6月12日説教「ステファノの説教(三)モーセの召命」

2022年6月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記3章1~15節

    使徒言行録7章23~35節

説教題:「ステファノの説教(三) モーセの召命」

 使徒言行録はペンテコステの日に誕生した初代教会の歴史を描いています。先週の日曜日が、そのペンテコステ、弟子たちに聖霊が注がれて教会が誕生した日の礼拝でした。主イエスの誕生が紀元1年とすると、ペンテコステは紀元30年代前半の今ごろの季節になります。エルサレムに誕生した教会は、その後数十年の間に急激にパレスチナから小アジア地方、ヨーロッパ、当時の世界の中心都市ローマと、さらにその西当時世界の果てと言われていたスペインに、そしてやがて全世界へと拡大され、今日に至るまで継続されています。世界の教会の歴史はおよそ2000年、秋田教会の歴史はそのうちの近年130年間が重なっていることになります。

 使徒言行録7章に書かれているステファノの説教は、主イエスの時からさらにさかのぼり、紀元前19世紀ころのアブラハム、イサク、ヤコブの族長時代から始まって、きょうの礼拝で朗読された23節からはモーセが40歳になって、神の召命を受けてイスラエルの民をエジプトの奴隷の家から導き出す指導者として立てられることが語られています。これは、紀元前1280年ころと考えられています。

神がアブラハムとモーセをお選びになって、イスラエルの民をご自身の契約の民とされ、神の救いのみわざをお始めになったときから数えると、およそ4千年間の神の救いの歴史の中に、わたしたち秋田教会の130年の歴史が位置付けられるということになります。きょうの使徒言行録のステファノの説教を学ぶにあたって、そのような神の永遠なる救いのご計画の中にわたしたち秋田教会もまた連なっている、その中に招き入れられているということを、まず最初に覚え、そのことを神に感謝したいと思います。

 ステファノはキリスト教会最初の殉教者となった人です。7章の長い説教、これは実はユダヤ最高法院での裁判の席で被告席に立たされた彼の弁明なのですが、その説教が終わったあとすぐに、58節で彼は石打の刑で処刑されました。この説教が、彼の殉教の死直前の説教であり、彼の説教の内容そのものが殉教の死を招く直接的な原因になったのであり、これはまさに彼の命をかけた説教であり、殉教の血に直結する説教であるということを考えると、わたしたちは身の引き締まる真剣な思いとならざるを得ません。

 23節からは、モーセが40歳になってからのことが語られます。ステファノはモーセの120年の生涯を3つに区切り、誕生からエジプト王宮で育てられ、エジプトの教育を教え込まれた40年間(17~22節)と、エジプトで同胞の民イスラエル人が虐待されている現実を目撃し、事件を起こしてミディアン地方に身を隠していた40年間(23~29節)、そして出エジプトから荒れ野の40年間の旅(30節以下)にまとめています。

 23節の「40歳になったとき」と30節の「40年たったとき」は、いずれも原典のギリシャ語を直訳すると、「彼の40年間が満ちたとき」となります。ここには、神がモーセの生涯のそれぞれの40年の期間を、神が計画しておられた救いの期間と理解し、それぞれの救いの期間が神によって満たされたという理解があるように思われます。23節と30節は、17節に連続しているからです。

【17節】。モーセは生まれてすぐにファラオの命令によってナイル川に捨てられましたが、神の奇跡によって、ファラオの娘に救い上げられ、王宮で育てられ、エジプトの最高の教育を受けたこと、そこには神の見えざるみ手の働きがあったということ。エジプト人として育てられたモーセであったが、彼は決してエジプト人になったのではなく、神に選ばれた民、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫として、神の契約の民イスラエルに連なるモーセとして、彼をとおしてなされるであろう神の救いのご計画は、この期間も着実に前進していたのだということ、そのことを17節は語っているように思われます。

そして、次の40年間も、その次の40年間も、モーセに対する神の救いのご計画が満ちる期間となることが23節と30節に予告されているのです。では、23節を読みましょう。【23節】。それは彼自身の願いというよりは、25節にあるように、「自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられる」とモーセが信じたからです。けれども、モーセも、また彼の同胞のイスラエル人も、この時点ではまだ神の本当の救いのご計画を悟ってはいませんでした。モーセは、奴隷として苦しめられていた同胞を見て、相手のエジプト人を殺すことによって同胞の民を解放できると考えていました。しかし、暴力に対して暴力をもってしても、そこには本当の救いはありません。彼が神の救いのみ心を正しく知るためには、なおしばらくの訓練の期間が必要です。

また同胞のイスラエル人は、エジプト王宮で育ったモーセを自分たちの同胞だとは認めていなかったようです。神がモーセを用いてイスラエルの民をお救いになるということは、彼らにはまだ理解されてはいませんでした。彼らはこう言ってモーセを非難しています。「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」(27、28節)。モーセは奴隷として苦しめられていた同胞の民を救うためにエジプト人を殺したのに、そのことが同胞のイスラエル人には理解されず、受け入れられませんでした。イスラエル人がモーセを神から遣わされた自分たちの指導者として認めるためには、なおしばらくの期間が必要になります。

モーセはファラオに命をねらわれていることを知り、シナイ半島の西、ミディアン地方に逃れ、その地で祭司の職にあったエトロのもとに身を寄せ、彼の娘ツィポラと結婚をし、二人の子どもの父親となりました。ミディアン地方でのモーセのことについては出エジプト記でも詳しくは書いていませんが、この期間は彼にとっては信仰の訓練の期間であったと推測されます。また、神の召命のみ声を聞くときまでの待機の期間でもありました。神がこの第二の40年間という期間を満たしてくださるまで、モーセは信じて待ち望む必要があったのです。

次に、30~34節を読みましょう。【30~34節】。モーセがシナイの荒れ野で見た幻は「燃える柴の幻」と言われます。ステパノはその詳細を語っていませんが、柴が燃えているのにいつまでも燃え尽きることがないという不思議な幻でした。この幻は、イスラエルの民がエジプトで苦難を受け、虐待され、迫害されても、神の民であるイスラエルは決して滅亡することないということのしるしであり、また同時に、ご自身の民に対する神の情熱と愛はいつまでも変わることなく、永遠に燃え続けるということのしるしでもありました。

モーセはこの幻を見て励まされ、新たな力を与えられ、忘れかけていたエジプトにいる同胞イスラエル人を助けるという彼の使命を再び思い起こしたのでした。そして、燃える柴の中から、今度ははっきりと神のみ声を聞きました。「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサク、ヤコブの神である」と。「アブラハム、イサク、ヤコブの神」という言い方は、旧約聖書でも新約聖書でも、何度も繰り返されています。この表現には二つの大きな意味があります。一つには、神が最初にアブラハムを選ばれ、彼と結ばれた契約は、その子イサク、その子ヤコブ、ヤコブの12人の子どもたち、イスラエルの民へと受け継がれ、さらにその契約は、主イエス・キリストによって全世界の教会へと受け継がれていくのであって、神の選びと契約は永遠に変わらないということが言い表されているのです。

もう一つは、本来はこちらが本質なのですが、神はアブラハムの神であり、その子イサクの神であり、ヤコブの神、イスラエルの神、主イエス・キリストの父なる神であり、教会の神であり、そしてわたしたち一人一人の神である、そのように、神は永遠なる神であり、神の愛と義と真理とは永遠に変わらず、神の救いのみわざはどのような時代の変化や状況の変化にも変わることなく、永遠に継続されていくという意味です。

使徒言行録で語られているステファノの説教の文脈で考えるならば、神が最初アブラハムに語られた契約、「わたしはお前を祝福する。お前はすべて信じる人々の祝福の基となる。わたしはお前の子孫を星の数ほどに、海の砂の数ほどに増やす。またわたしはお前とお前の子孫とにこの約束の地を嗣業として与え、神の国を受け継がせる」、この神の契約は、イスラエルの民が400年間エジプトに寄留し、そこで奴隷として虐待され、苦しめられていても、決して神はお忘れにはならない。神はエジプトで奴隷の民とされたイスラエルの神であり続け、イスラエルの民と結ばれた契約は彼らの苦難の中にあっても決して破棄されることはない。その契約は確かな成就に向かっている。神は燃える柴の中からモーセにそのようにお語りになったのです。

神はイスラエルの民の苦難をご覧になっておられ、彼らの苦悩の叫びを聞かれ、それゆえに、天におられる神が地に降って来られ、直接にご自身のみ手をもって彼らをお救いになると言われます。そのために、モーセを遣わすと言われます。ここに至って、モーセはイスラエルの民に対する神の救いのみ旨をはっきりと知らされ、同胞の民を助けたいとの彼の願いが、彼自身の願いである以上に、神の願いであり、神の強い意志であり、永遠に変わることのない神の愛と義と真理とによる救いのご計画であるということを悟るのです。ここではっきりとモーセの召命、神による招きが語られます。彼は同胞の民イスラエルの指導者として立てられます。召命には派遣が伴います。モーセはエジプトへと遣わされます。エジプト王国を支配している絶対的権力者であるファラオのもとへと遣わされます。奴隷として苦しむイスラエルの民の解放者として派遣されるのです。

最後の35節を読みましょう。【35節】。ステファノが旧約聖書の偉大な指導者モーセについて語っているのは、単に出エジプト記に記されている古い歴史をたどっているのではありません。わたしたちはここで、モーセの最初の40年間の生涯と次の40年間の生涯に、ステファノが主イエスのご生涯を重ね合わせている、ここに主イエスの預言を見ている、そして主イエスの預言が今成就していることを見ているのだ、ということに気づかされるのです。

主イエスの誕生とモーセの誕生とが重なります。エジプト王ファラオの迫害の中でモーセは誕生しました。主イエスはヘロデ大王とローマ帝国の弾圧の中で誕生しました。モーセはイスラエルの民が奴隷として苦しめられている中に派遣されました。主イエスは信仰の命を失いかけていたイスラエルの民の中へ、世界に罪が満ち、暗黒に支配されていた中へ、すべての人を罪から救うメシア・救い主として派遣されました。モーセは同胞の民には理解されず、排斥されたにもかかわらず、神に選ばれ、神に立てられ、神に派遣されました。主イエスはご自分の民ユダヤ人には受け入れられず、この世では見捨てられ、ただお一人苦難の道を歩まれ、十字架につけられ、そのようにして神の救いのみ心を成就されました。神の救いは、あらゆる人間の罪や過ち、神への無理解や抵抗にもかかわらず、今この時も前進していくのだということをわたしたちは信じるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちはあなたのみ前にあって、かたくなであり、無知であり、悟るに鈍くあり、悔い改めるに遅くあり、信仰の薄い者であることを告白せざるを得ません。主よ、どうぞわたしたちを憐れんでください。わたしたちをお救いください。わたしたちがあなたの愛と義と真理とによって生きる者としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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