2026年4月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記15章1~21節
マルコによる福音書4章35~41節
説教題:「葦の海の奇跡を行われた神の威光を賛美する歌」
エジプトの奴隷の家を脱出したイスラエルの民は、約束の地カナンへ通じる道ではなく、荒れ野、砂漠地帯へと至る道に導かれました。それはイスラエルの民を選ばれ、この民を愛された主なる神の深いみ心によることでした。神は約束の地カナンでイスラエルの民が神によって選ばれ、救われた民として、いついかなる時にも、ただ主なる神だけを礼拝し、主なる神の言葉にのみ聞き従う民として生きていくための信仰の訓練をするために、何もない荒れ野でただ神だけを頼りにして生きることを学ばせたのです。神は愛する者たちを訓練するために、時に困難や試練を与え、その中でも主なる神を疑わず、主なる神の導きを信じて、すべての困難に耐え抜く信仰を養われるのです。
荒れ野へと出ていく前に、彼らにはもう一つの信仰の試練と訓練が与えられました。エジプト軍が大勢の戦車隊を率いて彼らの後を追ってきたのです。行く手には海が彼らの逃げ道をふさいでいます。軍隊も武器も持たないイスラエルの民にはなすすべがありません。でも、そのような絶体絶命の危機の時でも、神はイスラエルの民をお見捨てにはなりませんでした。彼らはなおも主なる神を信じる信仰によって、エジプトの王ファラオとその大軍とに勝利することができるという奇跡を経験しました。モーセが杖を高く挙げると、海は二つに分かれ、乾いた地が現われ、イスラエルの民はその道を安全に渡ることができ、彼らが渡り終えてから再びモーセが手を差し伸べると、海の水がもとに戻り、そこを渡っていたエジプト軍はみな海の中にのみ込まれてしまったのでした。
これを一般には紅海の奇跡と呼びますが、ヘブライ語原典では葦の海となっていますので、『新共同訳聖書』ではその翻訳を採用しています。
出エジプト記15章にはその葦の海の奇跡を歌った二つの歌が記されています。1節から19節は、モーセとイスラエルの民が歌った歌、20節から21には、モーセの兄弟であるアロンの姉、ミリアムの歌です。
先に、ミリアムの歌の方を見ていきましょう。ここには、古代の慣習が反映されていると考えられています。古代社会では、男たちが戦いから帰ってくると、家で待っていた女性たちが太鼓やタンバリンを持って帰還する兵士たちを勝利の歌で出迎えたといいます。
このミリアムの歌はわずか1節だけです。【21節】。モーセの歌の15章1節とほぼ同じです。【1節】。モーセの歌では「わたしは歌おう」と1人称単数ですが、ミリアムの歌では「あなたがたは歌え」と2人称複数の命令形になっています。モーセは自分が今経験し、見た、驚くべき神の奇跡を、わたしの神賛美として、わたしの信仰告白として歌っています。ミリアムの歌では、共に集まっている礼拝者が一緒になって神賛美を歌い、信仰告白へと参加するように招いています。
ここには、神を賛美する讃美歌と、神への信仰の内容を告白する信仰告白が持っている二つの特徴があるように思います。すなわち、わたしたちが礼拝で讃美歌を歌い、また信仰告白を唱和することには、この二つの意味、役割があるということです。一つは、わたしの神賛美の歌を歌い、わたしの信仰を告白するということ、もう一つには、礼拝者一同が共にその賛美によって一つの群れとされ、その信仰告白によって、一つの信仰告白共同体とされるということ、この二つを常に意識してわたしたちは礼拝で讃美歌を歌い、また信仰告白を唱和するのです。
では次に、モーセの歌の内容について学んでいきましょう。1節の「主は大いなる威光を現わし」と訳されている個所は、もとのヘブライ語を直訳すれば、「高々と高くなった」という意味で、「高い」という同じ意味の言葉が重ねられ、その高さが強調されています。いろんな翻訳が可能で、『口語訳聖書』は「輝かしくも勝利を得られた」と訳していました。これは、葦の海の奇跡で神がなし遂げられたエジプト軍に対する勝利のみわざを、具体的に表現した翻訳と言えますし、『新共同訳聖書』はそのような奇跡のみわざをなされた神の本質をとらえて、「大いなる威光を現わし」と訳したと思われます。最も新しい翻訳である『聖書協会共同訳』(2018年)では、「なんと偉大で、高く上げられる方」と訳しています。
わたしたちはここで、創世記11章に書かれている「バベルの塔」の物語を思い起こします。古代の人々が発達した文明を誇り、レンガを高く積み上げて天にまで高く昇れば、自ら神のようになれると思ったとき、神は天からそれを見降ろされ、ご自身が天から降りてこられ、人間が積み上げた高い塔を崩され、人々を地に散らされたという物語です。人間がどんなに努力しても到達できない、はるかに高い天に神はおられるのです。そのように、神はすべてにおいて人間よりもはるかに高い所におられるのです。その力においても、その偉大さにおいても、その愛と恵みの大きさにおいても、その知恵においても、その栄光と誉れにおいても、神は人間のはるかに高いところにおられます。もちろん、エジプト王ファラオの権力やエジプト軍の破壊力や、また彼らの知恵よりも、神はすべてにおいて、はるかに高く、偉大であり、栄光に満ち、彼らのすべてのたくらみに対して勝利されるのです。
2節以下には、神の特徴とそのお働きを意味する言葉である「力」「救い」「いくさびと」などの言葉が繰り返されています。6節には「あなたの右の手」、また7節には「大いなる威光」「あなたの怒り」、10節には「あなたの息」、11節では「聖」と「輝き」「ほむべき御業、くすしき御業」などの言葉が続きます。これらのすべての言葉が、イスラエルを救われた主なる神にこそ最もふさわしいものです。しかも、それらのすべてにおいて、神はエジプト王ファラオやエジプトの軍隊、そしてすべての人間よりもはるかに高く、強く、偉大であり、また永遠なるお方なのです。神はその偉大なるみ力によって、葦の海を二つに分けてイスラエルの民を安全に渡らせ、後を追ってきたエジプト軍の全部隊を、再び戻ってきた海の水の奥底へと沈めたのです。
イスラエルの民は葦の海の奇跡によって、このような神の偉大な救いのみわざを体験しました。これから先、彼らは40年もの長い荒れ野での旅を続けなければなりませんが、神は常に変わらずそのような高きにいます偉大な神であり続けられ、イスラエルの民に必要なものすべてを備えてくださるで神であり続け、困難な道のすべてを終わりまで導いてくださり、約束の地カナンへと彼らを導き入れてくださるという、確かな約束を、彼らはこの葦の海の奇跡で受け取ることができたのです。そして、モーセはこの歌によって、その信仰を告白しているのです。
わたしたちが信じ、礼拝している主イエス・キリストの父なる神は、ここでモーセが賛美しているイスラエルの神と同じ神です。わたしたちにとっても、わたしのすべての魂と心と思いとを尽くして賛美すべき神は、この神以外にはありません。わたしたち人間よりもはるかに高きところにおられ、はるかに大いなる力と威光とを持っておられ、はるかに強い、いくさ人として、わたしのために、わたしに代わって、すべての敵と戦ってくださり、ついにはすべての罪と悪とに勝利される神を、わたしたちもまた共に賛美し、ほめ称え、またこの神に信仰を告白するようにと招かれています。わたしたちもまた、「あなたがたは主に向かって歌え」とのミリアムの呼びかけに応えて、また、「主に向かってわたしは歌おう」とのモーセと声を合わせて、イスラエルの主なる神、主イエス・キリストの父なる神、いと高き天におられる神に向かって、賛美の歌を歌い続けるのです。
11節からの歌の後半では、葦の海の奇跡を行われた神とはどのような神であるのかがより具体的に、歌われています。【11~13節】。11節の「神々の中に」とあるのは、主なる神以外に他の神々の存在を認めている、いわゆる多神教の考えを肯定しているような表現に聞こえるかもしれませんが、内容的には必ずしもそうではなく、「誰があるでしょうか」とは、「いや、だれもいない。どのような神も存在しない」という意味であり、「聖」という言葉も、他のものから区別するという意味を持ちますから、イスラエルの主なる神だけが聖なるまことの神であり、他のすべてのものは、神々と呼ばれることがあったとしても、それはまことの神ではなく、偶像に過ぎないということが言われています。
13節は、神がイスラエルの民をエジプトの奴隷の家から、子羊の血によって贖われたことを告白しています。「慈しみ」というヘブライ語は「ヘセド」という発音ですが、旧約聖書の至る箇所に頻繁に出てくる重要な言葉ですから、覚えておいてください。多くは「慈しみ」と訳されます。慈しみ、ヘセドとは、神とイスラエル、また神と人間との契約に基づく、永遠に変わらない神の愛を意味する言葉であると言われます。この神の慈しみは、み子主イエス・キリストをこの世に派遣され、み子の十字架の死と復活によって全人類の救いのみわざをなし遂げてくださるまで、変わりませんでした。また、世の終わりのみ国の完成に至るまでも変わりません。
13節の「聖なる住まい」とは、約束の地カナンを指すと考えられます。14節以下のペリシテ、エドム、モアブなどは約束の地カナンにもともと住んでいた民族を指しますから、ここではすでにイスラエルの民が約束の地に到着することが暗示されていると言えます。葦の海の奇跡は、荒れ野の40年間の旅を安全に守り導かれるという神の保証であるだけでなく、カナンの地を与えるという神の約束の保証でもあったのです。
最後に、紅海の奇跡の出来事は、旧約聖書においても新約聖書においても、イスラエルの出エジプトと並んで大きな出来事として、何度も繰り返して思い起こされ、歌われ、告白されてきました。その一部を読んでみましょう。最初は、【申命記11章4節】(298ページ)。次に【詩編136編13~15節】(977ページ)。新約聖書では【ヘブライ人への手紙11章29節】(356ページ)。出エジプトと紅海の奇跡を行われた主なる神、そして主イエス・キリストによって全人類の救いをなし遂げてくださった父なる神を、わたしたちは永遠にほめ歌い、告白していきましょう。
(執り成しの祈り)
〇天の父なる神よ、あなたの慈しみは永遠であり、すべての人間たちの思いや行いをはるかに超えて、あなたはその救いのみわざを実現されます。わたしたちは唯一の主なる神であるあなたを誉め歌い、告白します。どうぞ、今この世界にあっても、あなたのみ心が行われますように。
〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。
