4月28日説教「モーセの誕生」

2024年4月28日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)
聖 書:出エジプト記2章1~10節
    使徒言行録7章17~22節
説教題:「モーセの誕生」

 出エジプト記2章1~10節に描かれているモーセ誕生の時代の背景を今一度確認しておきましょう。族長ヤコブ(すなわちイスラエル)の12人の子どもたちとその家族70人でエジプトに移住したイスラエル人は、400年余りの間に急激にその数を増し、大きく強い民族になっていきました。エジプト王ファラオはイスラエル人が反対勢力になることを恐れて、彼らを迫害する政策を考え出しました。最初はイスラエル人の助産婦に、「男の子が生まれたらすぐに殺すように」と命じましたが、神を恐れていた彼女たちはその命令に聞き従いませんでした。そこで、ファラオは次に、「イスラエル人の家に生まれた男の子はみなナイル川に投げ捨てよ」という命令を全国民に出しました。イスラエル人とその家庭は、エジプトの全国民監視のもとで、ファラオの命令に従わなければなりませんでした。
 モーセが生まれたのはそのころ、イスラエル人に対する迫害が最も厳しい時代でした。この状況は、主イエスが誕生された時と非常によく似ています。マタイによる福音書2章によれば、当時のユダヤ人の王ヘロデ大王は、主イエスがお生まれになると預言されていたエルサレム近郊のベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子をみな殺すように命じました。ヘロデ王もまたエジプト王ファラオと同様に、やがて自分の王としての地位が脅かされるようになることを恐れて、最も弱い存在である子どもの命を葬り去ろうとしています。神を恐れず、この世の権力にしがみつこうとする者は、いつの時代にもこのようにして、本来は恐れるに値しない存在を恐れ、その恐れを振り払おうとして、最も弱い者たちを犠牲にするのです.
 しかしまた、主なる神はそのような、人間の罪が最もその罪悪と醜さを浮き彫りにする、まさにその時に、その人間の罪のただ中で、最も偉大なる救いのみわざを遂行なさるのです。奴隷の民イスラエルをエジプトから導き出すために仕えるモーセを誕生させ、そして全世界の民を罪の奴隷から救い出すためにお仕えくださる主イエスをこの世に誕生させたもうのです。迫害と死の恐怖のただ中で、神の奇しき摂理に導かれ、神の強いみ手に守られて、その幼い命が誕生したのでした。神はこのようにして、天地創造の初めから今に至るまで、そして終りの日のみ国が完成されるその時に至るまで、無から有を呼び出だし、死から命を生み出すようにして、驚くべき救いのみわざをなし続けられます。
 では【1~2節】を読みましょう。モーセの両親の名前や兄弟のことについてはここでは紹介されていませんが、6章20節によれば、両親はアムラムとヨケベドという名であり、またモーセにはすでにアロンという兄がおり、ミリアムという姉がいたということが、他の箇所から知られます。このあと2章4節以下で幼子の姉として登場してくるのがそのミリアムと推測されます。また、ミリアムは15章20節以下では、アロンの姉の女預言者として紹介され、いわゆる紅海の奇跡を歌っています。
 2節に「その子がかわいかったのを見て」と書かれていますが、「かわいい」と訳されているヘブライ語は「トーブ」という言葉ですが、この言葉は一般的には、「美しい、整っている」という意味ですが、創世記1、2章では神の創造のみわざについて繰り返して用いられています。1章4節、10節、12節などで、「神はこれを見て、良しとされた」と言われています。その他の箇所でも、「トーブ」というヘブライ語は、一般的に美しい、かわいいというだけではなく、神の創造の秩序に適っている美しさとか、神から与えられた特別な美しさというような意味を持っています。生まれてきた子どもは親にとってはみなかわいいのですが、モーセはそれだけでなく、神から与えられた特別な美しさを持って生まれたのでした。そして、両親はそこに神からの特別な恵みを見たのです。
 使徒言行録7章20節では、この箇所はキリスト教の最初の殉教者となったステファノが死の直前に法廷で証言した説教ですが、そこでは幼子モーセについて「神の目に適った美しい子」と言われています。また、ヘブライ人への手紙11章23節にはこのように書かれています。【23節】(416ページ)。モーセの両親は信仰によって、与えられた幼子に神の特別な恵みと、それゆえに神の特別なみ心を見たのです。そして、この世の王を恐れず、主なる神を恐れたのです。ヘブライ人の助産婦たちも同様でした。それゆえに、モーセの両親は自分の子をこの世の権力者の犠牲にすることによって自分たちの命を守るのではなく、主なる神のためにささげる決断をしたのです。パピルスのかごに入れてモーセをナイル川の葦の茂みに置いたのは、我が子を捨てたのではなく、我が子を神にささげたのです。
 【3節】。幼子が3か月を過ぎると、泣き声が大きくなり、もはや家の中に隠しておくことができなくなります。もし、泣き声をだれかに聞かれたら、直ちに密告されて、家族みんなの命が危険になります。だからと言って、幼子を殺すことはできません。そこで、両親は信仰の決断をします。防水を施したパピルスのかごの中に入れてナイル川の岸辺に置くことにしました。わが子を神ご自身に託したのです。
 3節で「籠」と訳されているヘブライ語は創世記6章のノアの大洪水の箇所で「箱舟」と訳されています。ノアとその家族とが大洪水の際に箱舟に入り、救われたように、幼子モーセもまた小さな箱舟の中で神に守られているのです。モーセの両親は信仰によって、幼子を神のみ手にゆだねたのです。そして、神は確かに不思議な導きによって、幼子モーセを守り、導かれました。
 【4~6節】。「その子の姉」は前にお話ししたように、ミリアムという名前だと思われます。彼女は弟がどうなるのかを見守っています。彼女もまた、信仰の家庭に育ち、信仰と兄弟への愛に満ちていました。
ファラオの王女がナイル川のほとりで水浴びをしているちょうどその時に、流れ着いたかごとその中にいた幼子を見つけました。王女はかごの中で泣いている赤ん坊に目をやり、その子に深い同情心を起こしました。泣いている赤ん坊を見てかわいそうだと思わない人はいないかもしれません。けれども、彼女はエジプト王の娘です。父の命令を知らないわけはありません。しかも、彼女は赤ん坊がヘブライ人の子だということを確かに認識していたと6節に書かれています。父の命令によって、その子は直ちに殺されなければならないのです。そうであるのに、彼女はその子に深い憐みの心を覚え、その子を生かしておこうと思ったのです。それは、なんとも不思議な導きです。そこには神のみ手が働いていたのだと、この箇所を読む読者のだれもが認めるでしょう。神は信仰深いモーセの両親とその家族を導かれたように、この時にもまたファラオの娘をナイル川の岸辺へと導かれ、彼女に憐みの心を起こさせ、その幼子をファラオの宮廷へと導かれたのでした。何と不思議な神の導きであることでしょうか。
 【7~10節】。ここではさらに不思議なことが次々と起こります。7節の「その子の姉」は4節で、「遠くに立って、どうなるかと様子を見ていた」モーセの姉ミリアムのことです。彼女は大胆にも王女に「その子にヘブライ人の乳母を呼んできましょうか」と提案し、しかも彼女の母、その子の実の母ヨケベドを連れてきました。母は王女に雇われて、手当を受け取って、実の子モーセを自分の母乳で育てることになったのでした。このようなことが起こりうるでしょうか。しかも、迫害する側の権力者と迫害される側の市民との間で、このようなことがいったい起こりうるでしょうか。しかし、ここでは、主なる神の見えないみ手の導きによって、この不思議なことが起こっているのです。信仰の家庭、信仰の民はこのようにして主なる神に導かれていくのです。
 迫害されていたイスラエル人の家庭に生まれたモーセが、神の不思議な導きによって、迫害するエジプトの宮廷の中で、迫害の命令を出した王の娘の子どもとして育てられ、ひとたび家から出して神にささげた母親の母乳とその愛の手によって養われ、育てられるという、人間の知恵では考えもつかないほどの奇しき神の救いのご計画の中で、モーセは成長していきました。イスラエル人の幼児虐殺の命令が出されたその宮廷で、モーセはエジプトのあらゆる学問を身につけ、やがてそのエジプトの地からのイスラエル人脱出の時に備えることになりました。神は人間の悪や罪のすべてをお用いになって、ご自身の永遠の救いのご計画を進められます。
 ここでわたしたちは、ヘブライ人への手紙が教えているモーセ自身のこののちの決断について、あらかじめ確認しておく必要があるでしょう。というのは、モーセは神の不思議なお導きによって、ファラオの宮廷で、エジプトの最高の学問を身に着け、何不自由なく成長していくのですが、しかし彼はイスラエル人ではなくなっていくのではありません、エジプト人になるのではありません。ヘブライ人への手紙11章24~26節にこのように書かれているからです。【24~26節】。モーセはこの時すでに主キリストを見ていたと書かれています。主キリストのご受難の道を、主キリストと共に歩んだのだと、この手紙の著者は言います。主キリスト誕生の1200年以上も前のこの時代に、神はご自身が選ばれた旧約の民に主キリストのご受難と十字架の恵みをお与えになっておられるのです。神の永遠の救いのご計画は、昔も今も、いつまでも変わることはありません。わたしたちがそれぞれの人生の中で経験しなければならない苦難や試練の中でも、神の救いのご計画は確かに進められていくのです。
 最後に、モーセという名前の意味についてですが、モーセとはもともとはエジプト語で「息子」という意味であったと考えられていますが、ここではヘブライ語の「引き出す」という意味の言葉と関連づけられています。モーセは水の中から引き上げられた者です。もちろん本来の主語は王女ではなく、主なる神です。神によって水の中から、死の危険から引き上げられ、救い出された者です。モーセはそのようにして神に救い出された者として、やがてイスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出すために神に用いられるのです。

(執り成しの祈り)
○天の父なる神よ、あなたの奇しき摂理によって、奴隷の民イスラエルを導き出すための指導者モーセを誕生させ、あなたの救いのご計画を押し進めてくださいました。あなたは必要な時に必要な働き人を起こしてくださり、あなたの民を絶えずお導きくださいます。どうか、わたしたち一人一人をもあなたの救いのみわざのための仕え人としてお用いください。全世界の教会、アジアの諸教会、日本の諸教会をお導きください。それぞれの地で、あなたのご栄光を現わすためにお仕えする群れとなりますように。
〇天の神よ、試練や苦難の中にある人、重荷を負っている人、病んでいる人、飢え乾いている人、迫害を受けている人、すべてあなたの助けを求めている人に、あなたの力強い助けのみ手を差し伸べてください。
主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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