5月8日説教「ステファノの説教(二)ヨセフからモーセへ」

2022年5月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記1章1~14節

    使徒言行録7章9~22節

説教題:「ステファノの説教(二)ヨセフからモーセへ」

 キリスト教会の最初の殉教者となったステファノが、死の直前にユダヤ最高議会の法廷で語った説教が使徒言行録7章に書かれています。ステファノの説教はアブラハムから始まる信仰の民イスラエルの2千年近くの歴史を振り返りながら、その中で神がどのようにイスラエルの救いの歴史を導かれたかについて語り、そして約束されていたメシア・救い主・イエス・キリストによってその救いの歴史を、今この時に完成されたことを語っています。それだけでなく、その裁判の席で彼を裁くべきユダヤ人指導者たちが、メシア・救い主であられる主イエス・キリストを受け入れず、十字架の刑によって殺したという、彼らの大きな罪について語っています。ここでは、被告席に立たされているステファノが主イエス・キリストの証人として語ることによって、ユダヤ人指導者たちの悔い改めることをしない罪を裁く結果となっているのです。

 7章2~8節では、族長アブラハムからその子イサクとヤコブ、彼の12人の子どもたちについて語られています。創世記12章から36章に書かれている内容をまとめています。9~16節では、ヤコブの子どもヨセフのエジプトでの生活と、そののちヤコブ一族全員がエジプトに移住したこと、これは創世記37章から終わりの50章までのまとめです。きょうはこの個所と、次の17~22節まで、モーセの誕生について語られている箇所を学びます。

 ヤコブはのちにイスラエルと改名しますが、創世記25章26節によれば、ヘブライ語のかかとを意味するアーケーブにちなんでヤコブと名づけられました。彼が双子の兄エサウのかかとをつかんで生まれてきたからです。やがて彼はその名のごとく、兄エサウウを自分のかかとでけ落とすようにして、兄と父とをだまして長男としての特権を奪い取り、父の財産と祝福とを受け継ぎました。

 ヤコブには12人の子どもが与えられましたが、年老いてから生まれた子ヨセフを父ヤコブは一番かわいがり、特別扱いしたために、他の兄弟はヨセフをねたんで、彼をエジプトに売り飛ばしました。

9~10節でステファノはこう語ります。【9~10節】。ヨセフがエジプトに売り飛ばされた原因は父ヤコブの偏愛であり、それをねたんだ他の兄弟たちの憎しみであったのですが、しかし、そこには神の隠された救いのご計画があったのであり、神がヨセフを選んでご自身の救いのご計画を進められたという、神の選びがあったのだということを、ステファノの説教が明らかにしています。そのことは、9節の「神はヨセフを離れず」という言葉で表現されています。他の兄弟たちはヨセフを捨てたけれども、しかし神は彼から離れず、彼をお見捨てにならなかったのです。父の偏愛と兄弟たちの憎しみという人間のあやまちや悪意にもかかわらず、その中を貫いて神の救いのみ心が行われていったのでした。

さらに10節では、「あらゆる苦難から助け出して、恵みと知恵とをお授けになった」と語られています。神はご自身がお選びになった信仰者と常に共にいてくださり、その人によって救いのみわざを行われます。神に選ばれるということ、また神が常に共にいてくださるということは、信仰者にとって、苦難や試練に遭わないという保証ではありません。いやむしろ、神は信仰者に苦難や試練の道を備えたもうのです。けれどもまた、その苦難と試練の道の中でもなおも、神は信仰者をお見捨てにはならず、信仰者を離れず、苦難と試練をとおして大いなる恵みを与え、救いのみわざをなしたもうのです。

わたしたちはここで、9節、10節で語られているヨセフの生涯は主イエス・キリストのご生涯を指し示していることに気づかされます。「神は彼を離れずいつも共におられた」、「あらゆる苦難から助け出された」、「恵みをお与えになった」、そして「知恵を現わされた」、これらすべては新約聖書の中で主イエスのご生涯について語られている内容と一致します。

主イエスは神のみ子であられ、神が常に共におられたゆえに、神の権威によって力強い命のみ言葉をお語りになり、罪のゆるしのみ言葉を語られ、数々の奇跡のみわざを行われました。神が主イエスと共におられたというだけでなく、主イエスはインマヌエル「神我らと共にいます」と呼ばれるメシア・救い主であられ、神はこの主イエスによってわたしたち罪びとと永遠に共にいてくださる道を開かれたのです。神はまた主イエスのご受難と十字架への道に伴われ、主イエスを死の墓から救い出され、復活の命をお与えになりました。使徒パウロがコリントの信徒への手紙一1章18節以下で書いているように、主イエスの十字架の死は救われる人にとっての神の知恵であり力であり、十字架の福音の愚かさによって、神はわたしたちをお救いくださったのです。けれども、ユダヤ人は十字架の愚かさにつまずき、主イエスを信じませんでした。

さて、エジプトに渡ったヨセフは神から与えられた知恵によって、エジプト王ファラオの好意を得、宰相(総理大臣)の位につきました。その後、世界的規模の大飢饉が起こり、カナンの地に住んでいたヤコブとその一族は、ヨセフの知恵によって蓄えられた食料を求めてエジプトへとやってきました。兄たちはかつて自分たちが売り飛ばしたヨセフがエジプトでまだ生きていて、しかも宰相にまでなっていて、自分たちの目の前で穀物の販売を取り仕切っているなどと、予想もしていませんでした。最初に、兄弟たちが食料を求めてやってきたときには、ヨセフは自分の身分と過去を明かしませんでしたから、兄弟たちはヨセフとは気づきませんでしたが、二度目にやってきたときに、自分が弟のヨセフであることを打ち明け、兄たちの罪をゆるし、兄弟たちは和解しました。その後、父ヤコブと11人の子どもたちとその一族75人がみなエジプトに移住することになりました。ここまでが、創世記に書かれている族長の歴史です。

ヨセフはこのように、多くの苦難と試練の生涯をとおして、カナンの地にいた彼の家族を救う者となったのです。神が常に彼と共におられ、彼に恵みをお与えくださり、彼の道をお導きくださったからです。そのようにして、ヨセフはわたしたちすべての人間を罪から救うために苦難の道を歩まれた主イエス・キリストを指し示したのです。

次に、17節からはモーセについて語られます。出エジプト記1章以下に書かれているイスラエルの民の歴史の始まりです。ここでステファノはモーセの生涯を40年単位で3つに区分して語っています。17~22節は、誕生から40歳になるまで、23~29節は次の40年、30節からは最後の40年について語っています。

ヤコブ(後に改名してイスラエル)の12人の子どもたちとその子孫はおよそ400年間エジプトに住んでいました。神の知恵によって世界的飢饉からエジプトを救ったヨセフのことはやがて忘れ去られていきました。カナンの地から移住してきたイスラエルの子孫が次第に増えるにつれて、エジプトの王はその民族の信仰と結束の強さに恐れを感じ、彼らを奴隷として虐待するようになりました。

【17~22節】。エジプトでのイスラエルの苦難の歴史の始まりは、神の約束の実現の時が近づいていることのしるしでもあったとステファノは語ります。かつて神がアブラハムに、「あなたとあなたの子孫とにこの地を永久の所有として与える。あなたの子孫はこの地に増え広がり、わたしはあなたの子孫を代々に祝福するであろう」と約束された神のみ言葉は、400年のエジプトでの寄留の生活の間にも神はお忘れにはなりませんでした。そればかりか、今この苦難と危機の時にその約束を成就されるというのです。

「ヨセフのことを知らない別の王」、はイスラエルの子孫を虐待し、彼らの家に生まれた乳飲み子を殺すように命じました。この王がだれであるのか、エジプト側にもイスラエル側にも記録はありませんが、紀元前13世紀のエジプト第19王朝最初の王ラメセス二世ではないかという説がもっとも有力です。

この王がエジプト全国に、「ヘブライ人の家に生まれた男の子は、一人残らずナイル川に放り込め」と命令したと出エジプト記1章22節に書かれています。エジプト王ファラオの命令は絶対的な権限を持っていました。寄留の民であり、奴隷の民であったヘブライ人にとっては、その命令に逆らうすべは全くありません。イスラエルの民は寄留の地エジプトで死に絶えてしまうことになるのでしょうか。神が最初アブラハムにお与えになった約束のみ言葉、彼の子イサクとその子ヤコブへと受け継がれた神との契約はここで途絶えてしまうのでしょうか。神の救いのご計画はこれで中断してしまうのでしょうか。

しかし、そうではありませんでした。神はイスラエルの子孫が苦難や試練の中にあったときにも、絶望的な危機の時にも、なおも彼らと結ばれた契約をお忘れにならず、神がイスラエルの民によってお始めになった救いのみわざを決して中断されることはありません。神はこの時にも、イスラエルを救うために一人の人をお選びになりました。

それがモーセです。モーセの両親はこの世の権力者の命令を恐れませんでした。それは、彼らが主なる神を恐れていたからです。天地万物を無から創造された神、族長アブラハムをお選びになり、彼と永遠の契約を結ばれた神、その主なる神へのイスラエルの信仰は族長時代の数百年間とエジプトでの400年間が過ぎても、全く変わっていなかったのです。なぜなら、彼らに対する民の愛と義と救いのみ心が変わらなかったからです。この神を信じ、この神のみを恐れる信仰者にとっては、この世のいかなる権力者をも、迫害をも、恐れる必要はありません。

モーセの両親は幼な子をパピルスで編んだ小さなかごに入れ、ナイル川の岸に置きました。偶然にそれを見たファラオの娘が幼な子を引き上げ、自分の子として育てることになりました。このようにして、モーセはエジプトの宮廷で育てられ、エジプト人としての最高の教育を受け、やがてイスラエルの民をエジプトから救い出す指導者として神に用いられるのです。このようなことを一体だれが予想しえたでしょうか。このような神の隠されたみ心を一体だれが知り得たでしょうか。迫害する者たちのただ中にあって、迫害する者たちをもお用いになって、迫害する者たちの手からご自分の民を救い出す指導者モーセを準備される神を、だれが知り得たでしょうか。

このようにして、神はモーセを選び、彼をお立てになり、イスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出されたのです。モーセはこのようにして、全人類を罪の奴隷から救い出されるメシア・主イエス・キリストを指し示し、メシアのための道を備えるために仕えたのです。

(執り成しの祈り)

〇主イエス・キリストの父なる神よ、あなたがきょうわたしたち一人一人をお選びになり、それぞれの派遣された場から呼び出し、あなたのみ前に集わせ、あなたの救いのみ言葉をお聞かせくださいましたことを心から感謝いたします。どうか、あなたがみ言葉によって創造されたこの世界で、あなたのみ心が行われ、あなたの救いのみわざが成就されますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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