4月21日説教「聖書はイエス・キリストを証しする」

2024年4月21日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(32)

聖 書:イザヤ書42章1~9節

    ルカによる福音書24章44~49節

説教題:「聖書はイエス・キリストを証しする」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の3段落目、「旧・新約聖書は神の言(ことば)であり、その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です」。きょうはこの中の「主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し」という箇所について、聖書のみ言葉から学んでいきます。

 まず、この文章の主語は何かを、改めて確認しておきましょう。「主イエス・キリストを顕らかに示し」の主語は、すぐ前の「聖霊」ですが、その聖霊は「その中で」、すなわち「旧・新約聖書の中で」語っておられると、いう具合に、順に前の方につながっていく文章になっています。一般的には、「旧・新約聖書はイエス・キリストを顕らかに示している」と告白されるべきところを、「旧・新約聖書の中で語っておられる聖霊なる神が、主イエス・キリストを顕かに示している、あるいは証ししている」という告白になっていることが分ります。このように、聖書に書かれている神の言葉と聖霊なる神のお働きとが固く結び合わされているという点が、わたしたちの『信仰告白』の大きな特色です。

 前回も学んだように、聖書の第一の著者は聖霊なる神です。聖霊なる神が、旧約聖書時代の預言者や信仰者たちをお用いになって、また新約聖書の福音書記者たちや使徒たちをお用いになって、彼らの筆によって聖書が書き記されたのです。そして、聖霊なる神は今もなお、書かれた聖書の言葉によって、わたしたちに語りかけておられるのです。それゆえに、わたしたちが聖書を読む場合には、聖霊なる神のお導きによらなければ、聖書を正しく理解することはできず、聖書が与える救いの恵みを正しく受け取ることができないということです。聖書の正しい理解者は聖霊であり、またその聖書の言葉によってわたしたち一人一人に信仰を与え、救いの恵みを与えるのも聖霊なる神です。

 次に、「顕らかに示し」という言葉についてですが、1953年制定のいわゆる「文語文」では、「主イエス・キリストを顕示し」となっていましたが、2007年に制定された「口語文」では、漢字をそのまま用いて「顕(あき)らかに示し」と読ませています。この「顕示する」という言葉は、1890年(明治23年)の『(旧)日本基督教会信仰の告白』で用いられていました。ただ、その場所は、今の『信仰告白』のように「聖書論」の中ではなく、一段落前の「聖霊論」の箇所で、「父と子と共に崇められ、礼拝せられる聖霊は我等が魂にイエス・キリストを顕示す」と告白されていました。「聖霊がわたしたちに主イエス・キリストを顕示する」と言われていたのが、今の『信仰告白』では、「聖書が、そこで語っておられる聖霊によって、主イエス・キリストをわたしたちに顕示する」というように変更され、「聖書論」の中で、聖書と聖霊と主イエス・キリストとを結びつけて理解すべきことを強調しています。日本キリスト教会の特徴がより明確にされていると言えます。

 「顕示する」とは、明らかに、はっきりと示す、疑いの余地がないほどに明確に表わすという意味ですが、1890年の『(旧)信仰告白』で最初に用いられましたが、なぜこの言葉が用いられたのかについては分かっていません。わたしたちの教会の大先輩である林三喜雄先生によると、「顕示するとは、教示または指示ではない。人格的顕現である。主イエス・キリストは聖霊においていまここに現在し、活ける主として、聖書をとおして語りかけ給うのである」と解説しています。

 『日本キリスト教会小信仰問答 1964年版』の第5問では、「聖書とは何ですか」という問いの答えとして、「聖書は旧約聖書・新約聖書66巻からなっていて、預言者や使徒たちが聖霊に導かれて書いたものです。それはイエス・キリストを証しし、わたしたちの信仰と生活との誤りのない基準です」と教えています。ここでは、「証しする」という言葉が用いられています。顕示する、証しする、あるいは啓示する、いずれの言葉でも大差はないと思います。重要な点は、わたしたちが何度も確認したように、また林三喜雄先生が強調しておられたように、聖書のみ言葉が生ける、また命と力とを持つ神のみ言葉として、今ここでわたしたちに語りかけられ、またわたしたちに救いの恵みを与える、そのような命と救いのみ言葉として、わたしたちが聞き、信じ、受け入れることができるように、聖霊なる神が働いてくださるのだということです。

 それでは次に、旧約聖書と新約聖書が主イエス・キリストを顕示する、証しするという、『信仰告白』の中心部について学ぶことにしましょう。

 新約聖書が主イエス・キリストを顕示する、証しするということについては改めて説明を必要としないでしょうが、旧約聖書の中にはイエス・キリストというお名前が一度も書かれていないのに、なぜそのように告白されるのでしょうか。

きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書24章44節以下で、復活された主イエスが弟子たちにお姿を現されてこのように言われました。【44~47節】(161ページ)。「モーセの律法」とは旧約聖書の最初の5つの書を指しています。それに「預言者の書と詩編」で、旧約聖書全体を言い表わしています。つまり、旧約聖書はその全体が、「わたしについて」すなわち主イエス・キリストについて書いている。主イエスのご受難と十字架の死と三日目の復活、そして悔い改めと罪のゆるしの福音が全世界へと宣べ伝えられることが書かれている、そのように主イエスご自身が言われました。また、ヨハネ福音書5章39節でも、主イエスはこのように言われました。「あなたたちは聖書の中に(旧約聖書の中に)永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しするものだ」と。そのほかにも、主イエスご自身が「旧約聖書はわたしについて書いてある、わたしのことを預言している」と語られている箇所がいくつもあります。旧約聖書は創世記の最初の1ページから最後のマラキ書まで、全39巻、その全ページが主イエス・キリストを証している、主イエス・キリストの到来を預言している、来るべきメシア・救い主である主イエスを待望しているということを、主イエスご自身が何度もお語りになりました。

 創世記1章で神が天地万物と人間を創造されたその時から、神はこの世界を救うために主イエス・キリストをこの世界にお遣わしになるご計画を始めておられたのです。最初の人アダムとエヴァが罪を犯したその時から、神の救いのみわざは始められていました。アブラハム、イサク、ヤコブの族長時代、モーセ、ダビデなどの旧約聖書の信仰者たちは、やがて来たりたもうメシア・キリスト・救い主を待ち望んでいました。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言者たちは、永遠の王、まことの預言者、唯一の大祭司である、油注がれた者、メシア・キリストの到来を預言しました。

 その預言の一つ、イザヤ書53章3節以下を読んでみましょう。「苦難の主の僕(しもべ)」と言われる箇所です。【3~10節】(1149ページ)。この預言はまさしく新約聖書の福音書が語っている主イエスの十字架のお苦しみのことであり、その主イエスの十字架によってなし遂げられた罪の贖いとゆるしの福音のことです。預言者イザヤは主イエスが誕生されるおよそ700年以上も前に、神の永遠の救いのご計画を知らされ、この預言をしたのです。他の預言者たち、旧約聖書の信仰者たちもまた同様です。

旧約聖書は、このようにして、預言というかたちで、また待望というかたちで、来るべきメシア・キリスト・救い主であられる主イエス・キリストを顕示し、証ししています。わたしたちが聖霊なる神のお導きによって旧約聖書を読むとき、そこでわたしたちの救い主であられる主イエス・キリストと出会うのです。

次に、新約聖書は4つの福音書、使徒言行録、パウロの書簡、その他の書簡、そして最後のヨハネの黙示録まで、全27巻。主イエスの誕生から、そのご生涯、ご受難、十字架の死、葬り、三日目の復活、40日目の昇天、聖霊降臨と教会の誕生、初代教会の発展、そして主イエス・キリストの再臨の時、終末の神の国完成の時に至るまでのことが描かれています。主イエス・キリストが新約聖書全体の主人公、中心人物、また主語であられる、新約聖書全体が主イエス・キリストを顕示し、証ししているということは全く疑う余地はありません。

しかし、もちろんそこで聖霊なる神のお働きがなければ、だれも本当の意味で主イエスを知ることはできませんし、主イエスとの生ける出会いを経験することもできません。主イエス・キリストから差し出されている救いの恵みを受け取ることもできません。新約聖書のみ言葉をとおして働かれる聖霊なる神のお働きによって、主イエスのお苦しみがわたしの罪のためであったことを、主イエスの十字架の死によってわたしの罪が贖われていることを、そして主イエスの復活によってわたしに復活の命が約束されていることを、わたしが信じる信仰へと招き入れられていることを知らされるのです。

主イエス・キリストを顕示し、証しする旧約聖書と新約聖書との関係について、いま一度まとめておきましょう。旧約聖書は主イエス・キリストを預言し、その到来を待望する書、また主イエス・キリストによる救いの完成を待望しながら歩んだイスラエルの民の信仰の書であり、新約聖書は主イエス・キリストの到来によって成就された救いと、その救いに生きた教会の民の信仰の書であると言えます。わたしたちは旧約聖書においても新約聖書においても、聖霊によって聖書を読む時に、そこで主イエス・キリストと出合うのです。わたしたちの信仰の創始者であり、また完成者であられる主イエス・キリストが、聖書のみ言葉と聖霊によって、常にわたしたちと共にいてくださり、わたしが健やかな時も、わたしが病める時も、そしてわたしの死の時にも、常にわたしと共におられ、終わりの日までわたしをお導きくださることを信じるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちが朽ちるこの世のパンによって生きるのではなく、あなたの生けるみ言葉によって真実に生きる者となりますように。聖書のみ言葉がわたしの命の糧となり、苦難の時の希望の光となり、死の時の慰めの言葉となりますように。

○全能の父なる神よ、この世界にまことの平和をお与えください。憎しみや復讐ではなく、愛とゆるしをお与えください。飢え乾いている人たちに食糧を、家を失っている人たちにテントと毛布を、傷ついている人たちに適切な医療を、孤独な人たちに共に歩む友人を、重荷を負う人たちに主キリストの愛をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月14日説教「バルナバとパウロの出会い」

2024年4月14日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

              秋田教会建設記念礼拝

聖 書:ヨシュア記1章1~9節

    使徒言行録11章19~26節

説教題:「バルナバとパウロの出会い」

 秋田教会は1934年(昭和9年)4月15日(日)に自給独立の教会となり、秋田教会建設式を執行しました。今年は教会建設90周年になります。その前の年度の教勢は、教会員数77人、現住陪餐会員数36人、礼拝出席者数22人でした。1892年(明治25年)に秋田講義所を開設し、宣教活動を開始してから、秋田伝道教会時代を経て40数年間、主にアメリカ・ドイツ改革派教会ミッションからの人的・経済的な支援を受けてきましたが、この時からは外国ミッションの経済的援助から自立することになり、長老4人を選挙し、独立教会としての歩みを開始しました。当時の会計関係の記録を見ると、外国ミッションからの補助は通常会計の70~80パーセントを占めていましたから、それがなくなるということは、会計運営上はかなり厳しかったことが推測されます。けれども、教会は自給独立の決断をし、自分たちの教会を自分たちのささげものによって支える決断をしたのでした。そして、間もなく始まった戦争の困難な時代をも乗り越えてきたのでした。

 自給独立の決議をしたのは教会総会で牧師と教会員の決断によるものですが、それを導き、支えられたのは、教会の頭であられる主イエス・キリストであり、すべての信仰者の志と決断を良しとしてくださる父なる神ご自身であったのは言うまでもないことです。神はこの弱く小さな群れを、多くの欠けや破れがあったにもかかわらず、深い憐みをもって今日まで導いてくださいました。その時その時に、必要なものを備えてくださり、良き働き人、良き奉仕者を起こしてくださり、新しい教会員をお加えくださいました。主なる神はこれからのちも変わることなく、この群れを憐み、恵み、祝福してくださることを、わたしたちは固く信じ、秋田教会の歩みを続けていきたいと願います。

 さて、使徒言行録を続けて読んできたわたしたちは、11章19節から初代教会の新たな展開が始まったことを前回確認しました。それは、アンティオキア教会の誕生と異邦人伝道が組織的、積極的に展開されるようになったことです。アンティオキア教会はユダヤ人と異邦人の両方から形成される教会でしたが、この両者が同じ一つの群れ、一つの教会を形成することによって、神が最初ユダヤ人をお選びになって始められた救いのみわざが、今やユダヤ人以外の異邦人にも及び、全人類を救われるという神の救いのご計画が最終目的に達したのです。さらに、その全人類のための神の救いのご計画が、このアンティオキア教会を拠点として、これから展開されていくことになるのです。

 【22節】。エルサレム教会は世界最初の教会であり、初代教会時代にあっては、そののちに誕生したすべての教会にとっての母なる教会という存在でした。8章でサマリヤ教会が誕生した時には、エルサレム教会からペトロとヨハネがサマリヤに派遣されました。11章では、カイサリアの異邦人コルネリウス一族が集団で洗礼を受けた時には、ペトロ自身がエルサレム教会にそのことを報告しています。すべての教会は母なるエルサレム教会に連なっており、その信仰を受け継いでいることが確認されています。そして、さらにその源流をたどれば、このエルサレムで主イエスが苦しみを受けられ、十字架で死なれ、三日目に復活され、40日目に天に昇られたという主イエス・キリストの福音の原点が、すべての教会の信仰の原点が、ここにあるということになります。

 今回、アンティオキア教会に遣わされたのはバルナバでした。バルナバは4章36節で「慰めの子」として紹介されていました。また、9章27節では、キリスト教会の迫害者であったパウロが回心してキリスト者になったあと、パウロを迫害者と恐れていたエルサレム教会の使徒たちにパウロを紹介し、両者を引き合わせたのもバルナバでした。彼の名はバルナバ、その意味は「慰めの子」にふさわしく、多くの人々に神からの慰めを与える人物でした。彼が選ばれてエルサレム教会から派遣された理由は、彼の出身地がアンティオキアに近い地中海の島、キプロス島だったからであろうと推測されますが、それ以上に深い神のみ心があったということを、わたしたちはあとになって25節以下で知らされます。

 【23~24節】。バルナバは誕生したばかりのアンティオキア教会に神の恵みが満ちあふれているのを見ました。喜びに満ちあふれているのを見ました。異邦人伝道の実りは、神の豊かな恵みの実現であり、神の救いのご計画の成就でした。最初にアンティオキアの町で異邦人伝道を始めた、20節に書かれていた何人かのキプロス島やキレネ出身のギリシャ語を話すキリスト者たちの、熱心な信仰と大きな勇気は、称賛に値するものでしたが、彼らはこの神の救いのご計画のために仕えたのでした。

 バルナバはここでもその名にふさわしく、慰めに満ちた人として行動しているのが分かります。彼はエルサレム教会から派遣されて、新しく誕生した教会が正しく主イエスの福音を継承しているかどうか、また健全な教会形成をしているかどうかを、監視し、指導する務めを帯びていました。特に、ユダヤ人と異邦人とが共存する教会で、律法をどう守るかとか、ユダ人の宗教的慣習をどう受け継ぐかとか、初代教会で大きな問題となっていたそれらの諸問題におそらくは直面していたと思われますが、バルナバはそれらの初代教会が抱えていた諸課題をはるかにまさった、神の豊かな恵みをアンティオキア教会に見ていたのでした。そしてそれは、全く正しい見方であり、開かれた信仰の目を持ち、また神からの慰めに満ちた心を持ったバルナバの対応であったと言えます。

 バルナバは、アンティオキア教会の誕生を、またその教会の歩みを、人間のわざとして見たのではありませんでした。また、律法のわざでもなく、神の恵みのみわざとして見たのです。主イエス・キリストの福音によって、その福音を信じる信仰によってすべての人が救われるという、神の救いのみわざの成就を見たのでした。主イエス・キリストの福音による新しい契約の民の誕生を見たのでした。それこそが、教会を正しく見る目です。

確かに、さまざまな問題点や欠けが教会にはあるでしょう。誕生して間もない教会にとってはなおさらそうです。バルナバにはエルサレム教会から派遣された監督官として、それを指摘したり、正したりする務めがあったでしょう。けれども、彼はそれ以上に、誕生したばかりの教会に神からの慰めと希望とを与える務めを強く自覚していたのでした。アンティオキアの町は大きな港町でした。全世界のあらゆる文化と宗教が入り混じっていました。そのような中で、キリスト教の信仰を保ち続けるには厳しい信仰の戦いが必要です。主イエス・キリストから引き離そうとするさまざまな誘惑に抵抗し、主の福音の上に堅く立ち続けるようにと、バルナバは教会員を励ましたのです。バルナバはアンティオキア教会を視察し、指導するの務めを終えても、エルサレムに帰ろうとはしませんでした。彼はこの教会での新たな働きの場を見いだしたようです。この教会に増し加えられた教会員の教育と、さらなる前進のために、バルナバは共に働く同労者を必要としていました。

【25~26節】。バルナバが同労者としてパウロを選んだのは、9章27節に書かれてあったように、かつてパウロとエルサレム教会の指導者たちとを引き合わせる仲介役をした経験があったからだと思われます。また、バルナバはパウロが回心直後にダマスコで主イエスを力強く語り伝えていたのを見ており、パウロの確かな信仰とその優れた賜物を見ぬいていたからであったと思われます。しかし、それ以上に大きな理由があるのをわたしたちは見落としてはなりません。

パウロが復活の主イエスとの衝撃的な出会いをして目が見えなくなった時に、彼の目を見えるようにするために遣わされたアナニアに対して神が言われたみ言葉を思い起こすのです。【9章15~16節】(230ページ)。パウロが異邦人伝道のために用いられることは、彼がキリスト者となったその時から主なる神ご自身がお決めになっておられたことであり、その神のご計画がここでバルナバの決断によって成就したのです。人間たちの思いや計画、努力、それらのすべてをお用いになって、あるいは、ときにはそれらをはるかに超えて、最も良き道を備え、最も良き実りをお与えくださるのは、主なる神ご自身です。

バルナバはパウロを探すためにアンティオキアから小アジア・キリキア州のタルソスまでの400キロメートル近くの道をでかけて行きました。タルソスはパウロの生まれ故郷でした。エルサレムでユダヤ人から命をねらわれていたパウロはカイサリアに逃れ、そこからタルソスに行ったと9章30節に書かれていました。そののち、パウロがタルソスでどのような働きをしていたのかについては。聖書は何も記録していませんが、バルナバの誘いにパウロはすぐに応じて、アンティオキア教会に移り、そこで一年間バルナバとパウロはその教会で共に仕えました。

「丸一年間」と期間を区切ってあるのは、1年後にはバルナバとパウロは新しい務めを託されることになるからです。それについては13章1節から書かれています。この二人は、アンティオキア教会の祈りと支援とによって、第一回世界伝道旅行へと旅立つことになるからです。神はまことにふさわしい時に、ふさわしい人と人とを出会わせ、新しい偉大なる務めを共に担う同労者として、主の教会のために選んでくださるのです。一人ではおそらくしり込みをして、うまくなしえなかったであろう務めをも、良き同労者を与えられて、幾倍もの力を与えられ、主の教会のために仕えることが許されたという事例を、わたしたちもまたそれぞれの教会の歴史の中で数多く見いだすことができるでしょう。それは、教会を建てられ、導かれる主なる神の奇しきみわざです。

アンティオケア教会で主イエス・キリストを信じる弟子たちが初めて「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。クリスチャンとは、キリスト党、あるいはキリストに属す者という意味を持っています。この呼び名は初めは教会の外からつけられたものでした。「呼ばれるようになった」という受動態がそのことを示しています。アンティオキアの町の人々は教会の信者たちを見て、彼らがいつも主キリストだけを仰ぎ、いつも主キリストのことだけを話し、この世の政治政党には属さず、社会的なグループにも入らず、他の神々を礼拝せず、ただ主イエス・キリストだけを礼拝し、主キリストだけに仕え、主キリストだけを証ししている姿を見て、「彼らはキリスト党だ、キリストに所属する人たちだ」という意味で「クリスチャン」と呼んだのでした。わたしたちもまたこの世の人々からはそのように見られ、そのように呼ばれ、また自らもそのような者でありたいと願います。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたが世界各地に、また日本各地に、そしてこの秋田に、主キリストの教会を建ててくださったことを感謝いたします。どうか、この教会を祝福し、ここに集められている一人一人を祝福してください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月7日説教「悔い改めない者への神の裁き」

2024年4月7日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書50章1~9節

    ルカによる福音書10章13~16節

説教題:「悔い改めない者への神の裁き」

 主イエスが12弟子を神の国の福音を宣べ伝えるために町々村々に派遣されたという記録は共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ福音書)に共通していますが、ルカ福音書はそのほかに72人の弟子たちを収穫のための働き手として遣わされたという記録をも書いています。これはルカ福音書特有の記録であり、またそのことはルカ福音書の特徴を表しています。ルカ福音者は、主イエスが地上の活動をしておられた時から、主イエスの福音がパレスチナ地域だけでなく、全世界に宣べ伝えられるであろうことをすでに意図しておられたということを強調しているのです。12人の弟子たちの派遣は、ガリラヤ地方とイスラエルの国全域に主イエスの福音が宣べ伝えられることを目指していましたが、72人の派遣は全世界へと福音が宣べ伝えられることを象徴的に暗示しています。そしてこのことは、ルカが使徒言行録の著者でもあるということと深く関連しています。ルカは、主イエスの地上での福音宣教の活動と、主イエスの十字架の死と復活、そしてペンテコステの時の聖霊降臨と教会の誕生、これらのすべてを一続きの神の救いのみわざととらえて、主イエスは地上のご生涯ですでにその神の救いのご計画を知っておられ、それを進めておられたということをわたしたちに語っているのです。そしてさらに、そのようにして始められた主イエスの神の国の福音宣教のお働きが、今もなお、この時代の中で、この秋田の地で、この教会をとおしてなし続けられているのだということを、わたしたちは知らされるのです。

 きょうは72人の弟子たちを派遣された際の主イエスの弟子たちへのご命令とお約束についての後半のみ言葉を学びます。朗読された箇所は10章13節以下ですが、この部分は10節からの続きと考えられますので、10~12節をまず読みましょう。【10~12節】。ここでは、神の国の福音を聞かされても、それを受け入れようとしない、信じない人たちに対する神の裁きが語られています。弟子たちが神の国の福音を携えて世界に出て行っても、また今日、キリスト者が主イエスの十字架の福音を携えてこの世に出て行っても、その福音を聞いて信じ、受け入れる人はごく少数であり、多くの場合、人には迎え入れられない、聞いてもらえないということを、主イエスはあらかじめ知っておられました。主イエスは「今が収穫の時であり、収穫のための働き手を多く必要としている時代である。だから失われた魂を収穫して、まことの命を注ぎ込むために、わたしはあなたがたを遣わすのだ」と弟子たちを励まされましたが、一方では、その収穫が非常に困難であることをも知っておられました。主イエスの福音は多くの人々の拒絶にあい、時に無関心や、時にあからさまな攻撃や迫害を受けるであろうということを主イエスは予想しておられました。

 なぜでしょうか。それは、人間の罪が人間を神から遠ざけているからです。悔い改めることをしない人間のかたくなさが、人間を主イエスの十字架の福音から遠ざけているからです。神を知ろうとしない人間の罪、神のみ言葉に耳を傾けず、この世の朽ちいくほかにないものに心を奪われ、永遠の真理である神を求めようとしない人間の罪が、人々の心を主イエスの福音から遠ざけているからです。それは主イエスの時代も2千年後の今日も全く変わりません。

 そこで主イエスは弟子たちをつまずかせないように、失望させないように、「もし、福音が受け入れられなければ、足のちりを払い落として、その町を出て行きなさい」と言われました。「足のちりを払い落とす」とは、「わたしはその責任を負わない、その最終的な責任は神ご自身が果たされる」ということのしるしです。すなわち、人々が主イエスの福音を受け入れないとしても、それは福音を宣べ伝えた弟子たちが自らその責任を負わなければならないのではない。主なる神ご自身が最終的な責任を負われる。その人が救われるか救われないかは、弟子たちの努力や能力によって決まるのではない。それは神がお決めになることだ。あなたは福音を語ればそれでよい。救いは神のみわざなのだから。主イエスはそのように言われます。

 主イエスの弟子たちも、また初代教会の使徒たちも、多くの反対や拒絶を経験しました。けれども、彼らはそれで失望することはありませんでした。いよいよ主なる神の救いのみ力を固く信じ、いよいよ大胆に確信をもって主イエスの十字架の福音を語りました。神ご自身が救いのみわざをなしてくださることを信じて。今日の教会においても同様です。

 12節で、主イエスはこのように言われます。「かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む」。「かの日」とは、神による最後の審判の時を指します。14節で「裁きの時には」と言われているのと同じです。終りの日、終末の時、神がご自身の国を完成される時、それまでの古い世界が神の裁きを受けてすべて滅ぼされます。その時、神の永遠の真理が明らかにされます。神を信じ、悔い改めて神に立ち帰った者は永遠の命に至る祝福を受け、神に逆らい、かたくなにして悔い改めなかった者は、永遠の滅びを宣告されます。その最後の神の裁きの時には、主イエスの福音を信じない者に対する最も厳しい罰が与えられると言われているのです。

 ソドムとは、創世記19章に書かれている出来事の舞台となった町です。その町の男たちの大きな罪と悪のゆえに、神はこの町を滅ぼされ、死海(塩の海)の底に沈んだとされる町です。しかし、それでもソドムの罪の方が軽いと言われるのは、ソドムの人々にはまだ主イエスの福音が宣べ伝えられていなかったからです。今のイスラエルの人々、今の時代の人々には、主イエスの十字架の福音が宣べ伝えられています。罪を悔い改めて、この福音を信じる人はだれでも無条件で、罪のゆるしが与えられるという、神から差し出された大きな恵みが、この時代の人々には与えられています。そうであるにもかかわらず、今の時代の人々が主イエスの十字架の福音を信じないならば、それをまだ知らされていなかったソドムの町よりも、より大きな罰を受けるのは当然だと、主イエスは言われるのです。

 神の裁きは、神の恵みの大きさに比例したかたちでなされます。神の恵みをより多く受けながら、それに気づかず、また感謝しない人に対しては、神の恵みがより少ない人よりも、より厳しい神の裁きが与えられるでしょう。主イエスがこの地上においでになる以前の旧約聖書の時代の人々は、主イエスがこの世にお生まれになり、神の救いの恵みがより大きく、またより近くに差し出されている新約聖書時代の人々よりは、その罪を問われる度合いはより軽いと言えるでしょう。主イエスの十字架の死と復活以前の人は、それ以後の人に比べて、その罪の問われ方がより軽くて済むと言えるでしょう。なぜならば、神は主イエス・キリストによって、特にその十字架の死と復活によって、人間の救いにとって必要な十分な恵みをわたしたちにお与えくださっておられるからです。神が旧約聖書の中で多くの預言者たちや信仰者たちをとおしてお語りになった救いのみ言葉を、神は今この時に、み子主イエス・キリストによって、最終的に、また決定的に、余すところなく、十分にお語りくださいました。それゆえに、その福音を信じない人に対する神の裁きは、決定的であり、最終的であり、より厳しい裁きとなるのです。

 13節以下で、主イエスはそのことをよりはっきりと、より厳しい口調でお語りになっておられます。【13~15節】。13節の「コラジン、ベトサイダ」そして15節の「カファルナウム」はいずれもガリラヤ湖周辺の町の名前です。主イエスはこの地方を中心にして、おそらくは3年間にわたって神の国の福音を宣教されました。特に、カファルナウムは12弟子の何人かの出身地でもあり、主イエスの宣教活動の中心地でした。マタイ福音書4章13節には、主イエスが一時期この町にお住まいになられたと書かれています。

 これらのガリラヤ地方の町々村々の人々は、主イエスの最も近くで、主イエスがお語りになった神の国の福音を、だれよりも多く聞く機会が与えられていたのでした。また、主イエスがなさった病気のいやしや悪霊追放の奇跡を、他の人々よりも多く見る機会を与えられていたのでした。しかし、そのような恵みを与えられていながら、主イエスの福音を信じることをせず、悔い改めて神に立ち帰ることもしませんでした。それゆえに、主イエスはこれらの町々村々に住む人々を、「お前たちは不幸だ、お前たちはわざわいだ」と言われるのです。彼らは、地中海沿岸の異邦人の都市であるティルスやシドンの人々よりも、彼らはまだ主イエスの福音を聞いていなかったゆえに、彼ら異邦人と言われていた人々よりも、神に選ばれている民を誇りにしていたイスラエルの人々の方がはるかに「不幸であり、わざわいだ」と主イエスは言われるのです。

 13節に、「彼ら異邦人の方こそが、とうの昔に、悔い改めたに違いない」と言われています。イスラエルの民が不幸なのは、わざわいなのは、彼らがより罪が深かったからではありません。彼らが罪を悔い改めなかったかにほかなりません。神の終わりの日の裁きの時に、より厳しい裁きを受け、滅びを宣言されるのは、その人の罪が大きかったからでは全くなく、その人が悔い改めなかったからにほかなりません。主イエスはここでわたしたちに悔い改めるべきことを教えておられるのです。自分の罪を認め、それを神のみ前に告白し、神に立ち帰って、神から差し出される罪のゆるしの恵みを、感謝をもって受け取ることをこそ、主イエスはわたしたちに求めておられます。わたしたちは悔い改めて神に立ち帰ることをためらってはなりません。神は立ち帰る人をみなお迎えくださいます。そのためにこそ、神はみ子を十字架の死に引き渡されたのです。

 【16節】。同じ主旨の主イエスのみ言葉はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に書かれています。父なる神とみ子なる主イエスと、そしてわたしたち人間、信仰者との強いつながりを言い表す重要なみ言葉です。天におられる父なる神はみ子主イエスを人間のお姿でわたしたちの世に、地上にお遣わしになりました。主イエスがお語りなった神の国の福音と、特に主イエスの十字架の死と復活によって、神はみ子なる主イエスをとおして、わたしたち人間に救いのみ言葉をお語りくださいました。そして、わたしたちは主イエスによって成し遂げられた救いのみわざの証人として、その証し人として、神の国のための働き手として召されており、神はわたしたちの宣教の言葉をお用いになって、ご自身の救いのみわざを今なお続けておられるのです。神は今なおわたしたちの証しをとおして語っておられ、この地で、この時代の中で、救いのみわざを進めておられるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、かたくなで悔改めるに遅いわたしたちをも、あなたは忍耐と憐みとをもってあなたのみ前にお招きくださいますことを覚え、感謝いたします。どうか、きょうあなたのみ言葉を聞いたなら、きょうあなたに従っていく従順な思いと、固い決意とをお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月31日説教「主イエスの復活の証人となった婦人たち」

2024年3月31日(日) 秋田教会主日(復活日)礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記8章1~10節

    マルコによる福音書16章1~8節

説教題:「主イエスの復活の証人となった婦人たち」

 主イエスが復活されたのは、ユダヤ人の安息日である土曜日の翌日、日曜日の朝早くでした。十字架につけられて息を引き取られたのが金曜日の午後3時ころ、夕方午後6時の日没からユダヤ人にとっては次の日、安息日の土曜日が始まりますので、それまでの2、3時間の間に急いで墓に葬られました。安息日には何の労働をもしてはならないと定められていたからです。そのために、通常ならば亡くなった人を墓に葬る前に、その亡骸に香油を塗る習わしでしたが、主イエスの場合にはそれができませんでした。

 そこで、マルコによる福音書16章1~2節にこう書かれています。【1~2節】。おそらく、安息日が終わる土曜日の日没後に、婦人たちは香油を買い求め、そして日曜日の朝早くにそれを持って墓にでかけたと思われます。この婦人たちは、主イエスがガリラヤ地方で福音宣教をしておられた時から、主イエスに従い、主イエスと弟子たちの身の回りのお世話をして仕えていたのでしょう。そして今、愛し、尊敬する主イエスに対する最後の奉仕として、そのお体に香油を塗るという、やり残した奉仕をするために、墓へと急いだのでした。

 この三人の婦人たちの名前は15章40、41節では、主イエスの十字架の死の証人としても挙げられています。また、15章47節では、そのうちの二人は主イエスの葬りの証人でもありました。そしてこれから、彼女たちは主イエスの復活の証人とされるのです。

これは実に驚くべきことです。古代社会では一般に婦人の社会的地位は低く、イスラエルでは女性は裁判の法廷では証人として立つことはできませんでした。しかしながら、聖書ではこの箇所でも、また他の箇所でも、女性がその立場と存在を男性とまったく同じに持っているのをわたしたちは確認できます。神のみ前では、男性、女性、その他の人間の側の区別とか差別とかは全くなくなります。

「女性は男性と同じ」というだけではなく、ここでは「男性に代わって女性が」と言うべきかもしれません。主イエスの12弟子たちはここには一人も登場してきません。彼ら男性たちはどこへ行ったのでしょうか。彼らは主イエスの十字架から逃げ去りました。14章31節にこのように書かれていました。「ペトロは力を込めて言い張った。『たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません』。皆の者も同じように言った」。しかし、そのペトロは主イエスの裁判を前に、「わたしはあの男を知らない」と、三度主イエスを否定しました。そして今、ペテロだけでなくすべての弟子たちは、男たちは、十字架から逃亡し、主イエスを見捨て、姿を消しているのです。その代りに、婦人たちが、主イエスの十字架の死と葬りと、そして復活の証人として立っているのです。

なぜ、このようなことが起こっているのでしょうか。それは、神の選びの不思議だと言ってよいでしょう。神の選びはしばしばこのようになされます。旧約聖書で神がイスラエルの民をご自身の契約の民としてお選びになったのも同様でした。申命記7章6節以下に、神がイスラエルをお選びになられた理由についてこのように書かれています。「神があなたがたを選んでご自身の宝の民とされたのは、あなたがたが他の民よりの数が多かったからではない。ただ、あなたがたに対する神の愛のゆえに、神はあなたがたを奴隷の家エジプトから導き出され、救われたのだ」(申命記7章6~8節参照)と。イスラエルの選びは神の一方的な愛によるのです。わたしたち一人一人が神に選ばれ、神の民に加えられるのも同様です。

また、使徒パウロは神の選びについて、コリントの信徒への手紙一1章26節以下でこう言います。「あなたがたが選ばれて教会の民の中に加えられた時のことをよく考えてみなさい。あなたがたの中には知恵のある者や能力がある者、家柄のよい者が多かったわけではない。神はあえて、世の無学な者を、無力な者を、身分の低い者を選んで教会の民とされたのだ。それは、だれ一人神のみ前で誇ることがないようにするためなのだ」(26~31節参照)と。わたしたちが神に選ばれたのも同様です。それゆえに、わたしたちはただ主なる神のみを誇り、主なる神のみに栄光を帰するのです。

主イエスの十字架の死と葬り、そして復活の証人として選ばれた婦人たちは、主イエスを死の墓からよみがえらせ、人間を罪と死の支配から救われる全能の主なる神に栄光を帰するために、ここに立たされているのです。

さて、主イエスの墓を訪れた婦人たちは、「週の初めの日の朝早く、日が出るとすぐ墓に行った」と書かれています。ここでは、「初めに、早く」ということが三度も繰り返され、強調されています。婦人たちはだれよりも早く起きて、だれよりも急いで、主イエスの墓へと出かけたのでした。主イエスに対する彼女たちの大きな愛と尊敬の思いが伝わってきます。

けれども、だれよりも早く行動した彼女たちよりも、さらに早く、主なる神が行動しておられたということを彼女たちはすぐに知らされます。彼女たちは道々こう話し合っていました。「だれが、墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」(3節)と。けれども、彼女たちの心配は全く必要ないものでした。「目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった」と続けて4節に書かれてあります。

だれよりも大きなイエスに対する愛と尊敬の思いを抱いて、だれよりも急いで主イエスの墓を訪れた彼女たちでしたが、それよりもさらに早く、さらに大きな力をもって、主なる神がすべての行動をなしておられ、主なる神が重い墓の石を取り除かれ、主なる神が墓の中から主イエスを復活させられたということを、彼女たちは間もなく知らされます。彼女たちの不安や不可能を越えて、主なる神が彼女たちのために、そしてわたしたちすべての人々のために、力強い救いのみわざをなしてくださるのです。

【5~7節】。「白い衣を着た若者」とは天使、神の使いのことです。神が地に住む人間にみ言葉をお語りになる際には、このように天使のお姿で語りかけられます。墓を訪れた婦人たちは、主イエスのお体を納めた墓が空になっており、その代わりにそこにいた神の使いから、神のみ言葉を聞いたのでした。ここに、重要なポイントがいくつかあります。

一つには、墓が空であったということです。彼女たちが最後の奉仕としてそのお体に香油を塗ろうとして墓に急いだのでしたが、その肝心の主イエスの亡骸がそこにはありませんでした。彼女たちの最後の奉仕ができなくなったのです。できなくなったというよりは、もはやする必要がなくなったと言うべきでしょう。彼女たちの死者に対する奉仕は不要になったのです。なぜならば、主イエスは復活なさったからです。彼女たちはこれからのちは、死者のために奉仕するのではなく、死から復活された方のための奉仕へと、召されているのです。

そのことは、彼女たちだけに当てはまることではありません。主イエスの復活を知らされた、わたしたちすべてに当てはまることです。わたしたちはもはや死者のための奉仕をすべきではありませんし、する必要はありません。死すべき者や死そのもののために奉仕したり、働いたり、仕えるべきではありません。それは、仕える者も仕えられる者も、共に死に支配され、死に向かって進んで行くほかにありません。その行き着く先は、死以外ではありません。

しかし、今や主イエスによって死から復活の命へと至る新しい道が開かれました。わたしたちは今からは死んで復活された方のために、死に勝利された方のために、仕え、働き、そのお方のために生きるのです。

もう一つの重要な点は、墓が空になった理由が神のみ言葉として告げられたことです。主イエスのお体が墓の中にないのは、主イエスが復活なさったからだと神の使いは告げます。墓の石を取り除いたのは、全能なる神であり、その神が主イエスを死からよみがえらせたのだと、神ご自身が語られたのです。主イエスの復活の出来事は、神ご自身からの語りかけとして、わたしたちは聞くことができるのです。何らかの科学的な証明によって説明できるものではありません。彼女たちが主イエスの復活の証人となったのは、神が語られたみ言葉を聞き、それを信じたからです。そして、その証拠として、空になった墓を見ました。

「主イエスは復活なさって、墓の中にはおらない。復活された主イエスはあなたがたが最初に弟子として召し出されたガリラヤで再びあなたがたにお会いするであろう」(7節参照)。婦人たちはこの復活のメッセージを携えて、弟子たちのところへ行くようにと命じられました。

ところが、8節にはこう書かれています。【8節】。主イエスの復活の証人となった婦人たちは、「震え上がる」ほどの、「正気を失う」ほどの、恐怖に襲われて、「だれにも何も言わなかった」というのです。これは一体どういうことでしょうか。

実は、マルコ福音書の本文は、「なぜならば、彼女たちは恐れた」という言葉で終わっています。福音書の終わりの言葉としては、あまりにも不自然です。そこで、のちの人たちは、このあとに続いていた部分が脱落したのだと考えました。当時の書物は、パピルスで作られた紙に書かれ、それを巻物にしたり、何枚かを折りたたんで一冊の本にしていましたから、容易にちぎれて紛失することがありました。『新共同訳聖書』では、「結び一」「結び二」として、のちに他の福音書を参考にしてつけ加えられた文章を付録として記録しています。

しかし、ある学者は、この終りが本来のマルコ福音書の終わりなのだと考えています。つまり、主イエスが墓から復活されたという出来事は、その証人となった婦人たちにとっては、それのみでなく、すべての人にとっても、人間の理性や常識では考えることができないほどの、驚くべき奇跡であり、死すべき運命にある人間にとっては、すべの言葉を失ってしまうほどの恐怖、驚愕と言うべき出来事なのだということをこの福音書は強調しているのだというのです。

主イエスの復活はいわゆる蘇生、生き返りではありません。主イエスは永遠の命へと復活されたのです。人間の罪とその結果である死に勝利されたのです。それは、いまだだれ一人としてなしえなかった偉大なる奇跡です。人間の能力や知恵や、またあらゆる科学の力を越えた全能の父なる神のみわざです。わたしたちはただ、大いなる恐れとおののきとをもって、そしてまた、大きな感謝と喜びとをもって、主イエスの復活の福音を信じ、わたしたちに約束されている永遠の命を信じるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、罪ゆえに死すべきであったわたしたちのために、あなたのみ子主イエスが、死の墓から復活されたことを感謝いたします。どうか、わたしたちに復活の信仰を与え、永遠の命の約束を信じさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月24日説教「神を恐れたヘブライ人の助産婦たち」

2024年3月17日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記1章15~22節
    使徒言行録7章17~22節
説教題:「神を恐れたヘブライ人の助産婦たち」

 教会の暦ではきょうは棕櫚の主日、今週は受難週になります。わたしたちの罪のために血を流すほどの戦いをされた神のみ子のお苦しみを覚えながら、次週の復活日の主日に備える日々でありたいと願います。
 出エジプト記を学び始めています。主イエスが誕生される1300年ほど前の、神の民イスラエルの誕生について記しているこの書は、そののちのイスラエルの信仰の土台を築く重要な意味を持っていました。そのイスラエルの信仰は、さらにさかのぼれば、400~600年前の族長時代のアブラハム、イサク、ヤコブの信仰を受け継ぐものでした。正確に言うならば、彼ら族長の信仰を受け継ぐと言うよりは、彼ら族長に対する神の永遠の約束が継承されていると言うべきかもしれません。創世記15章13節以下で、神がアブラハムに約束されたみ言葉はこうでした。【13~14節】(19ページ)。神はヤコブ・イスラエルの子どもたちがエジプトに寄留していた400年以上もの間、この約束を決してお忘れにはなりませんでした。そして、その約束の成就が出エジプトという出来事だったのです。
 きょうは1章15節以下を学びます。前回も少し触れましたが、エジプトでの400年余りの滞在期間に、ヤコブ・イスラエルの子どもたちがどのような信仰生活を送っていたのか、そしてどのようにして70人で移住した彼らが異教の地で増え広がり、エジプトの王が脅威を覚えるほどに強い集団になったのかについては、聖書の具体的な証言はありませんが、きょうの箇所で、エジプト滞在中の彼らの信仰がどのようなものであったのかを、わたしたちは伺い知ることができるように思います。
 すでに12節には、「しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がった」と書かれていました。それから、17節には【17節】、また【20~21節】にも。これらのみ言葉から分かるように、イスラエルの子どもたちがエジプトという異教の地で、宗教も生活環境も全く違う地で、どのようにその信仰と生活のアイデンテティを保ち続け、神の約束のみ言葉を信じ続けてくることができたのか、わたしたちは容易に推測することができます。彼らが信仰を守り続けてきたと言うよりは、彼らが信じていた主なる神のみ力とお導きによることであったと言うべきでしょうが、彼らはその神を礼拝し続けていたのです。ヘブライ人の助産婦たちはその神を恐れたのです。エジプトの王ではなく、自分たちが受けるであろう不利益や迫害でもなく、ただ主なる神を恐れ、その神に服従したのです。その信仰こそが、おそらく、400年以上のエジプトでのイスラエルの子どもたちを導いたのです。
 エジプトの王(一般にファラオと呼ばれます。その王の名前はここでは明らかにされてはいませんが、前回お話ししたように、紀元前14世紀から13世紀ころのセティ一世、またはラメセス二世が考えられます)は、数においても脅威においても増え続けるヘブライ人を弾圧するために、先に13~14節に書かれていた強制労働をより過酷なものにするだけでは足りず、15節以下に書かれてあるように、新たな民族撲滅政策を考え出しました。【15~16節】。エジプトの王は増え続けるヘブライ人を恐れ、何としてもそれを食い止めようと、非常手段にでます。戦争の時に戦力となる男子は生まれた時に殺すようにヘブライ人の助産婦二人に命じます。
 このエジプト王の命令は、主イエスが誕生された時のユダヤ人の王ヘロデが出した命令を思い起こさせます。ヘロデ王は主イエスが誕生されたベツレヘム近郊の2歳以下の男の子をみな殺すようにと命じました。この世の権力を誇る王たちが、武器を持たない民衆を恐れ、自らの恐れを払いのけようとして、最も弱い存在である幼い子どもたちを犠牲にするという現象は、いつの時代にも共通しているように思われます。神なき世界、神を恐れることをしない人間たちの世界では、このような悲惨な出来事が繰り返されていくほかにないのです。
 15節に、ヘブライ人の二人の助産婦の名前が紹介されています。シフラとは、ヘブライ語で「美、美しさ」、プァは「輝き、光輝」を意味します。まさに、この二人の助産婦は異教の地エジプトで、しかも、迫害と苦難の中でも、美しく光り輝き、「地の塩、世の光」(マタイ福音書5章13節以下参照)として、しっかりとした足で固く立ち続けています。神を恐れ、神に仕える彼女たちの信仰から出る美しさ、輝き、強さを表す名前と言えます。エジプトの宮殿で着飾っている婦人たちよりも、この二人のヘブライ人の婦人たちの方が、はるかにその美しさに光り輝いています。
 それにしても、強大な王国であるエジプトの王の名前が、ここでは一度も挙げられていないことを改めて気づかされます。寄留の地で迫害のただ中にあって、神を恐れている二人の助産婦の美しい名前が聖書に記されていることの意味をかみしめたいと思います。聖書の中では、神のみ前にあっては、彼女たちの方が尊い存在であり、神に覚えられているのです。この世にあっては目立たない、いと小さな存在であっても、神を信じ、神に従う信仰者を、神の国にあっては、その名を永遠の命の書に記された、かけがえのない尊い存在として、神は迎え入れてくださるのです。
 【17~19節】。ヘブライ人の助産婦たちはエジプト王の命令を聞きませんでした。この世の支配者であるエジプト王ファラオを恐れず、神の国の支配者であられる主なる神を恐れました。主なる神を恐れるとは、ここでは具体的には主なる神がお与えになる新しい命を尊ぶということになるでしょう。人間の命はすべて主なる神から与えられます。主なる神に属するものです。生まれいずる途中の命であれ、死を直前にした命であれ、すべての命は主が与え、主がそのみ手に治め、定められた時に主がお取りになる命です。助産婦たちはその命をお与えになる主なる神を恐れました。そうである時に、人間の命は最も尊く、守られるのです。
 17節には、「助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはしなかった」と書かれています。神を恐れる信仰者はこの世の権力者をも、またこの世から受けるかもしれない攻撃や迫害をも恐れません。主なる神のみ言葉に聞き従い、その神に信頼して、わが身のすべてをゆだねます。神はそのような信仰者を固く支え、勇気を与え、導いてくださいます。
 19節で、ヘブライ人の助産婦が、「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです」とファラオの質問に答えていますが、それが事実であったかかどうかは別として、機転を利かした賢い答えであったと言えましょう。神はフアラオの前に立つ彼女たちにこのような知恵と勇気とをお与えくださいました。
 【20~21節】。神は、神を恐れる信仰者に豊かな祝福と大きな恵みとをお与えくださいました。エジプト王ファラオが計画したこととは全く反対に、神の民の数は増し加えられ、助産婦たちは恐怖や不安ではなく、新しい命と祝福を与えられました。エジプト王の意に反して、迫害されるほどに神の民は強い民となって成長しました。神への恐れこそが、信仰者たちを強く、固く、立たしめる力となり、希望となりました。また、神への恐れこそが、信仰者を祝福と恵みで満たしたのです。
 もし、わたしたちが神を恐れないならば、もしこの世が神を恐れない世界であるならば、たとえその世界がいかに華やかに着飾り、繁栄を誇っていようとも、それは、はなはだ貧しく、弱く、みすぼらしいものでしかないでしょう。主なる神を恐れる人間、主なる神を恐れる世界こそが、本当の意味で豊かな、そして健全な世界であるでしょう。
 ここで改めて、神を恐れる信仰について考えてみましょう。この信仰は、族長アブラハムから受け継いだものでした。創世記22章12節には、アブラハムがその子イサクを神に燔祭の犠牲としてささげたときの神のみ言葉が書かれています。【12節】(31ページ)。アブラハムはようやくにして与えられた一人子イサクを神にささげました。自分の全存在に等しい、自分の命そのものであるイサクを惜しまずにささげるほどに、神の命令に徹底して服従したのです。主なる神を恐れたのです。この信仰を、その子イサク、ヤコブが受け継ぎました。そして、エジプトに滞在していたイスラエルの子どもたちは、400年以上にわたってこの信仰を受け継ぎ、二人の助産婦たちもまたこの信仰を受け継いでいたのです。
 箴言1章7節にはこのように書かれています。「主を畏れることは知恵の初め」。主を畏れる信仰は旧約聖書全体のイスラエルの民へと受け継がれていったということを、わたしたちは確認することができます。
 【22節】。エジプト王ファラオは神の民イスラエルに対しての新たな迫害の命令を出しました。この命令はより一層ヘロデ大王の「2歳以下の男の子をみな殺せ」という命令に近づいています。二人のヘブライ人の助産婦だけが対象になる命令ではなく、全ヘブライ人に対して、またその周辺にいる全エジプト人をも対象にした命令です。しかし、その新たな迫害の中で、神の奇跡によって、一人の指導者モーセが誕生することになるのです。
 ヘロデ大王の残虐な幼児皆殺しの命令の中で、全世界の救い主イエスが誕生されたことをわたしたちは知っています。そして、そのおよそ30年後に、最も悲惨で悲劇的で、全世界を暗黒で覆い尽くすかのような主イエス・キリストの十字架の死によって、神の驚くべき救いのみわざが成就されたということを、わたしたちは知っています。神は、人間の不信仰と罪のただ中で、神の民の苦難と試練のただ中で、神の民のために、信仰者のために、ご自身の救いのご計画を進めてくださり、神を恐れ、神に従う一人一人のために、最も良き道を備えてくださるということを、わたしたちは知っています。

(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたの恵みと慈しみとは永遠から永遠に変わることなく、あなたを信じ、恐れる者たちに豊かに与えられることを信じます。あなたは、信じ従う信仰者を決してお忘れにはなりません。たとえ、わたしたちが忘れても、あなたはわたしたちをお忘れにはなりません。たとえ、わたしたちが迷っても、あなたはわたしたちを正しい道へと導き返してくださいます。たとえ、わたしたちが疑い、倒れるようなことがあっても、あなたは常に真実であられ、あなたの愛と義はわたしたちから離れることはありません。
○主なる神よ、わたしたちがいつも信仰の目を開いて、あなたから与えられている恵みと祝福とを、感謝して受け取る者としてください。あなたの招きと導きに喜んで従う者としてください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月17日説教「聖書と聖霊なる神」

2024年3月17日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(31)

聖 書:イザヤ書55章8~11節

    テモテへの手紙二3章10~17節

説教題:「聖書と聖霊なる神」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の3段落目、「旧・新約聖書は神の言(ことば)であり、その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者で」。きょうはこの中の「その中で語っておられる聖霊は」という箇所について、聖書のみ言葉から学んでいきます。

 まず、1890年(明治23年)の旧『日本基督教会信仰の告白』と比較してみましょう。それはこうなっていました。「古(いにしえ)の預言者使徒および聖人は、聖霊に啓迪(けいてき)せられたり。新旧両約の聖書のうちに語り給う聖霊は宗教上のことにつき誤謬(あやまり)なき最上の審判者なり」。この最初の文章、「古の……せられたり」が新しい『信仰告白』では削除され、その代わりに、「主イエス・キリストを顕かに示し」という文が次の文章につけ加えられています。全体としては、内容的に大きな変化はないと言えます。預言者や使徒たちが聖霊によって導かれて語り、記した聖書は、旧約聖書も新約聖書も主イエス・キリストを証ししているということが、新しい『信仰告白』ではより明瞭に告白されていると言ってよいでしょう。きょうの説教のテーマである「聖書のうちに語っておられる聖霊は」という部分は全く変わっていません。日本キリスト教会はこの「聖書のうちに語っておられる聖霊は」という告白を130年以上持ち続けてきているということを、わたくし自身、今改めて驚きをもって再認識しているところです。と言いますのも、日本キリスト教会で、わたくしが神学校で学んだことや、牧師仲間で議論したことの中に、この告白に対する積極的な神学的意味を見いだすことはほとんどなかったからです。あるいは、改めて議論するまでもなく、当然のことのようにこの信仰告白を受け入れていたということなのかもしれません。

 そのようなわけで、きょうは聖書と聖霊なる神との関係をわたしたちの教会はどのようにとらえてきたのかを、わたくし自身もまた改めて再確認するつもりで、ご一緒に学んでいきたいと思います。

 この告白の特徴を別の言葉で表現すれば、「書かれた神の言葉である聖書は、今もなお聖霊なる神によって語り続けている」ということであり、また別の側面から表現すれば、「聖霊なる神は聖書のみ言葉によって、聖書のみ言葉をとおして今も語っておられ、働いておられる」という意味になるでしょう。ここでは、聖書の言葉と聖霊なる神のお働きとが分かちがたく、堅く結びついているということが強調されているのです。

 では、「聖書は聖霊によって語っている」ということについて、さらに詳しく見ていくことにしましょう。前回わたしたちが学んだように、聖書は神の霊感を受けて書かれたものであって、聖書の本来の著者は神であり、その中で神ご自身が語っておられる。それゆえに聖書は神の言葉である。これがわたしたちの教会の聖書論です。この聖書論と「聖書は今もなお聖霊によって語っている」ということは一つに結び合っています。それを教えている聖書をもう一度読んでみましょう。テモテへの手紙二3章15節以下にはこのように書かれています。「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」。また、ペテロの手紙二1章20節以下では、「聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意思に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」とあります。

 このように、聖書はすべて聖霊なる神が第一の、本来の著者であり、それは神ご自身が語られた神の言葉であるということを証ししています。それゆえに、聖書は生ける神のみ言葉として、また今もわたしたちをまことの命に生かす神のみ言葉として語られるのであり、今もなお聖霊が、書かれた神の言葉である聖書の中でわたしたちに語っておられるということなのです。したがって、わたしたちが聖書のみ言葉を読む場合に、そこで今、神ご自身がわたしに対して語っておられる神のみ言葉として、聖霊のお導きによって読まなければならないということです。人間の知恵や知識によって聖書を読み、解釈するのではなく、聖霊なる神がお与えくださる神からの知恵によって聖書を読み、解釈すべきだということです。そのとき、神の命と救いの恵みに満ちた神のみ言葉が、わたしに信仰を与え、わたしを罪から救い、永遠の命へと至る道へとわたしを導くのです。聖霊なる神が聖書の第一の著者であると同時に、聖霊なる神が聖書の第一の語り手、また第一の解釈者なのです。

 聖書は今から数千年前に書かれた神の言葉です。しかしそれは、単に過去の記録ではありません。過去の神の救いの出来事の記録というのではありません。聖書は、今も生ける神のみ言葉として、今日のわたしたち一人一人に語りかけられている、生きた、また人を生かす神のみ言葉です。神は今もなお命のみ言葉によって、わたしたちの世界に、わたしたちの生活の中で、わたしの人生の中で、救いの出来事を引き起こしておられます。わたしたちは聖書を読むときには、「神語りたもう。僕(しもべ)聞く」という姿勢をもって読まなければなりません。と同時に、聖書を読むときには、また聖書の解き明かしであり、語られた神の言葉である説教を聞くときには、聖書の第一の著者であり、第一の語り手であり、また第一の解釈者であられる聖霊なる神のお導きを祈り求めつつ、読み、また聞かなければなりません。その時、人間の知恵や能力にはるかにまさった聖霊のお導きによって、この不信仰でかたくななわたしにも神の救いのみわざが起こされるのです。

 次に、「聖霊なる神は聖書のみ言葉をとおして、聖書のみ言葉の中で語られ、働かれる」という点についてさらに掘り下げて学んでいくことにしましょう。この告白においては、聖書のみ言葉と聖霊のお働きとが密接に結びつけられているということが大きな特徴です。このことについては二つの側面があります。一つには、聖霊なる神は聖書のみ言葉と結びつくときに、わたしたちのために最もよく働かれるということです。聖霊は自由な神であられ、場所や時代、手段、方法、いかなるものにも制限されることなく、いつでもどこでも自由にお働きになりますが、そうでありつつ、聖霊は聖書のみ言葉と結びつくときにこそ、最も力強く、最も有効に、わたしたち一人一人の救いのために働かれるということです。聖霊は、聖書に記されている神のみ言葉が、特にその中の主イエス・キリストの十字架と復活の福音が、わたしのための神の救いのみ言葉であることをわたしに信じさせてくださいます。主なる神が今わたしに語りかけてくださる神の命のみ言葉として聞き、それを信じることができるように、聖霊はわたしを導いてくださるのです。

 聖霊なる神のお働きが聖書のみ言葉と結びついているという例は、聖書の中に数多く見いだされます。マタイ福音書3章16節以下には、主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった時のことが書かれています。【16~17節】(4ページ)。ここでは、聖霊の注ぎと神のみ言葉の語りかけとが一つに結び合わされています。また、使徒言行録2章4節では、最初のペンテコステの日の出来事がこのように言われています。「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国の言葉で話し出した」。さらには、ヨハネ福音書14章26節で、主イエスは弟子たちにこのように約束してくださいました。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」。このように、聖霊は聖書に記された神の言葉と結びつくときに、また主イエスが語られたみ言葉と結びつくときに、最も力強く、わたしたちの救いのためにお働きくださるのです。

 もう一つの側面は、聖霊のお働きが書かれた神の言葉である聖書に結びつけられることによって、聖霊のお働きがある意味で制限をつけられるのではないかという懸念が生じるということです。制限づけられるという言い方は適当でないかもしれません。聖霊は何度も言うように、何ものによっても制限されることなく、自由にお働きになられるのですから、その意味では全く自由であられ、書かれた神の言葉である聖書に縛りつけられることなく、どこでも、どんな方法によっても、無制限に、自由にお働きになられます。そのことを認めながらも、わたしたちの教会は聖霊の自由を強調するだけでなく、あえて聖霊は聖書のみ言葉と結びついて働かれるということを、強調しているのです。

 なぜそうするのか。おそらくそれは、聖霊派とかペンテコステ派と言われる教派が聖霊を強調して、聖霊の働きを聖書のみ言葉から切り離して考えていることに対する批判があるように思われます。聖霊の自由なお働きを強調するあまり、聖書のみ言葉からは離れた霊の賜物とか、異言を語ることとか、病気をいやす力とか、あるいは個人の聖霊体験とかが重要視される、そのような運動に対する批判や警戒心があるように思われます。もちろん、そのような聖霊の賜物は重んじられるのですが、使徒パウロがコリントの信徒への手紙一14章19節で、「教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語るべきです」と言っているように、聖霊によって主イエス・キリストの救いの福音を語り、信じることこそが重要だとわたしたちは考えているからです。

 わたしたちの教会が「聖書は神の言葉であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し」と告白している意味がここにあるのです。わたしたちは聖霊によって、聖書が神の言葉であることを信じ、その聖書がわたしたちの唯一の救い主であられる主イエス・キリストを証ししており、聖霊のお導きによってわたしたちがそのことを信じるときに、わたしに罪のゆるしと永遠の命の約束が与えられるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちは罪びとであり、あなたのみ言葉を悟るに鈍く、わたしたちの心はかたくなでありますから、どうか聖霊によってわたしたち魂を明るく照らしてください。あなたの救いと命のみ言葉が語られるとき、わたしたちが喜んでそれに聞き従い、あなたのみ言葉によって生きる者としてください。

○わたしたちの教会の愛する姉妹があなたのみもとへと召されました。あなたがその姉妹のすべての信仰の道を導かれ、祝福してくださいましたことを覚え、心からの感謝と讃美とをささげます。また、ご遺族の上に、主からの慰めと平安がありますようにお祈りいたします。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月10日説教「アンティオキア教会の誕生」

2024年3月10日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:エレミヤ書31章10~17節

    使徒言行録11章19~26節

説教題:「アンティオキア教会の誕生」

 使徒言行録11章19節から、アンティオキア教会の誕生と、その初期の活動について描かれています。アンティオキアの町はパレスチナから北へ数百キロメートル、当時のローマ帝国シリア州の首都に定められており、パレスチナと小アジアとを結ぶ交通の要所でもありました。ローマ帝国の中では、ローマとエジプトのアレキサンドリアに次ぐ、第三の巨大都市に発展した町です。

 この町に誕生した教会は、ユダヤ人とそれ以外の異邦人とが混合している教会として、初代教会の歴史上重要な意味を持つようになりました。それ以上に重要な意味を持つのは、このあと13章1節以下に書かれているように、使徒パウロの世界伝道の拠点となったということです。パウロは3回にわたる世界伝道旅行をこの教会の祈りと経済的支援によってなすことができたのであり、またこの教会で良き同労者を与えられて、この教会から送り出されて行ったのでした。もし、アンティオケ教会が誕生していなかったら、またもしアンティオケ教会でバルナバとパウロの出会いがなかったなら、パウロの世界伝道もなかったでしょうし、世界の教会の発展もなかったに違いありません。そのようなことを考えると、ここに書かれているアンティオケ教会誕生の出来事がどんなにか大きな意味を持つことか、そして神がこのように導いてくださったことに、何と大きな、深いみ心があったことか、わたしたちは驚くばかりです。この箇所を、きょうと次の2回にわたって丁寧に読んでいくことにします。

 【18節】。このエルサレム教会の迫害のことは、使徒言行録8章54節以下にステファノの殉教について書かれてあり、8章1節には【1節b】とあります。そして、4節には【4節】と書かれていました。エルサレム教会に対する大迫害によってエルサレム市内から追放され、各地に散らされていったキリスト者たちはサマリヤ地方からパレスチナ全域へと、さらには北部地中海沿岸のフェニキア地方へ、地中海に浮かぶキプロス島にまで、そしてシリア州の首都アンティオキアにまでやってきたと書かれています。エルサレムからは6、700キロメートルの距離です。

 彼らがこれほどの遠い道のりをやって来たのは、迫害を恐れ、逃亡してきたのではありません。彼らが迫害されるきっかけであった主イエス・キリストの福音を携えて、その福音を宣べ伝えるためでありました。教会と信者に対する迫害こそが、このような急速な福音宣教の拡大へとつながったということを、わたしたちは改めて驚きをもって知らされるのです。これこそが、すべての困難や試練の中で働かれる神の偉大なる奇跡です。神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはないからです。

 迫害によってエルサレムから追放された信者たちは、恐れて身を隠していたのではありませんでした。この世の生活に戻ったのでもなく、迫害を受ける原因となった主イエス・キリストの福音を投げ捨ててしまったのでもありませんでした。彼らは主イエス・キリストの福音を携えて、全世界へと出て行ったのです。神のみ言葉に生きる人はこの世のいかなる困難をも恐れません。神のみ言葉を信じる人はどのような状況の中でも、神のみ言葉を高く掲げ続けます。神のみ言葉の証し人となることによって、力強く生きるのです。

 彼らは初めはユダヤ人にだけ福音を語っていました。それは、神が定められた救いの秩序に適ったことでした。神は初めに全世界の民の中からイスラエルをお選びになり、この民をとおして救いのみわざをなさったからです。けれども、今や主イエス・キリストによって、救いは全世界のすべての人に及び、神の救いのご計画は最終目的に達しました。そこで、主イエスの福音はユダヤ人以外のすべての民に、すべての人に、宣べ伝えられなければなりません。

 【20~21節】。彼らの数人が、キプロス島や北アフリカのクレネ出身の人がいて、彼らはギリシャ語を話していました。当時、エルサレム周辺のパレスチナ地方ではアラム語が一般的でしたので、彼らがギリシャ語を話す人たちに主イエスの福音を語り伝えるきっかけになったと考えられます。実は、以前にもエルサレム教会に対する迫害の箇所で少し触れたことですが、8章1節には、「使徒たちのほかは皆」エルサレム市内から追放されたとありましたが、これはおそらくエルサレム教会でアラム語ではなくギリシャ語を話していた、いわゆるヘレニストと呼ばれていた信者が主に追放されたということではないかと推測されるのですが、そのヘレニストと呼ばれたギリシャ語を話していた信者たちが、ここでギリシャ社会に主イエスの福音を語り伝えることとなったのです。そして、多くのギリシャ語を話す、いわゆる異邦人が主イエスを救い主と信じるようになりました。このようにして、アンティオキアにユダヤ人と異邦人からなる教会が誕生したのでした。このこともまた、人間の予想をはるかに超えた、神の奇しきみわざとしか言いようがありません。

これまでに使徒言行録に記されていた異邦人伝道について簡単に振り返ってみましょう。8章26節以下では、エチオピア人の宦官がピリポから洗礼を受けたことが報告されていました。ここでは、異邦人の救いはまだ個人単位でした。10章では、カイサリアのローマ軍の百人隊長コルネリウスとその一族が洗礼を受け、カイサリア教会が誕生しました。ここでは、異邦人だけからなる教会でした。そして、きょうの箇所では、数人のユダヤ人がアンティオキアの町でギリシャ語を話す異邦人に伝道し、ここにユダヤ人と異邦人からなる教会が誕生したのです。ユダヤ人と異邦人の区別はなくなり、主イエスの福音によって一つに結ばれた教会が誕生しました。ここに至って、神の救いのご計画はその最終目的に達したと言えます。民族の違いを乗り越えて、あるいはまた身分の差や男女の違い、あらゆる人間の違いを乗り越えて、一つの救われた神の民である教会の原型がここに誕生しました。

20節に、「主イエスについて福音を告げ知らせた」とありますが、これは正確に表現すれば、「イエスは主であるという福音を告げ知らせた」という意味です。「主イエス」とは、「イエスは主である」という、初代教会の最も短い、基本的な信仰告白です。わたしたちは一般的に「主イエス・キリスト」と一続きで、一つのお名前のように言いますが、これも正確に表現すれば、「イエスは主であり、すべての人にとっての唯一の主、救い主であり、またキリスト、すなわちメシア、油注がれた者、神が旧約聖書で約束された終わりの日に到来する完全な救い主である」、という内容を含んでいる信仰告白なのです。

「イエスは主である」という信仰告白は、初代教会にとっては大きな意味を持っていました。当時はローマ帝国が世界を支配し、ローマ皇帝が全世界の主(ギリシャ語ではキュリオス)であると考えられていました。実際に、皇帝ドミチアヌスは紀元80年代に、自らの像を主なる神としておがみ、礼拝するように強要しました。また、アンティオキアの町には数多くのギリシャの神々がまつられ、礼拝されていました。

主イエスの福音がギリシャ社会の中で語られることによって、「イエスは主である」という信仰告白はより一層大きな意味を持つようになったのです。ローマ皇帝もギリシャの神々も主ではない。ただお一人、わたしたちのために十字架で死なれ、三日目に復活され、今は天に昇られ、全能の父なる神の右に座しておられる主イエスだけが、全世界を支配しておられ、すべての人を罪の支配から解放される唯一の主である、すべての人によって信じられ、礼拝されるべき唯一の救い主である、と初代教会は語ったのです。

それはもちろん、今日の社会にあっても変わりません。わたしたちはあるいは当時のギリシャ社会よりも、もっと多くのものを主としてあがめているのかもしれません。偉大な国家の指導者とか、金やお金、財産、あるいは地位や名誉とか、高度に発達した技術など、時には自分自身をも主として、神のごとくふるまうことがあるのではないでしょうか。「イエスは主である」という信仰告白は、そのような今の時代でこそ、その深い意味を見いだされなければなりません。この信仰告白こそが、わたしたちを支配する偽りの主から、わたしたちを解放するからです。わたしたち信仰者は、わたしを罪から救うためにご自身の命をもささげ尽くされるほどにわたしたちを愛された主イエスを、わたしの唯一の主と信じることによって、他の何者によっても支配されることなく、すべての偽りの主から解放され、自由にされるのです。この主のもとにこそ、まことの命と平安があるのです。

アンティオキアで最初にギリシャ語で主イエスの福音を宣べ伝えた数人の名前はここには記されてはいません。彼らは無名のキリスト者でした。彼らは生まれ故郷からエルサレムに移り住んでいましたが、教会が受けた迫害によってそこから追放され、また生まれ故郷に戻ることになった人たちでした。悲運な放浪者と言えるかもしれません。けれども、彼ら自身はもちろんそうは思っていなかったでしょう。むしろ、彼らは神に守られ、導かれたみ言葉の宣教者たちでした。21節に、「主がこの人々を助けられたので」とあるとおりです。この主とは神を指しています。彼らには常に神の強い助けのみ手がありました。エルサレムから追放された彼らに、このような大胆で勇気ある伝道活動を可能にさせたのは、主なる神です。主なる神が彼らと共にいてくださり、彼らに力を与え、また彼らの宣教活動によって多くのキリスト者をアンティオキアの町に起こされ、この町に主キリストの教会をお建てくださったのです。

わたしたちはここでも先週の礼拝で聞いたイザヤ書のみ言葉を思い起こします。「いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。……地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」(イザヤ書52章7節、10節参照)。

聖霊なる神は今もなおわたしたち一人一人の中で働いてくださり、わたしに主イエスをわたしの唯一の救い主と信じる信仰を与え、この異教の地にあって、主イエスこそがすべての人にとっての唯一の主であるという福音を宣べ伝える伝道のわざへと、わたしたちを召していてくださるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたの救いのみわざは今もなお全世界で行われています。あなたのみ名をあがめる者少なく、あなたのみ心から遠く離れた罪と邪悪に満ちたこの世界にあっても、あなたのみ言葉は力を失うことはありません。どうかわたしたちにも、あなたのみ言葉はこの世のいかなる鎖によっても決して繋がれることはないという強い信仰をお与えください。

〇主なる神よ、あなたのみ心が地において行われますように。人間の力や欲望によって、あなたが創造されたこの世界が破壊されることがないように、弱く小さな命が犠牲にされることがないようにしてください。あなたの義と平和が世界のすべての人々に和解を与え、共に生きる社会を来たらせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月3日説教「72人の福音宣教者の派遣」

2024年3月3日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書52章7~10節

    ルカによる福音書10章1~12節

説教題:「72人の福音宣教者の派遣」

 ルカによる福音書ではすでに9章1節以下に、主イエスが12人の弟子を神の国の福音を宣教するために派遣したという記録が書かれていました。きょう朗読された10章では、12弟子とは別に、72人を任命し、すべての町々村々に収穫のための働き人としてお遣わしになったことが書かれています。この二つの記録は、共通した点もありますが、派遣された人数の違いのほかにも違う点が多くあります。そのことに注目しながら読んでいくことにしましょう。

 【1節】。冒頭の「その後」とは、直訳すれば「これらのことのあとで」となり、単なる接続詞よりは強い意味を持ちます。ここでは、主イエスがご自身のご受難の時が近づいてきたのを感じとられ、9章51節に書かれていたように、「エルサレムに向かう決意を固められた」ことが強く意識されていると思われます。主イエスのご受難と十字架の死によって、主イエスが宣べ伝えられた神の国の福音がいよいよその最終目的に近づいている、救いの時が成就される、その日が迫ってきているという緊迫感がここにはあります。

 次に、「主は」と書かれています。主イエスのことですが、これまでルカ福音書では、主イエスがだれかに呼びかけられるときには、「主よ」と言われていたことはありましたが、主イエスが主語の文章で、イエスを主と表現している箇所はありませんでした。ここで初めて「主」と書かれていることも、前にお話ししたエルサレムでのご受難の時が迫ってきていることと関連していると考えられます。主イエスが全人類の救い主となられる時が迫っているということを、ルカ福音書は暗示しているのです。

次に、72人という数字から、9章とは違った意味を読み取ることができます。聖書では、70、あるいは72という数字は特別の意味があります。12人の弟子たちは、イスラエル12部族を象徴し、イスラエル全体を象徴していると考えられましたが、72人は、全世界のすべての民を象徴していると考えられます。ルカ福音書は主イエスの十字架と復活、そして聖霊降臨と教会誕生を、いわば先取りして、やがて主イエスの十字架の福音が全世界に宣べ伝えられることをあらかじめこの数字によって予告していると考えられます。

主イエス・キリストの十字架の福音は、全世界のすべての民、すべての人に宣べ伝えられねばなりません。主イエスの救いの福音は、すべての人が聞かなければなりません。それが主なる神の救いのご計画だからです。すべての人は罪のゆえに神から離れており、神の裁きを受けて死すべき者と定められています。主イエスの十字架の福音を信じる信仰によって罪ゆるされ、救われることによって、人はみなまことの命を生きる者とされるからです。のちに、復活された主イエスは、この福音書の24章41節で弟子たちにこのように言われました。「罪のゆるしを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。……あなたがたはこれらのことの証人となる」と。

「任命する」と「遣わす」という言葉を取り上げてみます。9章では、「12人を呼び集め」、「権能をお授けになり」、「遣わす」と書かれていました。いずれの場合も、主語は主イエスです。主イエスが72人を選び、任命し、派遣されます。ここに、宣教のために遣わされる弟子たちの基本があります。ここにはまた、教会に集められ、礼拝者とされているわたしたち信仰者の基本もあるのです。わたしたちが信仰者となり、キリスト者とされたことも、主イエスの選びによるのであり、また主イエスの派遣によってこの世へと遣わされていくのです。

 もし、わたしが自分の判断で選んだのであれば、それには誤りも失敗もあるかもしれません。迷ったり、疑ったり、たじろいだり、恐れたりすることがあるかもしれません。実際、そういうことを経験もするでしょう。けれども、その時にわたしたちは主イエスの弟子であることの、この基本を思い起こすべきです。わたしが選んだのではない。わたしが自分の足で立つのではない。主イエスがこのわたしをお選びになり、主イエスがこのわたしをお遣わしになられたのだということを。そこにこそ、弟子たることの、またこの世に派遣されることの基本と、確かさと、力と希望があるのだということを、わたしたちは思い起こすのです。

1節でもう一つ触れておきたいことは、「二人ずつ」ということについてです。主イエスは弟子たちが福音を述べ伝えるにあたって、二人一組にして派遣されました。初代教会でも多くがその例にならったことが、使徒言行録の記録から分かります。8章14節ではペテロとヨハネが、13章2節ではパウロとバルナバが、15章39節ではパウロとマルコが、二人一組になって宣教活動に行ったことが記録されています。二人だとお互い協力し合い、助け合い、励まし合うことができるという面もあるでしょうが、それ以上に大きな理由がここにはあります。それは旧約聖書の律法に、重要な証言は二人または三人の証人によらなければならないと定められていることに関連しています。弟子たちは神の国の福音の証人として、主イエスの十字架による罪のゆるしと救いのみ言葉の証人として遣わされるのでありますから、その証言が確かであり、真実であることが、それによって証明されるのです。

さて、2節からは72人の弟子たちを主イエスが派遣する具体的な目的について、また彼らがその務めを果たすにはどうすべきかについて語られています。【2~3節】。この二つの節は、9章の12弟子の派遣の箇所には書かれていませんでした。その時とは違った、新しい局面が迫っていることが暗示されています。

新しい局面の第一は、今は収穫の時だということです。そして、多くの収穫が約束されているということです。収穫とは、失われていた人間の魂を買い戻すことだと言ってよいでしょう。ヨハネ福音書4章35節で、主イエスはこのように言われました。「目を上げて畑を見よ。はや色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている」(35、36節参照)と。主イエスの十字架による救いの時が今やってきた。罪のゆえに失われ、死んでいた人間の魂が神のみ子の尊い血によって買い戻された。その魂を集め、永遠のみ国へと招き入れるために、今は働き人を必要としている。その働き人として、わたしはあなたを遣わすのだ。そのように主イエスは言われます。

ただ、ここで重要なことは、弟子たちが自分の力や努力で実を刈り取り、収穫を増やすのではありません。「収穫の主に願いなさい」と命じられています。収穫の主は父なる神であり、み子主イエスです。収穫の主が、すでに多くの収穫を用意していてくださるのです。それは働き人たちにとっての確かな約束であり、希望であり、慰めです。弟子たちはそのことを信じて、収穫の主に祈り求めつつ、働き人としての務めを果たすことができます。

 もう一つは、収穫のために遣わされる働き人は困難な状況の中へ、危険が待っている世界へと派遣されるということです。狼は最も野蛮で、どう猛で、攻撃的な生き物の象徴であり、子羊は最も弱く、無防備で、無抵抗な生き物の象徴です。その両極端な生き物を例に挙げることによって、働き人が遣わされるこの世界がいかに罪深く、かたくなで、福音を聞く耳を持たないかが強調されているとともに、それゆえに働き人の務めがいかに困難であり、危険に満ち、抵抗や反撃、苦難と迫害に満ちているかが強調されていることになるのですが、しかしそれ以上にここで強調されていることは、そのような困難な世界へと派遣されていく働き人に対する、主イエスの固い約束であり、収穫の約束であり、収穫の主であられる主なる神の守りと導き、それが強調されているのです。

 次の4節からの命令は、9章との共通点が多くあります。いくつかのポイントにまとめてみましょう。

 一つは、持ち物に関してです。主イエスは普通の旅行者が持っていくような最低限の持ち物すらも持っていくなとお命じになりました。それらの持ち物を用意している余裕がないほどに、時が切迫している。今すぐにでも、何も持たずに、出発しなければならないからです。また、旅の途中で必要になるものは、主なる神が必ず備えてくださるという強い信仰を持つことが大切だからです。さらには、携えていくべきものは、主イエスの福音だけで十分だからです。主イエスの福音を携えていく福音宣教者の足は、いつどのような時にも、主なる神によって守られ、導かれるからです。

 第二点は、遣わされた町々村々で、福音宣教以外のことで、時間を無駄にしないようにすることです。4節では「途中でだれにもあいさつするな」と命じられていますが、これはあいさつすることを禁じているのではなく、急いで目的地に着き、託された務めを果たしなさいということだと考えられます。

 5節では、目的地に着いたならば、最初に「この家に平安があるように」と祈り、あいさつをするようにと命じられています。福音を宣教するために遣わされた働き人は、神からの平安を持ち運びます。この平安は、地上でわたしたちが手に入れることができるような平安ではありません。地上のどのような平安よりも、はるかにまさった天の神から与えられる平安です。神との豊かな交わりの中にある永遠の祝福です。イザヤ書52章7節にこのように書かれています。「いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる……。地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」(7節、10節参照)と。

 7節以下では、当時のユダヤ人の巡回伝道者に対する一般的なもてなしが背景になって語られています。巡回伝道者は非常に尊敬されていましたから、良いもてなしを期待して家々を渡り歩く伝道者も少なくなかったと言われています。しかし、主イエスの福音を持ち運ぶ働き人は、この世の評価や待遇に左右されることは全くありません。福音のための働き人は主なる神にお仕えする者だからです。主なる神からの報酬を約束されているからです。また、この世での成功を求めてなされるのではないからです。たとえ、その働きが人々に受け入れられず、人々が福音に耳を傾けないとしても、働き人自身がそれによって裁かれたり、不名誉になったりすることはありません。救いのみわざは主なる神がなさることであり、救われるか救われないかは、主なる神がお決めになることです。働き人は自ら神の国の福音に生かされている者として、感謝と喜びとをもって、主イエス・キリストの福音の証し人としての務めを果していくのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたはわたしたち一人一人をお選びくださり、あなたの救いにあずからせ、また福音の証し人として立たせてくださいます。感謝いたします。主イエスのみ言葉に支えられて、地の塩、世の光として歩ませてください。主がいつも共にいてくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月25日説教「旧・新約聖書は神の言葉である(二)」

2024年2月25日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(30)

聖 書:申命記8章1~10節

    テサロニケの信徒への手紙一3章1~10節

説教題:「旧・新約聖書は神の言葉である(二)」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの教会の信仰の特色について学んでいます。印刷物の3段落目、「旧・新約聖書は神の言(ことば)であり、その中で語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕(あき)らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です」。この告白はキリスト教教理では「聖書論」というテーマに関連しています。「聖書論」では聖書をどのように理解し、読んでいるかということが取り扱われますので、その教会、教派の特色が最もよく表れると言ってよいでしょう。日本キリスト教会の特色もここの短い告白によく言い表されています。

 わたしたちの教会の信仰告白は聖書論の冒頭で、「聖書は神の言葉である」と、ごく短く、単純明快に告白しています。同じように「聖書は神の言葉である」と表現しても、それにある条件を付けたり、制限を設けたりする人たちがいます。あるいは、全く反対に「聖書は人間の言葉である」と理解する人たちもいます。分かりやすくするために、4つのグループに分けて考えてみます。

 「聖書は神の言葉である」と告白するわたしたちの立場から最も遠い立場は、「聖書は人間の言葉である」という理解です。この理解はさらに二つのグループに分けられます。一つは、キリスト教信仰を持っていない人にとっては、聖書は人間が書いた文書と理解されます。聖書を歴史的文書として研究し、古代社会の文化や生活の記録として読み、研究している学者もたくさんいます。あるいは、高い倫理観や道徳を教える書、人生哲学や処世訓の書ととらえる人もいます。彼らはそれなりに聖書を高く評価し、研究に値する文書として尊敬の念をもって聖書と取組んでいます。しかし、彼らは聖書から、神に対する信仰と主イエスによる罪のゆるしを受け取ることはありませんし、それを期待もしません。

 第二のグループとして、キリスト教徒の中にも、聖書を神の言葉ではなく、人間の言葉として理解している人が少なくはありません。彼らは聖書を、紀元前のイスラエルの民と紀元後の教会の民が、それぞれの時代の信仰的体験を記録し、そこに神の存在と真理とを見いだした信仰の証しの書であることを認めます。そこから、彼らなりの真理を発見したり、神の存在を信じたり、信仰を養ったりすることもあります。しかし、そうであっても、聖書はあくまでも人間が書いた人間の言葉であるので、時には自分が受け入れられない言葉や教えがあれば、それは無視したり、否定したりもします。結局、彼らには神に対する恐れはありませんし、真実の悔い改めもありませんから、その信仰は薄く、弱いものでしかありません。実は、今日、そのように人間の書として聖書を読み、そのような人間主体の信仰を持っているキリスト者が多いのではないかと思います。

 第一のグループも第二のグループも、聖書を神の言葉ではなく、人間の書と理解している限り、そこでは神の言葉としての真実の力も命も、また真実の救いの恵みも受け取ることはできません。預言者イザヤはイザヤ書55章8節以下で次のように告白しています。【イザヤ書55章8~11節】(1153ページ)。「聖書は神の言葉である」と信じ、告白する時にこそ、わたしたちもまたイザヤと共にこのように信じることができるのです。

 第二の立場は、聖書は神の言葉と人間の言葉との両者を含んでいるという理解です。続けて、第三の立場は、聖書は人間の言葉であるが、そこに聖霊が働くときに神の言葉になるという理解です。この第二と第三の理解については、神学的に厳密に分析しなければなりませんが、きょうはこの二つを一緒にして、ごく簡単に説明しておくにとどめます。

 先に述べた「聖書を人間の言葉」と理解する第二のグループが近年のキリスト者に多くなったのと同様に、この第二、第三の理解もまたプロテスタント教会に広がっているように思われます。この両者に共通している特徴は、「聖書は神の言葉である」という信仰があいまいであり、人間の恣意的な判断で、時には神の言葉になったり、時には人間の言葉であったり、その人の勝手な判断に左右されるという点です。

 ここには、近年の合理主義的理解と聖書を学問的に批判研究する方法が急速に進んだために、「聖書は神の言葉である」と断定することができなくなったという事情があるように思われます。聖書の中には合理的な説明がつかないことや、互いに矛盾しているような記述が少なからずあります。また、聖書を歴史の資料として分析したり、あるいは文学的な構造を研究したりすることによって、今までの伝統的は信仰理解とは違った意味を読み取ることもあります。さらには、この箇所は今日の社会の常識からはあまりにもかけ離れているから書き改められなければならないとか、聖書の中には古代社会の古い慣習や生活様式があり、それにとらわれているから、近代の社会常識によって再解釈されなければならないとか、実に多様な聖書理解が生み出されてきています。そのような中で、「聖書が神の言葉である」と単純に断定することが困難になっていることが背景にあると思われます。

 けれども、わたしたちはそれでも第四の立場を断固として貫き通し、「聖書は神の言葉である」と明確に告白しているのです。それには何の条件も付けず、何の制限も設けず、単純明快に「聖書は神の言葉である」と告白しているのです。その積極的な意味を、わたしたちは正しく理解しておくことが大切です。

 預言者イザヤは40章8節でこのように言います。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」。新約聖書・ペトロの手紙一1章23節以下では、このイザヤの預言を引用しながらこのように言っています。【23~25節】(429ページ)。

 また、テモテへの手紙二3章15~16節にはこう書かれています。【15~16節】(394ページ)。さらにもう一箇所、テサロニケの信徒への手紙一2章13節で使徒パウロはこのように書いています。【13節】(375ページ)。

 以上のように、聖書はそのすべてのみ言葉が神の言葉であり、永遠に変わらない、生きた命の言葉であり、決して人間の意志や考えによって書かれたのではない。神の霊によって書かれた神の言葉である。それゆえに、聖書のみ言葉はわたしたちを罪から救い、新しい命を注ぎ込み、わたしたちをまことの命に生かす真理と命に満ちた神の言葉なのである。これがわたしたちの信仰であり、「聖書論」の中心です。

 では次に、そのような信仰と「聖書論」をさらに深めるために、いくつかの点について考えていきます。第一には、聖書の本来の著者は神ご自身であり、聖霊なる神であるということです。神は、それぞれに時代の信仰者や預言者たちをお用いになって、また福音書記者や使徒たちをお用いになって、ご自身の救いのみわざについてお語りになり、それを記録させてくださいました。それゆえにペンを手にとって書いたのは預言者や使徒という人間でしたが、彼らは主なる神への信仰と服従をもって、聖霊なる神の導きによって書いたのであり、本来の第一の著者は神ご自身であると言えます。

神はまた、その時代の文化とか生活様式とか、あるいはその土地の言語をお用いになって、その時代の人々にお語りになりました。したがって、古い時代に書かれた神の言葉である聖書が、時代的・文化的制約を受けるということはあり得ることですが、しかしわたしたちはその時代の枠を超えて、永遠の真理と命とを持っている神のみ言葉から、神がその時代の人々に何を語られたのか、そして今、今日のわたしたちに何を語っておられるのかを、読み取っていくことができるのです。

 第二には、聖書が書かれたのが神の霊感によるのであり、人間が神の霊に導かれて書かれたように、聖書を読む場合にも神の霊によって、聖霊なる神の導きによって読まなければならないということです。わたしたちの心と肉体はみな罪の誘惑にさらされており、肉の弱さの中にあります。神のみ言葉を聞くことも、それを受け入れ、信じることもできませんから、聖霊によって暗い心が明るく照らされ、かたくなな心が打ち砕かれ、眠っている魂が目覚めさせられなければなりません。

 第三に、聖書が神の霊によって書かれ、また神の霊によって読まれなければならないというわたしたちの信仰は、先に第三の立場として紹介した、聖書は人間の言葉であるが、聖霊によって神の言葉になるという理解とは、根本的に違うということです。第三の立場の人たちには、そもそも聖書が神の言葉であるとの信仰が欠けているために、聖書に向かう姿勢として、神への恐れとか、罪びととしての砕かれた心とか、真実の悔い改めとかがありません。聖霊なる神に対する全き信頼と服従の信仰が欠けています。

 もう一つ付け加えておきたい点は、「聖書は神の言葉である」というわたしたちの信仰は、いわゆる「逐語霊感説」とは違うということです。「逐語霊感説」というのは、聖書の言葉の一字一句がすべて神の霊感によって書かれているので、すべて誤りがなく、文字どおりに理解され、信じられなければならないとする考えです。英語では「バーバル・インスピレィション」と言い、彼らは一般に根本主義者(ファンダメタリスト)と呼ばれます。

 しかし、この理解は、聖霊を重んじているようですが、実際には聖霊が聖書の言葉すべてに機械的に働くととらえられており、聖霊の自由な働きがむしろ妨げられていると言わなければなりません。

 最期に、カール・バルトの「神の言葉の三様態」について簡単に触れておきたいと思います。「様態」とは、様式、あるいは働き、性質という意味ですが、神の言葉には三つの様態があり、それらがいわば三位一体となって理解されるべきであるという説です。一つは、書かれた神の言葉である聖書。二つは、受肉した神の言葉である主イエス・キリスト。三つは、語られ、宣教された神の言葉である説教。この三つの神の言葉を一つの神の言葉として、互いに深い関連を持つものとして理解されることが重要です。

 わたしたちは主の日の礼拝ごとに、書かれた神の言葉である聖書の朗読とその解き明かしである説教を聞き、そこで受肉した神の言葉である主イエス・キリストと出会い、主イエス・キリストの十字架と復活の福音を信じる信仰によって罪ゆるされ、罪と死と滅びから解放され、来るべき神の国の民としての永遠の命の約束を受けることができるのです。

 

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちをこの世の朽ちるパンによってではなく、永遠の命に至るあなたのみ言葉によって養い、育ててください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月18日説教「エジプトで増え広がったイスラエルの人々」

2024年2月18日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記1章1~14節

    使徒言行録7章17~22節

説教題:「エジプトで増え広がったイスラエルの人々」

 旧約聖書の最初の5つの書を「モーセ五書」と言います。伝説ではモーセが書いたとされていますが、モーセ以後の時代のことも書いてありますので、実際にはモーセ一人が著者ではなく、多くの伝承や資料などが編集されて今日のように5つの書のまとめられたと推測されます。ヘブライ語聖書では「モーセ五書」は「律法」に分類されます。マタイによる福音書5章17節で、主イエスが「わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである」と言われた時、「律法」とは「モーセ五書」を指していたと考えられます。

 「モーセ五書」の第二の書が、きょうから読み始める出エジプト記です。ヘブライ語聖書の書名は、その書の最初の言葉で言い表すのが一般的です。創世記は「初めに」がヘブライ語聖書の書名になっています。出エジプト記は「そして、これらがその名前である」が書名です。出エジプト記という書名が用いられたのは紀元前1、2世紀ころに完成したギリシャ語訳聖書の「エクソドス」に由来し、それが中国語聖書で用いられ、日本語訳聖書でも採用されました。ギリシャ語のエクソドスは「出立」「退出」を意味していて、イスラエルの民がエジプトの奴隷の家から神によって救い出され、新しい地へと出立したというこの書の内容と一致しています。

 では、【1~5節】。口語訳聖書では、1節の冒頭に、「さて」という言葉がありましたが、新共同訳聖書では訳されていません。さきほど紹介したように、ヘブライ語では、「そして、これらがその名前である」と始まりますが、冒頭には、ヘブライ語で「ヴェ」と発音される小さな言葉があります。これは前の文章との続きを意味する接続詞の働きをしており、日本語では、「そして、さて」と訳されることもありますが、多くは訳されません。出エジプト記の冒頭にこの「ヴェ」という接続詞があるということは、前の創世記との関連性、連続性を意味しています。その連続性について、まず考えてみましょう。

 創世記と出エジプト記の連続性とは言っても、歴史的経過をたどれば、その間には400年以上の年月があります。そのことについては、すでに神がアブラハムに約束して語っておられました。【創世記15章13~14節】(19ページ)。エジプト滞在期間については、出エジプト記12章40節、41節では430年とあり、二つの説があったようです。古代社会では40年が一世代と考えられていましたので、ヤコブ・イスラエルの家族は10世代をエジプトの異郷の地で過ごしたことになります。

 出エジプト記1章1節の冒頭では、その400年余りの時の経過を、「さて、そして」という短い言葉で接続しているのですけれど、そこには長い時の経過を貫いて、あるいはその時の経過を越えて、密接な連続性があるということを、わたしたちは確認することができます。そこには、主なる神の永遠なる救いのご計画があると言ってよいでしょう。

 創世記50章の最後は、大飢饉のためにエジプトに移住した族長ヤコブ・イスラエルの死と、彼の12人の子どもたちのうち、先にエジプトに行っていて、父や兄弟たちをエジプトに呼び寄せたヨセフの死の記録をもって終わっています。それから400年余りの期間に、エジプトの地で神がどのようにヤコブ・イスラエルの一族を導かれたのか、彼らがどのような信仰生活を送ったのかについては、聖書の記録は全くありません。いわば、空白の400年と言えるかもしれません。

 けれども、その間にも、神はエジプトに移住したイスラエルの子孫を忘れておられたのでも、彼らをお見捨てになったのでもありません。神の救いのご計画が停滞するとか、中止されてしまうのでもありません。神が族長アブラハム、イサク、ヤコブに繰り返して語られた契約、約束のみ言葉は無効になったのではありません。創世記50章24~25節で、ヨセフが遺言として語った言葉は、400年以上の年月を経ても、決して忘れられることも、無効になることもありません。それを確認しておきましょう。【24~25節】(93ページ)。神はこの空白の400年にも、約束のみ言葉の成就のために働いておられ、救いのみわざを前進させ、イスラエルの子孫を導いておられたのです。

 そのことは、出エジプト記のきょうのみ言葉からもうかがい知ることができます。【6~7節】。多くの子どもが生まれ、子孫が増えることは神の祝福のしるしです。神は天地創造の第六日目に人間を創造され、このように言われました。創世記1章28節にこう記されています。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』」。また、神がアブラハムにこのように約束されました。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」(創世記12章2節)。同じような約束のみ言葉を、その子ヤコブも、その子イサクも繰り返し聞きました。その神の約束のみ言葉は、エジプトでの空白の400年間にも、決して忘れられてはいませんでした。

 創世記から出エジプト記への連続性は、イスラエルの側からも確認することができます。1節の「ヤコブ、イスラエル」は明らかに一人の族長の名前です。彼の12人の子どもたちとその家族70人も個人の人数として数えられています。ところが、7節の「イスラエルの人々」は民族の名前であるように思われます。9節の「イスラエル人」12節以下の「イスラエル人」は明らかに民族の名前になっています。エジプトという異教の国、言葉も生活習慣も、もちろん信じる宗教も違う国で、しかも400年、10世代を重ねた彼らは、その間ずっと、お一人の主なる神を信じる一つの神の民として生き、一つの信仰共同体として成長していったのだということをわたしたちは推測できます。彼らは、アブラハム、イサク、ヤコブに繰り返して語られた神の契約、神の約束のみ言葉を信じ続けてきたのです。6節に、【6節】と書かれていましたが、幾世代にもわたって人間の生と死とが繰り返されていく中で、しかしその人間の死をも超えて、神の救いのご計画は続けられていきました。それゆえに、幾世代にもわたって、神を信じる神の民もまた生き続けることができたのです。

 次に、【8~14節】。ヨセフはわたしたちが創世記で読んできたように、全世界を襲った7年間の大飢饉の際に、神から与えられた知恵によってエジプトを飢饉から救い、それだけでなくエジプトに大きな富をもたらしました。ヨセフはエジプト王ファラオに次ぐ地位に就き、当時エジプトでヨセフの名前を知らない者はいないほどでした。しかし、長い年月とともに人間の功績は忘れ去られていきます。主なる神はイスラエルの民を決してお忘れにはなりませんでしたし、イスラエルの民もまた主なる神を忘れませんでしたが、この世のことはすべて移り行き、過ぎ去り、消え去っていきます。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」とイザヤ書40章に書かれてあるとおりです。主なる神のみ言葉とそれを信じる神の民はいつの時代にも固く立つことができます。

 「ヨセフのことを知らない新しい王」はだれを指すのか。それを特定することが出エジプトの年代を決定することになります。今日多くの学者はこう考えます。まずヨセフとその家族がエジプトに移住した年代ですが、それはエジプト第15王朝か第16王朝と推測されています。紀元前1720年から1570年になります。この王朝はヒクソスという外国からの侵略者がエジプトを支配していました。ヒクソスはイスラエルの民ヘブライ人と同じセム系の人種でしたので、ヨセフたちがエジプトに移住してよい待遇を受けることができたのではないかと考えられるからです。また、ヨセフがエジプトで高い地位に就くことができたのもそのことが関係していたと考えられます。

 新しい王とは、ヒクソス王朝が終わり、新王国時代と言われる第18王朝以後の王であろうという点では、学者の意見はほぼ一致しています。イスラエル一族の滞在期間が400年余りということも考慮に入れれば、イスラエルを迫害した王は、第19王朝の創始者セティ一世(BC1309年~1290年)であり、出エジプトの時の王は次のラメセス二世(BC1290年~1224年)ではないかとする説が有望です。

 いずれにしても、エジプト側には全く記録がないので確かではありません。出エジプトの出来事は、イスラエルの側にとっては、民族の誕生であり、神の大いなる救いのみわざですが、エジプト側にとっては取るに足りないことであり、むしろ屈辱的な出来事ですから、その記録を完全に無視したということはあり得ることです。

 新しいエジプトの王は、増え広がり、大きな民となったイスラエルを恐れ、彼らを強制労働に駆り立てます。それによって、彼らの体力を奪い、出産能力を減少させようとしたのかもしれません。しかし、エジプトの王は、イスラエルの目覚ましい成長と強さがどこから来るのかをまだ知りません。もしそれが、人間の中から出てくる民族意識とか、団結力とか、勤勉さに由来するものであれば、人間の力で抑え込むことができたかもしれません。けれども、イスラエルは苦しめられれば苦しめられるほどに、ますます大きく、強くなっていきました。イスラエルの生命力、その逞しさ、その忍耐力は、主なる神から来るものであったかからです。神が彼らと共にいてくださったからです。

 ここでわたしたちが気づかされることは、エジプトの王はイスラエルの民が増えることを恐れ、戦争が起これば彼らが敵に回るかもしれないと恐れ、彼らを強制労働によって迫害することで、彼らを押さえつけ、その力を奪おうとしているのですが、実はそれは主なる神に対して戦いを挑み、主なる神の救いのご計画に抵抗していることなのだということです。エジプトの王自身はまだそのことに気づいてはいませんが、イスラエルの人々はその信仰によって、主なる神が共にいてくださるのであれば、エジプトの国家権力によっても自分たちが決して弱ることなく、消し去られることもないことを信じています。エジプトの王は、増え広がるイスラエルの人々を恐れています。奴隷の民を恐れています。しかし、イスラエルの人々は主なる神のみを恐れ、主なる神のみに仕えています。ここにすでに、神の民の最終的な勝利が約束されていることをわたしたちは知らされます。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、きょうもまたあなたの永遠なる救いのご計画の中にわたしたちを招き入れてくださいましたことを感謝いたします。わたしたちの小さな群れと、わたしたち一人一人をも、どうか主イエス・キリストを信じる信仰によって固く立たせてください。

○天の神よ、先日わたしたちの群れに属する愛する一人の姉妹が、地上のすべての歩みを終えて、あなたのみもとへと召されました。あなたがこの姉妹に信仰を与え、この教会の交わりにお加えくださいましたことを感謝いたします。どうか、ご遺族の上に天からのお慰めと平安が与えられますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。