7月25日説教「だれでも自分建築士」

聖書:イザヤ書66章1~2節

   コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章12~20節

説教者:田中康尋(日本キリスト教会神学生)

 ポートタワー・セリオン。秋田港に立つ、直線的な、すらりとした塔。 143メートルの高さに組み上げられた、白い鉄骨。それを覆うように張り付けられた、6272枚の強化ガラス。ここを訪れる家族やカップル、旅行者は、展望台に登り、空に突き出たガラス越しに景色を楽しむ。眼下には秋田市街、その先には鳥海山、そして隣のガラス越しには、一面に広がる日本海を眺望する。ガラス越しに見えるその景色を、ここを訪れる人々は、指さしながら、楽しく語り合う。そのガラスの壁は、外から見ると、大きな鏡のように、昼間は青空と雲を映して、その空の一部となって溶け込み、やがて、夕方になると、ガラスの壁は、オレンジ色の空と海を映し出す。そして、日が沈むと、このガラスの透明な壁は、内側から照らされる様々な色のイルミネーションの光をそのまま通し、港に明るさと彩りを作り出す。

秋田市街に戻ってみる。

赤れんが郷土館。元の秋田銀行本店。赤茶色のれんがを積み上げた、明治時代の近代的な壁。その厚い壁に穿たれた窓の上には、石造りの、ルネサンス様式に倣った繊細かつ重厚な装飾が施されている。明治の窓ガラスの脆さを補うように、それぞれの窓の外には、鉄でできた厚さ3ミリのシャッターが下りるようになっている。れんがの壁と、鉄のシャッター、入り口の重厚な木の扉、そして、中に入ると目の前に立ちはだかる、白い大理石のカウンター。それらはすべて、銀行の、そして顧客の大切な財産を収め、守り抜くためのもの。

さあ、そこから北へ移動して、日本キリスト教会 秋田教会。

かまぼこ型の屋根が乗った、桜色の建物。扉を開けて、礼拝堂に入れば、そこは、木の温かさを基調とした、正方形の空間。木材で作られた長椅子が並ぶ。その正面には、説教がされる講壇、その手前には聖餐卓、その左右に、献金台と洗礼台。視線を上にやれば、天井から吊り下げられた、照明が取り付けられている木製の大きな輪。そして、その上にはまた、木製のプロペラのような天井扇。そして、その上には、会堂全体に光を取り込む天窓。それらを取り囲むように、直線的な太い梁が天井や壁に、縦に、横に、斜めに、張り巡らされている。天井や壁の照明に用いられている、金色の金属や、透明なガラス、磨りガラスは、木材で統一された空間に、近現代の輝きを添えている。日曜日になると、木材で作られたこの空間は、礼拝に集まる人々の嘆きのため息、そして喜びの息吹、そうした様々な呼吸を人々と共にする。ここに集まった人々の発する、祈りの言葉や、讃美の歌声は、流れる空気と共に、天窓へと突き抜け、まるで教会の鐘が鳴るように、響き合いながら天に昇ってゆく。 磨りガラス、金属、木材。赤れんが、鉄、ガラス。強化ガラス、鉄骨。様々な建材。全てのものが許されている。全ての材料が、それぞれに目的を持っている。全ての構造が、そこにいる人や、そこにある物のために考えられている。

パウロは言います。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である」と。使徒パウロは、今でこそ有名なキリスト教の伝道師として知られていますが、彼の生きていた当時の本業は、テントの設営業者です。まあ、今でいえば、ここで涼しい顔をして偉そうに喋っている私のような伝道者ではなくて、むしろ、ギリシャの熱い太陽の下で日々汗して働く、建築関係の作業員さんです。そういう仕事をしていたからでしょうか、パウロは「神殿」ですとか、「建て上げる」といった建築に関係するイメージを、どうやら好んでいるような印象を受けます。私も大学時代に、警備員のアルバイトをしていたんですが、その影響で、今でも「安全」とか「犯罪」とかいう言葉を不意に聞くと、おっと思って反応してしまいます。私のようなアルバイトでさえそうなんですから、日々働いていたパウロは、なおさらのこと、建築関係の言葉には敏感だったんだろうなと思います。ですから、パウロが神殿をここで例えに出しているということには、特別な意味があるのでしょう。

神殿。エルサレムの町の東の端。キドロンの谷を挟んで、オリーブ山と向かい合った、この町の東の端に、谷底からせり上がる斜面に続いて、城壁が高くそびえる。その分厚い城壁で東西南北の四方を覆われた、その敷地のさらに中心にあるのが、真っ白な石を積み上げて建てられた、四角い神殿の建物。太陽が昇る東を向いて建てられたその建物の正面には、犠牲の動物を焼いて捧げる祭壇があり、さらに建物の中には、祭司と神が出会う場所となる、至聖所と呼ばれる小さな空間がありました。

エルサレムのこの神殿が、イスラエルで一番立派で丈夫な建物であることは、パウロの時代の誰もが認めることでした。しかし、その一方で、パウロをはじめとするユダヤ人にとって、この聖なる神殿という存在は、それがいつかは崩壊するというイメージをつねに連想させるものでもありました。実際、パウロの生きていた時代よりもずっと昔、紀元前6世紀には、当時の神殿が敵によって破壊されました。この出来事は、当時の人々にとって、イスラエルの国民としての誇りを打ちのめされた悲惨な出来事として記憶され、その記憶は、今日の旧約聖書に数多く見ることができます。また、紀元後、イエス・キリストの時代になっても、神殿の崩壊ということは、非常にデリケートな話題とされていたようです。例えば、イエス自身も神殿を指さして、その崩壊を予告したと伝えられています。また、彼が十字架にかけられた理由の一つは、神殿を破壊すると予告したというものでした。なお、イエスもパウロも死んだ後にこの予感は現実となり、西暦70年に、この神殿もまた崩壊することになります。そのように、「神殿」という言葉には、立派さや丈夫さというイメージと同時に、脆さや儚さ、危うさというイメージも含まれています。

さて、そこでもう一度、パウロの言葉を聞いてみましょう。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である。」わたしたちの体。その丈夫さと、脆さ、危うさ。その場所を、聖霊の神殿として建て上げなければならない。しかし、具体的にどうすればいいのか。今から何を建てるのか。どうやって建てるのか。誰のために建てるのか。「わたしには、すべてのことが許されている。」ということは、聖霊の神殿を建てるために、私は、建築計画の全てを決めなければならないのか。必要な材料を判断して、選び出さなければならないし、建築の方式を比較検討し、最も良い案を考え出さなければならないし、そこに住む聖霊の希望をあれこれと事細かに聞き出さなければならないということなのか?

まあ、それができる人はそうすればいいんでしょうが、私を含め、多くの方の場合、自分を建て上げることに関しては、プロはおろか、アマチュア以下、ほとんど知識も技術もないよ、というのが、正直なところではないでしょうか。しかし、そんな人のために、ちゃんと逃げ道を用意してくれるのが、聖書のいいところです。つまり、パウロは、こうも言っています。「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。」

キリストの体。それは、病気や障がいをもつ人に出会ったときに差し出されたキリストの手であり、招かれた子どもたちが駆け寄っていったキリストの足であり、さげすまれていた「罪人」や「徴税人」と一緒に食事をしたキリストの口です。それはまた、十字架にかかって、全ての人々に分け与えられるキリストのからだです。キリストの、この開かれた愛に倣い、それに連なるならば、その人の体はキリストの手の延長となり、足の延長となり、口の延長となるのではないでしょうか。

「わたしには、すべてのことが許されている。」私には、自分を建て上げる材料として、キリストの体を選ぶことが許されている。私には、キリストの生き方を建築方式として、私の神殿を建てることが許されている。こうして、私の神殿は、キリストの体の一部となる。それは、永遠に生ける神の神殿であり、そこには聖霊がとこしえに住まう。たとえ、私の目にはそう見えなくても。

(執り成しの祈り)

私たちのために執り成してくださるイエス・キリストに倣って、私たちも、隣人のために、祈りましょう。 私たちを愛してくださる神様、 体や心に、苦しみや悩みを抱えている人々に、あなたの愛を贈ってください。その人々が、あなたによって慰められ、希望をもって生きることができますように。 社会において責任ある仕事をしている人々に、あなたの愛を贈ってください。その人々が、公正さと安心を作り出すことができますように。 自分の価値を小さく感じている人々に、あなたの愛を贈ってください。その人々が、頭を上げて、新しい道を見つけることができますように。 世界の諸教会に、あなたの愛を贈ってください。それらの教会が、愛と真実なわざによって、神と人に仕えることができますように。 イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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