5月2日説教「12弟子の選びと主イエスの福音宣教の働き」

2021年5月2日(日) 秋田教会主日礼拝説教

聖 書:詩編103編1~13節

    ルカによる福音書6章12~19節

説教題:「12弟子の選びと主イエスの福音宣教の働き」

 前回わたしたちはルカ福音書6章12節以下のみ言葉から、主イエスが12人の弟子をお選びになったことの意味やその目的について学びました。12弟子の選びには、すでに教会の本質が言い表されていることを確認しました。きょうは13節の「使徒」という名前について、更に一つ付け加えておきたいと思います。使徒とは遣わされた者という意味です。この言葉を同じ節の「呼び集める」という言葉との関連で考えると、わたしたちの教会の本質が見えてくるように思います。つまり、教会とは呼び集められ、そして遣わされる信仰者の群れだということです。わたしたちは主の日ごとにそれぞれの場所から主イエス・キリストによってこの教会へ、礼拝の場へと呼び集められます。この礼拝で神のみ言葉を聞き、主イエスの救いの恵みにあずかり、新しい命を注ぎ込まれ、そして再び主イエス・キリストによってこの世へと派遣されていきます。罪ゆるされた者として、主イエスの救いの恵みに生かされている者として、この世へと派遣されていきます。このように、招集と派遣を繰り返していくのが教会です。わたしたち一人一人はこのような招集と派遣を繰り返していくことによって、信仰者として生き続けるのです。

 次に、選ばれた12人のリストについて考えてみましょう。最初の4人「イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、ヤコブ、ヨハネ」はガリラヤ湖の漁師でした。彼らが主イエスの弟子になった次第については、すでに5章1節以下に書かれていました。その個所によれば、ヤコブとヨハネの父はゼベダイと言い、二人は兄弟でした。彼ら4人は舟に乗って魚をとる漁師でしたが、主イエスの弟子となったことによって、主イエスの福音によって人間の魂をすなどる伝道者に変えられました。彼らは朽ちるパンを得るために働くのではなく、永遠の命に至る神のみ言葉のために働く人となったのです。

 ペトロという名は主イエスが付けられたとありますが、これはペトロの信仰告白と関連していると思われます。マタイ福音書16章13節以下には、ペトロが主イエスに対して「あなたこそがメシア・神のみ子です」と告白した時、主イエスが「あなたはペトロ、すなわち岩である。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われたことが書かれています。それは、ペトロ自身が堅い岩であるという意味ではありません。主イエスをメシア・キリストと信じる信仰の上に、またその信仰告白の上に、主イエスは教会をお立てくださるという意味です。メシア・救い主なるイエス・キリストこそがわたしたちの教会の固い土台です。その土台の上にわたしたちの信仰があり、また信仰告白があるということです。

 フィリポ、バルトロマイについては何も知られていません。マタイは5章27節以下の徴税人レビと同一人物と考えられています。この当時の徴税人は、異邦人であるローマの皇帝のために働く罪びとと考えられていました。主イエスは罪びとをお招きになり、お救いくださる救い主であることを、弟子の選びにおいてもはっきりとお示しになりました。トマスはヨハネ福音書によれば、またの名をディドモと言い、他の弟子たちが「わたしたちは復活の主イエスと出会った」と言った時に、「わたしはあの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、決して信じない」(ヨハネ福音書20章25節参照)と答えたトマスと同一人物と考えられます。復活された主イエスは彼に、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。見ないで信じる人は、幸いである」と言われたことがヨハネ福音書20章に書かれています。今日のわたしたちもまた見ないで信じる幸いに招かれているのです。

 10人目の「熱心党と呼ばれたシモン」についてですが、熱心党はゼロテ党という名で、過激な宗教運動・政治運動をしていたグループでした。イスラエルの主なる神のみに熱心に仕え、異邦人であるローマが神の民イスラエルを支配していることに対しては武力をもってでも抵抗すべきだと主張していました。実際に彼らがローマからの独立を掲げて何度か暴動を起こしたことが記録に残っています。しかし、主イエスの12弟子のシモンについては、彼自身がどのような政治的な思想を持っていたのかとか、弟子たちの中で何か運動を起こしたというようなことは、聖書には全く書かれていません。また、主イエスご自身は当時のイスラエルの宗教的・政治的運動とは一線を画していたことは明らかです。ということから推測すれば、シモンは最初は宗教的・政治的運動に与(くみ)していましたが、主イエスと出会ってからは、本当の自由、本当の平和とは、そのような社会的運動によって得られるのではなく、人間の根本的な存在、魂の問題であり、神と人間との正しい関係から与えられるものであり、罪のゆるしこそが真の自由と平和の源であることを知らされていったのだと言えるでしょう。

 最後に挙げられている「裏切り者となったイスカリオテのユダ」については、主イエスの受難週の記録の中で重要な役割を果たしていることをわたしたちは知っています。イスカリオテの意味については二通りがあります。一つは、カリオテという町、あるいは地方の出身の人という意味、もう一つは熱心党と同じような過激な政治団体に属する人という意味ですが、はっきりとは分かっていません。ユダがなぜ主イエスを裏切るようになったのか、その理由と関連付けて考える研究者もいますが、ユダが主イエスをわずかなお金のためにユダヤ人指導者たちに売り渡したその理由は何だったのか、わたしたちには大きな疑問です。また、それ以上に、主イエスがなぜそのような可能性があるユダを12弟子に選ばれたのか、わたしたちを大いに悩ます疑問です。それにもかかわらず、わたしたちは最終的には、主イエスはそのようなすべての人間的な疑いや迷い、弱さや欠け、あるいは裏切りや憎しみ、それらのすべてをお用いになって、それらのすべてをはるかに超えて、ご自身の救いのみわざを成し遂げられたのだと言うべきでしょう。

 【17~19節】。山の上で徹夜の祈りをささげられ、12弟子をお選びになった主イエスは、彼らと共に平地に戻られました。実は、この個所は20節以下の主イエスの平地での説教の導入になっています。マタイ福音書では5章1節で、主イエスは山に登られて、山の上から弟子たちや群衆に説教をされたという設定になっています。いわゆる、山上の説教が始まるのですが、ルカ福音書では20節から同じような主イエスの説教が語られますが、それは平地での説教と言われています。マタイとルカでは説教の場所が違っていますが、ここには両者の神学、信仰理解の強調点の違いが反映されていると言われています。マタイ福音書では、主イエスは山の上から、天の神の権威によってみ言葉を説教されますが、ルカ福音書では主イエスは山から下りて来られ、いわば天から地に下って来られ、民衆と同じ場に立たれた神のみ子として説教しておられます。 

 主イエスは山の上で、天におられる父なる神に親しく祈りをされました。また、その山で神のみ心にかなった12人を選ばれ、彼らに使徒としての権威をお与えになりました。12~16節は山の上での出来事でした。主イエスはそのまま山の上にとどまっておられるのではありません。お選びになった弟子たちと共に山から下り、平地に立たれます。罪が支配しているこの地上に、死や汚れた霊、病、悩みに満ちているこの世に、主イエスは再び入って来られ、その中で神の僕(しもべ)としてお働きになるのです。選ばれた弟子たちも同じです。「彼らと一緒に」と書かれています。彼らもまた、主イエスと共に、主イエスの福音を携えて、病んでいるこの世へと、暗闇と死とが支配しているこの世界へと派遣されていくのです。ルカ福音書では実際に12弟子が派遣されることについては9章に、また72人の伝道者が派遣されることについては10章に書かれています。

 17節には、イスラエル全域から多くの民衆が主イエスの説教を聞くために、また病気をいやしていただくために集まって来ていたことが書かれています。主イエスはこの時はまだ故郷のガリラヤ地方で宣教活動をしておられましたが、主イエスのお名前はすでに首都エルサレムにまで知れ渡っていたようです。ティルス、シドンはイスラエル北西の地中海に面した町々で、そこはイスラエルの民以外の異邦人が多く住んでいる地域でした。主イエスの福音がイスラエルの国を超えて、異邦人へ、全世界へと宣べ伝えられるということが、ここですでに暗示されています。主イエスはイスラエルの民だけでなく、全世界のすべての人々の救い主であられます。

 18節では、主イエスのお働きが教えを語ることと病気をいやすことにまとめられています。これまでもそうであったように、主イエスは神の国の福音を説教されるとともに、神の国がすでに到来しているしるしとして、人々を苦しめていた病気や汚れた霊から人々を解放されました。神から遣わされたメシア・キリストであられる主イエスが神の救いの福音を携えてこの世においでくださったことによって、神の救いの時が始まりました。罪の支配と汚れた悪しき霊の支配に終わりが告げられたのです。主イエスがさまざまな病をいやし、汚れた霊に取りつかれている人を解放されたのは、その神の恵みのご支配のしるしなのです。

 神の国が到来していることのしるしは、主イエスの十字架の死と復活によって最終的に実証されました。神のみ子主イエス・キリストが十字架で流された清い聖なる血が、全人類を罪から贖い、すべての罪びとの罪を洗い清めます。そして、三日目に死者の中から復活され主イエスは罪と死とに勝利され、信じる者たちに来るべき神の国における永遠の命を約束してくださいます。

 19節に「イエスから力が出て」と書かれています。主イエスの福音を聞き、罪ゆるされ、神の国の民とされること、またその信仰のしるしとして病気がいやされること、その力はすべて主イエスから出ています。主イエスは父なる神の全能の力によって、今もなおすべて信じる信仰者に罪のゆるしと永遠の命をお与えくださるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、罪の中にあって滅びるほかないわたしたちを憐れみ、お救いください。多くの弱さや欠けや破れを持ち、病んでいるわたしたちの心と体とをお救いください。あなたがみ子主イエス・キリストによってわたしたちにお与えくださる罪のゆるしと永遠の命の約束を、固く信じさせてください。

〇神よ、今厳しい試練の中で苦悩している日本の国と世界の諸国を憐れみ、お救いください。あなたがみ心によって創造されたこの世界が、あなたのみ心に背いて滅びることがありませんように。

〇平和と安全が求められている地域に、あなたによる真実の和解と分かち合う心をお与えください。パンが必要とされている地域には、すべての人々に分配されるパンをお与えください。医療と水を必要としている地域には、人々の命を支えるための支援の手が差し伸べられますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA