11月21日説教「サラの子イサクとハガルの子イシュマエル」

2021年11月21日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記21章9~21節

    ガラテヤの信徒への手紙4章21~31節

説教題:「サラの子イサクとハガルの子イシュマエル」

 アブラハムが100歳、妻のサラが90歳の高齢の夫婦に、長く待ち望んだ男の子イサクが生まれました。それは、神の約束の子の誕生でした。アブラハムが最初に神の約束を聞いたのは25年前、彼がハランの地を出て神が約束された地、カナンに旅立った時でした。その時、神はアブラハムに言われました。「わたしはお前とお前の子孫とを永遠に祝福する。お前の子孫は星の数ほどに増え、祝福を受け継ぐであろう」と。アブラハムのこれまでの生涯はこの神の約束のみ言葉の成就を待ち望む歩みでした。神の約束のみ言葉を聞き、信じ、待ち続ける信仰者に、神は必ずやその約束を果たしてくださいます。

 わたしたちは次週28日から、待降節・アドヴェントに入ります。待降節は神の約束のメシア・救い主の誕生を待ち望む期間です。わたしたちもアブラハムと同じように、信じて待ち望む者に神はその約束を必ず果たしてくださることを確信しながら、救い主の誕生の日を待ち望むとともに、終わりの日に主イエス・キリストが再びこの地に来臨され、信じる者たちを天に引き上げてくださり、神の国を完成させてくださる時を待ち望むのです。教会は主イエス・キリストの第一の来臨を待ち望み、またその来臨の福音を確かに聞きつつ、第二の来臨を待ち望んでいる信仰者の群れです。

 創世記21章8節に、「やがて、子供は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に盛大な祝宴を開いた」と書かれています。この当時、子どもは3歳くらいで乳離れしました。その時には、家族で盛大なお祝いをするのが習わしでした。古代社会では乳幼児の死亡率は非常に高く、3歳の乳離れまで丈夫に育つのは親にとって特別に大きな喜びでした。命の危険が伴う乳幼児の期間を神に守られ、無事に成長できたという喜びが、アブラハムとサラの家に満ち溢れました。わたしたちはここでイサクという名前の意味を改めて思い起こします。それは「彼は笑う」という意味です。この名前はイサクが誕生するよりも前に神によって決められていました。したがって、この笑いは神から与えられた笑い、喜び、祝福です。

 ところが、喜びと幸いに満たされていた家庭に暗い影が差し込んでくるのをわたしたちは見ます。イサクの成長を期待すればするほどに、アブラハムの家庭に潜んでいた問題点が浮かび上がってきました。母であり妻であるサラはそのことを敏感に感じ取っていました。

【9~11節】。サラは自分が産んだ子イサクと女奴隷ハガルが産んだ子イシュマエルとが一緒に遊んでいる様子を見て、心穏やかではありません。この家の後継ぎとなるべき子は、自分が産んだイサクであり、女奴隷の子イシュマエルではありません。イシュマエルの存在はイサクの長男としての地位を脅かすだけでなく、自分の妻としての地位をも危うくします。母となったサラは我が子イサクを守るため、また自分自身を守るために、ハガルとその子を家から追い出すようにとアブラハムに依頼します。これは、サラの妻としての当然の願いであり、権利でもあると言えるのかもしれません。

けれども、わたしたちはここで16章に書かれていたことを思い起こします。そこでは、サラの方から夫アブラハムに申し出て、「自分には子どもができないので、女奴隷ハガルとの間に子どもをつくって、この家を継がせることにしてはどうか」と提案していました。アブラハムがそのようにして、ハガルが身ごもってからはサラを見下げるようになると、今度はハガルに対してつらくあたり、それに耐えきれなくなったハガルは家を出て、砂漠をさまようようになりました。その時、神が身重のハガルを助け出し、彼女をアブラハムの家に連れ戻されたということが16章に書かれていました。

あの時、サラは自分で提案しておきながら、実際ハガルが身ごもった後には、彼女の態度が気に入らず、ハガルを家から追い出すような行動をしました。サラはいわば自分で蒔いた種を自分で刈り取らなければならなくなったと言えますが、今回もまた彼女があの時にまいた種を最終的に刈り取らなければならなくされているのです。しかし、サラは自分ではどうすることもできずに、今回もまた夫アブラハムに問題解決を迫ったのです。この件については当然アブラハムにも責任があります。イシュマエルはアブラハムと女奴隷ハガルとの間にできた子どもであるからです。11節に、【11節】と書かれてあるとおりです。アブラハムには妻サラの言い分を聞いて、イシュマエルを簡単に家から追い出すには忍びない思いがありました。アブラハムは16章でもそうであったように、どのようにサラとハガルとの間を取り持てばよいのか分からずに、思案し、苦悩しています。アブラハムは自分の知恵や判断によっては自分の家族間に起こった問題をうまく解決することができません。

その時に、神がアブラハムに現れ、彼に言われます。【12~13節】。16章では、荒れ野に逃亡し、孤独と苦悩の中にあったハガルに神が現れ、彼女を救われましたが、ここでは苦悩するアブラハムに神は「サラの言うとおりにしなさい」とお命じになりました。それは、神がサラの味方をされたということなのでしょうか。「あの女とあの子を追い出してください」と言ったサラの意見に神が賛成されたということなのでしょうか。いや、そうではありません。一見したところ、表面的には同じように見えますが、しかしサラが考えていたことと神のご計画とは全く違っています。

サラは自分の妻としての立場と自分の子どもイサクを守るために、今現在の自分の家族の幸いを考えて、女奴隷ハガルとその子イシュマエルを家から追放することを願っていました。しかし、神は今現在のアブラハムの家族の幸いのことだけでなく、はるかかなたの世界の歴史のことを、神の永遠の救いのご計画の中でのアブラハムの家族と世界の歴史を考えておられるのです。

神が最初にお選びになった信仰の父アブラハムに対する約束、アブラハム契約は永遠に変わることはありません。アブラハムの子孫を増やし、神の祝福を受け継がせると言われた神のみ言葉には変更はありません。それと同時に選ばれなかった女奴隷ハガルの子どもイシュマエルをも神はお見捨てにはなりません。彼もまた一つの国民とすると言われます。彼もアブラハムの子どもだからと言われています。ここには、後に主イエス・キリストの福音によって明らかにされたことがすでに暗示されているように思われます。すなわち、神に選ばれたイスラエルの民だけでなく、この時には選ばれなかったいわゆる異邦人である世界のすべての国民が共に信仰の父アブラハムの子孫として、十字架の福音を信じる信仰によって、一つの救いの民とされるということがここですでに暗示されているように思われます。

アブラハムは妻サラの願いによって行動したのではなく、主なる神のみ言葉に聞き従って行動しました。【14節】。ハガルとイシュマエルが家を出たあとどうなるのか、どうなったのかをアブラハムは知りません。荒れ野で革袋の水が尽きてしまい、死の危険にさらされ、ハガルが死の覚悟をしたときに、神がどのようにしてハガルとイシュマエルを救われるのかをも彼は知りません。ただ、神のみ言葉を信じ、神のみ言葉にすべてを委ねて、アブラハムは二人のために旅支度を整え、送り出しました。朝早く起きて、黙々と旅支度を整えているアブラハムの姿を、わたしたちは深い同情を覚えながら、またわが子と別れなければならない彼の大きな悲しみと痛みとを思いながら、しかしまた神がすべての道を導いてくださるであろうという確かな信仰とを思いながら、想像するのです。

【15~18節】。神はハガルとその子イシュマエルとをお見捨てにはなりません。17節に、「神は子供の泣き声を聞かれた」と二度繰り返されています。イシュマエルという名前は、16章11節に書かれてあったように、「神は聞かれた」という意味です。神は、神の選びから漏れたイシュマエルの泣き声を聞かれます。彼とその母ハガルを死の危険から救い出されました。神はすべての人の泣く声を、うめく声を、切なる祈りの声をお聞きくださり、救いの道を備えてくださいます。

最後に19節以下を読んでみましょう。【19~21節】。イシュマエルはのちにカナン南部の荒れ地に住んだイシュマエル人の祖先になったと考えられています。18節には「わたしは、必ずあの子を大きな国民とする」と言われる神の約束のみ言葉があり、また20節には「神がその子と共におられたので」と書かれています。神の選びの民であるアブラハム・イサク・ヤコブには連ならなかったにもかかわらず、ハガルの子イシュマエルもまたアブラハムの子であり、神の救いの恵みから全く除かれているのではないということが強調されていることは確かです。13節で、のちに主イエス・キリストの福音によって、選ばれなかった異邦人と言われるすべての国民が救いに招かれていることを暗示させると言いましたが、ここに至ってそのことが暗示であるのみならず、確かな神の約束であり、神の永遠の救いのご計画であるということに、わたしたちは気づかされるのです。

ハガルの子イシュマエルの物語によってわたしたちは二つのことを教えられます。一つには、神の選びの外にいるハガルとイシュマエルと共におられる神、彼らの泣き声、叫びを聞かれる神、そして彼らを死の危険から救い出される神は、選ばれた民アブラハムとその子イサク、またその子孫たち、そしてアブラハムを信仰の父とする教会の民に対しては、さらに力強く、救いのみわざをなしてくださらないはずはないということをわたしたちに確信させるのです。

もう一つは、神が最初に選ばれたアブラハムとその子イサク、ヤコブ、ヤコブの12人の子どもたちによって形成されたイスラエルの民によって、ご自身の選びと救いの歴史を継続されると同時に、神の選びの外にいる、いわば異邦人をも、最初から救いのご計画の中に入れておられたのだということをわたしたちはここで確認するのです。そして、やがて時満ちてこの世に到来されたメシア・救い主である主イエス・キリストの十字架の福音によって、神の救いは実際にイスラエルの民だけではなく、異邦人へと、全世界の民へと拡大されていったのです。イシュマエルの救いの出来事は、はるかな時代を超えて、異邦人の救い、全世界のすべての人の救いを預言し、証ししているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの恵みと慈しみはとこしえからとこしえまで変わることなく、絶えることもありません。どうか、あなたの救いの恵みが全世界のすべての人へと届けられますように。いと小さな人たちや貧しく低きにいる人たちのかぼそい泣き声をも、人に知られぬ一粒の涙をも、あなたはすべてみ心に留めていてくださいます。願わくは、わたしたちにも人々の痛みや悲しみ、苦しみを見ることができる信仰の目をお与えください。そして、その人たちのために心を砕いて祈る者としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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