8月13日説教「ヨセフの夢の実現」

2023年8月13日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記42章1~29節

    ローマの信徒への手紙12章9~21節

説教題:「ヨセフの夢の実現」

 族長ヤコブ、すなわちイスラエルの12人の子どものうち11番目に生まれた子どもヨセフを主人公とした物語が、創世記37章から終わりの50章までに語られています。ヨセフは父ヤコブの最愛の妻ラケルから、長く待ち望んだあとでようやく生まれた年寄り子でしたから、ことさらに父の寵愛を受けて育てられ、そのことが兄たちの憎しみを買うことになりました。兄たちは憎しみと嘲笑を込めてヨセフを「あの夢見るお方」と呼びました(37章19節)。ヨセフが自分の見た夢を兄たちや両親に自慢げに話していたからです。その夢はこうでした。【37章7節】(64ページ)。もう一つの夢は、【9節】。ヨセフに対する兄たちの憎しみと妬みの結果、ヨセフは兄たちによってエジプトに売られていくことになったのでした。

 それからおよそ20数年後、きょうの礼拝で朗読された42章6節にこのように書かれています。【6節】。そして、【9節a】。子どものころにヨセフが見た夢が、今、紆余曲折を経て、実現しているのです。けれども、そのことに気づいていたのはヨセフだけであり、しかもヨセフはそれを自慢げに兄たちに話すことをしていません。ヨセフは自分の夢が実現して、自分をエジプトに売り飛ばした兄たちに勝利したことを誇っているのでは決してありません。彼はここに神のご計画の実現を見ているのです。彼が見た夢を実現させたのは神です。ヨセフは神のみ心が行われていることを悟り、神への恐れをもって、神から自分に託されている兄弟同士の真の和解と、神の隠された救いのみわざが行われるために、何をなすべきかを思案しているのです。この42章でもすべての出来事を支配している主人公はヨセフではなく、主なる神なのです。ヨセフはその神に服従しているのです。

 では、どのようにしてヨセフの夢が実現され、神のみ心が行なわれていくのでしょうか。【1~2節】。エジプトと全世界を襲った大飢饉は、当然のことながらパレスチナ地方に住むヤコブ一家にも命の危険を及ぼすほどの影響を与えました。ヤコブは一家の長として、また一族の族長として、その家族の命を守る責任を自覚しています。ヤコブはエジプトには穀物があるということを聞いていました。彼がどうやってその情報を手に入れたのかについては何も書かれてはいませんが、そこにも神の隠れたみ心が働いていたと推測することはできます。でも、全国的な飢饉のときに、なぜエジプトに穀物があるのかについては、彼には知らされていません。しかし、41章をすでに読んできたわたしたちにはその理由が分かっています。

 41章53節以下にはこのように書かれていました。【53~57節】。これは、ヨセフがエジプト王ファラオの夢を解き明かし、7年の飢饉の前の7年の大豊作の期間に、穀物を蓄えさせておいたからであることをわたしたちは知っています。ヨセフは神から与えられた知恵によってファラオの夢を解き明かし、また神からの知恵によって大豊作のあとの飢饉に備えました。その知恵がファラオに認められてエジプトの総理大臣に任命されたのです。

 大豊作も飢饉も、いずれも主なる神のみわざです。神は創造されたすべての被造物を強いみ手をもって支配しておられます。大地を豊かに実らせるのは主なる神です。また大地を乾かすのも神です。そのようにして、神は豊作を喜ぶ人々にも、飢饉に苦しむ人々にも、主なる神であられることをお示しになり、わたしたち人間がすべてのものの造り主であられる神に服従し、その神がわたしたちを無くてならないものによって養ってくださることを信じるように導かれるのです。

 それゆえに、神はだれも飢えによって死ぬことを望んでおられません。2節でヤコブは「そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言っていますが、それはヤコブの願いである以上に、主なる神のみ心なのです。神は兄たちによってエジプトに売られたヨセフをお用いになり、神に選ばれた族長ヤコブとその家族のパンのために配慮なさいます。そして、彼らを飢えと死の危険から救い出されるのです。

 ヤコブは飢饉から一家を救うために10人の息子たちをエジプトへ派遣します。でも、一番末の子ども、最愛の妻ラケルから生まれたヨセフの弟ベニヤミンだけは、この危険な旅から除外しました。かつて、溺愛していたヨセフを失ってしまったときの記憶が父ヤコブにはまだ残っていました。4節にこのように書かれています。【4節】。しかし、これもまた父の偏った愛からの行動であったと言わなければなりません。かつて、父としてのヨセフに対する偏った愛が兄たちの憎しみを買い、ヨセフを失う結果になったのと同じ過ちを、ヤコブは繰り返しているのではないでしょうか。

そして事実、父ヤコブはヨセフとベニヤミンという二人の子どもに対する偏った愛から、大きな苦悩をもって解放されなければならない時がくるのだということを、わたしたちは次の43章で読むのです。あらかじめその個所を読んでみましょう。【43章14節】。このようにして、ヤコブは人間の偏った愛から、彼が何度も失敗を繰り返してきたあの人間への偏った愛から解放されていくのです。ただ、主なる神に対する全き服従こそが、族長として選ばれた信仰者ヤコブの進むべき唯一の道であることを知らされていくのです。主なる神を第一に愛することこそが、夫婦の愛、家族の愛、すべての人間への愛の土台であるべきことを知らされるのです。

 エジプトに遣わされたヤコブの10人の子どもたちは、エジプトで総理大臣の地位についていた弟ヨセフの前で地にひれ伏しています。ヨセフはすぐに兄たちだと気づきましたが、彼らは自分たちの前に立っているのが、かつて外国の商人に売り飛ばしたヨセフだとは全く予想することはできませんでした。

また、ヨセフは自分が子どものころに見た夢が20数年後の今エジプトで実現していることにも気づいていました。でも、ヨセフはそ知らぬふりをしています。むしろ、彼らに外国からのスパイ容疑をかけて、荒々しく取り扱っています。

 ヨセフはここで兄たちにかつての復讐をしようとしているのでしょうか。自分の夢が実現したことを兄たちに対して誇っているのでしょうか。いや、そうではありません。彼はここで神のみ心が成就しているのを悟ったのです。彼が子どものことに見た夢を実現させ、ヨセフと他の兄弟たちとを、数奇な運命をたどりながら、今エジプトで再会させてくださったのは、ほかでもなく主なる神であるのだということをヨセフは悟るのです。そして、神が父ヤコブの12人の子どもたち全員を、真実の和解へと導こうとされていることを知らされるのです。そのために、ヨセフはまだここに一緒にいない末の弟ベニヤミンとの再会をも果たさなければなりません。

 【18~22節】。ヤコブ・イスラエルの12人の子どもたちを真実の和解へと導く神のみわざがこれから始められようとしています。ヨセフは末の弟ベニヤミンをエジプトに連れてくることを兄たちに要求します。それまでは兄弟の一人を人質にして牢獄に監禁することにすると言います。それを聞いた兄たちは、かつて自分たちが弟ヨセフを憎み、彼一人だけを残し、彼を苦しめ、外国の商人に売り飛ばしたという罪に気づきました。最年長のルベンをはじめ兄たちは、弟ヨセフに対するかつての罪に気づき、その罪を悔いています。ここから兄弟たちの和解が始まります。

 ヨセフは兄たちが自分に対して犯したかつての罪を悔いていることを知り、彼らに知られないように、そっと涙を流したと24節に書かれています。ヨセフは彼らが穀物の代金として持参した銀をみな彼らの穀物袋の中に忍び込ませて返しました。そのことを知った彼らは、28節で「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは」と言って驚きました。兄たちもまた今回のエジプト行きと、エジプトの総理大臣との出会い、それが弟ヨセフだとはまだ気づいてはいませんでしたが、そしてエジプトの穀物によって飢饉から救われたことのすべてに、主なる神が働いておられることを感じ取っていました。

彼らは父ヤコブのもとに帰り、事のすべてを報告します。けれども、ヤコブにとっては彼らの報告は決して嬉しいものではありませんでした。ヤコブは36節でこう言います。【36節】。ヤコブは父親としてのヨセフとベニヤミンに対する偏った愛からいまだ解放されてはいません。わたしたちがすでに43章14節であらかじめ確認したように、二度目のエジプト訪問の時になってようやくヨセフは全能の神に服従することこそが、父親として、また神に選ばれた族長として、家族のみんなとイスラエルの民とを救うことになるということに気づくのです。

そしてまた、二度目のエジプト訪問で、ベニヤミンを含む11人の兄弟全員がヨセフの前にひれ伏すようになって、ヨセフが子どものころに見た夢が実現し、神のみ心が完全に成就するようになるのです。そのようにして、族長ヤコブとイスラエルの民全員が主なる神の救いのみわざを見るようになるまで、そしてすべての民が主なる唯一の神を礼拝するようになるまで、神の隠れた救いのみわざは続けられていきます。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたはわたしたち人間の罪や憎しみや破れ、傷ついた愛の中で、ご自身の永遠の救いのみわざを前進させてくださいます。どうかわたしたちが自らの罪と破れとを知り、それを悔い改め、あなたの全能のみ力を信じて、あなたに服従する者としてください。この時代のさまざまな争い、混乱や分断、苦悩と試練の中にあっても、あなたのみ心が確かに行なわれていくことをわたしたちに信じさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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