1月29日説教「エチオピア人高官の受洗」

2023年1月29日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書56章1~8節

    使徒言行録8章26~40節

説教題:「エチオピア人高官の受洗」

 主イエスが十字架に付けられ、三日目に復活されてから数年後、紀元30年代の前半に初代エルサレム教会を襲った大迫害によって、多くのユダヤ人キリスト者たちがエルサレムから追放されることになりました。散らされていった信者の一人フィリポは、サマリア地方で主イエスの福音を宣べ伝え、多くの人が洗礼受け、サマリア教会が誕生したということが使徒言行録8章の前半で語られています。

 そのフィリポの更なる働きについて、26節以下に書かれています。きょうの箇所では、エチオピアからエルサレム神殿に巡礼に来ていた高官が主イエスを信じて、フィリポから洗礼を受けたということが記されています。このエチオピア人の高官はユダヤ人からは異邦人と言われていた人です。つまり、ここでは最初の異邦人キリスト者の誕生について書かれているということになります。フィリポは最初にサマリア伝道をした伝道者となっただけでなく、最初の異邦人伝道をした伝道者ともなったのです。

 この二つのフィリポの伝道活動の成果は、主イエス・キリストの福音が持っている救いの恵みと力と命の豊かさを明らかにしているということを、きょうの礼拝の初めでまず確認をしておきたいと思います。

ユダヤ人とサマリア人とはイスラエルの歴史の中で何百年もの間、対立関係にありました。同じ民族でありながら宗教的・政治的対立を深めてきました。それが、フィリポの宣教活動によって一つの教会の民とされたのです。主イエス・キリストの福音は、神と人間との間にあった罪という対立や深い溝を解消する和解の福音ですが、それはまた人間社会の中にあるさまざま対立や分断、国家や民族の対立や分断をも一つに結びつける和解の福音でもあるのです。

神は全世界の国民の中からイスラエルの民をお選びになり、この民をとおして救いのみわざを始められました。それは、やがて神が時至って、メシア・救い主を世界に派遣され、全人類を罪から救い出されることを目指していました。フィリポのエチオピア高官への伝道は、今やその時が到来したことの最初のしるしなのです。主イエス・キリストの福音はユダヤ人から異邦人へ、そして全世界のすべての人々へと宣べ伝えられ、全世界に主キリストの教会を誕生させていくことになるのです。その意味で、使徒言行録8章に記されているサマリア伝道とエチオピア高官への伝道は、のちの時代に大きな意味をもっているのです。

では、26節から読んでいきましょう。【26節】。26節では「主の天使」と書かれていますが、29節では「霊」、39節では「主の霊」とあるのは、いずれも聖霊なる神のことです。聖霊なる神の霊がフィリポにエチオピアの高官への伝道をお命じになり、またそのすべての道のりを導いておられるということが分かります。先ほど、フィリポの働きによってサマリア伝道と異邦人伝道の突破口が開かれたと説明しましたけれど、正確には、フィリポがではなく、フィリポを導かれた聖霊なる神がそれらのすべてのみわざを行っておられたのだと言うべきでしょう。サマリア伝道も異邦人伝道も、そしてまた今日のわたしたちの教会の働きも、すべて聖霊なる神のみわざです。

神のみ使い、聖霊なる神は、フィリポに「サマリアから南へ、ガザへと向かう道を行くように」と命じます。ガザはエルサレムの南西7、80キロの地中海沿岸の町です。その道はわざわざ「寂しい道」であると説明されています。なぜそのような寂しい道へと、聖霊は導かれるのでしょうか。教会が伝道計画を立てる場合、人々がたくさん住み、交通の便もよく,にぎやかな町を選ぶのが一般的です。しかし、聖霊なる神は、人通りが少なく、多くの伝道の成果が期待できないような道へと伝道者を導き、そして、ただ一人の人を救うためにだけ伝道者を遣わすということがあるのです。

その道で、フィリポは一人の異邦人と出会います。その人はエチオピア人で、女王に仕える宦官であったと27節で紹介されています。彼はエルサレムの神殿で礼拝をささげ、国に帰るところでした。エチオピアはエジプトの南ですから、エルサレムまでは何千キロも離れていますが、彼はエチオピアの国内の離散のユダヤ人(ディアスポラと言われますが)からイスラエルの神について聞き、その神を信じるようになった、熱心な敬神家でした。正式にユダヤ教に改宗してはいませんでしたが、旧約聖書で証しされている主なる神を信じ、その神を礼拝するために何千キロもの道のりを旅して、エルサレム神殿への巡礼を続けてきました。

彼は女王の身近で仕えることから、去勢手術をした宦官でした。エルサレム神殿ではユダヤ人以外の敬神家と言われる人たちは、神殿の外側の異邦人の庭までしか入ることが許されず、しかも彼は宦官で身体に傷があったので、正式にユダヤ教に改宗することもできませんでした。けれども、彼は熱心に主なる神を信じ、エルサレム巡礼を続け、また当時はほとんど一般には出回っていなかったパピルスか羊皮紙で作られた聖書を持っていました。それほどに熱心な信仰者であっても、正式にユダヤ教には改宗できませんでした。このエチオピア人の宦官はどうしたら本当の救いを与えられるのでしょうか。

29節から読んでみましょう。【29~33節】。29節の初めに「霊が」とあります。フィリポとエチオピア高官とを道の途中で出会わせ、彼らの会話を導き、フィリポの聖書の解き明かしを導き、エチオピア人高官に主イエスの福音を信じる信仰を与え、彼に洗礼を受ける決意を与えたこと、そのすべてが聖霊なる神のみわざなのです。

エチオピア人高官はイザヤ書の巻物をエルサレム巡礼の旅行に持参していました。フィリポが彼の馬車に近づいたとき、ちょうどイザヤ書53章を朗読しているのが聞こえました。ここに引用されている箇所は7~8節です。「苦難の主の僕(しもべ)」の預言といわれている箇所の後半です。エチオピア人高官にはこの「苦難の主の僕」がだれのことを預言しているのか、分かりません。というのも、彼はまだ主イエス・キリストがこの世界においでになり、十字架の死によって罪の贖いと救いのみわざを成し遂げてくださったことを知らないからです。すでに主イエスの到来とその救いのみわざのことを知っている人、信じている人の手引きによって、はじめて彼はイザヤ書のこの「苦難の主の僕」の預言が主イエスを預言していたのだということを悟ることができるのです。

わたしたちはここで、旧約聖書が主イエス・キリストを預言し、指し示し、その到来を待望している聖書であるということを、改めて確認することができます。これまでに使徒言行録の中で直接に、また間接的に引用されていた旧約聖書のみ言葉は、そのすべてが主イエス・キリストの救いのみわざに関連し、主イエス・キリストを預言するみ言葉であったことを、わたしたちは確認してきました。旧約聖書はその全体が、来るべきメシア・救い主であられる主イエス・キリストを預言しています。フィリポは聖霊に導かれて、イザヤ書53章のみ言葉から主イエス・キリストの福音を解き明かしました。

【34~38節】。イザヤ書53章の「苦難の主の僕」が福音書で主イエスのご受難と十字架の死の場面や、また書簡でもたびたび引用されており、これが主イエスを預言しているみ言葉であり、主イエスのご受難によって成就したということを新約聖書全体が証しています。罪のない神のみ子であられる主イエスが、多くの罪人たちの罪を背負って、神と人とによって見捨てられるという大きな苦悩の中にありながらも、なおも黙々として苦難の道を進み行かれた。そして十字架の死に至るまでの徹底した服従によって、父なる神に受け入れられ、全人類の罪のための贖いの供え物となってくださった。ここにこそ、すべての人の罪の救いがあるということを新約聖書は語り、またフィリポは語ったのです。

エチオピア人高官はフィリポの解き明かしを聞いて、主イエスを救い主と信じ、洗礼を受ける決意が与えられました。そして、道のそばを流れていた川に入り、フィリポから洗礼を受けました。この洗礼は当時のユダヤ人の間で行われていた全身を川の中に沈める全身浸礼でした。福音書の初めに登場する洗礼者ヨハネが教えた悔い改めの洗礼でもありました。

でも、これはそれまでとは全く違った新しい洗礼でした。主イエスを救い主と信じる信仰によって罪をゆるされ、救われることのしるしとしての洗礼でした。もはやユダヤ人の律法を守り、行ったかどうかによって救われるのではなく、割礼があるユダヤ人だけに限られた救いでもなく、異邦人であれ、宦官であれ、だれでもがただ主イエスを救い主と信じる信仰によって救われることをしるしづける洗礼でした。

説教の初めでも触れましたように、エチオピア人高官の受洗はユダヤ人以外の異邦人としての受洗第1号です。主イエスの福音がユダヤ人とイスラエルという枠を突破して、一気にアフリカ大陸へと広げられたのです。それはまさに、神が全世界を創造され、イスラエルの民をお選びになった時から始められた永遠なる救いのみわざの初めに、神がご計画しておられたことの成就だったのです。

【39~40節】。「主の霊がフィリポを連れ去った」と書かれていることがどのようなことを語っているのかは今日のわたしたちにはよく分かりません。霊が人を連れ去るという表現は地上の死を意味することもありましたが、ここではそうではありません。フィリポはこの後も伝道活動を続けています。エチオピア人高官が信仰へと導かれ、洗礼式も終わって、この場面でのフィリポの務めが終わったということをわたしたちは確認できるだけです。具体的にどのようなことが起こったのかについてはよくわかりません。ただ、エチオピア人人高官の方は、喜びに満たされて旅をつづけたと書かれています。おそらく、彼によってはじめてアフリカ大陸にキリスト教の信仰がもたらされてのであろうと推測されます。

フィリポのその後の活動については、ガザの北20キロほどの地中海沿岸の町アゾトに姿を現し、それからパレスチナ北部の沿岸都市カイサリアまで行ったと書かれています。21章8節には、カイサリアにあるフィリポの家に、第3回世界伝道旅行中のパウロの一行が泊ったと書かれていますので、彼はこの町を拠点にしてパレスチナ北部一帯の伝道のために長く働いていたことが知られます。そして、彼の働きが使徒パウロへと受け継がれていくことになります。フィリポのサマリア伝道とエチオピア人高官への伝道が主イエスの福音が全世界へと拡大されていく重要な一歩となったことを、わたしたちは改めて知らされます。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの永遠なる救いのご計画が、今もなお終わりの日の完成に向かって前進していることを、わたしたちに信じさせてください。そしてまた、その救いのご計画のために、この地に建てられている秋田教会と、わたしたち一人ひとりをも働き人としてお用いください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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