6月5日説教「真理の霊によって生きる教会」

2022年6月5日(日) 秋田教会ペンテコステ礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:エゼキエル書33章12~20節

    ヨハネによる福音書14章15~31節

説教題:「真理の霊によって生きる教会」

 ペンテコステは本来ギリシャ語で五十番目という意味を持ちますが、ユダヤ教の五十日目の祭り、五旬節を指すようになりました。この祭りはユダヤ人にとっての三大祭りの一つであり、旧約聖書では、七週の祭り、仮り入れの祭りと呼ばれていました。過ぎ越しの祭りから50日目に祝う祭りであり、刈り入れた麦の初穂を神にささげる祭りでした。ちなみに、ユダヤ人の三大祭りとは、過ぎ越しの祭りと五旬節・ペンテコステ、それに秋のぶどうの収穫を祝う仮庵の祭りであり、すべてのイスラエルの民はこの三大祭りの時にはエルサレムの神殿で神を礼拝しなければならないと律法に定められていました。

 主イエスご自身もガリラヤ地方を中心にした福音宣教の3年間の活動の間に、毎年過ぎ越しの祭りにはエルサレムの神殿で礼拝されたことが福音書に書かれています。そして、おそらくは3回目が最後のエルサレム訪問であったと思われますが、その週の木曜日の夕方には弟子たちと最後の晩餐を囲まれました。共観福音書ではそれがユダヤ教の過ぎ越しの食事であったと伝えています。翌日の金曜日には、主イエスはユダヤ最高法院での裁判を受け、十字架刑に処せられました。

 ユダヤ教の祭りで刈り入れの祭りが過ぎ越しの祭りが終わってから50日後の祭りと言われ、二つが関連付けられていることには理由がありました。過ぎ越しの祭りは、イスラエルの民がエジプトの奴隷の家から神の強いみ手によって導き出され、救われたことを神に感謝する祭りであり、50日目の刈り入れの祭りは、救われたイスラエルの民が神の約束の地に入り、その地で種をまき、その初穂を神にささげて、収穫を感謝する祭りであったのです。神によって奴隷の家から救われた民には、豊かな収穫が約束されているのであり、彼らはその収穫を刈り取ることをゆるされているのであり、その感謝のささげものによっていよいよ神による救いの恵みを確かにするのです。

 新約聖書において、主イエスの十字架による罪のゆるしの恵みと、その後50日目のペンテコステの日の聖霊降臨もまた同じような関連性があります。主イエスの十字架と復活の恵みが、具体的に豊かな実りをもたらし、救われた人間の魂を収穫するために主なる神が弟子たちに聖霊を注いでくださり、彼らが語った命の言葉を信じ、救われる人たちの群れを誕生させてくださったのです。聖霊によって命と救いのみ言葉を語り、聖霊によって信じ、救われる人たちの群れである教会を誕生させてくださったのです。ペンテコステの日に聖霊によって誕生した教会は、聖霊によってさらに新たな実りを与えられ、聖霊によって生き続けます。

 ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が注がれ、教会が誕生したことは、ある日に偶然に起こった出来事ではありません。過ぎ越しの祭りと麦の初穂をささげる五旬節とが関連付けられてるだけでなく、聖霊降臨は古くから旧約聖書で預言されていた神の救いのご計画であったのであり、そして、それはまた主イエスご自身があらかじめ弟子たちに約束しておられた出来事でもありました。

 旧約聖書の預言の方から見ていきましょう。ペンテコステの日のペトロの説教でそのことが語られています。その個所を読んでみましょう。【使徒言行録2章16~21節】(215ページ)。信じる人々の上に聖霊が注がれ、聖霊のみ力に満たされてすべての人が神のみ言葉の証人となり、すべての人が主イエス・キリストのみ名によって救われるようになるのは、預言者ヨエルが旧約聖書で預言していたように、神の永遠の救いのご計画によることなのです。その預言がペンテコステの日に成就したのです。神の永遠の救いのご計画は終わりの日に神の国が完成される時まで継続されます。

 主イエスが弟子たちに聖霊を注ぐ約束をされたことについては、ヨハネによる福音書に詳しく語られていますが、共観福音書でもそのことが暗示されています。まず、マタイ福音書28章19~20節を読んでみましょう。【19~20節】(60ページ)。父なる神、子なる神・主イエス・キリスト、そして聖霊なる神という三位一体なる神のみ名によって洗礼を受け、救われる人たちの群れである教会が全世界に誕生することが、ここですでに主イエスご自身のお言葉によって暗示されています。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とのお約束も、聖霊のお働きを暗示しています。

次に、ルカ福音書24章45節以下を読んでみましょう。【45~49節】(161ページ)。49節の「父が約束されたものをあなたがたに送る」、また「高い所からの力に覆われる」も聖霊の降臨を暗示しています。弟子たちは聖霊なる神のお力によって、全世界の人々に主イエス・キリストの福音を宣べ伝え、主イエス・キリストの十字架と復活の証人として立てられるのです。

ヨハネ福音書では聖霊についてより詳しく約束されています。きょうの礼拝で朗読された14章15節以下はその最初ですが、これ以降にも15章26節、16章4~15節などで聖霊について語られています。これらのヨハネ福音書の主イエスのお言葉から、聖霊について、聖霊なる神のお働きについて、聖霊によって生きるわたしたちの教会について、さら学んでいくことにしましょう。

第一に重要なポイントは、聖霊は、わたしたちがすでに見たように、父なる神の永遠の救いのご計画の中で約束され、また主イエスのお約束でもあったということだけでなく、聖霊は父なる神とみ子なる主イエスから遣わされる霊なる神であるということです。

約束されていたと言いましたが、聖霊は約束された時になって初めて現れた神というのではありません。聖霊は永遠の初めから父なる神、子なる神と共におられた聖霊なる神です。旧約聖書の中でも聖霊は働いておられました。エゼキエル書では、聖霊が死んで骨だけになった人に新しい命を吹き込むことが預言されています。そのほかにも、聖霊がイスラエルの民に霊的な命をお与えになったことが数多く記されています。その聖霊なる神が、約束の時になって、すべての信仰者の上に豊かに注がれるようになったのだということです。

聖霊は父なる神と主イエスから派遣される霊であることについて、ヨハネ福音書14章26節では、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が」と言われ、15章26節では、「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき」と言われており、弁護者なる聖霊は父なる神と主イエスの両方から派遣されるということが読み取れます。主なる神は、父なる神として、子なる神として、また聖霊なる神として、キリスト教の教理ではこれを「三位一体論」と言いますが、わたしたちの救いのためにお働きくださいます。神はご自身の全ご人格をもって、いわば全身全霊を込めて、わたしたちの救いのために働いてくださいます。父なる全能の神として、同時に、み子なる神として、人となられ、十字架で死んでくださった神として、そしてまた同時に、すべて信じる人に注がれる命と真理の霊、聖霊なる神として、三位一体なる神の全ご人格、全機能をお用いになって、わたしたち罪びとを罪と死と滅びから救い出すために働いておられ、その救いを完成させてくださるのです。

第二点は、14章16節で、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」とあるように、聖霊は別の弁護者、すなわち、主イエスに続くもう一人の弁護者であるということです。ですから、主イエスが地上から去った後にも、弟子たちは孤児のようになって見捨てられるのではなく、もう一人の弁護者である聖霊がいつまでも弟子たちと共におられると言われているのです。

もう少し具体的に説明するならば、主イエスが十字架で死なれ、三日目に復活され、その後40日間にわたって弟子たちに復活のお姿を現され、40日目に天に昇られ、もはやそのお姿は地上では見ることができないのですが、その主イエスの救いのみわざを引き継ぐようにして、聖霊が注がれたということであり、「わたしはいつまでもあなたがたと共にいる」と言われた主イエスのお約束は廃棄されたのではなく、そのようにして継続されているということなのです。

このことと関連して、聖霊が主イエスのみわざを引き継ぐという意味のことがたびたび語られます。14章26節では、「聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」、15章26節では、「その方がわたしについて証しをなさるはずである」、16章13、14節では、「その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである」。聖霊は主イエスとわたしたちとを堅く結びつけ、主イエスの十字架と復活の福音をわたしたちに悟らせ、信じさせ、その福音によって新しく生きる力と導きとを与えてくださるのです。

第三点は、聖霊が「弁護者」と言われていることです。弁護者とは、ギリシャ語では「パラクレートス」ですが、「パラ」とは「そばに、近くに」という意味で、「クレートス」とは「呼び出された人」という意味です。『口語訳聖書』では「助け主」と訳されていました。罪を告発された被告人とか、窮地に陥って助けを必要としている人の傍らに立ち、その人を弁護し、必要な助けの手を差し伸べる人をパラクレートスと呼びました。主イエスご自身が弟子たちにとってのパラクレートスでしたが、主イエスが天に帰られてからは聖霊が弟子たちの、そして教会とわたしたちにとってのパラクレートスとして、終わりの日の救いの完成の時までわたしたちを導いてくださいます。17節で、「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたのうちにいるからである」と主イエスが言われたとおりです。

最後に、聖霊は14章17節や15章26節、16章13節で「真理の霊」と呼ばれています。15章26節では、「真理の霊が来るときに、その方がわたしについて証しをなさるはずである」と言われ、また16章13節では【13節】(200ページ)と言われています。真理の霊である聖霊が下るとき、聖霊は信仰者に主イエスが語られたみ言葉をすべて悟らせ、信じさせ、その人を真理へと導かれるというのです。真理とは、主イエス・キリストのことであり、主イエスの十字架と復活の福音のことなのです。神の真理は主イエスの十字架と復活の福音に最もよく現わされているのです。神の真理とは、神がわたしたち罪びとを愛され、その愛によってご自身の独り子を十字架に犠牲としておささげになったということにほかなりません。ここに神の愛があり、ここに神の真理があるのです。わたしたちは聖霊によってこの神の愛と真理へと招き入れられているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、永遠に変わらないあなたの愛と真理の中にわたしたちをとどまらせてください。聖霊によって、わたしたちに新たな命を注ぎ込んでください。日本とアジア、そして全世界の人々が、また主キリストの教会が、多くの困難な課題を抱え、祈りつつ労苦を重ねています。どうか、この世界とその中に住むすべての人々を憐れんでください。顧みてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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