト教会の特色でもある「信仰義認」という教理は、どのように理解され、信じられるべきなのかということを、さらに具体的に学んでいくことにしましょう。

「義」という言葉は 元来法廷用語であったと考えられています。罪ありとして法廷に訴えられ、裁判を受けた被告人に対して、裁判官が「あなたには罪がない、義である、正しい」と、無罪を宣告することを意味しています。

その言葉が、旧約聖書と新約聖書の中で用いられるようになって、新たな意味がつけ加えられました。その一つは、義はこの世の法廷ではなく、神の法廷での神の判決であるということ、もう一つは、神との関係において、神のみ前で義である、正しいという意味です。義とは関係概念であるとも言われます。神の義と言えば、神ご自身が義なるお方である、正しい公平な方であると同時に、神はご自身がお選びになったイスラエルの民と義なる関係を築いてくださるという意味があります。

ローマの信徒への手紙3章25~26節、先ほど読んだ続きの箇所ですが、そこには神の義のこのような二つの側面が語られています。【25~26節】(277ページ)。神はご自身が義なる正しい裁き主であるにもかかわらず、わたしたち罪びとが受けるべき当然の有罪判決を下されるのではなく、ご自身のみ子であられる主イエス・キリストをわたしたちの罪を償う供え物としておささげくださることによって、わたしたちの罪をおゆるしくださいました。ご自身の独り子さえも惜しまれずにわたしたちの罪を贖うために十字架の死におささげくださった神の大きな愛、それによってわたしたちの罪を無条件でゆるし、わたしたちを無罪としてくださることによって、神はご自身の義をお示しくださったのです。そして、この主イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰者を義としてくださるのです。

もう一人の宗教改革者であるカルヴァンは、義認ということを別の言葉で言い表しています。「キリストの義を(衣服を着るように)わたしの上に着る」とか「キリストの義がわたしたちのものであるかのごとくに、わたしたちに帰せられる」、あるいは「キリストの義が、価なしに、わたしたちの義に転嫁される」とカルヴァンは言います。これらは、パウロが聖書の中で「キリストにあって」と言い表していたことの具体的な説明と言ってよいでしょう。

主キリストにあって義とされるとは、主イエス・キリストご自身が十字架の死で成就された義を、主キリストご自身の義を、わたしに着せられるということ、すなわちわたしの罪という存在の上に主キリストの義の衣が着せられ、それによってわたしの罪が覆い隠され、わたしの中には義のひとかけらもないのに、主イエス・キリストの十字架と復活によってかち取られた義を、あたかもわたしのものであるかのようにみなしてくださる。主キリストが父なる神に対して成し遂げられた義をあたかもわたしのものであるかのように、わたしに転嫁される、そのことを信じるときに、その信仰によってわたしたちは神のみ前に義と認められ、罪ゆるされ、救われるのです。主キリストご自身の義がわたしに無償で贈与され、主キリストの義がわたしの義に数えられる、そのことを信じ、感謝と喜びとをもって受け入れる、それが「信仰義認」です。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、義であり真実であられるあなたのみ前では、死と滅びにしか値しない罪多いわたしたちを、あなたのみ子の十字架の御血潮によって、罪を贖い、あなたの愛と憐みによって義としてくださいました恵みと幸いを心から感謝いたします。願わくは、わたしたちが絶えずあなたのみ言葉に聞き従い、あなたがお示しくださる信仰の道を迷うことなく歩むことができますようにお導きください。あなたが天に備えておられる、朽ちず、汚れず、しぼむことのない財産を受け継ぐものとしてください。

○あなたが主キリストの御体としてお建てくださったこの教会を顧みてください。多くの欠けや弱さを持っている貧しい群ですが、あなたがここに集められている一人一人を豊かに祝福し、その信仰を強め、導いてください。

○また、あなたによって創造されたこの世界を顧みてください。争いや分断、貧困や病、不安や恐れの中にあって苦しんでいるすべての人々を慰め、励まし、真実の救いをお与えくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。