9月11日説教「ヤコブとラケルの結婚」

2022年9月11日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記29章1~30節

    ローマの信徒への手紙5章1~11節

説教題:「ヤコブとラケルの結婚」

 創世記29章1節にこのように書かれています。【1節】。「東方の人々の土地」とは、28章2節などではパダン・アラムと言われ、27章43節などではハランと言われている地のことで、ユーフラテス川の上流の地域で、パレスチナからは北東へ7、800キロメートル離れています。ヤコブは双子の兄エサウの殺害計画から逃れるために、母リベカの勧めに従って、母の兄ラバンの家に身を寄せようとして、一人で長く困難な旅を続け、今ようやくその地ハランに近づいてきました。

 きょう朗読された29章から31章までは、ラバンの家でのヤコブの20年間について語っています。当初は、この逃亡の旅は少しの間で終わるはずでした。27章43節以下で母リベカはこう言っていました。【43~45節】。ヤコブ自身もそう思っていたに違いありません。けれども、母と息子の予想に反して、少しの期間のつもりが20年間になりました。「あとでまたお前の顔を見よう」と願っていた母は再び愛するわが子に会うことはありませんでした。

 ヤコブの20年間のうちの最初の7年間は、愛するラケルとの結婚のために働いていたので、20節には、「ほんの数日のように思われた」と書かれているように、あっと言うに過ぎました。しかし、彼はさらに7年間、姉のレアのために働かなければならなくなり、それからさらにラバンの家畜のために6年間、計20年間、ヤコブはラバンの家で労苦し、忍耐して働き続けたのでした。

 この20年間はヤコブにとってどのような意味を持つのかということを、わたしたちはあらかじめ確認おきたいと思います。叔父ラバンの家とは言え、故郷を遠く離れて一人、ラバンの思惑通りに働かされてきたこの20年間は、ヤコブにとっては信仰の訓練の時だったと言えるのではないでしょうか。これまで父イサクの家では、何でも自分の思いどおりになる、わがままな子でした。母の愛を一身に受けて、ついには母と組んで父と兄とを欺き、長男の特権を自分の手に入れました。けれども、これからのヤコブは、ラバンの家ではすべてが自分の思いどおりには運ばないのだということを学ばなければなりません。彼のわがままと傲慢が打ち砕かれなければなりません。

そして何よりも、あらゆる人間の思いをはるかに超えて、神のご計画が進められていくということを学ばなければなりません。叔父ラバンの家で労苦して働き、ラバンのたび重なる欺きにも忍耐して、彼に忠実に仕え、そうすることによって、彼が最後に仕えるべきお方が主なる神であるのだということを学ばなければなりません。また、彼のすべての労苦を顧みてくださるお方が主なる神であるということを学ばなければなりません。そのために、ヤコブにとってはこの20年間の訓練の期間がぜひとも必要だったのです。主なる神が愛する者を訓練し、愛するすべての子らをムチ打たれるとヘブライ人への手紙12章に書かれているとおりです。

 さて、ヤコブの旅には兄エサウから逃れるということと同時に、もう一つの目的がありました。28章1節以下に書かれてあるように、カナン地方の娘と結婚することを避けて、母の兄ラバンの娘の一人と結婚するということでした。父イサク自身もラバンの妹であるリベカと結婚していました。29章2~24節に描かれているヤコブの花嫁探しの光景は24章の父イサクの花嫁探しの時とよく似ています。いずれの場合にも、二人の出会いの場所は村の郊外にある井戸の周辺。家畜に水を飲ませる時が旅人と娘との出会いの機会となります。娘は親切な旅人と出会い、走って家に帰り、ラバンにそのことを報告します。ラバンが二人の結婚に際しての条件を出します。イサクの場合もヤコブの場合も、ラバンは抜け目のない計算高い人物として描かれています。24章では、妹リベカを嫁がせる時にはたくさんの金銀を手に入れました。今度は娘を嫁がせるにあたって20年間のヤコブの労働力を手に入れることになります。

 しかし、両者の共通点とともに、違う点もいくつかあります。イサクの花嫁探しの時には、彼自身ではなく、アブラハムの家の年長の奴隷がその役を担いますが、ヤコブの場合には、彼自身が、しかも逃亡の身となって、一人寂しく孤独で困難な旅に出なければなりませんでした。また、イサクの花嫁探しの場合には、金銀などたくさんの贈り物を持参したのに対して、ヤコブの場合には、つえ一本のほかには何も持たずに家を出ました。そのために、結婚するには彼自身の労働力を差し出さなければならず、しかもその期間が20年間にもなることが必要でした。おそらく、ここには、わたしたちが先に確認したように、ヤコブに対する神の試練と訓練の意図が反映されているように思われます。ヤコブはラバンの家での彼の結婚をとおして、彼のわがままで傲慢な思いが神によって打ち砕かれ、すべては自分の思いどおりにいくと考えていた彼の人生に神の試練が与えられることによって、彼は神のみ前に謙遜にされ、彼の思いを超えて、神ご自身の計画が実現していくのだということを学ばされているのです。

 家畜の水飲み場での場面には当時の遊牧民の慣習が描かれています。井戸の口には大きな石が置かれていました。これは強い太陽光線や汚染から井戸の水を守るためであり、家畜や旅人が誤って井戸に落ちないためでもあり、またほかのグループに水を奪われないための役割もありました。大きな石のふたであったので、数人がかりでないと動かせません。その井戸の権利を持つグループがみな集合してから、石のふたを動かす決まりになっていました。

 ヤコブは羊飼いたちがハランから来たと聞いて、早速ラバンの消息を尋ねます。幸運にもすぐにラバンの情報が手に入っただけでなく、彼の娘ラケルが羊の群れを連れてこれからやってくるとのこと、それは何という幸運でしょうか。ヤコブはラケルが羊の群を連れてやってくるのを見るとすぐに、重い大きな石を一人で持ち上げて井戸から取り除き、彼女の羊たちに水を飲ませます。

 11節に、【11節】と書かれています。ヤコブの感動の大きさが表現されています。長い孤独な逃亡の旅を続けてきたヤコブ、そしてようやく親族に会うことができた安心感と喜び。また、もしかしたらこの娘が自分の結婚相手かもしれない人と出会った感動、芽生え始めた娘への愛、そのようなヤコブの興奮がこの感動的な場面を創り出しているように思われます。

 やがて、ヤコブはラバンの家に着きます。ラバンは身内としてヤコブをあたたかく迎えます。一カ月が過ぎてから、計算高いラバンがヤコブに話しかけます。【15~20節】。ヤコブは愛するラケルと結婚するために7年という長い年月の労働をラバンに提供することを申し出ました。古代社会では、いわゆる花嫁料が支払われる習慣があったとはいえ、これはずいぶん高い値のように思われます。ラケルの父ラバンからの欲深い提案であったとはいえ、これはまたヤコブのラケルに対する愛の大きさをも表していると言えるでしょう。しかも、その愛の大きさのゆえに、ヤコブにとってはその7年間の労働提供はほんの数日のように思われたと書かれています。愛とはこのようなものなのでしょう。神への愛もまたそのようなものでしょう。神への愛の大きさのゆえに、生涯神に仕え、多くの労苦を重ね、数々の試練をも経験しながら、振り返ってその長い信仰の生涯がわずか数日のように思えるほどに、神を愛し、神に仕えることに熱中する、それが真実の愛いというものでしょう。

 ところが、その期間が満ちた時、新しい事態が生じます。ラバンはヤコブが愛したラケルではなく、姉の娘レアを彼の妻として与えました。結婚の祝宴が終わった翌日の朝になって、ヤコブはラバンにだまされたことを知りました。でも、ラバンはそれが約束違反ではなく、この地方の習慣では妹を姉より先に嫁がせることはしないと言い訳をします。その説明を聞いたヤコブは、きっと自分自身のことを思い出したに違いありません。と言うのも、彼自身一般的は慣習を意図的に破って、父と兄とを欺いて、長男の権利を兄から奪った経験があったからです。かつて父と兄とを欺いたヤコブが、今同じように、身内のラバンによって欺かれているのです。

 この世の人間的な知恵によって勝利しようとする人は、やがてはさらに大きなこの世の知恵によって打ち負かされるほかにないのだということを、神はラケルの悪知恵をお用いになってヤコブに知らしめ、彼をムチ打ち、懲らしめ、教育されるのです。ヤコブがこの世の知恵によって生きるのではなく、神の恵みと導きによって生きるべきであることを悟らしめるのです。

 ヤコブはラケルと正式に結婚するために、さらに7年間働かなければならなくされます。ヤコブはラバンの言うとおりに、服従します。それによって、ヤコブは彼の魂の父であられる主なる神に従順に服従し、仕えるべきであることを学んでいくのです。

 最後に、31節以下に目を注ぎたいと思います。ここにはヤコブ(のちにイスラエルと改名しますが)とレアとの間に生まれた4人の子どもたちのことが書かれています。のちにイスラエル12部族を形成することになる4つの部族の子孫です。ヤコブはここにおいても、事が自分の思いどおりには運ばないことを、いやただ神のみ心だけが行われるということを学ばなければなりません。ラケルに対する彼の大きな愛によっても、彼の願いどおりに、ラケルには子どもが与えられません。彼の願いに逆らうようにして、神は疎んじられているレアの方を顧みられ、彼女に多くの子どもをお授けになりました。

 いや、それのみか、レアから生まれたユダの子孫から、のちにダビデ王が生まれ、ダビデの子孫から、死にかけた木の切り株から芽が出るように、ガリラヤに住むヨセフが生まれ、彼の子として主イエス・キリストがお生まれになったのだということを、わたしたちは知っています。アブラハムから受け継がれた神との契約は、その子イサク、その子ヤコブへと受け継がれ、ヤコブとレアの子として生まれたユダからダビデ王へと、そして主イエス・キリストへと至って、神と全人類との救いの契約が成就したのです。ラバンの策略と欺きも、またラケルに対するヤコブの大きな愛も、神の救いのご計画を変えることはできません。それらのすべてを貫いて、それらのすべてをはるかに超えて、神の救いのご計画は前進していきます。人間たちのすべての罪を貫いて、それらのすべてをはるかに超えて、終わりの日のみ国の完成に至るまで、神の救いのご計画は前進していきます。

(執り成しの祈り)

○天に父なる神よ、あなたの恵みと慈しみは天地創造の初めから世の終わりに至るまで、変わることなく、すべての人に豊かに注がれています。どうか、わたしたちがそのことを覚え、感謝し、あなたの恵みと慈しみとに応えて、あなたと隣人とに心から喜んで仕える者としてください。

○天の神よ、重荷を負っている人を顧みてくださり、その重荷をあなたが取り除いてくださいますように。病んでいる人の傍らにあなたが共にいてくださり、励ましといやしとをお与えください。悲しんでいる人、孤独な人、道に迷っている人、すべてあなたの助けを必要としている人たちに、あなたがみ手を差し伸べてくださり、希望と光をお与えくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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