4月26日説教「カインとアベル」

2020年4月26日(日) 秋田教会主日礼拝説教

聖 書:創世記4章1~12節

    ヨハネの手紙一3章11~18節

説教題:「カインとアベル」

 創世記3章では、人間の罪について、いわゆる「原罪」について語っていますが、それに続く4章では、人間の罪の具体的な現れ、あるいは罪の発展について描いていると言えます。「カインとアベルの物語」と一般に呼ばれるこの4章は、人間の罪、「原罪」がこの人間社会においてどのようにして具体化されていくか、現実化されていくかという、その過程について語っており、それはまさに、今わたしたちが住んでいるこの人間社会で、今もなお繰り広げられている人間の罪の現実の、その原点なのだと、言ってよいでしょう。わたしたちはこの個所に、わたしの中に潜んでいる罪の原点を見るのだと言ってよいでしょう。だれもが非常に重苦しい思いを持ちながら、人類史上最初の殺人、しかも兄弟殺しという、恐ろしい殺人事件を扱ったこの個所を読まざるを得ないのですが、しかし、そうであっても、この個所もまた天地万物と人間を、無から有を呼び出だすようにして、死から命を生み出すようにして創造された主なる神のみ言葉であるということを、わたしたちは忘れることはありません。

 わたしたちはここでまず、人間の罪の本質について基本的なことを教えられます。しれは、人間の罪が、その根源は神と人間との関係が壊れることなのですが、それが直ちに人間と人間の関係が壊れることへと進展していくということです。すでに3章12節以下で、神の戒めを破って罪を犯したアダムとエバが互いに責任を押し付け合っていたことにそれは表れていましたが、ここではよりはっきりと、より刺激的に最初の兄弟殺しへと発展していくのです。神と人間との関係が正しくなければ、人間と人間の関係をも正しく築いていくことはできません。

 それゆえに、主イエスは旧約聖書の律法のすべてを、神を愛することと隣人を愛することという、愛の二重の戒めにまとめられました。【マタイ福音書22章36~40節】(44ページ)。神から人間へと広がっていく罪の連鎖を食い止めるために、主イエスがわたしたちのために開いてくださった新しい道、すなわち神から隣人へと広がっていく愛の戒めに生きる道を、わたしたちは進まなければなりません。進むように招かれているのです。

 では、4章1節から読んでいきましょう。【1節】。エデン(喜び)の園を追い出されたアダムとエバの夫婦にも、なお喜びの時が残されていました。子どもの誕生です。「わたしは主によって男児を得た」と、エバは歓喜の声を挙げています。エバという名前は、3章20節で説明されているように「命」という意味です。罪に対する神の厳しい裁きを受けなければならなかった女エバは母となることをゆるされたのです。罪と死に支配されるようになったアダムとエバ、けれども、彼らは新しい命の誕生を見ることをゆるされ、その子の親となることがゆるされたのです。1章27節で、人間が創造された際に与えられた神の祝福、「産めよ、増えよ。地に満ちよ」という神の祝福は、なおも彼らから取り去られてはいませんでした。彼らはエデンの東に追い出されても、なおもそこで神の祝福を受けた、喜びに満ちた何かを始めることをゆるされていたのです。人間に対する神の恵みと憐れみは、罪の世界にあっても、なおも消えることはありません。

 「主によって」という言葉がキー・ワードです。罪の人間にゆるされているそれらのことはすべて「主によって」与えられているのです。エバの喜びは、男の子が誕生したということによるだけではなく、神が「母となる」という約束を彼女に果たしてくださったからにほかなりません。エデンの東の罪の世界でも、神はなおも彼らと共におられ、彼らのために新しい命を創造され、彼らのために喜びの時をお与えになられ、彼らのために新しいみわざをお始めくださったのです。エデンの東の世界にあっても、わたしたち人間は「主によって」何かをなすことがゆるされているのであり、「主によって」すべての事をなすべきなのです。主なる神と共に歩み、主なる神に聞きつつ、すべてのわざをなすべきなのです。そうすれば、果てしなく続くかのような人間の罪の歴史に、光が差し込んでくるに違いないのです。

 【2節】。兄カインの名前は「やり、弓矢、鍛冶屋」という意味を持つと考えられています。弟アベルは「息、蒸気、はかなさ」という意味を持っています。アベルの不運な、短くはかない生涯を暗示しているように思われます。カインは農夫になり、アベルは羊飼いになりました。そして、二人はそれぞれの働きで得たものを神にささげました。自分たちの働きで得たものはすべて主なる神から賜ったものであり、それを感謝して、その最初の収穫や最も良いものを神にささげるということは人間の義務と考えられていました。

 ところが、その時に全く理解に苦しむ事態が生じました。【3~5節】。なぜ神がそうされたのかについては、ここには全く書かれていません。わたしたちには正確には分かりません。聖書研究家たちはさまざまな推測を試みています。神は地の産物よりも羊を好まれたから、あるいは神は血があるささげものを喜ばれたから、イスラエルが遊牧民であったからなど……。しかし、そもそも神の好みは人間には分かりませんし、イスラエルは初期には遊牧民でしたが、後には定着してからは農耕にも携わっていますから、それも決定的な理由にはなりません。また、カインは地の産物を無造作に選んだが、アベルは群れの中の肥えた羊を選んだからという説明も、聖書の記述からだけでは確かであるとは言えません。

 結局は、その理由は人間にはわからない、それは神の自由によるのだとしか言えないように思われます。神はあるものを受け入れ、あるものを受け入れないという自由をお持ちです。出エジプト記33章19節で神はこのように言われます。「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」。これが神の自由です。創世記25章に書かれているように、神は兄のエサウではなく、弟のヤコブを選ばれました。神は世界の多くの民の中から最も小さく弱い民、奴隷の民であったイスラエルをお選びになりました。それはみな神の自由な選びです。

 使徒パウロはこのような神の自由な選びについて、ローマの信徒への手紙9章11節以下でこのように書いています。【11~16節】(286ページ)。神の自由な選びとは、神のわがままで思いつきの選びなのではなく、神の恵みと憐れみに満ちた選びなのです。神はその自由な選びによって、わたしたち罪びとを選ばれたのです。取るに足りない、小さな欠けの多いこのわたしを選ばれたのです。

 「主はカインとその献げ物に目を留められた」。これは神の恵みと憐れみによる選びです。人間の側には、カインとアベルの側には、選ばれる理由、選ばれなかった理由は一切ありません。わたしたちは神の恵みと憐れみによる選びを、信仰をもって受け入れ、喜びと感謝とをもって、神に選ばれていることを選び取るのです。

 しかし、カインは神に選ばれなかったことを不満の思い、激しく怒って顔を伏せたました。カインは弟アベルのささげ物が神に顧みられたことを妬んで、怒りました。神が弟アベルを選ばれたことに憤りました。神の恵みと憐れみによる自由な選びを拒み、それを怒り、神の決定に逆らいました。ここに、カインの罪があります。カインは弟アベルが神に顧みられ、神に選ばれたことを、共に喜ぶことができませんでした。ここに、カインの罪があります。

神はカインに語りかけられます。【6~7節】。ここで、カインの罪が明らかにされます。神の選びに対する不満、神の決定に対する反逆、これがカインの罪です。彼は神のみ顔を見ることができません。今や、罪がカインを支配しています。

 そして、その罪は兄弟の命の破壊へと進みます。【8節】。神から離れ、神に背き、神なき者となって罪に支配された人間は、自分の感情や欲望のままに暴走するほかありません。そしてついには命の破壊、殺人へと至ります。ヨハネの手紙一3章5節に、「兄弟を憎む者は皆、人殺しです」と書かれているとおりです。

 野のだれもいない場所で、カインは弟アベルを殺しました。しかし、神はすべてを見ておられます。【9~12節】。神はカインに「あなたの弟アベルはどこにいるのか」と問われます。前に、3章9節で、最初に罪を犯して神のみ前から姿を隠そうとしていたアダムに対して、神は「あなたはどこにいるのか」と問われました。そこでは、人間アダムが神のみ前での責任を問われていました。ここでは、カインは兄弟に対する責任を問われています。人間は、このように、神に対して責任ある者であり、同時に兄弟に対して、隣人に対しても責任ある者なのだということを教えられます。

 けれども、カインは「知らない」と答えました。神に対しての責任を自覚しない人間は、隣人に対する責任を負うこともできません。これが罪によって神と分断され、隣人と分断されてしまった人間の姿です。

 ただお一人、神だけがそのすべての責任を負ってくださいます。神は「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」と言われます。神は殺されたアベルの血の叫び声を聞かれます。神はアベルの血の責任を負ってくださるのです。ヘブライ人への手紙12章24節にこのように書かれています。「新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血」。神は主イエス・キリストの十字架の死によって注がれた汚れのない、尊い血の大いなる叫びを聞いてくださり、主イエス・キリストの血によってわたしたちの罪を贖い、清め、ゆるしてくださったのです。

(執り成しの祈り)

○神よ、み子の尊い血潮によって、わたしたちのすべての罪を洗い清めてくださ

い。罪ゆるされているわたしたちが神と隣人とに仕えて生きる者としてください。

○大きな不安と混乱の中にある世界を、主よ、どうか憐れんでください。全世界

の民をお守りください。あなたのみ心をお示しください。

○神よ、あなたが選び、お集めになった主の教会もまた、恐れと弱さの中で苦悩

しています。どうか、み言葉の上に固く立つ勇気と希望をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

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