3月21日説教「神とアブラハムの契約締結」

2021年3月21日(日) 秋田教会主日礼拝説教

聖 書:創世記15章7~19節

    ヘブライ人への手紙8章7~13節

説教題:「神とアブラハムの契約締結」

 創世記15章1~6節には、神がアブラハムにお与えになった約束の一つ、「あなたから生まれる子どもがあなたの家を継ぐ」という約束について書かれていました。7節からは、もう一つの約束、「この土地をあなたとあなたの子孫に受け継がせる」という約束が書かれています。前回もわたしたちが確認したように、アブラハムに同じ約束が語られるのはこれが三度目です。さらに、17章でも同じ約束が繰り返されます。なぜ、これほど頻繁に同じ約束が語られているのかを考えてみると、いくつかのことが見えてくるように思います。神の側から言えば、神の約束はいつまでも変わることはないということです。たとえアブラハムがその約束を忘れたり、無視したりしようとも、神はひとたびアブラハムと結ばれた約束、これを「アブラハム契約」と呼びますが、その契約を決して廃棄なさらない、必ずやその成就に向けて道を備えておられるということを、わたしたちは何度も確認することができます。

 アブラハムの側から言えば、12章に書かれてあったように、彼が75歳の時に最初に神の約束を聞いて旅立ってから、10年が過ぎ、20年が過ぎ、途中で経験した様々な試練の中で神の約束に背くようなことをした時にも、彼はそのたびに神の約束のみ言葉を聞かされ、神との契約を再確認させられてきました。しかも、時の経過とともに、神の約束が果たされるという可能性がいよいよ小さくなっていく中で、いまだに自分と妻との間には子ども与えられず、いまだにカナンの地の一角をも所有していない、神の約束に対する疑いや不安がアブラハムを襲い、彼の信仰そのものが試練にさらされ、彼はもう神の約束なしでも生きていくことができると考えるようになる、そのようなアブラハムの信仰の危機の中で、神は繰り返して約束のみ言葉をお語りになっておられる、そのことをもわたしたちは確認することができます。

 すべて信じる人の信仰の父と言われるアブラハムの場合がそうであったように、わたしたち信仰者もまた、そのようにして繰り返し繰り返し神のみ言葉を聞き続け、日々にわたしを襲ってくる疑いや不安、不信仰と戦っていかなければなりません。また、そのために神はわたしたちを主の日ごとの礼拝へとお招きくださるのです。

 きょうは7節からのアブラハムに対するもう一つの約束について学んでいきます。【7節】。1節でもそうであったように、7節でも、神がまずお語りになります。アブラハムの事情がどうであれ、彼はまず神のみ言葉を聞かなければなりません。聞くことが許されているのです。神の約束、神とアブラハムとの契約においては、いつでも神の側にイニシャティブ・主導権があります。神が一方的な恵みとしてアブラハムにお与えくださいます。そのことは、12章に書かれていた最初の神の約束のみ言葉から全く変わりません。

 7節を原典のヘブライ語から直訳すると、「わたしは主、あなたをカルデアのウルから導き出した者」となります。この言い方は、旧約聖書の中にしばしばみられる「神の自己啓示の定式」と言われています。最も知られているのは、出エジプト記20章2節です。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。神が重要なみ言葉をお語りになる場合、あるいは大切が律法を授与される場合、このような自己啓示の定式を用いる例が数多くあります。

 神はアブラハムの信仰の生涯の初めに、豊かな恵みのみ言葉をもって彼を召し出されました。神は今この時にも、そして彼の生涯の終わりまで、同じように恵み深い主なる神として、「わたしは主、あなたをカルデアのウルから導き出した者」として、み言葉を語り続け、彼を導いてくださいます。同じように神はイスラエルの民を奴隷の家から導き出された救いの神として、イスラエルの歴史を、イスラエルの民一人一人を、約束のメシア・救い主の到来の時まで導かれます。神はまた、「わたしはアブラハム、イサク、ヤコブの神、主イエス・キリストの父なる神」として、主の日の礼拝のたびごとに、わたしたちにご自身を啓示され、教会のため、わたしたち一人一人のための救いのみわざを今もなお行ってくださいます。 

 次に、8節でアブラハムは神の約束が確かであることのしるしを求めているように見えます。【8節】。2節でも、彼は神の約束がいまだ実現していないことへの不安を語っていました。そこでは、神はアブラハムを外に連れ出し、夜空の星を見せて、「あの星を数えることができるなら、数えてみなさい」と言われ、彼の不信仰を取り除かれました。ここでは、神はアブラハムと契約の儀式を結ぶことによって彼の不安を取り除かれます。

 【9~12節】。ここに命じられている内容は、当時の近東諸国で実際に行われていた契約締結儀式と同じであるということが歴史資料から知られています。動物を二つに切り裂いて二列に並べて通路をつくり、その中を契約を結ぶ当事者たちが通り抜けることによって契約が成立するという慣習がありました。この契約の意味をよく理解できる個所があります。エレミヤ書34章18~19節を読んでみましょう。【18~19節】(1243ページ)。ここにも書かれているように、動物を引き裂いて二列に並べるのは、この契約を破った者は同じように引き裂かれなければならないということを示していました。

 契約締結儀式は17節以下に続きます。【17~21節】。「煙を吐く炉と燃える松明」は神ご自身を現わしています。神の自己啓示、神の顕現の一つの手段です。出エジプト記19章では、シナイ山で神がモーセに現れて十戒を授けられた際には、燃える「火」と「炉の煙」と「角笛の音」、そして「雷鳴」によってご自身の存在をお示しになられたと書かれています。神は第一にはみ言葉をお語りになることによってご自身を人間に現わされますが、このような自然現象や光、音などによっても、人間の感覚や体験を通しても、ご自身を啓示されます。

 ここでは、本来天におられる神が、地に下って来られ、人間の目や耳、感覚によって捕らえられるお姿でご自身を現わしておられるということに気づかされます。一般に、契約を結ぶ場合には、当事者が同じ立場にいなければ、契約の内容も不平等になります。神はアブラハムと契約を結ばれるに当たって、彼と同じところに立たれ、天から地に下って来られ、ご自身を低くされて、しかもその契約が実現しない場合には神ご自身があたかもその御身(おんみ)を二つに切り裂いてもよいというしるしに、切り裂かれた動物の間を通り過ぎられたのです。

 わたしたちはここに至って、神のみ子主イエス・キリストへと目を向けざるを得ません。神はみ子主イエス・キリストによってわたしたち教会の民と新しい契約を結んでくださいました。その契約締結のために、神はご自身が人の子としてこの地においでくださり、わたしたちすべての罪びとと共におられるインマヌエルの神となられました。それだけでなく、神はわたしたち教会の民との新しい契約が確かであり、真実でありまた永遠であることの保証として、ご自身のみ子が十字架の血を流さるほどにわたしたちに対する愛を貫きとおされたのです。

 神とアブラハムとの契約締結の儀式において、アブラハム自身はほとんど何の役割も果たしてはいません。彼は神に命じられた動物や鳥をそろえて持ってきました。動物を切り裂き、二列に並べました。契約締結の邪魔になるハゲタカを追い払いました。けれども、いざ契約締結の時には、彼は深いに眠りに襲われ、彼自身が二列に並べられた動物の間を通り過ぎたとも書かれていません。この契約締結においては、神がすべてのイニシャティブを握っておられます。アブラハムは受動的です。神がアブラハムの不信仰や弱さや疑いにもかかわらず、この契約を実現されるということが強調されているのです。アブラハムはただそれを信じることができるだけです。それで十分なのです。

 【13~16節】。ここには、創世記に描かれているアブラハム、イサク、ヤコブの族長時代から、その後ヤコブの12人の子どもたちとその家族がエジプトに移住して400年間の寄留の生活を続ける、そのようにしてから初めて「この土地をあなたとあなたの子孫に受け継がせる」と言われた神の約束が実際に果たされるようになるであろうということが語られています。実に、600年以上もの長い年月を経て、アブラハムへの神の約束がイスラエルの民に成就されるというのです。

ここには、旧約聖書全体に貫かれている歴史観があるように思われます。その歴史観は、なぜ神はイスラエルの民を選ばれたのか、また神の民イスラエルと世界とはどのような関係にあるのかということを、信仰的な目で物語っています。その歴史観をいくつかのポイントにまとめてみましょう。

 一つは、神は族長とイスラエルの歴史のすべてを、アブラハム一人の生涯を越えて、支配され、導いておられるということです。神はこのイスラエルの歴史全体を通して、イスラエルの苦難や挫折、勝利や敗北の歴史のすべてを通して、ご自身の救いのみわざを成し遂げられるという救済史の歴史観です。

 二つには、エジプトやカナン地方の諸国は、16節のアモリ人は19~21節に挙げられているカナン地方原住民を代表していると考えられますが、それらの世界の諸国もまた神の普遍的なご支配のもとにあり、神の救いのご計画に仕えているという歴史観です。イスラエル周辺の諸国は時に神の選びの民を苦しめるための道具として神に用いられ、時に自らの罪のゆえに神によって滅ぼされることによってイスラエルの救いのために仕えます。世界の諸国もまたイスラエルの民と同様に、罪の中にあり、神に背いており、それゆえに神によって救われなければならないという信仰がここにはあります。

 ここからわたしたちはキリスト教信仰による歴史観に導かれます。神は定められたこの時に、全世界を罪から救い、ご自身の救いのみわざを成就されるために、み子主イエス・キリストを世の救い主としてこの世にお遣わしになられました。十字架につけられ三日目に復活された主イエスは全人類の唯一の救い主として、今は天におられる父なる神の右に座して、全世界を導いておられます。世界はその救いへと招かれているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたのみ言葉の真理は永遠に変わることはありません。あなたは天地創造の時から今に至るまで、また終わりの日のみ国の完成の時まで、義とまこととをもってこの世界をご支配しておられます。どうか、わたしたちが移り行き、過ぎ去るものから目を離して、永遠に変わることがないあなたの真理に目を注ぐようにしてください。

〇憐れみ深い主なる神よ、この世界は今大きな試練と苦悩の中にあって苦しみ悶えています。どうか、あなたからの救いといやしが与えられますように。全世界にあなたのみ心が行われますように。あなたの義と平和が与えられますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA