4月23日説教「ヨセフが見た夢」

2023年4月23日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記37章1~11節

    ローマの信徒への手紙11章25~36節

説教題:「ヨセフが見た夢」

 創世記12章からのアブラハム、イサク、ヤコブの3代にわたる族長物語と言われる箇所を続けて読んできましたが、37章からは族長ヤコブの12人の子どもたち、特にその中の一人ヨセフを主人公とするヨセフ物語が始まります。

 【1~2節】。1節に「ヤコブは」とあり、また2節でも「ヤコブの家族の由来は次のとおりである」と書かれています。これから実際に描かれる内容は、ヤコブの子ヨセフの生涯と歩みについてなのですが、ヤコブが49章33節で地上の命を終えるまでは、彼が一族の族長として、あるいは一家の長としての権威を持っていると考えられたので、ヨセフの物語も族長ヤコブの系図の中で語られています。

このことには重要な意味が含まれています。1節の後半に、「父がかつて滞在していたカナン地方に住んでいた」と付け加えられていることとも関連しているのですが、これから始まるヨセフ物語がアブラハム、イサク、ヤコブという族長たちに与えられた神の契約、神の約束のみ言葉を受け継いでいるのだということを、今一度ここで確認しているのです。すなわち、神は3人の族長たちに、アブラハムに、イサクに、そしてヤコブに、何度も繰り返してお語りになったように、「彼らの家系から生まれる子孫を星の数ほどに増し加える。また、カナンの地を彼らの子孫の相続地として与える」という契約が、ヤコブの子ヨセフにも受け継がれているということを、ヨセフ物語の初めで確認しているのです。

 このあとで、ヨセフやそのほかの子どもたちに対して、神がかつて族長たちに語られた約束が、直接に語られることはありません。また、しばしば指摘されることですが、ヨセフ物語の中には神という言葉はほとんど用いられていません。神について直接に語られることもほとんどありません。語られている出来事の多くはこの世界での人間たちの行動です。ヨセフとその兄弟たち、ヨセフとエジプトの指導者たちの人間模様が語られていて、そこに神のみ心があるということは、直接的には語られることはありません。けれども、そこには確かに主なる神のご計画があり、神の救いのみ心があるということ、ヨセフと彼の周辺の人間たちはみな神のご支配のもとにあって行動しているということ、そしてそれによって神の救いのご計画が着々と進められているということを、わたしたちはヨセフ物語から読み取ることができます。また、どのページを読むときでも、そのことを意識して読まなければなりません。

 神がアブラハム、イサク、ヤコブという族長たちによってお始めになった救いのみわざはその子ヨセフと彼の兄弟たちへと受け継がれ、その後のエジプトでの400年間の彼らの寄留の生活でも、神の約束のみ言葉は決して忘れ去られることはなく、出エジプトによって誕生した神の民イスラエルへと受け継がれ、さらにはイスラエルに約束されたメシア・救い主イエス・キリストによって、全世界のすべての教会の民へと継続されていくのです。

 では次に、ヨセフの誕生について振り返ってみましょう。彼の誕生の次第が、彼のこれからの人生に少なからず影響を与えることになるからです。ヨセフはヤコブと妻ラケルとの間に生まれた最初の子でした。ヨセフは長く待ち望まれた子でした。ヤコブともう一人の妻レアとの間には6人の子どもが次々と授けられましたが、ヤコブが愛していたラケルには、二人の熱心な祈りと願いにもかかわらず、神は長い間彼らに子どもをお授けにはなりませんでした。それは、彼らが神のみ心が成就される時を、信仰をもって、忍耐強く待ち望むための訓練のためだったのでした。神は人間の愛や願いや計画をはるかに超えて、み心を行ってくださることを、彼らは学ばなければなりません。そして、神のみ心が成就した時になって、ラケルは身ごもり、男の子を生みました。ラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった。神がわたしにもう一人男の子を加えてくださるように」と言って、その子をヨセフと名付けたことが30章23、24節に書かれていました。

 ところが、そのようにして与えられた子ヨセフが、ヤコブの家族に新たなつまずきをもたらすことになったということを、わたしたちは次のみ言葉で聞きます。【3~4節】。1節でヤコブと言われていたのが、3節ではイスラエルに変わっていますが、これは1、2節と3節以下とのもとの資料が違っているからと説明されます。ヤコブからイスラエルに名前が変更されたことについては32章29節と35章10節とに2度書かれていました。

ヤコブ・イスラエルはヨセフが愛する妻ラケルに生まれた子であり、長い祈りの末に、年取ってから与えられた子であるので、ことさらにかわいがって育て、ほかの兄たちよりも贅沢な晴れ着を着せていました。裾の長い着物は労働には不向きです。父ヤコブはヨセフには働かなくてもよいように特別な配慮をしていたようです。それを見ていた兄たちは父を憎んでいました。父のヨセフに対する偏愛が、父親に対する兄たちの憎しみを生み出し、また兄弟同士の分裂を生んでいきます。親が特定の子だけを格別に愛する偏愛が、この家庭に新たな深刻な問題を生み出すことになります。

 顧みれば、ヤコブ自身も母リベカの偏愛を受けていました。母の提案によって、父イサクと兄エサウとを欺いて、ヤコブは長男としての特権を兄から奪い取りました。それがもとで、兄の怒りを買い、命を狙われたので、家を飛び出して遠いハランの地へ逃げ、そこで20年もの間、困難な逃亡生活を送らなければならなくなりました。おそらくは、その20年の間に母リベカは死に、母と子は再会することができませんでした。母と子の偏った愛は、ついには母と子の永遠の別離を生み出すほかになかったということを、わたしたちは知らされます。

 このような、破れた夫婦の愛、歪んだ親子の愛、欠陥だらけの兄弟の愛が繰り広げられる人間たちの歩みの中で、主なる神は永遠に変わらない真実の愛をもって、アブラハム、イサク、ヤコブという3代の族長たちの家庭を導かれ、その中で神の救いのみわざをなし続けられたのだということを、わたしたちは改めて教えられます。

 【5~10節】。ここにはヨセフが見た二つの夢について、またその夢のことを兄たちや両親に話したことが語られています。ヨセフが見た夢にはどのような意味があるのでしょうか。創世記の中にはこれまでにも夢のことが何度か語られていました。28章では、ヤコブがベテルで石を枕にして眠っていたときに、天から地にまで届く階段を神のみ使いたちが上り下りしている夢を見たことが書かれていました。また、31章11節には、ヤコブが夢の中で神のみ使いの呼びかけを聞いたことが書かれていました。これらの族長たちが見た夢は、明らかにそれが天におられる主なる神からの知らせ、啓示であると言えます。神の夢の中で、夢をとおして、ご自分のみ心やご計画を信仰者にお示しになります。

 ではヨセフが見た夢は何でしょうか。彼の空想だったというべきでしょうか。彼が見た二つの夢には神は全く登場していませんし、何か神の働きを暗示するものもありません。そこから、この夢はヨセフの独りよがりの空想だと考える注解者もいますが、わたしはそうではないと考えます。確かに、その夢を得意げに兄たちや両親に話しているように映るヨセフの態度には、傲慢な姿を読み取ることができるかもしれませんが、聖書ではどのような夢でも、そこには隠された神のみ心とご計画があるという点では一致していると見るべきですから、ヨセフの夢にも神のみ心が現れていると考えてよいと思います。ヨセフ自身は、この夢に神のみ心はあると気づいてはいなかったでしょうが、また神がどのようにして自分が見た夢を実現に至らせてくださるのかをも全く分かっていなかったのですが、神は確かにヨセフの夢を実現させてくださったということを、わたしたちのあとで読みます。ヨセフが見た夢の実現については42章6節と50章18節以下に書かれているからです。

 その個所に至るまでは、ヨセフの夢の実現については、主なる神以外には、まだだれにも知られていませんから、ヨセフが見た夢は神がのちに起こるべきことを、あらかじめこのようにしてお示しになられたのだと理解するほかにありません。

ヨセフの夢についてもう少し詳しく見ていきましょう。7節に、「畑でわたしたちが束を結わえていると」とあります。26章12節には、「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった」と書かれています。これらの記述から、族長たちは最初は遊牧民として家畜を飼い、牧草を求めて土地を移動していましたが、のちの時代にはだんだんと一か所に定住するようになり、穀物の栽培を始めるように変わっていったという、族長たちの生活様式の変化に気づかされます。

ヨセフは父ヤコブから裾の長い着物を着せてもらい、仕事をしなくてもよい贅沢な身分だったはずなのに、この夢の中では自分が一生懸命に働いていることになっています。ここにも、親が年を取ってから生まれ、甘やかされて育った子どものわがままや独りよがりな性格が表れていると言えます。兄たちにはそのこともまた腹立たしく、憎らしく思えたに違いありません。

9節の、「太陽と月と十一の星」が、ヨセフの両親、ヤコブとラケル、それに11人の兄たち(この中には弟のベニヤミンも含まれますが)を指していることは、すぐに兄たちと父ヤコブに理解できたでしょう。この夢もまた、何とも傲慢で、生意気なヨセフの性格を表していることを知って、兄たちも父親も激怒しました。ただし、厳密には、ヨセフの母ラケルはベニヤミンを生んですぐに亡くなっていますから、月は他の兄弟たちの母を象徴していると考えられます。

【11節】。兄たちは、ヨセフがいつか自分たちを攻撃し、自分たちを力で支配するつもりでいるらしいという、恐れと恐怖心を抱いたようです。その恐怖心が、この後でヨセフを殺そうとするたくらみへと発展していくことになります。しかし、父ヤコブは「このことを心に留めた」と書かれています。ヤコブはこの家の長として、アブラハムからの神の約束を受け継ぐ族長として、ヨセフの夢に神の救いのご計画が潜んでいることをわずかに悟っていました。わがままで生意気な子、ヨセフをもお用いになって、神がみ心を行ってくださることを信じました。

わたしたちもまた、主なる神が、この混乱した世界と罪の人間たちの過ちや愚かさをもお用いになって、隠れたかたちでご自身のみ心を行ってくださることを、信仰の目をもって見ぬいていきたいと願います。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちにあなたのみ心をお示しください。あなたがこの世界の中で、永遠の救いのみわざを確かに進めておられることを信じさせてください。あなたがわたしたち一人一人の日々の歩みを終わりの日の完成に向けてお導きください。わたしたちからすべての恐れや不安や迷いを取り去って、感謝と喜びと希望で満たしてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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