6月18日説教「パウロとエルサレムの使徒たち」

2023年6月18日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記3章1~10節

    使徒言行録9章26~30節

説教題:「パウロとエルサレムの使徒たち」

 紀元30年ころ、ペンテコステの日にエルサレムに誕生した世界最初の教会は、誕生してすぐにユダヤ人からの何度かの迫害を経験しながらも、そのたびに新たな力を与えられて、エルサレムだけでなく、パレスチナ全域に、さらにはユダヤ人以外の異邦人にまで、教会の活動が広げられ、主イエス・キリストの福音が宣べ伝えられていったということが、使徒言行録8章までに描かれてきました。わたしたちはその中で、何度も、「神の言葉はこの世の鎖によっては決してつながれない」(テモテへの手紙二2章9節参照)という使徒パウロの言葉を確認してきました。

 9章に入って、サウロ(すなわちパウロ)の回心と言われる出来事が記されていましたので、エルサレム教会の活動のことについてはしばらく中断されていましたが、きょう朗読された9章26節以下で再びエルサレム教会のことが語られます。【26節】。この箇所で、エルサレム初代教会の活動とキリスト者となったばかりのパウロの活動とが合流します。

 しかし、この両者の合流がこのような形で起こるであろうということを、8章が終わった段階でだれが予想しえたでしょうか。9章の初めに書かれていたように、パウロはキリスト教会迫害の急先鋒として、エルサレムのユダヤ教最高指導者の大祭司からの許可証をもらって、ダマスコにいるキリスト者を逮捕するために、意気込んでこの町にやってきたのでした。ところが、この町の入り口の門で、パウロは復活された主イエスとの衝撃的な出会いを経験し、キリスト教の迫害者であった彼が突然に180度方向転換をしたかのように、主イエスの福音を宣べ伝える宣教者に変えられたのでした。しかも、すぐにもそのダマスコの町で、主イエスこそが約束されていた神のみ子であり、メシア・キリストであると語り出したために、その町のユダヤ人から迫害を受け、命を狙われるようになったのでした。

 そのパウロが数週間後、あるいは数か月後かに、再びエルサレムに戻ってきたのです。あの迫害者であったパウロが、キリスト者パウロとなって。だれがそのようなことを予想しえたでしょうか。神は無から有を呼び出だすようにして、また死から命を生み出すようにして、わたしたちの人生の中で、この世界の歴史の中で働かれます。神はわたしたち人間の考えや可能性をはるかに超えて、時にはそれに逆らって、全く正反対のことをも実現させ、救いのみ心を前進させたもうのです。

 以前にも少し説明しましたが、使徒言行録の記録とパウロが書いたガラテヤの信徒への手紙1章の記録との間には、回心後のパウロの行動に大きな違いが見られます。ガラテヤの手紙では、パウロが異邦人に対する伝道者として召されたという点が強調されていて、キリスト者となったパウロはすぐにアラビア地方へと伝道に行ったと書かれています。そこでは、ダマスコでの伝道やエルサレム教会訪問のことについては触れられてはいません。それに対して、使徒言行録ではダマスコで受けた迫害と、続いてエルサレムで受けた迫害について描かれており、迫害する側にいたパウロが迫害を受ける側に変わったという点が強調されているように思われます。

使徒言行録のきょうの箇所では、キリスト教会の迫害者としてエルサレムを出て行ったパウロが、今迫害を受けるキリスト者となってエルサレム教会に戻ってきたということが語られています。

 26節に「弟子」とあるのはエルサレム教会の会員のことで、27節の「使徒たち」とは、主イエスの12弟子を中心とした教会の指導者たちを指していますが、8章1節に書かれていたエルサレム教会に起こった大迫害で、使徒以外の教会員はみな市内から追放されたことになっていました。けれども、ここではまだ会員が残っていたように思われます。そこで、迫害によって追放された教会員はギリシャ語を話すユダヤ人、つまりヘレニストに限っていたのではないかと推測されています。

ここには、エルサレムに戻ってきたパウロが教会の弟子たちから警戒されたことが書かれていますが、パウロは教会からも、またユダヤ教徒たちからも危険視されたことが容易に想像できます。パウロはユダヤ教徒で熱心なファリサイ派の指導者として、ユダヤ当局からの推薦状までもらって、キリスト教徒迫害のためにダマスコへでかけたのでした。そのパウロがキリスト者となり、キリスト教の宣教者となってエルサレムに戻ってきたということは、ユダヤ人のだれもが、特にその指導者たちにとっては、理解できない不思議なことであり、それは彼らにとっては大きな裏切りだととらえられたことは確かです。パウロは彼らにとって卑怯者であり、危険な人物です。

 エルサレム教会のキリスト者、また教会の指導者たちにとっても、パウロのこの大きな変化は信じがたいことでした。彼らがパウロを恐れたのは当然でした。パウロは、キリスト教会最初の殉教者となったステファノが石打ちの刑で処刑された際に、刑を執行した人たちの上着の番をしていたことが、7章58節に書かれていました。彼が教会にとって恐るべき迫害者であったことは、教会のだれもが知るところでした。

では、パウロはなぜどちら側からも歓迎されないであろうエルサレムへ危険を冒してまでも戻ろうとしたのでしょうか。そのことを考えながら、読み進んでいきましょう。

 【27節】。ここに、バルナバという人が現れ、パウロとエルサレム教会との間を執り成す役割を果たします。バルナバについては、4章36節ですでに紹介されていました。エルサレム教会員の一人で、その名前バルナバとは「慰めの子」という意味であること、彼が自分の畑を売却して、その代金の全額を教会にささげ、貧しい人たちを助け、彼らに慰めを与える人であったことが書かれていました。その名のとおりに、ここではパウロとエルサレム教会の間に立ち、ダマスコでパウロが経験したことを教会に話して彼らの誤解を解き、両者を結び付け、双方に慰めを与える人となりました。パウロにとってバルナバはどれほどにか力強い存在であったことでしょうか。

 神はこのようにして、いつの時にも、教会の働きにとって必要は人を起こしてくださいます。バルナバはこのあと、13章2節に書いてあるように、パウロの第一回世界伝道旅行に同伴者として、協力者として派遣され、長い間パウロの良き同労者として働きました。

 次に、【28節】。ここには、パウロのエルサレム行きの目的を暗示する二つのことが記されているように思われます。一つには、パウロはエルサレム教会の使徒たちの仲間入りを望んでいたということです。パウロは異邦人に対して福音を語るのが自分の務めだと自覚していましたが、エルサレム教会の当時の指導者であったペテロやほかの11人の弟子たち、また主イエスの兄弟ヤコブなどとの交わりを持つことを願っていました。パウロはのちに異邦人世界の宣教者となり、世界の各地に教会を建てるために仕えますが、その際にも、エルサレム教会を世界の母なる教会として重んじ、エルサレム教会との交わりを大切にし、困窮していたエルサレム教会のための献金を集めていました。

エルサレムは主イエスの十字架の死と復活、そして昇天の出来事が起こった場所であり、主イエス・キリストの福音と世界の救いの中心であり、そしてまた世界最初の教会が誕生した地です。全世界の教会はそこに源を持っているとパウロは考えていました。パウロは自分自身の信仰もまたエルサレムとその教会に原点があるということを確認する必要性を感じていたと推測されます。彼がダマスコで経験した復活の主イエスとの出会い、迫害者からキリスト者へと変えられたこと、そして主イエスによって異邦人伝道の使命を託されたこと、これらの出来事はパウロの個人的な体験であるだけでなく、エルサレム教会の使徒たちにも認められ、エルサレム教会との関連の中での出来事であることが証しされ、承認されることが必要であったのです。

 エルサレム行きのもう一つの目的は、パウロ自身がこの町で主イエス・キリストの福音を大胆に語るということには大きな意味があったからです。パウロを裏切り者、卑怯者と見ていたエルサレムのユダヤ人たち、ユダヤ教の指導者たちに対して、彼らを恐れることなく、自分がかつて迫害していた主イエスこそが、旧約聖書の中でユダヤ人たちが長く待ち望んでいたメシア・キリストであることを、またこの方こそが全世界の唯一の救い主であることを語り伝えること、それが熱心なユダヤ教徒からキリスト教会の宣教者に変えられたパウロの大きな使命であったからです。

 しかし、これもまた当然予想されていたことでしたが、パウロはエルサレムでも迫害を受け、命を狙われました。【29~30節】。「ギリシャ語を話すユダヤ人」とは、ヘレニストと一般に呼ばれていますが、彼らは外国に離散していたユダヤ人で、最近エルサレムに移り住んだ人たちでした。パウロもヘレニストの一人でギリシャ語を話していましたから、彼らに親近感をもって主イエスの福音を語ったのであろうと思われます。けれども、彼らは主イエスの福音を信じようとはせず、反対にパウロを殺そうとしました。パウロはエルサレム教会の兄弟たちに守られながら、地中海沿岸のカイサリアへ行き、そこからおそらく船で生まれ故郷である小アジア地方の町タルソスへと向かいました。

こののち、パウロはしばらく使徒言行録からは姿を消します。おそらくタルソスあたりで宣教活動を行なっていたと推測されています。彼が再び姿を現すの は、11章25、26節と13章1節以下の第一回世界伝道旅行のときになります。11章でも13章でも、そこでパウロと協力するのはここでパウロとエルサレム教会との間を執り成したバルナバです。

このようにして、神は迫害者パウロを宣教者パウロに変え、またパウロとエルサレム教会とのつながりを強め、そのためにバルナバをお用いになり、のちに3回にわたるパウロの世界伝道旅行の備えを着々と進められたのです。神は今もなお、全世界の教会をお用いになって、ご自身の救いのみわざを進めておられます。

 

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたのみ言葉はいつの時代にも、命と力とを持ち、救いの恵みを多くの人たちに分かち与えます。また、あなたは世界の至る所に、そのみ言葉を語り伝えるために仕える人たちを起こしてくださいます。どうか、わたしたちをもあなたのみ言葉の証人たちとしてお用いくださいますように。

○天の父なる神よ、戦争や紛争で多くの血が流されている地域に和解と平和をお与えください。故郷や住む家を失い、放浪の生活を強いられている難民たちに、温かい落ち着いた食卓と安らかな眠りをお与えください。差別や偏見によって人権を踏みにじられている人たちに、共に生きる喜びをお与えください。重荷を負う人、病んでいる人、孤独な人、一人一人にあなたからの慰めと平安、希望をお与えください。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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