4月12日説教「葦の海の奇跡を行われた神の威光を賛美する歌」

2026年4月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記15章1~21節

    マルコによる福音書4章35~41節

説教題:「葦の海の奇跡を行われた神の威光を賛美する歌」

 エジプトの奴隷の家を脱出したイスラエルの民は、約束の地カナンへ通じる道ではなく、荒れ野、砂漠地帯へと至る道に導かれました。それはイスラエルの民を選ばれ、この民を愛された主なる神の深いみ心によることでした。神は約束の地カナンでイスラエルの民が神によって選ばれ、救われた民として、いついかなる時にも、ただ主なる神だけを礼拝し、主なる神の言葉にのみ聞き従う民として生きていくための信仰の訓練をするために、何もない荒れ野でただ神だけを頼りにして生きることを学ばせたのです。神は愛する者たちを訓練するために、時に困難や試練を与え、その中でも主なる神を疑わず、主なる神の導きを信じて、すべての困難に耐え抜く信仰を養われるのです。

 荒れ野へと出ていく前に、彼らにはもう一つの信仰の試練と訓練が与えられました。エジプト軍が大勢の戦車隊を率いて彼らの後を追ってきたのです。行く手には海が彼らの逃げ道をふさいでいます。軍隊も武器も持たないイスラエルの民にはなすすべがありません。でも、そのような絶体絶命の危機の時でも、神はイスラエルの民をお見捨てにはなりませんでした。彼らはなおも主なる神を信じる信仰によって、エジプトの王ファラオとその大軍とに勝利することができるという奇跡を経験しました。モーセが杖を高く挙げると、海は二つに分かれ、乾いた地が現われ、イスラエルの民はその道を安全に渡ることができ、彼らが渡り終えてから再びモーセが手を差し伸べると、海の水がもとに戻り、そこを渡っていたエジプト軍はみな海の中にのみ込まれてしまったのでした。

 これを一般には紅海の奇跡と呼びますが、ヘブライ語原典では葦の海となっていますので、『新共同訳聖書』ではその翻訳を採用しています。

 出エジプト記15章にはその葦の海の奇跡を歌った二つの歌が記されています。1節から19節は、モーセとイスラエルの民が歌った歌、20節から21には、モーセの兄弟であるアロンの姉、ミリアムの歌です。

 先に、ミリアムの歌の方を見ていきましょう。ここには、古代の慣習が反映されていると考えられています。古代社会では、男たちが戦いから帰ってくると、家で待っていた女性たちが太鼓やタンバリンを持って帰還する兵士たちを勝利の歌で出迎えたといいます。

 このミリアムの歌はわずか1節だけです。【21節】。モーセの歌の15章1節とほぼ同じです。【1節】。モーセの歌では「わたしは歌おう」と1人称単数ですが、ミリアムの歌では「あなたがたは歌え」と2人称複数の命令形になっています。モーセは自分が今経験し、見た、驚くべき神の奇跡を、わたしの神賛美として、わたしの信仰告白として歌っています。ミリアムの歌では、共に集まっている礼拝者が一緒になって神賛美を歌い、信仰告白へと参加するように招いています。

 ここには、神を賛美する讃美歌と、神への信仰の内容を告白する信仰告白が持っている二つの特徴があるように思います。すなわち、わたしたちが礼拝で讃美歌を歌い、また信仰告白を唱和することには、この二つの意味、役割があるということです。一つは、わたしの神賛美の歌を歌い、わたしの信仰を告白するということ、もう一つには、礼拝者一同が共にその賛美によって一つの群れとされ、その信仰告白によって、一つの信仰告白共同体とされるということ、この二つを常に意識してわたしたちは礼拝で讃美歌を歌い、また信仰告白を唱和するのです。

 では次に、モーセの歌の内容について学んでいきましょう。1節の「主は大いなる威光を現わし」と訳されている個所は、もとのヘブライ語を直訳すれば、「高々と高くなった」という意味で、「高い」という同じ意味の言葉が重ねられ、その高さが強調されています。いろんな翻訳が可能で、『口語訳聖書』は「輝かしくも勝利を得られた」と訳していました。これは、葦の海の奇跡で神がなし遂げられたエジプト軍に対する勝利のみわざを、具体的に表現した翻訳と言えますし、『新共同訳聖書』はそのような奇跡のみわざをなされた神の本質をとらえて、「大いなる威光を現わし」と訳したと思われます。最も新しい翻訳である『聖書協会共同訳』(2018年)では、「なんと偉大で、高く上げられる方」と訳しています。

 わたしたちはここで、創世記11章に書かれている「バベルの塔」の物語を思い起こします。古代の人々が発達した文明を誇り、レンガを高く積み上げて天にまで高く昇れば、自ら神のようになれると思ったとき、神は天からそれを見降ろされ、ご自身が天から降りてこられ、人間が積み上げた高い塔を崩され、人々を地に散らされたという物語です。人間がどんなに努力しても到達できない、はるかに高い天に神はおられるのです。そのように、神はすべてにおいて人間よりもはるかに高い所におられるのです。その力においても、その偉大さにおいても、その愛と恵みの大きさにおいても、その知恵においても、その栄光と誉れにおいても、神は人間のはるかに高いところにおられます。もちろん、エジプト王ファラオの権力やエジプト軍の破壊力や、また彼らの知恵よりも、神はすべてにおいて、はるかに高く、偉大であり、栄光に満ち、彼らのすべてのたくらみに対して勝利されるのです。

 2節以下には、神の特徴とそのお働きを意味する言葉である「力」「救い」「いくさびと」などの言葉が繰り返されています。6節には「あなたの右の手」、また7節には「大いなる威光」「あなたの怒り」、10節には「あなたの息」、11節では「聖」と「輝き」「ほむべき御業、くすしき御業」などの言葉が続きます。これらのすべての言葉が、イスラエルを救われた主なる神にこそ最もふさわしいものです。しかも、それらのすべてにおいて、神はエジプト王ファラオやエジプトの軍隊、そしてすべての人間よりもはるかに高く、強く、偉大であり、また永遠なるお方なのです。神はその偉大なるみ力によって、葦の海を二つに分けてイスラエルの民を安全に渡らせ、後を追ってきたエジプト軍の全部隊を、再び戻ってきた海の水の奥底へと沈めたのです。

 イスラエルの民は葦の海の奇跡によって、このような神の偉大な救いのみわざを体験しました。これから先、彼らは40年もの長い荒れ野での旅を続けなければなりませんが、神は常に変わらずそのような高きにいます偉大な神であり続けられ、イスラエルの民に必要なものすべてを備えてくださるで神であり続け、困難な道のすべてを終わりまで導いてくださり、約束の地カナンへと彼らを導き入れてくださるという、確かな約束を、彼らはこの葦の海の奇跡で受け取ることができたのです。そして、モーセはこの歌によって、その信仰を告白しているのです。

 わたしたちが信じ、礼拝している主イエス・キリストの父なる神は、ここでモーセが賛美しているイスラエルの神と同じ神です。わたしたちにとっても、わたしのすべての魂と心と思いとを尽くして賛美すべき神は、この神以外にはありません。わたしたち人間よりもはるかに高きところにおられ、はるかに大いなる力と威光とを持っておられ、はるかに強い、いくさ人として、わたしのために、わたしに代わって、すべての敵と戦ってくださり、ついにはすべての罪と悪とに勝利される神を、わたしたちもまた共に賛美し、ほめ称え、またこの神に信仰を告白するようにと招かれています。わたしたちもまた、「あなたがたは主に向かって歌え」とのミリアムの呼びかけに応えて、また、「主に向かってわたしは歌おう」とのモーセと声を合わせて、イスラエルの主なる神、主イエス・キリストの父なる神、いと高き天におられる神に向かって、賛美の歌を歌い続けるのです。

 11節からの歌の後半では、葦の海の奇跡を行われた神とはどのような神であるのかがより具体的に、歌われています。【11~13節】。11節の「神々の中に」とあるのは、主なる神以外に他の神々の存在を認めている、いわゆる多神教の考えを肯定しているような表現に聞こえるかもしれませんが、内容的には必ずしもそうではなく、「誰があるでしょうか」とは、「いや、だれもいない。どのような神も存在しない」という意味であり、「聖」という言葉も、他のものから区別するという意味を持ちますから、イスラエルの主なる神だけが聖なるまことの神であり、他のすべてのものは、神々と呼ばれることがあったとしても、それはまことの神ではなく、偶像に過ぎないということが言われています。

 13節は、神がイスラエルの民をエジプトの奴隷の家から、子羊の血によって贖われたことを告白しています。「慈しみ」というヘブライ語は「ヘセド」という発音ですが、旧約聖書の至る箇所に頻繁に出てくる重要な言葉ですから、覚えておいてください。多くは「慈しみ」と訳されます。慈しみ、ヘセドとは、神とイスラエル、また神と人間との契約に基づく、永遠に変わらない神の愛を意味する言葉であると言われます。この神の慈しみは、み子主イエス・キリストをこの世に派遣され、み子の十字架の死と復活によって全人類の救いのみわざをなし遂げてくださるまで、変わりませんでした。また、世の終わりのみ国の完成に至るまでも変わりません。

 13節の「聖なる住まい」とは、約束の地カナンを指すと考えられます。14節以下のペリシテ、エドム、モアブなどは約束の地カナンにもともと住んでいた民族を指しますから、ここではすでにイスラエルの民が約束の地に到着することが暗示されていると言えます。葦の海の奇跡は、荒れ野の40年間の旅を安全に守り導かれるという神の保証であるだけでなく、カナンの地を与えるという神の約束の保証でもあったのです。

 最後に、紅海の奇跡の出来事は、旧約聖書においても新約聖書においても、イスラエルの出エジプトと並んで大きな出来事として、何度も繰り返して思い起こされ、歌われ、告白されてきました。その一部を読んでみましょう。最初は、【申命記11章4節】(298ページ)。次に【詩編136編13~15節】(977ページ)。新約聖書では【ヘブライ人への手紙11章29節】(356ページ)。出エジプトと紅海の奇跡を行われた主なる神、そして主イエス・キリストによって全人類の救いをなし遂げてくださった父なる神を、わたしたちは永遠にほめ歌い、告白していきましょう。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの慈しみは永遠であり、すべての人間たちの思いや行いをはるかに超えて、あなたはその救いのみわざを実現されます。わたしたちは唯一の主なる神であるあなたを誉め歌い、告白します。どうぞ、今この世界にあっても、あなたのみ心が行われますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

4月5日説教「主キリストの死と復活から始まる新しい命」

2026年4月5日(日) 復活日(イースター礼拝)

秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編16編1~11節

    コリントの信徒への手紙一15章12~20節

説教題:「主キリストの死と復活から始まる新しい命」

 きょうは主イエス・キリストの復活を記念する復活日、イースターです。教会で日曜日に礼拝がささげられるようになったのは、主イエスが復活された日が日曜日の朝であったので、それまではユダヤ人の安息日は土曜日でしたが、この日に変更されたということは知っておられると思います。いつからそうなったのかについては、正確な記録は見つかっていませんが、紀元30年ころに教会が誕生してから、そんなに期間を置かずに、日曜日の礼拝が定着したのではないかと推測されます。というのも、ヨハネ福音書の終わりの箇所に書かれているように、日曜日の朝に最初に墓で主イエスの復活の知らせを聞いた婦人に続いて、その日の夕方には弟子たちが集まっている場所に復活された主イエスがそのお姿を現わされ、そして1週間後の日曜日にも、また弟子たちの集まっていた場所に復活の主イエスが現れたということがあったからです。主イエスが復活されてから天に上られる昇天の日まで、40日間にわたって、主イエスは多くの弟子たちに復活のお姿を現わされました。その経験から、日曜日にはまた復活の主イエスにお会いできるであろうという期待、願い、信仰が自然に生じてきたことが、容易に推測できるからです。

 コリントの信徒への手紙一15章で、使徒パウロは初代教会の信仰告白を引用して、こう書いています。【3節b~8節】。主イエスの復活という出来事はこのような多くの、多種多様な証人たちの証言と信仰によって支えられ、証明され、証しされているのです。そして、それから2千年の世界の教会の歩みの中で、事実、多くの信仰者が、日曜日、主の日の礼拝の中で、復活された主イエス・キリストと、信仰によって、霊的な体験によって、生きた出会いを経験してきたのです。主イエス・キリストの復活はキリスト教信仰と教会誕生の土台であり基礎であると言えます。それだけでなく、主キリストの復活はわたしたちの信仰と教会の存在、そしてその命のすべてを支える土台であり基礎でもあります。

きょうの礼拝で朗読された14節にこのように書かれています。【14節】。また、【17節】。先ほど述べたように、キリスト教の信仰と教会の存在が主キリストの復活にその土台と基礎を持っているということが、ここではその反対側から語られています。それによって、その事実がより強調されているのです。すなわち、もし主キリストの復活がなければ、キリスト教の信仰も教会の誕生もあり得なかったではないか。しかし、今現在、コリントの町に教会が建てられ、あなたがた信仰者が存在し、そして主の日ごとに礼拝がささげられているという確かな現実をあなたがたは見ており、経験しているではないか。そうであるとすれば、いったい誰が、どのようにして、主キリストの復活なんてなかったなどと言うことができるであろうか。パウロはそのように言って、主キリストの復活の確かさを再確認しているのです。

 いつの時代でも、主イエスの復活を信じきれない、そんなことが実際にあったなどとは考えられないという意見を言う人がおります。主イエスの時代も、今日でも同様です。おそらくは、人間はみなそれほどに死に支配され、死の恐怖から逃れられないからでしょう。あるいは、死に敗北せざるを得ないからでしょう。32節にこのように書かれています。「もし、死者が復活しないとしたら……」【32節】。人間は誰も死に勝利することはできません。死の前では、諦めるか、無視するかしかできません。

 でも、パウロは15章の終わりで、ただお一人、死に勝利された主イエス・キリストを仰ぎ見ながら、このように勝利宣言をしています。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか……」【54~57節】。主イエス・キリストは十字架の死と三日目の復活によって、死のとげである罪に勝利されました。人間を死の中に閉じ込めていた罪を取り除き、神との生ける交わりを回復してくださったのです。そのようにして、主イエスを信じる信仰者たちにも勝利の約束をしてくださったのだと、パウロはこの復活の章と言われている15章を締めくくっています。そのようにして、主キリストの復活を信じきれないわたしたち人間に、復活信仰を持つことができるように、希望を与えてくださったのです。

 さて、パウロがこの手紙で取り上げている復活信仰をめぐる問題点のもう一つの課題は、12節に書かれてあるように、「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などないと言っている」こと、つまり、主キリストの復活は教会の信仰告白として受け継がれてきたのだから、そのことは信じるとしても、わたしたち人間が死んでから復活するということは信じられない、という人がコリントの教会の中にいたということです。

 この人たちがなぜ死者の復活を否定していたのかについては、いくつかの推測がなされています。この人たちは主イエス・キリストの十字架の死と復活を信じている信仰者ですから、彼らが信仰者の復活、人間の復活を信じないことには特別な理由があったと考えられます。その一つが、当時一般的であったギリシャ思想によって、霊魂不滅を信じていたという理由です。人間が死んで肉体は朽ちていくが、霊魂は永遠に生きるのだから、肉体の復活には重要な意味を見いだしていなかったからです。それが、哲学者プラトン以来のギリシャ思想の流れでした。キリスト教会にもそれが影響を与えました。

 死者の復活を否定したもう一つの理由として考えられているのが、初期のキリスト教会の中で起こった熱狂的な信仰運動で、今日グノーシス派と呼ばれている人たちの考えです。彼らは、洗礼を受けてキリスト者となったときに神の霊を受けて、神との深い霊的な交わりの中に招き入れられているので、すでにその時に復活が済んでいる。だから、終末の時の復活を期待する必要はないと考えていました。

 死者の復活を否定している彼らに対して、パウロはここで具体的な反論はしていません。パウロが彼らの考えが間違っている理由として挙げているのは、ただ一つ、主キリストご自身の復活の事実です。また、その主キリストの復活の事実が死者の復活と切り離しがたく、密接に結びついているということだけを語ります。【13節】。もし、死者の復活を否定するならば、主キリストご自身の復活をも否定することになるではないか、と。そうなれば、主キリストの復活を信じる信仰から始まったあなたがたの信仰生活と教会の存在は、何ら根拠のない偽りの証言によって始められたことになり、そのすべては全く空しくなってしまうのではないか、と。また、【14節】。そのようなことはあり得ないのだから、主キリストの復活を信じているあなたがたは、死者の復活をも信じる信仰へと招かれているのであり、それを信じるべきなのだ、と。

 わたしたちはここで死者の復活を否定していた理由として挙げた、ギリシャ思想の霊魂不滅の考えと、グノーシス派の復活はすでに済んだという考えの誤りについて少し考えてみたいと思います。この二つの考え方に共通している誤りは、そこでは人間の罪と死という事実が真剣にとらえられていないということです。人間の霊魂が永遠に生きるとか、神との直接的・霊的交わりによって永遠の命をすでに獲得しているという神秘的な考えは、人間の罪と死の現実を軽視させることになります。それは聖書の本来の教えではありませんし、キリスト教の正しい信仰でもありません。もし、彼らの考えのとおりだとするならば、なぜ天におられる神が人となられ、肉体をまとわれてこの世においでになられたのでしょうか。なぜ、神のみ子・主イエス・キリストが十字架で苦しまれ、血を流され、死なれたのでしょうか。それは、人間の罪のためであり、人間の罪に対する神の裁きとしての死を、罪なき神のみ子が経験されるためでした。主イエスはわたしたち人間の罪と取り組んで戦われ、わたしたちを罪の支配から救い出すために、十字架で苦しまれ、そして死なれたのです。ご自身の神のみ子としての尊い命をささげ尽くして、わたしたちの罪を贖ってくださったのです。罪の支配から買い戻してくださったのです。そして、主イエスは三日目に復活され、わたしたち人間の最後の最も恐るべき敵である罪と死に勝利されたのです。神のみ子である主イエス・キリストの十字架の死と復活こそが、ただそれのみが、わたしたちの罪と死の問題に正面から取り組み、文字どおりに命をかけて取り組み、またその解決と救いの道をわたしたちに与えるのです。

 では、どのようにして、主イエスの罪と死に対する勝利が、わたしたちの勝利となるのでしょうか。【20節】。旧約聖書のレビ記23章によれば、イスラエルの民は神の約束の地に到着して、春に大麦の収穫をするときに、その最初の穂を神にささげなさいと命じられています。初穂の祭りと言われます。それは、約束の地へと導かれ、その地を祝福して収穫をお与えくださった神に感謝するとともに、その初穂に続いて次々と豊かな収穫をお与えくださる神の約束を信じ、感謝するためです。初穂には、次の収穫が確かに続くという神の約束を伴っています。それと同じように、主キリストの復活には、わたしたち信仰者の復活がそれに続くという確かな約束を伴っているのです。

 パウロはその約束の実現の時について、23節以下で次のようにいます。【23~26節】。そのようにして、最後の敵である死が完全に滅ぼされるときに、主キリストの復活を信じる信仰者に主キリストと同じ勝利が与えられるのです。

 キリスト教信仰と教会の歩みは、主キリストの死と復活から始まっています。罪と死に対する主キリストの勝利から始まっています。わたしたちの信仰の歩みも同様です。それゆえに、わたしたちはどのような試練の時にも、苦しみや痛み、悲しみの中にあっても、そして死に臨んでも、決して希望を失うことなく、落胆することなく、神が約束しておられる終わりの日の勝利を目指して、歩み続けることができるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、主イエス・キリストの復活を記念するこの日の礼拝に、わたしたち一人一人をお招きくださいました幸いを心から感謝いたします。わたしたちの周辺には、あなたのみ心を痛めるような、さまざまな混乱や分断、争いがあり、悪と不正義が弱く貧しい人々を不安と困窮におとしいれています。主よどうか、この罪に支配されている世を憐れんでください。救ってください。主イエス・キリストの十字架と復活の福音が全世界に宣べ伝えられますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月29日説教「弟子たちの足を洗われた主イエス」

2026年3月29日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記12章1~14節

    ヨハネによる福音書13章1~20節

説教題:「弟子たちの足を洗われた主イエス」

 過越祭は旧約聖書の民イスラエルの最大の祭りでした。それは、信仰の民であるイスラエル誕生の原点であり、彼らの救いの原点でもありました。出エジプト記12章には、エジプトの地で奴隷であったイスラエルの民が主なる神の強いみ手によってそこから解放される夜に、最初に祝った過越祭について書かれています。イスラエルの民はそののち毎年同じ日に、同じようにして過越祭を祝ってきました。出エジプトの時代から1200年余りのちの主イエスの時代も同様でした。

 出エジプト記12章の定めによれば、イスラエルの新年、アビブの月、主イエスの時代にはニサンの月と言われていましたが、その月の14日の夕方に、子羊を屠り、家族ごとに集まってその肉を、苦菜やパン粉が入っていない固いパンと一緒に食べて、エジプトの奴隷の家から救い出されたことを覚え、神の救いのみわざに感謝するというのが過越祭の守り方でした。

 主イエスがエルサレムで地上の最後の1週間を歩まれた受難週が、ちょうどこの過越祭の時期であったと、福音書は語っています。それは単に、偶然時期が同じであったというのではなく、主なる神の永遠なる救いのご計画の中で、かつての出エジプトの出来事によってなされたイスラエルの民の救いのみわざが、主イエスのご受難と十字架の死によって、全世界のすべての人の救いのみわざとして成就されたということを、聖書は語っているのです。神がかつてイスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出されることによって始められたご自身の救いのみわざが、今や、ご自身のみ子である主イエス・キリストのご受難と十字架の死によって、わたしたちすべてを罪の奴隷からお救いくださる救いのみわざとして完成されたのです。

 新約聖書の4つの福音書は、主イエスのご受難と十字架の死が過越祭の時期であったこと、そして、過越祭で祝われていた神の救いのみわざが主イエス・キリストのご受難と十字架の死によって、その成就と完成に至ったという中心的なメッセージは一致していますが、その日付については、共観福音書とヨハネ福音書では1日のずれがあります。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)では、受難週の木曜日、ニサンの月14日の夕方、主イエスと弟子たちは共に集まり、過越の夕食を囲みました。その席で、主イエスはパンを取り、「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である」と言われ、ぶどう酒を注いだ杯を取り、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約である」と言われました。それは、次の日のご自身の十字架の死を指し示していました。これが、のちの聖餐式の制定語となったのです。

 ところが、ヨハネ福音書13章1節には、「過越祭の前のことである」と書かれています。ここから17章の終わりまでは、主イエスと弟子たちの最後の夕食の席での主イエスの最後の長い説教が語られていますが、この中には過越の食事のことも、聖餐式の制定後にあたる言葉も書かれていません。実は、ヨハネ福音書では、翌日の金曜日、主イエスが十字架に付けられたその日が、ニサンの月の14日、子羊が屠られる日と考えられているのです。そのことから、ヨハネ福音書では主イエスご自身が過越しの小羊、世の罪と取り除く神の小羊(ヨハネ福音書1章29節)と呼ばれています。主イエスは過越しの小羊が屠られるまさにその同じ時刻、ニサンの月の14日、午後に、十字架でご自身の命をおささげになられ、人々の罪の贖いを成し遂げられたと、ヨハネ福音書は語っているのです。

 共観福音書とヨハネ福音書の1日の日付のずれがどうして生じたのかについては、分かっていませんが、それぞれの強調点の違いと理解すべきでしょう。いずれの福音書も、また新約聖書全体も、主イエスのご受難と十字架の死が、わたしたちを罪から救うという中心的なメッセージは全く変わりません。

 ヨハネ福音書13章に書かれている、主イエスが弟子たちの足を洗われたというこの行為も、同じメッセージをわたしたちに語っているということを、まず確認しておきましょう。主イエスが弟子たちの足を洗われたことをまねて、司祭や教師が教会員の足を洗うという、いわゆる「洗足式」をこの日に儀式として行っている一部の教派があるようですが、わたしたちはこの出来事を主イエスによる罪のゆるし、罪の贖い、罪からの清めという、あくまでも主イエスご自身の救いのみわざとして理解すべきであると考えます。

1節から読んでいきましょう。「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り」と書かれています。ここにはヨハネ福音書の特徴がよく表現されています。ヨハネ福音書では、主イエスのご受難と十字架の死は、それに続く三日目の復活、更に40日後の召天、そして50日目のペンテコステ・聖霊降臨、これらのすべてが一続きの出来事であり、神のみ子である主イエスがご栄光を受ける時であり、救いが完成される時であり、天の父なる神のみもとへの凱旋帰国であると考えられているのです。そして、主イエスは神のみ子として、ご自身の最後の目的に向かって、自覚的に、喜んで、進んで行かれるのです。それはまさに、「御自分の時が来た」ということなのです。

ここから主イエスの受難物語が始まりますが、その内容は共観福音書とほとんど同じです。主イエスは弟子のユダに裏切られ、弟子のリーダーであるペトロによって3度も「あの人は知らない」と拒絶され、この世の指導者たちによって裁かれ、すべてのユダヤ人から見捨てられ、民衆からはののしられて、ただお一人でご受難と屈辱と悲惨で非業な十字架での死を遂げられる主イエスのお姿がそこで描かれています。しかしヨハネ福音書は、そこに神のみ子主イエス・キリストのご栄光と勝利とを見ているのです。

2節と11節には、12弟子のひとり、イスカリオテのユダの裏切りについて書かれていますが、このユダの裏切りをも含めて、ペトロの拒絶、この世の支配者たちによる偽りの裁判、民衆の「十字架につけよ」という叫び、それらのすべての人間の罪の中で、それらの人間たちの罪を貫き、それをはるかに超えて、神の救いのみわざが成し遂げられていくのであり、主イエスはその父なる神が定められた道を決然としてお進みになるのです。

13章1節をさらに読み進むと、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」と書かれています。「この上なく愛し抜かれた」という個所は、「最後に至るまで、極みまで、完成に至るまで、愛された」という意味を持ちます。ここから、いくつかの深い意味を読み取ることができます。第一には、文字どおり、最後に至るまで、主イエスのご生涯の初めから、弟子たちをお選びになられたその時から、目の前に迫っている十字架の死に至るまで、ご自身の命をかけて、ご自身の命のすべてを注ぎ込んで、弟子たちを、またわたしたちを愛されたという意味です。これが、主イエスのわたしたちに対する愛です。

第二には、愛の極みまで、愛の最高の高さ、深さ、真剣さを強調する意味です。聖書は至る所でこのような主イエスの愛、父なる神の愛について語っています。ローマの信徒への手紙8章にはこう書かれています。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜わらないはずがありましょうか。……艱難であれ、迫害であれ、死であれ、どんなものであっても、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(8章31~39節参照)。また、ヨハネ福音書3章16節にはこうあります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。これが神の最高の愛であり、主イエス・キリストの愛の極みです。これこそが、唯一愛の名に値する真実の愛です。それゆえに、「神は愛である」(ヨハネの第一の手紙4章16節)と言われます。

第三の意味として、最後の完成に至る愛、その本来の目的に到達した愛ということです。主イエスのご受難と十字架の死は、わたしたち罪びとに対する主イエスの愛の最後の目的地です。わたしたちに対する主イエスの愛の完成です。それゆえに、それがわたしたちをすべての罪から贖い、解放し、救う力を持つのです。主イエスの十字架による愛がわたしたちを罪から救うのです。他の何ものによっても、他のどのような方法によってもゆるされることがないわたしたちの罪が、このようにして、完全に贖われ、ゆるされ、わたしたちは罪と死と滅びとから解放されているのです。

以上のような主イエスの特別な愛と救いのみわざとして、ご受難と十字架の死があります。したがってまた、そのような特別な愛と救いのみわざとしての主イエスが弟子たちの足を洗われたという洗足の行為があります。ここから離れて、主イエスのこの行為を単なる謙遜とか、安っぽい隣人愛、奉仕として理解することはできませんし、すべきではありません。

【3~6節】。3節でも1節と同様に、主イエスの誕生からご受難、十字架の死、復活、昇天、聖霊降臨までが一続きの父なる神の救いのみわざであることが強調されています。主イエスはその父なる神のみ心に忠実に服従され、父なる神から託された救いのみわざを成し遂げられるために、弟子たちの足を洗われたことがここでも明らかにされています。ここで特に重要なポイントは、父なる神から託された救いのみわざを、主イエスはご受難と十字架の死によって成し遂げられようとしておられることです。そして、それゆえにまた、神からすべての権限を委託された神のみ子であられる主イエスが、奴隷のようになられ、弟子たちの足を洗われることによって、その神から託された権限を果たそうとしておられるのです。

ここには、神のみ子の完全なる自己否定、自己犠牲があります。人間社会の中で見られる、少しばかり身を低くして謙遜になって他者に仕えるというような教えや模範行為というのではなく、ご自身の命のすべてを注ぎだされ、神のみ子としての権威や栄光のすべてを投げ捨てられ、まさに奴隷となって罪びとにお仕えくださる主イエスの完全なる自己放棄があるのです。それによって、わたしたちの罪がゆるされているのです。その罪のゆるしがあって初めて、わたしたちもまた互いに仕え合う愛の奉仕へと招かれているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたが独り子主イエス・キリストをご受難と十字架の死に引き渡されるほどに、わたしたち罪びとを愛してくださったことを覚え、深い感謝をささげます。あなたの大きな愛によって罪ゆるされているという救いの恵みに応える愛の心をわたしたちにお与えください。互いに許し合い、愛し合うことによって、あなたのご栄光を現わすことができますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月22日説教「まず初めに、神に感謝します」

2026年3月22日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編136編1~9節

    ローマの信徒への手紙1章8~15節

説教題:「まず初めに、神に感謝します」

 ローマの信徒への手紙1章8節から、手紙の本文に入ります。差し出し人であるパウロはこのように書き始めます。【8節】。この8節を原典のギリシャ語の語順に従って直訳すれば、次のようになります。「まず初めに、わたしはわたしの神に感謝します。イエス・キリストを通して、あなたがたみんなについて。なぜなら、あなたがたの信仰が全世界に語り伝えられているからです。」

 この直訳からも確認できるように、「わたしは感謝する」という言葉が、この手紙の本文の最初にあることが分かります。パウロは、まだ訪問したことがなく、教会員のほとんどもまだ会ったことがない、初対面で未知の相手であるローマの教会にあてたこの手紙の冒頭を、「わたしは感謝する」という言葉をもって書き始めていることに、まず注目したいと思います。

手紙の初めを神への感謝の言葉から書くというのは、当時の一般的な書き方であったとも言われます。また、パウロ自身の他の手紙でも、コリントの信徒への手紙一1章4節では、「わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています」と書いています。フィリピの信徒への手紙1章3節では、「わたしは、あなたがたまのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」と書いています。その他の手紙でも同様です。パウロも当時の一般的な手紙の書き方にならっていたと言えますが、しかしそれは手紙を書く際の一般的なの儀礼として言っているのではないことは明らかです。感謝のあとには必ず、感謝する理由が具体的に書かれており、パウロの感謝の思いが強く伝わってくるからです。と言うのも、コリントの教会もフィリピの教会も、彼自身がその誕生に深くかかわっており、何度もその教会を訪問しており、親しい友人たちが多数いたからです。

でも、ローマの教会の場合には少し事情が違います。彼はその教会の内情についてほとんど知識がありませんでした。そうであるのに、パウロが手紙の冒頭で「まず初めに、わたしはわたしの神に感謝します」と書くのはなぜでしょうか。その理由を探っていく前に、「まず初めに」という言葉にも注目したいと思います。「まず初めに」とは、「何を差し置いても、第一に重要なこととして」という意味が込められています。ほかに重要な案件がたくさんあり、話したいことが山ほどあるけれども、それらのすべてに先立って、真っ先に、これを書かなければいけない、という思いが込められています。パウロの他の手紙の冒頭でも、同じような思いが込められていたということを、わたしたちはすでにコリント書、フィリピ書でも確認しました。

パウロが手紙の冒頭に込めたこの強い思いに、わたしたちもならいたいと思います。わたしたちが何かをなすにあたって、まず初めに、第一に、神に感謝する、神への感謝からすべてのことを始めるということ、これは実は、一般的な生活習慣の一つとしてというのではなく、まさに信仰者に許されている、あるいは信仰者に与えられている大きな恵みなのだと言えるのではないでしょうか。わたしたち信仰者に許されている、あるいは命じられてもいる生き方そのものなのではないでしょうか。

朝、目覚めてきょう一日の歩みを始めるとき、まず神に感謝をする。神が、夜寝ている間もわたしを死と暗闇から守ってくださった、新しい朝をお与えくださった、この日も神の恵みと導きとを信じて一日を始めることが許されている、そのことをまず神に感謝する。きょうの一日、どんなに困難な課題がわたしを待っていようとも、不安や恐れを抱かせる問題が山積していようとも、神がわたしに最も善き道を備えてくださることを信じて、神に感謝してきょうの一歩を踏み出す。そうすることが許されている。そうすることを命じられてもいる。それは、わたしたち信仰者に与えられている、大きな幸いなのです。

そしてまた、わたしたちが日々の食卓を囲むとき、何か新しい人生の歩みを選択するとき、きょうのこの世の務めにつくとき、あるいは誰かに会うとき、そしてきょうの眠りにつくとき、すべてのわたしの歩みの初めに、またその終わりにも、そうすることが許されているのであり、また命じられてもいるのです。神への感謝は、わたしたちの新しい歩みを導き、また新しい道を切り開く力となるでしょう。

次に、パウロは「わたしの神に感謝します」と言います。神を「わたしの神」と呼ぶことは、旧約聖書ではほとんどありませんでした。多くは「わたしたちの神、イスラエルの神」と表現するのが一般的でした。その理由は、旧約聖書の民イスラエルにとっての神は、天におられる聖なる神であり、地に住む罪びとである人間とは全くかけ離れた存在であり、大きな恐れをもって神のみ名を呼ぶほかになかったからです。その神を「わたしの神」と呼んで、神と親しく近い関係を言い表すことをためらったからです。神と人間との絶対的な違い、神の絶対他者性が、イスラエルの民が神を「わたしの神」と呼ぶことを避けるようにさせたと考えられています。

しかし、そうであるのに、パウロは神を「わたしの神」と呼んでいます。先ほど読んだコリント書でもフィリピ書でもそうでした。なぜでしょうか。それは言うまでもなく、主イエス・キリストによってそのように呼ぶことが可能にされているからです。8節で「イエス・キリストを通して」と書かれています。この言葉には多くの意味が含まれています。その一つが、神を「わたしの神」と呼ぶことが許されている、そのことが主イエス・キリストによって可能にされたということに関連しているのです。主イエスご自身が父なる神を「わたしの神」とお呼びになられ、わたしたちもまた主イエス・キリストによって罪ゆるされ、神との親しい交わりを回復され、神の子どもたちとされ、神を「わたしの神」と呼ぶことを許されているからです。パウロがここで神を「わたしの神」と呼んでいることの中に、すでに主キリストの福音が含まれているのです。

パウロが「わたしの神」と呼ぶことには、もう一つの、彼自身の個人的な信仰体験があるように思われます。彼はかつて熱心なユダヤ教ファリサイ派として、主キリストの教会を激しく迫害していました。ところが、神がそのパウロを捕らえて、復活の主イエス・キリストとの衝撃的な出会いによって、彼を信仰者とし、主キリストの福音を宣べ伝える使徒として召してくださったのでした。パウロが1節で書いていたとおりです。教会の迫害者であったパウロを主キリストの福音に仕える使徒として召してくださった神との出会い、神との深い霊的な交わりと恵みによって自分は今あるを得ているという、パウロの強い信仰が、「わたしの神」という呼びかけに込められているように思われます。

「イエス・キリストを通して」という言葉の中にはさらに深い意味が含まれます。わたしたちが神を「わたしの神」と呼ぶことができるのも、またわたしたちが神に感謝するのも、主イエス・キリストによってであるとパウロは言っています。すべての善きもの、すべての恵みは、主イエス・キリストを通して、神からわたしたちに与えられているからです。救いの恵みと来るべきみ国における永遠の命の約束をはじめ、きょうのわたしの命と存在、日々の糧とわたしが生きるために必要なすべてのもの、わたしが愛すべき家族や友人、わたしの務めと奉仕、そのすべてが主イエス・キリストを通して神からわたしに与えられています。そのことを神に感謝するのです。

わたしたちは皆、主イエス・キリストを知るまでは、主イエス・キリストの十字架の福音によって罪ゆるされるまでは、神の恵みに気づくことはありませんでした。したがって、それに感謝することもありませんでした。生まれながらの人間は誰もみな、神を神としてあがめることをせず、感謝することもしませんでした。神から遠く離れ、神に心を閉ざし、神のみ心に背いて生きていました。罪がわたしたちを神から引き離し、わたしたちの目や耳や心を神に対してふさいでいたからです。

そのような罪びとであったわたしたちが、主イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰によって、罪から救い出され、神との交わりが回復されて初めて、神の恵みによってわたしたちの心が開かれ、目と耳とが神のみ言葉に対して開かれていくのです。そして、何よりも、神がこの貧しく弱いわたしをみ心にとめてくださり、わたしを罪から救いだすために、御独り子を十字架の死に犠牲としておささげくださるほどにわたしを愛してくださったという、大きな救いの恵みに気づかされるのです。そして、そこから、罪ゆるされた者としての信仰の歩みが、感謝の歩みが始まるのです。

「あなたがた一同について」という言葉の中にはローマ教会のための執り成しの祈りが込められています。執り成しの祈りは、次の9節で具体的に書かれていますが、ここにすでに彼らのことを覚えての祈りがあります。ローマの教会が今大きな困難の中にあるとしても、たくさんの課題を抱えているとしても、パウロは彼らに与えられている恵みを覚えて、彼らのために神に感謝をささげているのです。それによって、彼らもまた神の恵みに気づかされ、神への感謝へと導かれていきます。パウロが手紙の冒頭で、すべてのことについてまず神への感謝をささげるのは、すべての人を感謝へと招くためでもあるのです。神への感謝は、共に神の恵みを感謝する人々を一つにし、群れを形成します。教会はそのようにして建てられ、感謝によって結合されている人たちの群れです。

8節後半の「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」は、パウロが感謝する具体的は理由、内容を語っています。ローマの教会がどのようにして誕生したのかは、またその規模についても、わたしたちには知られていませんが、パウロがこの手紙を書いた紀元58年ころには、組織だった教会が形成されていました。そのメンバーにどんな人がいたかをパウロも多少は知っていたということが、手紙の終わりの部分から分かります。

それにしても、「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている」という表現は大げさなように思われます。しかし、パウロがこう言うのには理由があるのです。当時、ローマ帝国はヨーロッパから近東諸国まで、ほとんど全世界を支配していました。そして、ローマはその中心都市でした。そこには、ローマ帝国の支配者、つまり全世界の支配者である皇帝カイサルが君臨していました。そのローマにあって、主キリストの教会はこのように告白していました。「自分たちの国籍はこの地上にあるのではない。天の神の国にある。自分たちの主は、ローマ皇帝であるのではなく、人類の罪のための十字架につけられ、三日目に復活された主イエス・キリストこそが、自分たちが生と死とをかけて聞き従うべき唯一の主である」、と告白している信仰者の群れ、教会がそこに建てられている、その大きな事実に、パウロは目を注いでいるのです。主イエス・キリストはローマにもおられるという事実、そのことのゆえに、パウロはほかの何にも先だって、まず初めに、神に感謝をささげているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの恵みはわたしたち一人一人に豊かに与えられています。でも、わたしたちはそれに気づくこと遅く、それに感謝することが少ない者です。どうか、わたしたちの信仰の目を開いてください。あなたへの感謝の思いを日々に増し加えてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月15日説教「愚かな金持ちのたとえ」

2026年3月15日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編52編1~11節

    ルカによる福音書12章13~21節

説教題:「愚かな金持ちのたとえ」

 きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書12章13節以下の「愚かな金持ちのたとえ」では、この世の富の問題が扱われています。この箇所は、マタイとマルコ福音書にはない、ルカ福音書特有の記事です。これは、ルカ福音書の特色を表しています。ルカ福音書ではこのあと16章19節以下には、ある金持ちと貧しいラザロの物語があり、19章1節以下には、金持ちの徴税人ザアカイの物語があります。そのいずれもがルカ福音書特有の記事です。その中で主イエスはこの世の富の問題を取り上げておられ、人間の中にある果てしない所有欲とか、現世主義や快楽主義的な生き方などを、厳しく非難しておられます。そして同時に、主イエスはわたしたちをこの世の富や所有欲から解放し、この世の多くの思い煩いに支配されているわたしたちを自由にされるのです。

ルカ福音書は、この意味で、今日の富や豊かさを追い求める時代、物質中心の時代、あるいはあくなき自己追及の社会に生きているわたしたちに対する、厳しい挑戦状であり、また真実の自由と豊かさへの招きの書であるのです。

 では、13節を読みましょう。【13節】。群衆の一人が主イエスに「先生」と呼びかけています。当時のユダヤ人社会では、ラビと呼ばれる教師は、人々の民事的なもめごとの調停役をしていました。結婚や離婚に関する問題、財産争いに関する問題、あるいはここで問題になっている遺産相続に関することなど、ラビは民事訴訟の調停役を担っていました。民衆は主イエスを律法学者と同じように、ラビ、教師としての権威を持っていると認めていたようです。

 けれども、わたしたちがすでに前の箇所で学んだように、主イエスは律法学者よりもはるかにまさった大きな権威、天の神から授かった権威によって、律法学者たちの偽善的信仰を見抜き、彼らを厳しくさばかれたということを、わたしたちは知っています。本当の意味で主イエスが尊敬されるのは、父なる神から授かった権威を持っておられるからであり、更には、主イエスはその神から賜った権威を、ご自身を救うためには少しもお用いにならず、わたしたち罪びとを救うためにすべてをお用いになられたということにあります。群衆はまだそのことには気づいていませんでした。

 【14節】。人々からラビ、先生と呼ばれることは、一般的には大きな名誉でしたが、主イエスはそう呼ばれることを拒否なさいました。「誰がわたしを……任命したのか」という疑問形は、強い否定を意味します。「いや、わたしはあなたの、あるいはこの世の、財産争いを調停する裁判官でも調停人でも決してない」という、強い否定です。主イエスはこの世の人々からの尊敬や名誉を求めて行動されることは全くありません。むしろ、わたしたちが知っているように、主イエスは最後にはこの世からは見捨てられ、あざけられ、ただお一人で十字架の苦難の道をお選びになられました。ただひたすらに、父なる神のご栄光のために、ご自身のすべてを、その命をも、おささげになられました。それによって、わたしたちを罪から救う神のみわざを成し遂げられたのです。

 主イエスは人々の財産争いの調停人としてこの世においでになられたのではありません。主イエスは、天におられる主なる神と地に住むわたしたち人間の間の関係を修復するために、神と人間との仲保者として、おいでになられたのです。神と人間との関係が正しくなければ、人間たちの関係を正しく築くことはできません。人間の所有欲や自己主張、傲慢が支配している社会には、義も公平も、自由も分かち合いも、喜びも慰めもありません。

 主イエスがここで明らかにしておられる真理は、主イエスの使命がこの世の財産の所有権がだれにあるかを決定することにあるのではなく、わたしたちが神のみ前でどのような裁きを受けるのか、滅びか救いかを明らかにすることであり、また同時に、わたしたちがこの世の財産を受け継ぐために生きるのではなく、神の国を受け継ぐために、神の嗣業を受け継ぐためにこそ生きるべきであることを明らかにしておられるのです。そして、わたしたちを救いへと導き、神の国へと導くことが、主イエス使命であることを明らかにされるのです。

 旧約聖書の律法では、その家の長男は他の兄弟たちの2倍の財産を受け継ぐことが定められていました。主イエスに調停を頼みに来たこの人は、自分が受け継ぐべき財産を他の兄弟たちに横取りされてしまったために、それを取り戻そうとやって来たのだと思われます。そのこと自体は律法で定められている相続権、所有権を主張することですから、なんら責められるべき罪ではなく、当然の権利だと言えるでしょう。人間は所有権を認められており、また自分の所有しているものを守る権利も認められています。あるいは正当に手に入れたものを増やしていっても、それが悪ではなく、それで罪を指摘されることもないでしょう。

 けれども、主イエスはそのようにしてわたしたちが自分の所有権や様々な権利を主張し合うところに潜んでいる人間のどん欲を見抜いておられます。15節でこう言われます。【15節】。主イエスに財産相続争いの調停役を依頼しに来たこの人は、どん欲に支配され、多くの物を持つことによって自分の命を養うことができるという、間違った考えに陥る危険があるから、注意しなさいと警告しておられます。なぜならば、今あなたの目の前に立っておられる主イエスは、あなたを罪から救い、あなたに天のみ国を受け継がせ、朽ちることがない永遠の命をお与えくださる救い主であるのに、そのことに気づかずに、主イエスが差し出そうとしておられる救いの恵みを求めることをしない、あなたのあやまち、あなたの愚かさを気づかせようとしておられるのです。この世の財産を受け継ぐことよりも、主イエスから与えられる神の国の嗣業を受け継ぐことの方が、はるかに重要なのです。

 この人に限らず、だれであれすべての人間は地上の富や宝をより多く所有したいという欲望に支配されています。また、そのような地上の富や宝が自分の命をより豊かにし、自分の命に役立つと考えます。けれども、主イエスは「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできない」と言われます。なぜならば、人の命は本来その人のものではなく、神のものだからです。神から与えられた命であるからです。だれもその命を自分の自由にはできませんし、他の何かによって奪うことも、また増し加えることもできず、他の何かによって保証することもできません。

 主イエスはそのことを悟らせるためにたとえをお語りになります。愚かな金持ちのたとえと言われています。20節で、神ご自身がその金持ちの農夫に「愚か者よ」と呼びかけておられるからです。彼のどこが愚かであったのか、彼の人生設計の何が間違っていたのかを聞き取りましょう。そして、主イエスがわたしたちを、この愚かな金持ちのようにではなく、本当の意味で豊かな人生と真実な命を生きる道へと導いておられることを聞き取りましょう。

 【16~19節】。この農夫はごく一般的な、善良な人物として描かれています。彼が何か不正なことをして富を得たとか、小作人や使用人を酷使していたのでもありません。畑が豊作であったのは、彼が一生懸命に働いたからでしょう。天候が良かったからかもしれません。多くの収穫物をしまっておくために大きな倉庫を造ろうとしたのも当然でしょう。彼は他人に責められるようなことは何もしていません。自分が働いて得た物を自分で食べようとしているのですから、何らの悪意も不正もありません。豊かな収穫物を蓄え、自分の将来のことまで考えている、賢い人のようにさえ思われます。けれども、彼は神によって「愚か者よ」と言われているのです。彼のどこが愚かなのでしょうか。彼の人生設計のどこが間違っているのでしょうか。

 改めて17節から19節に書かれている彼の言葉を吟味してみましょう。この箇所には、日本語の翻訳では省略されていますが、「わたし」という言葉が何回も繰り返されています。17節では、「わたしはどうしようか。わたしはわたしの作物をしまっておく場所を持っていない」。ここだけでも3回「わたし」が出てきます。18節にはもっと多くあります。「わたしはこうしよう。わたしは蔵を壊して、わたしはもっと大きいのを建てよう。そこに、わたしはわたしの穀物やわたしの財産をみなしまおう」。そして、「わたしはわたしの魂に言おう。わたしは……、わたしは……」と続きます。彼の考えの中心にはいつもわたしがあり、彼の人生設計の中心にもいつもわたしがいるのです。

 ところが、20節で突然に神が登場されます。【20~21節】。「しかし神は」。そうです。ここで初めてわたしたちは気づかされるのです。彼の考えや彼の人生設計に欠けていた決定的なこと、それは神の存在であったということ。神のみ心、神のご計画を彼は全く考慮に入れていなかったということを。彼の愚かさがここにあったのだということを。そして、その愚かさは、少し考え方が間違っていたとか、わずかばかり人生設計がそれてしまったとか、そのようなことにとどまらず、それが彼自身の命と死とを分けることになったのであり、彼を滅びへと導くことになったのだということを。

 彼の考えや人生設計には、神は一度も出てきません。隣人も出てきません。いつも自分の考え、自分の人生、自分の財産、自分のためにだけ生きています。それがどん欲に支配されている人間の生き方であり、それは神のみ前では愚かな、そして滅びへと向かう生き方なのです。

 「今夜、お前の命は取り上げられる」。この文章は受動態です。意味上の主語は神です。神が神のみ心によって彼の命を取り上げられるのです。ここに聖書全体に貫かれている信仰があります。わたしたち人間の命は神がお与えくださるのであり、また神がそれをみ心のままにお取りになるという信仰です。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」というヨブの信仰です。そのことを忘れ、あたかも自分の思いのままになるかのように誤解して、「わが魂よ、わたしの人生を楽しめ」と、神無き人生設計をしていたところに、金持ちの農夫の愚かさがあったのであり、それは愚かであるだけでなく、神に対する罪であり、死であり、滅びなのです。

 わたしたち人間の命も、またわたしたちに与えられているすべてのものも、神からのものです。神からの賜物です。それゆえに、わたしたちはそのすべてを神に感謝し、それを隣人と互いに分かち合い、神のご栄光のために用いるのです。その時、わたしたちの命と人生の歩みが、またわたしたちに与えられているすべてのものが、豊かに祝福されるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちの中にあるどん欲や傲慢な思いを取り去ってください。この世の朽ち行くものを追い求め、あなたが差し出してくださる永遠の祝福を見失うことがありませんように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月8日説教「フィリピでの伝道活動」

2026年3月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書56章1~8節

    使徒言行録16章11~15節

説教題:「フィリピでの伝道活動」

 使徒言行録16章から、パウロの第二回世界伝道旅行について書かれています。当初のパウロの計画では、先に第一回伝道旅行で福音を宣べ伝えた小アジア地域(今のトルコ共和国)、当時のローマ帝国ピシディア州の町々を再訪問し、それらの諸教会の信仰を励ますというのが、主な目的でした。1~5節がその記録ですが、ここには伝道活動の詳細については書かれていません。ただ、リストラの教会員であったテモテがパウロたちの仲間に加えられたことについてだけ、書かれています。そして、初期の目的がほぼ果たされたあとで、パウロは聖霊なる神の不思議な導きによって、小アジア北西の町トロアスで、一つの幻を見ました。それは、「マケドニアに渡って来て、わたしたちを助けてください」というマケドニア人の呼びかけでした。その叫びを聞いたパウロは、マケドニア人に主イエス・キリストの福音を告げ知らせるようにとの神の命令、招きであると悟り、更に旅を続けて、エーゲ海を渡り、マケドニア州のフィリピへと向かうことになったのです。その記録が11節から始まります。

 前回、16章10節で触れることができなかった「わたしたち」という表現について、少し説明しておきます。【10節】。ここで主語が「わたしたち」に変わります。これまでは、「パウロは」あるいは「彼らは」が主語でしたが、この10節から17節あたりまでは、「わたしたち」が主語になっています。なぜ、急に主語が変化するのでしょうか。実はこの後でも、「わたしたち」を主語にした文章が20章5節から21章1節、27章1節などでもまとまった個所で確認することができます。これらの箇所は、一般に「われら章句、われら資料」(we section)と呼ばれます。

 では、わたしたちとはだれのことか。わたしたちとは、わたしを含めた複数の人のことを言いますが、使徒言行録でわたしと言えば、これを書いたとされるルカであり、それにパウロと最初から同行していたシラス、途中で加わったテモテを合わせて「わたしたち」と言われていると考えられます。ここのほかの「われら章句」でも、ルカがパウロと同行している個所を「わたしたちは」と表現していると思われます。コロサイの信徒への手紙4章14節でパウロは「愛する医者ルカ」と紹介しています。ルカはしばしばパウロの伝道活動に伴い、良き協力者となりました。更に思いを巡らせるならば、「マケドニアに来てわたしたちを助けてください」と懇願した一人のマケドニア人が、もしかしたらルカなのではないかと推測する研究者もいますが、確かなことは分かりません。

 では、11節から読んでいきましょう。【11~13節】。パウロとシラス、テモテ、そしておそらくルカの一行は、小アジア北西部の港トロアスからエーゲ海に出て、マケドニア州のネアポリス港に上陸し、そこからフィリピへと向かいました。その移動時間は二日、移動距離は300キロほどですが、これには大きな意味がありました。これによって、主イエス・キリストの福音が初めてエーゲ海を渡り、小アジア地域からマケドニア州へ、ギリシャ地方へと持ち運ばれることになったのです。もっと大きな地域で言えば、アジア大陸の西の果てからヨーロッパ大陸の東の入り口へと、主キリストの福音が引き渡されていったのです。それは、エルサレムから始まった主イエス・キリストの福音が全世界へと広がっていく偉大なる一歩であったと言えるでしょう。パウロの第二回伝道旅行の当初の目的にはありませんでしたが、聖霊なる神は人間の思いや計画をはるかに超えて、全世界のための救いのみわざを前進させてくださったのです。

 フィリピはローマの植民都市であったと書かれています。植民都市というのは、ローマが征服した町に、本国のイタリアからローマ人の移住を進め、その住民には本国と同じ特権を与えて優遇するという政策によってつくられた町を言います。そのことから、フィリピにはローマ人が多くおり、ローマの文化、経済活動などが活発に行われていたようです。

 パウロはフィリピの町にあったユダヤ人の祈りの場に安息日、土曜日に出かけていきます。この祈りの場が、正式なユダヤ人の会堂であったのかどうかは分かりません。当時は一般に、ユダヤ人男性が10人住んでいる町には会堂を建てることになっていました。フィリピの町にどれくらいのユダヤ人がいたのかは分かっていませんが、パウロはまずユダヤ人の祈りの場を探し、安息日にはそこにユダヤ人が集まるであろうと期待して、出かけていきました。

 このパウロの伝道のやり方は、第一回世界伝道旅行でも同じでした。キプロス島でもピシディア州のアンティオキアで、またイコニオンでも、パウロはまずその町のユダヤ人会堂を探し当て、そこでユダヤ人に福音を語るのを常としました。たとえその町でユダヤ人からの迫害にあい、町を追い出されても、また次の町でも同じようにまずユダヤ人に福音を語りました。13章にはパウロがピシディアのアンティオキアでユダヤ人に語った長い説教が記されていますが、そのパウロを口汚くののしったユダヤ人に対して、パウロはこのように言っています。【13章46~48節】(240ページ)。

 しかし、それでもなおも、ユダヤ人は救いから見放されたのではありませんでした。パウロがユダヤ人に対して二度と語らなくなったのでありませんでした。神は全世界の民の中からまずイスラエルの民をお選びになり、イスラエルの民ユダヤ人によって救いのみわざを始められたという、神の救いの秩序は変わることはありません。そして、ユダヤ人から始まって、全世界のすべての人が救いに至るという、神の永遠の救いのご計画が完了するときには、かたくななユダヤ人もまた救いに招かれることになるでしょう。それゆえに、パウロはそれ以後にも、同じように、次の町に入ればまずユダヤ人会堂を訪れ、そこで主キリストの福音を語るのです。フィリピでも同様です。

 ところが、ユダヤ人の祈り場に集まって来たのは女性だけであったと13節に書かれています。この町に男性のユダヤ人が一人もいなかったのか、あるいはこの日はたまたま女性だけだったのかは分かりませんが、パウロはその女性たちに福音を語りました。当時の一般の人たちの目から見れば、パウロのフィリピ伝道の第一歩は、まことに心もとない、小さな一歩のように思えたに違いありません。しかし、パウロはこの小さな機会を失うことはしませんでした。いやそれ以上に、神はこの小さな機会をお用いになって、パウロたちのために、またのちに建てられるフィリピ教会のために、豊かな実りをお与えくださったのです。

 【14~15節】。ティアティラ市とは、小アジアにある町であり、高級な紫布の染色でよく知られていました。その町の出身でリディアという名の女性がフィリピで紫布の商売をしていたと紹介されています、また、彼女は神をあがめる人であったと紹介されています。神をあがめる人とは、10章に書かれていたローマ軍の兵士コルネリウスが神を畏れる人であった(10章2節22節)と言われているのと同様に、ユダヤ人ではなく、異邦人でありながら、ユダヤ人の神、旧約聖書で証しされている唯一の天地創造の神を信じている人であって、正式にユダヤ教に改宗してはいないけれどもユダヤ人の慣習を守り、律法を学び、ユダヤ人会堂に出入りをしている人を言います。

 彼女はユダヤ人ではありませんが、他のユダヤ人の女性たちと一緒に祈りの場に来て、聖書を読み、祈っていました。パウロは女性だけの集まりであっても、主イエス・キリストの福音を語ることに少しも力を緩めることはありませんでした。主イエス・キリストの十字架と復活の福音は、男にとっても女にとっても、また子どもにとっても、すべての人にとって語り、聞かれるべき福音であり、それによってすべての人が罪のゆるしと救いへと招かれる福音だからです。

 もちろん、パウロの伝道熱心さが信仰者を生み出すのではありません。14節に「主が彼女の心を開かれたので」と書かれています。パウロは熱心に語ります。リディアは熱心に耳を傾けます。しかし、彼女の心を開いて、神の言葉を悟らせ、信じさせてくださるのは主ご自身です。パウロもリディアも、語る人も聞く人も、共に主なる神の救いのみわざにお仕えするのです。そのようにして、いつの場合にも、信仰は主なる神が、また主イエス・キリストが、そして聖霊なる神が、その人に働かれることによって生まれるのです。その人の心が神の言葉に対して開かれ、語られた神の言葉の説教を自分自身に語られた救いの言葉であると信じる、その時に信仰が生まれるのです。わたしたちの信仰を生み出し、その信仰を守り、育てられるのは、すべて神のみわざです。

 リディアは主イエス・キリストを救い主と信じて洗礼を受け、キリスト者となる決意をしました。彼女には、神によって備えられていた道がありました。ユダヤ人の会堂や祈りの場に連なり、旧約聖書を読み、神に祈り、神を敬い、神を恐れる心がすでに育てられていました。そして今、遣わされた使徒パウロの説教を聞き、旧約聖書で預言されていた神の救いのご計画が、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって成就したことを知らされたのです。ここにも、確かに神の救いの秩序が生きていたと言えるでしょう。

 リディアだけでなく、彼女の家族も洗礼を受けたと書かれています。彼女に夫がいたのかどうかは分かりませんが、親や兄弟、子どもがいたのかもしれませんし、商売をしていましたから従業員もいたかもしれません。彼らみんなが洗礼を受けてキリスト者になりました。リディアが受けた救いの恵みは彼女の家全体に広がっていきました。

 それだけでなく、彼女の家に与えられた救いの恵みは、家の外にも、フィリピの町全体へと拡大されていきます。彼女はパウロたちを家に招き入れ、その家がフィリピ伝道の拠点として用いられるようになりました。次の16節以下で語られているパウロたちが受けた迫害と投獄のあと、40節によれば、釈放されたパウロたちはリディアの家に帰っていきます。そこで兄弟たちと会ったと書かれています。リディアの家にフィリピ教会の基礎が築かれつつあったということを、わたしたちはここから知らされます。そのようにして、こののちパウロと最も親しい交わりを持つことになるフィリピ教会、またパウロのその後の宣教活動を最も強力に支えたフィリピ教会が誕生していったのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたが主イエス・キリストによってこの世界にお与えくださった福音は、初代教会の時代から今日に至るまで、世界中の諸教会で語られ、聞かれ、救いの出来事を起こしています。主よ、どうかこの世界を主キリストの救いの恵みで満たしてください。この世界をお救いください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

3月1日説教「葦の海の奇跡」

2026年3月1日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記14章15~31節

    ヘブライ人への手紙11章23~31節

説教題:「葦の海の奇跡」

 イスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出された主なる神は、彼らを真っすぐに約束地カナンへと導くことをなさらず、東の方角の砂漠地帯が広がる荒れ野へと進ませられました。それによって、彼らはまっすぐ北へと向かえば数か月で到着することができたであろう道のりを、40年間も荒れ野の困難な旅を続けることになりました。それだけでなく、神はイスラエルの民が荒れ野の入り口で道に迷っているかのように思わせる道順を行かせることによって、エジプト軍の追撃を容易にさせられたのです。

 イスラエルの民はこのような神の不思議な導きに従順に従いました。そして、結果的には、遠回りの道を、より困難な道を、より危険な道を選ぶことになったのでした。そしてそれは、信仰の民イスラエルにとっては、正しい選択でした。なぜならば、それは神が行けと命じられた道だったからです。それゆえに、神が共にいてくださる道だったからです。たとえ、それが近道であろうとも、安易な道であろうとも、神が共にいてくださらないなら、そこには真の幸いも平安もなく、それは救いの道ではないからです。イスラエルの民にとっては、またわたしたち信仰者にとっては、広い門を神なしで入るよりは、狭い門を神と共に選び取る方が、はるかに幸いなのです。

 エジプト王ファラオは重装備の軍隊を率いてイスラエルのあとを追ってきました。エジプトでは馬に二輪車をひかせた戦車が早くから考案され、強力な兵器となっていました。他方、イスラエルは子どもや女性、それに家畜も一緒であり、訓練された軍人はおらず、武器も全くありません。彼らの前には海が行く手を阻み、後ろからは重装備のエジプト軍が迫ってきます。彼らは大きな試練と危機に直面して、恐れと不安の中で主なる神に対して叫び、嘆き、つぶやきます。そして、指導者モーセを非難します。モーセに対する非難は、彼らをエジプトの奴隷の家から強いみ手をもって救い出してくださった主なる神に対する非難でもあり、それは彼らの不信仰です。

 わたしたちはここで、神の偉大なる救いのみわざがなされるとき、また同時にそこでは人間の不信仰と不従順が明らかにされるという、聖書でしばしば語られる真理に気づかされます。神の救いの出来事は、本来その救いを受けるに値しない人間の罪と不信仰を浮かび上がらせるのです。あるいはまた、その神の救いのみわざに感謝することをしない人間のかたくなさと傲慢をも明らかにするのです。そして、神の救いの出来事はそれらの人間の不信仰やかたくなさをも越えて、より偉大な救いの出来事へと続いていくのだということを、わたしたちはきょうの箇所からやがて知らされます。

もう一つ、この箇所からわたしたちが知らされる不思議な神のご計画についてみていきましょう。11節に、「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか」という、指導者モーセに対する民の非難が記されています。ここには、ある意味では、神の不思議なみ旨、神の真理ともいうべき内容が含まれています。ご承知のように、エジプトには死者を葬るための巨大な墓やピラミッド、集団墓地などが数多く残されています。手厚く死者を葬ることや死後の世界に、エジプト人は大きな関心を持っていました。イスラエルもまた、エジプト人とはまったく違った信仰によって、死者を葬ることを重要視していました。13章19節にはこのように書かれています。【19節】(115ページ)。イスラエルにおいては、信仰者の生と死は、神の永遠なる約束の成就のために仕えるのです。それゆえに、イスラエルの民の墓もまた、異教の地であるエジプトには用意されてはいなかったのです。彼らはエジプトの地に葬られるべきではありません。もちろん、荒れ野に葬られるのでもありません。彼らは神がお導きになる約束の地、カナンに葬られるために、エジプトから救い出されて、ここまで来たのです。イスラエルの民のつぶやきの言葉の中に、実は神の救いの真理が含まれていたのです。そして、事実、神は彼らのための救いのみわざをなさるのです。

それにしても、エジプトの奴隷の家から救い出されたイスラエルの民が、それから少ししか過ぎていないのに、今直面している困難と危機に恐れと不安と募らせて、自分たちが経験した神の偉大な救いのみわざを忘れ去り、神と指導者モーセを非難し、不信仰と不従順に陥るとは、なんとも情けなく、愚かであることでしょうか。聖書は何度も何度も、そのような人間の弱さやつまずき、不信仰と不従順を語ります。それが、わたしたち人間の現実だからです。神のみ子が、わたしの罪のために苦しみを受けられ、裁かれ、十字架にくぎ付けされ、その尊い血を流されることによって、わたしの罪がゆるされ、救われているという福音を、主の日の礼拝のたびに聞かされていても、小さな試練や苦難にあうと、すぐにその救いの恵みを忘れ、不安や恐れや迷いによって道を見失ってしまうわたし、そのような弱く愚かなわたしであることを、わたしたちは告白しなければなりません。そしてまた、そうであるからこそ、主なる神がこのわたしのために戦ってくださることを強く信じて、謙遜に、より従順に、神のみ言葉に聞き従うべきなのです。

13節、14節を読みましょう。【13~14節】。神はイスラエルの民を決してお見捨てにはなりません。否、彼らが弱く、つまずいているときにこそ、彼らのために立ち上がられ、彼らのために戦ってくださいます。ご自身が愛される民に試練をお与えになり、彼らの信仰の訓練をなさる神は、彼らの苦難の中でこそご自身の偉大なみ力と栄光とを現わされます。

「恐れてはならない」「恐れるな」という神の命令は、わたしたちが何度も聖書から聞いているように、神が人間の恐れを否定する言葉である同時に、神が恐れを取り除いてくださり、恐れに代わって、平安や喜び、希望をお与えくださる約束の言葉でもあります。イスラエルの民は大軍を率いて後を追ってきたエジプト軍を見ています。自分たちの危機的な状況を見ています。その時、彼らは恐れざるを得ません。しかし、彼らは間もなく神の救いのみわざを見ることになります。神ご自身がイスラエルのために戦ってくださることを見ることになります。そして、神がエジプト軍に勝利され、自分たちを救ってくださることを見ることになります。その時、彼らの恐れは喜びと感謝に変わるでしょう。

15節から、一般に紅海の軌跡と言われている神の奇跡が詳しく描かれています。14章では「海」と書かれていますが、13章18節や15章4節では「葦の海」となっています。『口語訳聖書』では「紅海」と訳されていましたが、もとのヘブライ語を直訳すれば「葦の海」です。この葦の海がどこなのかについては、議論のあるところです。今日スエズ運河が通っている紅海のことなのか、あるいはそれよりは北側の葦が生えていた湖ではないかとも推測されたりします。けれども、そこで起こった神の奇跡については、だれも疑いえないほどに、現実的な表現で、詳細で、生き生きと、描かれています。

15~18節には、神がモーセにお命じになったこと、すなわち、モーセが手に持っている神の杖によって海を二つに分けるようにとの命令が語られています。19~25節では、実際に海が二つに分けられ、イスラエルの民は雲の柱、火の柱に守られながら、渇いた海の底を安全に渡ったこと。しかし、あとを追ってきたエジプト軍は、神が送られた火の柱と雲の柱によってかき乱されて前進できなかったことが書かれ、26節以下では、二つに分けられた海の底にいたエジプト軍が、再び流れてきた海の水の中に沈み、全滅したことが書かれています。そして最後の31節にはこう書かれています。【31節】。これが、紅海の奇跡、あるいは葦の海の奇跡と言われている神の奇跡です。

葦の海の奇跡は、出エジプトの奇跡と並んで、神がイスラエルの民を救われるためになされた偉大な奇跡として、旧約聖書の中で、詩編や預言書で繰り返して取り上げられています。イスラエルの民の誕生の原点、彼らの信仰の原点がここにあるからです。

では、重要な箇所をいくつか取り上げて詳しくみていきましょう。【17~18節】。これとほとんど同じ内容が、すでに4~5節で語られていました。神はイスラエルの民をお導きになるだけでなく、エジプト人の心とその軍隊をも自由にご支配しておられ、ご自身の民の救いのためにお用いになります。それは、最終的には、神が全地にご自身の栄光を表すためであり、すべての民が、すべての人が唯一の主なる神を知り、その神を信じるようになるためなのです。神は全人類をお救いくださるために、先にイスラエルの民をお選びになり、また教会の民をお選びになられました。

次に、【19~20節】。13章21、22節に、神が昼には雲の柱となり、夜には火の柱となってイスラエルを導かれたと書かれていました。ここでも、雲の柱がエジプト軍とイスラエルの民との間に入って、両者が近づかないように、すなわちエジプト軍がイスラエルの民を攻撃することができないようにされたと書かれています。神は、時には民の先頭に立って彼らを導かれ、またときに彼らの最後尾に立って彼らを守られました。イスラエルの民が荒れ野を旅する40年間、いつもそのようであったことが、このあとにも繰り返して語られます。神はいつの時代にも、そのようにして、信仰者の先頭を行かれ、彼らを救いの完成に向けて導かれます。また、同時に神は信仰者の最後尾を行かれ、足の遅い人をも守られます。

【21節】。この奇跡を、何かの自然現象で説明することはできませんし、すべきでもありません。海の潮の満ち引きが関係しているとか、シリア・パレスチナ地方に現れるシロッコと呼ばれる乾燥した熱風が海の水を乾かしたとか、その他の自然現象で説明を試みることは無益でしょう。ここでは主なる神が働いておられるのです。天地万物を創造された全能の神が、その強いみ手をもってこの奇跡を起こし、この救いのみわざをなしておられるのです。次の15章で歌われている賛美の歌のように、のちのイスラエルの詩人たちや預言者たちは、この時の葦の海の奇跡から、主なる神の偉大なる救いのみわざを読み取り、すべての困難や災いから信仰者を守ってくださる神の限りない恵みと慈しみとを学んだのです。

そして、30、31節にはこのように書かれています。【30~31節】。ここには、13節と同様に、「見た」という言葉が2度用いられています。イスラエルの民が神のみ言葉に聞き従い、自分たちの困難な状況から目を離して主なる神の救いを見上げるとき、彼らは実際に敵が無力にされているのを見ることが許され、また自分たちが敵の手から救い出されているのを見ることを許されるのです。

わたしたちもまたこの主なる神を信じる信仰へと招かれています。わたしたちが十字架で死なれ、三日目に復活された主イエス・キリストを仰ぎ見るときに、わたしたちもまた罪と死と滅びから解放され、救われている自分を見ることが許されるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたはわたしたちのすべての信仰の道に伴ってくださいます。時にわたしの前に進み、わたしを導かれ、時にわたしのうしろに立って、わたしを安全に守ってくださいます。あなたの恵みと慈しみとは、わたしから離れることはありません。主よ、それゆえにわたしたちはいつどのようなときにも、恐れることなく、迷うことなく、あなたのみ言葉に聞き従っていくことができます。どうか、終わりの日まで、わたしたちの信仰の道をお導きください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

2月22日説教「父なる神と主イエス・キリストから恵みと平和があるように」

2026年2月22日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:民数記6章22~27節

    ローマの信徒への手紙1章1~7節

説教題:「父なる神と主イエス・キリストから恵みと平和があるように」

 ローマの信徒への手紙1章1~7節は、当時の手紙の書式にならって、手紙の差し出し人であるパウロの名前と簡単な自己紹介が1節に書かれ、受けり取人であるローマの教会について7節前半で書かれ、その間の2~6節には、神の福音についての説明文が長く挿入されていて、そして7節後半で祝福の言葉が語られるという構造になっています。このような書式は、長い挿入文は別として、聖書に収録されている他のパウロの書簡でも、またパウロ以外の書簡でも、ほぼ共通しています。

 きょうは7節後半の祝福の言葉について学びます。「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから恵みと平和が、あなたがたにあるように」。このように、手紙の冒頭で相手の祝福を祈るという習慣は、古代社会では一般的であったと言われています。手紙の冒頭で相手に祝福を祈るという古代社会での習慣について、改めてその深い意味を思わされます。今日のように、交通が便利ではなく、頻繁に顔を合わせることができない時代、あるいは電話とか電信による通話ができなかった時代に、遠くに離れた相手に自分の思いや願いを伝える唯一の手段であった手紙の一字一句に、深い思いと祈りを込めて書くということの意味を、考えさせられます。

 それだけでなく、聖書にあるパウロの書簡、他の使徒たちの書簡では、より深く重要な意味があったということを、わたしたちは確認しておく必要があります。パウロが「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」と書いた時、それは当時の一般的な慣習としての挨拶ではありませんでした。また、「あなたに祝福があるように」という個人的な願いというのでもありませんでした。パウロが書いた祝福の言葉には、父なる神とみ子なる主イエス・キリストによる偉大な救いのみわざがすでにあり、その救いのみわざを信じている信仰者の群れである教会がすでにそこに建てられているという、大きな救いの出来事があり、確かな事実があり、それに基づいて、「恵みと平和があなたがたにあるように」と祈られているのだということに気づかされるのです。

 したがって、「あなたがたにあるように」とのパウロの祈りは、「そうあったらよいね、そうなってほしいね」という彼の個人的な願いではなく、「すでに、神と主キリストから、恵みと平和が、確かに、豊かに、あなたがたに与えられている。そのことを覚えて感謝せよ。また、わたしと一緒にその恵みと平和を分かち合いましょう」という、神の恵みと平和への招きの言葉なのであり、あるいは、神の恵みと平和によって与えられている信仰者の霊的な、深い交わりの確認というような意味も含まれているのです。パウロのこの言葉は、祝福を祈るというよりは、祝福を与える、届ける言葉であると言ってよいでしょう。これが、聖書の中で言われている祝福の祈りの意味なのです。

 では次に、パウロの他の手紙の挨拶文と祝福の言葉を調べてみましょう。コリントの信徒への手紙一1章3節(299ページ)では、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。これは、ローマ書と全く同じです。コリントの信徒への手紙二1章2節(325ページ)、これも全く同じ。このほか、エフェソ書、フィリピ書、それからテサロニケ書二の三箇所もすべて同じです。テサロニケ書一1章1節だけは「恵みと平和が、あなたがたにあるように」と、簡潔になっています。パウロの手紙の中でこのテサロニケ書一が最も早く、紀元50年ころに書かれたと推測されていますので、これが基準になって、これに「父なる神と主イエス・キリストから」という言葉が付け加えられていったと考えられています。

 ところで、みなさんは手紙の冒頭にどのような挨拶を書くでしょうか。クリスチャンであれば多くは「主の御名を賛美します」と書いておられるのではないでしょうか。それでよいのですが、パウロの書簡を読んでいるわたしたちは、パウロにならって、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから、恵みと平和があるように」と書くのもよいのではないでしょうか。

 さて、この祝福の言葉の内容について学んでいくことにしましょう。「わたしたちの父なる神」と「主イエス・キリスト」が「恵みと平和」の源泉、出どころと言われています。この点において、一般社会での手紙の祝福の言葉とは根本的に違っています。パウロの手紙では、「恵みと平和」がどこから来るのかをはっきりと知っています。それだけでなく、前にも言いましたように、「恵みと平和」はすでに父なる神と主キリストから豊かに、確かに、与えられているということを、パウロもローマの教会員も知っているのです。

 父なる神と主イエス・キリストが、どのような関係にあるのかについては、ここでは何も語られていません。キリスト教教理の中心である「三位一体論」は、パウロ書簡の中ではまだ明確になっていません。父なる神とみ子なる神・主イエス・キリスト、そして聖霊なる神が、三つの位格を持つ一人の神であるであるという「三位一体論」は紀元2世紀から4世紀にかけて、次第に形成されていきました。しかしそれは、パウロ書簡などの聖書の証言とは違った教えを、教会が勝手に創作したということでは全くありません。福音書での主イエスご自身の教えとお働き、またパウロ書簡やその他の使徒たちの証言と信仰を土台として、聖書全体のみ言葉から導き出された結論として、「三位一体論」の教理が形成され、今日の教会の中心的な教理となったのです。パウロ書簡の中にも、当然「三位一体論」の基本があると言えます。

 旧約聖書の伝統的な信仰から言えば、父である神から恵みと平和が来ると考えられますが、ここでは「主イエス・キリストから」が付け加えられています。なぜならば、主イエス・キリストによって、神がわたしたちの父であることが旧約聖書時代よりもより明確に現わされ、その父なる神の恵みと平和がより豊かに、より現実的にわたしたちに与えられるようになったからです。神が主イエス・キリストによって、わたしたちのためのすべての救いのみわざを成し遂げてくださいました。それゆえに、わたしたちは主イエス・キリストをわたしたちの救い主と告白し、父なる神を唯一の天の父として持ち、神の子どもたちとされているのです。

 「恵み」という言葉は、ギリシャ語では「カリス」ですが、当時のギリシャ社会ではごく一般的に用いられていた言葉です。日常の挨拶で、「カイレ」(恵みあれ)、と言葉を交わしていました。ちなみに、今日のギリシャ語では、カリス(恵み)と「日」を意味する「メーラ}を合わせて、「カリメーラ」(良い日)と挨拶しているそうです。

 聖書では恵みという言葉には特別な意味が込められています。パウロ書簡では恵み(カリス)という言葉は100回以上も用いられており、パウロの信仰と神学を特徴づけています。聖書でいう恵みとは、本来それを受けるに値しない人に、神の側から、神の憐れみによって、無償で、また一方的に差し出される恵みのことであり、わたしたち人間の側では、その恵みをただ感謝と恐れとをもって受け取り、その恵みが持つ圧倒的な力に驚きつつ、その恵みに応えて、新しい自分となって生きるようにされる、そのような恵みを言います。

 パウロにとってその恵みとは、第一には、罪びとに与えられた罪のゆるし、救いの恵みです。人間はみな罪びとであり、神の裁きを受けて死すべき者であるにもかかわらず、神のみ子主イエス・キリストが罪びとたちの罪をすべて負ってくださり、罪びとたちに代わって十字架で死んでくださいました。ご自身の聖なる汚れのない血を贖いの供え物として父なる神におささげくださいました。それによって、すべての罪が贖われいます。すべての罪がゆるされています。だれでも、この主イエス・キリストの十字架の福音を信じるならば、神からの恵みによって、一方的に神から差し出される恵みによって罪ゆるされ、救われます。これが、わたしたちに与えられている救いの恵みです。これこそが、わたしたち人間に与えられた最も大きな、高価で高貴な、そして偉大なる恵みです。その恵みが、わたしたちの父である神と主イエス・キリストから、わたしたち一人一人に与えられているのです。

 平和という言葉は、旧約聖書のヘブライ語では「シャローム」、新約聖書のギリシャ語では「エイレーネー」です。ユダヤ人は今日でも挨拶を交わす時は「シャローム」と言うそうです。旧約聖書のシャロームという言葉は、神と人間との関係が完全であり、破れがなく、すべてにおいて満たされている状態を意味すると考えられています。パウロもそのシャロームのギリシャ語である「エイレーネー」を「平安、平和」という意味でたびたび用いています。

 以前に使用していた『口語訳聖書』では、その箇所に応じて「平安」または「平和」と訳し分けられていましたが、『新共同訳聖書』ではほとんどが「平和」と訳されています。日本語のニュアンスは少し違いがあるように思われます。「平安」が心の中の安心感や平穏な思いという、内面的意味合いが強いのに対して、「平和」には社会的・政治的意味合いが強くなるように感じられます。どちらに翻訳するにしても、この言葉は神と人間との関係が内面的にも外面的にも、すべてが満たされている状態を意味しています。

 では、実際にパウロはこの手紙の中で「平和」をどのような文脈で用いているかをみていきましょう。【5章1~2節】(279ページ)。ここでは、平和が神と人間との正しい関係を言い表していることが明らかです。10節では「神との和解」という言葉も用いられています。罪によって神から離れ、神なしで生きていた人間、それだけでなく神に敵対して生きていた人間が、み子主イエス・キリストの十字架の死によって罪ゆるされ、神との敵対関係が終わり、神と和解が与えられた、それが平和です。この神との平和の関係は、どのような第三者の介入によっても決して破られることがない永遠の平和です。神のみ子がご自身の死をもってわたしたちのために築いてくださった平和だからです。

 パウロは14章17節でこのように書いています。「神の国は……聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」。わたしたちは今すでにこのような永遠なる神の国での義と平和の中に招き入れられています。そして、終わりの日には父なる神とみ子主イエス・キリストとの完全で永遠なる平和の中で喜びと希望と慰めに生きるようにされるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちがあなたとの全き平和の中に招き入れられておりますことを感謝いたします。わたしたちからすべての恐れや不安、迷いを取り去ってください。あなたがわたしの中でわたしのすべてとなってくださいますように。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

2月15日説教「主イエスを受け入れる人は、主イエスに受け入れられる」

2026年2月15日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編103編1~13節

    ルカによる福音書12章8~12節

説教題:「主イエスを受け入れる人は、主イエスに受け入れられる」

 主イエスは地上の歩みをしておられるときすでに、弟子たちがのちになって経験するであろう迫害について、しばしば語っておられました。前回学んだルカによる福音書12章4~7節ときょう朗読された8~12節でも、弟子たちを待ち受けている迫害に備えるべきことが教えられています。4~7節で、主イエスは言われます。「あなたがたはこの世の権力者たちによって命を奪い取られるほどの迫害を経験するかもしれない。でも、体の命を奪い取る者はそれ以上のことはできない。だから、恐れるには及ばない。本当に恐れるべきは、剣によって命を奪い取るこの世の権力者ではなく、人間を永遠の滅びに定める権威を持っておられる天の神である。最後の審判をなさる天の神をこそ恐れよ。この神は、あなたがたを愛し、あなたの髪の毛一本をも残らず数えておられるからだ」と。

 また、主イエスはご自身が弟子たちに先立ってユダヤ人指導者たちから迫害を受け、排斥され、殺されるであろうと予告されたした。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書にはそれぞれ3回の受難予告が語られています。ルカ福音書の1回目は9章22節です。【22節】(122ページ)。この時から、エルサレムに向かっての主イエスのご受難の道が、十字架への道が始まります。そして、更にこのあと、9章44節と18章31節以下で、主イエスはご自身の受難予告をされます。

 この主イエスの受難予告と弟子たちの迫害予告とは密接に関連しています。主イエスはイスラエルと全人類の救い主、メシア・キリストとして神から遣わされましたが、ユダヤ人指導者たちは彼を救い主として受け入れず、主イエスを偽りの裁判で裁き、十字架に引き渡しました。主イエスを信じ、従う弟子たちもまた、主イエスと同じ道を歩まざるを得ません。弟子たちは、不信仰でかたくななユダヤ人とこの世の権力を誇るローマ帝国から厳しい弾圧と迫害を受け、命の危険にさらされなければなりません。主イエス・キリストを信じる信仰者はいつの時代にも、罪と不信仰に支配されているこの世から敵視され、排斥されるのです。

 主イエスと弟子たちとの共通点は、同じような苦難と迫害の道を歩むということだけではありません。主イエスはご自身の受難と十字架への道をご存じでしたが、それが父なる神のみ心であり、神が備えられた道であると信じて、その道を避けようとはなさらず、むしろ喜びをもってその道を進み行かれました。また、主イエスが弟子たちに迫害の予告をされた際にも、彼らがどうしたら迫害を避けて通ることができるかを話されたのではなく、むしろそれを当然のこととして、神のみ心として受け入れるべきであるということ。いや、それだけでなく、彼らがどのような苦難や試練の中にあっても、神は強いみ手と大きな愛をもって彼らをお守りくださるということを、主イエスは何度も強調されたのです。一羽の雀すらも、それを創造された神のみ心なしには地に落ちることがないように、いや、それ以上の大きな神の愛が人間に注がれているのであるから、神のみ心なしには一本の髪の毛すらも地に落ちることはない。それゆに、弟子たちは、またわたしたち信仰者は主なる神をこそ恐れるべきなのであり、それゆえにまた、主なる神以外のいかなるものをも恐れるべきではない、恐れる必要はないのだと、主イエスは言われるのです。

 8節から、主イエスは続けてこのように言われます。【8~9節】。ここでも、弟子たちの迫害の状況が予想されているように思われます。弟子たちはこの世の人たちの前で、「おまえはイエスの仲間か。イエスを信じるのか」と問われます。また、時には、この世の法廷に立たされ、「おまえはイエスを主と告白するのか。もし、そのように告白するなら、おまえの命はないぞ」と迫られます。そのような迫害と命の危機の中で、弟子たちが、そしてわたしたちが、主イエスこそがわたしの主であり、わたしの救い主であり、また全世界の唯一の主であると告白する信仰が、ここでは求められているのです。

 8節で「言い表す」と訳されているもとのギリシャ語は、他の箇所では多く「告白する」と訳されます。人々の前で、あるいはこの世の法廷で、自分の信仰を公に言い表す、告白するという意味です。2節と3節でも同じようなことが言われていました。主イエスの福音は今や隠されてはいません。神の国の福音は、人となられた主イエスによってこの世界に現れ、誰の目にも確認できるようにはっきりと現わされました。そのことは、すでに8章16節以下でも、ともし火のたとえで語られていました。罪のこの世を照らし、すべての人のまことの光なる主イエス・キリストの福音は、燭台の上に高く掲げられ、すべての人に公にされていると、主イエスは語られました。それゆえに、主イエスを信じ従う弟子たちは、またわたしたち信仰者は、いついかなる時にも、どのよう場所や場面でも、「わたしは主イエスの仲間である。主イエスを信じる者である。主イエスに従う者である」と告白するように、招かれているのです。

 「人の子」とは主イエスご自身を指しています。主イエスがご自分のことを「人の子」と言われる場合には、ご自分が旧約聖書の中で神が約束しておられたメシア・キリスト・救い主であるということを強調していると思われます。先ほど読んだ主イエスの第1回目の受難予告である9章21節でも、「人の子は必ず多くの苦しみを受け」と言われていました。主イエスは神のみ子であられましたが、人間となられ、ヨセフとマリアの子としてクリスマスの日にこの世界に誕生されました。主イエスはわたしたち罪びとと同じ人間となられ、わたしたち人間の罪をご自身が担ってくださり、わたしたち罪びとの一人に数えられ、裁かれ、十字架で死んでくださったのです。そのようにして、神の救いのみわざを成し遂げてくださったのです。「人の子」という表現には、そのような救いのみわざが暗示されています。

 ここでも一つ重要なポイントは、「人々の前で」と「神の天使たちの前で」とが対比されていることです。「人々の前」でとは、この世界で、今の時代の中でという意味であり、「神の天使たちの前で」とは、終末の時の神の最後の審判の場でという意味です。「神の天使たち」とは、最後の裁きの法廷で裁判長であられる神の傍らで仕える天使たちを指しています。主イエスはここで、すべての人間は終わりの日に、終末の時に、主なる神のみ前に引き出され、それぞれの地上の歩みに応じて神の最後の審判を受けるという、終末信仰について語っておられます。このような主イエスの終末信仰は、福音書の中に数多くみられます。最もよく知られているのが、マタイ福音書25章31節以下で語られている最後の審判に様子です。その時には、羊飼いが羊と山羊を右と左に分けるように、永遠の祝福を受ける者と永遠の呪いを受ける者とに分けるであろうと教えられています。この主イエスの終末信仰は、新約聖書全体に貫かれており、使徒言行録と書簡でも詳しく教えられています。

 わたしたちの信仰の歩みは、この世の、この世界での、わたしの地上の生涯と歩みだけで完結するのではありません。わたしの地上の歩みが他の人と比べて少しばかり幸いであったとか不幸であったとか、そのような評価でわたしの信仰の歩みのすべてが測られるのではありません。あるいはまた、わたしの信仰の歩みがすべて順調であり、幸いであったとか、わたしの信仰の歩みは苦難と試練の連続であり、迫害の苦しみの連続であったとか、そのような評価によっても、最終的に測られるのでもありません。最後の審判は主なる神がなさいます。主なる神がわたしの信仰を完成させてくださり、わたしを永遠のみ国へと招き入れてくださいます。そして、主イエスがその最後の審判の席で、わたしの傍らに弁護人として立ってくださるのです。

 それゆえに、地上の信仰の歩みにおいて主イエスを救い主と告白する信仰者を、終わりの日の最後の審判の時には、天の裁判官たちの前で、主イエスは「あなたはわたしのもの、わたしの仲間である。だから、永遠のみ国を受け継ぎなさい」と言ってくださるのです。この時までは、わたしたちの信仰は未完成です。未完成ではありますが、完成を目指しています。最後の日に、神から賜る永遠に朽ちることのない天の宝を目指して、その約束を信じて、信仰の歩みを続けるのです。

 次の10節は非常に難解な聖句であると言われます。人の子、すなわち主イエスに対してはどのような悪口を言っても許されるけれども、聖霊なる神を冒涜する者は許されないとは、どういう意味なのか。さまざまな理解がなされていますが、最も一般的な理解を一つ紹介します。主イエスが人の子・メシア・救い主であるということは、主イエスの地上のご生涯においては、ある意味で隠されていたと言えます。主イエスの十字架の死と復活、そして聖霊降臨までは、誰もはっきりとその信仰を告白することはできませんでした。12弟子たちも、そのリーダーであったペトロも、みな主イエスの十字架につまずき、主イエスを見捨てて十字架から逃げてしまいました。それは、主イエスご自身がある意味でご自分がメシアであることを秘密にしておられたからでもあります。

 しかし、主イエスの十字架と復活の出来事があり、聖霊が降ってからは、誰でも聖霊に導かれ、信仰を持って主イエスの十字架と復活の福音を信じ受けいれるならば、誰でも主イエスこそがメシア・救い主であると告白することができるようになったのであるから、それでもなおも主イエスの福音を信じないなら、それは聖霊なる神のお働きを否定することであって、それは許されることはなく、神の最後の裁きを招くことになる、という理解です。主イエスの十字架と復活、そして聖霊降臨によって、主イエスがメシア・キリスト・救い主であることが、もはや隠されることなく、はっきりと啓示されたのであるから、その福音を信じないことは聖霊なる神のお働きを否定することになります。それは神の最後の裁きと永遠の滅びをその身に招くことになるという意味です。わたしたちはこの10節のみ言葉から、そのような厳しさを読み取るべきです。

 しかし、聖霊は裁きの神であるのではありません。【11~12節】。聖霊はわたしたちに主イエス・キリストを告白する力と勇気とをお与えくださり、信仰の道を導いてくださいます。また、聖霊はわたしたちの助け主、慰め主であられます。聖霊はわたしたちの信仰を、終わりの日の救いの完成の時に至るまで導いてくださいます。わたしたちが試練や迫害にあう時にも、常にわたしの傍らに共にいてくださり、必要な助けと励ましをお与えくださいます。聖霊はわたしたちを天の父なる神、そして主イエス・キリストと固く結びつけ、そこから与えられるすべての恵みを、わたしたちに分かち与えてくださる神です。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちの信仰告白をいよいよ強くしてください。邪悪や不義がはびこり、不信仰と罪とに覆われているこの世界に、あなたのみ名を力強く告白し、証ししていくことができますように。あなたのご栄光と主イエス・キリストの救いの恵みを高く掲げて歩む教会としてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

2月8日説教「マケドニア伝道の幻」

2026年2月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書61章1~11節

    使徒言行録16章1~10節

説教題:「マケドニア伝道の幻」

 

 パウロとバルナバの第一回世界伝道旅行は、シリア州のアンティオキア教会から出発し、地中海のキプロス島へ、それから小アジア、今のトルコ共和国、当時のローマ帝国ピシディア州の町々をめぐっての宣教活動を行い、各地に教会が立てられました。パウロはバルナバに、それらの教会を再訪問して、彼らの信仰を強めるために、第二回の伝道旅行を提案したことが14章36節に書かれていました。ところが、マルコを連れていくかどうかで二人の意見が激しく対立し、ついにバルナバはマルコを連れて船でキプロス島へ、パウロはシラスを連れて、陸路で小アジア地方へと、二人は別行動をとることになりました。

 パウロとバルナバの対立と別れは、当初の計画とは違って、ある意味では残念で不幸な結果となったように思われますが、しかし神はそのことをも憐れみを持って導いてくださり、その不幸な出来事をもお用いになって、福音宣教にとっての大きな益としてくださいます。これによって、パウロとバルナバが別々の道を行くことになり、宣教の範囲がより広がっていくことになったのです。それだけでなく、パウロは新たな弟子シラスの協力を得ることになりましたが、シラスはエルサレム教会創立当初からの中心的なメンバーでしたから、彼が第二回伝道旅行に加わることによって、異邦人教会であるアンティアオキア教会だけでなく、ユダヤ人教会であるエルサレム教会も共に世界伝道の活動に参画するという結果になったのです。ここには、隠れた神の深いご計画があるように思われます。神はご自身に仕える者たちを導いて、すべてを益としてくださるのです。

 では、1~2節を読みましょう。【1~2節】。1節と2節のデルベ、リストラ、イコニオンは第一回伝道旅行で訪れた町々です。14章にその時のことが書かれていました。前回は、地中海のベルゲという港から上陸して、北上したのち東へと移動したのに対して、今回は陸路でシリア州からパウロの生まれ故郷であるキリキア州を経由して西へと移動していますので、町の名前の順序は逆になっています。

 これらの町々に建てられた教会を再訪問し、信者たちの信仰を強め、迫害や試練の中でも力強く伝道活動を続けるようにと彼らを励ますのが、第二回伝道旅行の主な目的でした。その具体的な内容についての記述はありませんが、この伝道旅行でパウロの最も大きな出来事は、弟子のテモテとの出会いでした。

 テモテはリストラの教会員であったようですが、周囲の教会でも評判の良い青年であったと書かれています。テモテはこのあと、パウロの最も信頼する弟子となり、また最も強力な同労者となりました。パウロがテモテにあてて書いた手紙が2通、聖書に収められています。また、テモテへの手紙二1章5節以下によると、祖母ロイスと母エウニケはユダヤ人であって、熱心で忠実なキリスト者であったと書かれていますから、まさに信仰の家庭の中で育った有能な青年でした。パウロはぜひともこのテモテを伝道旅行に連れていきたいと願いました。

 【3節】。テモテの祖母と母はユダヤ人であり、キリスト者になりましたが、父はギリシャ人であって、キリスト者ではなかったと推測されます。当時は、ユダヤ人の慣習によればユダヤ人とギリシャ人の結婚は一般的には禁止されていましたが、小アジアの地方都市では許容されていたようです。ユダヤ人の母から生まれた子は原則ユダヤ人と考えられていました。パウロはこのテモテに割礼を授けたと書かれています。ここに、パウロのどのような意図があったのか、「その地方に住むユダヤ人の手前」としか書かれていませんので、詳しくは分かりません。しかし、パウロの割礼に対する基本的な考え方や、更にはエルサレム使徒会議で決議された内容から考えれば、これには大きな疑問が残ります。わたしたちが知っているパウロの信仰はこうです。「だれでも主イエス・キリストの十字架の福音を信じて洗礼を受けるならば、みな神から与えられる一方的な恵みによって罪ゆるされ救われる。ユダヤ人であるかギリシャ人であるかに関係いなく、また割礼があるかないかにも関係なく、その他どのような人間の側の違いにも関係なく、ただ信仰によって、神の恵みのみによって、人は救われる。」これがパウロの信仰でありました。また、エルサレム使徒会議で決議されて内容もその信仰に沿っていました。そうであるのに、なぜパウロはここでテモテに割礼を授けたのか。わたしたちにその真意は分かりません。

 ただ、はっきりと確認できることがあります。ここでは、割礼が救いにとって必要だとは考えられてはいないということです。割礼があってもなくても、テモテはすでに洗礼を受けて救われているのですら、割礼は彼の信仰の本質にとって全く関係ありません。ただ、テモテがこれから伝道者として、特にユダヤ人に対してより良い働きができるようにと考えたすえのパウロの決断であったのでしょう。わたしたちにはこれ以上のことは分かりません。

 次に、【4~5節】。4節の「規程」とは、15章23節以下にあった、いわゆる「使徒通達」と言われるエルサレム使徒会議での決議事項を記した書面のことです。これを世界の諸教会に伝えることも、第二回伝道旅行の目的でした。

5節は、パウロの第二回伝道旅行の前半のまとめです。このようにして、パウロは第一回伝道旅行で誕生した小アジア地方の諸教会の群れを励まし、信仰を強め、教会員の数を増し加え、主イエス・キリストの体なる教会の基礎を固く据えるという今回の伝道旅行の目的を十分に果たし終えました。それによって、これらの諸教会が、外に向かって新な伝道活動を行うための力が蓄えられていったのでした。教会はこのように、教会内の信仰の成長と、教会の外に向かっての成長と、この両方が共に連携して強められることが重要です。

 6節からは、第二回伝道旅行の新たな展開が始まります。【6~8節】。パウロの第二回伝道旅行の主な目的は達成されていました。5節がそのまとめでした。これで当初の目的は達せられたのですが、しかしパウロはすぐに母教会であるアンティオキア教会へ戻ろうとはしませんでした。彼は更に新しい開拓伝道の計画を立てていたようでした。ところが、「アジア州で御言葉を語ることを聖霊によって禁じられたので」と書かれています。この表現から、パウロがどこへ向かおうとしていたのか、多くの人はおそらくリストラとイコニオンから小アジア州を更に西の方向へ進み、小アジア最大都市であったエフェソに行こうとしていたのではないかと推測しています。しかしながら、そのパウロの計画を「聖霊が禁じた」と書かれており、また7節でも、パウロが「ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」と書かれています。これは一体どういうことなのでしょうか。ここでは、パウロの伝道計画が聖霊によってことごとく否定されているように思われます。それは、どうしてなのでしょうか。その確かな理由は、何も書かれていませんし、わたしたちにもよく分かりません。聖霊なる神は何を意図しておられたのか、今の時点では分かりませんから、そのまま疑問符を付けたままにしておきたいと思います。

ただ、わたしたちはここで二つのことを確認しておきましょう。一つには、聖霊なる神はわたしたちに神の言葉を語ることをお命じになり、誰に対しても恐れずに勇気をもって語るための力をお与えくださると同時に、また「ここでは語るな」と命じることもあるということ、沈黙することも聖霊なる神のお導きだということです。いずれの場合にも、わたしたちは聖霊なる神のみ旨に従い、聖霊のお導きに従うのです。もう一つには、パウロが考えた伝道計画が聖霊によって変更されることがあるのだということです。どんなによく準備され、綿密に計画されたことであっても、人間が立てた計画は途中で崩れ去ることがあります。主なる神のみ旨とご計画に従って教会の伝道計画は進められなければなりません。教会の伝道計画においても、わたしたち一人一人の人生の旅路においても、わたしたちは絶えず神のみ心を尋ね求め、それに服従する信仰を失ってはならないのです。

パウロはここで何度も自分の計画が神によって退けられていますが、しかし彼はそれによって少しも落胆したり、途中であきらめてしまうこともしてはいません。聖霊のお導きと力とを信じて、示された道を前進し続けています。なぜならば、神によってある道が禁じられるということは、神が別の道をお示しくださるという約束だからです。神は確かに、服従する者に新しい、よりよき道を備えてくださるでしょう。

6節から8節に書かれている地名を正確にたどることはできませんが、おおよその方角は、聖書の後ろの付録の地図などを参考にすれば分かります。小アジアの北側、黒海に近い方向の地方をジグザグに進んでいるように思われます。そして、最終的に小アジアの北側の西海岸のトロアスまで来て、そこでパウロは幻を見ました。【9~10節】。ここで初めて、パウロは神の積極的なお導きを見ました。これまで、二度にわたって禁止され、変更を余儀なくされていた彼の伝道活動に、今や新しい道が示されたのです。

「幻を見る」とは、寝ていて夢で見ることもあり、また9章10節では、起きているときに何かの声を聞いたり、10章では何かの現象を見たりすることが、聖書では何度も「幻を見る」と書かれています。これは、夢うつつで、おぼろげに見るということでは全くなく、むしろはっきりと、確かに、しかしこの世界の現実とは違った、神がお示しになった確実なこととして、自覚することです。パウロはここで、神のご計画を確かに聞き、見たと悟りました。これまで妨げられてきた道が、今や明確に示され、新しい宣教の道が開かれたのです。

「一人のマケドニア人」とは誰のことかは分かりません。これ以後も、誰であるかを暗示する箇所はありませんので謎のままですが、その人の訴えは、パウロたちに強く響きました。パウロたちは彼の願いに、神のみ心があると悟り、少しも躊躇することなく、トロアスから船に乗ってマケドニア州へと入りました。

マケドニア州は小アジアからエーゲ海を隔ててヨーロッパの入り口にあたり、当時のギリシャ文化の中心地でした。わたしたちによく知られているフィリピ、テサロニケなどの町々があります。これによって、主イエス・キリストの福音が初めてアジア州を越えて、エーゲ海を渡り、ヨーロッパへと広められていくことになったのです。そして、ここから、パウロの第二回世界伝道旅行の後半が始まります。それは、当初は全く計画にはなかったことではありましたが、聖霊なる神の不思議なお導きによって開かれた、新しい福音宣教の道でありました。神の言葉は決してつながれてはいません。すべての困難や迷いや失敗を通しても、神の言葉は前進します。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたは使徒パウロにマケドニア伝道の幻をお与えくださいました。そして、その新しい伝道の働きを導いてくださいました。主よどうぞ、わたしたちにも伝道の幻を与えてください。この日本の地に、アジアの諸国に、そして全世界へと出ていく宣教の幻を与えてください。

〇主なる神よ、あなたの義と平和がこの地に行われますように。世界の為政者たちが唯一の主なるあなたを恐れる者となり、あなたのみ心を行う者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。